概要・あらすじ
学徒動員を受け、関東軍に配属された小澤昌一は、満州の地で敗戦を迎えた。ソ連軍の捕虜となり、シベリアへ連行され、労働を強いられることとなる。極寒の地でバタバタと倒れていく仲間達。最初に収容されたキヴダ収容所で、小澤も危うく命を落としかける。普通の少年だった小澤だが、過酷な環境の中で強烈な体験をし、運命の波に流れるように生きていこうと考えるようになっていく。
登場人物・キャラクター
小澤 昌一 (おざわ まさかず) 主人公
東洋大学の学生であったが、昭和二十年一月に、臨時召集令状が届き出征することとなる。兵役検査では第一乙との評価を受けていた。学生の頃は本郷で下宿しており、読書好きであった。おはぎが好物。入隊するために、... 関連ページ:小澤 昌一
加藤 (かとう)
メガネをかけた陽気で感情豊かな男。関東軍に配属された小澤と同室となる。終戦後、ソ連軍の捕虜となり、キヴダ収容所へと連行された。収容所では、いろいろと情報を仕入れてくるなど、気のまわるところがある。小澤と別れた後、チフスにかかって入院。回復後、別の収容所に入れられていたが、奇しくも小澤と同じ復員船、栄徳丸にて帰国することとなる。
阿矢谷 (あやたに)
関東軍に配属された小澤と同室だった人物。岐阜出身で、入隊前は御岳山が見られる地域で過ごし、家族と農作業をしていたという。終戦後、ソ連軍の捕虜となり、キヴダ収容所へと連行された。優しい男であり、懲罰で部屋の寒い場所へと追われそうになっていた加藤と代わったり、体調を崩した鷲見の分まで働くなどしている。 収容所で落ち込む仲間に対し、必ず生きて帰って、うまい飯を食おうと励ました。大勢から慕われていたが、厳しい収容所生活で体力を失っていき、仲間達が見守る中、死亡。春になれば、帰れるから希望を捨ててはいけないと、最後まで仲間達を励ましていた。
満州義勇隊の少年 (まんしゅうぎゆうたいのしょうねん)
満州の開拓団の子供だったが、軍の命令により、他の男手とともに、村から徴集される。塹壕を掘る手伝いなどをしていた。父は南方で戦死し、母と小さな妹と、3人暮らしをしていた。徴集により、彼の村は、男手がなくなり、彼の妹は怯えて泣き止まなかったという。ソ連軍の空爆に巻き込まれ死亡。 16歳に達していない年齢だったという。
鷲見 (すみ)
体が弱く、キヴダ収容所で強制労働をさせられていた小澤の身近にいた仲間の中で、一番最初に命を落とした。物資の少ない収容所生活で、一人でも多く生き残るため、隊長の指示により、衣類を剥がれ、埋葬されるまでの間、裸で安置されることとなる。
碓氷 (うすい)
ライチハ収容所に収容されていた日本人。満州の通信社に勤めていたらしく、語学の素養があった。ライチハの前の収容所で、ソ連軍の兵舎で使役され、この際にロシア語を身に付けている。作業効率を維持するためにも、日本人に対する無茶な扱いを止めるように地区司令官に掛け合い、待遇の改善を獲得した。 インテリだが、人格者でもあり、収容所の面々から慕われていた。共産主義教育が収容所内で猛威を振るうようになると、柳によって仲間内での人民裁判を受ける。この際に、凍傷にかかり、足と手の指を何本か失った。その後、小澤ともに、アムール川の島にある収容所に移った。その後、小澤とともに栄徳丸に乗って帰国する。 共産主義について、その精神は素晴らしいが、哲理と実像があまりにも矛盾しているために、賛同はできないと考えていた。
柳 (やなぎ)
ライチハ収容所に収容されていた元下士官。収容所では、人一倍まじめに働きノルマもこなしていたが、自分より働いていないゴマすり人間が給料を自分より多く貰っていたり、班長がかつての階級によって決められていることに不満を抱いている。階級の恩恵を受け、収容所でも労働をせずに過ごしていた特に橋口大尉や園村中尉を敵視していた。 一時的にハバロフスクでソ連からの教育を受け、共産主義に染まり、日本へ帰って共産主義を広めようという言動をとるようになる。ライチハに共産思想組織の突撃隊というものができた後は、そこの幹部的な立場に収まり、密告の受け入れや、反共産主義者とされた人物の吊るし上げなどを行った。 碓氷もこの犠牲になっている。
館林 (たてばやし)
ライチハ収容所に収容されていた人物。収容所の作業の一貫として、収容所近くの民家の修理に借り出された際、その家の娘、ターニャと仲が良くなる。ターニャは、彼のためにカチューシャを歌い、日本に帰らないで欲しいと訴えたという。館林は、ターニャが、ドイツ軍の侵攻により、田畑が破壊され、戦勝国でありながら、どん底へと落ち込んでいる自分達と、館林たちの境遇に近しいものを感じていたため、自分に親愛の情を持つようになったのではないかと推測している。
コンコン様 (こんこんさま)
ライチハ収容所に収容されていた。コンコンさんと呼ばれる宗教の信者であり、時折、収容所内で「コンコン様の予言」を語っていた。その内容は、いついつ帰国できるというものであり、一度も当たったことはなかったが、捕虜の中には、わらにも縋る気持ちで、これに希望を抱くものも少なくなかった。 脱走を試みるが失敗し、連れ戻されている。本名は不明。
橋口 (はしぐち)
ライチハ収容所に収容されていた日本陸軍の元大尉。その階級のために優遇を受けていたのか、収容所でも重労働を免れていた。このためもあって、柳から目の仇にされる。収容所内に共産主義教育の波が押し寄せて後、柳によって「反動」(反共産主義者)とレッテルを貼られ、吊るし上げを喰らい、精神がずたずたになっていった。
集団・組織
突撃隊 (とつげきたい)
『氷の掌 シベリア抑留記』の組織。ライチハの収容所で作られた共産党に傾倒する者たちの組織。共産主義を学び、日本へ持ち帰って日本を共産主義の国家へと作り変えるための教育などを行う。突撃隊員は、食糧配給など給与が優遇された。突撃隊員によって、作業のための移動の際に歌っていた歌謡曲が禁じられ、「インターナショナル」や「赤旗の歌」など、革命歌・労働歌が推奨されたり、労働後の勉強会などを主催し、半ば強制的に参加させ、思想統制を行った。 反共産主義の捕虜の密告を推奨し、「自己批判」や人民裁判なども行っていた。
場所
キヴダ収容所 (きゔだしゅうようじょ)
シベリアの強制労働収容施設。炭鉱のそばにつくられており、収容された人々は石炭堀りをやらされていた。環境は劣悪で、日本人が作らされた建物があったが、粗末であったため、連れて来られた後に、小澤たちが作り直しているほど。約千人が収容されていたが、小澤たちが収容された年の冬に、約半数が死亡している。 流刑地であったため、ソ連の囚人もここに送られてきていた。小澤がライチハ収容所へ移動した後、この収容所の人員は日本へと帰国したという。アムール川に比較的近く、ライチハ収容所より西側にあった。
ライチハ収容所 (らいちはしゅうようじょ)
約8000人が収容されていた大きな収容所。キヴダ収容所と違い、建物が立派で、食事面・衛生面も、格段に充実していた。炭鉱場であったが、土木作業や丸太の運搬・切り出しなどの業務も存在した。ここの捕虜達のうち、共産党員へと染め上げるのに有望と目された者は、ハバロフスクへと連れて行かれ、教育を施して収容所に戻されていた。 ライチハの正式な名前は、ライチヒンスク。キヴダ収容所より東側に位地し、アムール川から比較的近い位置にある。
その他キーワード
アクチブ
『氷の掌 シベリア抑留記』で使われている用語。共産党の活動家のことを指す。彼らは資本主義などを認めず、共産主義を至上とし、周囲の人々に思想教育を行っていく。また、人々を共産主義の思想に染め上げていくために、組織作りを行うのも特徴。