概要
日本の漫画家。男性。1945年8月6日、国民学校1年生だった中沢は広島で被爆。父と姉、弟を原爆で亡くした。戦後、手塚治虫の『新宝島』に感銘を受け、漫画を描き始める。中学卒業後は看板屋に就職。働きながら漫画の投稿を続け、「おもしろブック」に時代劇漫画が入選した。1961年2月に一峰大二のアシスタントになるため上京。1962年『スパーク1』が「少年画報」に掲載されて漫画家デビュー。同作品を1年間連載しつつ一峰のアシスタントも並行して務めた。その後、辻なおきのアシスタントも務めながら連載作品や読切作品の発表を続けた。1966年に母親が死去。火葬した際に、放射能のため母の骨がすべて灰となった事に憤りを覚え、漫画で原子爆弾の非道性を訴える事を誓う。こうして漫画『黒い雨にうたれて』が描かれたが、掲載する出版社はなかった。しかし、持ち込みを続けた結果、内容に感動した編集長の決断により1968年5月、「漫画パンチ」(芳文社)に掲載される。作品は好評で、その後も原爆を題材とした『黒い川の流れに』『黒い沈黙の果てに』『黒い鳩の群れに』といった「黒いシリーズ」が描かれ、同誌に掲載された。その後、同じテーマの漫画『はだしのゲン』を、1973年から「週刊少年ジャンプ」にて連載開始。連載中の人気は高くなかったものの、汐文社での単行本発行後から、次第に名作として知られるようになり、各メディアにも取り上げられてベストセラーとなる。同作品は「週刊少年ジャンプ」での連載終了後も、掲載誌を替えながら描かれ、1985年に第一部が完結した。現在『はだしのゲン』は十数か国語に翻訳され、世界中で読まれている。2004年には同作品がアングレーム国際漫画祭で、「環境保護に関する最優秀コミック賞」を受賞した。2012年12月19日、肺がんのため広島市民病院で死去。
ヒストリー
- 1939年3月14日
広島県広島市に生まれる。
- 1945年8月6日
広島で被爆。父と姉、弟を原爆で亡くす。
- 1961年2月
一峰大二のアシスタントになるため上京。
- 1962年
『スパーク1』が「少年画報」に掲載されて漫画家デビュー。
- 1966年
母親の死をきっかけに、反戦漫画を描く事を決意。漫画『黒い雨にうたれて』の執筆を開始。
- 1968年5月
『黒い雨にうたれて』が「漫画パンチ」に掲載される。
- 1973年
『はだしのゲン』が「週刊少年ジャンプ」にて連載開始。
- 1975年
『はだしのゲン』の単行本が汐文社より発売される。
- 1976年
『はだしのゲン』が実写映画化され、公開される。
- 1983年
『はだしのゲン』がアニメ映画化される。自ら制作費を調達。
- 2002年
第14回谷本清平和賞を受賞。
- 2004年
『はだしのゲン』がアングレーム国際漫画祭で、「環境保護に関する最優秀コミック賞」を受賞。
- 2012年12月19日
肺がんのため広島市民病院で死去。
受賞
- 2002年
第14回 谷本清平和賞
- 2004年
アングレーム国際漫画祭環境保護に関する最優秀コミック賞/『はだしのゲン』
作品
- 1968年
-
黒い雨にうたれて
作者
- 1973年
-
作者
関連キーワード
一峰 大二 (かずみね だいじ)
漫画家。男性。1956年『からくり屋敷の秘密』で、デビュー。多くの特撮ヒーロー作品のコミカライズを描き、特にピー・プロダクションの作品を漫画家している。「週刊少年チャンピオン」と「冒険王」に『スペクト... 関連ページ:一峰 大二
辻 なおき (つじ なおき)
日本の漫画家。男性。京都市立美術大学中退。1954年に野球漫画で漫画家デビュー。1955年に上京し、紙芝居や少年小説の挿絵などを描きつつ、雑誌に漫画を連載し始める。1963年より、「少年キング」に『0... 関連ページ:辻 なおき