この漫画はSHYです。この漫画の主人公は紅葉山輝/SHYです。漫画のジャンルはヒーロー漫画であり、そのストーリーもヒーロー然としています。
…しかし、今巻で終結する東京奪還編においては違います。本章での主人公は天王寺昧/ウツロであり、そしてその本質は彼女の抱える自己嫌悪と、葛藤を克服し自分自身を受け入れることにありました。
カレン・ホーナイの『心の葛藤』に曰く、歪な発達を遂げた心理は人に追従する、人を攻撃する、そして人から離反する三つの類型に分けられるといいます。多くの場合、人間として遂げるはずの健全な成長を阻害され、解消されない不安を抱えたまま内面の欠如に直面し、現実と理想の自己像が乖離することで、嫌悪を自己と他者へ向けるようになる。これまでの描写をなぞれば、天王寺昧/ウツロは人から離反する類型を完全に沿っていることが明白でしょう。
作劇上の悪役としてみると、東京奪還編でのウツロの行動は一貫性のない不可解なものでした。スティグマとの会話で自身の意志でなく、あくまで道具として一連の陰謀を全うすると話していた彼女は黒球の内部で曖との対話やSHYとの戦闘の中でも、実姉である曖の方へ執着しているようであり、いざ黒球が破綻しそうになれば鬼気迫る雰囲気で殻を割り、最後には黒球の恐怖を自身の身で受け止めようとしました。不可解です。どの部分を切り取っても、彼女の行動は一貫していないように思えます。では、一人のキャラクターとしては?
人から離反する志向性を持った心理にはいくつかの特徴があります。第一に、自己からの情動的体験の阻害し、感受性を鈍磨させ何を愛し、憎み、願い、怖れ、信じているのか、他者以上に自分自身に対して傍観者的な態度をとろうとすること(結果として、感情の枯渇や空虚感、現実感の喪失が引き起こされます)。何人にも、何物にも愛着を抱かず、自身にとって不可欠なものを作ろうとしないことが離反型心理の基本原則とされます。結果、彼らは情動的な距離を保とうとしていかな体験だろうと他人と共有することを嫌う、他人にかき乱されたくないからです。自分は他者とは違う特別な人間である、その感情が無ければ当然この心理は機能せず、機能が止まれば却って抑え込んできた不安を直面して、必死になった情愛や保護を求め、ある事実を認めることを余儀なくされます。他者とかかわらない静的な空間では、誰も決してなんら変化を生まず、発展も、救済もないという事実を。
天王寺昧は死にました。自身の優しさと、冷酷な価値観を是としているギャップに絶望し、誰にも看取られずに死にました。そしてウツロとなり、自信が打ち砕かれ、絶望による無謀さで霜賀の里を焼いたその瞬間から、ずっと焦がれていた情愛を求めて行動するようになります。安寧と、そして幸福の象徴であった実姉へと。ウツロとは昧の汚れ仕事をこなす別人格でも、解離を起こした意識でもありません。むしろその反対で、表層にいるウツロこそが彼女の自意識であり、心のなかに繋ぎ止められた天王寺昧とはホーナイの言う理想化し、切り離した自信に他なりません。しかし他者との対話を拒否していた彼女はSHYにより半ば強引に自身の中へ分け入られ…再び、拠り所を奪われました。スティグマとの僅かな関係に因った黒球の破壊も失敗し、そして、彼女には何も残りません。自身が殺してきた数多の屍と、罪以外には。残酷なのは、曖と共に幸福の象徴だった朱鷺丸たちがすぐ傍にいたことに、最後に至るまで気が付けなかったことでしょう。
しかし、これはヒーロー漫画です。悪役を暴力でとっちめて、それで終わりじゃありません。
ウツロとSHY、そして曖の対話は自己嫌悪の克服過程を鮮明になぞっています。諸法無我の境地により昧の心へと押し入ったSHYは、ウツロの感情による現実の自己への決めつけを追求しました。
「昧さんもあなたと同じように言っていました、自分を罪人だと鎖で縛りつけて人を拒絶するように…自分を許されざる人間だと思って、自分を罰し続けていました。昧さんは不器用すぎですよ」
そして朱鷺丸と曖との対話を経て、ウツロは自身への嫌悪とは無縁な自信を達成します。それは、在りし日の風景でも、天王寺昧としての姿でもなく、ただ内から湧き出る自発的な感情へと身を任せた…今巻の表紙にもなっている、姉妹の共闘という形で。
そして心理障害の克服、その最終段階として彼女は自身の嫌悪へと、何処までもしがみ付いてくる数多の骸と死へと直面し…それを自身の一部として拒むことなく受け入れ…そして、他者と調和することで心の壁を取り払い、アマラリルクとして成り立たなくなった彼女は、二度目の死を迎えました。
4巻にわたって繰り広げられた東京奪還編は新たなアマラリルクのお目見えや、ヒーローとの戦闘など様々な要素がちりばめられていましたが、その実、根底にあるのは天王寺昧という個人が抱えた葛藤がウツロという形で抽出され、そして克服されるまでのストーリーです。当然、その上にはエンターテイメントとし様々な肉付けがされていましたが、この漫画は非常に丁寧に心理障害が取り除かれるまでを描写しています。ヒーローも、ヴィランも、黒球もその上のサブプロットに過ぎず、この長編の本質は、一人の少女が自らの自己嫌悪に向き合い、葛藤を克服してあるがままの自分を受け入れる物語でした。
…そして、何よりもおぞましいのはアマラリルクとしてのウツロが如何に自分を解き放ち、調和と充足を得たとしても。天王寺昧は死亡しているという事実です。スティグマが彼女の亡骸と強く残る慙愧をつなぎ合わせてウツロを作りました。天王寺昧は、それで終わりなのです。空っぽのウツロが情愛を分かち合った曖へ執着していた事実は、天王寺昧が後悔と絶望の中で曖との僅かばかりの幸福を求めて死んだことの証明に他なりません。
今巻でクフフによって語られるアマラリルクの在り方とウツロの顛末は、あまりにも矛盾していて、スティグマの非道さを今一度明らかにします。スティグマの手によって生み出された彼らは、一切の克服も成長も許されず、苦しみ続けなければ存在し続けられない。今に至るまで、ここまでグロテスクで悍ましく哀れな存在がいたことでしょうか?
小石川の語ったスティグマの子供じみた抽象的な内面…本人の行った心を繋げ分かり合うことを是とした供覧とは相反するアマラリルクの存在、そしてスターダストとの戦闘に際して溢した、情動を否定する実存主義に寄った言葉の数々。一巻から登場していたスティグマが、本格的にヴィランとしての存在感を大きくしてきました。連載では、幾らかの閑話を挟んで再びスティグマとアマラリルクが行動を開始します。その眼差しを…SHY個人へとはっきりと向けながら。次巻以降も期待しています!