侍ジャイアンツ

侍ジャイアンツ

1970年代。土佐生まれの、八方破れな自称サムライの高校生番場蛮が主人公。紳士野球を変えたいと、読売ジャイアンツ監督の川上哲治が蛮を入団させる。そこで、蛮は独自の魔球を考案。血のにじむような努力と根性で体得し、他球団のライバル打者たちと対戦していく。当時の読売ジャイアンツや他球団の選手たちが、実名で登場した作品。原作者は梶原一騎。

正式名称
侍ジャイアンツ
ふりがな
さむらいじゃいあんつ
原作者
梶原 一騎
作画
ジャンル
野球
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概要・あらすじ

昭和45年(1970)のプロ野球日本シリーズにおいて、ロッテオリオンズを破り六連覇した読売ジャイアンツ川上哲治監督だったが、ジャイアンツの紳士的な野球に不安を感じていた。そこで、二軍投手の八幡太郎平の紹介で、自称サムライの高校生番場蛮を入団させ、チームに活力を入れようとする。

その後、他球団にはウルフ・チーフ眉月光明智学といった番場蛮のライバルとなる選手が続々入団。は彼らに打ち勝つため、ハイ・ジャンプ、大回転、ハラキリシュートなどの独自の魔球をあみだしていく。そして、昭和49年(1974)の日本シリーズにおいて分身魔球を完成。

日本プロ野球史上初のジャイアンツ10連覇に貢献する。

登場人物・キャラクター

番場 蛮 (ばんば ばん)

左投げ左打ち。投手。土佐嵐高校の1年生だが、途中で退学。高校野球部員だったが、甲子園出場経験はない。投げるボールは手元で伸び、金網にぶつかるとその部分が折れ曲がるほどの殺人的剛速球を投げるが、コントロールが非常に悪い欠点があった。それでも、読売ジャイアンツの川上哲治監督は、彼の侍魂に惚れ込んで、ジャイアンツに入団させる。 背番号は、侍ならいつも死を意識して戦うというところから、当時欠番となっていた4番。体重60キロ、身長160㎝という体格から、一流投手にはなれないと川上監督に言われ、一旦はプロ野球をやめようとする。そこに、当時のジャイアンツの主力だった王貞治の助言があり、独自の魔球を作り出すことを考えた。 それ以降、先輩の八幡太郎平とともに努力と根性で突き進み、最初の魔球であるハイ・ジャンプ魔球を完成させる。ハイ・ジャンプ魔球が大砲万作や眉月光たちに打たれると、次は大回転魔球を考案。さらに、ハイ・ジャンプ魔球と大回転魔球を組み合わせたハイ・ジャンプ大回転魔球や、腹をえぐるように鋭く曲がるハラキリシュート、投げたとたんにボールが3つ以上分身する、分身魔球を次々と完成させ、ジャイアンツの10連覇に大きく貢献した。

八幡 太郎平 (はちまん たろへい)

眼鏡をかけた長身の男。右投げ右打ち。背番号は100。読売ジャイアンツの二軍投手。番場蛮の高校の先輩。人材で悩む、ジャイアンツの川上哲治監督に蛮を推薦した。八幡は投手としては解雇されるが、蛮の専用おもり役兼捕手として採用される。 しばらくは、二軍で蛮の練習台となっていたが、蛮が一軍へ上ると、自らも一軍の捕手をめざし、2人で冬の飛騨山中で山籠もり特訓をする。そこで、木こり作業をしていた大砲万作と出会っている。飛騨山中の特訓は効果があって打力がアップ。一軍に昇格すると、蛮の魔球誕生のための特訓に付き合う。 最初のハイ・ジャンプ魔球は、八幡がバイクに乗って蛮に突進し、彼がそれをジャンプでかわす特訓から生まれた。

川上 哲治 (かわかみ てつはる)

白髪の黒ぶち眼鏡。背番号は77で、.現役時代は16。昭和45年の日本シリーズでV6を達成した、読売ジャイアンツの監督。現役時代はジャイアンツで活躍し、赤バットを使用してヒットを量産した。打撃の神さまの異名を持つ。実在の川上哲治がモデル。6連覇しても、ジャイアンツの野球が紳士的すぎるということから将来に不安を持つ。 そこへ八幡からの紹介で、番場蛮と会う。このとき、蛮は試合の最中で、デッドボールを鼻先に受けて鼻血を出すが、平然とバッターボックスに立っていた。また、投げるとノーコンながら剛速球なので、往年の金田正一を思い出し、ジャイアンツに入団させることを決めている。 読売ジャイアンツのクリーンナップである、長嶋茂雄からは「おやじさん」と呼ばれている。

美波 理香 (みなみ りか)

土佐嵐高校の3年で、番場蛮の上級生。土佐一といわれる網元の令嬢。蛮があこがれる、ミニスカートの美女。高校卒業後は、東京の大学で仏文科を専攻する。読売ジャイアンツの川上哲治監督が、蛮を読売ジャイアンツに誘ったとき、大きいものと強いものが大嫌いで、プロ野球に入ることがあっても、他チームに入るという蛮に対し、大きなクジラに飲まれても銛で突き破って出てきた伝説のクシラ捕りの名前を出し、蛮に読売ジャイアンツ入りを決意させた。 また眉月光とは一緒にドライブする仲であり、新聞で恋人同士と書かれたことがある。だが、実際には彼女は強い男が好きであり、蛮に秘めたる想いがあった。

眉月 光 (まゆづき ひかる)

スポーツカーを乗り回す、キザな野球の天才児。土佐の竜王学園高校の野球部キャプテンを務め、2年連続甲子園出場を果たしている。四国で指折りの富豪の息子。美波理香とは仲が良く、恋人とも新聞で書かれており、東京の多摩川グランドでは、一緒に番場蛮の練習を見に行ったこともある。 このとき、蛮と初勝負をし、蛮のノーコンボールをジャンプで避けるほど、抜群の運動神経と反射神経を持つ。その後、昭和46年にヤクルトアトムズに入団。背番号70。オープン戦では5ホーマーを叩きだし、開幕時には5番サードに入っている。のちにセ・リーグのプリンスと呼ばれ、蛮のハイ・ジャンプ魔球をバントによって打ち崩した。

ウルフ・チーフ

アメリカのアパッチ・インディアンの血を引く。昭和46年に読売ジャイアンツがアメリカ・フロリダ州にキャンプ遠征した際、ロサンゼルス・ドジャースとの練習試合を行った。このとき、背番号13、セカンドの右投げ右打ちで出場したのがウルフ。気性が激しく、攻守に殺人的なプレーが度を過ぎるので、たびたび出場禁止となってマイナーリーグでくすぶっていたのを、ロサンゼルス・ドジャースが獲得した。 殺人スライディングを得意とし、この練習試合でも読売ジャイアンツの選手2人を血祭りに上げた。そこで投手の番場蛮は、ウルフが盗塁したとき、自らも殺人スライディングで対抗し、ウルフをアウトにする。 これがきっかけとなり、ウルフは蛮と戦うため、阪神タイガースに入団。蛮のハイ・ジャンプ魔球に、独自のロデオ空中打法で対抗した。

大砲 万作 (たいほう まんさく)

巨漢の怪力男。昭和46年冬に、特訓のため飛騨に山籠もりしていた番場蛮と八幡太郎平が出会った木こり。このとき、蛮の投げたボールを打って、あまりの鋭い打撃だったためボールが真っ二つに割れていた。子供の頃から巨木を相手に斧を振っていたので、腕、足、腰が異常に鍛えられた。 12人の兄弟と、祖父母、両親の大家族。どんぶり飯10杯食っても、腹八分という。昭和47年度のシーズンでは、中日ドラゴンズに入団。背番号は88で、左打ち。蛮のハイ・ジャンプ魔球には、背面打法で場外ファールを続け、蛮の体力を削る作戦に出た。また、大回転魔球には、大砲も同様に体を回転させる回転打法で対抗した。

不二 立彦 (ふじ たつひこ)

いつもにこやかな表情だが、勝負球がくると眼を鋭くさせる。長身で怪力を持つ男。高校野球ではホームランキングで、ジャンボ不二と呼ばれた。昭和48年大洋ホエールズに入団。背番号55。右打ち。ある少年誌企画で、ジャンボ鶴田と対談し、その怪力からジャイアント馬場が不二をプロレス界に欲しいと、中日球団と談判したほど。 また、番場蛮のハイ・ジャンプ大回転魔球を重いバットで短く持って打つ方法で攻略。これは、バットが重いので、コツンと当てるだけで飛ばす打法で、怪力の持ち主である不二だからできる打法だった。

明智 学 (あけち まなぶ)

身長は低めだが、大きな頭と顔の半分ぐらいある眼鏡をつける。T大出身で、数理的な独得の打撃理論を持ち、春・秋大学リーグでリーディングヒッターとなった。ヒット製造機の異名を持つ。昭和48年に広島カープへ入団。背番号44番。右打ち。投手の球質を見極めて、精密な計算のもとにヒットを打つ。 番場蛮のハイ・ジャンプ大回転魔球を打つが、肉体に対する負担が大きかったため、進塁中に倒れてしまった。また、ハラキリシュートに対しては、広島カープの先輩衣笠祥雄にアドバイスを送った。そのおかげで衣笠は二段打法でホームランを打てた。

ポポ・エンリコ

陽気な南国系の黒人選手。昭和48年に、ウルフ・チーフがロサンゼルス・ドジャースからの呼び戻しを受けてアメリカへ帰国。その代わりにロサンゼルス・ドジャースから阪神タイガースに入った男。走・攻・守に活躍し、特に守備では相手打者のホームラン性の当たりを、外野ネットの上からさらにジャンプしてキャッチするほど。 ウルフ・チーフのような走塁力はないが、総合的な実力は彼が上だと野球関係者からはいわれた。

F・ハワード

巨漢で眼鏡をかけた白人男。大リーグでホームランキングを2回、打点王を1回とったスラッガー。大リーグでは太平洋の白鯨の異名を持つ。昭和49年にデトロイトタイガースから太平洋ライオンズに入団した。その年のオープン戦で、番場蛮のハラキリシュートをバットを軽く振ることで打った。

太刀風 兵庫 (たちかぜ ひょうご)

腰までかかるような長い髪の男。戦国時代の殺人剣法「血風流(けっぷうりゅう)」の26代目。父は奈良県で剣道場を開く。剣の天才で、全日本中学剣道大会では相手を全員10秒以内で倒し、高校大会でも優勝。宮本武蔵の再来といわれる。番場蛮のハラキリシュートを、バットを逆に持ち、腹を切るような構えで対抗した。 このとき、打ったボールは捕手めがけて足や太ももに突き刺さった。

金田 正一 (かねだ まさいち)

元読売ジャイアンツ投手で前人未到の400勝投手。実在の金田正一がモデル。番場蛮が自分に似た性格なので、常に気になっていた。時々、読売ジャイアンツの川上哲治監督も、蛮と金田を比較することがある。このはすでに引退し、主に巨人戦の解説者を務める。

長嶋 茂雄 (ながしま しげお)

読売ジャイアンツの四番バッターでサード。実在の長嶋茂雄がモデル。番場蛮が読売ジャイアンツの二軍で練習試合をしたときは、審判と捕手を兼任したことがある。四児と愛妻を持つ35歳(昭和46年当時)。時々、蛮にからかわれたりするが、兄貴分のような存在。 ウルフ・チーフから殺人スライディングを受けたときは、ジャンプでかわすほどの運動神経を持つ。川上哲治監督から、次世代の読売ジャイアンツを託され、そのためにも現在の紳士的野球のジャイアンツをどうにかしたいと、「サムライ」番場を入団させた。

王 貞治 (おう さだはる)

☆読売ジャイアンツの三番バッターでファースト。実在の王貞治がモデル。ジャイアンツの川上哲治監督に、体格が小さいので一流投手にはなれないと言われプロ野球を辞めるつもりだった番場蛮に、かつての自分の経験を語って聞かせた。王自身、投手をクビになり、打撃を買われて野手になるも、26打席ノーヒット。 しかし、一本足打法で復活している。これが、蛮の魔球開発の発端となった。蛮の最初の魔球ハイ・ジャンプと対戦したのは、王。昭和48年には、日本プロ野球史上三人目の三冠王となる。

番場 マキ (ばんば まき)

番場蛮の妹。蛮が東京に行ったので、母と二人暮らし。兄想いのしっかり者の少女。兄を野球に専念させるため、家の心配はしないようにと海女の仕事をしている。蛮からの送金は、1円も使わず貯めている。魔球が打たれたり、壁にぶちあたって、たびたび蛮は実家に帰ってくるが、そのたびに慰めたり、励ましたり、ときには兄がたじろぐほどのハッパを掛けることもある。

集団・組織

読売ジャイアンツ (よみうりじゃいあんつ)

『侍ジャイアンツ』で番場蛮が所属するプロ野球球団。昭和45年の日本シリーズでは、ロッテオリオンズを敗って六連覇する。この時期の読売ジャイアンツの打線は、一番柴田勲(センター)、二番高田繁(レフト)、三番王貞治(ファースト)、四番長嶋茂雄(サード)、五番黒江透修(ショート)、六番萩原康弘(ライト)、七番滝安治(セカンド)、八番森昌彦(キャッチャー)。 監督は川上哲治。そして、番場蛮と八幡太郎平を加え、七連覇、八連覇と続けていく。

その他キーワード

ハイ・ジャンプ魔球 (はいじゃんぷまきゅう)

『侍ジャイアンツ』で番場蛮が投げた最初の魔球。読売ジャイアンツの川上哲治監督に、体格が貧弱なので一流投手にはなれないと宣言されたあと、王貞治の助言もあり、独自に開発した魔球。蛮の身長が160㎝と、投手としては低いことをヒントに、高いところから投げればと発想して生まれた。 マウンドから助走なしで150㎝飛び上がり、そのまま投球する。ジャンプ力が重要なので、八幡太郎平が乗ったバイクを飛び上がってかわすなどの特訓をする。この魔球を川上哲治監督と王が見たとき、すぐにルールブックを見て、ルール違反でないことを確認した。

大回転魔球 (だいかいてんまきゅう)

『侍ジャイアンツ』で番場蛮が投げた2つ目の魔球。ハイ・ジャンプ魔球が敗れた後に生み出された。海の渦に飲まれながら、体を休息に回転させる特訓をした。この魔球は、マウンド上で足を上げて投球フォームになった直後、片足のまま体を大回転させる。すると、手が八本にも見え、球をどこから投げてくるのか判別できないというものだった。 捕手さえ取れないので、開発中に取りなれていた八幡太郎平が、蛮専属の捕手となった。

ハイ・ジャンプ大回転魔球 (はいじゃんぷだいかいてんまきゅう)

『侍ジャイアンツ』で番場蛮が投げた魔球。大回転魔球が、中日ドラゴンズの大砲万作の回転打法によってジャストミートされた。代わりに投げたハイ・ジャンプ魔球も、同じ打法でホームランされる。窮地に苦しむ蛮は、高くジャンプしたのち大回転魔球を投げることを思いつき使用。大砲を無事打ち取った。

ハラキリシュート

『侍ジャイアンツ』で番場蛮が投げた魔球。読売ジャイアンツと南海ホークスの日本シリーズで、蛮が足の爪を割る負傷をする。痛みに足をかばいながら投げたボールが、ナチュラル・シュートだった。しかも、かなり鋭角に曲がって打者の腹をかすりそうなことから、ハラキリシュートと名がついた。この魔球により、読売ジャイアンツはV9を達成する。

分身魔球 (ぶんしんまきゅう)

『侍ジャイアンツ』で番場蛮が投げた最後の魔球。昭和49年のセ・リーグペナントレースの天王山は、読売ジャイアンツと中日ドラゴンズの三連戦。このとき、蛮が使ったのがこの魔球。これまでの魔球と異なって、比較的通常のフォームでありながら握力で硬球を握り潰し、そのまま投げる。すると、ボールは横に3つから5つになって分身する。 この魔球をわずか1ヶ月で習得し、川上哲治監督も、何故分身するのか、どのような特訓をしたのか蛮に聞いたが、教えてはもらえなかった。結局、この天王山三連戦で、蛮はこの分身魔球を多投することになる。

ロデオ空中打法 (ろでおくうちゅうだほう)

『侍ジャイアンツ』で番場蛮の投げたハイ・ジャンプ魔球を、ウルフ・チーフが打つために使った打法。ハイ・ジャンプ魔球を投げる時、蛮は150㎝ほどマウンド上でジャンプする。そのとき、いっしょにバッターボックス上でジャンプし、降りてきたところにボールが来るので、そこを打つ打法。だが実際は、バットの方が重いので、どうボールを打っても振り遅れてヒットにはできない欠点があった。

背面打法 (はいめんだほう)

『侍ジャイアンツ』で番場蛮が投げたハイ・ジャンプ魔球を、大砲万作が打つために使った打法。蛮に背を向けてバットを構える。ハイ・ジャンプ魔球を見ずに、ボールを待てば必ずストライクゾーンを通るのだから、それを叩くという打法。ヒットが出なくても、ファールで粘れば、蛮の体力を削ることができる。実際に連続21球ファールに持ち込むが、背を向けた大砲のバットを狙って普通に投球した蛮により内野ゴロに打ち取られた。

回転打法 (かいてんだほう)

『侍ジャイアンツ』で番場蛮が投げた大回転魔球を打つために、大砲万作が使った打法。大回転魔球の回転にあわせ、同時に体を回転させる打法で、ジャストミートするがファールになった。

二段打法 (にだんだほう)

『侍ジャイアンツ』で番場蛮が投げるハラキリシュートを打つために、衣笠祥雄が使った打法。広島カープの後輩、明智学のアドバイスによる。ハラキリシュートを、一度バットのグリップ近くで打って真上に軽く浮かせ、ボールが落ちてきたところをもう一度打つ打法。勝負の結果はホームランだった。

クレジット

原作

アニメ

侍ジャイアンツ

時は昭和45年。ペナントレースでも連覇を重ねる読売ジャイアンツだが、川上哲治監督はおとなしくまとまっているジャイアンツには豪快な侍のような選手が必要と考えていた。二軍選手・八幡の後輩で、「クジラみたい... 関連ページ:侍ジャイアンツ

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