概要
漫画家。男性。高校2年から「漫画少年」に投稿を始め、卒業後も電話局に勤めながら投稿を続けていた。1953年、漫画家になるために上京、「トキワ荘」に入居する。1956年「野球少年」に『背番号0』を連載し、デビュー。漫画家「藤子不二雄」らと「新漫画党」を結成、漫画誌に多数の作品を掲載するなど様々な活動をする。
「トキワ荘」では、リーダー的な存在であり、特に後輩の「我孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)」や「赤塚不二夫」から慕われていた。しかし、1981年に『漫画少年史』を出版したあとは、「トキワ荘」のメンバーともほとんど会わない生活を送る。
他界する2年前の1990年に、突然「トキワ荘」メンバーを集め自宅で宴会を催したあと、俗世とは一切関わらない生活を送り、1992年9月24日、自宅の離れで息絶えているのを妻に発見された。満61歳であった。
代表作に『スポーツマン金太郎』『もうれつ先生』『暗闇五段』などがある。『スポーツマン金太郎』で、第1回講談社児童まんが賞を受賞。1982年度『漫画少年史』で、第11回日本漫画家協会賞選考委員特別賞を受賞した。
ヒストリー
- 1931年8月4日
新潟県新発田市に生まれる。
- 1953年
漫画家になるために上京、「トキワ荘」に入居。
- 1956年
「野球少年」に『背番号0』を連載し、デビュー。
- 1958年
『もうれつ先生』を連載。
- 1959年
「週刊少年サンデー」に『スポーツマン金太郎』を連載。
- 1963年
「週刊少年サンデー」に『暗闇五段』を連載。
「新漫画党」を結成。
- 1981年
『漫画少年史』を出版。
『スポーツマン金太郎』で、第1回講談社児童まんが賞を受賞。
- 1982年
『漫画少年史』で、第11回日本漫画家協会賞選考委員特別賞を受賞。
- 1992年9月24日
自宅の離れで息絶えているのを妻に発見された。
受賞
第1回 講談社児童まんが賞
- 1982年
第11回 日本漫画家協会賞選考委員特別賞