イカロスの山

イカロスの山

世界的クライマーの平岡啓二と、かつて彼と組んでいた三上俊哉は前人未到の山へと挑むことになった。雪と氷に閉ざされた極限状態のなかで試される、男たちの真の友情を描く。

正式名称
イカロスの山
ふりがな
いかろすのやま
作者
ジャンル
登山・キャンプ
関連商品
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概要・あらすじ

既にクライマーとしての一線を退き、結婚して医師として生活していた三上俊哉は、学生時代にコンビを組んでいた平岡啓二が自動車事故に遭ったことを知る。天涯孤独の平岡を心配した三上は、仕事が忙しい自分の代わりに妻の三上康子に彼の手助けをするよう依頼。だがこの再会によって、学生時代に平岡に好意を寄せていた康子の心は、急速に彼に引き寄せられていく。

一方、もう山へは戻らないと思っていた三上のもとに未踏峰であるヒマラヤの8000メートル峰のニュースが飛び込み、彼の山に対する激しい渇望が蘇るのだった。

登場人物・キャラクター

吉田、田辺 (よしだ、たなべ)

富山県剱沢の山岳警備隊の新米男性隊員たち。剱尾根ドーム壁で宙吊り状態になった遭難者の救出を水町に任されるが2人だけでは困難であったため、平岡啓二に応援に来てもらう。彼らは遭難者が瞬きするのを見ており、それを平岡に伝えた。遭難者が生存している場合は、慎重な救出作戦が行われる。

吉崎 達也 (よしざき たつや)

ヒマラヤの未踏峰に憧れる21歳の青年。平岡啓二に剱岳の登攀ガイドを頼んだ。普段は宅配サービスの仕事をしていて、休みの日には剱沢を訪れトレーニングをしている。ある時、平岡とともに遭難者救出にあたったことでその実力を認められ、平岡に弟子りしザイルパートナーとなった。冬の北アルプス、穂高連峰を平岡とともに登る。

吉崎達也の母 (よしざきたつやのはは)

吉崎達也の母親。達也は母一人、子一人だったため、家族は母親のみ。穂高に達也の遺体を引き取りに行った際、達也のザイルパートナーをしていた平岡啓二と出会い、達也と平岡の山行記録や、達也が使っていた遺品などを受け取る。達也の最期を平岡から詳細に聞き出そうとする。

槇田 恒 (まきた ひさし)

日本隊の隊長を務める47歳の男性。BC(ベースキャンプ)で待機し、無線で定期連絡を取るなど日本隊のメンバー全員の動きに気を配る。また各国の隊とも連携し、クロアチア隊の救出や、アメリカ隊のアタック状況なども随時把握している。

北島 節夫 (きたじま せつお)

日本隊のマネージャー兼新聞記者を務める男性で、37歳。日本隊のヒマラヤ遠征の記事を書き、リアルタイムでパソコンで伝えている。日本にいる三上康子は、この北島の記事で三上俊哉と平岡啓二の情報を得ていた。

原田 徹 (はらだ とおる)

若手の気鋭登山家の男性で、日本隊では一番若い25歳。北海道日高出身で「日高のトラ」の異名を持つ。最年少ながらヒマラヤ経験は豊富で、平岡啓二に次ぐ実力者。名なし峰では平岡のザイルパートナーとなる。少々お調子者な面があり、北壁のテラスにC4(キャンプ4)を設置した際には「ハラダテラス」と名付けたりした。 なお、日本隊参加直前に彼女に振られている。

越山 満 (こしやま みつる)

日本隊の男性メンバーで28歳。群馬水上出身。普段はスポーツ店に勤務している。木村勇太とともにC4(キャンプ4)でサポート隊として待機する。木村勇太が高度障害になったため離脱した後は、1人でC4に待機することになる。

木村 勇太 (きむら ゆうた)

日本隊の男性メンバーで31歳。カメラマンも兼任している。山岳カメラマンを生業としており、未踏峰に初登頂する平岡啓二を俯瞰で撮りたいと考えている。だが、そのためには自分が先に登頂する必要があるため、実現しえないことにがっかりする。越山満とともにC4(キャンプ4)にサポート隊として待機するが、途中で高度障害により離脱する。

三浦 将男 (みうら まさお)

日本隊の男性メンバーで32歳。食料、装備担当。知人の会社で新開発のツェルトを作り、平岡啓二、三上俊哉に持たせた。名なし峰の初登頂に使用されれば宣伝効果があると考えてのことだったが、ツェルトの性能も確かで、従来品に比べ軽く3倍も温かいと平岡と三上に好評だった。

ヤーリ・イェンセン (やーりいぇんせん)

世界屈指の東欧人クライマーで、38歳の男性。クロアチア隊リーダーとして弟のペテル・イェンセンとともに名なし峰登頂に挑む。16年前、22歳の時に当時未踏峰だったローツェ南壁を初登攀したが、写真が不鮮明であったため、記録を取り消されてしまった。しかし2001年に当時24才の平岡啓二がローツェ南壁でヤーリ・イェンセンが残した残置ハーケンを発見したことで、改めて記録が認められることとなった。 それをきっかけに平岡と親友になる。平岡とは体格と技術が近いため、同じようなルートを同じように登ることが多い。

ペテル・イェンセン (ぺてるいぇんせん)

ヤーリ・イェンセンの弟で、26歳。クロアチア隊にヤーリのザイルパートナーとして参加。まだ若いが、その実力はヤーリのお墨付き。ヤーリと組んで、日本隊と同じ北壁ルートから名なし峰の初登頂に挑む。

ラインホルト・メスナー (らいんほるとめすなー)

実在するイタリアのクライマー、ラインホルト・メスナーのこと。1978年に人類初のエベレスト無酸素登頂に成功。1986年には数々の登山家が挑戦し志半ばで命を落とした8000メートル峰全14座完全登頂を成し遂げた男性。本作『イカロスの山』のなかではその名がよく登場し、平岡啓二と吉崎達也の会話の中で「メスナーしかり」などというように使われる。

クリス・スコット (くりすすこっと)

英国人クライマー。1937年にK2の山麓のシャクスガム渓谷を探検した際に、巨大な岩峰を発見したものの、霧が深く遭難しかかっていたため高度障害が見せたものだと考えられていた。だが、21世紀になってこの幻の山の存在が公に確認された。モデルは伝説の英国人クライマーであるダグ・スコット、クリス・ボニントンと思われる。

集団・組織

日本隊 (にほんたい)

名なし峰の初登頂を目指し、ヒマラヤ入りした日本のチーム。世界的クライマーである平岡啓二を中心に、三上俊哉、原田徹、槇田恒、北島節夫、越山満、木村勇太、三浦将男の8人で構成される。北壁ルートを選んで名なし峰初登頂を狙う。

アメリカ隊 (あめりかたい)

名なし峰の初登頂を目指し、ヒマラヤ入りしたアメリカのチーム。中国に星条旗を立てようと、ハイテク機器を大量に持ち込んで大人数で初登頂を狙う。名なし峰には一気に頂上を狙う北壁ルートと、遠回りだが困難な壁を避けられる東稜ルートがあるが、人数にものを言わせて両側から山を攻めている。初登頂に成功した暁には「VICTORY」と名付けようとしている。

韓国隊 (かんこくたい)

名なし峰の初登頂を目指し、ヒマラヤ入りした韓国のチーム。一気に頂上を狙える北壁ルートを選んで進行している。日本隊より早く入り、北壁へ向かう氷河沿いルートに固定ザイルを取り付けた。霧にさんざん手こずり、日本隊が登る前に撤退を表明する。

イギリス隊、フランス隊 (いぎりすたい、ふらんすたい)

名なし峰を目指し一番手、二番手で山に入ったイギリスとフランスのチーム。名なし峰のあまりの難易度の高さに、日本隊が登り始める前に撤退を表明した。両隊ともに遠回りだが困難な壁を避けられる東稜ルートを取ったが、雪崩が多く登頂を断念した。

クロアチア隊 (くろあちあたい)

名なし峰の初登頂を目指し、ヒマラヤ入りしたクロアチアのチーム。世界屈指のクライマーであるヤーリ・イェンセンをリーダーに、北壁ルートを5日で落とすと豪語する。初登頂に成功した暁には「クロアチア」と名付けたいとヤーリは考えていた。

場所

剱岳 (つるぎだけ)

標高2998メートルの富山県北アルプスの代表的な山。岩と雪の殿堂で、一般的な登山者の登る山としては最も危険とされている。山岳警備隊が常駐しており、水町が隊長を務める。平岡啓二は嘱託警備員として勤務している。

名なし峰

世界15座目の8000メートル峰として、21世紀になってヒマラヤで発見された峰。標高8006メートル。初登頂を目指して精鋭のイギリス隊、フランス隊、韓国隊、アメリカ隊、クロアチア隊、日本隊が集結。どの国の隊が初登頂するかに世界中が注目している。登頂ルートは一気に頂上を狙う北壁ルートと、遠回りだが困難な壁を避けられる東稜ルートの2つ。 初登頂を果たしたものに命名権が与えられるが、現在はアメリカ隊が付けた仮称「ジェーン」と呼ぶ者もいる。しかし日本隊はダサい名前だから自分たちで名前を付けようと盛り上がる。由来は「名なしの氷の山(ムスターグ・ジェーン)」から。

その他キーワード

三上 俊哉 (みかみ としや)

皮膚科医師の29歳の男性。W大学山岳部時代に平岡啓二とコンビを組んでいたが、結婚してからは山への挑戦をやめていた。平岡の自動車事故を知り、妻の三上康子に平岡の面倒を見てくれるように頼んだ。平岡との再会により山への情熱が呼び起こされたタイミングで、ヒマラヤに8000メートル級の未踏峰が残されていたことを知り、医者として日本隊への参加を決める。

平岡 啓二 (ひらおか けいじ)

世界的クライマーとして知られる、29歳の男性。普段は富山県剱沢で山岳警備隊や山岳ガイドとして働いている。W大学山岳部時代に三上俊哉とコンビを組んでいた。大学卒業以来、三上とは袂を分っていたが、自動車事故に巻き込まれたことをきっかけに、三上と三上康子と再会する。名なし峰の初登頂に、日本隊の主軸として参加。 幼い頃に兄を病気で、大学4年の時に両親を事故で亡くしていて天涯孤独。学生時代、康子に好意を寄せていた。

三上 康子 (みかみ やすこ)

三上俊哉の妻で28歳。黒髪ロングヘアで、細身の美人。女子大生時代、W大山岳部にハイキングの指導を頼んだことから、三上や平岡啓二と知り合う。三上と結婚してから平岡とはまったく会っていなかったが、平岡が自動車事故にあったことがきっかけで再会することになった。旧姓は「藤崎」。学生時代から平岡を好きだったが、自分の気持ちを言い出せなかった。

三上 哲 (みかみ てつ)

三上俊哉と三上康子の息子で3才の幼稚園児。やんちゃで父親の背中に乗ったり、母親に甘えたり元気な男の子。康子の実家では、母方の従兄弟である淳とよく遊ぶ。

水町 (みずまち)

富山県剱沢の山岳警備隊の隊長。既に白髪が混じり始めた年齢だが、面倒見が良く頼りになる男性。三上俊哉、平岡啓二がW大山岳部時代に遭難した際に救助へ向かったことがある。山への情熱は衰えておらず、あと20歳若かったら自分が名なし峰に挑みたかったとこぼす。

8000メートル峰

8000メートル峰とは世界に14座しかない山。クライマーにとってはこの山を登ることが憧れであり、目標である。1964年までにすべての8000メートル峰が登頂されている。15番目の8000メートル峰が41年ぶりに発見され、各国の登山隊が初登頂を目指している。初登頂を果たした者に命名権が与えられるため、現在は「名なし峰」「ジェーン」などと呼ばれている。

リブ

頂上の下にある出っ張ったような場所。北壁から攻めていた平岡啓二と三上俊哉は北壁リブが想像より広かったので、雪崩対策として少し下のテラスにC5(キャンプ5)を設置した。

小ピーク

頂上(ピーク)へ向かうまでにある小さな山の頂上部分のこと。日本隊は韓国隊の進行ルートを避けるため、北壁ルートのなかでも、小ピークを経由するルートを取ることになる。

テラス

岩壁の少し平らな場所。岩壁登り(ロッククライミング)では重要な休憩場所となる。広めのテラスにはテントを張ってキャンプを作ることもある。日本隊は北壁のテラスにキャンプを作り、「ハラダテラス」と呼んだりした。

ツェルト

シートのような簡易テント。頂上アタックをかける平岡啓二、三上俊哉に装備担当の三浦将男より、彼が新たに開発したツェルトが渡された。重さはわずか500グラムと軽く、従来の物に比べ強さ温かさは3倍。実際にテントと変わらぬ温かさを実現しており、使用した平岡と三上を驚かせる。

残置ハーケン (ざんちはーけん)

前に登山した者が岩肌に刺したまま残したハーケン。器具は回収するのが望ましいが、残さざるを得ない場合も多い。穂高連峰で吉崎達也はこのハーケンを頼りにした。また、平岡啓二がローツェ南壁でヤーリ・イェンセンの残置ハーケンを発見したことでヤーリの記録が証明された。

ザイルパートナー

登山におけるパートナー。1本のザイルで2人を繋ぐ、自分の半身のような存在。技術や体格が似ていると組みやすい。岸壁を登る時に、ザイルパートナーのうち先に行く者を「トップ」、後から登る者を「セカンド」と呼ぶ。実力のある者がトップになることが多いが、基本的に交代で行われる。新米隊員や若い吉崎達也と組んだ平岡啓二がトップをやっていたが、三上俊哉と組んだ時などは1ピッチごとに三上とトップを交代する「つるべ」と呼ばれる方式で登ることもあった。

固定ザイル (こていざいる)

ロッククライミングにおいて、トップが取り付けたザイルで、セカンドはこれを頼りにできるため、かなり登りやすくなる。初登頂のかかった名なし峰では、韓国隊が取り付けた固定ザイルを日本隊が使用するわけにはいかず、日本隊は遠回りを余儀なくされた。

キャンプ

山の主要か所に設けられた休憩場所。テラスやリブにテントを張り、飲食寝泊りをする。名なし峰登頂では、4800メートル地点にBC(ベースキャンプ)、5100メートル地点にC1(キャンプ1)、小ピーク下5800メートルにC2(キャンプ2)、6300メートル地点にC3(キャンプ3)を設置。7000メートル地点C4(キャンプ4)は原田徹が見つけたテラスに設置され、原田が死守した。 平岡啓二と三上俊哉で7500メートル地点にC5(キャンプ5)、7912メートル地点にAC(アタックキャンプ)を設置した。BCは広いテントや機材などがあり起点となるキャンプのことで、ACは頂上アタック直前の最終キャンプのことである。

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