諸葛孔明

諸葛孔明

『三国志演義』に登場する名軍師である諸葛孔明の生涯を描いた作品。物語や人物造形は概ね『三国志演義』に沿っているが、『三国志演義』ではあまり描かれない諸葛孔明の少年期から青年期にかけても、虚構を交えながら丁寧に描写されている。原作は竹川弘太郎。

正式名称
諸葛孔明
ふりがな
しょかつこうめい
原作者
竹川 弘太郎
漫画
ジャンル
三国時代
関連商品
Amazon 楽天

概要・あらすじ

時は後漢の末期。飢饉と悪政が原因で農民反乱が起き、国中が乱れる中、諸葛亮は郡の副知事の子として生まれた。早くに両親を亡くした諸葛亮とその兄弟は、叔父の諸葛玄を頼って荊州に向かう。諸葛亮はそこで水鏡塾に入って学問に励み、天下に平和をもたらすという志を抱くようになる。

登場人物・キャラクター

諸葛亮 (しょかつりょう)

後漢末の混乱期、琅邪郡(現在の山東省)に生まれる。幼くして両親を失い、苦難に満ちた少年時代を送るが、青年期は荊州で司馬徽に入門し、知識人としての頭角を現す。大きな志を抱きながらも、粗末な草庵に住んで時節を窺っていた。しかし、司馬徽から評価を聞いた劉備が訪ねて来たことをきっかけに、運命が大きく変わっていく。 実在の人物、諸葛孔明がモデル。

諸葛珪 (しょかつけい)

琅邪郡(現在の山東省)の郡の副知事。次男の諸葛亮が誕生した時、その額にほくろを見つける。昔、周の太公望にも額にほくろがあったことから、「将来は彼のような大軍師になるかもしれない」と喜んだ。董卓が洛陽に火を放ったと聞いて怒りをあらわにし、国の行く末を案じていた。実在の人物、諸葛珪がモデル。

諸葛謹 (しょかつきん)

諸葛珪の長男で、諸葛亮の兄。都の洛陽に留学していたが、董卓が都に火を放ったため、災禍を逃れて帰郷した。諸葛珪の死後は、継母である宋の郷里へと赴き、諸葛亮ら弟、妹たちと離れて暮らすようになる。別離の前に、「勉学に励んで、乱世を正す人間になれ」と諸葛亮を叱咤した。実在の人物、諸葛瑾がモデル。

(しょう)

諸葛亮の母親で、諸葛珪の妻。まだ赤ん坊の諸葛亮を太公望になぞらえて期待を掛ける夫に、「そんな立派な人と比べたら人に笑われる」とたしなめていた。混乱する社会を憂う夫を支える良妻賢母だったが、諸葛亮が10歳の時に病死した。実在の人物、章氏がモデル。

諸葛玄 (しょかつげん)

諸葛亮の叔父。諸葛珪が病死した後、彼の遺児たちを引き取った。幼い子供たちにも甘えを許さない、厳しい人物。劉表の招きに応じて、諸葛亮とその弟や妹たちを伴い、荊州へと赴く。そこで劉表からは豫州太守という役職を与えられるものの、中央から思わぬ妨害を受けることとなる。実在の人物、諸葛玄がモデル。

董卓 (とうたく)

西涼の太守。西域の荒くれ者たちを率いる実力者。政争によって混乱していた都の洛陽に入り、圧倒的な軍事力で朝廷の実権を握った。董卓が洛陽で暴政を敷いたため、留学中だった諸葛瑾は学問を中断せざるを得なくなった。実在の人物、董卓がモデル。

劉表 (りゅうひょう)

荊州の牧(知事)。後漢王朝の力が衰えたことで中国は乱世となったが、劉表は中立を貫き、荊州は平和を保った。また学問を振興し、荊州に学者や名士が戦火を逃れて集まって来る礎を築いた。諸葛玄を招いて役職を与えたことで、彼に養育されている諸葛亮とその兄弟も荊州へ迎え入れることとなった。実在の人物、劉表がモデル。

諸葛鈴 (しょかつれい)

諸葛亮の妹で、諸葛珪の娘。諸葛珪の死後は、兄弟とともに叔父の諸葛玄に引き取られる。父親の死後間もない時期、不安から泣いていたことを諸葛玄に叱責される。しかし、その後はしっかり者に成長し、諸葛亮や諸葛均、徐らの身の回りの世話をするまでになった。

諸葛均 (しょかつきん)

諸葛亮の弟で、諸葛珪の息子。幼い頃はよく諸葛亮と遊びながら、兄の夢の話を聞かされていた。諸葛珪の死後は、兄弟とともに叔父の諸葛玄に引き取られ、のちに諸葛亮や諸葛鈴、徐らとともに、荊州で暮らすようになる。実在の人物、諸葛均がモデル。

(じょ)

諸葛亮とその弟や妹たちが荊州に向かう途中、徐州で出会った少年。曹操が徐州で大虐殺を行った際に家族を殺され、孤児になった。その境遇を憐れんだ諸葛亮が諸葛玄に懇願し、引き取られた。当初は名がなかったので、出会った場所にちなんで「徐」と名付けられた。その後、諸葛亮たち兄弟とともに暮らすようになった。

(そう)

諸葛珪の妻、章が病死した後、後妻となる。わずか数年で夫も病に倒れ、献身的な看病をする。看病の甲斐なく夫が病死してからは、諸葛亮ら幼子たちの養育を諸葛玄に託す。自身は、長子である諸葛瑾とともに郷里に行き、諸葛亮、諸葛鈴、諸葛均らとは生き別れとなる。実在の人物、宋氏がモデル。

司馬徽 (しばき)

襄陽という都市で私塾「水鏡塾」を開く学者で、「水鏡先生」の名で知られる。優秀な人物が多く門下に入っていると聞いた諸葛亮が、入門を志願する。諸葛亮との初対面時、書を読むだけでなく、世の中を見聞することが学問において大切であると諭した。実在の人物、司馬徽がモデル。

徐庶 (じょしょ)

水鏡塾の塾生で、諸葛亮の同門。塾生の中でも秀才として評価されている。書物の知識ばかり追い求める多くの塾生の中にあって、知識の実用性を重視する諸葛亮はやや浮いていたが、徐庶だけは彼の資質を見抜き、「太公望に匹敵する大器になるかもしれない」と予言した。実在の人物、徐庶がモデル。

曹操 (そうそう)

後漢末の混乱期、天下を狙った群雄の1人。農民反乱の鎮圧で功績を挙げ、兗州で地盤を固める。皇帝を保護下に収め、天下統一に最も近いと目されている。父親を殺された怒りから徐州で大虐殺を行うなど激情的な人物だが、根拠地を奪われた劉備を匿う器の大きさも見せる。実在の人物、曹操がモデル。

劉備 (りゅうび)

後漢末の群雄の1人。農民反乱の討伐で功績を挙げた。「乱世だからこそ、仁を貫く人間が必要だ」という持論を持つ、情に厚い人物。そのため人望があり、関羽、張飛といった優れた武将が付き従っている。根拠地としていた徐州を奪われた時には、曹操のもとに身を寄せる。実在の人物、劉備がモデル。

関羽 (かんう)

劉備の部下。劉備、張飛とは義兄弟の契りを交わしている。知力と武勇を兼ね備えた名将で、敵からも尊敬されている。血気にはやりがちな張飛に対しては、冷静にたしなめることが多い。実在の人物、関羽がモデル。

張飛 (ちょうひ)

劉備の部下。劉備、関羽とは義兄弟の契りを交わしている。怪力自慢の豪傑だが、酒に酔って思ったままを口にし、しばしば関羽に静止されるなど、やや単純で直情径行なところがある。劉備の人格に心酔し、どこまでも従うことを誓っている。実在の人物、張飛がモデル。

袁紹 (えんしょう)

後漢末の群雄の1人。後漢の名門の出身で、曹操と天下を二分するほどの勢力を誇る。しかし、それを鼻にかける傲慢なところがあり、曹操や劉備からは、「天下を狙う器ではない」とみなされている。実在の人物、袁紹がモデル。

荀彧 (じゅんいく)

曹操の信頼厚い軍師。劉備が根拠地を失って曹操を頼ってきた際、曹操に対応策を献策する。荀彧は劉備の人望が将来曹操を脅かすことを警戒しており、劉備をあえて受け入れつつ、重用せず飼い殺しにするよう進言した。実在の人物、荀彧がモデル。

知愛 (ちあい)

荊州の名士、黄承彦の一人娘。諸葛亮が優秀であるという評判から、父親の望みで諸葛亮の妻となる。器量が良いとは言えないが、控えめで心優しい性格をしており、諸葛亮に一目で気に入られた。知愛もまた、信念を貫こうとする夫を愛し、生活を支える。実在の人物、黄氏がモデル。

孫権 (そんけん)

後漢末の群雄の1人で、曹操と並ぶ実力者。「国の基盤は人である」という信念を持ち、各地から人材を招く。その中には、諸葛亮の兄である諸葛瑾もいた。曹操に軍事的圧力をかけられ、降伏するか戦うかという決断を迫られた際には、最終的に周瑜の進言を聞き、劉備と同盟して曹操と戦う道を選んだ。実在の人物、孫権がモデル。

蔡夫人 (さいふじん)

劉表の後妻。劉表との間に劉琮という息子がいる。劉表の前妻の子で長男である劉琦を疎んじ、我が子である劉琮を後継者にしようと目論んでいる。劉表に重臣として仕える弟の蔡瑁も、蔡夫人の策謀に協力している。これが、劉表の死後に荊州の結束が崩れる原因となった。実在の人物、蔡氏がモデル。

夏侯惇 (かこうとん)

曹操に仕える武将。右目の視力を失っている。曹操に命じられ、大軍を率いて荊州にいた劉備を攻める。勇猛だが智力に欠け、猪突猛進するきらいがある。劉備軍を寡兵と侮っていたため、諸葛亮の策略にかかって敗れた。実在の人物、夏侯惇がモデル。

周瑜 (しゅうゆ)

孫権の重臣。美丈夫であると同時に、冷静沈着で知力に長けている。孫権が曹操から降伏を迫られた時には、劉備と結んで抗戦するように進言する。諸葛亮とともに赤壁の戦いを指揮し、火攻めによって大勝利を治めるが、劉備の勢力に対しては警戒心を抱いている。実在の人物、周瑜がモデル。

龐統 (ほうとう)

劉備に仕える軍師。諸葛亮と同じく、司馬徽の門下生だった。もともと孫権に仕えていたが、風采が上がらないため重用されず、劉備に仕官した。容貌で侮られがちだが知略に優れており、益州を計略で奪うように劉備に進言する。実在の人物、龐統がモデル。

司馬懿 (しばい)

曹操に仕える武将。五丈原の戦いにおいて、諸葛亮率いる蜀の軍と対峙した。持久戦を得意とし、戦いを避けながら相手の消耗を待つ作戦をとった。諸葛亮の挑発にも動じない一方で、時には芝居を打って味方の士気を保つなど、冷静で思慮深い人物。実在の人物、司馬懿がモデル。

集団・組織

水鏡塾 (すいきょうじゅく)

司馬徽が襄陽の街で開いた私塾。優秀な門下生が集まるという評判を聞き、諸葛亮も入門した。塾生たちはそれなりに優秀だったが、多くは書物の知識を掘り下げるにとどまっており、その知識が実際に役立つかどうかという点を重視する諸葛亮は、塾生の中では異質な存在だった。

場所

荊州 (けいしゅう)

後漢末の群雄の1人、劉表が治める土地。劉表は平和主義的な文化人であり、中立を保って荊州の安定を維持していた。そのため、中国全土から知識人が戦乱を逃れて避難し、文化的に栄えた。諸葛亮は兄弟たちとともに、叔父の諸葛玄と荊州を頼り、そこで青年期を過ごした。

徐州 (じょしゅう)

諸葛亮たち兄弟が、叔父の諸葛玄とともに荊州に向かう時、通過した土地。曹操の父親が徐州で殺される事件があり、怒り狂った曹操は徐州に攻め込み、老若男女の区別なく大虐殺を行った。諸葛亮は徐州の惨状を目の当たりにし、衝撃を受ける。この経験から、曹操の名は「乱世の奸雄」として諸葛亮に印象づけられ、曹操に激しい敵愾心を燃やすようになる。

益州 (えきしゅう)

曹操、孫権に並ぶ第三の勢力になることを目指し、劉備が奪おうとした土地。土地が豊かで、四方を山脈に囲まれた防御に有利な場所である。支配者の劉璋は無能であることから、龐統はここを策略で奪取するように劉備に進言した。

クレジット

原作

竹川 弘太郎

SHARE
EC
Amazon
logo