薩摩義士伝

薩摩義士伝

江戸時代、幕府に濃州・勢州・尾州にまたがる木曽川・長良川・揖斐川の三大河川の治水を行うよう、命じられた薩摩藩内部の騒動と、この工事へと赴いた藩士や関係者のエピソードをオムニバス形式で描いた歴史群像劇。

正式名称
薩摩義士伝
ふりがな
さつまぎしでん
作者
ジャンル
時代劇
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概要・あらすじ

薩摩藩は幕府より濃州・勢州・尾州にまたがる木曽川・長良川・揖斐川の三大河川の治水を行うよう命じられる。多額な費用、および人足が拘束されることにより薩摩藩の弱体化を狙っているとも思われるこの幕命に、倒幕の声すらあがるものの、平田靭負はこれを納め、薩摩藩士は治水工事へと赴くこととなる。

後に宝暦治水と呼ばれるこの治水工事を巡る様々なエピソードをオムニバス形式で描いた歴史群像劇。

登場人物・キャラクター

斯波 左近 (しば さこん)

薩摩藩の郷士の男性。藩からいただく俸禄だけでは生活が成り立たないため、大工や棺桶を作りなどを生業としている。上級武士の横暴な振る舞いに耐えきれず、報復としてこれを斬り殺した罪で捕縛。取り調べを受けている間も暴れ、城下士を死傷させたことで死罪人となり、ひえもんとりに参加させられる。 後に、宝暦治水に参加。仲間思いで、武士としての志や技能が高い。

権堂 十三郎 (ごんどう じゅうざぶろう)

城下士の青年。ひえもんとりで父を斯波左近に殺されたため、武士の誇りを守り通すために斯波左近を倒すことを誓う。極端な精神論に走る二才教育に疑問を持ち、これに反抗しているため、他の武士からはつまはじきとなっている。郷士の娘と恋仲となり、結婚の約束をしていたが、父に強く反対された上、恋人を何者かに斬り殺されている。 後に宝暦治水に参加。

猪飼 長兵衛 (いのかい ちょうべえ)

薩摩藩の武士の青年。弟は怪力ながら知能に問題があり女性を襲うことがあり、父は酒が切れると刃傷沙汰をおこすため、近隣の住人から強く問題視されていた。宝暦治水に参加するにあたり、病床にあった母も含め家族をすべて殺してきたのではという噂が大阪へ向かう船中で流れ、これを確認をするために長兵衛の荷物を勝手に確認した武士1名を殺害。 他同行した武士2名は切腹となる。この騒動を起こした罪を問われ、自身も切腹を申し付けられる。

鬼頭 兵内 (きとう へいない)

名字帯刀を許された美濃の豪農。鎮西八郎為朝の末裔とされる。幕府から禁じられた薩摩藩の武士たちを宿泊させるための宿舎の建造を行い捕縛されるも、意思を曲げずこれを通した。

薩摩藩の武士 (さつまはんのぶし)

宝暦治水のために美濃に到着し、村を見回っていたところ、上村と下村の排水を巡る争いに巻き込まれ、これを治めるために、切腹を行った。作付けできる田畑に二つの村が平等に耕作を行うよう願い、これが受け入れられ、争いは納まり、農民の手により医者の元に運ばれた。半年後には傷が癒え、治水工事に従事したという。 作中で名前は明らかにされていない。

銀次 (ぎんじ)

美濃の輪中で船頭を行う男。家号は銀舟。舟問屋尾張屋の極悪非道な支配を逃れようと、仲間達と反乱を起こす。家族が人質に取られ、殺されようとも、その意思を曲げる事はなかった。

伊集院 十蔵 (いじゅういん じゅうぞう)

薩摩藩の副奉行。宝暦治水に発生した郷士と城下士の間の諍いを止めるため、覚悟を見せろという森岡の言葉を受け、火中に飛び込み、全身大火傷を負う。

木村 伊兵衛 (きむら いへえ)

宝暦治水を管理するために美濃へやってきた幕府側の役人。正義感が強い性格のため、賄賂を受け取ったり、薩摩藩の武士たちを苦しめようと動く同僚達の振る舞いに嫌気がさし、役人を辞め、人夫のひとりとして働き始める。治水工事が終了した後も、宝暦堤に残り、これを見守る事を選択する。

地知岩 (ちじいわ)

勘定方として宝暦治水に参加した薩摩藩の武士。冷静沈着で分別がある男とされる。竣工する資力がなく、これ以上の工事は無理であり、反逆すべきであると、上司の宇垣に申し出る。宇垣は己の手を切り落とし、これを止めようとするが、拒否。副奉行の伊集院十蔵に同様の申し出をするも、退けられたため、髪を落して武士の身分を返上し、荷揚げの人足として働きはじめる。

平田 靭負 (ひらた ゆきえ)

薩摩藩の老中。 幕府より宝暦治水の命を受け紛糾した話し合いを、「ビタ一文の金が得られるなら 恥も外聞も捨てよ」という己の言葉を実践することで場を治め、賛同を得た。なお、このとき平田靭負にビタ一文を投げつけ、殴りつけた武士は、靭負に感服した後、その場で切腹している。

その他キーワード

宝暦治水 (ほうれきちすい)

『薩摩義士伝』に登場する治水工事。濃州・勢州・尾州にまたがる木曽川・長良川・揖斐川の三大河川の治水を行うよう、幕府より薩摩藩に命じられ、行われた。この工事の出費により、薩摩藩を困窮させようという、幕府の意図があったのではないかとされる。

二才教育 (にせきょういく)

『薩摩義士伝』に登場する風習。薩摩藩における城下士の青少年たちへの独特な教育。強固な武士魂を鍛え、強固な武士になること以外は「一切厳禁」とする。その中には、女子を極めて不浄な最大の敵とし、忌避するなどの風潮もあった。その教育は六歳から始まり、十歳までを小稚児組(こちごぐみ)といい、十一歳から十四歳までを長稚児組(おせちごぐみ)、十五歳から二十四歳を二才組(にせぐみ)、二十五歳以上を長老組とする。

城下士 (じょうかし)

『薩摩義士伝』に登場する武士の階級。薩摩藩における上級武士の総称。郷士を殺しても届け出のみで許されるなどの特権を有しているが、その分、格式やしきたり、誇りなどが重視され、これにそぐわぬ行為を行う場合は家長より殺される事もある。

郷士 (ごうし)

『薩摩義士伝』に登場する武士の階級。下級武士。城下士と呼ばれる上級武士とは歴然とした身分差があり、城下士が郷士を殺した場合でも、唐紙一枚の届け出で城下士には罪がないしきたりであったという。

ひえもんとり

『薩摩義士伝』に登場する風習。死罪人を馬に乗せて放ち、この死罪人の生き肝を得るために東西の軍に別れた武士たちが争奪戦をする、薩摩藩に伝わる風習。定められた場所まで逃げ切る事ので来た死罪人は、無罪放免となる。ひえもんとりの名称は「生臭いものを取る」という、薩摩の方言に由来する。

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