概要・あらすじ
時は戦国時代末期。もともとは身分の上下を気にしないことが信条の道々の者だった主人公の世良田二郎三郎元信は、その鉄砲の腕を買われて一向一揆に加わっていた。そこで二郎三郎が出会ったのが元徳川家家臣の本多弥三郎正信。10年にわたりともに各地で転戦した二郎三郎と正信だったが、正信にはある考えがあった。
それは徳川家康に瓜二つの二郎三郎を家康の影武者にすること。のちに織田信長によって一向一揆が鎮圧されると正信は徳川家に帰参し、二郎三郎を家康の影武者に推挙する。
それから10年の時がたち西暦1600年、ついに戦国時代が終わりを迎えようとしていた。
新しい世を作ろうとする家康と、豊臣家に対する忠義を貫こうとする石田三成は全面的に対立。関ヶ原にて雌雄を決することとなる。数に勝る石田方に対し、徳川方は調略で対抗。その気配を感じ取った三成の家臣・島左近勝猛は、配下の忍・六郎に家康暗殺を命じる。六郎は困難を極める徳川陣営への潜入に成功。
瓜二つの影武者の存在に当惑するものの、鋭い観察眼によって本物を看破し、見事家康暗殺を成し遂げるのだった。その情報がもたらされたことで戦場は一時混乱に陥るが、息が絶える前の家康にあとを託された二郎三郎が家康として振る舞うことで事態は収束。小早川秀秋の寝返りを契機に石田方は壊滅し、関ヶ原の戦いはわずか1日にして徳川方大勝利で幕を閉じる。
これで天下が定まったと、二郎三郎はかねてよりの願いだった自由な道々の者へと戻ろうとするが、唯一真相を知る徳川家重臣・本多平八郎忠勝に、「真田昌幸によって上田城に足止めされ、遅参している徳川秀忠の到着まで家康を演じてほしい」と懇願され、これを承諾。
しかし実際に秀忠に接すると、表向きに見せる誠実な人柄とは裏腹に、内面は残酷で暗い野望を秘めた人物だった。それを知った二郎三郎は、敗軍の将となった三成と面会し、三成が私心なくただ豊臣家のために義を尽くす人物であることを知り、秀忠の野望を阻むために水面下で戦うことを決意する。
登場人物・キャラクター
世良田 二郎三郎 元信 (せらだ じろうさぶろう もとのぶ) 主人公
元々は身分の上下にとらわれず、自分の思うままに生きる道々の者だったが、思いを寄せる女性・せきが一向衆だったため自身も一向一揆に加わった。鉄砲の達人で、戦力として重用される。三河の一向一揆に参戦した際、... 関連ページ:世良田 二郎三郎 元信
本多 弥三郎 正信 (ほんだ やさぶろう まさのぶ)
若きころより徳川家康に仕え重用されていたが、家康が一向衆に弾圧を加えたことにより、自身の信仰を守るため徳川家を離れ、一向一揆に身を投じた。そこで家康に瓜二つの世良田二郎三郎元信と出会い、いつの日か徳川家に帰参した際には二郎三郎を影武者にできればと考える。 そうした願望とは別に二郎三郎の人間性に触れ、確かな友情を育み、ともに各地を転戦。伊勢長島の戦いで重傷を負った二郎三郎の命を救う。その後、伊賀に隠れ住むが、本能寺の変で織田信長が倒れたのち、京から逃れようとする家康のもとに馳せ参じ徳川家帰参を果たした。のちにかねてよりの願望であった家康の影武者として二郎三郎を推挙する。 関ヶ原の戦いでは徳川秀忠のお目付役として徳川軍別働隊に随行。結果として決戦に間に合わず、戦後遅参したところ二郎三郎から関ヶ原の戦いで家康が暗殺されたこと、家康の遺言で二郎三郎が家康として振る舞うようになったことを知らされる。 一度は切腹を決意した正信だったが、二郎三郎から「家康の夢だった戦のない世の中の実現に協力してもらいたい」と乞われ、徳川家の天下を盤石にすべく奔走するように。同時に陰湿で残酷な本性を見せるようになった秀忠の野望を妨害するために、さまざまな策を講じる。同時代の実在人物・本多弥三郎正信がモデルになっている。
本多 平八郎 忠勝 (ほんだ へいはちろう ただかつ)
徳川家の重臣で徳川家きっての豪傑でもある。先手侍大将を任じられるなど徳川家康からの信頼も厚い。名槍・蜻蛉切の使い手。関ヶ原の戦いでは当初、前線で奮戦していたが、家康を暗殺したのち自陣に戻ろうとした石田方の忍・六郎を捕らえた。六郎から家康の死を聞き、ことの真偽を確かめるために本陣に駆け付ける。 本陣で影武者である世良田二郎三郎元信に接触。家康の死が事実で、今わの際に二郎三郎に徳川家の未来を託したことを知る。家康の願いを知り、二郎三郎に協力して関ヶ原の戦いを乗り切った。その際、次々と果断な決断を下す様を見て、二郎三郎に将器を見出す。 関ヶ原の戦い後も、徳川家のために二郎三郎に家康のふりをするよう懇願。「徳川秀忠が到着するまで」という条件で二郎三郎の承諾を得る。しかし真相を知った本多弥三郎正信が「秀忠では徳川家が持たない」とし、それに納得して二郎三郎をあくまで本物の家康として盛り立てていこうと決意。 だが秀忠も別ルートで真相を知り、忠勝が密かに埋葬した家康の墓を暴き、その首を送り付けてくる。この一件で秀忠の本性を知り、さらに冷酷さと残忍さがあからさまになると、正信とともに二郎三郎の防波堤になろうと努めるのだった。同時代の実在の人物・本多平八郎忠勝がモデルになっている。
お梶の方 (おかじのかた)
太田道灌の孫という出自を持つ美貌の女性。13歳のときに徳川家康の側妾となり、一身に寵愛を受けるようになる。一方、性格は勝ち気で、歴戦の勇士である徳川家諸将を相手取って一歩も引かない。関ヶ原の戦いに際しても開戦直前まで家康の近くに侍り、戦勝した折にはすぐに会うことを約束されていた。 しかし家康は関ヶ原の戦いで死亡、影武者の世良田二郎三郎元信が家康になりかわっていた。男女の関係にあるお梶の方は騙しきれないと考えた二郎三郎と真相を知る本多平八郎忠勝は、何かと理由をつけてお梶の方を近づけないよう画策。不審に思ったお梶の方は、機転をきかせて二郎三郎に近づき、ことの次第を知ってしまう。 もともと家康に愛情を持っていたわけではなく、没落した太田家を復興させることが目的だったお梶の方は、後ろ盾を失ったと絶望。しかし二郎三郎に連れ出され、多様な生き方があること、そしてそうした生き方を万民に与えるために戦のない世を作ろうとしていることを知らされる。 二郎三郎に協力を求められたお梶の方は、一人の男としての二郎三郎に惹かれるように。以後、あらゆる面で二郎三郎のために尽くすようになった。風魔の忍を子飼いにしている。同時代の実在の人物である英勝院がモデルになっている。
徳川 秀忠 (とくがわ ひでただ)
徳川家康の三男で家康の後継者とみなされている。温厚で人当たりが良いがそれは偽りの仮面であり、本質は陰険で残忍。長兄である徳川信康に切腹を申し付け、次兄である秀康を人質として他家の養子にした家康を怖れ、また嫌っている。関ヶ原の戦いでは家康率いる本隊には加わらず別働隊を率いるが、道中で真田昌幸が守る上田城攻略が難航。 結局、上田城を落とすこともかなわず、決戦にも間に合わなかった。失態への処遇に怯えていたところ、家康は死亡しており、影武者だった世良田二郎三郎元信が家康として振舞っていることを知る。目の上の瘤がなくなったことで、かねてから抱いていた暗い野望が頭をもたげ、自身の専横を実現しようと画策。 当初は二郎三郎を意のままに操ろうと考えるが、二郎三郎や本多弥三郎正信、本多平八郎忠勝の策によってそれが不可能に。不満をおぼえた秀忠はさまざまな策を弄して自身の世を築こうと暗躍する。同時代の実在人物・徳川秀忠がモデルになっている。
石田 三成 (いしだ みつなり)
自分を引き立ててくれた豊臣秀吉に忠義を誓い、その遺児・豊臣秀頼を盛りたてるため徳川家康と対立。私心なく義のために働く清廉な人柄だが、潔癖な面がある。また自身の清廉さがゆえに他者を疑わないところがあり、関ヶ原の戦いでは豊臣家恩顧の大名たちが徳川方に寝返ることなど想定すらしていなかった。 配下の島左近勝猛の計略で徳川家康の暗殺に成功したことを知って勢いづくが、結局遺された影武者・世良田二郎三郎元信の采配によって敗北。大坂城に落ち延びようとするものの、自分を慕う領民のためあえて捕縛される道を選ぶ。その後、家康として振る舞うことを余儀なくされた二郎三郎が滞在する大津城に連行され晒し者にされるが、事情を知る門奈助左衛門とすりを通して影武者と知る二郎三郎に面会を要望。 願いがかなえられると二郎三郎に対し、秀頼への寛大な処置を涙ながらに訴えた。二郎三郎がそれを請け負うと、恬淡としてその後の処遇を受け入れる。そして訪れた処刑の日、生き延びていた左近が出現。 自身を救おうとしていることに勘づいた三成は、万一のときのために習得していた2人だけで通じる手話を用いて左近を制止し、二郎三郎のこと、そして二郎三郎が秀頼の行く末を請け負ったことを伝える。最後に左近に後事を託すと素直に刑場へと引き立てられ、呵々大笑しながら斬首された。 同時代の実在の人物・石田三成がモデルになっている。
島 左近 勝猛 (しま さこん かつたけ)
重臣として石田三成に仕える豪将。三成の清廉さと義理堅さをこよなく愛するが、一方でその潔癖さゆえの危うさを知る。関ヶ原の戦いに際しても、味方が数に勝るも、実際に信頼に足る相手は少なく勝利がおぼつかないことを看破していた。そのため、配下の六郎に徳川家康暗殺を命令。 その難題に六郎が応えて家康を殺害し、数多の死線を乗り越えて帰陣すると、家康討ち死にを叫びながら戦場を駆け巡る。動揺する徳川方を次々と撃破するものの、遺された影武者である世良田二郎三郎元信が本物の家康として采配。小早川秀秋が寝返ったことで一気に形成が逆転してしまう。正体を知らぬ影武者の将才に賛辞を送ると、再び徳川方との死戦に臨む。 大小数多の傷を負い瀕死の状態になるが、六郎の死に物狂いの奮戦によって命を拾い、京都で呉服商を営む遠縁の加藤数馬の屋敷に担ぎ込まれた。その後、意識が戻らずこんこんと眠り続けることに。しばらくして数馬が三成処刑の情報を得て六郎に伝えたところ、その瞬間意識を取り戻す。 主君の最期を見取ろうと刑場に引き立てられる経路に赴くが、しかしいざ三成の姿を見るや救出しようと身体が勝手に動きはじめてしまう。そんな左近を制止したのは当の三成。万一のときのために習得していた2人だけに通じる手話で三成から二郎三郎のこと、そして二郎三郎が秀頼の行く末を請け負ったことを伝えられる。 三成から後事を託された左近は、処刑場に先回り。三成が呵々大笑しながら斬首に処される一部始終を目に焼き付けた。壮絶な三成の最期を見て三日三晩寝込むが、のち完全に復調。秀頼を守ろうとする二郎三郎の思いがいずれ徳川家の利益を害するようになると予見した左近は、陰から二郎三郎に合力することを決意するのだった。 同時代の実在の人物・島左近勝猛がモデルになっている。
六郎 (ろくろう)
石田家の重臣・島左近に仕える忍。石田方が関ヶ原の戦いに敗れることを予見した左近から、徳川家康の暗殺を命じられる。徳川軍の伝令将校である使番のひとりを抹殺して具足を奪い変装、家康の至近に迫ることに成功。しかし瓜二つの影武者が側に侍っていたため、どちらが家康か見抜けずにいた。 焦りを感じつつも観察を続けた結果、一方が爪を噛む姿を見て本物であると確信し、見事暗殺に成功する。難業を成し遂げたことを報せるため自陣に戻る道すがら、一時は本多平八郎忠勝に捕らえられ、また徳川軍の具足を着ているために味方から鉄砲で撃たれてしまう。それでも執念を燃やし、左近のもとに辿り着いた六郎は家康暗殺を報告。 一時は石田方が優勢な戦況となるも、遺された影武者である世良田二郎三郎元信が本物の家康として采配。小早川秀秋が寝返ったことで一気に形勢が逆転してしまう。結果、左近が重症を負うが、命を賭して左近を守りぬき、左近の遠縁で京都で呉服商を営む加藤数馬の屋敷に逃れついた。 その後も献身的に意識が戻らない左近を看病。石田三成が処刑されるという情報がもたらされるや目を覚ました左近とともに、三成の最期を見定める。三成の処刑前、三成と二人だけがわかる手話でやりとりした左近によって二郎三郎は敵ではないと知らされたものの、すべては自分の責任と感じた六郎は、今度は二郎三郎を暗殺しようと大坂城潜入。 二郎三郎の寝所に至るが、そこで耳にしたのは、二郎三郎と、すべてを知りながら二郎三郎と思いを交わすようになったお梶の方の睦言だった。その会話から二郎三郎が豊臣秀頼を守ろうとしていることを知る。 その後、左近とともに二郎三郎を陰から支えることに血道を上げるのだった。
門奈 助左衛門 (もんな すけざえもん)
徳川家に仕え、徳川家康の小姓となった青年。関ヶ原の戦いでも家康の至近に侍っていたため、石田方の武将・島左近勝猛が放った刺客に家康が暗殺され、遺された影武者の世良田二郎三郎元信が本物の家康として振る舞うようになったことを当事者として知る。 以後も真実を知る数少ない人間として、二郎三郎の側に仕えることに。やや脇が甘い面があり、お梶の方が放った風魔の忍の術に嵌って口を滑らしかけたり、家康として振る舞う二郎三郎に乱暴な口を利いて周囲に違和感を持たれたりしてしまう。
すり
徳川家康の馬の口取りを務める素朴な老人。関ヶ原の戦いでも家康の至近に侍っていたため、石田方の武将・島左近勝猛が放った刺客に家康が暗殺され、遺された影武者の世良田二郎三郎元信が本物の家康として振る舞うようになったことを当事者として知る。 以後も真実を知る数少ない人間として、二郎三郎の側に仕えることに。忍の術や誘導尋問で口を滑らせることが幾度もあったが、自分のできることを精一杯やろうと努める好人物。のちに初孫が生まれ、それを知った二郎三郎によって郷里に戻ることが許される。しかし二郎三郎と対立関係にあった徳川秀忠の命により、孫の顔を見ることなく殺害されてしまう。
クレジット
- 脚本