概要
東洋大学の学生であったが、昭和二十年一月に、臨時召集令状が届き出征することとなる。兵役検査では第一乙との評価を受けていた。学生の頃は本郷で下宿しており、読書好きであった。おはぎが好物。入隊するために、故郷の名古屋に帰り、その後、兵庫県加古川市にて歩兵連隊に入隊。
二週間で移動となり、北満州の遜呉へと赴き、関東軍に配属される。この地で終戦を迎え、ソ連軍の捕虜となった。最初に連行された収容所は、黒竜江(アムール川)沿いのキヴダ収容所。10月10日に、キヴダ収容所に到着するが、移動を始めた頃は夏であったため、極寒の地ながら、夏服のままであった。収容された年の冬に生死の境を彷徨うが、奇跡的に一命を取り留めている。
だが、これにより体力が格段に落ちたため、キヴダ収容所では使い物にならないとされ、ライチハ(ライチヒンスク)へと移された。ライチハでは生活環境が向上した一方で、ソ連による思想教育により、かつての仲間達が争う様を見せられることとなる。このライチハの収容所にて、小澤は「流れるように生きていこう」という心境に達したという。
ライチハの次は、アムール川の島にある収容所へ移されている。ここでは居住環境こそ悪化したものの、監視者たちとのトラブルもなく、牧草を刈っての飼料作りや農作業などに精を出し、比較的に穏やかな日々を過ごすこととなる。アムール川の島にあった収容所が、捕虜生活最後の地となり、この地にて帰国の許可を受けた。
シベリア鉄道でナホトカまで移送された後、栄徳丸に乗って帰国。この際には、アムール川の島にあった収容所で一緒だった碓氷だけでなく、キヴダ収容所で別れた加藤とも奇跡的に再会している。昭和二十四年十一月四日、舞鶴港にて、再び日本の地を踏んでいる。
帰国後は、捕虜時代のことを忘れようとし、事実、大部分を忘れて生きていたが、娘・おざわゆきの、シベリア抑留についての漫画を描きたいという要望に応え、記憶をたどって、体験談を語るようになる。その記憶は、かなり奥へと仕舞われていたようであり、作者による質問に対する応答をするうちに、時間を前後して新たな事が幾度も浮かび上がってきたという。
取材を受けるうちに、少しずつ過去のことに触れる積極さが出て、舞鶴の引揚げ記念五十周年の式典に出席した。この地にて、辛いことをいろいろ思い出させたことを謝る娘に対して、「そんでもまあ、舞鶴に来て良かったわ」と述べている。
登場作品
氷の掌 シベリア抑留記 (こおりのて しべりあよくりゅうき)
第二次世界大戦終了後、ソ連軍の捕虜となり、シベリア抑留を受けた小澤昌一。学徒出陣し、まだ年若かった彼が、シベリアの地で味わった、恐怖と絶望、人間の善性・業などが描かれた体験記。小澤昌一の娘、おざわまり... 関連ページ:氷の掌 シベリア抑留記
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