なぜ「関ヶ原の戦い」が起きたのか。その舞台裏を描く
物語の始まりは、1598年8月18日未明、天下統一を果たした豊臣秀吉の死。幼い豊臣秀頼が成人するまで、天下の政は徳川家康を筆頭とする五大老と石田三成らの五奉行が行うことになった。目下の課題は、秀吉が泥沼化させた大陸侵攻(唐入り)の中止と撤退。唐入りした加藤清正、小西行長ら渡海衆の疲労と不満は頂点に達している。また敵国との和睦撤退にこぎつけたとして、彼らへの恩賞とする土地がないというのが実態であった。下手を打つと、渡海衆による未曽有の内乱が起きてしまう。五大老と五奉行は、いかに唐入りを収束させ、内乱を防ぐかという点で思いを一つにしていた。しかしそれから2年後、内乱を防ぐための政治闘争が、日の本史上未曽有の内乱「関ヶ原の戦い」に帰結してしまう。本作は、「家康による天下簒奪(さんだつ)の陰謀」や「三成の豊臣氏への忠孝」といったこれまでの見方を捨て、関ヶ原の戦いに至るまでの舞台裏を描いている。
五大老・五奉行体制の中、政治闘争が増進
秀吉は自分の死後、権力の集中及び内紛を防ぎ、相互監視ができるように、五大老・五奉行制度を設ける。五大老の役割は、統制・責任・決定権。徳川家康を筆頭に、上杉景勝、毛利輝元、前田利家、宇喜多秀家という諸国の有力大名が務めた。五奉行は、実際の行政を行う役割で、浅野長政を筆頭に、石田三成、増田長盛、長束正家、前田玄以が名を連ねている。「唐入り撤退」「渡海衆への詫び」という点で一致している五大老・五奉行だが、三成が、撤退命令の書状に大老衆の署名は不要としたことで、大老衆の不興を買う。その後も、家康の政略結婚「家康私婚事件」、加藤清正らが三成を糾弾する「七将襲撃事件」などを経て、家康と三成を軸に政治闘争が拡大していく。
新しい解釈による家康と三成
本作で描かれる家康は、怒りっぽくてお調子者でもあり、参謀の本田忠信にたしなめられては愚痴をこぼすといった人間臭い一面を持つ。「馬鹿者」が口癖で、会議の席で言ってしまって失敗したり、秀吉の遺言で禁止されていた「私婚」を進めて窮地に立たされたりと失敗も多い。一方三成は切れ者であり、唐入りしている渡海衆の撤退に尽力し、人望を得る。所詮は小役人と、どこか蔑まれていたが、「七将襲撃事件」で失脚する際の肝のすわりようは、戦国大名に遜色がない。大人物の家康、嫌われ者の三成といった典型的な描き方をしていないのも本作の特長である。
登場人物・キャラクター
徳川 家康 (とくがわ いえやす)
関東を領国とする大名。石高は250万石。豊臣秀吉の死後、五大老筆頭として天下を守る立場になる。秀吉が泥沼化させたままの大陸侵攻(唐入り)を収束させるため、五奉行の言う通りにしようとするが、少しずつ歯車が狂い、石田三成と対立していくことになる。秀吉から内大臣に任じられていたため「内府、内府殿」と呼ばれる。側近の本田忠信の言うことを聞かず、失策をすることも多い。口癖は「馬鹿者」。同名の実在人物がモデル。
石田 三成 (いしだ みつなり)
佐和山を拠点とする大名。石高は20万3200石、豊臣秀吉の家臣で五奉行の一人。秀吉の死後、家康に私心があるのではと警戒する。大陸侵攻(唐入り)している渡海衆の撤退に尽力し人望を集める。またその際、万一に備え、西国大名の国力を把握するという抜け目なさを持つ。しかしその後、渡海衆の中で不満を抱える加藤清正らの訴訟を受け、佐和山城で隠居することになる。秀吉から従五位下・治部少輔に叙任されたことから「治部、治部殿」と呼ばれる。同名の実在人物がモデル。
書誌情報
大乱 関ヶ原 3巻 リイド社〈SPコミックス〉
第1巻
(2023-04-27発行、 978-4845862177)
第2巻
(2023-10-27発行、 978-4845862986)
第3巻
(2024-06-27発行、 978-4845866564)