キングダム

キングダム

中国の戦国時代後期を舞台に、身分の低い戦災孤児ながら「天下の大将軍」を目指す少年・信と後の始皇帝、秦の若き王・嬴政が自らの運命を切り開いていく様を描く歴史漫画。サクセスストーリーであり、戦乱の歴史に翻弄されるヒューマンドラマに満ちた群像劇でもある。集英社「週刊ヤングジャンプ」2006年9号から連載。第17回「手塚治虫文化賞」マンガ大賞受賞作。2012年6月に初のテレビアニメ化。2019年4月19日には実写映画が公開された。

正式名称
キングダム
ふりがな
きんぐだむ
作者
ジャンル
三国時代
レーベル
ヤングジャンプコミックス(集英社)
巻数
既刊71巻
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世界観

キングダム』は戦国時代後期(紀元前245年以降)、後の始皇帝・嬴政が少年だった頃の中国を舞台に始まる。その頃、「戦国の七雄」と呼ばれるが覇を競い合い、戦いを繰り広げていた。他にも後に秦の盟友となる山の民、騎馬民族の匈奴など異民族も多数存在し、中華はまさに戦乱の時代にあった。戦国の七雄と一口に言っても、各国の国力には差があり、一番の大国は中華の半分近くを領土に持つ楚。次が嬴政の祖父・昭王の代に一気に勢力を伸ばした秦。その下に趙、魏、斉、燕の4国が続き、領土が小さく軍備力も少ない韓が最弱国と見られていた。また趙は隣国の秦と長い間敵対関係にあり、「長平の戦い」で秦軍総大将・白起が投降した趙兵40万人を生き埋めにしたことで、秦に対して激しい恨みを抱いていた。

後の始皇帝となる嬴政は、父である荘襄王が即位後3年で亡くなったためわずか13歳で秦の王位に就く。しかし、その王位はお飾りに過ぎず、国の実権は丞相(じょうしょう)である呂不韋竭氏が握っていた。竭氏は王弟・成蟜と手を組み反乱を起こすが、嬴政の反撃に遭い失敗に終わる。これにより竭氏一派は政治の表舞台から姿を消し、呂不韋が実権を掌握した。『キングダム』の主人公・は嬴政に出会い、一緒に戦乱に身を投じていく。信は戦災孤児で下僕という最も低い身分で、世間のことはほとんど何も知らない。ただ「天下の大将軍になる」という野望を達成しようと、必死に生きている。しかも、この野望を達成するための武器は、と鍛えた剣の腕だけというシンプルさだ。信は仲間たちとの熱い結束力で数々の武勲を打ち立て、大将軍への出世を目指していく。

キングダム』で覇を争う各国は優れた武将を多く抱えていたが、中でも有名なのが「趙の三大天」と魏の「魏火竜七師」、そして「秦の六大将軍」である。「秦の六大将軍」とは白起王齕胡傷司馬錯王騎の六人のことで、昭王から特別に独断で戦いを行うことを許されていた。なお、「秦の六大将軍」のうち、嬴政の時代まで生き残っていたのは王騎ただひとりである。裏の世界にも「秦の六大将軍」のように広く名を知られた存在がいる。それが暗殺一族・「蚩尤族」である。彼らの存在は暗殺者の間でも伝説となっており、「人を超えた化け物」として恐れられている。「蚩尤族」は、元は巫女の一族で「巫舞」と呼ばれる特殊な舞いによって身体の潜在能力をフルに引き出すことができる。主人公・の仲間である羌瘣も、この「蚩尤族」の出身である。

中国の戦国時代の最終的な結末は、秦王・嬴政による中国統一ということが史実である。また、実在の有名武将たちの生死や戦いの勝敗も、歴史的に結論が出ている。『キングダム』もそれがベースになっているため、ストーリーの骨子や合戦の勝敗等はきちんと歴史的事実に基づいている。作中には『史記』の「○○死す」や「○○勝利す」のように、原文がそのまま載せられていることも多く、そこに『キングダム』の物語としての重みがあり、正確な時代考証の裏付けが物語に真実味をもたせ胸を打ってくる。

この変えようのない結末や大きな歴史的ストーリー展開の中で、様々なドラマを生むためのいわば「狂言回し」が信である。『キングダム』の面白さの中核は、信のキャラクター設定や、何があってもめげずに前進して夢を掴もうとする信の態度にこそ表される。通常の場合は主人公には秦王・嬴政が設定されることが一般的だが、『キングダム』ではあえて信を主人公に据えている。信が世間や戦乱の荒波にもまれていくため、生々しくリアリティが感じられる人間ドラマを生んでいる。

キングダム』の魅力は、個々の登場人物たちが背負っている、それぞれの運命や人生の重荷と戦う姿にある。登場人物たちは異なった人生哲学や生活を持ち、国や家族や自分の利益や復讐のために自分の持てる能力すべてを捧げ戦っていく。いわゆる「戦う人間のドラマ」であり、あまたの権謀術数や謀略のエピソード群は人間の業そのものを活写している。現代は戦国時代でこそないが、受験戦争もあれば就活、婚活、終活もあり、勝敗も歴然としてある。

キングダム』の登場人物たちが歴史のうねりに翻弄されていく毀誉褒貶は決して他人事ではなく、それが『キングダム』という物語の深さやリアリティをさらに深めている。信が世間の非情なルールや個性あふれる人々とせめぎあい生き抜いていく姿は、まるで等身大の自分を見ているような感覚を呼び読者の共感を得る。読者は信と一緒になって戦乱の中へ飛び込み、戦国時代の荒ぶる世界の奥へ入り込んでいく。

もちろん、完全なる歴史ものではない。描かれている町並みや服装などは、ほとんど創作である。作者は中国への取材旅行で当時の城の復元を撮影しそれを参考に想像力を駆使して創作している。また登場人物たちの詳細な行動や会話、毎日の生活等についてはほとんどわかっていないことだらけだ。ここを『キングダム』は詳細に具体的に描かれることで読者の興味がますます湧き、その世界観にのめり込んでいく要因の一つとなっている。

参考までに、中国の春秋戦国時代の貨幣の種類と使用された国を説明する。燕、斉で使用されていたのは「刀銭」という貨幣。包丁のような形で狩猟・漁労用の小刀が原型となっている。趙、魏、韓で使用されていたのは「布銭」で鋤の形をしている。斉、魏、秦で使用されていたのは「円銭」。円板の中心に丸い穴を空けた形で戦国時代の中期以降に使用されていた。楚で使用されていたのは「蟻鼻銭」で貝貨のような形をしている。金貨の発見例も多い。また、秦の始皇帝は貨幣も統一しようと図り、「半両銭」という貨幣も鋳造した。

作品が描かれた背景

キングダム』が始まった2006年、「週刊少年ジャンプ」連載の『DEATH NOTE』(原作:大場つぐみ、作画:小畑健)が連載を終了。任天堂からTVゲーム機「Wii」が発売され、ブームとなった。小説界ではリリー・フランキーの『東京タワー』がベストセラーになった。

時代設定

これまで一度たりとも天下統一がなされたことのない中国は、500年もの動乱期・春秋戦国時代を迎えている。この戦国時代後期(紀元前245年以降)の「」が『キングダム』の舞台。春秋戦国時代は、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代である。紀元前403年に晋がの三国に分裂する前までが春秋時代と呼ばれる。それ以降が戦国時代で、春秋時代の多数の弱小国家が戦国時代には7つの大国に集約された。、この7国を戦国の七雄と言う。最終的には秦王・嬴政によって他の六国は滅ぼされ、中華統一が果たされて嬴政は始皇帝となる。

同じ時期の日本は、弥生時代から邪馬台国が台頭する頃であり、まだ統一国家は成立していない。中国はその後、幾度もの大きな内乱を経て、『三国志』で描かれた三国時代へと変遷していく。春秋戦国時代については『史記(JPC0046833)』が唯一といってよいほど貴重な資料であり、『キングダム』は忠実に『史記』に基づいている。

作品構成

主人公である嬴政の二人を中心に物語が進んでいくが、本作は群像劇としての一面もあり、信の仲間である羌瘣河了貂王騎をはじめとする武将たちに関するエピソードも多い。

「戦場を描きたいと思って『キングダム』を始めた」との作者の言葉通り、本作では合戦シーンに多くのページ数が割かれている。合戦シーンでは一撃で数人の雑兵が真っ二つになるなど派手な演出が多いが、これについて作者は「殺しをリアルに描いて残酷性を見せる漫画ではないので、派手に描いてこういうノリの漫画ですということにしている」と語っている。

あらすじ

時は紀元前、春秋戦国時代の戦国時代後期。中華西方の国、の片田舎で下僕として働いていたと親友の。二人は戦災孤児だったが「天下の大将軍になる」という野望を抱いている。

王弟・成蟜の反乱 ~信と秦王・嬴政の運命の出会い(1巻 - 4巻)

の片田舎で下僕として働いていたと親友の。二人は戦災孤児で十年もの間、集落の長に養われていたが、「天下の大将軍になる」との野望をいだき、一心不乱に剣の修行をしていた。そのころ秦の王宮では政争が激しさを増していた。ある日、突然、漂は秦の大臣・昌文君に召し抱えられる。ところが漂は王弟・成蟜が起こした反乱に巻き込まれ深手を負う。漂から「天下の大将軍になる」夢を託された信は、漂とそっくりな秦王・嬴政と出会う。漂が嬴政のために犠牲となったことを知り、怒りをおさえられない信だったが、漂に託された大将軍になる夢をかなえるため、嬴政と共に王座の奪還を目指す。

そのためには400年前の秦王・穆公が国交を結んでいた秦の西方の山間に住み、平地に下りて来ない民族「山の民」の助勢が必要だった。蓑を被った子供・河了貂 が道案内。味方の昌文君、副長・の隊と合流、山の民の王・楊端和を説得して同盟を結んだ嬴政と信は、王弟・成蟜や竭氏との戦いに臨む。しかし、王都・咸陽を守る敵の軍勢は8万、 対する山の民はわずか3千だった。楊端和は竭氏に、援軍として山民族が来たと使者を送り、開門させる。王宮内へ突入した信たち別働隊は、 待ち構えていた竭氏配下の左慈の率いる軍勢と激突する。 左慈は自らを天下最強と称する武人であり、信は大苦戦を強いられるが壁の援護を得て打ち破る。

嬴政と楊端和たちは、兵の数では圧倒的な不利な中、山民族のずば抜けた武力と精神力により対抗するが苦戦は否めなかった。嬴政に檄を飛ばされ信たち別働隊が成蟜を討つまで持ちこたえようとする。信たちはついに成蟜の座する本殿へと侵入するが、そこには成蟜を護衛する巨大な猿・ランカイがいた。成蟜が玉座から操るランカイには剣の攻撃も効かない。苦戦する信たちの突破口を開いたのは山民族のバジオウだった。山民族たちと信たちの連携攻撃によりランカイは戦意喪失する。

 逃げ出した竭氏たちの前に立ちふさがったのは、王騎将軍の副官・だった。 この間に成蟜が中央広場へ逃走する。 そこでは嬴政と楊端和たちが竭氏の配下・肆氏の軍と戦っていた。 突然、王騎将軍が現れ肆氏の右腕・魏興を一刀両断にすると、嬴政に問う。 貴方はどのような王を目指すのかという王騎の問いに 嬴政は、中華の唯一王だと即答する。 その答えは、かつて王騎が仕えた昭王(嬴政の曽祖父)の夢でもあった。嬴政は成蟜の命を奪わず、反乱軍には投降を促し、クーデターの終息を宣言する。 

蛇甘平原の戦い~ 信の初陣の首尾(5巻 - 7巻)

王弟・成蟜の反乱を一掃した戦いの功績を認められは昌文君から約束通り土地と家を授けられ平民となった。そんな中、いよいよ秦が中華統一を目指し魏に攻め込むことになる。正式に歩兵として徴兵された信は五人編成ののメンバーになる。メンバーは澤 圭伍長、 信の同郷の尾到尾平兄弟、 孤独で狷介な性格の羌 瘣

初陣となる信は千人将となった壁に再会し魏との戦いへ向かう。ところが魏の大将軍・呉慶が先手を打ち、秦に攻め入ってくる。魏の城を攻めることを指示されていた秦兵たちの間に動揺が広がるが、秦軍の総大将・麃公は臨機応変に決戦の地を変更し、蛇甘平原で両軍が激突することになる。信たちの伍は、気性が荒く愚直に突進する猛将・縛虎申千人将の第四騎馬隊に配属される。 信達歩兵は5人1組で伍、 伍を10列組んだ属、 属を2組で伯、 伯を2組で曲、 曲200人を5曲組んだ陣型の最前列に置かれた。 突撃の号令とともに、 歩兵達の乱戦が始まる。魏軍は中華最強の戦車隊である装甲戦車隊を押し出してくる。

装甲戦車隊に蹂躙される歩兵たち。 羌 瘣の策で死体を集め防壁をつくり、戦車隊の攻撃から身を守る歩兵たちだが限界は目に見えていた。そこへ麃公から送り込まれた騎馬隊が到着、信たちは辛うじて窮地を脱する。 千人将・縛虎申は騎馬隊を送り込み援護してくれた麃公の意を汲み、丘の上の要衝に陣を構える魏軍の副将・宮元を斃し、この不利な戦局を覆そうと決意する。圧倒的な魏軍の中を強行突破した縛虎申は致命傷の矢傷を負ったが、宮元の首を刎ねる。

魏軍の総大将・呉慶の本陣が動き出し、信たちは奪取した丘を捨てざるを得なくなった。そこに王騎将軍が現れる。 援軍に来た訳ではなく高みの見物としゃれ込む様子。戦場では麃公の騎馬隊が魏軍の大軍の中に真一文字に突撃を開始する。麃公自らが先頭に突撃する勢いは誰にも止めれられない。 魏の大軍の陣形は崩れ、麃公は呉慶に肉薄していく。軍略国随一とうたわれる呉慶の知略が勝つのか、戦場に漂う直感を信じて戦う麃公の本能が勝利するのか。その軍勢が巨大になればなるほど率いる将の力が戦の勝敗を左右すると、その戦況を見ながら王騎は信に言う。

信は秦軍の総大将・麃公の突撃にはせ参じていく。呉慶の部将の中でも歴戦の強者・麻鬼朱鬼が行く手を阻む。蛇甘平原の戦いの帰趨は秦・魏の総大将同士の壮絶な一騎打ちに託された。

長平の戦い~嬴政の過去~秦王暗殺計画 ~羌瘣の過去(8巻 - 10巻)

嬴政の生まれる前年、と隣国のは 上党の地の所有権をかけ2年間、戦っていた。秦軍の総大将は 白起、趙軍の総大将は 廉頗 だった。戦いの膠着状況に業を煮やした趙王は、総大将を趙括に換える。 このため戦局は大きく動き出したが、趙括は秦軍の副将・王騎に討たれてしまう。

 秦軍の大勝利に終わり、趙軍から40万人の兵士が降伏してきた。ところが白起はこの40万人全員を生き埋めにしてしまった。食料不足と反乱の危険性がその主な理由だった。この大虐殺・長平の戦いに趙の国民は大いに動揺し、秦を深く恨み怨念を胸に刻んだ。長平の戦いの翌年正月に、嬴政は趙の首都・邯鄲で生まれた。 嬴政が誕生した2年後、父親の子楚が、呂不韋の助けを受け、一人で趙での人質生活から秦へ帰還してしまう。 趙に残された嬴政と母親は以後7年間、 長平の戦いの怨念により趙人から疎まれ、秦人の子を産んだ母親は働き口もなく、秦からの仕送りさえ途絶えたため、飢えに苦しむこととなった。

秦の大王・昭王が崩御し、 新王として嬴政の父・子楚が荘襄王となり玉座につくことになった。子楚の嫡子・嬴政は次の王である。このため未だ趙で捕らわれの身である嬴政には暗殺される危険が迫っていた。嬴政を趙から脱出させる命を受け、秦から道剣たちが送り込まれるが、難関の関所を越えなくてはならない。呂不韋から紹介された趙の闇商人の女頭目・紫夏に脱出行の全ては任される。

 紫夏はかつて餓死寸前を 通りかかった闇商人の養父に拾われ育てられた孤児だった。 養父亡き後、紫夏は家督を継ぎ孤児仲間の江彰 亜門とともに闇商売で成功する。今では関所も顔パスで通れるほどの顔役だった。 嬴政を秦へ送り届けることには、大きな危険が伴う、失敗すれば斬首となる。それでも、 紫夏は嬴政の過去の事情を知り、自分の身の上と引き合わせ、嬴政を脱出させると決意する。 

関所の役人たちへの紫夏の日頃からの付け届けや愛想のよさが効き、5つの関所を無事に通過した嬴政たち。しかし最後の関所を越えたと思った時、狼煙が上がり関所が緊急閉鎖される。間一髪で関所を通ったものの、嬴政の脱出行が露見したのは間違いなかった。 一行は必死で馬車を駆るが、 趙の追っ手に追いつかれてしまう。 道剣、江彰、亜門が殺害され、 秦まであと一歩のところで、ついに紫夏も命を絶たれる。 嬴政の命運も潰えたかと思われた寸前、昌文君らが駆け付け救出される。

荘襄王が亡くなり 十三歳という若さで王位についた嬴政は、辛くも成蟜の反乱を収めたが、王宮は混乱を続けていた。暗殺計画が動き出しているとの情報があり、武功により百将となった河了貂は嬴政の身辺警護につくことになった。王宮で信は嬴政と半年ぶりに再会したが、暗殺者が迫るとの急報を受け、秘密の抜け道へ急ぐ。ところが 出口の扉に外側から錠がかかっていた。この秘密の抜け道を知るのは 前王・荘襄王から伝えられた嬴政と荘襄王から全てを任されていた呂不韋だけのはずだった。暗殺計画の黒幕が実は、秦の右丞相・呂不韋だったことが明らかになった。

嬴政の背後に刺客たちが現れる。彼らは漂を殺害した暗殺一族・朱凶と伝説の蚩尤族のメンバー羌瘣だった。信は嬴政を守り、羌 瘣と剣を交えるが全ての剣筋を見切られてしまう。その隙に嬴政に斬りつけようとした朱凶の族長・燕呈の背後から更に別の刺客集団・号馬が現れた。 絶体絶命の危機に信は羌瘣に一時休戦を提案、他の刺客集団たちと戦おうと言う。

羌 瘣は30秒で呼吸を戻すという謎の言葉を残し、戦列を離れた。 信が30秒間持ちこたえ呼吸を戻した羌 瘣は刺客たち全員を不思議な舞いのような剣技で切り捨てていく。 そこへ昌文君たちが駆け付け嬴政は無事に救出された。

超絶の剣技で刺客たちを斃し王宮を抜け出した羌 瘣を、貂が待ち伏せていた。 貂は剣技の教えを請うが 羌瘣は生まれ落ち育った世界が違いすぎて不可能と言い、自らの過去と蚩尤族の掟を語りだす。蚩尤族は1000年前から闇世界で魔物と恐れられてきた幻の刺客一族で、本来は巫女の一族だったが呪術より武術に専念、剣を神器とし稀代の暗殺者を生み出す一族となった。19に分かれた一族のうち 素質の高い者は幼少時から剣の修練を積む。そして各氏族の代表が集まり祭 と呼ばれる殺し合いをし、生き残ったたった1人にのみ、蚩尤という名が与えられる。

羌瘣は羌族の村で共に育った羌象とともに祭に参加するメンバーに選ばれた。祭前日、羌瘣を妹のように思っている羌象は、羌瘣を殺したくないため香を使い羌象を眠らせる。

そして羌象が意識を取り戻した時にはすでに祭は終了していた。 祭が行われた場所には無敵だったはずの羌象の死体があった。現・蚩尤となった幽連に唆され、他の氏族の代表たちが手を組み、集団で襲われたため、さすがの羌象も対抗できなかったことが判明する。 手を組んで戦うことは、完全な掟破りで、それを黙認した 長老達に納得ができない羌瘣は、幽連を斃し羌象の仇を討つことを心に誓い幽連を追う旅に出る。 今もその追跡の途中なのだった。

翌日、昌文君たちが暗殺未遂事件後の王宮内の派閥の力関係と今後の呂氏一派の出方を探っていると、暗殺事件の黒幕・右丞相・呂不韋たちが嬴政に面会を求めてくる。  堂々と嬴政の前に進み出た呂不韋は、暗殺事件の首謀者は自分だと言い放つが、すぐさま冗談だと高笑いして否定。呂不韋は自陣営の圧倒的に強い力を楽しんでいるかのようだった。呂不韋の陣営には、軍事のすべてを統括する昌平君、 中華最強の武力を誇る武人・蒙武、昭王時代の丞相・蔡沢、荀子に学んだ厳格で生真面目な法の番人 ・李斯。 四柱と称される四人の傑物がいた。

蒙武が嬴政に秦の六大将軍制度の復活を要望する。 この制度は嬴政から数えて三代前の戦神と呼ばれた昭王が定めたものだった。常にいくつもの国と戦闘状態にあった昭王は、 忠誠心と武力に秀でた六人の将軍に「戦争の自由」という権利を与えた。これは、その将軍の独断でいつでも他国との戦争を開始することを許可するという制度だった。このため秦は中華で最も危険な国と目されていたが昭王亡き後、この制度は無くなり、

秦の武力にも陰りが生まれていた。蒙武は六大将軍の制度を復活させ、自分をその一人にせよと言う。呂不韋は蒙武をたしなめつつも、我が陣営の腹心の中から六将を選べば秦の武力は甦り嬴政のためにもなると言い募る。

 呂不韋との力差を見せつけられた 嬴政はかつての敵、元竭氏派の肆氏を自陣営に取り込み勢力の強化をはかる。信は更に武力を高める鍛錬に臨み、河了貂も信と一緒に戦っていくため、羌瘣に勧められた軍師の道へ進もうとしていた。軍師学校へ向かった貂だったが、そこは呂不韋陣営の中心地だった。しかも教えを請う軍師は、四柱のひとり昌平君。  しかし昌平君は、深い思惑から、あえて貂を軍師学校に入学を許可する。

一方、信は王騎将軍が、かつての六大将軍の唯一の生き残りだと知り、修業を願い出ていた。もっと嬴政の役に立つために、これからの自分に必要なものは、一人で剣を素振りしていることではない と気づいたためだった。王騎は、そんな信を無国籍地帯の少数部族の集落に連れて行く。 わずか人口百人ながら内部抗争に明け暮れているこの集落を平定してみせろと王騎は言い放つ。信は人を率いることの難しさと、団結した人間の強さを学んでいく。

馬陽防衛戦~王騎致命傷を負う(11巻 - 16巻)

秦は隣国・へ侵攻した。秦の20万を越える軍勢の総大将は、大将軍・蒙 驁。 蒙 驁は白老の名で呼ばれていた。極めて凡庸な将軍で、強き敵に勝つことは難しいが、弱き相手には絶対に失敗がないと評されている将軍なので、

弱小国の韓を攻めるには適していた。 1ヶ月後、秦軍は韓の領土の奥深くまで侵攻したが、秦と趙の国境付近にの城・馬央陥落の急報が入る。

趙は、秦の油断を付き、12万人もの大軍を擁し、一気に攻め込んできた。長平の戦いによる趙人の怨念を、万極将軍は馬央城下の住人を虐殺、蹂躙することによって晴らしていた。 かつて身をもって趙人の恨みを骨の髄まで思い知らされていた嬴政は、  緊急徴兵令をかけ10万の軍を召集する。鍛錬されていない民間兵も多く、 精鋭揃いの趙軍との兵力差は明らかだった。この力差を埋めるための秘策として、軍司令・昌平君が呼び寄せたのは王騎将軍だった。

総大将・王騎は、蒙武を副将とし、趙軍に攻め込まれている馬陽へ向かう。馬陽城は昭王の元、かつて六大将軍であった王騎と、昌文君たちが趙から奪取した城だった。 また摎が龐 煖に斃された地であった。 

無国籍地帯の少数部族たちの内部抗争をの協力を得て平定した信は、王騎将軍直属の特殊百人部隊の百将として出陣することとなる。部隊には尾平田有沛浪など、共に戦ってきた仲間たちや、仇の足取りをたどり、秦に戻ってきた羌瘣が加わった。副将には渕と羌瘣がなり、信の特殊百人隊の形が整った。 趙軍の総大将は龐 煖だと判明する。 龐 煖は摎が斃された後、駆けつけた王騎に討たれたはずだったが、九年経って、趙の三大天の一人と称される武将になっていた。 王騎と龐 煖の長年の因縁に決着がつく時が迫っていた。  

 秦軍は王騎の命で馬陽には入らず荒地である乾原へ向かった。この荒地は趙の騎馬隊の機動力を削ぐ地形を持っていた。 趙軍の軍師・趙荘はあえて王騎の誘いに乗る。 開戦した直後、秦軍は蒙武軍2万を中心とした4万人の中央軍が突撃した。圧倒的な蒙武の武力は秦軍の士気を高めるが、敵将・李白の守備は固い。 趙の先鋒隊・渉孟の突破力は蒙武に負けず、秦の右軍は苦境に陥る。王騎は、本陣を飛び出しを趙の右軍へ突撃させる。さらに中央軍の後方にいた信の特殊百人部隊に近づくと、秦の左軍と趙の右軍の戦闘のどさくさにまぎれて敵将・馮忌の首をとってこい と指示を出す。この戦に勝つためには、軍師なみの頭脳を持つ馮忌を討つことが必須だと言う。しかし100人しかいない信の部隊で敵将の首をあげるのは無謀に近い。その指示を受けた信の部隊を王騎は、飛信隊と命名した。

壁たち秦の左軍は馮忌の知略に、大苦戦を強いられていた。  壁たち秦の左軍と趙の右軍が正面から激突し、血しぶきが飛んでいる最中、信の飛信隊は、その真横に回り込む。 無理やり敵の正面突破を成し遂げた干央軍長や壁と合流した信は馮忌を追い詰める。山中へ逃げ込もうとする馮忌だが、信の剣に切り捨てられる。   

秦軍は趙軍の総大将・龐煖の強大な武力に圧倒されていく。総大将同士の一騎打ち繰り広げているときに、秦軍の背後から趙の三大天のひとり・李牧が襲ってくる。王騎は致命傷を負い、信に背負われて戦場を離脱するが自分の最後を悟り、信に自らの鉾を託すのだった。

山陽平定戦 廉頗の猛攻(17巻 - 23巻)

始皇4年、王騎の死から早1年が経っていた。300人に増えた飛信隊を率いる信は武功を上げ続け、は中華統一への歩みを着実に進めていた。突然、軍総司令・昌平君羌瘣を咸陽に呼び、王騎を斃した李牧が咸陽に来る、李牧に興味を持った呂不韋が無理やり呼び寄せたと明かす。趙王の臣下の美男子・春平君は王から一身に寵愛を受けているが、昔、呂不韋から金を融通してもらったことがあり、その弱みを突かれ秦におびき寄せられ拉致されていた。王に春平君の返還条件として宰相・李牧の迎えが必須だと強要し、趙王は李牧を秦に送ったのだった。

昌平君は呂不韋から、合図をしたら李牧を殺害せよと命じられ、実行部隊として、信と羌瘣だけでなく蒙武、朱凶ら暗殺集団まで召集していた。李牧の存在が秦の中華統一の大きな妨げになる、お互いの器を確かめていく会談の中で見抜いた呂不韋は、死を選ぶか秦に有利な提案をするかの二者択一を李牧に迫る。 命の代償として李牧が提示したのは秦と趙の同盟案だった。現在まで・秦・趙・の中華七国が、200年の間、均衡状態のままであり、秦が中華を目指せないのは韓が存在しているためである。まず韓を滅ぼすことだ。しかし現状、秦が韓に侵攻しようとすると、趙と魏が援軍を送る。このため秦は絶対に韓を滅ぼせない。

李牧の秦と趙の同盟案のメリットはこの点を解決することにあった。秦が中華を目指す時、まず魏を攻め、韓を援護できなくなるまで徹底的に叩く。そうすれば秦は韓に侵攻できる。その際、趙は韓を助けないことを約束する。その代わり、趙が隣国・燕へ侵攻した際には、趙の思う通りにさせて欲しいと。

秦にとっては好条件な提案であったが、呂不韋はにべもなく拒否する。この同盟提だけでは李牧の存在を除く方がメリットは大きいと判断し、呂不韋は、さらに趙が巨費を投じて強化している城・韓皋の移譲を求めた。

李牧はこの要求を飲まざるを得なかった。その場で秦趙同盟が成立し、呂不韋と李牧の政権は盤石の物となったかに思われた。しかし嬴政は、あと5年、22歳で迎える加冠の儀までに呂不韋から実権を奪い取る、と信に宣言する。 

同盟軍が戦略上の要衝の地・山陽を落とすために侵攻した。元は趙の三大天のひとりだった廉頗が、魏軍を率いて立ち向かってくる。秦軍の総大将は「白老」の名で有名な秦筆頭の大将軍・蒙驁飛信隊は特殊三百人隊の玉鳳隊・王賁隊長、楽華隊・蒙恬隊長と競り合いながら武勲を挙げていく。王騎や蒙恬などからも化物と評される王翦桓騎を副将に擁する秦軍が魏軍の本陣を急襲。陥落させていく。

合従軍襲来 - 函谷関攻防戦(24巻 - 30巻)

秦は山陽を東郡と改名し、自国の領土であると宣言した。同じ頃、趙は秦趙同盟が効力を失わないうちにと、燕を攻める。秦の総大将は王騎を亡き者とした後、再び山中で武を練っていた龐 煖。趙10万、燕も10万の大軍勢同士がぶつかり合う大戦の火ぶたが落とされた。燕の総大将は60年間、戦中に生き、軍神・楽毅の戦略を研究し尽くした大将軍・劇辛だ。劇辛は元々は趙の人で趙に残っていれば、廉頗の時代の三大天の一人だったほどの人物だった。

精密な戦場分析により劇辛は李牧本陣を突き止める。一気呵成に攻め込もうとするが、目の前に立ちふさがったのは龐 煖だった。劇辛は龐 煖に全く歯が立たず、両断される。燕軍の総大将の死と共に、この大戦はあっけなく、わずか一日で決着をみてしまう。 一方、飛信隊は、秦が山陽を東郡に改名し領土としたことに対する楚の反発に備え、国境警備を行っていた。秦、楚の両軍とも戦闘は厳禁され、膠着状況が続く。楚の千人将・項翼はたびたび飛信隊を挑発。は業を煮やし単身で項翼に斬りかかる。この苛烈な戦いの真っただ中に楚の千人将で弓の達人・白麗が飛び込み、二人を分ける。

その頃、 王都咸陽では、太后の後宮における権力が増大し、有力者達の多くが嬴政側から呂不韋陣営へと寝返り始めていた。この勢いに乗じ、呂不韋は丞相から最高位である相国に上り詰める。呂不韋との力の差を埋めるため、今は成蟜の持つ公族達との人脈が必須だと判断した嬴政は、3年間城に幽閉していた成蟜一派達を解放する。 嬴政の思惑通り、動き出した成蟜一派達の闇の人脈により、公族や有力者達が続々と嬴政陣営へと集まってくる。この 有力者達の力の後押しで、呂氏四柱である昌平君李斯が席を占める予定だった左丞相に、嬴政は 昌文君を任命することができた。

楚との国境警備の任を終えた飛信隊は秦の最東端の城・東金に向かっていた。 途中、徐国を救援した信は 徐の国王から秘密の地図を入手し、記載されていた東金への極秘ルートをたどっていたところ、 李牧の姿を垣間見る。この極秘ルートは各国の宰相レベルの者しかその存在を知らない。李牧の動きにきな臭いものを感じた信とは李牧を追い、密談の場に遭遇する。

カイネに見つかり趙兵に囲まれ た信だが、秦趙同盟により攻撃は受けず、李牧の元に連行される。人払いをした李牧に信は密談の相手とその狙いを問うが李牧は答えず、一騎討ちで勝ったら教えようと剣を抜く。  信は李牧に必殺の一撃を見舞うが跳ね返され、李牧が優れた武人でもあることを思い知らされる。 信は無事開放されたが、李牧の密談の相手は楚の宰相で楚趙同盟が動き出しているのではないかとの疑念を持つ。

李牧の密談の場に遭遇してから一ヶ月後、咸陽では、が嬴政の子を身ごもった祝宴が開かれていた。そこへ、突然敵襲の報が入った。  駆けつけた飛信隊や蒙恬の前に現れたのは王騎軍の生き残り録嗚未干央軍長だった。彼らはに指示を受け、の不穏な動きを探っていた。 楚との国境防衛壁・南虎塁にいた騰は突然、楚軍が秦に攻め込んでくる姿に驚愕する。

楚軍が侵攻を始めた秦南部では、蒙武将軍、張唐将軍が最前線へ急行していた。しかし楚軍が秦になだれ込むのを防ぐには間に合わない。その時、あらかじめ最前線に軍を伏せていた元王騎軍・騰の軍勢が楚軍5万の前へ。わずか5千の騰軍が、秦の本隊到着まで時を稼ぐため、無謀な戦いへ臨んでいく。飛信隊も楚軍侵攻の報を受け、急行していたが、その途中、10万を超える魏の大軍を目にする。魏への防衛拠点の城はすでに落城している。

咸陽に次々に戦況が届く。楚と魏の2国同盟軍への対抗策を講じているところへ、更に趙、軍侵攻の報が届き、しかもまでも趙を通過し、秦へ向かう気配を見せていた。

これは、秦一国に対して複数の国が盟を結び興された合従軍であることは明らかだった。中華の他国全てが、秦一国を滅ぼすため手を組み、一斉に侵攻してきていた。敵の大軍勢が秦の城塞を次々と打ち破っていく。この大軍勢こそ趙の三大天のひとり・李牧が楚の宰相・春申君と密談して発起人となった、趙・楚・魏・韓・燕・斉の連合軍「合従軍」だった。

秦の中枢の文官たちは最早、思考停止に陥り、対応策を講じようとしているのは昌平君と昌文君のみだった。その時、嬴政が激を飛ばす。秦国の命運は、今ここにいるわずか30人の双肩にかかっている。ここにいるもの以外は策さえ講じられない。秦の国民のために絶対に、この戦いには勝たなくてはならない。この激に目を覚まされた思いの文官たちは連日連夜、血眼で模擬戦を繰り返し、策を模索していく。

軍総司令・昌平君は、唯一、未だ秦へ侵攻してきていない斉を止めることに活路を見出そうとする。呂氏四柱・蔡沢へ、斉の合従軍離脱を交渉するよう命じた。蔡沢は、斉王に謁見。莫大な金額の支援と、圧倒的な質の高い情報力を基盤とした外交力により、斉軍の合従軍離脱の約束を取り付ける。 

 咸陽の昌平君たちは、ようやく、一筋の光明を見出し、策を決めた。秦軍の各将・各軍を全て咸陽に集結させ、そのただ一つの作戦を布告する。

その作戦とは、秦が生き残るには、函谷関を死守すること、それのみに尽きていた。秦の国都・咸陽は中華一の不落の城と呼ばれているが、それは咸陽が周囲を山岳に囲まれた天然の要塞であるからだった。咸陽に至るため、敵は唯一の大道をふさぐ国門・函谷関を必ず越えなければならない。函谷関さえ守れれば、秦は滅亡を避けられる。 

 秦軍は怒涛の如く迫り来る合従軍に、函谷関で向き合った。合従軍も函谷関に到着し、集結する。 合従軍の総大将は、楚軍・春申君、合従軍参謀役は趙軍・李牧であった。楚軍は15万、総大将汗明。趙軍12万、総大将李牧。燕軍12万、総大将オルド。魏軍10万総大将呉鳳明。韓軍5万総大将成恢。迎え撃つ秦軍は、対魏軍・韓軍は蒙驁張唐桓騎。対楚軍は騰3万、蒙武6万。玉鳳隊。楽華隊。対趙軍は麃公4万。飛信隊。対燕軍は王翦7万であった。楚軍の総大将・汗明が開戦の号令をかけようとした、その時、麃公将軍が突撃命令を発し、飛信隊も後を追う。紀元前241年、合従軍 対 秦軍 ・函谷関攻防戦が、ついに口火を切った。 麃公軍4万と飛信隊は、李牧の懐刀である趙軍副将・慶舎軍12万と戦闘を開始する。

本能型の武将の典型である麃公は敵兵の表情や目線から瞬時に戦場の趨勢を読み取り、対応する。これを知った慶舎は、自軍の兵や将にも自らの戦略を漏らさない。このため麃公は戦況の流れを体感できず、慶舎の指示を受け麃公を背後から襲撃した万極軍に、虚を突かれてしまう。この危機的状況に駆け付けたのは、やはり本能型の武将である信だった。万極軍に攻め込まれている麃公軍の後方部隊に檄を飛ばし、戦況を立て直す。総崩れとなる寸前で士気を取り戻した麃公兵は、飛信隊と共に万極軍1万に立ち向かい始める。 

 一方その頃、函谷関では、張唐将軍が受け持っている城壁に、魏の将軍・呉鳳明が設計した対函谷関用秘密兵器・巨大井闌車により梯子がかけられてしまう。この梯子を伝い魏軍が城壁内へなだれ込む。

さらに2台目の井闌車が、今度は桓騎将軍が受け持っている城壁へ梯子をかけてくる。このままでは函谷関が陥落する絶体絶命の状況の中、桓騎将軍の秘策が炸裂。樽に入った油を巨大井闌車投げつけ火矢を放つ。

梯子を登ってきていた魏の兵たちもろとも巨大井闌車は燃え、焼け落ちていく。

張唐将軍も、この状況を見て冷静さを取り戻す。城壁を越えてくる魏兵たちを押し返し、追い落とし、ひとまず持ち場を守り抜いた。 函谷関の左翼では、最大規模の戦闘が開始されていた。蒙武軍・騰軍の連合軍9万対楚軍15万の真向勝負である。5万を率いる楚第一軍の将軍・臨武君項翼白麗らの千人将を率い突撃。これに対し秦軍は、蒙恬王賁が指揮する騰軍が受けて立っていた。蒙恬が項翼らを食い止めている間に、騰軍の軍長・録嗚未が臨武君の本陣まで突破していく。録嗚未はかつて王騎軍・第一軍長で最強とうたわれていた男だった。

録嗚未と臨武君の一騎討ちが始まった。そこへ鱗坊軍長が討ち死にした同金の仇・臨武君を討ち取ろうと録嗚未に加勢。しかしその時、はるか遠方から放たれた白麗の矢が鱗坊を貫く。蒙恬は、白麗の弓の超絶技を見て、これは危険すぎる、今のうちに始末しようと動き出す。しか項翼が立ちふさがり白麗にたどり着けない。そこへ現れたのは王賁。一進一退の激闘が始まった。 

臨武君との一騎打ちを続けていた録嗚未だが、大苦戦。馬から叩き落とされ、危ういところへ、楚兵たちを切り捨てながら騰が現れる。録嗚未に代わって、今度は騰が臨武君と一騎討ちへ。臨武君には自負があった。大国・楚で将軍になったということは、土地が狭く、人口の少ない他の六国で将軍になることとはレベルが違うと。自らの強さに絶対の自信を持つ臨武君に対し、騰には中華をまたにかけた大将軍・王騎を傍らで支え続けた自負があった。両雄相譲らぬ決戦は大番狂わせを迎える。 

騰が臨武君を撃破し、大きな危機の一つは脱した秦軍だが、敵は合従軍、果てのわからない危機的状況が続く。麃公軍を後方から襲った1万の万極軍に立ち向かう飛信隊だったが乱戦状態の中、メンバーは散り散りに。万極軍は「長平の戦い」で白起将軍に生き埋めにされた40万の趙兵たちの遺族・遺児だけで構成された軍だった。怨念にとりつかれた彼らの勢いは、背筋がぞっとするほど凄まじく、信たちは苦戦を強いられていた。戦況を冷静に見守っていたが、危うい状態に陥った飛信隊を立て直そうと、バラバラになった隊員たちを集めながら信の元へ。信はついに敵将・万極と一騎打ちへと臨んでいく。信と切り結びながら万極は、秦人への恨みを晴らすため行ってきた虐殺・陵辱・蹂躙行為を語る。信は自分も戦争孤児であり、ある程度、理解はできるとしながらも万極に言い放つ。

この出口も果ても見えない5百年も続く戦争の渦を解く唯一の答は、嬴政が目指している中華統一なのだと。国境があるために各国の対立があり争いが始まる。中華を統一することで、戦乱の世が終結するはずだ。 

万極は叫ぶ。人間全てが呪われている、出口なき闇で永劫に呪い合って答えもなく殺し合う、それが真理だと。信は自分も一歩間違えれば人間すべてを恨むことになりかねなかったと思い、憐れみながら、もう楽になれと万極を斬る。そして絶対に長平のようなことはしないし、絶対にさせないと誓うのだった。こうして激動の合従軍との戦いの初日が終わっていった。信は大将首・万極を挙げながらも、やりきれない思いに沈む。麃公は、そんな信に、つまらぬ感傷に浸っている場合ではない、今は国が生きるか死ぬかの瀬戸際だと語るのだった。 

 合従軍との戦い2日目が始まった。この大戦の趨勢を決する最大規模の戦場では蒙武・騰連合軍と楚軍との戦闘が膠着状況となっていた。楚・第2軍の超巨躯を誇る女将軍・媧 燐は自分の第2軍を一切動かさず、臨武君亡きあとの元・第1軍のみを秦軍と戦わせていた。類まれなる戦略家である媧 燐は、凡戦を連ねて10日後に函谷関を落とすべし、と李牧に進言していた。こうして2日目の戦いは全ての戦場で互いの兵力を削ぎ合うだけで暮れていった。媧 燐の進言を受けた李牧の作戦変更指示により、6日目まで双方の軍に大きな動きは無く、凡戦が続いていた。

7日目に、突如、韓軍の総大将・成恢が決然として動き始める。成恢は毒物兵器研究の第一人者で、元は男も色を覚えるほどの美男子だったが、兵器として使用するため、毒の研究を続けた結果、ドス黒い血管の浮かぶ怪異な容貌となっていた。成恢は、函谷関を守護している張唐将軍の持ち場へ、膨大な数の毒矢を打ち込ませる。さらに丹丸と呼ばれる煙玉を矢継ぎ早に打ち込み始めた。煙に包まれ、全く視界の利かなくなった張唐軍の兵たちだったが、特に甚大な被害を受けたようには見えないままだった。韓軍は成恢の指図で、迅速に退却していく。張唐はうっすらとした恐怖を感じながらも、成恢の真の狙いには思いが至らなかった。しかし戦闘が始まって8日目の夜、異変が現れる。至急の報を受け桓騎が張唐の陣を訪れると、兵たちの顔には、ドス黒い血管が浮き上がり目から血が流れ始めており、最早、救いようの無いことが歴然としていたのだ。

 両軍、膠着状態を打開できないまま15日目を迎えた。この日、ついに李牧が動き、合従軍全軍に総力戦の指示を出す。函谷関が落ちるのか、それとも秦が持ちこたえるのか、とうとう運命の1日が始まった。がっぷり四つに組んだままの蒙武・騰連合軍対楚軍の戦場に、楚軍総大将・汗明が姿を現すと、媧 燐が率いる第2軍と合わせて12万を超える大軍が秦軍に対峙する。対する蒙武・騰連合軍は約7万。蒙武は汗明に宣戦布告すると号令を発する。 それを受け、三千人将・壁が率いる左軍が先鋒とし突撃していく。

壁軍の突撃に呼応し、蒙武は斜陣がけを仕掛けていく。 猪突猛進のみの武将だと目されていた蒙武のこの高等戦術に、敵味方共にどよめきの声があがる。 楚軍の女将軍・媧 燐もついに満を持して動き出す。巨大な戦象により戦場の流れをかき乱し、 秦軍の動きを止めると、考え抜かれた隙の無い楚の布陣が騰軍を遮った。この劣勢を見て取った騰は、かねてからその実力を高く評価していた 王賁と蒙恬を急きょ五千人将に抜擢し、左右の軍の指揮権を渡す。 王賁と蒙恬の2人は戦術を打ち合わせする間もなく出陣したが見事に騰の期待に応えていく。一方的な媧 燐の勝利に終わるかと思われたこのたたかいの帰結は、全く予想できなくなったが、一歩先に出撃した録嗚未、干央の軍は見殺しにされてしまう。

 その頃、函谷関では 魏の呉鳳明が巨大井闌車に続く新兵器を繰り出していた。 何十台もの巨大な床弩車である。床弩車には数多の床弩が積まれ4メートルの長さの巨矢が装填されていた。呉鳳明の号令一下、無数の巨矢が函谷関の壁に向い放たれ、 壁に突き刺さった矢につながっている綱をつたい、魏兵たちが続々と函谷関の壁を登ってくる。さらに巨大井闌車も押し寄せ、函谷関に梯子がかけられる。張唐の受け持ち場所から魏兵が城内になだれ込み、桓騎や蒙鷙の持ち場も風前の灯となった。 しかも張唐は、成恢に送り込まれた毒に侵され明らかに死が近づいている状態だった。

この絶体絶命の危機を脱するため、動いたのは桓騎だった。巨大井闌車に煙玉を投げ込ませ敵陣をかく乱すると、 桓騎は地上へと向かう。わずか 80騎を引き連れ、 奪った魏の旗を掲げ、堂々と15万の敵兵の中を行く 桓騎。 張唐は武将という存在自体をあざ笑う桓騎とは、全く相いれなかった。しかし敵の大軍の中へ、自分の策のみを信じて分け入っていく桓騎の姿には素直に感動し、この戦場で自分らしく果てたいという思いから桓騎に同行する。

 合従軍の兵たちは、今にも陥落しそうな函谷関に気を取られ、桓騎たちに気づかない。その間に400人の別働隊をも動かし、桓騎たちは韓の成恢の陣を狙っていく。 張唐の戦場を駆け巡った50年間はついに終わりを迎えようとしていた。毒に完全に侵され動かない体を叱咤し、成恢の姿を追い求め、ついに捉えた張唐は、 戦わずに背を向けて遁走する成恢に追いすがる。 一撃で成恢の首を落とした張唐は、そのまま息絶えるのだった。その時、はるか函谷関の桓騎の持ち場だった望楼から火の手が上がるのが見える。 

一方、函谷関の左に位置する山岳地帯を護っていたはずの 王翦軍が、いつの間にか姿を消していた。山の戦いに絶大な自信を持ち、比類無い山読みの才能を誇るオルド将軍の前には、形無しの呈で退却せざるを得なかったようにも見えた。 オルド軍は函谷関の裏へ回り込む道を妨げている巨大な絶壁の前までも迫り、函谷関へ攻め込むため、絶壁を登っていく。 そこへ退却したと思われていた王翦軍が忽然と現れる。

王翦が退却したように見せかけていたのは、オルド軍を誘い込むためだった。 はめられたことにオルドが気付いた時には、既に決着はついていた。王翦軍は逃げ場のないオルド軍を背後から攻め、8千の精鋭部隊を壊滅させる。

一方、楚軍で媧 燐に抜擢され五千人将となった項翼が臨武君の敵討ちを狙い莫邪刀を振りかざして、騰に突進。それとともに媧 燐が騰軍の要となっている隆国軍の方陣を撃破しようと動き出す。そこへ隆国の援護として現れたのは生死が不明だった録嗚未と干央だった。昌平君から授けられた斜陣がけの高等戦術を駆使していた蒙武軍を、貝満剛摩諸軍が襲い、その勢いを殺す。しかしものともせず、蒙武は楚の大将軍汗明へ一直線に向かう。ついに汗明と対峙した蒙武と汗明の激烈な一騎打ちが始まった。

 広大な楚国の中を縦横無尽に動き、国境を接する各国に攻め入り恐怖に陥れ続けた汗明。楚を攻めようとした秦の六将・王齕さえ汗明には撃退されていた。百戦錬磨の汗明に対し蒙武がどこまで抵抗できるかは心もとなかったが、激しく切り結ぶ中で、蒙武の未知の力が覚醒する。互いの腕を砕き合う激戦に、もしものことを考えた媧 燐は弟の媧偃を汗明の援護に差し向ける。 媧偃の動きを見抜いた蒙恬がその後を追い、汗明への加勢を阻止しようとするが、媧偃の攻撃をかわす際にバランスを崩し、蒙武と汗明の一騎討ちの間に入ってしまった。

その瞬間、汗明に斬られる蒙恬。眼前で蒙恬が斬られ、激怒した蒙武は渾身のちからで汗明をに打ち掛かる。その絶え間ない猛撃についに汗明は崩れ落ちるのだった。蒙武は汗明を討った勢いのままに汗明軍を次々に撃破していき蒙武軍の勝利を決定づけた。 しかし、その頃、合従軍本陣の李牧、春申君へ媧 燐から勝利は目前となった、函谷関を通り抜ける準備をされたい、との報が入る。汗明の敗北とともに崩れたと思われた媧 燐の戦略にはさらに奥があったのだった。別働隊として精鋭部隊5千が真の狙いを達成するため、既に函谷関の裏側へ到着していた。ついに突入を開始し、なだれ込んだ媧 燐の精鋭部隊5千が内側から函谷関の正門を開放しようとする。秦軍は防ぎようもなく、函谷関陥落を覚悟した瞬間、現れたのは王翦軍だった。王翦はオルド軍を打ち破った後、さらにこの危機をも見抜き、瀬戸際で函谷関の援護に間に合った。秦軍は危機一髪で函谷関を守り抜くことができたのだった。 合従軍による15日目の総攻撃は、ギリギリのところで秦軍が凌ぎきり失敗に終わった。結局、函谷関に阻まれた合従軍全軍は、燕軍を除き、開戦前の位置に軍を退却させていく。

秦陣営に安堵の雰囲気が漂う。しかしまだまだ気を緩めるのは早すぎると、最前線の麃公や信は李牧の動きを探っていた。李牧ならこちらが窺い知れない何か途轍もない戦略を必ず仕掛けているはずだった。それから2日間が平穏に過ぎたが、開戦18日目に、咸陽に続々と落城の急報が入る。落城しているのは咸陽に通じる北道を守る函谷関付近ではなく、咸陽に通じる南道を守る武関に近い城たちだった。

趙軍を主力とした合従軍は、大軍の進軍には狭すぎる南道へ、山の中を通り、入り込んできていた。累計の軍勢は4万人を数え、しかもあの李牧自らが率いていることが判明する。開戦初期から兵を数千人単位で山間に送り込み、大軍勢に育てあげていたのだ。李牧は函谷関での趙軍をあえて南道に最も近く配置していた。趙軍12万に対峙していた秦軍は4万であり、趙軍から少しづつ累計4万の軍が消えても誰も気づかなかったのだ。李牧は配慮も怠らなかった。15日目の合従軍総攻撃が失敗に終わった後、 実際の戦闘には合わないと知りながら、 各国軍から精兵千人を別働隊として呼んでいた。もしこの南道からの奇襲部隊が咸陽を陥落させても趙軍単独ではなく合従軍全体の勝利であるとの絵を描いていたのだ。この李牧の戦略に合従軍の中で気づいているものはいなかった。しかし、麃公だけは、肌感覚で李牧の動き察知し、飛信隊を引き連れ、追跡を開始していた。一直線に南道を目指した 麃公軍は、秦軍から隠れながら兵を進めていた動きの遅い李牧軍に追いついた。李牧は必勝戦術・流動を仕掛けるが、麃公は本能的直感で流動の本質を捉え李牧のいる本陣まで攻め込んでいく。 

麃公の本能の力は李牧の理解の範疇を超えていた。これを余裕の面持ちで称賛した李牧は、切り札の龐煖を立ち向かわせる。 王騎を斃した男がこの龐煖だと知り、一騎打ちを始めた麃公は、最早自分の周りに味方がいないことに気づく。麃公と共に流動を打ち破り李牧の本陣にまでたどり着いていた兵たちは李牧軍に討たれていた。この絶望的な状況の中に、飛信隊の信たちが徐々に近づいてきた。しかしそれに気づいた麃公は、こちらに構わず 咸陽へと進めと叫ぶ。 龐煖に左腕を斬られた麃公は、逆に龐煖の左腕を折るが、そこまでだった。龐煖に討たれた麃公の仇討ちに向かおうとする信を、壁が止める。麃公軍は2千に激減しながらも咸陽を目指す。しかし麃公戦死の急報を受けた咸陽には絶望が蔓延していた。 その最中、咸陽陥落は時間の問題と見て取った呂 不韋が動く。呂 不韋は朱凶たち暗殺集団を王宮に忍ばせ、嬴 政を暗殺しようと図る。 この呂不韋の不穏な動きに気づいたのは、かつて秦国左丞相竭氏の右腕であり、成蟜の反乱を取り仕切っていた肆氏だった。肆氏は昌文君に彼が見抜いた呂 不韋の思惑を伝える。 呂不韋は嬴 政を暗殺し、それと引き換えに李牧と和睦交渉を始め、 城も明け渡し、今後の自分の地位の保全を図るつもりだと。

 一方、嬴 政は、王宮から忽然と姿を消していた。 昌平君を隠密裏に訪れた嬴 政。 昌平君に、国家存亡の刻、呂氏四柱としてではなく軍総司令としての立場から意見を聞きたいと話す。これに昌平君も呂氏四柱としての立場を離れ、胸襟を開いて 嬴 政と真摯に打開策を練った。この結果、 嬴 政は咸陽の喉元にある最後の城・蕞に自ら出陣し、 一般市民たちの力を動員して李牧軍と最後の決戦に臨むと決断する。  

合従軍侵攻 - 蕞防衛戦(31巻 - 33巻)

 企んでいた暗殺は間に合わず、王である嬴 政自らが出陣したことを知った呂不韋は、苛立ち、昌平君に詰問する。まさか嬴 政に助言などしてはいないなと。昌平君は、今は秦軍総司令として以外のことは取るに足らぬ小事と冷然と返す。秦国のために最善を尽くそうとしている昌平君は元は国出身だが現国丞相としての立場を貫く。呂氏四柱でもある昌平君のこの態度に、怒りが収まらない呂不韋。元は国出身ではあるが、現秦国相国である彼は主の嬴 政が留守の玉座に腰掛けようとする。そこへ突如現れたのは王弟・成蟜だった。

 函谷関で麃公から指示された通り、一路、南道から咸陽へ向かう、麃公軍の残兵と飛信隊たちは気力も体力も限界まで消耗しながらも前進を続けていた。この先に待っているものは、ただ絶望だけだとは知りつつ、互いに無言のまま、咸陽へ向かう道のりの最後の城・蕞に食糧の補給のため入場する。ところが蕞には、嬴 政が彼らを今や遅しと待っていた。嬴 政は、共に戦いに来たと言う。麃公軍残兵と飛信隊たちは、実情は知りえないながらも、そこに一筋の希望の光を見出していた。蕞を守り切れるかどうかに秦国の運命を賭けた政たちは状況を調べ始める。

住民は3万。しかしこのうち、2万は女・子ども・老人で、兵士は千のみであることが判明する。これに麃公軍残兵と飛信隊合わせて約2千。嬴 政が率いる兵が2千。合計しても兵は5千しかいない。ここに至り、嬴 政は3万の住民を兵士として自覚させ、4万の李牧軍と戦うことを決意する。嬴 政は住民全てを集結させると、一人一人に向かい、秦王として、心を込めて語りかける。この戦いに勝つかどうかに、秦国の歴史が今後も続くかどうか、滅亡するか、全てが掛かっている。子や次の世代の子を列国の奴隷にさせてはならない。そのため共に最後まで戦おう。嬴 政の言葉を受けて1人、2人と、次々住民が立ち上がっていき、ついには老若男女全てが最後の1人まで戦い抜くことを誓うのだった。

 蕞の住民の士気は、これ以上望めないほど高まり、兵の士気も甦った。そこへ、咸陽から蕞の指揮官不足を見越した昌平君が送り出した介億をはじめとする百名の指揮官級軍師たちが到着。介億はが学んだ軍師学校の講師、蒙毅は貂の兄弟子だった。介億たちの綿密な軍略により城壁へ兵が配置される。住民たちも各々武器を持ちより、李牧軍と戦う準備は整った。蕞城を取り巻いた李牧軍4万の大軍勢から李牧が進み出ると、今降伏すればただの一人も殺させないと説得を始めたが、住民たちの誰一人として受け入れる者はいなかった。 紀元前241年、蕞攻防戦がついに開戦となる。嬴 政側の指揮官は、正面・南壁に嬴 政・貂・蒙毅。東壁に。北壁に介億。西壁に昌文君という布陣である。初日はまだつばぜり合い程度の戦いとなり、正面の飛信隊と東壁の麃公軍が敵を跳ね返し、日が暮れていく。しかし、その日の夜から朝まで、李牧軍は緊張して警戒している蕞軍を疲弊させるためだけに形だけの夜襲をかけ続けた。

翌早朝、貂は夜襲をかけ続けていた李牧軍の兵の数がごく少数だったことを知る。敵の狙いはこちらの体力と気力を削り取ることだけだと気づいた貂は、兵たちを休ませようとする。しかし、すでに夜は明け、また戦いの日が始まり、秦軍の疲弊はなすすべもなかった。蕞の住民や兵たちは2日目も善戦を続けるが、昼、ついに李牧軍が動き始める。正面の南壁を護る飛信隊へ三千人将・傅抵の軍が迫り、カイネ軍も追随する。傅抵は飛信隊に攻め入ると百人将・竜川田有を斬り、と一騎討ちとなる。傅抵のスピードについていけず苦戦する信。しかし羌瘣との稽古で学んだ自分のタイミングで戦うことに徹し傅抵を退ける。傅抵に斬られ負傷した竜川と田有が戦線を離脱した飛信隊。貂が指揮を代行し始めたが、そこへカイネが現れ、貂を捕虜にしようとする。助けに現れたのは信だった。カイネと傅抵は城城壁から落下するが生き延びる。2日目も蕞の住民たちの士気が下がらなかったことに李牧は焦燥感を持っていた。  

蕞攻防戦は2日目の夜を迎えていた。初日に李牧が仕掛けた夜から朝まで続いた襲撃により、秦兵や蕞の住民たちの気力、体力は削り取られていた。この夜も李牧軍は夜襲の気配を漂わせ、秦兵たちは休息することができない。そこへ突然、嬴 政が現れた。城内をねぎらいの言葉をかけつつ回っていく嬴 政の姿に、蕞の住民たちは感動し士気が高まる。嬴 政は麃公軍の残兵たちに、必ず生き抜いて後世に麃公の想いを伝えていけと激を飛ばす。疲弊しきっていた兵たちの士気も、再び高まっていった。

その頃、信は昌文君にこの戦の勝ち目はあるのかと尋ねていたが、昌文君からは8日間しのげは活路が見えるはずだとの答えしか出てこない。 3日目が来た。嬴 政の昨夜のねぎらいの効果は続き、蕞の住民たちは疲労の限界を越えてはいたが、皆意気軒昂で戦意をたぎらせていた。李牧軍と対等に戦い、3日目を凌ぎ、4日目も蕞は陥落することがなかった。なぜ蕞の住民たちが士気を高く保てているのか、この謎をまだ李牧は解けていない。

5日目を迎えた戦いの最中、ついに蕞の住民たちは次々に倒れ始める。疲労の限界の果てで、住民たちの精根も尽き果てる寸前だった。その最前線で嬴 政は檄を飛ばし続ける。嬴 政にとってこれが最後の手段だった。身の危険を顧みず、蕞の住民たちを再び立ち上がらせることにしか、この戦の活路は無い。

少年兵が殺害される寸前に、嬴 政が飛び出し、自ら剣をふるい、救い出す。この嬴 政の本当に共に戦う姿を見て、蕞の住民たちの士気が甦る。体と心の限界を気力だけで乗り超えて、続々と立ち上がり始める。

嬴 政が少年兵を助けた効果を目の当たりにした李牧軍の隊長・曹は、嬴 政を殺せばこの戦は勝てると読み、嬴 政に斬りかかる。嬴 政は曹の右腕を斬り落とすが、曹に抱え込まれたところを曹の部下・番陸に斬られてしまう。嬴 政が斬られたのを見た秦兵たちが、悲痛な声を上げたのを見て、嬴 政こそが秦の王だと見抜いた曹は番陸に嬴 政の首を刎ねろと叫ぶ。間一髪、駆け付け嬴 政の命を救ったのは信だった。嬴 政は気力だけで意識を保っていたが、出血はひどく予断は許さなかった。 

秦国の王が蕞にいるとの報が李牧の耳に入る。李牧は、嬴 政さえ捕らえれば呂不韋と交渉し咸陽に無血入城できると確信し、総攻撃を命じるのだった。それでも、蕞は5日目も陥落しなかったが、嬴 政の負傷による秦兵の士気の低下はとどめようがない。6日目には、蕞が陥落することは誰の目にも明らかとなる。ことここに及んで、昌文君は、嬴 政だけは蕞から脱出させようと信に嬴 政の説得を命じる。しかし、信の予想通り、嬴 政に蕞を脱する考えは毛頭無かった。 ついに6日目、李牧軍の総攻撃に士気が下がり満身創痍の秦兵たちの抵抗は弱まっていた。それでもなんとか持ちこたえている彼らの眼前に現れたのは嬴 政だった。嬴 政は青白い顔色を化粧で隠し、馬上で敵に立ち向かう。秦兵たちや飛信隊は、この姿に感動しひと時甦り、竜川、田有信が最後の力を絞り出すように戦う。また北壁を護る介億が各壁に援軍を送り続け、陥落寸前の蕞を救っていた。 

しかし7日目、ついに昌文君が護っていた西壁が陥落する。李牧軍がに突入し城内に雪崩込む。北、東、西の城門も内側から開かれてしまう。蕞城内は李牧軍で埋め尽くされていく。秦兵たちが絶望し崩れ落ち始めたその時、西方の山壁に現れたのは楊 端和が率いる山民族の大軍だった。彼らは蕞に向い、一気に駆け下りて来ると、李牧軍を一方的に撃破し始める。大混乱し阿鼻叫喚する李牧軍。この山の民の援軍を依頼していたのは嬴 政だった。しかし折悪しく、山の民は北の大勢力・バンコと一大決戦の真っただ中であった。この山界の覇を争う大戦を途中で放棄し蕞へ駆け付けるとは不可能のはずだった。そのため山の民の援軍は望み薄であった。  昌文君が信に答えた8日間という数字は山民族が北の遠征地から蕞に到達するまでの 日数だった。楊端和たち山民族は、想定を覆す短期間でバンコとの決戦に勝ち7日日で蕞に現れていた。

 山の民に援軍を依頼していたことはえいせい昌文君のみの秘密であった。 楊端和やバジオウたち山の民の武力に李牧軍は太刀打ちできない。 李牧の戦略をはるかに上回った事態に、ついに李牧は退却するかどうかの決断を迫られていた。ここでの退却は即ち合従軍全体の敗北を意味することになる。退却を決断をしかねていた 李牧の前に、突如、三大天龐 煖が姿を現した。

龐 煖は次々と山民族の戦士たちを殺害しながら楊端和を目指していく。龐煖に真正面から向かって行く楊端和の前に、立ちはだかったのは信だった。信は天下の大将軍になるためには、龐煖を超える必要があったのだ。信は、楊端和に龐煖との一騎打ちを譲リ受け龐煖と対峙する。 龐煖の強烈な一撃を受け、激しく吹き飛ばされる信。一騎討ちが続いていく。    

 蚩尤族・羌瘣、宿敵との闘い(34巻)

合従軍の侵攻から辛うじて咸陽を守り切り滅亡を免れたでは、戦災からの復興と落城した城の再建に国力を傾けていた。各国では合従軍の敗退の責任を問う声が強くなり、李牧春申君などのリーダーたちが左遷の憂き目にあっていた。元・飛信隊蚩尤族羌瘣は、羌明から聞きだした宿敵・幽連の潜伏地へ向かうが、幽族30人に待ち伏せされていた。切り結びながら幽連に迫るも、その武力は圧倒的で羌瘣の剣は簡単にはじき返されてしまう。

王弟・成蟜の反乱(35巻)

軍が古くはの領土だった屯留の地を狙い、に侵攻した。王弟・成蟜が兵を率い秦王・嬴政の代理として死守しに向かう。ところが屯留の城主代行・蒲 鶮に捕らえられたうえ、その名を使われて反乱軍を興されてしまう。秦王・嬴政は、成蟜を深く信頼していたため、成蟜反乱の報にも疑心暗鬼のままだった。昌文君の右腕から将軍に上り詰めた真面目一方のを討伐軍の大将としながらも、成蟜救出の密命を託す。

著雍攻略戦 中華への進出(36巻 - 37巻)

は、の著雍(ちょもう)を攻略に向かう。将軍を大将とし、飛信隊や玉鳳隊(ぎょくほうたい)も結集した。魏軍は、魏国七人の大将軍である魏火龍七師のひとり・呉慶の息子・呉鳳明を総大将にして立ち向かう。戦力が不足している秦だが、次世代将軍の筆頭候補・王賁の献策で勝負に出る。魏の魏火龍七師との決戦が、ついに火ぶたを切る。

嫪毐の乱 秦王・嬴政「加冠の儀」執行 (37巻 - 40巻)

王・嬴政が成人し、「加冠の儀」の執行が迫る。国内外への正式な王としての宣言を行う年齢となる。ところが太后(たいこう)男娼(だんしょう)・嫪毐が反乱を起こす。これは実は呂不韋が嬴政を始末するためにそそのかしたものだった。ついに咸陽の戦いで、決着がつけられることとなり、嬴政に迫る反乱軍に、昌平君が立ちはだかる。

中華統一へ~黒羊攻防戦(41巻 -45巻 )

呂不韋を始末し太后を退けた嬴政は、ついにを掌の上に乗せた。中華統一へ向かい、15年で列国6国を全て攻略する構想を立てていた。15年が秦国挙げての総動員体制で戦える限度だと見切っていた。信も5千人将まで昇格し、秦の6大将軍の1席をつかみ取る寸前まで迫っていた。秦は最初にを攻めた。

次の狙いは趙だった。昌平君は高い技術力を持つ「山の民」と盟を結び、・黒羊丘の攻略を目指す。

黒羊丘を攻略するには密林の中の五つの丘を占拠する必要があった。飛信隊は桓騎軍に合流し趙の三大天に最も近い男、総大将・慶舎と離眼城の名将・紀彗に挑む。桓騎と慶舎、総大将同士の策略がせめぎ合い 地の利を生かす慶舎の戦略に苦戦する。混戦の中、桓騎の非人道的な作戦が進行していた。

列尾陥落(46巻~47巻)

 非人道的な作戦により黒羊丘を占領した桓騎軍の戦略によりは大勝利を得た。 斉王の実質的な降伏宣言を受け、  秦は中華統一に反対する 趙の宰相・李牧に宣戦布告をする。合従軍以来となる大戦がとの間で始まろうとしていた。飛信隊には過酷な試験を受け新たに選抜された1千人が加わった。元・中華十弓の蒼源を父に持つ仁と淡兄弟を始め、身体能力に秀でた兵たちが日々鍛錬に励む。咸陽では、蔡沢が遺した数々の貴重な情報を元に、昌平君が中華統一への戦略を検討していた。一方、昌文君は、政が中華統一後に目指す法治国家を実現するため李斯に教えを請うていた。李斯は法とは願いであり、国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものであると答えた。中華統一後に全中華の人間にどうあって欲しいのか、またどう生きて欲しいのか、どこに向かって欲しいのか、をしっかりと思い描くことができれば、自ずと法の形が見えてくるはずだと。呂不韋失脚後、地下牢に幽閉されていた李斯は中華統一後に必要な法作りに絶対不可欠な人材であると昌文君は政に進言し幽閉が解かれた。

 始皇11年。軍総司令・昌平君は王賁蒙恬を咸陽へと呼び、趙攻略の作戦を伝えたが、その作戦は耳を疑うほどの奇策であった。趙の李牧は対秦の戦を長期戦に持ち込もうとし、次々と城を築いていた。この城を落とすのに時間を要し趙攻略には10年はかかりそうだった。しかしそれでは、嬴政が目指す15年で6国を滅ぼし、中華を統一する目標は実現不可能となる。これを危惧した昌平君の奇策は、趙西部を攻めると見せかけて、実際には趙の王都・邯鄲の喉元にある鄴を攻め、李牧を出し抜く作戦だった。

趙の王都至近の鄴を攻めれば、当然趙は秦軍を包囲し総攻撃を仕掛けてくる。秦軍が全滅する危険性も高かった。しかし戦略の定石からは外れているこの奇策こそが、李牧の知略を打ち砕く唯一の作戦だと昌平君は確信した。この作戦を成功させるため飛信隊、玉鳳隊、楽華隊の3隊には戦況に応じ、独自の判断で戦闘を行う権限が与えられた。嬴政は信たち3名に、この戦で必ず大きな武功をあげ、3人揃って将軍へと昇格しろと激を飛ばす。 

 出陣の日。秦軍20万の総大将は王翦、但し、桓騎、楊端和の3将軍による連合軍であることと趙西部の攻略を狙うという表向きの作戦が発表された。信は今まで預けていた王騎の形見の矛を携え、出陣。秦軍は黒羊へ進軍を開始した。昌平君の奇策を知る者は、3将軍と信・・王賁・蒙恬のみであった。趙では、秦軍出陣の急報を受け、王都の守護神と呼ばれる扈輒将軍へ趙西部への出陣を李牧が指示した。また側近の舜水樹が最前線へ派遣され、秦軍の兵糧の量と補給路を精査させた。秦軍は、偽りの攻略目標・黒羊から真の目的地・鄴へ進路を変える場所・金安を兵糧の中継地としていた。その金安の地下施設で兵糧に見せかけた偽装俵を大量に作り黒羊に輸送していた。とうとう偽装俵のからくりに気づいた舜水樹からの急報を受け、李牧は秦軍が目指している真の目的地が鄴だと喝破する。李牧は直ちに趙王に王都・邯鄲から軍を王都圏の入口・列尾に出兵するよう要請。しかし王は邯鄲の守備を優先させた。李牧は、周辺の城から兵を集めつつ秦軍より早く王都圏への帰還を目指す。

 真の目的地・鄴攻略へ、進路を変更すると、秦軍は王都の国門・列尾を目指した。王翦軍は、趙の李牧軍に先んじて列尾へ到着。王翦から列尾攻略の命を受けた楊端和と山の民の果敢な突撃、飛信隊の弓隊による援護により、列尾を半日で陥落させた秦軍は 入城し、列尾城の隅々まで調査を始める。楊端和や貂が城への強い違和感を感じ、報告のため本陣を訪ねるが、王翦は姿を消していた。王翦側近の亜光が預かっていた王翦からの伝言は、全軍、列尾に3日待機という謎の言葉だった。

 趙の李牧軍に列尾陥落の急報が届き、動揺するカイネ傅抵。李牧は、彼らに列尾城には自らが仕掛けた策が秘められていることを明かした。前もって李牧から策を聞かされていた公孫龍将軍は、列尾陥落後の指示されていた対応通り、軍を陽土へ後退させた。李牧の読みでは王翦は必ず策に気づくだろうが、その結果、秦軍は列尾から先へも後ろにも身動きが取れなくなるはずだった。

王翦が列尾から忽然と姿を消し2日が経った。列尾に待機中の秦軍上層部は、現状の把握のため集い、蒙恬と王賁は列尾城には李牧の策が施されていると指摘した。城壁の高さや動線等がわざと守備しずらいように設計されていたのだ。

趙の王都周辺は北は山脈に、南は大河に囲まれている。山脈と大河に挟まれた列尾から要衝の鄴までは近いが、唯一の出入口の列尾城が塞がれれば、秦軍はどこにも逃げ場がない地形だった。秦軍に列尾城を落とさせ、内側へ誘い込み、趙軍が再び列尾城を奪い返せば、秦軍は袋の中の鼠になる。これが李牧の策の全貌だった。秦軍が後顧の憂い無く鄴を攻め落とすためには、列尾城を死守する必要がある。そのために補給路の確保が必須条件となる。

この厳しい状況を踏まえ、蒙恬は2つの選択肢を提示した。列尾防衛のため兵力を残し、残りの兵で鄴へ侵攻する。もしくは李牧が帰還してくる前に、列尾城の弱点を改修し攻城戦に臨む。しかし王賁や貂は、全軍撤退しかないと主張。これに対し、桓騎は列尾城を捨て、一気に全軍で侵攻し兵糧の尽きる前に鄴攻略を果たす案を示し、王翦はこの案の成功の可能性を探るため姿を消していると明かす。 

そのころ王翦は最終的な攻略地である鄴の城を精査していた。この城は完璧な難攻不落の城だと判断した王翦は、地図で周辺の城や小都市の数を洗い出す。列尾へ戻った王翦は、鄴奪取へ向け進軍を開始する。李牧と王翦の知略戦にこの戦いの帰趨は託された。

王翦は、まず楊端和の山の民軍5万を、北東の陽土に前線を張る公孫龍軍9万の軍に差し向ける。本隊15万は鄴へと進軍し始めたが、突然、進路を大きく北へ変更、小都市・吾多を目指した。吾多城はすぐに陥落したが、民を傷つけた者は斬首という厳命を出し、食糧と城を奪取したのみで民間の住民たちは隣の城まで安全に移動させた。この王翦の意図がつかめず信や蒙恬たちは戸惑うが、王翦は要領は覚えたかとのみ問う。秦軍の本隊はさらに次の城へと向かって行く。

李牧と王翦との間で繰り広げられている頭脳戦は、誰にも全く先が読めなかった。李牧が趙の王都への帰還を急ぐ中、王翦は本来の狙いである鄴を攻めず、その周辺の小城を攻め落としては、兵糧を奪い住民たちを難民化していた。その王翦の意図が全く分からず不信感を募らせた信たちだったが、何の説明も無く、王翦はただひたすら鄴周辺の城を攻めては兵糧を奪い、住民たちを東の方角へと追いやるのみだった。

このため難民となった9つもの城の住民たちは東(趙国の南東部)に向かい延々と列をなしていくこととなった。李牧が王都・邯鄲へ到着したのはその時だった。 李牧の策の核は中華でも屈指の不落城と呼ばれていた鄴へ秦軍をおびき寄せ、封じ込め、兵糧攻めをすることだった。しかし、王翦軍が攻め落とした城からの難民が続々と鄴へ向かってきていることを知った李牧は、王翦の真の狙いに気づき愕然とする。鄴の城主・趙季伯は、続々と増え続ける難民を全て受け入れ食糧を与え続けていた。このため李牧が邯鄲へ到着した時には、すでに鄴に備蓄していた兵糧は、蔵5つ分もが空となっていたのだ。李牧は王翦の真の狙いも自分と同じ兵糧攻めであるこに気づく。王翦は李牧の兵糧攻めの策を見抜いた上で、鄴周辺の趙国の民たちを避難民と化し、逆に兵糧攻めをし返そうとしているのだった。この戦いの勝敗は鄴の兵糧が尽きるのが先か、それとも背水の陣の秦軍の兵糧が尽きるのが先かに全てがかかっていた。

鄴攻略の準備が全て整ったと見た王翦は、ついに今まで完全に秘匿してきた趙王都圏攻略の戦略の全てを明らかにした。王翦の戦略と李牧の策が思惑通りに進み、お互いに兵糧戦を続けていくと、さすがの鄴城内の食糧も尽き果てる時が来る。その前に必ず趙軍は秦の包囲から鄴を秦軍の包囲から解放しようと、なりふり構わず攻めてくることが想定された。王翦は、趙軍の中で秦軍の包囲を崩し鄴を解放できるのは閼与と橑陽の2軍のみだと読んでいた。その上で王翦はこの2軍を迎撃し壊滅させるための布陣を組んだ。 鄴は桓騎軍6万が包囲し続ける。橑陽軍には楊端和軍5万と壁軍8千、桓騎軍の内兵2千が当たる。閼与軍には王翦軍7万、玉鳳隊5千、楽華隊5千、飛信隊8千が迎撃する。趙軍の中でも一番の難敵は閼与軍だと喝破した王翦は秦軍の主力を投じ、自らの出陣を決めていた。閼与軍を李牧自らが指揮してくると確信していたのだ。李牧もまた王翦が閼与軍に秦軍の主力を差し向けてくることを確信していた。そのため橑陽へは10万の軍を側近の舜水樹、公孫龍に指揮させて投入し、主力軍を李牧が指揮し閼与に向かった。鄴が陥落するか趙軍の手の内に残るかは閼与での戦いの帰趨に託されることとなる。

鄴攻略戦~秦趙激突!!(48巻~50巻)

鄴攻防戦が開始された。鄴の包囲を任された桓騎軍は、秦軍の包囲を突破しようとする趙軍を撃退し続ける。一方、橑陽では、楊端和率いる山の民の軍勢が一気に突撃し、守りに入っていた舜水樹、公孫龍の軍は受けに回るのみで、崩壊の危機に早くも瀕していた。閼与の朱海平原では、いよいよ大決戦が始まろうとしていた。王翦軍を主軸とした秦軍は総勢8万8千、趙軍は12万を数えた。秦軍の左翼を楽華隊5千、対する趙軍右翼は紀彗・馬呈軍3万。秦の中央軍は王翦軍と飛信隊で合計5万8千。趙の中央軍は李牧軍で6万。秦の右翼は亜光軍と玉鳳隊2万5千。対する趙軍左翼は馬南慈・岳嬰軍3万を数えた。秦軍は蒙恬率いる楽華隊5千が第1軍として出撃する。対する趙軍の右翼は紀彗軍3万。この兵の数の差をいぶかしみながらも李牧は呼応し紀彗軍を突撃させる。蒙恬は王翦の期待に応え、騎馬で急襲しては離脱し、そのたびに紀彗軍の戦力を削いでいく。紀彗は蒙恬軍の機敏な動きに対応していくが、そこへ突如、中央に位置していたはずの王翦軍と麻鉱軍5千が突撃してくる。しかもさらに5千の騎馬隊が現れ、さらに1万の歩兵部隊が波状攻撃を仕掛けてきた。紀彗は、秦軍の波状攻撃に疲弊している兵たちに、兵力の差と離眼兵の質の高さで必ず反撃できると檄を飛ばし続ける。

同刻、秦軍の右翼では、王翦軍の第1将・亜光将軍が王賁へ玉鳳隊は好機が来るまで待機という戦略を伝えていた。趙軍の左翼・岳嬰軍1万に亜光軍が対応するが趙軍の第2陣・馬南慈に苦戦を強いられているのを見て、王賁は待機の命を破り、玉鳳隊を馬南慈軍に突撃させる。この機転の利いた動きに亜光軍は危機を救われた。さらに王賁は前線に向かおうとするが、馬南慈が目の前に姿を現す。馬南慈には趙国北の極地・雁門で大騎馬民族・匈奴から中華を守ってきた自負があり、秦王が六国全てをその手の上に乗せようとするこの戦いに強い違和感を抱いていた。王賁は中華を統一して一大国にするという秦王の想いこそが中華史が求める答えであるとして馬南慈に対峙する。馬南慈と王賁は一騎打ちへ。王賁の槍の実力は紫伯との戦いを糧に技量が増し、中華の五指に入るレベル。王賁の猛攻に防戦一方となる馬南慈。突然、持っていた矛を王賁へ投げつける。馬南慈の狙いは間合いを詰めることにあった。王賁の腕を掴むと落馬させ、その顔面へ拳を振り下ろす。そこへ亜光が突撃。亜光と王賁は力を合わせ馬南慈を討ち取ろうとするが、難敵の岳嬰が加わり戦は膠着状態に。

 そこから南西に約三百先で、もう一つの重要な戦いが同時進行していた。山界の王・楊端和対橑陽軍の戦いだ。援軍にやって来た壁は敵軍圧倒する山界の民の戦い振りに驚嘆していた。しかし楊端和は敵の戦い方の単調さを不審に思い、何か狙いがあると踏んでいた。そこへ突然、少数の騎馬隊が前線と本陣の間に現れる。その騎馬隊の足下に捕えられた山の民たちがいた。その騎馬隊を率いていたのはこの軍の総大将・舜水樹だった。

舜水樹は捕虜にした山の民をその場で次々と処刑し出した。公孫龍はようやく総大将が到着されたと、すぐさま迎えの隊を送った。本陣に到着した舜水樹は、いきなり全軍退却を命令。驚愕する?陽軍の兵士たちに、舜水樹は、この戦いで勝つにために敵を深く引きこむ。一人残らず息の根を止めるためだと言う。舜水樹は、橑陽の牙で、秦軍たちの肉を引き裂くと予告する。敵軍の突然の退却に困惑する壁と楊端和。不自然な退却に敵の策を危惧しながらも、すぐさまその後を追う。

敵が退却していく先に趙軍にとって有利な戦場があるのか、強力な援軍がいるかだろうと、楊端和率いる山の民たちは推測していた。少し周りの風景が変わって来た時、狼の遠吠えが鳴り響く。退却していく公孫龍軍の部下の一人が、?陽の牙とは一体何の事なのかと問う者がいた。舜水樹はそれに答え、今ここにいる軍は橑陽軍だが、真の?陽城の兵ではないと言う。その意味は不明だった。次の瞬間、崖上に展開している軍に気づいた兵たちが騒めき出す。舜水樹は、橑陽城には趙人と異なる人種の人間が巣食っていると告げるのだった。その軍勢たちの様子を窺っていた楊端和は、全軍に敵の突撃に備える様にと命令する。異なる人種とは何かと問われた舜水樹は、あれは犬戎、かつて中華の周王朝をその手で滅ぼした犬戎族の末裔だ。その者たちが城を占拠していると言う。崖の上に軍勢を展開する犬戎、その者たちの姿は狼の毛皮を纏う異様なものだった。崖の上から突撃してくる犬戎に楊端和率いる山の民は、劣勢だった。挟撃される危険を避けるべきと、壁からも進言され、楊端和は仕方なく撤退を指示。ロゾはここぞと追撃し、山の民の半数を葬ろうとしていた。撤退命令を出したものの犬戎に次々と背後から討たれる同胞の姿に表情を険しくしていた楊端和。近くの山からこちらへ向かって来る犬戎の部隊に気づくと、メラ族・タラ族・コン族を率い立ち向かう。楊端和が率いた部隊は、下から攻めると言う圧倒的な不利な状況の中、犬戎たちをなぎ倒していく。山を確保した楊端和はすぐさま引き連れてきた弓部隊に一斉五射を命じる。下にいる犬戎たちに矢の雨を降らすと、上から一気に逆襲に出る。その武力は圧倒的なものだった。そんな楊端和の勇に呼応し壁たちも合流していく。

橑陽より北東へおよそ三百里の戦場でも決戦が続いていた。王翦から紀彗の首を取ってくるように命令された信。騎乗に優れた800人の兵を率い、趙将紀彗がいる左の戦場へと到着した。戦場では蒙恬率いる楽華隊が紀彗を追いつめている。信は蒙恬の活躍に手をこまねいている場合ではないと言う羌?と共に紀彗を倒すため出陣した。 突撃する飛信隊の前に立ちふさがったのは、今は亡き劉冬の親衛隊だった。蒙恬や麻鉱へも飛信隊参戦の報が届き、蒙恬は飛信隊を利用して全軍で一気に進撃することを決める。ついに飛信隊と蒙恬率いる楽華隊が戦線を突破し紀彗のもとへ向かっていく。部下たちが大きく動揺する中、紀彗は本陣は捨てず、飛信隊たちを食い止めると宣言する。今のこの戦陣を崩すわけにはいかない、窮地にあるのは我々だけではないと言う。その通り、麻鉱のもとへ姿を現したのは李牧だった。思いもよらぬ李牧の出現に驚く麻鉱はあっと言う間に李牧に討ち取られた。

李牧により、大将・麻鉱を討たれため、残された麻鉱軍の指揮官たちは戦意を失う。勢いづく趙兵たちが秦軍の本陣へ押し寄せるが、飛信隊と楽華隊がなんとか凌ぐ。蒙恬が本陣で麻鉱軍の指揮官、丁陽と高順に現在の軍の状態を訊いたところ、軍は既に崩壊点を過ぎてしまったと嘆かれる。しかし蒙恬は、麻鉱軍は練兵に練兵を重ね個々の力を鍛え上げた兵団だ、失われた士気さえ回復させれば良い。と、麻鉱将軍は、未だ存命だとの嘘の情報を味方内に流させる。その上で蒙恬は信と副長の陸仙に麻鉱の旗を掲げて出陣するように指示。麻鉱の旗がかかげられたことで反撃に出る麻鉱軍の兵士たち。蒙恬は麻鉱軍を復活させるため、伝令に、各地に散った麻鉱軍へ声を届けさせる。それは練兵に明け暮れる日々の中で麻鉱が一番多く兵士たちへかけた言葉だった。それは、立って 戦えという二言。麻鉱軍の兵士たちは、その言葉を胸に、一気に士気を高め、反撃へと討って出ていくのだった。   

麻鉱軍の兵士たちの士気がが復活したのを見て丁陽たちは歓声を上げる。蒙恬は丁陽に動かせる隊を見極め、早急に左右の拠点へ援軍を送るように指示。特に飛信隊の拠点へ騎馬を多く送るように、また正しい軍略で兵を動かせるかどうかで、日没まで麻鉱軍が生き残れるかが決まると告げる。次々と援軍を送ったことで本陣前の兵力が手薄となった。その本陣の真正面に虎視眈々と馬呈の本隊が構えていた。動き出したその馬呈軍が向かったのは、本陣ではなく因縁がある飛信隊へだった。その動きは蒙恬や貂の思惑通り。信も馬呈の動きに気づき馬呈に向かっていこうとする。しかし羌?に否定され、馬呈軍を本陣から引き離す策を取る。外へ向かう飛信隊とそれを追いかける馬呈隊。その様子を見てとった蒙恬は楽華隊の本隊三千騎に合図、もう一つの拠点、陸仙への援軍とする。士気が戻った麻鉱軍と共に一気に前線を押し戻した蒙恬はそこに本陣を移す。紀彗率いる敵本陣が向かってきたが、蒙恬は楽華隊を自ら率いて紀彗軍を翻弄するのだった。日没を迎え戦いの初日の夜が更けた。趙軍本陣で翌日からの戦略を練っていた李牧の元へ紀彗から失敗したとの報が届く。

一方、橑陽で激しい戦いを続けていた楊端和軍と犬戎も日没を迎え、初日を終えていた。互いの損害は大きかった。夜を迎えた鄴もまた、一時的に静かな時を迎えていた。集まった桓騎軍の諸将たちは今日の戦いを振り返っていた。雷土も敵兵の途切れない攻撃に苦慮していた。敵軍に横の連携が無いことが救いだが、もし李牧の大軍が来たらひとたまりもないと考えていた。右翼側では麻鉱将軍が討たれたことと、その左翼を蒙恬が策を用いて持ち堪えたことに驚きの声が上がった。関常は麻鉱が討たれたのは大きいと考えていたが、王翦の息子、王賁はあの人にとっては駒の一つを失ったに過ぎない。王翦は下手な感情を一切持たず、何が起ころうと冷静に勝つための戦略を練り上げていくと語る。 

 一方、左翼では、明日以降、誰が左翼を率いるか決めかねていた。そこへ中央本営から伝令が来る。麻鉱将軍亡き後、総崩れを持ち堪えた奮闘とそれを導いた蒙恬に対する感謝が伝えられた。さらにこの戦の間に限り、蒙恬を将軍の位へ格上げすること、 左翼の全権限を与えることが告げられる。驚愕する信たち。伝令を送った王翦は副官から左翼について訊かれ、蒙恬は私と李牧の間に入るほど戦いが見えている、ただし、明日以降、火が付くのは左翼ではなく右翼だと断言するのだった。

将軍に昇格した蒙恬を楽華隊の面々や麻鉱軍の将校たちが歓待、信だけが困惑していた。その信に伝令が。左翼での役目は終わった、夜のうちに中央本陣へ戻れとの指示だった。二日目、秦軍の右翼は初日と戦型を変え、玉鳳隊を最初から陣の右端に。趙軍の左翼も、戦形を変え、第三の軍趙峩龍軍一万が馬南慈軍の真後ろについた。馬南慈の号令により二日目の戦端が開く。楽華隊の正面に構える岳嬰は前夜、趙峩龍から王賁を葬ると聞いていた。すぐさま趙峩龍軍が右方の玉鳳隊を率いる王賁を狙って動き出す。それに気づいた亜攻が救援へと向かおうとするが、阻止する馬南慈。やむを得ず亜攻は副官の英紀に、八千を率いて王賁を救援することを命じる。亜攻は馬南慈との戦いへ。

趙峩龍の攻撃を受けた玉鳳隊は、なんとか凌ぐものの圧倒的に劣勢になる。しかし王賁は戦わず、じっと状勢を伺っていた。勝利を確信した趙峩龍は、王賁の首を取って来いと部下に指示。動かないまま王賁は、以前蒙恬から聞いた、大将軍の見ているという景色のことを思い出していた。どうやら王賁にはその景色が見えているらしい。番陽を呼び、巻き返すぞと叱咤する。隊を分け動き出す王賁は、趙峩龍軍と岳嬰軍のいない方向へ脱出を図り出す。その動きを見てとった趙峩龍は、想定内の動きだと慌てることなく対応。しかし王賁は玉鳳隊の本体ではなく、その真逆に向かう千騎の兵たちを率いていた。趙峩龍軍と岳嬰軍の境目を抜こうとしていたのだ。

趙峩龍はそんな王賁の動きが、包囲を抜け、亜光援軍に逃げ込むつもりだと推測。左へ回りこめないように壁を作った。しかし王賁は旋回せず直進。王賁が向かう先には味方はいない。趙軍の陣営内で孤立無援となって絡めとられるだけだと思われた。しかし王賁は攻めに行っていた。狙いは横陣の弱点だったのだ。戦いの基本である横陣を互いに採用すると、横陣同士の正面からのぶつかり合いになる。ここで警戒しなくてはならないのは裏側。横陣は裏を取られると前後から挟撃される。予備隊を置き、この裏側を守るのが肝要だった。もう一つの横陣の弱点は、端。端に対をつけられると、挟撃され陣が粉砕されてしまう。 

王賁は趙軍の裏を守る予備隊を交わしながら、馬南慈軍の弱点、左端を目指していた。王賁軍の動きに亜光が呼応する。上手くいけばこの二日目で馬南慈軍を完膚なきまで叩けるかもしれない。馬南慈軍へ攻め込んだ王賁は蒙恬の言葉を思い出していた。六将とかの類いの大将軍はどんな戦局どんな戦況にあっても、常に、主人公である自分が絶対に戦の中心にいて全部をぶん回す、自分勝手な景色を見ていたんだと思うよ。王賁はそんな蒙恬の言葉を思い出しながら槍を振う。劣勢から見事に攻撃に転じた王賁に趙峩龍はかつて仕えていた主、元三大天廉頗と重なるイメージを見ていた。王賁に呼応し、亜光軍千人将である亜花錦も動きださす。王賁は趙峩龍の動向を見つめていた。その趙峩龍は混乱する各隊や岳嬰軍に指示を出す。岳嬰軍には玉鳳隊本陣を追撃させ、趙峩龍軍は亜光軍援軍八千を叩き、王賁軍へは騎馬一千を突撃させる作戦だった。しかし、この戦場の流れは秦軍有利に傾き、最早、趙軍には止められないところまで来ていた。

その頃、二日目を迎えた橑陽での戦いもまた、初日とは違い、秦軍に有利な展開になっていた。犬戎との戦いに慣れてきていたのだ。そんなせめぎ合う戦場を離れた趙軍の大将・舜水樹は、ある隠密作戦を狙っていく。

二日目、秦の左の戦場は初日とは打って変わり、完全な膠着状態だった。それは戦力で勝る紀彗軍に負けまいと、秦左翼の蒙恬が狙っていた展開だった。馬呈を先頭に剛の戦い方で押してきた紀彗軍に、蒙恬は柔で対応したのだ。一方、秦右翼では、帰還してきた王賁たちが亜光軍から歓声を受けていた。右翼の戦いは王賁の奇策と、それに呼応した亜光軍により、馬南慈軍へ再起不能なほどの打撃を与えていた。しかし亜光と王賁は、明日必ず李牧は手を打ってくると考えていた。厳しい面持ちで軍略会議へと臨むのだった。

そして飛信隊は全く出番が無かった。左翼へ向かった兵たちも戦功を上げることができなかった。しかも、いつもより食事の量が少ないことに気付き、不満を漏らす兵たちもいた。これは王翦が兵糧を絞って来たからだった。この戦いは想定以上に長引きそうだったのだ。秦軍の兵糧は減る一方で、戦いの日数が伸びるならば、その分食べる量を減らして調整するしかない。この戦いは兵糧との戦いでもあったのだ。その橑陽に、大事件が勃発する。その報を聞いた壁は、誤報であってくれと馬を走らせる。しかし、その願いも空しく辿り着いた先で壁が目にしたのは壁軍の兵糧庫が燃えている光景だった。

秦の食糧庫が燃える前、舜水樹はロゾに秘密の地下道について訊いていた。趙国内ではあるが治外法権である橑陽には、対趙国有事の為、地下に脱出経路が張り巡らされていた。舜水樹はロゾに、楊端和軍の食糧庫につながる地下道を訊いていたのだ。しかし教えられたのは壁軍の食糧庫へとつながっている地下道だった。食糧庫が燃え落ちたのを見た壁は、その被害の大きさに呆然としていたが、桓騎のいる鄴へ兵糧を送ってもらうべく伝令を飛ばした。兵糧の被害の大きさから、これからの戦いはかなり厳しいものになりそうだった。

 三日目、壁は兵糧消失の失態を挽回しようと、遮二無二攻撃に出る。しかし、逆に空回りし壁軍は犬戎軍の受けの戦術にはまり、大打撃を受けた。また桓騎軍に向けて放った伝令たちは趙軍の網にかかり全滅。壁からの兵糧要請は桓騎の元に届かなかった。

三日目を迎えた朱海平原では、亜光率いる右翼軍が趙軍と睨み合いを続けていた。李牧が何か策を打ったことがわかり、動くに動けなかったのだ。そこへ趙の中央軍から援軍一万が敵方に到着。右翼軍の士気が下がるが、王賁が玉鳳隊に檄を飛ばす。この戦いの勝者は相手の中央軍を破った側になる。今、敵に中央軍から一万の援軍が来たということは、相手の中央軍が手薄になったということなのだと。

王賁の檄は玉鳳隊や亜光軍の兵たちの士気も一気に上げる。そんな秦軍の歓声は李牧の元にも聞こえた。だが李牧には全く焦る様子は無かった。そして、廉頗と肩を並べた偉大な三大天・藺相如は智と勇を兼ね備えていた。しかし武を担っていたのは部下の優秀な将軍たち。その将軍たちを束ねていたのが、今、中央軍を指揮している尭雲なのだ。三大天の武が負けるわけはない、と語るのだった。

中央軍からの一万騎の援軍に士気が上げる趙兵たち。古参兵の一人は尭雲のことを知っていた。若い兵たちに尭雲たちのことを語り出す。まとっている空気他の兵たちと明らかに違う騎兵、あれこそが尭雲直下兵団、雷雲だ。数は二千騎ほどに過ぎない。しかし、あれこそが現存する幻の三大天、藺相如の軍勢なのだと。幻と呼ばれているのは、藺相如がその絶頂時に突然病に伏し、そのまま絶命したためだった。その儚さ切なさから幻とうたわれた。その死を誰よりも深く悲しんだのが尭雲だった。藺相如軍の将は十人いて、藺家十傑と呼ばれていた。

しかし藺相如が亡くなった後、八将はまるで殉死するように、勝ち目のない戦場に身を投じては戦死していった。そうした中、尭雲と趙峩龍の2人のみがが、藺相如の死を看取り、その後矛を置いていた。その2人が光も早く再び顔を合わせたのは予想外だったが、その原因は王賁の活躍だった。尭雲は趙峩龍に、この地こそ偉大なる主が最後に我らに予言された朱海平原だと話す。趙峩龍もその言葉の意味を悟り、人知れず涙を流すのだった。

尭雲率いる軍勢・雷雲により、秦軍の前列が瞬殺される。その光景を見た趙峩龍は、あの時のことを思い出す。死の間際、藺相如が尭雲と趙峩龍に、俺を追って死ぬ事は許さぬと告げた時のことだった。藺相如は夢を見たと語る。それは二人が朱き地に勇ましく立ち、敵を屠っている姿だったのだ。藺相如は尭雲にその時は朱き平原を敵の血でさらに深き朱に染めてやれと告げていた。今まさに尭雲はその遺言のままに、自らの矛によって秦兵の血で大地を染めていた。尭雲とその直下兵団である雷雲の進撃に呼応して、趙峩龍とその直下兵団、土雀と岳嬰軍も動き出す。これら三軍の動きに王賁が対応しようとする。しかし正面の馬南慈軍までもが進撃してきた。

秦の中央軍にいる王翦は、この戦いに危うさを感じ一計を案じていた。尭雲に深く入り込まれた亜光軍は、動きを封じられていた。この危機的状況に王賁が救援へ向かう。しかしその動きは的に予測されていた。王賁は罠に陥り、包囲されてしまう。包囲した敵兵は王賁の一撃をもものともしない精鋭部隊だった。何とか方位を突破しようとする玉鳳隊だったが副長・番陽が攻撃を受け落馬してしまう。番陽に槍が突き立てられようとした、その瞬間、窮地を救ったのは信率いる飛信隊だった。王賁は、信に共闘を提案され、受け入れる。苦戦を強いられながら、信と王賁はお互いに悪態を吐きつつ、敵を次々と討ち取っていく。さらに羌 瘣が援護に入った。雷雲を相手に奮戦する信たちを見ていた尭雲は、飛信隊の名を聞き、李牧がその名を挙げていたことを思い出す。また信と王賁の二人にはかつての六将と同じ匂いを感じていた。2人が本物に化ける前に討ち果たそうと十槍と共に尭雲が動く。次の瞬間、こちらへと近づいてくる地鳴りに気づいた。地鳴りと共に姿を見せたのは飛信隊全軍八千だった。趙兵たちの間に動揺が走る。貂の指示の元、飛信隊の動きは素早かった。しかし信は王賁に、王翦からもう右に援軍は送らないと言われていた。右は自分たちだけで、勝ちきらなくればならない。信は飛信隊の先頭で、檄を飛ばす。

飛信隊全軍は、城攻めとは違う本物の戦場に初めて立った。新兵たちは浮足立っている。それでも貂の指示通り、陣を構え終えた飛信隊。亜光軍に集中していた趙軍の攻撃は止む。その隙に亜光軍は陣を立て直す。飛信隊と亜光軍が右翼の戦場にがっちり布陣したのだった。飛信隊の新兵たちの未熟さを突こうと、尭雲小隊を差し向ける。その小隊は重装騎兵だった。応戦する矢も効かず瞬く間に新兵たちへ襲い掛かる。新兵たちはなすすべもなく打倒されていく。

貂はすぐさま救援を出そうとするが、信には直感があった。飛信隊はそんなにヤワじゃないと。様子を見ていると、干斗など主だった新兵たちが傷を負いつつも立ち上がり始める。そこへ弓矢兄弟による援護射撃が始まった。チャンスを見定めた干斗が先陣を切り、趙軍に襲い掛かる。新兵たちが奮起し、形勢は一気に逆転へ。趙の小隊は不利を悟り、その場から退こうとする。しかし、その退路を崇原たち歩兵隊が塞いでいた。貂から敵の軍がかつての三大天の主力を張った尭雲だと伝えられた信。奴らを倒して俺たち飛信隊が今の英雄になると宣言する。

尭雲軍一万と飛信隊八千は正面から真っ向勝負の激戦を続けていた。新兵たちにはわかっていなかったが、飛信隊の隊長たちは、自分達が劣勢にあると気付いていた。趙兵たちの練度が異常に高かったのだ。羌瘣も当然ながらその事に気付いていた。小隊・中隊の力が拮抗している今、勝敗を決めるのは用兵術つまり戦術の差でしかない。そのための軍師、貂だったが、羌瘣はあらゆる局面で後手に回っていると感じていた。

しかし、信が率いる中隊だけは後手に回っていないようだった。その戦いの様子を見ていた羌瘣は何かに気付く。

本陣で指揮をとる貂は、全ての策が裏目に出ることに困惑していた。対処法に頭を悩ませていたが、そこへ信と羌瘣が現れる。その信は敵の狙いを正確に見破っていた。ただの直感だという信の言葉に、貂は、だから理屈で考えても敵の動きが読めなかった訳だと気付く。相手の将、尭雲もまた信と同じく本能型の将だったのだ。信の直感によると今すぐ手を打たなければ、大敗することになる。

羌瘣は本能型には本能型だと、今から信に飛信隊全軍の指揮を取らせると言い出す。信が飛信隊全体の指揮を取り始め、戦場の展開は一気に違う様相を見せ始める。尭雲もまた、戦場の様子を見ながら、これまでと戦場の気配が違うと感じる。指揮官が代わった事、しかもその相手が自分と同じ本能型であることに気付くのだった。

飛信隊本陣では信が指揮を取り始めてから、困惑が広がっていた。しかし戦場の流れに貂が指揮していた時よりも対応ができていた。貂も戦局は好転していると判断していた。しかし対応してはいるものの何とか食らいついているという状況で、尭雲の方が、信より何枚も上手なのは明らかだった。

そんな劣勢の中、後方の予備隊は全く動かせていなかった。それは尭雲がもっと大きな炎を戦場に上げようと狙っているからだった。しかし信にも尭雲がどこを狙っているのかまだわからない。

ついに尭雲が大きな動きを見せる。信もまた、すぐにその動きに気付き、相手の狙いを察知した。羌瘣に予備隊を率いさせ、先に向かわせる。自分もすぐに向かうつもりだった信だが、なぜ、自分も一緒に行かなかったのか、疑問と胸騒ぎを覚えていた。

羌瘣が敵の狙いであるはずの渕の元へ救援に向かう中、信は直感で尭雲が本当は何を狙っているのかに気づく。本陣守りの騎兵を伴ない羌瘣らが向かった場所とは、信は別の場所へと向かうのだった。そこは右の戦場でで大炎が起こったために出来た敵本陣までのか細い道筋だった。信は自分に見えたということは相手にも見えたという事だと直感する。向かった先には、敵大将である尭雲の姿があった。互いが率いる兵たちが戦況に戸惑う中、先に動いたのは尭雲だった。信も手にした矛で迎え撃つ。しかし尭雲の打撃はあまりに重く、馬ごと弾き飛ばされる。尭雲の武は凱孟に匹敵する紛れもない本物だった。尭雲は信の矛が王騎のものであったことを知っていた。かつてその矛を叩き折る為に自分は戦っていた、我が主が短命でなかったら六将など全員地の底に沈めていたと。信は尭雲と再び一騎討ちへ。しかし信は王騎の矛を使いこなせていない。尭雲に押され、矛の嘆きが聞こえるようだ、お前は運良く王騎の死に居合わせ、ただ矛をもらっただけの運がよかっただけの男だと罵倒される。信は王騎の最期と矛を渡された時のことを思い出す。王騎の後継者として矜持を矛に籠め尭雲へ一撃を放つ。信は続けざまに尭雲に打撃を加えていく。 

楚水や我呂たち、左翼や右翼を任された飛信隊の将たちも必死の戦いを続けていた。羌 瘣のいる中央は激戦に火花が散っていいた。崇原の武力を目の当たりにした新兵たちは感嘆の声を上げる。それをも遥かに凌ぐ鬼神のごとき動きで、羌かいは趙兵を切り捨て続けていたい。朱海平原三日目の戦いは、秦軍右翼と趙軍左翼がその中心となった。激烈を極めたのは、新戦力として投入された飛信隊と尭雲軍との戦いだった。最強の尭雲軍を送り、一気に右の戦局を趙に傾けんとした趙軍総大将李牧の思惑をなんとか凌いだ飛信隊。しかし、その代償は甚大だった。飛信隊の夜営地では死者の名を呼ぶ力無き声が、寒々とした静寂の中にこだまし続けた。 

副長の羌 瘣も激戦のため、疲労の色が濃い。尭雲との一騎討ちで満身創痍となった信も天幕で横になっていた。二人は、この戦いに勝つには、自分たちの死力を尽くしきるしか無いと悟っていた。一方、尭雲は馬南慈に今日戦った秦の将たちの評価を語っていた。左翼での決定的な敗北を、見事に挽回した蒙恬、趙峩龍の策の裏を取り、馬南慈軍に楔を打ち込んだ王賁、かつての六将を思い起こさせた信と羌 瘣。趙にとって最悪の展開はこの侮れない才を持った彼らが六将級に成長してしまうこと。秦にとって最悪なのはその四人に加えて王翦、桓騎、楊端和、この七人をこの戦いで全員失うことだと。尭雲はこの七人さえ倒せば秦の武力は半減する、この戦いは、この先の中華の歴史を大きく左右するほどの戦いだ、そして、この戦いを勝利に導くのは歴代最強の三大天李牧だと語るのだった。 同じ頃、趙軍中央軍大本営本陣の李牧のもとへ、鄴の戦場から報せが届く。それは秦軍の兵糧があと十日ほどで尽きるという推測だった。李牧は、鄴の秦軍の兵糧が尽きてから、敗北を認めるまでの期間を二十日間だと宣言。勝利を確信した趙の将たちは、皆、歓喜の声をあげるのだった。 

趙との戦況が嬴政へ届く。伝者は満身創痍だった。咸陽への出入り口である列尾を封鎖されたため、ほとんどの伝者が途中で斃されている様子。伝えられた三日目までの戦況は、兵の数では劣っているものの互角であるとのこと。しかし問題は、兵糧があと何日分残っているのか。現地に三日目までいたこの伝者によると、それから五日経った今、残りの兵糧は五日分ほどだった。これを聞かされた重臣たちの間に動揺が走る。しかも伝者は、さらに追い打ちをかけるように、壁軍の兵糧が焼かれてしまったと伝えるのだった。橑陽では、開戦から八日目を迎えていた。兵糧不足で食糧を切り詰めているせいか、楊端和軍と壁軍の旗色は悪かった。腹をすかした兵たちの間で内輪もめも起こり、戦どころではない雰囲気が漂い始める。兵糧は、あと三日で尽きる。この事態に、ついに楊端和が起死回生の一手を打つため、全族長に召集をかける。山の民の全族長を前にした楊端和は、食糧があと三日で尽きる、取れる選択肢は二つしかないと明かす。選択肢の一つは、今すぐ撤退し、死に物狂いで西の山界まで逃げ帰る道。もう一つは、残る三日で目の前の敵を討ち破り、その食糧を奪い取る道であると。山の民たちの総意は、後者の道をとることで一致する。しかし敵の全勢力もわからず、食料を貯蔵している城を攻め落とすには、奇跡が必要だった。

楊端和は、我らの身を切る作戦で臨むと告げる。その作戦とは、明日一日でロゾの血族であるゴバ・ブネン・トアクの三兄弟の首を取ることだった。この三兄弟こそが犬戎軍の大剣であり、三人さえ討ち果たせば犬戎軍の武は半減するとのだと楊端和は語る。そしてバジオウ率いる直下軍、フィゴ族、メラ族の三軍に作戦遂行の命令を下す。黙って作戦内容を聞いていた壁は、そもそもこの戦いは秦と趙の戦いだ、なぜ山の民のあなた方がそこまで血を流してくれるのかと問う。楊端和が戦友だからと答えるのに応じ、壁は明日の三軍の一角を我が軍に任せて欲しいと嘆願する。

朝を迎えたが、まるで三兄弟の首を取る作戦が敵に読まれたかのように、敵軍の数が増えていた。壁はそれに構わず、兵士達に檄を飛ばし、軍を前へと動かす。それに呼応しブネンがすぐさま騎馬隊を差し向けた。壁軍の兵士たちは、慌てず騒がず、何百回と繰り返してきた基本戦術を駆使して騎馬隊へと対処する。数にものを言わせ、一気に壁軍を突破しようと図る騎馬隊を、返り討ちにしていった。壁軍の奮闘に戸惑ったブネンは騎馬隊を一旦戻すと、歩兵隊を前進させた。壁軍もまた歩兵隊を前面に。互いの主力である歩兵戦が、ついに歩兵戦が始まった。そこへ隣の戦場から大きな音が鳴り響く。バジオウ率いる直下軍、フィゴ族も、ついに敵との戦闘を開始したのだ。

楊端和は、この戦場の空気に、後の無い勝負の気配を感じているようだった。勝負を決する九日目の戦いが始まった。桓騎軍は鄴を蟻のはい出る隙間もないように取り囲んでいたが、敵は一向に戦いを挑んで来ない。その理由を訝る桓騎に摩諭が報告する。鄴側の兵糧が我々よりも多いこと、王翦と楊端和が勝利し兵糧を奪い取って届けてくれない限り勝利は無いことを。その上で摩諭は兵糧が残り一日分となった時には、鄴の包囲網を解き、撤退することを願い出る。桓騎もこれを受け入れるしか無かった。

 一方、朱海平原での戦いもまた、兵糧戦の様相を呈していた。信は王賁や亜光たちと打開策を練る。兵糧はどんなに節約しても、あと4日か5日しか持たない。すると3日間で敵を打ち破り、次の1日で本営中央軍と一緒に李牧の中央本陣を突破、最後の1日でぎょうへ向かうというシンプルな作戦が浮かび上がる。兵糧は鄴へ向かいながら途中の小城や村から調達すると言う王賁。しかし民から略奪することに納得できない信と激論になる。亜光軍の副官である虞寧に仲裁された二人は、どのようにして三日間で敵を討ち破るのか策を練る。相対する趙の左翼は四将が横並びになり戦線を敷いている。特にどの将を打ち取れば敵が総崩れになると言うことも無い。結論として狙いは個別撃破になった。1、2日目に一軍を撃破し三日目で残る二軍を一気に討つことになる。特に大事な1日目は四軍の中で一番力が劣る岳嬰を討つことになる。亜光は玉鳳隊と飛信隊の二隊に岳嬰軍を撃破することを命じる。

残る三軍の相手を亜光軍が受け持つこととなった。しかしその作戦には秦軍にとって大きな誤算があった。李牧から亜光軍の弱点について教えられていた馬南慈の動きを読んでいなかったのだ。(個別撃破)

朱海平原の戦い九日目。相対する敵が飛信隊だと知った岳嬰は、ようやく慶舎の仇を討てると気持ちを高ぶらせていた。

王賁は信に作戦を伝えた。飛信隊が前に出て戦えば因縁のある岳嬰は前のめりに攻めて来る。その機を逃さず玉鳳隊が回り込み、側面から岳嬰を討つと言うものだった。

本格的な戦いにそれぞれの軍が大きく動き出す中、趙峩龍は敵の狙いが岳嬰であることに気付いていた。それはすなわち、残りの三軍を亜光軍が引き受けることになる。それならば望み通りにと、岳嬰に飛信隊と玉鳳隊を任せ、趙峩龍は亜光軍へと向かっていく。

秦軍の狙い通り、趙軍の三軍が一気に亜光軍に向かっていく。しかし亜光軍の守りは鉄壁だった。三軍の同時攻撃に耐え、第一防陣さえ抜かせなかった。長年王翦軍の第一将を務めていた亜光は、王翦軍の守りそのものを使いこなしていたのだった。

その亜光軍の守りを遠く離れた場所から見ていた李牧は、亜光を大軍の総大将になれる有能な将だ、亜光を討ち取れば王翦軍も恐れるに足りずと考えていた。

李牧から策を受けた馬南慈は、亜光の守備を崩壊させる、突撃体勢で待て、と尭雲・趙峩龍へ伝令を送る。

一方、岳嬰軍も王賁の狙い通り、攻勢に出ていた。慶舎の仇である飛信隊の信を目の前にして士気が沸点に達していたのだ。(王翦の守り)

メディアミックス

テレビアニメ

2012年6月から2013年2月にNHK BSプレミアムで第1シリーズ(全38話)の放送がスタート。2013年6月から2014年3月には第2シリーズ(全39話)が放送された。その後NHK総合テレビでも放送されている。第1シリーズでは秦の六大将軍王騎が壮絶な死を遂げ、の戦いが終結を迎える第173話までが、続く第2シリーズでは合従軍による秦への侵攻が始まる第261話までがアニメ化された。なお、第1シリーズでは、キャラクターや合戦シーンに3DCGが取り入れられている。

実写映画

第1弾『キングダム』2019年4月19日公開。第2弾『キングダム2 遥かなる大地へ』2022年7月15日公開。第3弾『キングダム 運命の炎』2023年7月28日公開。監督は3作全て佐藤信介が務め、を山﨑賢人、および嬴政を吉沢亮が演じる。

舞台

『舞台「キングダム」』のタイトルで2023年2月5日、帝国劇場で初日公演。脚本は藤沢文翁、演出は山田和也務め、を三浦宏規と高野洸、および嬴政を小関裕太と牧島輝が演じる。

小説

『キングダム THE ANIMATION』のタイトルで、TVアニメをノベライズ化。作者は映画『バクマン。』のノベライズも手がけた久麻當郎。第1巻「王と剣」、第2巻「初陣」、第3巻「大将軍」の3冊が刊行。

ラジオドラマ

2008年、集英社のネットラジオサイト「集英社ヴォイスコミックステーション-VOMIC-」で全8回のラジオドラマが放送された。

ゲーム

2010年11月、KONAMIからPlayStationPortable用ソフト『キングダム 一騎闘千の剣』が発売された。を主人公にした3Dバトルアクションゲームで、原作の物語を追体験できる「オリジナルストーリーモード」のほか、原作とは異なるシチュエーションを楽しめる「アナザ―モード」も用意されていた。2015年には、モバゲーがスマートフォン用アプリ『キングダム-英雄の系譜-』の配信を開始。こちらは『キングダム』の世界を舞台としたシミュレーションRPGで、原作に登場する武将たちを登用・育成し、自分だけの軍を編成できる。

社会に与えた影響

TVアニメ化を記念し、『キングダム』26巻の全コマをユーザーが1コマずつ模写し、1000人でコミックスを描き上げるというイベントがWeb上で行われた。この企画「ソーシャル『キングダム』」には1087人が参加し、「史上最多人数で描き上げた漫画」としてギネスにも登録されている。なお、この企画には一般のファンに加え、尾田栄一郎荒木飛呂彦井上雄彦ら漫画家や、アニメ『キングダム』のキャストなども参加している。

著名人との関わり

雨上がり決死隊がMCを務める「アメトーーク!」の「なぜハマる?『キングダム』芸人」の回で、本作が取り上げられ話題に。「『キングダム』大好き芸人」としてケンドーコバヤシ、サバンナの高橋茂雄、平成ノブシコブシの吉村崇、小島瑠璃子らが出演し、本作の魅力を熱く語った。

登場人物・キャラクター

(しん)

黒髪を後ろで縛った目つきの鋭い少年。頑固で自分の意志を曲げない、強気な性格をしている。戦災孤児であり下僕の身分だったが、「天下の大将軍」になることを夢見て鍛錬を続けていた。「王弟の反乱」で窮地に陥った秦王・嬴政に助力したことで平民となり、戦場で武勲を重ね異例の出世を遂げていく。 底知れぬ武の天稟の持ち主であり、格上の強者との戦いを繰り返すことで、さらにその力を格段に飛躍させていく。「王弟の反乱」で知り合った秦王・嬴政とは、「迷いなく信を置ける戦友」として強いつながりを持っている。第一話冒頭で「李信」と呼ばれている通り、中国・戦国時代の秦の武将・李信をモデルに創作された人物。 血の気が多く、短気な性格で考える前に体が動くタイプ。動物的な勘と腕力の強さで自分独りの戦闘力だけを頼みの綱としていた。秦の六大将軍の王騎や名将たちと戦場をともにし、隊を率いるようになり戦局を見る目や臨機応変な戦い方をマスターする。「天下の大将軍」としての軍才を徐々に培っている。 昌文君から武功の恩賞として、土地と小屋を賜り下僕の立場から平民となった後は、初陣で戦果を挙げて百人将になり、対趙軍戦で王騎配下の特殊百人隊「飛信隊」の隊長に任命される。さらには王騎から矛を受け取り、その意思を継ぐものとなる。その後も功績が認められ、三百将に取り立てられる。魏軍との決戦では大功をたて、千人将へ昇格。対合従軍戦には、三千人将へ昇格という、まさに立身出世を体現していく。敗走に次ぐ敗走の時期も多々あったが、前向きにそれを乗り越えて「天下の大将軍」を目指し戦い抜いていく。

(ひょう)

信の幼馴染で親友。ともに下僕の身ながら「天下の大将軍」という夢を持ち、鍛錬に明け暮れていた。二人の対戦成績は1253戦334勝332敗587引き分け+勝敗不明2戦。昌文君に見いだされ、信を置いてひとりだけ王宮に仕官。召し抱えられた理由は不明だった。王弟の反乱が起きた時、刺客から深手を負わされながら信の元へと戻ってきた。 秦王・嬴政と瓜二つの容貌をもっていたため、身代わりとなったことが判明。このことがきっかけで、信は嬴政や昌文君といった秦の有力者たちと関わりを持つようになり、死亡した漂の夢もあわせて背負うようになる。

嬴 政 (えい せい)

秦の第31代目の若き王。わずか13歳で王位につく。後の始皇帝。紀元前259年出生。少年ながら冷徹でポーカーフェイスを崩さない肝の据わった性格。武芸の修練も怠りなく、信を胸倉を掴んで片手で持ち上げるほど腕力が強い。部下を信頼し、着実に事を成す度量と、中華を統一する野望を持っている。容姿は漂と瓜二つ。かつて趙で人質の子として暮らしていた時は、過去の戦争の記憶のため趙の人々から憎しみを受けていた。この影響で味覚・痛覚・嗅覚が感じられなくなり他人に一切心を開かなくなってしまう。しかし、昭王が崩御し秦へ戻れることとなり、五感や人に対する信頼感を回復。秦での政治的基盤は当初弱かった。このことから弟・成蟜の反乱を招き、危機に陥る。昌文君の忠節と信の活躍によりこの危機を切り抜けた嬴政だったが、国を牛耳る丞相(じょうしょう)・呂不韋との政治力の差は明かで、国内掌握はまだ道半ばである。 また、趙時代の因縁もあり、母親の太后とも反目している。そんな中で、昌文君、壁といった側近たちと協力し、嬴政は着実に政治基盤の強化に努めていく。各国連合の合従軍との戦いの際には、都・咸陽を衝いた趙の李牧に対し、嬴政自らが出陣することで、最後の拠点・蕞を守り抜き、国内に王としての威と度量を示した。 信のことを「迷いなく信を置ける戦友」として認め、その動向に関して影ながら気を配っている。中華を初めて統一した秦の始皇帝、嬴政をモデルとした人物。

河了 貂 (かりょう てん)

梟鳴(きゅうめい)という山民族の末裔。ならずものが集う黒卑村に住んでいる。鳥の頭を模した蓑を被って行動する少女。女子であるが、身を守るためずっと男として過ごしてきたため、男口調であり合理的な性格。 幼くして天涯孤独となったため、生き抜くためのあらゆる知識や技術を身につけている。日銭を稼ぐのが得意。字も読め史についても詳しい。料理の腕は抜群でレパートリーも広い。ご馳走から保存食まで、その味は信の絶賛だけでなく冷静な羌瘣の表情が変わるほどの絶品。信と出会った時は盗賊の手引きをしていた。金が欲しいために嬴政と信に協力していたが、次第に心を開き、本当の仲間となる。「王弟の反乱」では信とともに嬴政を助け、以降、信と村で生活を共にした。 武将として名をあげていく信や、女性でありながら凄まじい武を身につけた羌瘣を目の当たりにし、彼らのように強く生きていくため、軍師となることを志願し、昌平君のもとに弟子入りする。その後、昌平君のもとで軍師としての才能を開花させ、千人将となった信率いる飛信隊の一員となる。その卓越した軍師としての作戦能力で、信を補助するようになった。この際、初めて自分が「女の子」であることを信に打ち明けた。 飛信隊では軍師がいないため敗戦続きだった隊に、的確に指示を出し数々の隊の窮地を救い勝利に導く。対合従軍戦の蕞の戦いでは仲間を救う情に厚いところを見せている。著雍(ちょもう)攻略戦では、自分のミスで敵に囚われてしまうが冷静に人質交換を待つ。秦統一戦では、加冠の儀の危機を昌平君からの暗号文を読み解き鎮圧に功をなす。咸陽攻防戦でも昌平君の軍を援護し勝利に導いていく。

羌 瘣 (きょう かい)

伝説の暗殺者集団の「蚩尤」の名の後継者候補として育てられた羌(きょう)族の女剣士。始皇帝に仕えた秦の将軍、羌瘣がモデルだが、本作では女性として描かれている。幼少のころから修練を積み、巫舞という剣技を使い緑穂(りょくすい)という剣で戦う。蚩尤を決める「祭(さい)」で姉同然の羌象が幽族の連に策略で殺されたため、復讐者となる。 対魏国戦で蚩尤となった幽連の居所を探すため、秦軍側に参加し、そこで初陣の信と同じ伍のひとりとなり運命の糸がつながる。一度は羌族の元に戻ったが、幽連の手がかりを掴むために嬴政の暗殺計画に加わり、信と再会する。その後、幽連が趙にいることがわかり、対趙戦に参加して信が隊長を務める飛信隊に副長で迎え入れられる。孤独で狷介な性格の羌瘣にとって、飛信隊は初めて得た心の安らぐ居場所だった。趙の三大天の龐煖との激戦を戦い抜くが、あくまで自分の本懐は仇討ちに専念することだとの思いから、山陽攻略戦の後、飛信隊から一時的に離脱する。羌瘣には飛信隊で達成したい願いが2つあり、1つ目は大将軍になることで、2つ目は信との子供を産むことである。

成蟜 (せいきょう)

嬴政の腹違いの弟で秦の王族。生母が王族の娘であるため、自分が純血の王族で正当な王位継承者と考えている。幼少の頃から王宮で育ち、常に思いのままに生きてきており、冷酷で傍若無人な性格である。王族こそが支配種との考えで、反逆者を処刑することになんのためらいも持っていない。突然現れた庶民の母を持つ嬴政が王位を継いだことに強い反感を持ち、竭氏と組んでクーデータを画策するが失敗し、幽閉された。 しかし呂不韋との権力闘争を続ける嬴政により幽閉を解かれ、協力を誓い人間的にも成長する。

瑠衣 (るい)

屯留(とんりゅう)の出身の成蟜の第一夫人で秦の王族。成蟜が王位を狙う反乱に失敗した後も、離婚せず付き従っている。屯留へ里帰中に、成蟜が反乱を起こしたとされ牢に幽閉される。

(れい)

秦の王族。嬴政と向の間に生まれた女の子で第二子。顔や気の強さが嬴政に似ている。扶蘇とは異母兄弟。

扶蘇 (ふそ)

嬴政の長男で秦の太子。次の皇帝として考えられている。

昭王 (しょうおう)

嬴政の曽祖父。3代前の第28代秦王。55年間もの在位中のほとんどを、戦場で過ごし戦神とうたわれた。秦の六大将軍たちのカリスマで王騎に中華統一の野望を託す。

荘襄王 (そうじょうおう)

秦の君主。嬴政と成蟜の父で前第30代秦王。呂不韋の財力のおかげで秦王となる。在位はわずか5年間。

穆公 (ぼくこう)

嬴政より約400年前の第9代秦王。愛馬を山民族に食べられてしまったが、怒らず、逆に酒をふるまい友好的な関係を築く。

郭景 (かくけい)

嬴政の曽祖父、3代前の第28代秦王昭王の甥。「嫪毐の乱」で樊琉期に斬られた。

昌文君 (しょうぶんくん)

若き秦王・嬴政を支える家臣。元々は嬴政の教育係で一番の側近。元は武官で、昭王が秦王だった頃は王騎に認められる程の武人であった。王騎からは摎の素性という重大な秘密を打ち明けられる。「王弟の乱」直前に武官から文官に転向し、命がけで政を補助した。呂不韋の相国(しょうこく)昇格にあわせて右丞相(うじょうしょう)となり、その対抗勢力して頭角を現していく。 漂を見いだし、政の影武者としたのも昌文君の差配によるものである。合従軍との戦いでは、嬴政に同行して山民族の助けを借りながら活躍。性格が義理堅く真面目で忠義に厚く、嬴政や部下たちからの信頼は絶大なものがある。中国・戦国時代の秦の政治家・昌文君をモデルとする人物。

竭氏 (けつし)

秦の左丞相(さじょうしょう)。王宮では呂不韋につぎ2番手の勢力。野心家で常に自分の利益のみを考えており、買収もお手の物。王族を「呂氏の犬」とあざけっていたが、表面上は成蟜を敬って呂氏を蹴落とすことを狙う。成蟜のクーデーターに協力し、一挙に秦を手に入れることを目指す。

肆氏 (しし)

秦の左丞相(さじょうしょう)・竭氏の参謀。竭氏の右腕と呼ばれ、竭氏の横柄な命令にも黙って従う。沈着冷静で忍耐強い。竭氏が成蟜のクーデーターに協力した際には、兵や軍備の手配をした。反乱が失敗した後は竭氏勢力のまとめ役になり、その後、嬴政の陣営に加わる。

呂 不韋 (りょ ふい)

元は商人で一番を目指していたが、趙で前秦王の荘襄王に出会う。当時、荘襄王は子楚(しそ)と名乗っていた。呂不韋は子楚を秦王にするために全財産を投資し、さらに自分の許嫁だった太后を后とし譲る。秦王になった荘襄王から功績を認められ右丞相(うじょうしょう)となった。昌平君からは秦の歴史の二大丞相(じょうしょう)、商鞅・范雎に比肩するとまで言われている。 竭氏が成蟜のクーデターに協力して失墜した後は、秦の最大勢力となり、太后と密通し後宮勢力を味方に付け、ついに大臣の最高職の相国(しょうこく)の座にまで上り詰めた。嫪毐の反乱を利用し秦の新王になろうと画策している。加冠の儀の後に嬴政と会談した際には、互いに相容れない考えであることを確認することとなる。

昌平君 (しょうへいくん)

呂不韋が丞相(じょうしょう)になった時に右腕として登用され、呂不韋が相国(しょうこく)になった際、右丞相(うじょうしょう)に昇進した。秦の軍事の総司令官としての顔も持ち自費で軍師育成機関を運営し、また才能がある優秀な若者を探し食客として招くなど秦を富ますための人材を養成している。嬴政を刺客から守った信を、最も手に入れたい若者と発言している。 呂不韋四柱のひとりで、もちろん呂氏派ながら軍略家としては呂不韋の意見にも背き、理にかなった作戦を遂行する。加冠の儀の前には飛信隊に暗号文を送危機を伝え呂不韋と決別した。常に中華統一を見据えた軍略を実行している。

李 斯 (り し)

秦内外の法律に精通しており、法の番人と呼ばれている。昌平君と一緒に呂不韋に人材として登用された呂不韋四柱のひとり。呂不韋の相国(しょうこく)に昇進した時には左丞相(さじょうしょう)になるとみられていたが、昌文君にせり負けた。呂不韋が太后と密通した噂の真偽を確かめるため呂不韋に詰め寄る融通の利かない真面目な性格。

蔡 沢 (さい たく)

昭王時代には丞相(じょうしょう)を務め、その後は秦の外交の最高官。主に自分の出身国・燕を担当している。「強き者にのみ仕える」という考え方を持っている。呂不韋四柱のひとりで合従軍から斉を離脱させた功労者。

道 剣 (どう けん)

昌文君の命令を受け幼少の嬴政を趙から脱出させるための手引きをした。昭王の家臣。商人の紫夏に協力を依頼し嬴政の脱出に命を懸ける。

単 元 (たん げん)

昌文君の命令を受け、幼少の嬴政を趙から脱出させて秦へ逃がすための手引きをした道剣に従い、嬴政の脱出に命を懸ける。

田 慈 (でん じ)

幼少の嬴政を趙から脱出させ秦へ逃がすための手引きをした道剣に従い、嬴政の脱出に単元と共に命を懸ける。

寿 白 (じゅ はく)

幼少期から成蟜の面倒を見てきた教育係。失脚した後の成蟜を見放さなかった忠実な文官。嬴政と意思を通じ合った成蟜の成長を見守っている。成蟜とともに屯留(とんりゅう)城で蒲鶮に牢に入れられる。

蒲 鶮 (ほ かく)

屯留(とんりゅう)城の城主代行。呂不韋と通じていて瑠衣を牢へ監禁。さらに成蟜や寿白をも拘留した。成蟜を反乱の首謀者に仕立てて討とうとしたが、成蟜に脱獄される。

(きょう)

昭王の実の娘で戦神といわれたその血を開花させた、秦の六大将軍のひとり。王騎の召使いとして育てられた。幼い頃に王騎と「将軍になって城を100個とったら摎を王騎様の妻にしてください」という約束をしている。昭王とも対面しお互いに親子であることを暗黙の了解で悟り、素性を探られないように仮面を付ける。馬陽城攻防戦で龐煖と一騎打ちをするが、この城こそが王騎と約束した100個目の城だった。 史実では男性である。

白 起 (はく き)

長平の戦いの秦軍総大将で秦の六大将軍筆頭。投降した趙の兵40万人を兵糧の不足と反乱の危険性を理由として全員生き埋めにし、趙から秦が深い恨みを買う理由を作った。敵の勢いをかわす戦い方を得意とし、廉頗は「六大将軍の中でも最も戦いづらい、正真正銘の怪物」と述べている。両目がせり出し血走った怪異な容貌を持つ。

王 齕 (おう こつ)

秦の六大将軍の中で一番の怪力で大斧が武器。楚の汗明が一騎打ちで破ったと言っているが本当かどうかは不明。顔を斜めに走っている大きな傷跡と長い鬚髯が特徴的。

胡 傷 (こ しょう)

秦の六大将軍のひとりでプロフィールや武器は不明。謎に包まれた将軍。

司馬 錯 (しば さく)

秦の六大将軍のひとりでプロフィールや武器は謎に包まれている。

王 騎 (おう き)

秦の六大将軍のひとり。昭王の時代にありとあらゆる戦場にどこからともなく現れ、猛威を振るったことから「秦の怪鳥」と呼ばれる。人を食ったような態度と冗談ぽい会話が多く、本心や真意を読み取りにくい複雑な性格。個人としての戦闘能力は抜群に高いが、戦場の隅々まで見渡せる戦術眼が素晴らしく、指揮能力は秦一とうたわれている。 王騎が生まれたのは武の名家・王一族の分家で、少年時代から戦場に出て活躍していた。若くして百将になり、その時には昌文君の後輩だったが、あっという間に大将軍になった。また秦の六大将軍のひとり・摎の出生の秘密を昌文君から託されている。戦神・昭王の崩御をきっかけに第一線を退いてしまうが、若き秦王・嬴政に王の器を見たことにより秦軍総大将として戦場に復帰する。

(とう)

王騎軍の副官として常に王騎を補佐してきた。冗談が好きで王騎のものまねをしたり、風呂場で泳いだりもする。王騎から「あなたの実力は私に見劣りしません」と言われた通り、相手を死にいざなう高速で円を描く剣技は圧倒的で、「ファルファルファル」というユニークな音が出る。王騎が戦場から離脱する際、王騎から王騎軍の全てを託されている。

録 嗚未 (ろく おみ)

王騎軍の第1軍長で王騎軍の中では最強と言われた。李牧が秦、趙の同盟を持ちかけた際には激怒して剣を抜きそうになり、宴席で文官を投げ飛ばしたりと非常に熱い性格である。

隆 国 (りゅう こく)

王騎軍の中で録嗚未に次ぐ数の兵を率いる第2軍長。秦に趙が侵攻してきた際には、蒙武を止めて壊滅的な損害を受けるのを避けようとする。蒙武から才能を認められて部下にならないかと誘われるが辞退している。王騎が騰に王騎軍を託した証人でもある。騰軍の参謀になり将軍に昇進していく。

鱗 坊 (りん ぼう)

王騎軍第3軍長。舌鋒が鋭く敵将に厳しい皮肉を浴びせる。王騎軍の第3軍長。合従軍戦で楚軍の臨武君のすぐそばまで敵陣を突破。録嗚未と共に斬りかかる。

干 央 (かん おう)

死闘を得意とし、突破力は録嗚未からも一目置かれている王騎軍の第4軍長。趙との戦いで馮忌を打ち取ることを命ぜられ信と一緒に追い詰める。合従軍戦では乱戦の中、録嗚未軍と共同して媧燐軍の背後から急襲した。また、著雍(ちょもう)戦にも参戦している。

同 金 (どう きん)

趙への侵攻戦で趙の本陣を強襲する役目を負っていた。合従軍戦で秦に侵攻してきた楚軍の臨武君と戦う。

黄 楼 (こう ろう)

王騎軍の古参武将で歴戦のつわもの。趙の三大天の龐煖の摎や秦の将軍たちの、まるで敵を値踏みするような上から目線の戦い方を記憶している。

蒙 驁 (もう ごう)

白老(はくろう)の名で呼ばれる秦の大将軍。昭王の時代から戦場で奮闘し、昌文君には「極めて凡庸な将軍で、強き敵に勝つことは難しいが、弱き相手には絶対に失敗がない」と評されている。蒙武の父で蒙恬・蒙毅の祖父。地道に昇進してきたが斉軍に所属していた頃、伍長、什長、百将、三百将、千人将のどの立場でも一度も廉頗に勝てなかった。そのため蒙驁は斉軍での出世を諦め、蒙武と秦へとやってきた。 蒙驁の特筆すべき能力は、訳ありや癖が強い武将を手のうちに入れ、その美点を生かし、最高のパフォーマンスを引き出すところにある。桓騎と王翦の二人の副将はまさに癖のある武将だが、見事に蒙驁は使いこなし蒙驁軍の勝利の大半を生み出させている。抜擢人事を行い結果を出したものにはきちんと報いるが、反対に結果を出せない者は降格させる、飴と鞭の使い方がうまい。戦闘では老将として、じっくり本陣で全体の指揮を執る。たとえ芳しくない戦況でも笑みを絶やさず大きく構えている。攻城戦を得意としじっくりマイペースで戦い、負傷した武将への見舞いや兵卒への心遣いも小憎らしいほど。 ストレスが高まり煮詰まると深夜に一兵卒に変装して自軍の陣営内を徘徊し、草原に寝転がりながら頭の中を空っぽにする癖がある。蒙驁が大将軍としての重責を担いながらそのプレッシャーに押しつぶされることなくマイペースで戦果を挙げることができたのは、このストレス解消法のおかげである。またその時、蒙驁は狩りをしていた信と知り合った。魏軍との戦いのさなか、過去に勝ったことのない廉頗と40年ぶりの因縁の対決を迎える。

羅 元 (ら げん)

蒙驁軍の中核を担う将軍。鼻に大きな傷跡がある。魏への遠征戦で輪虎と対決する。

栄 備 (えい び)

蒙驁軍の将軍。魏への遠征戦では第二陣を指揮する。「ムハハ」と冗談を言いながら笑い、信などの新任・千人将を気遣っていた。戦いの最終日、土門とともに対魏戦で輪虎と戦う。

乱 銅 (らん どう)

蒙驁軍の千人将。魏の高狼城で弱いものをいじめ乱暴していたのを信にとがめられ、斬られる。強きに従い弱きを挫く戦乱を利用する心の小さな人物。

常 氾 (じょう はん)

蒙驁軍の新千人将。輪虎に翻弄され人数が足りなくなった千人将に就任。輪虎軍と相まみえる。

土 門 (ど もん)

蒙驁軍の将軍。栄備とともに対魏戦で輪虎と戦う。

蒙 武 (もう ぶ)

蒙驁を父に持つ呂不韋四柱のひとり。蒙恬、蒙毅の父。次世代の秦を担うと王騎から言われている秦軍最強の将軍。自分が中華最強と自負しており、それを証明するために昭王の時代に中華を席巻した秦の六大将軍制度の復活を嬴政に進言した。その戦い方は、軍師たちが考えた策や計を圧倒的な武力で完膚なきまでに叩き潰す。 対趙軍戦では、防衛戦が得意な趙の李白の変幻自在な陣を押し破っている。合従軍戦では騰軍と連合して楚軍と対決し、楚の汗明との一騎打ちに臨む。

丁 之 (ちょう し)

蒙武の副官。愚直なまでに蒙武を補佐する。

来 輝 (らい き)

蒙武の副官。蒙武を諫めることなく補佐に徹する。

麃公 (ひょうこう)

王騎も一目置く秦の大将軍。戦場をひとつの燃え盛る大炎ととらえており、炎が戦の推移の中で巨大に燃え盛った匂いを逃さず、自ら最前線に乗り込み、一気に敵の総大将めがけて突進する。鋸の様なギザギザの歯と長刀のような武器、そして棘の仮面と盾で本能のままに最前線で戦う。麃公が先陣を切って戦う武力と、麃公を守り盛り立てるために一緒に突撃する部下たちの連携は誰にも止められない。 昭王に咸陽へ呼ばれていたが、あくまで前線で戦い続けていたため、秦の六大将軍に劣らない実力を持ちながら中央の兵士たちの間では知名度が低かった。合従軍戦では3倍の兵力を持つ趙軍と対決し、敵本陣まで攻め込んだ。

桓 騎 (かん き)

蒙驁軍の副将で、野盗時代に城を攻め落とした時、住民全員の首を刎ねたことから「首斬り桓騎」の異名を持つ、元野盗団首領の若き将軍。将軍となっても敵兵の目をえぐりとり、敵陣に送り付けたり、投降兵たちを惨殺してしまう冷酷無比な性格だが、秦の六大将軍級の武勲を挙げ、王騎や蒙恬からは化物と呼ばれている。 秦王・嬴政を値踏みするほど傲岸な性質だが、なぜか蒙驁には敬語を使い従順。野盗が蒙驁の副将となったのか、その理由はわかっていない。野盗上がりならではの、ルールにとらわれない奔放な兵法で敵を圧倒する。変装して敵本陣に潜入するなど奇策が得意。合従軍戦では函谷関を守り、魏軍の巨大井闌車と戦う。今後の秦が勢力を伸ばしていくには不可欠な才能を持つ。

オギコ

桓騎軍の千人将。ならず者の仲間からは言動が頼りなく思われているが桓騎は信頼している。独特の風貌で、尖った髪型や鼻輪が目立つ。伝令や接近戦の戦闘力は高い。

那 貴 (な き)

桓騎軍の千人将。黒羊丘の戦いで、尾平達とのトレードで飛信隊に加入。

ゼノウ

桓騎軍の中でも最強の武力を持つゼノウ一家の長。蒙武よりも体が一回り大きい。

砂 鬼 (さ き)

桓騎軍一の残酷さを持つ砂鬼一家の頭。

倫 玉 (りん ぎょく)

黒羊丘の戦いで、桓騎に同行するが桓騎が味方を斬ったのを見て忠告する。

馬 印 (ば いん)

飛信隊に桓騎が送り込んだ武将。信と争う。

黒 桜 (こく おう)

桓騎を慕う目つきの鋭い女性副官。野盗時代から桓騎の部下で、桓騎を「お頭」と呼ぶ。自分の部下からは「姐さん」と呼ばれている。桓騎の残忍で冷酷な命令を忠実に実行する。武芸の達人で弓は一射で2矢を命中させる。黒羊丘の戦いで副官として五千人将を務める。

雷土 (らいど)

桓騎軍の副官で雷土隊の隊長。尾平に「左目まわりに墨入れてるおっかねえ人」と評される。ヤクザのような風貌をしているが、桓騎が敵陣に突撃する際は軍を任されたこともある。ゼノウとタッグを組み前線で奮戦する。部下からは「メチャ強えし、おっかねえ」と評され、黒羊の戦いでは飛信隊と対をなし左側特攻隊を受け持つ。

摩論 (まろん)

桓騎の側近で奇策を使う参謀で五千人将。一見紳士で口調も丁寧だが、野盗時代からの部下。顔に入れた刺青を自慢している。

角雲

桓騎軍の千人将。黒羊丘の戦いに参戦した守りの達人。奇襲してきた紀彗と対決。

啄 兄弟 (たく きょうだい)

桓騎軍の力自慢の兄弟。油の入った樽を敵陣に投げ込む。

中 貴 (ちゅう き)

桓騎軍の武将で腹心の部下。元野盗で桓騎が将軍になった際に一緒に秦国軍に入隊した。魏との戦いで桓騎に同行。敵の首をはねる。

ホウロ

雷土(らいど)軍の一員。軍が分断されたことを伝える。

巴 印 (は いん)

雷土軍の一員で尾平と共に行動。

王 翦 (おう せん)

蒙驁軍の副将。王騎を輩出した王家の本家当主。王賁の父。桓騎と同様に化物と言われている。秦王の座を狙っているという、黒い噂があり目元を隠す仮面を付けている。数々の戦功をあげているが、危険人物として長い間重用されずにいた。自分の領地を国と公言し、敵将の姜燕などの有能な人材は配下に引き入れようとする。 リスクのある戦いは好まず、危険を感じれば作戦を無視して撤退することもあるが、王翦軍は異常と言えるほどに強く、秦の六大将軍筆頭・白起に匹敵すると廉頗が認めている。だが、副将でありながら作戦に反する行動をとるため、総大将・蒙驁から英雄とは認められない男と切り捨てられた。合従軍戦では燕軍や函谷関の楚軍と対決する。

王 賁 (おう ほん)

次世代将軍の第一候補の三百将。王家の嫡男。父は将軍の王翦。幼少期からの武芸の弛まぬ鍛錬のおかげで、槍術は信の剣技をも圧倒する達人のレベル。必殺の槍術は突き技「龍指」で、初見では見切ることは不可能な技。士族出身者だけで編成された特殊三百人隊・玉鳳隊の隊長に18歳の若さでなり、初老の副長・番陽からは「恐ろしい方」と評されている。 王騎は分家で王賁は総本家の跡取りである。プライドが高く「歩兵は蟻のごとく大集団を形成して戦うこと」が本分で、特殊軍は「貴士族出身の騎兵が行う高度な任務」と考えている。そのため下僕出身の歩兵がほとんどの飛信隊を嫌い、信に敵対心を持っている。

番 陽 (ばん よう)

王賁からの信が厚い玉鳳隊の副長。老練な武将だが傲慢な性格。下僕出身者が多い飛信隊に対し王賁よりも厳しい言葉で卑しめる。

関 常 (かん じょう)

王翦の側近を務めていた実力者の千人将。用兵の能力に長けている。王翦にならい慎重な戦術を好み、王賁の突撃命令を無視することもある。王賁が四千将に昇格した時に王翦軍から編入された。

蒙 恬 (もう てん)

大将軍・蒙驁の孫で蒙武を父に持つ千人将。蒙毅の兄。楽華隊という特殊三百人隊の隊長。飄々とした性格で周囲の期待に応えようとはしないが、武芸の才能は高く大将軍を目指している。ぶつかり合っている信と王賁の仲を取り持つことも多く、軍法会議にかけられそうになった信を救っている。合従軍戦では蒙武と汗明の一騎打ちに横槍を入れようとした媧偃(かえん)と対決する。

陸 仙 (りく せん)

楽華隊の副長。楽華隊の重騎隊を率いている。厚い鎧を身にまとい、並みの矢などものともしない重装備で突撃する。

(えん)

飛信隊副長。壁から命令を受け信との緊急時の連絡係となった。信が王騎に修行させてもらう時も同行し、無理やり修行に付き合わされ、一気に剣の腕が上がり、信に副長に任命される。飛信隊の窮地を救う見事な補佐役を務めている。

楚 水 (そ すい)

元々は郭備隊の副官だったが、千人将に昇格したばかりの飛信隊に編入された。郭備隊は士族だけで構成されていたが、下僕出身の信を将として信頼している。補給路の確保など大事な後方任務もこなせる貴重な職業軍人。左の眼を縦断する大きな傷がある。

岳 雷 (がく らい)

元麃公軍の千人将。飛信隊に編入されたが無骨で無口な性格で、当初は信たちの若さにとまどっていた。また信が麃公に気に入られていたことに嫉妬もしていたようだが、今は信の実力を認めている。

尾 平 (び へい)

信と同郷の城戸村(じょうとむら)出身の古参兵。信の初陣では伍の仲間だった。飛信隊では伍長。歴戦の強者で出っ歯が特徴的。

尾 到 (び とう)

信と同郷の城戸村(じょうとむら)出身で尾平の弟。信の初陣では伍の仲間だった。尾平より背が高く頭は角刈り。飛信隊の伍長。対趙戦では龐煖軍の攻勢の中を信を背負いながら逃げる。

澤 圭 (たく けい)

信が初陣の時の伍の伍長。攻撃力は弱いが戦場で生き残る術を知っており、澤圭の伍では誰も死なない。

沛 浪 (はい ろう)

飛信隊の百将。信の初陣の時から伍長として田有とともに戦ってきた。

田 有 (でん ゆう)

巨漢の飛信隊の百将。信の初陣の時から怪力で有名だった。顔は怖いが心根は優しい。信の戦いぶりを認めている。

中 鉄 (ちゅう てつ)

飛信隊の中でも一番の強面の伍長で、富村の殺し屋の異名を持つ。しかし見た目と違い情に厚く、飛信隊の隊員たちの窮地を何度も救う。

山 和 (さん か)

元は沛浪の伍の一員。沛浪の誘いで飛信隊の一員となる。巨漢で怪力自慢。伍長となる。

脇 次 (きょう じ)

元は沛浪の伍の一員。沛浪の誘いで飛信隊の一員となり、伍長となる。

茷 建 (ばつ けん)

元は沛浪の伍の一員。沛浪の誘いで飛信隊の一員となり、伍長となる。

文 穴 (ぶん けつ)

趙軍との戦いから飛信隊に参加した伍長。龐煖との闘いのさなか、羌瘣から撤退を指示される。

松 左 (しょう さ)

飄々とした性格を持つ飛信隊の什長だが物事の正鵠を射る発言も多い。槍の達人で味方として頼りになる存在。

田 永 (でん えい)

沛浪の誘いで飛信隊に参加した什長。ガラが悪い大男で口も悪く喧嘩っ早い。信にも悪態をつくが信頼はしている。

崇 原 (すう げん)

飛信隊の什長で剣の達人で乱戦で大活躍。趙軍との戦いで左目を失っている。

去 亥 (きょ がい)

飛信隊の百将。対魏国戦で壊滅状態だった秦第二軍の生き残り。信たちが武勲を挙げたのを快く思わず不満を持っていた。

竜 有 (りゅう ゆう)

飛信隊の什長。対魏戦の生き残りで性格に難がある。最初は信に悪態をつき、認めていなかった。腕力には自信がある。意外なことに料理がうまい。

(ほう)

飛信隊の伍長。対魏戦第二軍の生き残りで去亥や竜有らとつるみ信に反抗していた。龐煖軍と対決する。

有 義 (ゆう ぎ)

飛信隊の伍長。対魏戦第二軍の生き残りで坊主頭を信から「ハゲ」とからかわれている。龐煖軍との戦いに臨む。

魯 延 (ろ えん)

飛信隊の什長。戦場の経験が豊富な最年長兵であり、作戦を立て信を補佐している。仲間内からは「魯延じい」と呼ばれている。

竜 川 (りゅう せん)

飛信隊の百将。田有以上の巨漢兵士なため動きはゆっくりだが怪力無双。馮忌を奇襲した際、趙軍の兵士を体当たりで弾き飛ばした。田有の3倍の馬鹿力の持ち主。

(せき)

飛信隊の什長。山の民、青石族の出身で聴覚に優れ、様々な音を聞き分けて勝負所で飛信隊に貢献している。

(こう)

飛信隊の歩兵で信と同郷の城戸村(じょうとむら)出身の少年。小柄で気が弱い性格だが母親に楽をさせるために出世したいという希望を持つ。羌瘣副長が飛信隊を離脱したため、戦術に問題が生じていることに気づく。羌瘣に習った関節技がなかなかのものであなどれない。

(けい)

飛信隊の歩兵で信と同郷の城戸村(じょうとむら)出身の歩兵。同郷の信や尾平とは馬が合い、宴会で仲良く絡んでいる。

田孝 (でん こう)

軍師・河了貂の補佐役として戦場で活躍する。伝令役が主な任務。

ハシュケン

青石族の兵士。山の空気を読むことができる。山の中での戦いでは非常に貴重な戦力となる。

烈 兄弟 (れつ きょうだい)

元郭備隊出身の巨漢の騎兵兄弟。趙軍の矢から身を挺して信を守ろうとする。

我 呂 (が ろ)

飛信隊に配属されてきた元麃公軍の兵。ノリが軽く浮ついているため、その武力のほどが怪しまれるが確かな実力を持つ。軍師・河了貂と信との関係にツッコミを入れたりもするが意外に義理堅く信頼できる部下。

労 我 (ろう が)

リーゼント頭で不良っぽい見た目で自称は格好良く「狼牙」と名乗っている。自信過剰で実力は無く巨漢兵士には逃げ腰。昴にも勝てないレベルの武力。

孫仁 (そんじん)

羌瘣の部隊の兵士。補佐官として羌瘣の独断専行を諫める常識派。

岐 鮑 (き ほう)

飛信隊の兵士で実家が漁師のため川に詳しい。黒羊丘の戦いで河了貂を補佐し作戦に貢献した。

土 南 (ど なん)

飛信隊の兵士。

張 唐 (ちょう とう)

秦の大将軍。昭王の時代から秦の六大将軍の陰になりながらも、15歳の初陣から50年間以上も戦歴を重ねてきた古参の将軍。頑固な性格で秦の武人であることに誇りを持っている。秦を軽視発言する桓騎とは折り合わなかったが、戦いの中で桓騎の将軍としての高い資質を認めた。昌平君からは楚との防衛線に配置されていた。 対合従軍戦では函谷関を守り、韓軍の毒兵器と対決する。

(へき)

大将軍を目指している昌文君の副官で、筆頭的存在。名家の生まれで文武ともに抜きでているが、王都奪還の戦いで自らの実力の無さを痛感し、武官としての最高位・大将軍を目指している。努力家で生真面目な性格で面倒見もよく、信や部下に的確な助言をする。常に最前線で戦っているため窮地に陥ることが多いが、運も強く九死に一生を得ている。 戦術的には真正面からの戦いを得意とし、敵の奇策や奇襲への対応は不得意。対魏国戦では、新任の千人将として基本戦術を習得していく。千人将からさらに上まで出世するのは非常に難しい中で、着実に武功を積み上げ、対合従軍戦では三千人将になる。剣から長刀に武器を変え、三千人の部下と共に12万人の楚の大軍に突入していく。 嫪毐の反乱の時には将軍に昇進していて討伐軍の総大将として戦う。

馬 仁 (ば じん)

秦の将軍で、壁軍の副将。嫪毐の反乱の時には反乱鎮圧軍の副将となる。

蒙 毅 (もう き)

祖父が蒙驁で父が蒙武、兄が蒙恬の秦の文官。父を軍師としてサポートしようと、昌平君の軍師養成学校で戦術を勉強中。養成学校での成績は抜群で蒙恬から「とびきりの軍師」と評価されている。蒙武と共に戦場に出て武力が策を凌駕する場面にたびたび出会い、さらに実践的な軍師を目指している。

左 慈 (さ じ)

秦の上級武官で剣術の達人で肆氏の片腕。竭氏の人斬り長と呼ばれ、暗殺者として活躍していた。服を汚されただけで相手を真っ二つにしてしまうほど気が荒く、感情の起伏が荒い。山の民以上の武力を持ち、力と速さを極めた自分の剣術を天下最強と豪語する。

魏 興 (ぎ こう)

竭氏、肆氏に仕える秦の上級武官。左慈の剣術と並び他国に恐れられる弩弓隊を率いている。成蟜の反乱では嬴政を探し謀殺を図る。

黒 剛 (こく ごう)

秦の将軍で、「星眼の黒龍」の異名を持ち恐れられている隻眼の猛将。丸城を守備する将軍だが、根っからの戦争好きで激戦地に毎回出陣していく。

縛 虎申 (ばく こしん)

秦の大将軍である麃公指揮下の千人将。「勝つためには自分のすべてをくれてやる!」という強い意志を持っている。戦争に勝つことが第一番目の将軍の義務であり、配下の歩兵を死なせないことではないとの考えを壁にも言明している。愚直に敵に向かって突進するため毎回、歩兵たちが多く犠牲となり評判はあまりよくないが、配下の部下には信頼されている。

尚 鹿 (しょう かく)

秦の三千将。壁の幼馴染の武官で縛虎申と壁の間で歩兵の取り扱いについての意見が食い違うのを、間に入って調整できるほどの飄々とした性格。壁とともに三千人将に昇格。

段 歯 (だん し)

秦の将軍。馬央城を取り囲んだ趙軍10数万の兵士を「ハナタレ」と甘く見ている。公孫龍軍との戦いの火ぶたが落とされる。

江 亜 (こう あ)

秦の文官。昌平君の軍師育成学校の学生。河了貂や蒙毅よりも年上で蕞の戦いに蒙毅に呼ばれ参戦。

郭 備 (かく び)

秦の千人将。下僕出身だが郭家に養子に迎えられ士族になった。知・武・勇の三拍子がそろい人望も厚く、将来を嘱望されている若手の武将。若手の中では一番将軍に昇進するのが早いだろうと噂されている。同じく下僕から三百将になった信のことを応援している。

介 億 (かい おく)

秦の軍師で昌平君の副官。軍師育成学校の先生でもある。対合従軍戦では蕞に出陣。加冠の儀に参列直後に昌平君と共に呂不韋陣営から離反。プロの軍略家だが女好きな面もある。

袁 夏 (えん か)

秦の将軍。王弟の成蟜とは昔なじみの仲。屯留(とんりゅう)戦では成蟜軍の副将となり、戦場に臨む。

龍 羽 (りゅう う)

秦の将軍。屯留(とんりゅう)戦で成蟜軍の副将となる。しかし裏で敵の蒲鶮と通じ、成蟜に歯向かうとの黒い噂がある。

(とん)

成蟜の側近の青年。下僕から這いあがってきたが、成蟜とそりが合わず過酷な運命に翻弄される。

樊 於期 (はん おき)

嫪毐の反乱軍を指揮する毐国(あいこく)の将軍。烏合の衆だった毐国軍を秩序だった軍隊に整える実力を持つ。呂不韋に手引きされ咸陽に侵攻する。 。

樊 琉期 (はん るき)

毐国の将軍で樊於期の息子。戦乱に翻弄されている、住民たちを容赦なく虐殺する。弱いものに無慈悲な残虐な性格。

秦の太后 (しんのたいこう)

夫の第三十代秦王・荘襄王との間に秦王・嬴政をもうけた実母。後宮最大の権力者。かつては美姫(びき)と呼ばれ呂不韋の許嫁だったが子楚(後の荘襄王)に献上され、呂不韋が出世する足掛かりとなった。子楚と呂不韋が、嬴政と共に置き去りにして秦へ脱出したため、嬴政が秦で王になるまでは趙で、周りからひどい侮辱と虐待を受けていた。 逃れられない悲しい現実に向き合う毎日が続き、次第に周りのもの全てを憎悪する性格になってしまった。秦に戻り太后となってもその性格は変わらず嬴政にも全く興味をしめさず愛情をみせようとはしなかった。

(こう)

秦王・嬴政の側室で後宮に仕える宮女。田舎の貧しい商家出身の娘。嬴政の夜伽の相手を務めているが、嬴政は読書をしたり向と話をするだけ。向は宮女としてではなく、心から嬴政を慕っている。

(よう)

秦の宮女で向の親友。向とは違い高貴な階層の生まれで、向と嬴政の夜伽の進捗に興味津々。体を張って向を守る。

趙 高 (ちょう こう)

秦の後宮に仕える宦官。側近として非常に有能で太后の信頼を勝ち得ている。毐国の建国の地盤を作り上げた功労者。

嫪 毐 (ろう あい)

嫪国の偽宦官。太后の伽を務めるさせるために、呂不韋が後宮に送り込んだ唯一の男。太后と共に過ごすうちに情が移り、また彼女の心の傷に気づき癒そうと努力する。太后が安息を求めるため建国した嫪国で、呂不韋の政治的野心に利用され、毐国反乱の中心として決起してしまう。

京 令 (きょう れい)

秦の女性医師。嬴政直属の医師で重い傷を負った魏を治療する。

(ゆう)

信や漂を下僕としていた城戸村(じょうとむら)の里典の息子。召使として不器用な信を嫌っていたが、器用な漂はお気に入りだった。

徐 完 (じょ かん)

秦の朱凶のひとり。嬴政の影武者となっていた漂に斬りつける。

ムタ

秦の南越ベッサ族の吹き矢(毒矢)と2本の手斧を武器に戦う戦士。肆氏から嬴政の暗殺を命じられる。

燕 呈 (えん てい)

秦の暗殺集団・朱凶の族長。若く物静かだが暗殺の実力は高い。呂氏陣営の要請で嬴政暗殺を依頼される。蚩尤族の出身である羌瘣の技に見惚れ忠誠を誓う。

(こう)

少数民族の南巴族の少年。侵略者とけなげに戦っているところで信と出会う。

暁 定 (ぎょう てい)

南巴族と戦っている少数民族の将軍。巨体で馬鹿力の持ち主。

ワテギ

異民族・戎籊(じゅうてき)の王。嫪毐の反乱に参戦し、秦と戦う。

ブダイ

異民族・戎籊(じゅうてき)の重臣。ワテギと共に嫪毐の反乱に参戦。

景湣王 (けいびんおう)

魏の王。魏に亡命してきた廉頗から「見た目でしか人を量れぬ」と暴言を吐かれても、その実力を買い、魏軍を指揮する全権を与える度量の大きい王。廉頗が敗戦してしまっても温情あふれる対応をしている。

呉 鳳明 (ご ほうめい)

魏火龍七師の呉慶が父の魏の若き大将軍。父が秦の麃公に討たれ、秦には深い恨みを持っている。魏国が戦いに臨むときは総大将となる最高武官。戦場では見事な知略と軍略で二手三手先の戦況をよみ、敵軍を罠にかけ打ち破る。攻城兵器を発案し設計までも手掛ける。魏軍の総大将として合従軍に参加し、独自に開発した「巨大井闌車」(きょだいせいらんしゃ)や「床弩車」(しょうどしゃ)で函谷関を攻め、多大な功績をあげた。 著雍(ちょもう)防衛戦では秦から著雍を守るため、魏王を説得し、魏火龍七師の霊凰たち地下牢から解放し戦場に投入し、一気に秦を攻め落とそうとする。

朱 比 (しゅ ひ)

魏の武将。合従軍での秦への侵攻戦では、呉鳳明の指揮の元で軍を動かす。麃公なにするものぞとの気概を持っている。

呉 慶 (ご けい)

魏の大将軍で秦の六大将軍や趙の三大天と鎬を削った、魏国七人の大将軍である魏火龍七師のひとり。趙に滅ぼされた小国甲の王族。甲の滅亡後、別人になるべく名を変え顔に墨を入れる。放浪中に戦国四君である魏の信陵君に才能を見いだされ、その食客頭となり、さらに大将軍にまで上り詰めた。 慎重で知略にも長け、しかも最前線に突撃するなど大胆な行動力と高い武力を持っている。魏火龍七師が同士討ちをしたときは、中立の立場を通し、霊凰たち三人を病死扱いにさせ、地下牢へ幽閉するという減刑のために活躍した。秦・麃公軍が魏国へ侵攻してきた際は、秦の丸城を陥落するという武勲を立て、蛇甘平原での決戦へと臨む。

宮 元 (きゅう げん)

魏の将軍で呉慶の副将。有能な軍師だが、かつては呉慶と共に前線を駆け抜けた武功を持つ。縛虎申隊の突撃をあざ笑い、一騎打ちに臨む。

白 亀西 (はく きさい)

魏の将軍で宮元と同じく呉慶の副将。凡将だが魏国民からの人望が厚く、廉頗に命ぜられ魏軍の総大将となり、山陽戦で蒙驁の秦軍と対決する。

黄 離弦 (こう りげん)

魏の宮元配下の部将で弓矢の名人。縛虎申隊を宮元の連弩隊で迎え撃つ。

朱 鬼 (しゅ き)

魏の武将で呉慶の配下。呉慶から麃公の首を取ることを命ぜられた。常に麻鬼と行動を共にし二人合わせて将狩りの異名を持つ、つり上がったきつい目が特徴。

麻 鬼 (ま き)

魏の武将で呉慶の配下。朱鬼と共に呉慶から麃公の首を取ることを命ぜられた。常に朱鬼と行動を共にし二人合わせて将狩りの異名を持つ。細い目と無表情が特徴。

霊 凰 (れい おう)

魏の大将軍で魏火龍七師のひとり。元は呉鳳明の戦術の師。王騎と互角に戦ったこともある。冷酷無慈悲な軍略家として恐れられていたが、魏火龍七師同士で争う。凱孟、紫伯と共に、魏火龍七師の内、三人を殺害し、先王によって14年間地下牢へ幽閉されていた。地下牢から解放されたのち著雍(ちょもう)防衛戦へ参戦する。 實歳は、秦の大将・騰の実力やリーダーシップを知り魏のために討ち取るのが目的だと呉鳳明に語る。

乱 美迫 (らん びはく)

魏の武将で霊凰配下。王騎や摎でも手を焼いた程の武の持ち主である。呉鳳明からは「狂戦士」と呼ばれる、仮面をつけた武将。

凱 孟 (がい もう)

魏の大将軍。魏国七人の大将軍である魏火龍七師のひとり。剛腕無双の歴戦の豪将で、知略や軍略に頼らない猪突猛進な戦い方が得意。圧倒的な武力で秦軍に攻め込む。14年間へ幽閉されていた地下牢から解放され、著雍(ちょもう)守備戦に加わり信との一騎打ちに臨む。

荀 早 (じゅん そう)

魏の凱孟軍軍師。飄々とした態度や口うるささで誤解されやすいが、軍略や戦術はずば抜けており、凱孟に信頼されている。信が率いる飛信隊も大苦戦を強いられる。

紫 伯 (し はく)

魏の大将軍。魏国七人の大将軍である魏火龍七師のひとり。魏国最強の槍の使い手で、他国までその武名は鳴り響いている。その凄まじい槍の技術は刺された相手が気付かないほどで、王賁よりも実力は上と言われている。紫伯は、紫家の当主の名前。本名は詠で先代の紫伯に囲われていた女性の連れ子。先代に実子が生まれなかったため、紫伯の名を継ぐこととなった。 妹の紫季歌だけが心の支えで、妹としての関係を超え、妻にすることを願い出ている。

廉 頗 (れん ぱ)

元・趙の三大天のひとりで魏の大将軍。正攻法で戦えば、敵なしと言われるほどの軍才と武力を誇る。趙王に即位した悼襄王が恨みから更迭するが、これを拒否し逆賊と見なされる。討伐軍に勝利し、配下の武将たちを連れて魏へ亡命した。それから3年間なりを潜めていたが、秦が魏へ侵攻してきたため、白亀西を総大将とした魏軍と四天王を率い出陣する。 蒙驁軍を打ち破り本陣に迫る。

介 子坊 (かい しぼう)

魏の将軍で廉頗四天王の筆頭。巨大な斧の形をした矛が武器。貫禄充分の巨体と辮髪が特徴。桓騎のようなゲリラ戦法や心理戦には対応がいまひとつだが、真正面からの戦では100勝以上を上げている。山陽戦では断崖を騎馬隊を率いて駆け上り、蒙驁本陣に奇襲をかけた。

輪 虎 (りん こ)

魏の将軍で廉頗四天王のひとり。童顔で笑うと目が線のように細くなる。廉頗に深く信頼されている。戦乱に巻き込まれた村でただ一人生き残った戦争孤児。廉頗に拾われて育てられる中で、廉頗の剣として生きるため武術の腕を磨きぬいた。武器は廉頗から与えられた二本の曲刀で、かなり年季の入ったものだが、手入れを欠かさず戦場で大活躍する。 突破力があり、王騎に一太刀浴びせたエピソードを持つ。

姜 燕 (きょう えん)

魏の将軍で廉頗四天王のひとり。弓の達人で、常人の倍の飛距離を誇り中華十弓のひとりに数えられる。かつて廉頗と五分に戦った小国の英雄であり、国が滅亡後は廉頗に仕える。鏑矢を飛ばし、複数の部隊へ遠隔から指示を出し操る戦法が得意。いつも眸を閉じたような特異な容貌を持つ。

玄 峰 (げん ぽう)

魏の将軍で廉頗四天王の最長老。廉頗の師でもあった軍師でプライドが高く、「阿呆」が口癖。敵将にも上から目線で接し、信を手玉に取る。目が大きく頭が禿げている。

魏 良 (ぎ りょう)

魏の武将で輪虎の副将。魏軍の兵士たちと輪虎の間を円滑にした。輪虎と信の一騎討ちに割って入ろうとする。

隆 太 (りゅう たい)

魏の将軍で滎陽城の城主。

風 伯 (ふう はく)

魏の将軍で高狼城の城主。守城戦のプロ。

間 永 (かん えい)

魏の将軍で元輪虎隊。信や河了貂の率いる飛信隊と激戦する。有能で人望もあり、魏国軍師八指である氷鬼がその軍に所属している。平定の戦いで河了貂の策に敗れ、氷鬼とともに飛信隊にとらえられた。

氷 鬼 (ひょう き)

魏の軍師。魏軍師八指のひとり。信と飛信隊を苦戦させる。河了貂と策略で勝負する。

道 清 (どう せい)

魏の千人将。河了貂率いる飛信隊と交戦。

悼襄王 (とうじょうおう)

趙の第九代の王。暗愚と評されている。秦の蒙驁が韓に侵攻している間に、龐煖に命じ秦を攻める。素行を諌めた廉頗を大将権の地位から更迭し、さらに討伐の兵を差し向けた。寵愛していた春平君が秦の呂不韋に拉致された際には、断れば反逆罪で打ち首にすると李牧を脅し奪還を強制した。

藺 相如 (りん しょうじょ)

趙の大臣で文武知勇の将。廉頗と刎頸の交わりを交わす。

郭 開 (かく かい)

趙の大臣で李牧が合従軍の敗北で解任された後、趙の実権を握る。秦の呂不韋と裏で通じている。

姚 賈 (よう か)

趙の郭開の家臣。実は昌文君が趙の動静を探るための間者。知略に優れた李牧の失脚を狙う。

春平君 (しゅんぺいくん)

悼襄王の寵愛を受けている青年。呂不韋とは旧知で、書簡をもらい秦に出向いたところを拉致され、秦趙同盟が結ばれるきっかけとなった。

李 牧 (り ぼく)

趙の宰相での新たな趙の三大天のひとり。知略だけではなく武人としての経験値も高い。無駄戦いを嫌い、戦闘による犠牲者を最小限にする信念を持っている。これは若い頃、両親や兄弟を亡くし、激怒して敵将を打ちとったものの仲間を全て失った経験による。自分は小心者なので策に頼っていると嘯く、底の知れない大器である。情報操作を得意とし、匈奴軍20万を撃破したことを秦や味方の趙にも隠し、秦軍の逃げ場を奪い勝利したこともある。 また、敵の考えの先を読む策で王騎を土俵際まで追い詰め、中華で最も注目される存在となる。趙の宰相として趙の内政・外交・軍事の主要な案件に関わったため、秦の中華統一の野望にいち早く気づいた。その野望を潰えさせるため、各国と提携し合従軍を編成する。 中華全土を巻き込む戦乱を呼び、秦を滅亡寸前まで追い詰めた。

カイネ

趙の武将で李牧の護衛を担う女性剣士。単独で隠密行動をする李牧を補佐している。秦軍の河了貂には心を開いており、李牧から学んだ軍師としての本質を教える。

魏 加 (ぎ か)

趙の武将で中華十弓のひとり。李牧の副将として情報操作戦に携わる。李牧は王騎を超える逸材だと確信していた。中華の新たな幕開けに自らの爪あとを残し龐煖を守るため王騎へ矢を放つ。

傅 抵 (ふ てい)

趙の李牧軍の三千将。二刀の剣を操り趙の三大天の席を争う実力を持つ。自信過剰な面があり、カイネを将来嫁にすると公言しているが、彼女からは軽くあしらわれている。鼻と口を覆う布が特徴。飛信隊を襲撃する田有、竜川を一蹴し信に迫る。

晋 成常 (しん せいじょう)

趙の合従軍の李牧別働隊の副将。白髭の笑みを絶やさぬ武将だが言動は激しい。李牧を諭して殿軍を代行。

龐 煖 (ほう けん)

新たな趙の三大天のひとりで圧倒的な武力を持つ。自らを荒ぶる神を宿した武神と称し、呼吸せずに気を操る。普段は人里を離れた山の中に住み、ひたすら武力の鍛錬をしている。軍を統率することには全く興味が無い。戦時では、強者だけを求めて個別に戦いを挑む。巨躯を持ち、かつて王騎に斬られた顔の傷とざんばら髪が特徴。武器は先端が反り返った薙刀。 怒りが武力に直結すると信じ、かつて顔を切られて敗北を喫した王騎への復讐のため趙軍総大将となる。対秦戦で王騎との一騎打ちで存分に武力を振るう。さらに武力の修行に打ち込むために山の中にこもるが、李牧に請われ対燕国戦で総大将となる。合従軍では麃公に一騎打ちを挑んでいく。 蕞の戦いでは信と一騎打ちをし、武神の力で圧倒していく。

楽 乗 (がく じょう)

趙の大将軍。廉頗が趙の三大天だった頃の趙軍のナンバー2。軍神・楽毅の一族で廉頗以上の実力をうたわれた。20年間一緒に戦ってきた廉頗が悼襄王の更迭命令に背いたため、逆臣として廉頗を討伐しようと追う。

公孫 龍 (こうそん りゅう)

趙の将軍。対秦戦で馬央への先陣を切った万能の武人。万能の公孫龍の異名を持つ。左目を縦断する傷痕が特徴。

万 極 (まん ごく)

趙の将軍。秦の白起が行った「長平の戦い」の生き残りのひとり。万極も父兄を失っている。そのため秦に尋常では無い恨みを抱いており、復讐のため秦の馬央周辺集落住民を虐殺する。合従軍戦では「長平の戦い」の遺族だけで編成された軍を率いて戦う。長平の呪いそのもののような狂気に満ち、白髪の将軍で特攻の万極の異名を持つ。 黒い歯と吃音が特徴的。武器は波打った形の剣。飛信隊と怨念の力で切り結ぶ。

渉 孟 (しょう もう)

趙の将軍。先陣を切って至近距離で戦うのが得意。巨体に似合わず、素早い動きで敵を倒す。しかも敵の秦の旗を掲げ、集合してきた秦兵を討つような狡猾な策士でもある。破壊の渉孟の異名を持ち、辮髪で、武器は三日月のような形の刃の戈。趙の三大天の最後の一席を狙っている。自分の武力には絶対的な自信を持っている。

李 白 (り はく)

趙の将軍で重歩兵や重装備の兵隊を率いていて戦う。5万人の燕軍から小城をわずか7000人兵隊で守り切ったため、守備の李白との異名を持つ。乾原の戦いで蒙武の軍と相対するがその攻めを十年は受けきれるとの自信を持っている。

昧 広 (まい こう)

趙の将軍。秦の屯留(とんりゅう)城まで侵攻し、飛信隊と戦う。

趙 括 (ちょう かつ)

趙の大将軍。父は趙の三大天・趙奢。趙と秦が戦った長平の戦いで、廉頗に代わり趙軍の総大将として白起や王騎と戦った将軍。

豪 紀 (ごう き)

趙の将軍で秦と趙の国境、曹州で飛信隊と対峙する。

趙 荘 (ちょう そう)

趙の軍師。対秦戦ではリーダーシップの取れない龐煖に代わり、12万もの秦軍の大将代理となる。趙軍一の知略の持ち主で蒙武軍を壊滅近くにまで追い込むが、援軍・王騎軍の奇策に翻弄される。

斉 明 (せい めい)

趙の武将で趙荘の副官。秦侵攻戦で本陣の趙荘の命を各武将に連絡した。

馮 忌 (ふう き)

趙の将軍だが軍師に劣らない鋭い頭脳を持つ武将。戦局や罠の分析に長けている。戦場を広くとらえ、遠距離戦を得意としている。無駄がなく効率よく敵を討ち果たすという、戦の美学を持っている。趙荘の副将としては秦の左軍を知略で壊滅近くまで追い込むが、すべて王騎の掌の上であることに気づく。

慶 舎 (けい しゃ)

趙の将軍で、李牧が絶大な信頼を置いている本能型の将軍。沈黙の狩人の異名を持つ。模擬戦では李牧を何度か負かしたこともある。冷静に戦況をみつめ、鋭い観察眼で敵が罠にかかるのをじっと待つ。守勢からの反撃に長けており、李牧にも恐れられている。合従軍戦では李牧に替わって趙軍の総指揮を執り、麃公軍と激突した。 黒羊丘の戦いでは、趙軍の総大将を務め、精鋭部隊を率いて自ら出撃した。

岳 嬰 (がく えい)

趙の武将で慶舎軍の副将。黒羊丘の戦いでは、桓騎軍の雷土隊、ゼノウ隊と交戦する。

金 毛 (きん もう)

趙の武将で慶舎軍の副将。黒羊丘の戦いでは、紀彗とともに趙軍の本陣を守備する。岳嬰の実力は買っているが時に言い争いになる。

紀 彗 (き すい)

趙の将軍で離眼城の城主。民から慕われている。黒羊丘での攻防戦では、慶舎軍の副将に抜擢された。飛信隊を急襲し足止めさせる。

馬 呈 (ば てい)

趙の武将で紀彗軍の副官。紀彗の幼馴染。巨体で戦斧を振るい、信を弾き飛ばすほどの武力を持つ。

劉 冬 (りゅう とう)

趙の武将で紀彗軍の副官。紀彗の幼馴染で知略に優れ右腕と呼ばれている。馬呈と共に飛信隊を急襲し、動きを封じ込める。

海 剛 (かい ごう)

趙の将軍で紀彗軍の武将。黒羊丘の戦いで黒桜軍と激戦。

冬 顔 (とう がん)

趙の将軍。嬴政が趙から脱出する際、騎射兵を率いて後を追い、昌文君と交戦する。

茂 英 (も えい)

趙と秦との境にある関所である青郭の長。

天 布 (てん ふ)

趙の将軍・冬顔配下の部将。騎射兵のひとり。

紀 昌 (き しょう)

趙の将軍で元・離眼城の城主。紀彗の父で民に慕われる人格者だったが、離眼城を落城させられる。

岳 印 (がく いん)

趙の将軍で元・離眼城の城主・紀昌の側近。

赫 公 (かく こう)

趙の将軍で元・離眼城の城主・紀昌の側近。

唐 寒 (とう かん)

趙の将軍で元・暗何(あんか)城の城主。民から嫌われ圧政を敷いていた。紀昌と覇権をめぐって戦う。

唐 鈞 (とう きん)

趙の将軍で元・暗何(あんか)城の城主・唐寒の息子。紀昌と離眼城をめぐって戦う。

紫 夏 (し か)

趙の闇商人紫家の女性頭目。戦災孤児で餓死しかけたところを、紫啓に救われ育てられる。天賦の商才があり、紫家の跡目を継いでから商売のスケールを2倍にした。紫啓の遺言「受けた恩恵を次の者に」を実行するため、嬴政を秦に送り届ける仕事を引き受ける。関門で嬴政を潜ませていた荷を疑われても、表情を変えない腹の据わった女傑。 嬴政の味覚・痛覚・嗅覚を取り戻させ、他人に対する信頼感を取り戻させた。

江 彰 (こう しょう)

趙の闇商人紫夏の戦災孤児時代からの幼馴染で弟分。秦や嬴政のことは好きではなかったが、惚れている紫夏に従い嬴政を秦に送り届ける仕事を引き受ける。

亜 門 (あ もん)

趙の闇商人紫夏の戦災孤児時代からの幼馴染で手下。おかっぱ頭で短気、荒々しい性格。紫夏に惚れているがキモいと軽くあしらわれている。

紫 啓 (し けい)

趙の闇商人紫家の前頭目。戦災孤児だった紫夏たちを救い育てた養父。

考烈王 (こうれつおう)

楚国の国王。子供ができなかったため、春申君の子供を妊娠している李園の妹を妾にした。王弟が精神に異常をきたしていたため、その妾が産んだ子を次の楚王に即位させようと春申君と李園の三人で図る。

考烈王の弟 (こうれつおうのおとうと)

考烈王の弟。加虐性のある精神異常者。次の楚国の王に予定されている。本名不詳。

李園の妹

元々は春申君の子供を妊娠した妾。妊娠したまま考烈王の妾として献上され、春申君の子供を考烈王の子として出産。本名不詳。

春申君 (しゅんしんくん)

楚国の宰相。楚国を20年間経営してきた手腕が評価され、戦国四君のひとりと呼ばれている。次の楚国の王といわれている王弟が、加虐性のある精神異常者なため、楚国の行く末を案じ、考烈王と李園と自分の子供を次の楚の国王にしようと図っている。魏、燕、韓、趙の5ヶ国が連合した合従軍の総大将を務める。 実際の軍の指揮は李牧にまかせるがアドバイスをしながら合従軍を勝利へと導こうとする。

李園

楚国の宰相・春申君の食客。春申君の妾で子供を身ごもった妹を考烈王に献上し、王の親戚になった。考烈王が崩御した後、春申君と激烈に対立する。

媧 燐 (か りん)

楚国の大将軍。楚国の第二軍を任されている女将軍で軍略の天才。性格が悪く、第一軍を配下に置いたとき副将を罵倒して蹴り飛ばし、第二軍の出陣命令を無視するなど、楚軍の兵士たちからは敬遠されている。汗明と同じくらいの高身長で美貌な女傑だが、本人は実は背が高すぎるのを気に病んでおり、揶揄した者は斬首にすると公言している。 函谷関の戦いでは自軍をも欺いて裏手から奇襲をかけるなど、春申君に戦の天才と呼ばれる面目躍如した。楚軍の30万人を配下に置いており最大勢力となる。

バミュウ

楚国の武将で媧燐の副官。美貌の媧燐に惚れているようで、媧燐に殴られ首を絞められても、気にかけない。戦闘の最中でも自分の髪形を気にしたりなど、実力が未知数な男。

項 燕 (こう えん)

楚国の大将軍。楚の虎の異名がある。

汗 明 (かん めい)

楚の大将軍で第三軍を率いている。オルド以上の高身長と巨躯のため、楚の大巨人と呼ばれている。春申君の信頼が厚く合従軍では開戦の合図を行った。戦では初陣から全戦全勝していて、自らを天の気まぐれによって生み落された超越者と呼ぶ。敵軍の強者でうぬぼれているものを正面から圧倒していく。先端が反った剣と大錘や巨大な分銅を武器としている。 かつては楚に侵攻してきた秦の六大将軍のひとり、王齕をも撃退しているらしい。

貝 満 (べい まん)

楚の将軍で軍略に長け汗明の右腕。汗明に軍師として戦略を進言する。秦最強の男、蒙武を愚か者と評価している。

剛摩 諸 (ごうま しょ)

楚の将軍で汗明軍の軍師も兼ねる側近。秦最強の男、蒙武の作戦をあなどっていたが理解できていなかったことを認めた。

仁 凹 (じん おう)

楚の老軍師で汗明の側近。いつも強大な扇を持っている。秦最強の男、蒙武と対戦するがその作戦を軽く見ている。

臨武君 (りんぶくん)

楚の将軍で第一軍を率いる。中華南方の蛮族・百越相手に戦を繰り返し、数々の修羅場を乗り越え将軍にまで上り詰めた。汗明が一番信頼している部下で怪力自慢の巨漢。長い柄がついた棍棒が武器で、秦の王騎軍との戦闘では同金を一撃で葬った。函谷関戦では録嗚未をなぎ倒している。

項 翼 (こう よく)

楚国の若き千人将。信と同年代で雷轟(らいごう)の異名を持つ。戦闘中もわざと怠慢な態度を見せているが、実力と才能は高い。信と同じように短絡的で無謀なお調子者なので、千人将より上に上がれないと白麗にからわれている。信のことをサルと呼び喧嘩を売っている。剣術の達人で五大宝剣のひとつ「莫耶刀(ばくやとう)」を所持している。 「莫耶刀」は妖刀として名高く、伝説の名工・莫耶が打ったと言われている。

白 麗 (はく れい)

楚国の若き千人将。信と同年代で弓の名手。中華十弓のひとりで、自らは中華三位を自負している。先のことを考えずに突っ走る項翼の部隊と連携作戦を行い、弓矢で後方から支援をする。いつも冷静に戦況を見極め、暴走する項翼をたしなめている。姉の白翠は臨武君に嫁いでいる。

劇 辛 (げき しん)

燕の大将軍で救国の英雄と言われている。金目当てで祖国の趙を捨て、燕へ移籍した。その華々しい戦歴と楽毅の戦術をマスターし再現できることから、趙にとどまっていれば趙の三大天のひとりとなっていただろうと言われている。趙との戦で李牧の戦略を見破り本陣に迫る。

オルド

燕の大将軍。燕北方の50の山間部族の王でもある。合従軍では燕軍の総大将を務めた。豪放で闊達な性格のように見えるが、戦場の全体を見通す繊細な戦術眼も備えている。また、山間部育ちのため圧倒的な「山読み」の能力に長けており、王翦の山城を攻めてこれを撤退させる。しかしその後、王翦の心理戦を仕掛けられ苦戦を強いられることになる。

楽 毅 (がく き)

燕の大将軍。戦国時代中期に死に体だった燕国を救った伝説的軍神。実は劇辛と同じく金目当てで燕国に移籍した。燕王が私財を投げ打ってまで集めたのが、楽毅と劇辛だった。楽毅は当時最大の大国だった斉に、六国連合の合従軍で攻め込んだ。秦の六大将軍や趙の三大天がいたのにも関わらず、中華の列強のバランスが保たれていたのは楽毅の武力に負うところが大きい。

成 恢 (せい かい)

韓の大将軍。合従軍では韓軍の総大将を務めた。率いている部隊は毒兵器を操る特殊部隊。自らの体を犠牲にして毒物を研究し、即効性のある猛毒を生み出した。元は美青年だったが、猛毒に常に触れていたため、肌にどす黒い血管が這う醜い姿となった。

張 印 (ちょう いん)

韓の将軍で韓総大将代理。

馬 関 (ば かん)

韓国の二千人将。徐国を襲撃する。

王建王 (おうけんおう)

斉の国王。非常に癖が強い人物で、戦争は単なる金を稼ぐための仕事と考えている。秦の呂不韋四柱のひとり蔡沢が提示した金額をもとに、合従軍から抜けるかどうか思案する。

后 勝 (こう しょう)

斉の王建王の臣下。斉に侵攻してきた合従軍との戦争に気をもんでいる。

楊 端和 (よう たんわ)

無数の山の民を統率する女性盟主。山界一の武力を持ち、山民族の間では「血に飢えた山界の死王」の異名がある。始皇帝に仕えた秦の将軍、楊端和がモデルだが、本作では女性として描かれている。普段は怪しい仮面をかぶっており素顔は分からないが、華やかな美貌である。性格は男勝りで、歯に衣着せぬ言動が目立つ。その一方、一度心を許した相手のことは心底信じ守るため、部下たちから信頼されている。 自ら先陣を切り、山界を統一したものの、平地の列国が築いていく防壁に気を詰まらせていた。戦いでも和睦でも手段は問わず、自分の国を大きくしたいと熱望していた。嬴政と出会い、その大志に共感して秦と山界の同盟関係を復活させた。北の匈奴を討つために北上し、趙の李牧に屠られた匈奴軍10万の死体を目にする。

バジオウ

楊端和の配下で山の民を統率するナンバー2。戦乱の中で滅亡したバジ族の生き残りである。信には隊長と呼ばれている。深い山の中で一人で生きてきたため、山の民の言葉も話せず野獣と化していたが、楊端和に拾われてから徐々に人間性を取り戻す。だが、戦闘時には以前の獣に似た感性を呼び出し、野獣並みの戦闘能力を発揮する。 武器は腰に差した双刀。

タジフ

楊端和の配下の山の民の幹部。巨体で怪力の持ち主。特大の石球を振り回し、敵の体を消し飛ばす戦法をとる。被っている仮面の角を折った信のことを武人として認めている。

シュンメン

楊端和の配下の山の民の幹部。鳥牙族の代表で最強の男。鳥のくちばしを模した仮面をつけている。武器は長刀。ランカイの教育係。

ランカイ

赤子の頃、闇商人から秦の成蟜に珍種の猿として買われた巨漢。素手で人間をひねりつぶすほどの怪力の持ち主だが、成蟜に調教され絶対服従するような、本来は弱気な性格。後に山の民に引き取られる。

羌 象 (きょう しょう)

秦の羌族の女性。羌瘣と姉妹同然に育ち、羌瘣と同様に最も蚩尤に近い強さをもった存在だった。蚩尤となり外の世界へ出ていきたいという希望と、妹同然の羌瘣を殺したくないという葛藤の中で、「祭(さい)」の日に羌瘣を香で眠らせてしまう。

羌 識 (きょう しき)

秦の羌族の女性。羌瘣や羌象の次の代の蚩尤候補。あまりしゃべらない静かな性格。外の世界や男女の営みにほのかな興味を抱いている。

羌 礼 (きょう れい)

秦の羌族の女性。羌瘣や羌象の次の代の蚩尤候補。羌識とは対照的で天真爛漫でよくしゃべる性格。外の世界や男女の営みへの興味が強い。

羌 明 (きょう めい)

秦の羌族の女性。17年前、羌族の蚩尤候補だったが、死への恐怖から「祭(さい)」から脱走。一族から命を狙われ続けたが、羌族に外界の情報を送ることで生き延びることができている。夫と子供人がいる。

幽 連 (ゆう れん)

秦の幽族の女性で現・蚩尤。蚩尤を決定する「祭(さい)」で他の氏族と裏で手を結び、羌象を抹殺して蚩尤となる。しかし「祭」で実妹を殺害したため、精神に異常をきたし趙の山中に潜伏。そしてさらなる修練により、巫舞すら不要の圧倒的な戦闘力を持つ怪物となっていた。武器は剣で名は「赤鶴」。羌象の仇として羌瘣と対決することになる。

嬴 成蟜 (えい せいきょう)

秦の王族で、政の異母兄弟。王族としての血に誇りを持っており、母親の身分が低い兄政を軽んじ、反乱を起こした。しかし鎮圧され、長く幽閉される。その後、呂不韋との政争で劣勢に立った政により解放される。以降、政の協力者となり、共に呂不韋陣営と戦う。しかし、有力支持基盤である屯留に防衛のため赴いた際、城主・代行蒲鶮に囚われ、秦王政への反逆の首謀者に仕立てられてしまう。 この後、何とか脱出するも、妻瑠衣を救出しようとして重傷を負い、死亡した。この後、残された成蟜一派は瑠衣を中心に結束し、政とともに呂不韋に対抗することを誓った。中国戦国時代の秦の王族嬴成蟜をモデルとする人物。

秦太后 (しんたいこう)

秦王嬴政の母親で、前王荘襄王の王妃。若き頃は邯鄲の宝石と賞され、「美姫」という愛称で皆に愛されており、その頃商人だった呂不韋とは将来を誓った許嫁だった。しかし、呂不韋は彼女を秦の王子子楚に差し出し、将来への布石とした。そのような状況の中、敵国である趙の地で秦の王族の子を産んだ彼女は、徹底的に迫害され、人としての心を失っていく。 その乾いた心は秦の太后として栄華を極めても癒されず、彼女はさらなる権力を求め、息子政を裏切り、再び呂不韋との関係を深めてしまう。そして、新たな愛人嫪毐を得てからは、密かに彼の子を産み、嫪毐を王とする国を建てることを画策した。 中国戦国時代の秦の荘襄王の王妃をモデルとした人物。

集団・組織

(ご)

戦いにおける集団の単位で、五人一組で行動するものを示す。信と共に伍に所属して行動をしていたのは、羌瘣、尾平、尾到、澤圭。伍を10列組むと属(ぞく)になり属を2組で伯(はく)となる。伯を2組で曲(きょく)となる。

戦国四君 (せんごくしくん)

戦国四君とは戦国時代の宰相のうち財力と地位の力で数千名の食客を抱え自治領を作ってたいた有力者。斉の孟嘗君、魏の信陵君、趙の平原君、楚の春申君の4名。

秦の六大将軍 (しんのろくだいしょうぐん)

秦の第28代秦王。嬴政の曽祖父・昭王により、「戦争の自由」という権利を与えられた秦の六人の大将軍のこと。信は秦の六大将軍のひとりとなることを目指している。秦の六大将軍の武力により秦は中華で最も危険な国と目されていたが、昭王亡き後はその名を継ぐ者は現れなかった。秦の昭王時代の秦の六大将軍とは、白起、王齕、胡傷、司馬錯、摎、王騎の六人を指す。 六大将軍制は常に兵糧や兵士の補充が必須なため、秦の経済に深刻な負担があり、大将軍たちが自分の考えで動くため謀反の恐れもあった。しかしこれは、昭王と六大将軍の間の強固な信頼関係が生み出した特別な制度だったと呂不韋は指摘している。

飛信隊 (ひしん たい)

信が率いている対趙軍戦で、王騎から飛信隊と名付けられた特殊百人隊。特殊とは遊軍の意味で、戦場では誰の命令も受けずに独立した動きをすることが許されている。飛信隊の初期構成メンバーは出身が下僕や百姓たちだったため、軍装はバラバラで、騎馬や弓の修練も積んでいない。このため戦場では、ひたすら剣と槍が中心の白兵戦を行う。凄惨な数々の戦闘経験から武力が高まり、沛浪、田有、竜川などは戦場の流れを変える力を持つ。 飛信隊の当初の副長は渕、羌瘣の二人。対趙軍戦後には飛信隊は三百人隊となり、魏国への侵攻戦中には急遽、特例で千人隊となる。この時、楚水(元郭備隊)が三人目の副長となり、元郭備隊の頼もしいメンバーたちが続々入隊する。郭備は信と同じく下僕の出身で、千人将にまでなっていた。 魏への侵攻戦後、飛信隊は正式に千人隊へ昇格し、軍師・河了貂も参加するが、副長の羌瘣は個人的復讐のため一時的に離脱。対合従軍戦中には元麃公軍の兵千人を与えられ、飛信隊は二千人隊となる。元麃公軍の兵士は王騎が「我が兵より強い」と言ったほどの実力者たち。飛信隊は信が武勲を立て出世するたびに、強力な兵たちを取り込んでいく。さらに論功行賞が加わり三千人隊へと格上げ、屯留(とんりゅう)の反乱軍鎮圧戦の頃には信は四千人将へと昇格。その後、戻ってきた羌瘣が千人将となり、飛信隊は五千人隊となる。さらに著雍(ちょもう)攻略戦後には信はも五千人将へと昇進し、羌瘣も三千人将となり、ついに飛信隊は八千人隊となる。

魏火龍 七師 (ぎかりゅう しちし)

魏の先代王・安釐王(あんりおう)の時代に秦の六大将軍や趙の三大天に対抗した魏国の七人の大将軍。呉慶、霊凰、凱孟、紫伯、太呂慈、晶仙、馬統の七人。軍旗に各大将軍の個人名の一文字にをあしらった火龍の印を使用したため「魏火龍」と言われる。呉慶は中立的立場を貫いたが、残りの六人が2派に別れて互いに戦った。 槍の名手紫伯が三人を殺し、生き残りの三人は14年間地下牢に幽閉されていた。

趙の三大天

趙の武力の中心で、秦の六大将軍と真っ向から戦った三人の大将軍。当初のメンバーは廉頗、藺相如、趙奢の三人で、各軍には「大天旗」という旗が掲げられ、王騎によると、その華々しい戦歴は三大天の異名と共に国内外の人々の頭に強烈に焼き付き、大天旗一つで士気が跳ね上がったという。廉頗が魏国に亡命後は空位で趙はその勢力が衰えていたが、李牧、龐煖が新たな三大天(残り一席は空位のまま)となり、趙の武力が発揚した。

匈奴 (きょうど)

紀元前3世紀末から紀元後1世紀末にかけ、中華のモンゴル高原を中心に活躍した遊牧騎馬民族。馬上から弓を射ながらの彼らの攻撃は、農耕民である漢民族の脅威だった。始皇帝は将軍・蒙恬を派遣して匈奴を追い出し、その南下に備え万里の長城を整備、修復した。秦代末の前209年には冒頓(ぼくとつ)が単于(ぜんう)(君主)となり、北アジア最初の遊牧国家を建設した。 人種はチュルク系、モンゴル系などの説があり定説はない。漢の武帝に制圧され、紀元後1世紀頃東西に分裂し、南匈奴は五胡のひとつとなり、4世紀には華北を支配したが、次第に漢民族に同化。西方に移動した北匈奴は、フン人となったとの説もある。

蚩尤族 (しゆうぞく)

1000年前から闇世界で魔物と恐れられてきた幻の刺客一族。本来は巫女の一族だったが呪術より武術に専念し、稀代の暗殺者を生み出す一族となった。19に分かれた一族の中から、ただ一人の女が「祭(さい)」で勝ち残り蚩尤の名を継ぐ。

三大宮家

嬴政の母・太后の下で、後宮内の些事をする侍女たちを取り仕切る「三侍女」を影で操っている。氾家、介家、了家の三氏。

戦国の七雄 (せんごくのしちゆう)

春秋戦国時代の中国には多数の国家があったが、弱小な国は強国により次々と飲み込まれていき、秦、楚、斉、燕、趙、魏、韓の七国が勝ち残った。この七国を戦国の七雄と言う。この七国以外の弱小な国家としては衛、魯、宋、中山があり、衰退した周王室も細々ながら存続していた。 秦の始皇帝により他の六国やその他の小国は滅亡していくが、戦国の七雄ではない小国・衛だけが生き残る。

蚩尤 (しゆう)

19に分かれた蚩尤族の氏族の中から、一人の女がその名を代々受け継ぐ。蚩尤を決定するのは「祭(さい)」と呼ばれる各氏族の代表同士の殺し合いである。その殺し合いの中で生き残ったたった1人にのみ、蚩尤の名が与えられる。

場所

(しん)

中華西方の弱小国家だったが紀元前221年、始皇帝・嬴政が戦国の世を制し史上初めて中国を統一した。強大な秦の基盤を築いたのは始皇帝・嬴政が生まれる100年近く前の商鞅(しょうおう)であった。商鞅は秦を中... 関連ページ:

(ぎ)

紀元前403年~紀元前225年まで存在。中国の中央部に位置していた普を分割して建国され、北は趙、西は秦、東は斉、南は楚、韓と国境を接していた。黄河を利用して水運が発展したため、経済的には富んだ国であった。しかし戦国時代、中華統一を狙う秦にとって中原侵攻の邪魔となり、戦闘が絶えなかった。 戦国の七雄の一つではあったが、軍事力では秦に劣った。馬陵の戦いで斉の孫臏に大敗し、秦に大敗し黄河以西の領土を失ったため、首府を安邑から東方の大梁へ移している。戦国四君の信陵君が、紀元前247年に5ヶ国連合軍の合従軍を率い秦へ侵攻したが、内紛で更迭されたため、秦の軍事力になすがままにされ魏の領土は縮小する一方だった。 始皇帝の命を受けた王賁の攻撃により紀元前225年に滅亡した。

(ちょう)

紀元前403年~紀元前228年まで存在。中華・戦国の七雄のひとつで首府は邯鄲。位置は中華の中央北部で、犬猿の仲の西の秦・東の燕に挟まれている。かつて軍の要だった趙の三大天がいなくなり弱体化した趙だったが、新たに趙の三大天に任命された李牧が、宰相としても国の中枢を担い勢いを取り戻した。伝統を誇る騎馬隊が精強。これは武霊王が紀元前307年、胡服騎射を取り入れたためである。胡服は北方遊牧民族のズボンに似た服のことで、当時の中国人の裾の長い服とは動きやすさに格段の差があった。戦車や馬に乗るには胡服が最適で、武霊王は北方遊牧民族騎馬兵の強さの理由は胡服にあると見抜いていた。趙の騎馬兵の圧倒的な力により趙は勢力を拡大していく。 武霊王は紀元前298年に譲位して子の恵文王が即位したが、恵文王と公子章の争いで幽閉され餓死。秦の攻勢が強まる中、藺相如や廉頗、趙奢等の勇猛な武将たちの力で趙は暫くの間持ちこたえる。しかし紀元前260年の長平の戦いで秦の将軍・白起に大敗。趙の兵士のうち戦死5万人、生き埋め40万人もの大虐殺を受けた。趙は滅亡寸前まで追いつめられる。秦軍が首都・邯鄲に迫るが、戦国四君のひとり、宰相・平原君が魏の信陵君、楚の春申君と手を組み、やっとの思いで秦軍を撃退した。幽穆王の時代には匈奴を破り国境線を死守した李牧が、秦軍の撃退に成功する。しかし、李牧が幽穆王に殺害されると紀元前228年、秦の王翦、羌瘣の軍の侵攻により邯鄲が陥落し、趙は滅亡する。

(そ)

紀元前223年まで存在。中国の周代、春秋時代、戦国時代の中国南方の揚子江中流域を領有していた強国で、戦国の七雄のひとつ。北は斉、韓、宋に、西は秦に国境を接し、領土は中華全土の半分を占めていた。領土が広大なため徴兵数は戦国の七雄の中で最大だったが、諸国が有能な人物を採用し国政改革をしていく流れに乗れず、貴族による政治を続け滅亡への道を辿った。

(えん)

紀元前1100年頃~紀元前222年まで存在。戦国の七雄のひとつで、河北省北部の現在の北京の近くを領土とした小国。首都は薊(けい)で、現在の北京。紀元前284年には楽毅を総大将として斉を攻め、一時的には斉を占有するが反撃を受け、趙に攻められ、紀元前226年には秦に都の薊を陥落させられ紀元前222年に滅亡した。

(せい)

紀元前386~紀元前221年まで存在。戦国の七雄のひとつで中華の東方に位置し、海に面しており、魚と塩で巨額の収益を得て国力が高まり、周辺部族を制圧して領土を拡大した。『キングダム』に登場する斉は姜(きよう)姓の斉ではなく田斉。紀元前672年,陳の貴族田完が斉(姜姓)に亡命し勢力を増して、斉の正卿を追放、紀元前386年には斉国を奪い田斉として建国した。 都は臨淄(りんし)で中華最大の都市として商業が発展し、60万人もの人が居住した。様々な娯楽(音楽、蹴鞠、曲芸)だけでなく大学堂という教育機関が作られ、全国から学者を集めて学問を奨励した。大国として隆盛を誇っていたが、燕の楽毅に撃ち破られ一気に衰退に向かう。紀元前265年田斉最後の王、田建が即位し、斉は秦から援助を受けながら40年近く平和が続いたが、紀元前221年、秦軍に戦わずして降伏し斉は滅亡する。

(かん)

紀元前403年~紀元前230年まで存在。戦国の七雄のひとつで中華の中央南部に位置し、現在の河南省北部の一部、山西省南部の一部、陝西省東部の一部を領土とした。戦国の七雄の中では最小の領土で軍も最弱だった小国。西の秦からの侵攻に、趙、魏と手を組むことで持ちこたえている。工業技術が発達し、刀の目産地として有名。

後宮

後宮は嬴政の実母・太后が支配する特別な領域で、強大な勢力を持つ1000人を超える宮女と宦官が住んでいる城である。宮女たちは名家の出身が多く、嬴政の子を産めば後宮の実権を握ることができ、しかも最初の男子であれば太后となり絶対的な権力を得る。呂不韋ですらもコントロールできず、後宮は嬴政と呂不韋の政権抗争にも不干渉を決め込んでいる。

その他キーワード

馬酒兵三百 (ましゅへい さんびゃく)

『キングダム』の時代から400年前、秦の国王・穆公は、勝手に秦の軍馬を殺し食べてしまった山の民たち三百人に、馬肉に合う酒をふるまった。山の民はそれを恩義に感じ、秦と同盟を結ぶ。その後、穆公は敵国の晋に大飢饉が起きたのを見過ごさず、食料を送る。その翌年、今度は秦が大飢饉に見舞われ、穆公は晋に食料の援助を求めたが、晋はこれをチャンスと考え秦に大軍で侵攻した。秦軍は迎え撃つも、食料不足のため滅亡の際まで追い込まれる。そのとき、突如三百人の山の民の戦士が援軍として現れ、晋の数千もの兵を倒し、さらに敵本陣の晋王を捕える。その高い戦闘能力と凄惨極まりない戦い方に、秦兵ですら背筋を凍らせたと言う。この故事は、『史記』秦本紀穆公十五年九月壬戌の条に下記のように記載されている。 『史記』秦本紀穆公十五年(紀元前645):兵を興して秦を攻めようとすると、穆公も兵を出し、丕豹を将として親征し、九月壬戌の日、晋の恵公夷吾と韓地で合戦した。晋軍がついえ、晋君は本隊と離れ、めぐりめぐって馬がぬかるみの中に落ち込んだ。 穆公は麾下と駆けて之を追うが捕らえることができず、反対に晋軍に囲まれた。晋軍は繆公を撃ち、繆公は負傷した。 この時、岐下(岐山の麓)の良馬を食った者三百人が駆け、晋軍に打ち入った。これにより、晋軍は囲みを解き、繆公は危険を脱した。また、晋君を生け捕りにすることができた。かって繆公は良馬をうしなったが、これは岐下の野人が捕らえて食ったのであって、その人数は三百余人であった。役人が捕らえて罰しようとすると、繆公は「君子は家畜のために、人を害してはならない。わしは、良馬の肉を食ったら酒を飲まないと人を傷(ソコナ)う、と聞いている」と言って、皆に酒を賜い罪を赦した。三百人の者は、秦が晋を撃つと聞いて、みな従軍を願い、繆公が危険になったのを見ると、またみな鋒(ホコ)を推ししごき死を争って、馬を食って赦された徳に報いたのである。

長平の戦い (ちょうへいのたたかい)

紀元前260年(中国の戦国時代)に、秦と趙が長平(現山西省高平市)で雌雄を決した戦い。秦が中華統一を成し遂げるまでには数々の戦いがあったが、最大にして最悪の戦いと言われている。最終的には秦の大勝利とな... 関連ページ:長平の戦い

巫舞 (みぶ)

巫舞は蚩尤族の精神を内なる深い部分へ向け、人の持つ秘めたる力を引き出す術。意識を外界から乖離させ、集中力を研ぎ澄ませるために特殊な呼吸法と神堕としの舞により、意識を陶酔の中に落とし込む。具体的には蚩尤族の19氏族ごとに異なる拍子で舞い、特殊な呼吸法で変性意識状態で、意識を遠のかせ、感覚のままに超人的な剣技を振るう。

史記 (しき)

『史記』は司馬遷によって中国前漢の武帝時代に編纂された中国最初の歴史の通史。正史の第一で二十四史のひとつ。司馬遷自身がつけた書名は「太史公書」(たいしこうしょ)であったが一般的には『史記』と呼ばれる。「本紀」12巻(有史以来のおもな王朝の編年史)、「表」10巻(系図および年表)、「書」8巻(文物制度史)、「世家」30巻(列国諸侯の伝記)、「列伝」70巻(個人の伝記)から成る計52万6500字の紀伝体の歴史書。

六大将軍 (ろくだいしょうぐん)

『キングダム』の登場する用語。秦の昭王の尖兵となり、各国と縦横無尽に戦い、恐れられた六人の将軍を指す。彼らは昭王から戦争の自由を保障され、各自の判断によって戦争を行った。その筆頭は白起で、王騎、摎、王齕、胡傷、司馬錯の五将軍が続いた。昭王は彼らを使いこなすことで、秦の国力を飛躍的に増大させたとされる。 政が秦の王位についた時点では、王騎のみが存命していた。

合従軍 (がっしょうぐん)

『キングダム』の登場する用語。強大な秦を倒すため、趙の宰相李牧の呼びかけで、趙、楚、魏、韓、燕の五カ国が連合した軍。楚の春申君を総大将として函谷関を攻めた。

三大天 (さんだいてん)

『キングダム』の登場する用語。秦の六代将軍に対抗して戦った趙の三人の大将軍を指す。かつては廉頗、藺相如、趙奢の三名で構成されていた。唯一の生き残り廉頗の出奔以降、適任者が不在となり、趙の威勢は一気に衰えた。後、趙王は、龐煖、李牧を新たに任命し、秦に対して再度戦いを挑んだ。

アニメ

キングダム (第1シリーズ)

春秋戦国時代中国の西方の国・秦で暮らす少年、信と漂は、戦で武功を立て天下の大将軍になる夢のため、日々鍛錬を続けていた。大臣・昌文君の目に留まった漂は王宮に召し上げられたが、ある日瀕死の状態で戻ってくる... 関連ページ:キングダム (第1シリーズ)

キングダム (第2シリーズ)

下僕出身ながら、武功を立てて三百人将となった信と飛信隊は戦場を駆けまわっていた。一方、秦の王宮内では政と呂不韋の権力を巡る駆け引きが続いていた。そんな中、要衝である山陽地方を手に入れるため、秦軍は魏に... 関連ページ:キングダム (第2シリーズ)

書誌情報

キングダム 71巻 集英社〈ヤングジャンプコミックス〉

第1巻

(2006-05-19発行、 978-4088770796)

第4巻

(2007-02-19発行、 978-4088772134)

第5巻

(2007-05-18発行、 978-4088772592)

第6巻

(2007-07-19発行、 978-4088772899)

第7巻

(2007-10-19発行、 978-4088773360)

第8巻

(2007-12-19発行、 978-4088773612)

第9巻

(2008-03-19発行、 978-4088774091)

第10巻

(2008-06-19発行、 978-4088774626)

第11巻

(2008-09-19発行、 978-4088775043)

第12巻

(2008-12-19発行、 978-4088775630)

第13巻

(2009-03-19発行、 978-4088776118)

第14巻

(2009-06-19発行、 978-4088776637)

第15巻

(2009-09-18発行、 978-4088777153)

第16巻

(2009-12-18発行、 978-4088777719)

第17巻

(2010-03-19発行、 978-4088778198)

第18巻

(2010-06-18発行、 978-4088778730)

第19巻

(2010-08-19発行、 978-4088790152)

第20巻

(2010-11-19発行、 978-4088790572)

第21巻

(2011-02-18発行、 978-4088791012)

第22巻

(2011-05-19発行、 978-4088791418)

第23巻

(2011-08-19発行、 978-4088791845)

第24巻

(2011-11-18発行、 978-4088792231)

第25巻

(2012-02-17発行、 978-4088792682)

第26巻

(2012-05-18発行、 978-4088793306)

第27巻

(2012-08-17発行、 978-4088793900)

第28巻

(2012-11-19発行、 978-4088794556)

第29巻

(2013-02-19発行、 978-4088795218)

第30巻

(2013-04-04発行、 978-4088795607)

第31巻

(2013-07-19発行、 978-4088796093)

第32巻

(2013-10-18発行、 978-4088796819)

第33巻

(2014-01-17発行、 978-4088797366)

第34巻

(2014-04-18発行、 978-4088797823)

第35巻

(2014-07-18発行、 978-4088798677)

第36巻

(2014-10-17発行、 978-4088900278)

第37巻

(2015-01-19発行、 978-4088900988)

第38巻

(2015-04-17発行、 978-4088901411)

第39巻

(2015-07-17発行、 978-4088902302)

第40巻

(2015-10-19発行、 978-4088902777)

第41巻

(2016-01-19発行、 978-4088903477)

第42巻

(2016-04-19発行、 978-4088903965)

第43巻

(2016-07-19発行、 978-4088904719)

第44巻

(2016-10-19発行、 978-4088905129)

第45巻

(2017-01-19発行、 978-4088905716)

第46巻

(2017-04-19発行、 978-4088906225)

第47巻

(2017-07-19発行、 978-4088907017)

第48巻

(2017-10-19発行、 978-4088907598)

第49巻

(2018-01-19発行、 978-4088908397)

第50巻

(2018-04-19発行、 978-4088908908)

第64巻

(2022-02-18発行、 978-4088922164)

第65巻

(2022-06-17発行、 978-4088923321)

第66巻

(2022-09-16発行、 978-4088924250)

第67巻

(2023-01-19発行、 978-4088925684)

第68巻

(2023-04-18発行、 978-4088927381)

第69巻

(2023-07-19発行、 978-4088927473)

第70巻

(2023-11-17発行、 978-4088928951)

第71巻

(2024-02-19発行、 978-4088931197)

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