ストッパー毒島

ストッパー毒島

素行不良により高校を退学になった主人公毒島大広が万年最下位のプロ野球チーム京浜アスレチックスに入団。ストッパーとして成長し、仲間とともに優勝を目指す野球マンガ。

正式名称
ストッパー毒島
ふりがな
すとっぱーぶすじま
作者
ジャンル
野球
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概要・あらすじ

高校時代まったく野球の実績がなく、高校も退学処分となった毒島大広。しかし、弱小プロ野球チーム京浜アスレチックスの名スカウトマン小暮武夫に目をつけられた毒島は奇跡的にドラフト会議で指名され、プロ野球選手となった。破天荒な性格の毒島は入団後様々な問題を起こすが、球団マスコットのチックくんの指導を受けることでストッパーとして急成長していく。

そして入団2年目のシーズン。2軍で出会ったチームメート達が台頭し、京浜アスレチックスは奇跡の進撃を開始する。

登場人物・キャラクター

毒島 大広 (ぶすじま たいこう)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス投手。背番号55。左投げ左打ち。身長193センチ。1995年ドラフト8位入団。高校時代は部活動での野球の実績がなく、その上素行不良で退学処分を受けている。しかし、京浜アスレチックスの敏腕スカウト小暮武夫の目にとまり、奇跡的にドラフト8位指名され、17歳でプロ野球選手となる。 160キロの剛速球を投げる剛腕だが、入団当初は変化球がまったく投げられない上、コントロールも悪かった。しかし、左腕投手であり、直球もムービング・ファストボール系のクセ球であることから開幕一軍入りを果たしてストッパーを任された。だが、実力が伴わず制球難からゲームを落とし続け、シーズン途中で2軍落ちする。 毒島大広はそこで球団マスコットのチックくんから厳しい指導を受け、投手として大きく成長。その後、偶然から独自の変化球ブスジマ・チェンジを会得。球界を代表するストッパーへと飛躍していく。毒島の性格はとにかく破天荒であり、金髪に染めた髪がトレードマーク。 初登板時、自分でリリーフカーを運転してマウンドに上がった上、起用法に不満を抱いて監督を追い回すなど伝説には事欠かない。しかし練習には非常にまじめに取り組む。兄・毒島貴志の影響で子供の頃から広島カープファン。広島カープの大野豊と京浜アスレチックスの暮海明夫を投手として尊敬している。

チックくん

『ストッパー毒島』に登場するキャラクター。パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックスの球団マスコット。キツネをモチーフにしたキャラだが、犬に間違われることも多い。その可愛げのないルックスでプロ野球界不人気ナンバー1マスコットと言われている。しかし、野球の指導力は超一流で、球団マスコットでありながら多くの投手に技術指導していた。 制球に苦しむ毒島大広に特訓を施し、決め球となる変化球サークルチェンジの投げ方を教えたのもチックくんである。毒島が入団して1年目のシーズン・オフ、彼はその指導力と人望を買われて監督就任を要請されるが、「マスコットの仕事にプライドを持っている」と固辞する。しかし、監督に就任した三木源三郎の要請でチックくんのままであることを条件に投手コーチに就任した。 チックくんの中に入っているのは、公式には元ドラフト1位投手の三宅武となっている。しかし実は三宅武はすでに病死しており、その正体は謎に包まれている。チックくんの中の人の正体に迫った記者の記事が謎の圧力で掲載不可になったこともあり、その正体を探ることは球界のタブーであるらしい。

清水 良馬 (しみず りょうま)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス投手。背番号13。右投げ右打ち。毒島大広とは中学時代からの腐れ縁。野球名門高校を中退の後渡米。1Aで11勝を上げ帰国し、17歳で京浜アスレチックスにドラフト1位指名される。メジャーリーグ志向が強く入団記者会見では「目標は二年で退団しメジャーリーグに挑戦すること」と宣言した。 150キロ近い速球と鋭角に落ちるフォークボールを武器とする。入団一年目からエースとなり、11勝14敗の成績を上げた。2年目の成績は15勝5敗。シーズン最終戦には「メジャーリーグに行く前にこのチームで優勝したい」との思いを浮かべるなど、チームに対する愛着も芽生えていた。 端正なルックスとクールな物腰の若きエースだけにスター的要素をたっぷり持つが、基本的に無愛想でファンサービスもあまりしない。

斉木 哲也 (さいき てつや)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス投手。背番号21。右投げ右打ち。兵庫県の高校を中退し、球団職員をへて、京浜アスレチックスにドラフト3位指名された。抜群の制球力と、わかっていても打てないスライダーを武器とするサイドスロー投手。東尾修を尊敬しており、当初清水良馬がつけるはずだった背番号21を熱望。 背番号に興味のない清水があっさり譲ったことで21を自分のものにした。球団職員時代、チックくんのアドバイスでオーバースローからサイドスローに転向。その指導法に絶大な信頼を置いている。入団初年度は主に先発として起用されたが、途中の2軍落ちもあり4勝1敗で終わった。 2年目はシーズン当初よりローテンション入り。毒島大広が二軍落ちした際にはストッパーをつとめるなど、チームの優勝に貢献した。入団記者会見では「なるべく長く現役生活を続けること」を目標として挙げるなど、極めて現実的な性格。同時に野球選手としてなすべき事をきちんと実践できる一流のプロフェッショナルでもある。 入団当初は毒島や清水に対抗意識を剥き出しにしていたが、次第にうち解け、毒島とは同期として気安く付き合うようになった。

三木 源三郎 (みき げんざぶろう)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックスの二軍監督から監督に就任した人物。背番号88。昭和一桁生まれの高齢監督。よく試合中居眠りをしている。アスレチックス二連覇時代のヘッドコーチであったが、派閥争いに巻き込まれ、二軍監督となって20年以上を過ごしていた。 しかし、成績不振で片平直矢らが監督を相次いで辞任したことで監督代行の座についた。翌年、チックくんを投手コーチにすることを条件にして、正式に1軍監督就任。若手育成の手腕に優れ、2軍では佐世保仁など多くの才能を見出した。

小暮 武夫 (こぐれたけお)

登場時はパシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックスのチーフ・スカウト。あらゆる球団を渡り歩き数々の名選手を発掘した有名スカウトである。風来坊スカウトの通称を持つが、京浜アスレチックスでは外様で悲しいほど信用がなかった。そんな中、誰もが反対した毒島大広のドラフト8位指名をあらゆる策を弄して行った。 高校を中退した清水良馬のアメリカ行きを世話したのも木暮であり、その事情を知っている他球団は清水の指名を見送り、京浜アスレチックスは単独で1位指名することができた。それは木暮がスカウトとして尊敬され、人徳があった故であった。毒島入団の翌年2011年、管理部長に昇進した。 合気道四段。

黒田 正弘 (くろだ まさひろ)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス投手。初登場時29歳。右投げ右打ち。背番号26。江夏豊に風貌が似ているため「小江夏」とあだ名されている。毒島大広入団時の不動のストッパーだったが、実力はそこそこで、すぐにその座を奪われた。ストレートの最高球速は123キロ。 しかし全球種を速い球、普通の球、遅い球と投げ分け、なんだかんだで21種類の球種を持つ技巧派。毒島ら新人らに毒舌を吐く小姑的な存在だが、経験豊富な投手であり、それなりのプロ意識も持ち合わせている。三木源三郎の監督就任後は先発に転向し、そこそこの成績を上げた。『野球は頭や!!』という著書を出している。

ウェイク国吉 (うぇいくくによし)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス選手。外野手から後に投手へ転向。初登場時28歳。右投げ左打ち。背番号41。沖縄県出身。大変な努力家だが、入団からずっと1軍に上がれず過ごしてきた。右肩の脱臼癖がある。2011年夏、チックくんの薦めで投手に転向。 練習の間に習得したナックルボールを武器に1軍で勝利を重ね、8月と9月の月間MVPを獲得した。2010年のシーズンオフ、治療のため出かけた温泉町でチックくんの中の人が三宅武でないことを知り、そのことを高校の同級生だったスポーツ記者に教えてしまう。

三条 洋二 (さんじょう ようじ)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス内野手。背番号69→背番号1。右投げ左打ち。1993年松井秀喜のハズレ1位で社会人から入団。野球センスの塊のような男で、その驚異的に広い守備範囲で度々チームのピンチを救う二塁手。三木源三郎監督の孫に「プロ野球で見る価値のあるのはイチローと三条の守備だけ」とまで言わしめた天才的名手である。 シャイな男で自分が努力している姿を極端に見せたがらず、何かと遊び人のふりをする。プロレスラー、格闘家の安生洋二の名前と風貌をもじったキャラクター。

佐世保 仁 (させぼ ひとし)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス捕手。背番号47→背番号31。甲子園常連校から1983年ドラフト3位で入団。右投げ右打ち。典型的な中距離打者だがチャンスに強い。1996年から1軍に定着。冷静な頭脳派で毒島大広ら投手陣からの信頼も厚く、捕手ながらクリーンナップを任される。 シーズン残り三試合目で頭部にデッドボールを受け退場。残り試合の出場は絶望とされたが、病院を抜け出し、最終日のダブルヘッダー試合に強行出場し、試合を決める本塁打を放った。

火野 勝 (ひの まさる)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス内野手。背番号38→背番号6。右投げ右打ち。主にショートを守る。初登場時25歳。天性のホームラン・アーチストだが、間の抜けたツラがまえから片平監督の構想からイチ早くはずれ二軍暮らしが続いていた。1996年から1軍に定着。 1997年、小野寺学の加入や打撃に専念させる構想のため一時サードにコンバートされるが、内面は繊細だったため極度な打撃不振が続いた。この時、山畑打撃コーチによる熱血指導のプレッシャーに耐えきれず、2日間の失踪騒動を起こす。しかしショートにポジションが戻るや本塁打を連発し、チーム快進撃の立役者となった。 だが、守備がうまい訳ではなく、トンネルや暴投など失策が多く、そちらの面では投手陣の足をひっぱった。口癖は「んああ!」。名前とプレイスタイルのモデルとなったのは元中日ドラゴンズのプロ野球選手宇野勝。

川岸 大介 (かわぎし だいすけ)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス選手。右投げ右打ち。一塁手兼外野手。背番号7。初登場時22歳。大学3年の時に東都大学リーグで活躍したものの4年生の1年間はベンチウォーマー。なぜか木暮スカウトが逆指名までさせてドラフト2位で指名した。甘い球を打ち損じた後、とんでもなく難しい球をホームランすることがある超意外性の打者。 パワーはメジャー級と評価される。猫のような目をした鼻のでかい風貌で若手選手でありながら腹が出ている。入団一年目からベンツに乗って球場入りしていた。

本上 博史 (ほんじょう ひろし)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス外野手。1996年、社会人からドラフト2位で入団。背番号00。左投げ、左打ち。一発もある走・攻・守そろった選手。主にセンターを守り、ルーキーながら開幕試合で1番打者で先発出場した。茶髪リーゼントに眉なし三白眼の風貌。前歯も欠けている。 熊本最大の暴走族のリーダーだった男であり、「一声かければ九州中から族が集まる」と豪語する。全試合の移動を愛車カワサキKZ-1300で行う。シーズン最終戦には「闘魂伝承」と刺繍した特攻服で球場入りした。

小野寺 学 (おのでら まなぶ)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス内野手。背番号3。右投げ両打ち。名門外木葉学園のキャプテンとして母校を2度甲子園優勝に導いた後、1996年にドラフト1位指名で入団した野球エリート。入団は毒島大広や清水良馬の一期後だが、年齢は同じ。甘いマスクの持ち主で性格も素直でさわやか。 三木源三郎監督いわく「生まれ持った強運の持ち主」。

渋谷 貴之 (しぶや たかゆき)

プロ野球選手。パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックスの捕手だったが、首脳陣批判をしたことから福岡ダイエーホークスにトレードされた。交換相手は矢島建一。初登場時には31歳。右投げ右打ち。元六大学のスターでプライドが高く、京浜アスレチックス時代は他の選手から嫌われていた。 当時は背番号22。ヘビメタファンであり、同じくヘビメタファンの千葉ロッテマリーンズ初芝清とは談義の末、しばし口論に発展する。福岡ダイエーフォークスに移籍後は背番号51となり、打力を活かすために三塁手に転向した。福岡ダイエーホークスの外野手、渋谷直之は実弟。

渋谷 直之 (しぶや なおゆき)

福岡ダイエーホークスの野球選手。背番号19。右投げ右打ち。外野と一塁を守る。アマチュア全日本で4番を打っていた強打のルーキー。京浜アスレチックスから福岡ダイエーホークスに移籍した渋谷貴之の弟。兄いわく「いつも親に甘やかされて育った子供なやつ」。ルーキーながら、シーンズン中盤からレギュラーとなり、8月には月間本塁打タイ記録の16本のホームランを打つ活躍を見せた。 シーズン終盤では世界の王貞治が認めた若き4番として毒島大広と対決する。

毒島 貴志 (ぶすじま たかし)

千葉ロッテマリーンズの外野手。左投げ左打ち。背番号7。毒島大広の実兄。天才的な打撃センスの持ち主だが、渡米時に再起不能レベルの大怪我を負ってしまう。走・攻・守どれをとっても一級品で、事故がなければメジャーに上がってバリー・ボンズ級の選手になっていたとまで言われる選手。 必死のリハビリの末に千葉ロッテマリーンズ に入団。まともに走れない状況で1軍の試合に出場し、3打席連続ホームランでデビューを飾った。弟・毒島大広との仲は険悪。

フィッシュバーン

近鉄バッファローズに所属する外国人選手。左打ち。毒島大広と最初に対決した時は読売ジャイアンツの二軍選手だった。その後、素行の悪さと外国人枠の関係で近鉄バッファローズに移籍。背番号50となる。もともとアメリカ3A時代は二年連続本塁打王となった実力者。移籍後はその実力が開化し、パリーグでも2年連続本塁打王に輝く。 毒島のことを「力と力の勝負ができる投手」として認めている。浪花節のわかる外人選手で、監督の佐々木恭介の熱き拳に感銘を受け、誰よりも慕うようになった。翌年、メジャー球団エクスポスからの3年10億円のオファーを蹴り、近鉄バッファローズに復帰。 その際、左肩に岡本太郎デザインの球団マークのタトゥーを入れて来日した。

宮道 貴恵 (みやみち たかえ)

毒島大広の幼馴染み。あごの線のすっきりした目の大きなキュートな美少女。プロ入り前から毒島を一貫して応援している。毒島のことを憎からず思っているようだが、幼馴染みとしての一線がなかなか越えられない様子。毒島のプロ初勝利の記念ボールを所有している。

片平 直矢 (かたひら なおや)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックスで1996年シーズン途中まで監督をつとめた。背番号80。選手の個性をつぶしてやる気をそぎ、中途半端な守りの野球でチームを低迷させた。その挙げ句に胃痛を起こして休養。そのまま辞任した。プライドが異常に高く、気に入らない選手は二軍に落とすかトレードに出すなど、人望がまったくない監督である。 監督を辞任した翌シーズンから評論家となったが、キャンプを一度も視察せずに順位予想で京浜アスレチックを最下位と予想。選手達の怒りをかった。毒島大広はデビュー登板の際、片平直矢監督の采配が気にくわず蹴りを食らわそうとして追い回し、制裁金100万円の罰を受けたことがある。

三宅 武 (みやけ たけし)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックスの球団マスコット、チックくんの中の人と思われている人物。過去ドラフト1位指名で京浜アスレチックスに入団し、通算24勝を上げている元投手。肩を痛めて引退してからは球団職員となり、チックくんの中に入るようになった。 しかし、数年後膵臓癌で死亡。謎の男が三宅武になり代わりチックくんの中に入るようになったと推測されている。この事は京浜アスレチックスではウェイク国吉だけが気づいている。

暮海 明夫 (くれみ あきお)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス投手。後、評論家。背番号11。左投げ左打ち。初登場時の年齢は41歳。パシフィック・リーグを代表する投手の一人。毒島大広が尊敬する左腕投手。通算200勝まであと1勝に迫っていたがケガのため2年間勝ち星に恵まれていなかった。 1996年のシーズン開幕戦で先発し、毒島の救援を仰いで200勝を達成した。しかし、毒島はこの時の記念ボールをスタンドに投げ込んでしまい、世間から大変な顰蹙を買ってしまう。結局、暮海明夫はシーズン終了後に引退し、監督就任を要請されるが辞退して評論家となった。その後も毒島にブスジマ・チェンジの握り方を思い出させるなど、折を見てチームの力になろうとする人格者。

陳 文治 (ちぇん うぇんじ)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス投手。右投げ右打ち。台湾出身。背番号18。1995年シーズンで10勝を上げた京浜アスレチックスのエース。プレイボーイの彼は日本人のガールフレンドたちから日本語を教わったため女っぽい言葉で話す。黒田正弘にそそのかされた毒島大広がオカマと声をかけた時は、軍隊で学んだ陳家太極拳白鶴亮翅(はっかくりょうし)で毒島をたたきのめした。 決め球は外角のスライダー。ピンチを抑えるとマウンド上で独特のガッツポーズ・陳ダンスを披露する。元中日ドラゴンズの投手郭源治が名前や決め球、ダンス・エピソードのモデルとなっている。

加瀬 英二 (かせ えいじ)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス三塁手。背番号22。野球を知り尽くしたベテラン選手。初登場時は38歳。ケガをする前は4割を打ちかねない程の打撃の天才だった。かつてドラフト1位で京浜アスレチックスに入団し、シーズン3割の打率を6年連続で記録した。 しかし、女性に対して異常に手が早く、私生活のトラブルが原因で片平直也監督に嫌われ広島東洋カープにトレードされていた。監督が三木源三郎に代わったことで、若手選手の多いチームを引っ張っていくリーダーシップを期待され、トレード期限ギリギリで京浜アスレチックスに呼び戻された。期待どおりベテランならではの力でチームを引っ張っていくが、絶倫ぶりも健在で復帰早々チームのチアガールをものにしてしまう。 名前のモデルは元阪急ブレーブスの野球選手加藤英二と推測される。

矢島 健一 (やじま けんいち)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックス一塁手。渋谷貴之とのトレードで福岡ダイエーホークスからやってきたベテラン選手。背番号14。かつて首位打者のタイトルをとったこともある。アキレス腱痛の持病を抱えて欠場しがちだが、確かな打撃力で若いチームを引っ張っていく。 しかしダジャレを連発する悪癖があり、「これさえなければいい人なのに」と言われて、今ひとつ人望がない。名前とアキレス腱通の治療エピソードのモデルとなったのは元中日ドラゴンズの選手、谷沢健一。

ビル・ラズロック (びるらずろっく)

パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックスの外国人選手。外野手。メジャーで3度首位打者のタイトルをとった超大物助っ人。年俸3億円で入団した。しかし年齢が44歳と高齢であり、期待通りの働きを見せることなく、シーズン途中で2軍落ち。怒りでハラワタが煮えくりかえりながらもマジメ外人ゆえに二軍でも猛練習にはげんだ。 シーズン終盤で1軍に復帰し、最終戦では4番で出場。何とかポテンヒットを打って勝利に貢献した。外観が映画評論家の水野晴郎似ていることから毒島大広に「ハルオ」というあだ名をつけられた。ともあれアメリカン・ドリームを体現してきた男であり、故郷に牧場を3つも持っている。 名前と経歴のモデルは元メジャーリーガーでロッテマリーンズに所属したビル・マドロックと思われる。

不破 明 (ふわ あきら)

千葉ロッテマリーンズ投手。1995年、ドラフト1位指名で入団。白武高校卒。背番号18。一級品のスクリューボールを持つ。1997年の対京浜アスレチックス最終戦で先発した。ハロルド作石作『ゴリラーマン』でゴリラーマンに球技大会でホームランを打たれた野球部のエース不破明と同一の人物である。

集団・組織

京浜アスレチックス (けいひんあすれちっくす)

『ストッパー毒島』に登場するプロ野球球団。パシフィック・リーグ所属。毒島大広が所属する万年最下位球団。昭和40年代に二連覇を果たすが、その後八百長がからんだ黒い霧事件を起こし、主力が大量に追放され、以降低迷状態が20年以上続いていた。親会社は京浜運輸で本拠地は駒沢フィールド。そのカッコいいユニフォームはメジャーリーグのオークランド・アスレチックスのものをほぼ真似ただけのものである。 球団マスコットはキツネのチックくんで球団同様まったく人気がない。

場所

駒沢フィールド

『ストッパー毒島』に登場する野球場。パシフィック・リーグのプロ野球球団、京浜アスレチックスの本拠地。日本一の収容人数を誇る天然芝球場だが、老朽化が激しい。ここ数十年低迷が続く京浜アスレチックスのていたらくに取り壊しの話が進行している。東京都世田谷区駒沢に存在する。

その他キーワード

ブスジマ・チェンジ (ぶすじまちぇんじ)

『ストッパー毒島』に登場する変化球。毒島大広が身につけた魔球的決め球。ロッテマリーンズ所属の兄毒島貴司との対戦時、ケガをした指でサークル・チェンジを投げようとして偶然産み出された。変形チェンジアップといってよい変化球でシンカー気味に変化してより鋭く落ちる。当初は投げ方どころか握り方も定かでなかったが、評論家となった暮海のアドバイスで握り方が判明。 必死の猛特訓で毒島はこの変化球をマスターした。

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