ジャイアント台風

ジャイアント台風

実在のプロレスラー・ジャイアント馬場が、プロ野球の投手からプロレスに転向、厳しいトレーニングや海外修行などを経て、世界トップレベルのプロレスラーになるまでを描いたサクセスストーリー。史実にフィクションを交えたセミドキュメンタリーで、梶原一騎が得意とした実録プロレス漫画の金字塔である。原作・梶原一騎(高森朝雄名義)、作画・辻なおき。

正式名称
ジャイアント台風
ふりがな
じゃいあんとたいふーん
原作者
高森 朝雄
作画
ジャンル
プロレス
 
自伝・伝記
関連商品
Amazon 楽天

概要・あらすじ

昭和34年のシーズンオフ、巨人軍の投手だった馬場正平は、目の不調が原因で巨人軍を解雇される。野球を諦めきれない馬場は、翌昭和35年春、大洋ホエールズ・明石キャンプにテスト生として参加。採用は確実と目されていたが、風呂場で石鹸にすべってしまい転倒。右腕を20針を縫う大けがで、選手生命を絶たれる。

失意の中、ラーメンをすすっていた馬場の目に飛び込んできたのは、テレビの中で活躍するプロレスラー力道山の雄姿だった。自分の巨体を活かす道をみつけた馬場は、力道山を訪ね、日本プロレスに入門する。力道山に「死にもの狂いの力」で戦うプロレスを叩きこまれ、幾たびかのアメリカ遠征で大きく成長。

国内外にジャイアント台風を巻き起こしていく。

登場人物・キャラクター

ジャイアント馬場 (じゃいあんとばば)

不世出のプロレスラー。身長208cmの巨体が最大の特徴。「東洋の巨人」「世界の巨人」などの異名を持つ。必殺技は16文キック、32文ミサイルキックなど。本名馬場正平。1938年1月23日新潟県三条市生まれ。三条実業高校のエースとして甲子園大会に出場。高校卒業後は読売巨人軍に入団するも、脳腫瘍により視力に異常をきたす。 手術で目は治るが、巨人軍は解雇され、テスト生として大洋ホエールズに移籍。採用が確実視されていたが、風呂場ですべり、右腕を20針縫う大けがを負い選手生命を絶たれる。失意の中偶然目にした力道山の雄姿を見て、プロレス入りを決意、日本プロレスに入門する。 地獄の特訓の末、半年後プロレスデビュー。ベテラン田中米太郎を下し、以後も好成績を残す。1961年7月1日、初のアメリカ遠征へ出発。必殺の16文キックを引っさげてロサンゼルス、ニューヨーク、テキサスなどを転戦。アメリカにジャイアント台風を巻き起こす。力道山の死後、空位となったインターナショナル王座を懸けて強豪たちと対戦、1965年ついに悲願のインターナショナル・ヘビー級チャンピオンになる。

力道山 光浩 (りきどうざん みつひろ)

絶大な人気と実力を誇ったプロレスラー。日本プロレス界の育ての親であり、ジャイアント馬場の師匠。プロレスには死にもの狂いの力が必要だと、入門初日から馬場を猛烈にしごく。また、厳しいだけではなく、修行中の馬場に食事代を渡したり、馬場の様子を見にわざわざアメリカに出向くなどの優しさも併せ持つ。 1963年12月8日赤坂のナイトクラブで暴漢に刺され、その傷がもとで死亡。実在のプロレスラー、力道山光浩がモデル。

マスク・メディックス

ジャイアント馬場初のアメリカ遠征での初戦の相手。ロサンゼルスで無敵を誇っていた覆面タッグチーム。二人一組でストマック・クローとニー・ドロップを繰り返す「死の手術台」と呼ばれる攻撃方法を得意とする。馬場が開眼した16文キックの最初の犠牲者となる。

ジョニー・バレンタイン

「金髪の悪魔」「地獄のジェット機」の異名を持つハンサムなプロレスラー。連続ドロップキックと反則技が特徴。1961年、ロサンゼルスでジャイアント馬場と対戦。馬場の必殺技16文キックを軸足を刈ることによって破るが、軸足を強化特訓した馬場との再戦で敗戦を喫する。 実在の同名プロレスラーがモデル。

マクマホン

ニューヨークのプロレス界を牛耳る大興行師。1961年、ロサンゼルスを転戦していたジャイアント馬場をニューヨークに呼び、新人ブルーノ・サンマルチノとの15分一本勝負をブッキングする。馬場を自国のレスラーたちの引き立て役にしようと考えており、馬場が試合に勝つことを快く思わない。 実在のプロモーター、ビンセント・ジェームズ・マクマホンがモデル。

ブルーノ・サンマルチノ

「人間発電所」の異名を持つプロレスラーでジャイアント馬場のライバル。必殺技はカナディアン・バックブリーカー、ベアハッグ、マシンガンキックなど。分厚い電話帳を引き裂き、273kgもある「人間空母」ヘイスタック・カルホーンを担ぎ上げ、リングを6周も歩き回るけた外れの怪力。 1961年、ニューヨーク遠征中の馬場と戦う。死力を尽くして馬場と引き分けた後、親友となり、どちらが早く世界チャンピオンになるか出世争いの約束をする。1963年、バディ・ロジャースを48秒で秒殺。WWWF世界王座につく。その後、7人の悪魔を倒して挑戦権を得た馬場と対戦。 実在のプロレスラー、ブルーノ・サンマルチノがモデル。

ジョージ・ミノル・岡本 (じょーじ・みのる・おかもと)

日系三世の少年。ジャイアント馬場の熱烈なファン。太平洋戦争後、ニューヨークで日系人が肩身の狭い思いをする中、正々堂々と戦う馬場の姿に誇りを感じる。観客の暴行で怪我をした馬場のために6kmも歩き医者を連れてくたり、お金が無くすきっ腹で試合に臨んだ馬場に食べ物を差し入れるなど、かけがえのない馬場の小さな親友。

ブラック・ベア・ガレント

「人食いグマ」の異名を持つプロレスラー。入場時には熊の毛皮をすっぽり被っている。1961年、ニューヨーク遠征中のジャイアント馬場と対戦。反則技が得意。

アーノルド・スコーラン

「電光男」の異名を持つプロレスラー。正統派のわざ師。1961年、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでジャイアント馬場と戦う。知らぬ間に巨体にものをいわせるプロレスを行っていた馬場が苦戦した相手。スコーランとの試合後、アメリカに来ていた力道山は馬場を巨大な闘牛と戦わせ、敵の力を利用することを教えた。

フリッツ・フォン・エリック

「鉄のつめ」「テキサスの帝王」の異名を持つプロレスラー。世界一と言われる握力を活かしたアイアンクローなどの必殺技を持つ。ブル・カーリー、トルベリノ・ブロンコを引き連れ、テキサスの酒場に着いたジャイアント馬場を襲うが、プロモーターの仲裁により、リングで決着をつけることになる。 1961年12月22日、檻の中で戦うアフリカン・デス・マッチで馬場と戦い、血みどろの死闘を演じる。ちなみにこの戦いはテキサスの流血史をいろどり、のちに「オデッサの惨劇」と名付けられた。実在のプロレスラー、フリッツ・フォン・エリックがモデル。

ブル・カーリー

「西部の反則鬼」の異名を持つプロレスラー。フリッツ・フォン・エリックの子分。年間50人以上のレスラーを病院送りにした狂乱ファイター。1961年、テキサス遠征に行ったジャイアント馬場の初戦の相手。ドラム缶に入れたセメントを馬場に浴びせるウルトラ反則を行う。激怒した馬場に、逆にセメント漬けにされ倒される。 実在のプロレスラー、ブル・カーリーがモデル。

トルベリノ・ブロンコ

「銀仮面」の異名を持つ覆面レスラー。フリッツ・フォン・エリックの子分。1961年、テキサスでジャイアント馬場と手錠を使ったチェーン・デス・マッチを戦う。デス・マッチ慣れした試合運びで馬場を追い詰めるが、パイル・ドライバーで逆転負け、覆面をはがされる。 その正体はメキシコの有名な元闘牛士で、牛の角に引き裂かれた口から耳までの傷を覆面で隠していた。実在のプロレスラー、トルベリノ・ブロンコがモデル。

デューク・ケオムカ

本名はマーチン・田中久雄でハワイ生まれの日系二世のプロレスラー。人格者で日系レスラーでは実力ナンバー1という強豪。フリッツ・フォン・エリックとの戦いを控えたジャイアント馬場に協力し、仰向けで地中に埋まった馬場の顔の部分をジープで轢く常識外れの特訓を敢行する。 実在のプロレスラー、デューク・ケオムカがモデル。

アントニオ・ロッカ

「鳥人」などの異名を持つプロレスラー。アルゼンチン出身のプロレスの天才。人気と実力を兼ね備え、プロレス界一の年収を誇る。ジャンプ力を活かした空中殺法と、バックブリーカーしながら飛び跳ねるロッカ式バックブリーカーが得意。無名時代、日本の柔道家をロッカ式バックブリーカーで殺した過去を持ち、ジャイアント馬場の背骨をへし折ると宣言する。 1962年3月29日、マジエソン・スクエア・ガーデンで馬場と対戦。馬場の巨体をかつぎあげるのに失敗し、逆に腕を捕られ、スリーパーホールドを喰らい、敗れる。実在のプロレスラー、アントニオ・ロッカがモデル。

ボボ・ブラジル

「黒い魔神」の異名を持つ黒人プロレスラー。石頭が最大の武器。必殺技はジャンプして相手の脳天に頭突きをくらわすココパット。1962年、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで、ビル・ミラーと組み、ジャイアント馬場・ブルーノ・サンマルチノ組と対戦。以来、馬場と幾度となく私闘を繰り返した宿敵。 実在のプロレスラー、ボボ・ブラジルがモデル。

ミスターM (みすたーえむ)

額にMの文字を書いた黒覆面を被ったプロレスラー。敵を場外まで追いかけていき、サンフランシスコの金門橋から投げ落としてしまう狂気の持ち主。ジャイアント馬場を執拗に付け狙う。1962年、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで時間無制限のデス・マッチルールで馬場と対戦。 反則で追い詰めるも、逆転のパイルドライバーで敗れる。その正体はドイツ出身の正統派レスラー、ビル・ミラー。前年、マスクマン・ミスターXとして来日した際、力道山に負け、覆面をはがされたことを根に持って、弟子の馬場を狙っていた。ちなみにビル・ミラーの親友であるハードボイルド・ハガディもミスターMとしてリングに上がっており、二人一役の覆面レスラーである。 実在のプロレスラー、ミスターMがモデル。

キラー・コワルスキー

「世紀の殺し屋」「墓場の使者」などの異名を持つプロレスラー。般若のような顔と血の気のない肌を持ち「幽鬼」とも呼ばれる。ニードロップやストマック・クローが必殺技。かつてユーコン・エリックというレスラーと対戦した際、トップロープからのニードロップがエリックの片耳をそぎ落としてしまう。 マットに残った血染めの耳の肉片を見て以来、肉が食べられなくなり、やせ細った体になってしまったという。1962年、セントルイスでジャイアント馬場と対戦。ベアハッグで馬場を締め付けている最中、馬場の耳そぎチョップを受けて逆上。ニードロップで馬場を気絶させ完勝する。 ちなみに6年後の1968年、来日したワールド・リーグ戦で馬場と再戦した際は、逆に完敗を喫している。実在のプロレスラー、キラー・コワルスキーがモデル。

バディ・ロジャース

「美しき野獣王」の異名を持つプロレスラー。WWWF世界チャンピオン(物語初登場時)。必殺技はスクリュー・パイル・ドライバー。実力者だが勝てる相手としか防衛戦を行わない卑怯なチャンピオン。ブルーノ・サンマルチノやジャイアント馬場の挑戦から逃げていたが、馬場が足を負傷したのを見てその挑戦を受け、セントルイスで対戦。 馬場が試合中に開眼した必殺技32文ミサイルキックに苦しみ、わざと反則負けにしてチャンピオンベルトを守った(ピンフォール勝ち以外はタイトルが移動しないルール)。実在のプロレスラー、バディ・ロジャースがモデル。

エド・カーペンター

「人間ジェット機」の異名を持つプロレスラーで7人の悪魔の一人。ジャイアント馬場2度目のアメリカ遠征時、ニューヨークで馬場と対戦。元・フランス代表のオリンピック選手で人間離れした空中殺法が得意。必殺技はボム・マン(人間爆弾)。実在のプロレスラー、エド・カーペンターがモデル。

プリモ・カルネラ

「動くアルプス」の異名を持つプロレスラーで7人の悪魔の一人。ボクシングの元世界ヘビー級チャンピオンで、殺人パンチと超巨体が武器。ヘビー級王者ジャック・シャーキーをなぐり殺して王座を獲得した逸話を持つ。また、来日時、一発のフックで力道山をリング下へ叩き落とした。 ジャイアント馬場2度目のアメリカ遠征時、ニューヨークで馬場と対戦。腕殺しのキーロックなどでパンチの威力を殺され敗北する。実在のプロレスラー、プリモ・カルネラがモデル。

スカイ・ハイ・リー

「テキサスの人間摩天楼」の異名を持つプロレスラーで7人の悪魔の一人。2mを越える巨体と、十数本の投げナイフを体で受け止める不死身の肉体が武器。たいへんな恐妻家。ジャイアント馬場2度目のアメリカ遠征時、ニューヨークで馬場と対戦。相手を肩車してリング上部の照明にぶつける「摩天楼地獄」という技で馬場を苦しめる。 実在のプロレスラー、スカイ・ハイ・リーがモデル。

ヘイスタック・カルホーン

「人間空母」「お化けカボチャ」の異名を持つプロレスラーで7人の悪魔の一人。体重273kgのウルトラデブ。必殺技は巨体を生かしたボディ・スクワッシュ(肉弾重爆撃)。ジャイアント馬場2度目のアメリカ遠征時、ニューヨークで馬場と対戦。ぶ厚い肉の壁で馬場の空手チョップや16文キックを封じるが、最後はリング下に落下して自爆してしまう。 実在のプロレスラー、ヘイスタック・カルホーンがモデル。

ハッピー・ハンフリー

「人間アドバルーン」の異名を持つプロレスラーで7人の悪魔の一人。体重320kgで世界一のデブ。あまりの巨体のため、旅客機や列車に乗れないため、海外遠征の経験はなく、トレーラーで移動できる範囲のアメリカ国内でしか試合をしたことが無い。ジャイアント馬場2度目のアメリカ遠征時、ニューヨークで馬場と対戦。 首四の字固めを極められ敗北を喫する。実在のプロレスラー、ハッピー・ハンフリーがモデル。

アーニー・ラッド

「黒い殺し屋」の異名を持つ黒人プロレスラーで7人の悪魔の一人。元フットボールの一流選手で殺人タックルが得意技。黒人レスラー最強と言われたボボ・ブラジルに匹敵する巨体とブラジルを上回るスピードを持つ。ジャイアント馬場2度目のアメリカ遠征時、ニューヨークで馬場と対戦。 殺人タックルで馬場を追い詰めるが、コーナーの鉄柱にタックルを自爆、敗北を喫する。実在のプロレスラー、アーニー・ラッドがモデル。

ハンス・モーター

「宇宙人」の異名を持つプロレスラーで7人の悪魔の一人。怪覆面ターザン・ゼロとしての顔も持つ。ジャイアント馬場2度目のアメリカ遠征時、ニューヨークで行われた馬場とアーニー・ラッドの試合にターザン・ゼロとして乱入、次の自分の試合相手である馬場を痛めつける。 観客席にいたブルーノ・サンマルチノが馬場を助け、正体を暴かれる。同年、7人の悪魔最後の一人として馬場と対戦。ボクシングの元世界ヘビー級王者ロッキー・マルシアーノを特別レフェリーにしたTVマッチだった。結果は60分3本勝負0-2のストレート負けに終わった。実在のプロレスラー、ハンス・モーターがモデル。

ルー・テーズ

「地上最強の鉄人」の異名を持つプロレスラー。965連勝、2000試合不敗の記録を持つ王者の中の王者。NWA世界チャンピオン。必殺技はバック・ドロップ。ジャイアント馬場2度目のアメリカ遠征時、セントルイスで馬場と対戦。NWAタイトルを懸けた60分3本勝負を2-1で勝利。 のち、1966年2月28日、東京都体育館でインターナショナルチャンピオンになった馬場に挑戦。60分3本勝負を戦い、1-2で敗北。実在のプロレスラー、ルー・テーズがモデル。

ザ・デストロイヤー

「白覆面の魔王」の異名を持つ覆面プロレスラー。フレッド・ブラッシーを倒し、覆面レスラー初の世界チャンピオンとしてWWAの王座につく。自分の正体を隠すために息子にまで白覆面を被せる徹底したプロフェッショナル。必殺技は四の字固め。ジャイアント馬場2度目のアメリカ遠征時、ロサンゼルスで馬場と対戦。 WWAのタイトルを懸けた60分3本勝負を引き分け。タイトル防衛を果たす。以後、1965年に力道山の死で空位になったインターナショナル王座争覇戦など、たびたび馬場と死闘を繰り広げる。実在のプロレスラー、ザ・デストロイヤーがモデル。

ペドロ・モラレス

「ラテンの黄金ヒョウ」の異名を持つプロレスラー。ジャイアント馬場3度目のアメリカ遠征時、ロサンゼルスで馬場と対戦。新人ながら得意のフライング・キックで馬場を苦しめ、引き分ける。馬場と友情が生まれ、フライング・キックを教えることになる。馬場を南カリフォルニアの大渓谷地帯に連れ出し、絶壁に向かって飛び蹴りをさせる特訓を敢行。 馬場の必殺技32文ミサイル・キックを完成させる。実在のプロレスラー、ペドロ・モラレスがモデル。

豊登 道春 (とよのぼり みちはる)

日本プロレス所属のプロレスラーでジャイアント馬場の先輩。力士出身で怪力殺法が得意。力道山の死後開催された第6回、第7回のワールドリーグ戦を連覇。日本プロレスのエースとなる。実在のプロレスラー、豊登道春がモデル。

ディック・ザ・ブルーザー

「生傷男」「地球上最大の無法者」の異名を持つプロレスラー。電話帳を引き裂き、コインを指で折り曲げる怪物で常識外れの狂乱ファイトが得意。力道山の死後空位となったインターナショナル王座を懸けてジャイアント馬場と2連戦を行う。初戦の1965年11月24日大阪府立体育館では反則技で徹底的に馬場を痛めつけて反則負けとなる。 11月27日、蔵前国技館の2戦目では引き分けてタイトル奪取はならなかった。実在のプロレスラー、ディック・ザ・ブルーザーがモデル。

7人の悪魔 (しちにんのあくま)

『ジャイアント台風』に登場するプロレスラーの総称。バディ・ロジャースを48秒で秒殺しWWWF世界チャンピンになったブルーノ・サンマルチノへの挑戦権を得るために、ジャイアント馬場が1か月以内に倒さなければならなかったプロレスラーたち7人。

その他キーワード

耳そぎチョップ

『ジャイアント台風』に登場する必殺技。ジャイアント馬場の恐怖技の中でも三本の指に入るといわれる技。鍛えようのない耳の付け根に空手チョップを打ち込む。「オデッサの惨劇」と言われた、テキサスでのフリッツ・フォン・エリックとの戦いの中で、アイアンクローを逃れるために編み出した。

ジャンプ空手チョップ (じゃんぷからてちょっぷ)

『ジャイアント台風』に登場するジャイアント馬場の必殺技。ジャンプして相手の脳天に手刀を打ち下ろす技。馬場2度目の渡米で、ボボ・ブラジルと対戦した際、ブラジルの必殺技ココパットにヒントを得て開眼した。

16文キック (じゅうろくもんきっく)

『ジャイアント台風』に登場するジャイアント馬場の必殺技。人並み外れた馬場の脚力を利用した前蹴り。足を高く上げて相手の顔面を蹴る。初期は軸足をかられるなどの弱点があったが、のちに片足立ちの特訓で克服。馬場の代名詞と言える必殺技になった。ちなみに16文の名は足のサイズに由来するが、実際には16文=40cmはなく、馬場の靴に書かれていた16号が勘違いされて命名された。

32文ミサイルキック (さんじゅうにもんみさいるきっく)

『ジャイアント台風』に登場するジャイアント馬場の必殺技。身長208cm、体重140kgの超巨体の馬場が放つフライング・キック。片足が16文で両足で蹴るため32文と命名された。バディ・ロジャースとのWWWFタイトルマッチで、片足を負傷していた馬場が、片足立ちができなかったため、やけくそぎみでジャンプし両足で蹴ったのがヒントとなった。 馬場3度目のアメリカ遠征時、フライング・キックの名手ペドロ・モラレスの特訓を受けて完成した。作中では32文ミサイルキックだが、一般的には32文人間ロケット砲または、32文ロケット砲と呼ばれる。

クレジット

SHARE
EC
Amazon
logo