花の慶次 ―雲のかなたに―

花の慶次 ―雲のかなたに―

傾奇者にして、無類の戦好きといういくさ人の前田慶次が、加賀を飛び出して京へと赴き、そこで自分の生きざまを貫き通しながら、戦国時代の有名武将や強敵達と邂逅。さまざまな戦場を雄々しく駆け抜け、色恋沙汰に胸を躍らせる。隆慶一郎の小説『一夢庵風流記』を原作として、少年漫画らしい大胆で爽快なアレンジが魅力。途中まで隆慶一郎門下の脚本家、麻生未央が脚本を担当。『義風堂々 直江兼続 -前田慶次月語り-』などスピンオフ作品も多数制作された。

正式名称
花の慶次 ―雲のかなたに―
ふりがな
はなのけいじ くものかなたに
原作者
隆 慶一郎
漫画
ジャンル
戦国
関連商品
Amazon 楽天

あらすじ

慶次、松風と出会う(第1巻)

戦国時代末期の天正10年(1582年)早春。上州の厩橋城(うまやばしじょう)に近い谷地で、北条家との決戦を控えた滝川一益の軍勢により、軍馬補充のための野生馬狩りが行われていた。その馬の中に、土地の者達が恐れて逃げ出す、「悪魔の馬」と呼ばれる巨馬がいた。巨馬のせいで、滝川軍の軍馬を集める作業は難航。一益は滝川益氏に悪魔の馬を殺すようにと命令を下すが、その馬は人を蹴り殺すほどの巨体を持ち、またそれほどの馬を殺す事で神罰が下るのを恐れた益氏は決行を渋っていた。そんな中、益氏の次男で前田家に養子に出された前田慶次は、それほどの名馬なら殺すより飼いならして自分の馬にすると言い放つ。しかもその馬は、北条氏邦の侍大将、古屋七郎兵衛がかつて生け捕りにしようとした際に顔を蹴り飛ばし、彼の顔にクツワの痕をくっきりと残しており、それに恨みを持つ古屋に命を狙われていた。そんな悪魔の馬のもとに通いつめた慶次は、誠心誠意礼を尽くす事で心を通わせ、その馬を松風と名付けて愛馬とする。一方で古屋は、毒入りニンジンを松風に食べさせようとして、慶次の逆鱗に触れる事となる。

慶次、おふうと出会う(第1巻)

耳削ぎ願鬼坊と名乗る怪僧が城下に現れ、傾奇者の前田慶次を挑発する。耳削ぎ願鬼坊の連れの少女、おふうの暗い表情を気にしつつも、慶次はあからさまな挑発行為を無視し続けていた。そんな中、傾き仲間を殺されてしまった若者の松田慎之助が度重なる嘲弄に耐えかね、耳削ぎ願鬼坊に戦いを挑んで返り討ちに遭ってしまう。おふうはこれ以上の犠牲者を出さないため、密かに慎之助にケガをさせたりして、耳削ぎ願鬼坊の挑発に乗らないよう尽力していたのだ。おふうは新たな犠牲者の耳を削ぐよう、耳削ぎ願鬼坊に言われるが、その前に姿を現した慶次はおふうの小刀を折り、耳削ぎ願鬼坊を一刀のもとに切り捨てる。

慶次と奥村助右衛門、末森城を防衛する(第1巻)

前田利家豊臣秀吉に、傾奇者で有名な甥の前田慶次と会ってみたいと言いつけられていた。慶次を快く思わない利家は、秀吉が大事にしている、織田信長が身にまとった甲冑を慶次に預け、そこを子飼いの忍、四井主馬に襲わせて任務を失敗させる事で、秀吉に会わせる前に処刑してしまおうと目論む。だが、共に甲冑の番を任された前田家の老臣、村井若水と話を弾ませた慶次は、彼が周囲から高い評価を得られるようにと振る舞う。一方、信長のまとった鎧を前に、かつての栄光に触れみたいと感じた若水は、こっそり甲冑を着込んで傷つけてしまう。言い逃れのできない失態を演じてしまった若水は利家から切腹を言い渡されるが、そこへ慶次が現れ、忠義の甲冑は古傷を刻んだ若水の身体こそそれであると、秀吉から預かっている甲冑の方を切って捨て、若水の命を救うのだった。これにより家臣達の評価を高めた慶次を、利家はさらに妬むようになるが、そこに末森城が急襲されたとの一報が届く。天正12年、北陸の猛将、佐々成政が加賀と能登の支配を狙い、前田利家の出城である末森城に攻撃を仕掛けたのである。末森城主の奥村助右衛門は、かつて18歳で慶次の義父、前田利久の居城の城代家老を勤めた事もある剛の者だった。助右衛門は敵兵が強行軍である事を察知し、援軍さえ来れば勝機はあると判断。しかし利家は、援軍を出す事を渋ってしまう。業を煮やした慶次は、名乗り出た若水と彼の子、村井陽水と共に、たった3騎で援軍に向かう。成政は信長の治世を夢見るあまり、秀吉の下につく事を嫌って半ば勢いまかせに挙兵しただけで、そこに立ちはだかった慶次のいくさ人としての姿に圧倒される事となる。結果、佐々軍は数で圧倒していたにもかかわらず苦戦を強いられ、そこへ利家の援軍も現れた事で敗北するのだった。

慶次、くノ一蛍と出会う(第1巻~第2巻)

前田慶次の人望を妬む前田利家は、「棒涸らし」の異名で呼ばれる妖艶なくノ一の蛍を刺客として差し向けた。蛍は、京で流行りの踊りを見せる一座の踊り子として慶次に近づくが、利家の抱える加賀忍軍の棟梁、四井主馬は、蛍と慶次が同衾しているところを狙って、二人もろともに床下から刺し殺そうと目論む。それに気づいた慶次は床下の主馬をやすやすと捕まえ、「喋るネズミ」呼ばわりして裸にして橋に括りつけ、晒し者にしてしまう。利家は顔を知られてしまった主馬に慶次の刺客は務まらぬと判断し、これ以上の手出しを控えさせる。しかし蛍は、合戦の場で慶次に許嫁を殺された元武家の娘であり、独断で再び忍びの技を駆使して慶次に挑む。蛍が見せた許嫁の家紋の焼き印で、慶次はかつて一騎打ちで戦った氷室信成の名を思い出し、あえて蛍の焼き印と同じ右肩で彼女の攻撃を受ける。そして、痛みがわかるとは言わないが戦場のならいだったと、精一杯の気持ちを見せる。蛍はそんな慶次に心を奪われ、一方の慶次も蛍に惚れたと告げ、死んだら首をやると約束するのだった。だが心を通わせたのもつかの間、二人の前に蛍の忍びの師匠である甲斐の蝙蝠が現れる。甲斐の蝙蝠の手で慶次を殺すように術をかけられた蛍は、術の呪縛から逃れる唯一の手段として自決し、慶次はその蛍を自らの手で荼毘に付す。辛気臭いのは嫌いだと、念仏代わりに三味線を弾く慶次を、甲斐の蝙蝠が襲撃。さらに屋敷のまわりは、主馬が捨て身の自爆部隊を結成して取り囲む。そんな中、慶次は義父である前田利久あての絶縁状をおふうに託していた。家臣同士の喧嘩を両成敗とする掟により、慶次が主馬の襲撃を受ければ、その罪が利久に及んでしまうとの心遣いからの行動だった。おふうは、慶次からもう遊んでやれないからと持たされた大金を利久に差し出し、喧嘩に加勢するための刀を売ってくれと申し出る。利久はよい家臣を持ったと、おふうの心意気に涙し、慶次と共に罪をかぶろうと、主馬との戦いの場に加勢に駆けつける。

慶次、利家を冷水風呂でもてなす(第2巻)

前田慶次を襲った前田利家のお抱えの加賀忍棟梁、四井主馬は撃退された。そしてこの一件は、蛍のいた一座の座長で伝説の忍者、飛彈の飛び加藤の機転により、「馬盗人の仕業」として下手人を晒す事で、お上のおとがめなしに収まった。そんな中、慶次の義父、前田利久がかねてから患っていた病が悪化し、亡くなってしまう。尊敬していた育ての父を亡くした慶次は、叔父の利家に疎まれながら加賀藩にい続ける事のわずらわしさを嫌い、脱藩を決意する。しかし、名の知れた慶次の脱藩は藩主にとって不名誉な事である。これを考慮した慶次は、利家を茶に招き、もてなすふりをして冷水の風呂に入浴させる悪戯を仕掛け、痴れ者の汚名をあえてかぶって去って行くのだった。

慶次、家康と利休の茶席に招かれる(第2巻)

敦賀に入った前田慶次おふうは、四井主馬のもとで働いていた忍者の捨丸を一行に加え、京の町へと上洛する。そこで捨丸は、主君の慶次のために目をつけた魚を横取りしようとした千道安の取り巻きを斬りつけ、魚を奪い返して戻って来る。父親の千利休の権威を笠に着て好き放題に街で威張っている道安は、ほんの遊びの積りで、主君の慶次に捨丸の科を負わせようとするが、慶次は本気で応戦する構えを見せる。そんなごたごたが豊臣秀吉の耳にも入り、人物を見定めてこいと言いつけられた千利休は、徳川家康と共に茶会を催し、慶次を招くのだった。実力者揃いの茶席にも臆さず朗らかに振る舞う慶次を見て、利休も家康もすっかり心を奪われてしまう。

慶次、摩利支天をお披露目する(第2巻~第3巻)

豊臣秀吉の命を狙った賊が捕縛されるが、奉行所に連行する途中で何者かに斬首されてしまい、共謀者は判明しなかった。捨丸はその一連の事件を目撃し、首謀者は伊賀忍者の残党ではないかと前田慶次に語る。川釣り中に逃げる下手人の顔を見ていた慶次は、彼が潜伏先に選んだと目星をつけた揚げ屋に入り、天井裏に潜んでいた下手人の侘助を見つける。侘助に見覚えがあった慶次は、即座に千利休の忍びだろうと告げ、侘助はすべてを包み隠さず打ち明けるのだった。かつて利休の属する堺町衆が徳川家康を次代の天下人と見定め、南蛮貿易の利権保証と引きかえに、軍用金を献上するとの文言を記した連判状が作られた事を、秀吉に嗅ぎつけられたのだと侘助は語る。利休に命を助けられた恩に報いるため、自分の命は捨てる覚悟だと言う侘助だが、キリシタンの教えを信じているために自殺はできない。自分を殺して秘密を守ってほしいと訴える侘助に対し、慶次は侘助を死んだ事にして、整った顔立ちを利用し、今日から女として過ごせばいいと提案。女性が酒肴を提供する河原に立つ揚げ屋は、公権力の支配下ではない事から奉行所も手出しができない。そんな中、傾奇者同士の決闘なら事を表ざたにせず済ませられると、蕃熊蜂太夫が名乗りを上げて乗り込むが、あっさりと慶次に敗れてしまう。ますます包囲網が厚くなる中、家康が揚げ屋を訪ね、侘助に対しかつて助けられた恩に報いると、天下に背く覚悟を見せるのだった。そして慶次は、取り囲まれた揚げ屋から侘助を逃がすため、「摩利支天」が見えるという尼のおばば様を呼び寄せる。そして、飾り立てた侘助を摩利支天だと、取り巻く兵達に披露し、彼のその後をおばば様に託すのだった。

慶次、秀吉に謁見する(第3巻)

諸国の大名に絶対服従を誓わせるという約定を盾に、豊臣秀吉前田利家に対し、有名な傾奇者で甥の前田慶次を連れて来るようにと命を下す。利家は、慶次を秀吉に会わせる事で前田家にとばっちりが来ないかと恐れ、まつに対し愚痴をこぼす日々を送っていた。そうとは知らず、慶次は京の町で傾いた服を扱う事で有名な奇染屋を訪れる。そこの店主の岩隈は剛力を誇る大男の傾奇者で、足を投げ出し、田舎者の相手は足がする、とふんぞり返って動かない。主君のために反物を買いに来た肥後なまりの武士、氏家監物を足で応対する様子を見た慶次は、店に投げ出されているなら足は売り物なのかと尋ね、店主の吹っ掛けた金200両を言い値で払うと即答。足の上に座り込み、捨丸に家から金を持って来るように言いつけるのだった。慶次が、まじめそうな監物がどうして傾いた着物を求めるのか尋ねたところ、監物は主君が秀吉から切腹を言い渡されたため、最期に望みを叶えてやりたいのだと答える。野次馬達が、華美な着物を着たがる殿様が贅沢な世間知らずだと言い合う中、お供を連れた幼い殿、水沢隆広が進み出て、切腹は明日に決まったので着物はもう不要と家老の堅物に言葉を掛ける。年を重ねるごとに、気に食わぬものに苛烈な命令を下すようになった秀吉は、まだ幼い少年の身で父親の家督を継いだ隆広にまで切腹を申し渡していたのだ。慶次は己の死を覚悟しながらも家老をねぎらう様子に感服し、これから酒を酌み交わそうと隆広を誘う。その際に名前を尋ねられたものの、慶次は隆広が華美な着物を求めた理由が、「傾奇者の慶次」にあこがれていたせいだと知って照れてしまい、「雲井ひょっとこ斎」と自己紹介する事となる。奇染屋の岩隈は、隆広が場を収めた事で足を売らずに済んだが、商人の意地だと、慶次と隆広の酒席に最上級の生地で作った自慢のマントを持って現れ、値段次第では死ぬ覚悟だ、と隆広に値を決めさせる。それに対し隆広は、マントの一部を切腹の敷物とすると答えた。かつて友より贈られた敷物を切腹の際の際の敷物とする事は友情に報いる行為とされ、隆広なりの最上の礼を尽くした返答に、岩隈は感涙して心を入れ替えるのだった。

そんな難しい気性の秀吉に謁見する事は、傾奇者の意地を通せば不敬だと罰せられ、また傾かなければ臆病と謗られる事は明らかだった。徳川家康は、慶次が恐らく科を受けて切腹を命じられる事になるだろうと案じ、介錯人は家臣の中で最も武勇の名高い服部半蔵を遣わすと告げる。だが、それを伝えに現れた半蔵に対し、慶次は「合戦の心配でもなされよ」と告げるのだった。負け戦で勝ってこそ真のいくさ人だと考える慶次は、秀吉を討ち取る覚悟で、しゃれこうべの紋所に虎皮の裃という傾いた装束に、猿の尻に見える彩色を施した姿で現れる。

慶次、終生の友、直江兼続に出会う(第3巻)

豊臣秀吉の前でも見事に傾き通した前田慶次は、秀吉より、どこででも意地を通してよいとのお墨付きである「傾奇御免の御意」を得た。これにより、傾奇者の代表のようになってしまった慶次を殺して、名を上げようとする傾奇者が増える事となった。挑まれれば応じざるを得ないが、慶次に敵う者などいなかった。死人が増えるのを嫌った慶次は、名のある傾奇者を一人返り討ちにし、挑戦状の立て札の上に「芸の押し売りお断り」の貼り紙をして挑戦者を減らそうとした。この効果で挑戦者は減るが、天正16年の8月末、身形(みなり)のきちんとした若武者の草間弥之助が慶次を訪ね、果し合いを願い出る。草間は家格はさほどではないものの、上杉家の側小姓として直江兼続に人柄と武芸を認められた青年で、同じ役職に就いている家格の優れた13人の仲間内から妬まれていた。傾奇者に真の武芸者などいない、いやいる、の賭けに巻き込まれ、中立の意見を述べた草間に対し、13人全員が実際に戦って見極めてこい、と難題を押しつけたのだった。

慶次は事の次第を聞き、身分の低い草間への嫌がらせと察し、14人総出で来るのなら果し合いに応じると返事をする。それは口先だけの卑怯者達が場に出る事は避けようとし、賭け自体をなかった事にするのが得策と考えるだろう、との慶次なりの配慮だった。しかし数日後、果し合いの日取りについて伝えに現れたのは、兼続の妹で側小姓達のあこがれの的であり、草間と相思の仲の直江なつだった。慶次は指定された地に向かい、そこで先日の夏祭りで出会いいっしょに風流舞いを舞った兼続と再会する。兼続は、13人を説得できなかったため割腹する、と書かれた草間の書状を慶次に差し出す。そして、その死に不審な点があるため内偵した結果、13人が結託して草間を死に追いやった事を告げる。兼続は側小姓達に慶次との果し合いをするか切腹かを選ばせ、慶次も経緯を聞いて、側小姓ら全員と戦う事を承諾する。

慶次、風魔の小太郎と対決する(第4巻~第5巻)

豊臣秀吉は全国支配のために、関東の雄、北条氏直にも参内するように命令していた。しかし北条家は秀吉の配下に降る事を拒み、叔父の北条氏規を名代として上洛させ、要求を引きのばしていた。そしてそのあいだに、親秀吉派の者が多数を占める禁裏の醜聞を利用し、秀吉の後ろ盾から崩そうと画策する。おふうが公家の落とし子であるとの情報を摑んだ北条が、箱根の忍者、風魔衆を使って彼女をさらおうとしている事を知ったおふうの育ての親の岩兵衛は、おふうを生まれ故郷の隠れ里、七霧の里へ匿おうと、慶次を尾行し始める。事態は急を要し、また隠密に済まさねばならぬため、慶次を殺してでもおふうを連れ戻そうとしていた岩兵衛だったが、なかなかスキを見せないうえに、気まぐれな慶次の日々の暮らしに振り回されてしまう。ある時、蒸し風呂に入った裸の慶次を討とうとした岩兵衛は、風呂でも帯刀していた慶次の用心深さに舌を巻く。しかし、それは実は竹光で、あとからやって来た傾奇者達を脅かすための悪戯だった。傾奇者達は慶次が帯刀していると思い込んで警戒し、引き返して刀を挿して車座に慶次を囲み、大恥をかく事となる。それを見ていた岩兵衛は大笑して慶次と酒を酌み交わし、おふうは自身が育てていた娘だと打ち明けるのだった。酒席で悪戯の動機を訊かれた慶次は、褌の色は白であるべきだと強く主張し、傾奇者達の華美な褌が気に食わなかったのだ、と大まじめに言い放つ。慶次の自由な人柄に惹かれた岩兵衛は自ら秘密を打ち明け、大人同士の政権争いに子供を巻き込む事を快く思わない慶次は、進んで岩兵衛に手を貸すと申し出る。そして七霧の里へと、おふうと捨丸を連れて向かうのだった。

隠れ里である七霧の里の住人は警戒心の強いものばかりだったが、そんな男達相手に慶次は瞬く間に打ち解け、酒を酌み交わす仲となる。そこへ風魔の忍者が奇襲をかけるが、慶次は難なく彼らを捕え、忍び達から実名を聞き出し、褌に名を書いた状態で柱に括りつけ、筏で川に流して返す。次に現れた、金で人心をあやつる伊勢屋の誘惑も相手にしない慶次に、風魔の忍の一団を率いる「風斎」が戦いを挑む。

七霧の里の者は禁裏の警護も代々担っていたが、おふうの警護のため手薄になっており、北条家は、そこを風魔の忍を率いる月斎に襲撃させて公家を手にかけ、おふうを差し出すように重圧をかける計画を進めていた。その最終段階として、秀吉の子を宿している茶々の能楽鑑賞の場に役者に成り代わって現れ、茶々を殺すと宣告する。しかし茶々は、石田三成が北条の計略に気づき、城の内部の警護の忍を連れておふうを確保に向かったのを変事の予兆と察しており、刀を突きつけられても動じなかった。茶々の胆力に感心した月斎は、これ以上の欲をかけば、何度でも蘇って秀吉を地獄へと案内すると伝えよと、舞台上で宣言しながら自らの首を切り落とすのだった。その後、河原に晒された首とうり二つの顔だちの風斎は、京の町で人目につくような行動を繰り返し、京では怪異騒ぎで騒然となる。三成は警護の者を動かし、茶々を危険に晒した事を秀吉に咎められ、今後の警備を強化するよう言い渡される。だが、敵の目的がわからず、動きを予測できずにいた。家格に恵まれないが才覚を認められた者同士という似た境遇から、義兄弟の契りを交わした仲の直江兼続に助言を求めた三成は、再び慶次と会うよう勧められる。勧めに従って慶次を訪ねた三成は、熊と酒を酌み交わす慶次に度肝を抜かれつつ、遊びは危険なほど楽しいと笑う慶次の様子から、風斎の目的もそれに通じると察する。一方の風斎は、豊臣に敵対する事は益がないと北条家に報告するよう手下の忍に託し、風魔の棟梁、風魔の小太郎の本性を現し、一人の忍としての意地をかけて慶次に戦いを挑むのだった。

慶次、片恋のもつれで友を泣かせる(第5巻)

前田慶次の無二の親友、奥村助右衛門の妹である奥村加奈は、幼い頃から慶次と兄妹のように過ごしており、24歳という年齢になっても慶次への恋心を抱き続けていた。兄の助右衛門は、慶次が恋する相手はまつただ一人である事を知っており、加奈にあきらめさせようと見合いを勧める。そんな中、加奈は気持ちを抑えきれず、まつが差し出したように文を偽造し、慶次と二人きりで逢いたいとの内容の書状を送る。しかし、それが慶次を疎んじている前田利家の家臣、四井主馬の手に渡ってしまう。前田家の殿様の奥方が不義密通をしている事が天下に知られるのを見過ごせず、家老の助右衛門は、共倒れも覚悟で慶次を討つべく月見酒に誘うのだった。

慶次、上杉景勝の佐渡攻めに助太刀する(第5巻~第6巻)

越後領の佐渡は約400年のあいだ、本間一族に支配されていた。しかし幾度も内乱を起こし、越後藩主の上杉景勝の調停も聞き入れない状態が続いていた。業を煮やした景勝が攻め入ると、一族は二つに割れ、片方は景勝に付き、片方は敵対する。こうして狡猾にも本間の血を絶やさない手法を取るため、騒乱は収まった試しがない。そんな佐渡を平定すべく、景勝は1300隻の船で佐渡に上陸し、反上杉の佐渡衆が立てこもる河田原城へ攻撃を仕掛ける。しかし、従来通りに上杉側に付いた佐渡沢根城の城主、本間左馬之助は、景勝の命令に従う素振りだけを見せ、まったく自身の兵を動かそうとしない。実は左馬之助と、敵対する本間三河守高茂は共謀して会津と密通しており、戦を長引かせ、援軍到着のあとに上杉軍を打ち負かそうと目論んでいた。豊臣秀吉は領土の内乱を平定出来ない武将からは領地を召し上げてしまうため、景勝は焦っていた。また軍略を練る直江兼続も、早急に佐渡を平定出来ねば、罰として兼続を景勝から秀吉が召し上げて、直臣にするとの密書を受け取り、それを避けるべく功を急いていた。そこへ、京で退屈していた前田慶次が兼続との友情により、押しかけ助っ人として現れる。土地勘がないため敵陣のど真ん中に上陸してしまった慶次だったが、気にも留めずに居合わせた百姓の老人に上杉軍への案内を願い出る。飢え疲れた様子の老人を気遣い、握り飯を振る舞う慶次の前で、老人は孫の身を案じて涙を流す。理由を尋ねる慶次に、老人は上杉に敵対する佐渡羽茂城城主の高茂の非道を訴える。高茂は戦のために百姓を兵として強引に連行した挙句、離反せぬようにその子供達を捕えて河田原城へ閉じ込めていたのだった。慶次は景勝に、早急に雌雄を決するために河田原城への一騎駆けを提案し、危険な城攻めに付いてこられるような兵を貸してほしいと要求する。しかし、兵を大事にする景勝は無謀な提案に人は割けないと主張し、ならばと慶次が目をつけたのは囚人達であった。戦場に死に花を咲かせよと、しゃれこうべに蓮の花が咲く馬印を掲げた囚人達の一団に、孫を助けたい佐渡の農民の老人達を加えた急ごしらえの軍で、慶次らは瞬く間に城を攻め落とす。

慶次、真田幸村を助け北条を討つ(第6巻~第7巻)

前田慶次は愛馬の松風を京の御免色里である柳町の往来に留め、花街の女性の膝枕で寛いでいた。そんな折に、松風に惚れこみ、直に始まる大戦の初陣を共に飾りたいと熱心に語る青年、真田幸村が現れる。この時、北条氏邦の家臣、猪俣範直の軍が真田昌幸の領有する名胡桃城を攻め、これにより豊臣秀吉は北条征伐の大義名分を得て、大戦の備えを始める最中だった。そんな中、知略に長けた父親の命じるまま、各地の大名の人質を経験した幸村も、やっと戦場に立つ機会を得ようとしていた。慶次は幸村に対し、松風が許すならば乗るがいいと告げるが、何度も振り落とされてしまう。そのさまを見守っていた慶次の家来、捨丸は加賀藩の武士に見つかり、かつての主君、四井主馬のお抱えの忍を殺した罪を追及され、殺すと宣告を受けて、その場で殴る蹴るの暴行を受ける事となる。主馬にモノのように扱われていた捨丸を罵倒しながらの暴力に、モノ扱いをされ続けた自身の境遇を重ね、見かねた幸村は、捨丸をかばって加賀藩士を殺傷してしまう。幸村は加賀藩の武士である慶次に詫びを入れ、加賀藩主、前田利家に対して自身の命で償う代わりに、真田家の罪をとりなしてほしいと訴える。しかし慶次は、どこの藩も自身の抱える侍が遊郭で喧嘩して死んだと知られるのを恥とするため、この件もなかった事として済まされるだろうと、笑って答えるのだった。小田原攻めを号令した秀吉の旗下に集まった軍は総勢22万を超え、秀吉の寵愛を受けていた幸村は東山道の先陣を任される。そんな幸村に対し、捨丸の命を助けた恩に報いるために、慶次は諸藩の厚遇の申し出を蹴って松風に次ぐ名馬、野風を贈り、共に戦おうと言葉を掛ける。

北条軍に加勢すると思われていた伊達政宗は、時勢を見極めようと静観していたが、豊臣方につくようにと伝えに来た慶次の人となりに、自身を認めてくれていた父親の面影を見いだし、秀吉に加担すると意を固める。伊達家を政宗の弟、伊達小次郎のものとしたい二人の母親の保春院は秀吉への参陣が遅れた科をすべて政宗に背負わせ、溺愛する小次郎に家督を継がせようとして政宗に毒を盛る。しかしそれを見破られ、逆に政宗に対する謀反の罪を小次郎が課せられて切腹を言い渡される事となる。伊達家も加わって圧倒的に兵で勝る秀吉は、さらに北条軍の内部分裂を誘い、疑心暗鬼に陥らせた事で大勝するのだった。

慶次、利休の孫と共に琉球に渡る(第7巻~第8巻)

前田慶次は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に反対して、不興を買い、切腹を命じられた千利休の立像を拝む旅人に出会う。罪人に手を合わせる行為を町奉行らに咎められ、袋叩きにされているのを見た慶次は、「茶人の一人や二人のさばっていようが天下に変わりはないだろうに、石田三成は心が狭い」と聞こえよがしに文句をつける。その後、町奉行らを蹴散らした二人は名を名乗り合い、旅人は、利休がかつて琉球まで貿易に赴いていた折に、海賊船から救い出した南蛮の女性、リサとのあいだに授かった息子、与四郎だと明かす。与四郎は慶次に対し、父親の利休に、母親が亡くなった事と、宣教師を装って日本侵略を目的とする伴天連の企みを伝えるために、堺に上陸したと目的を語る。そこに追手として、イスパニアの宣教師であり兵士でもあるカルロスが現れる。病を患っていた与四郎は「手(てい)」という琉球で習った体術で応戦するが、力及ばず敗北し、慶次に息子の与次郎に自身の死を伝えてほしいと言い残して命を落とす。その際、与四郎が肌身離さず持っていた娘の利沙の肖像画を託された慶次は、利沙の美しさに興味を引かれ、彼女に会ってみたい気持ちの赴くままに、琉球へ戻る与次郎の船に同乗するのだった。しかし、琉球に向かう船は途中で沈没してしまい、慶次は塩風に視力を奪われた状態で、愛馬の松風と共に利沙の匿われている島に漂着する。松風の大きさに恐れを抱く島の民達は、意識不明な状態の慶次をこのまま殺そうとするが、かいがいしく慶次の世話をする松風の様子を見た利沙はそれを止め、自分が慶次を看護すると宣言するのだった。そんな利沙の身を預かる約束を交わしていた島の地頭の弟、宇堂は、兄の権力を笠に着て利沙を手籠めにしようと企むが、目の見えない慶次にあっさりと退けられてしまう。慶次はさらに、それを恨んだ宇堂からの報復も難なく撃退し続けるのだった。一方その頃、与次郎と慶次の家臣の捨丸岩兵衛は奴隷船に拾われ、ジャヴァという島に売られる身となってしまう。

慶次、首里那覇で利沙奪還のため戦う(第8巻~第9巻)

前田慶次は琉球に漂着した際に負ったケガも癒え、利沙の秀でた容姿を目にし、優しい心に触れるにつれ惹かれていく。しかし、利沙は琉球の王、尚寧の恋する相手でもあった。日本に帰属するか、これまでのように明に貢物を納める代わりに、独立国家としての存続を認めてもらうのかの、困難な国政のかじ取りをする王、尚寧の支えになればと、忠臣の毛虎親方は利沙をさらい、那覇へと連れ去ってしまう。それを追う慶次は途中の海上で、奴隷として与次郎捨丸岩兵衛を乗せた明の女海賊、春麗の船を発見し、足が早そうだから同乗させてほしいと願い出る。慶次は船一番の力自慢の男でもやっと引く事のできる鉄弓を使い、手下のあいだすれすれを連射する腕前を見せて海賊達を震え上がらせる。春麗はそれほどの男が「惚れた女を取り返すため」に、国王のもとに向かっていると聞き、慶次が追っている利沙を見てみたいと同行するのだった。慶次が面会した琉球の王、尚寧は国を愛し、平和を願う快男子であったため、その人柄を認めた慶次は、利沙を託すに相応しいと二人を祝福し、本土へ帰ろうとする。

慶次、友情のため最後の戦さ場に立つ(第10巻)

前田慶次利沙と共に京に戻った。朝鮮出兵に拘り続けた事で、臣下の反感を買ってしまった豊臣秀吉は、やがて徳川家康前田利家にあとを託すと言い残して亡くなるが、世渡りに長けた家康が次の天下を獲る事は確実と思えた。諸大名がこぞって家康の傘下に入る中、上杉景勝は恭順の姿勢を見せず、戦う構えを取り続けていた。戦を愛し、腕に覚えのある戦さ人達は景勝のもとに集い、慶次も景勝の忠臣、直江兼続との友情のために、共に死ぬ覚悟で劣勢の上杉軍に馳せ参じるのだった。

登場人物・キャラクター

前田 慶次 (まえだ けいじ)

日本の戦国時代の武将・前田慶次郎をモデルとしている。加賀の大名、前田利家の甥で、身の丈六尺五寸(197cm)を超える大柄の武士。義に厚く、器の大きい自由気ままな風流人として生きる傾奇者にして、無類の戦好きといういくさ人。負け戦にこそ自分の身の置きどころがあると考えており、愛馬・松風とともに無人の野を行くがごとく戦場を駆け巡り、技ではなく膂力を活かして長槍や豪刀を振るい、眼前の敵を一刀両断にする。 また、ウィットに飛んだユーモアのセンスも持ち合わせており、これで周囲の人々を笑顔にするが、諍いの場では相手を苛立たせ先に刃を抜かせてしまう。前田家を出奔して京都を拠点とし、やがて噂を聞きつけた時の天下人である豊臣秀吉と謁見。 そこで見事な振る舞いを見せ、今後どこでも自分の意地を通すことを許す傾奇御免の御意を受ける。各地を転戦して豪勇を奮ったのちに琉球へと渡り、そこで生涯の伴侶となる利沙を得た。徳川家康の天下を決定づけた関が原の戦いが終わると、剃髪して一夢庵ひょっとこ斎を名乗り、旧知の友・直江兼続の誘いを受けて米沢の上杉家の世話になることを決めた。

捨丸

前田慶次を主と仰ぐ忍。小柄な身体を活かした機敏な動きで敵を翻弄し、小太刀を使って鋭い斬撃を繰り出す。また、手製の炸裂弾や目眩ましのための煙幕なども使用する。元々は加賀の前田家に仕える忍で、慶次の愛馬・松風に弟を殺されているが、自分の主である四井主馬をものともしない慶次と松風に惚れ込み、配下にしてくれるよう願い出た。 その際に信頼を得るため、慶次を追っていた仲間の忍7人を殺害している。四井主馬から奴隷のような扱いを受けていたため、権力を傘にして弱者を虐げる者を嫌い、自分を人間として扱ってくれる慶次の振る舞いに感激を覚えた。誤魔化そうとすると離れ目になるという癖があるため、嘘がつけない。 弟の仇である慶次を殺すことが夢であると悪びれずに語るが、最後まで慶次に付き従った。

岩兵衛

前田慶次を主と仰ぐ巨漢の男。鍛えあげられた肉体を武器とし、徒手空拳で敵と戦う。山から切り出した材木を川下まで運んでは、使用した船を川上まで上げることを生業とした七霧の里の出身で、特に左肩の筋肉が異様に盛り上がっている。鬼のような風貌をしているが心優しい男で、自身が生涯で唯一愛した女・お雪の娘・おふうを里に連れ帰るために慶次の前に現れた。 おふうのために七霧の里まで同行して風魔の忍と戦い、さらには下馬してお雪の墓に手を合わせる慶次の姿に惚れ込み、家来になることを志願した。人の心を読む読心術の達人で、人混みの中は邪心が渦を巻いているため苦手である。 同じく慶次を主と仰ぐ捨丸とは良い相棒となり、どちらが一の家来なのか言い争うこともあった。

前田慶次を殺すことを生き甲斐とし、同時にその人柄にも惚れ込んでいる忍。その名の通り、小柄で骸骨のような風貌をしている。慶次の従者である捨丸や岩兵衛の眼をかいくぐって慶次の屋敷に平然と忍び込めるほどの手練で、幾度と無く慶次の前に現れては鬼気迫る攻防を繰り広げた。 主を持たない身ではあるが、徳川家康や佐々成政など多くの有力な大名に通じており、前田家のまつとも交流がある。5歳の頃に磔柱に括られ、処刑寸前にまでなったという壮絶な過去を持つ。体格まで自在に変化できる変わり身の術を得意とし、痺れ薬を用いた策を多用。慶次最後の戦である「長谷堂城の戦い」では、慶次に付き従い、最上義明の大軍と戦った。

おふう

武芸者の荒井願鬼坊に連れられていた捨て子の少女。荒井願鬼坊が討ち取った人物の耳を切り落としては桶に入れ、それを持ち歩く役をやらされていた。笑顔をまったく見せなかったが、前田慶次が荒井願鬼坊を討ち取って過酷な役目から解放されたことで笑顔を取り戻し、以後慶次とともに暮らすようになる。 実は親豊臣家を掲げる有力な公卿が、七霧の里の娘・お雪に産ませた娘であり、その公卿を失脚させるため、北条家の忍・風魔の小太郎に狙われた。実年齢は14、15歳くらいだが、捨てられたことが心の傷となっており、大人の世界を拒絶。幼児の姿まま成長が止まっていた。自身の出自を知って七霧の里に戻り、慶次と別れることとなる。

まつ

日本の戦国時代の女性・芳春院をモデルとしている。加賀の大名・前田利家の正室で、高い身分でありながらも街へふらりと出かけるような純粋で気さくな性格。家中の誰からも慕われている。前田利家の死後、その子前田利久が徳川家康から裏切りの嫌疑が掛けられたときには、自ら人質として江戸に出向くなど、肝の太さも持つ。 前田慶次からも慕われており、勝手気ままに振る舞う慶次もまつにだけは頭が上がらず、その笑顔を曇らせぬために無茶をしようとする。

利沙

海族・与四郎の娘で、茶人として名を馳せた千利休の孫娘にあたる女性。女神を思わせるほどの美貌と慈愛に溢れた清らかな心の持ち主で、前田慶次をはじめ、イスパニア人のカルロスや琉球王・尚寧が惚れ込んだ。琉球の楽器・胡弓で、心休まる美しい音色を奏でる。 慶次とともに琉球を発ち、京の屋敷で暮らすように。

前田 利家

日本の戦国時代の武将・前田利家をモデルとしている。かつては織田家きっての猛将として知られていたが、老齢となり家を守るために図体だけ大きな小心者に成り下がった。前田慶次の人気に嫉妬し、いずれ自分の地位を脅かすのではないかと恐れており、慶次亡き者にしようと、様々な言いがかりをつけてくる。

奥村 助右衛門

日本の戦国時代の武将・奥村永福をモデルとしている。前田家に仕える猛将のひとり。前田慶次とは十数年来の付き合いで、茶の席を設け、茶を立てるだけで互いの腹の内を分かり合えるほどの間柄。北陸の将・佐々成政の急襲を受ける末森城を慶次とともに守った。 勇敢なだけではなく、討ち取った敵兵士の腹を裂いて胃袋の中身を見て敵の兵糧不足を知るなど、知謀にも優れた男である。慶次が前田家を出奔してからもその友情は続き、慶次が豊臣秀吉と謁見する際にも顔を見に来るなど、何かと気にかけていた。

佐々 成政

日本の戦国時代の武将、佐々成政をモデルとしている。かつての主君・織田信長を崇拝している越中の大名で、徳川家康が起こした小牧長久手の戦いに呼応して、前田利家の末森城を攻めた。前田慶次が単騎で本陣を急襲し、危うく命を落としかけたが、死ぬ前にと武士らしい潔さと戦場への想いを吐露。 それを聞き戦場で相見えんと慶次は姿を消した。その後、末森城の戦いで前田軍に敗北。慶次より渡された織田信長の甲冑を着込んで前田軍に突進して消えた。その後、命を長らえ豊臣秀吉の指示により肥後へと国替えとなるが、統治に失敗しその責任を取り切腹となった。

千利休

日本の戦国時代の茶人・千利休をモデルとしている。息子の千道安が前田慶次の従者捨丸と諍いを起こしたことがきっかけとなり、慶次と知り合いになる。桃の花の下で茶を馳走になったあと正式に茶席を設け、慶次と徳川家康と引きあわせた。慶次はその席で見事な傾きぶりをも見せ、両者は完全に打ち解けて良い関係を築くようになる。 若い頃は与四郎の名で貿易をしており、琉球に向かう道中に戦った海賊船の中で美しい南蛮の娘を救出。しばらく琉球で暮らし、その時に千道安とはちがう息子・与四郎を授かった。

直江 兼続

日本の戦国時代の武将・直江兼続をモデルとしている。越後の大名・上杉景勝の右腕と呼ばれた上杉家の筆頭重臣。前田慶次が上杉家の小姓たちと決闘騒ぎを起こしたことで慶次と知り合った。立会人として決闘を見届け、小姓たちを慶次が惨殺したことに憤る上杉家の古参の老将たちを一喝。 その器の大きさと肝の太さに感服した慶次に男として惚れ込まれ、終生の友となった。上杉家による佐渡攻めや、最上義明との激戦・長谷堂城の戦いで慶次とともに戦う。関ヶ原の戦いのあと、上杉家は大幅な減封処分を受けたが、自ら屋敷を訪ねて慶次を上杉家に迎えた。

上杉 景勝

日本の戦国時代の武将・上杉景勝をモデルとしている。名将として名高い上杉謙信の跡目を継いだ重圧により、家臣の前では笑顔を見せることがなく、常に眉間に深い皺を寄せている。前田慶次が上杉家の小姓たちとの決闘騒ぎを起こした際、その場を収まるために現れた。 息子である小姓たちを惨殺されて憤る老臣たちを前にいくさ人の心得を諭し、その場を一変させてすべてを丸く収めた。その度量の広さに前田慶次も心服し、上杉家の結束の固さを知ることとなった。

石田 三成

日本の戦国時代の武将・石田三成をモデルとしている。知略に優れた男で時の天下人・豊臣秀吉の懐刀。豊臣政権を盤石なものにするためにさまざまな策を弄し、自由気ままな前田慶次とは真反対の道を歩んだ。そのために慶次とはまったく反りが合わず、幾度と無く慶次の突飛な行動に翻弄され肝を冷やすこととなる。 あまりの傍若無人ぶりについに堪忍袋の緒が切れ、慶次の胸ぐらをつかんで子供のように泣きじゃくりながら恫喝。やがて来るであろう大戦・関ヶ原の合戦に心を痛めていることを吐露する。見苦しい姿を晒すこととなったが、その直後に生命をけて豊臣家を守ろうという男の顔を見せたことで、慶次も心服した顔をを見せた。

風魔の小太郎

日本の戦国時代の忍者・風魔小太郎をモデルとしている。北条家に仕える忍・風魔軍団の頭領。太平の世なれば、やがて無用の長物となるであろう忍として、最後の華を咲かせるため、風斎という坊主姿になり、親豊臣派の公卿の娘・おふうを拉致して、豊臣政権の力を削ごうとした。 だがおふうが命を捨てる覚悟で前田慶次を庇ったため、それほどの男を倒すことこそ最後の戦いとして相応しいと前田慶次の打倒に情熱を燃やすようになる。そして、配下たちの前で真の姿を晒し、ひとりで決着をつけるために風魔軍団の解散を宣言。豊臣秀吉が溺愛する側室・茶々君や豊臣家の重臣たちが見守る能の舞台を果たし合いの場と選び、慶次と華々しい一騎討ちを繰り広げた。 激戦の果てに敗北を悟り自害しようとしたが、時代の徒花が消え行く寂しさを憂う慶次に止められ、忍の道を捨てて故郷に帰ることを決断。

真田 幸村

日本の戦国時代の武将・真田幸村をモデルとしている。武家の名門・真田家の出身で、名将として名高い真田昌幸の次男。24歳にもなって人質であることを憂いていたが、豊臣秀吉による北条氏征伐・小田原攻めを気配を感じ、意気込んでいた。街で見かけた前田慶次の愛馬・松風に惚れ込み、なんとか自分のものにしようとするが失敗。 そのいくさ人らしい心意気が気に入られ、前田慶次と交流するように。その後、慶次から立派な甲冑一式と、かつて豊臣秀吉から賜った名馬・野風を贈られ、ともに小田原攻めに出陣。北条家の重鎮・大道寺政繁の陣に潜り込んで大暴れするという、華々しい初陣を飾った。

大道寺 政繁

日本の戦国時代の武将・大道寺政繁をモデルとしている。上州にある松井田城の城主で、松井田城は真田昌幸、上杉景勝、前田利家の三軍が関東に向かう際の通り道となるため、小田原攻めにて前述の三軍と相対した。また、真田幸村を旗頭に掲げる前田慶次が真田幸村の初陣に相応しい手柄首と定めた人物でもあり、慶次とは馬上にて槍を交える激しい一騎討ちを繰り広げた。

伊達 政宗

日本の戦国時代の武将・伊達政宗をモデルとしている。奥州の大名・伊達家の当主。幼い頃に病で右目を失っており、その傷を眼帯で隠している。花見の席で裏切り者を成敗し、その血が偶然その場を訪れていた前田慶次の盃に散ったことで、喧嘩騒動を起こしてしまう。 その後、豊臣秀吉による北条氏征伐・小田原攻めの出陣を催促する前田家の使者として伊達家を訪れた慶次と再会。再び大喧嘩となるが、慶次の熱き拳に亡き父の面影を感じたことで互いに認め合う間柄となり、小田原攻めへの参陣を決めた。かなりの遅参であったが、白装束姿で豊臣秀吉に謁見することで死の覚悟を示し許された。

伊達 小次郎

日本の戦国時代の武将・伊達小次郎をモデルとしている。伊達政宗の弟。母親の保春院に溺愛されており、伊達政宗を排除し、伊達家の新たな当主に据えられようとしていた。保春院の伊達政宗毒殺未遂の責任を取り、切腹の沙汰が下されたが、傀儡として生きる弟の姿を哀れんで涙する伊達政宗の姿を見て前田慶次が一計を案じ、その死を偽装。 すべてのしがらみから解放されて自由の身となり、広い世界を知るために旅に出た。

結城 秀康

日本の戦国時代の武将・結城秀康をモデルとしている。前田慶次が琉球を訪問している間に、京では暴れ者として新たな有名人となっていた男。利沙の奏でる胡弓の音がきっかけとなって慶次と交流するようになり、酒を酌み交わす仲となる。その後、関ヶ原の戦いが勃発し、慶次と敵同士になったため戦場での再会を約束。 だが、結局戦場で戦うことはできないどころか、思うような活躍もできぬまま戦いは終わってしまう。その無念を察した慶次が秀康の屋敷を訪れ、1対1で心ゆくまで戦った。

与四郎

若き日の千利休と南蛮人の女性との間に生まれた子供で、琉球を拠点とする自由な海の民・海族の長。「手(てい)」という、琉球で学んだ不思議な格闘術の使い手でもある。日本や朝鮮を植民地にしようとするイスパニアの企てを知り、その野望を挫くいくさ人を探しに日本に来訪。 前田慶次の協力を得る。病を患っており、イスパニアの兵士・カルロスとの壮絶な死闘の末に死去。臨終の際、慶次に娘の利沙の写真を託し、息子の与次郎に自身の死を伝えるよう頼んだ。

与次郎

琉球を拠点とする自由の海の民・海族の長・与四郎の息子で、千利休の孫にあたる若者。ヌンチャクを駆使した格闘技を得意とする。日本を植民地化しようとするイスパニアの野望を食い止めるため、ともに戦ってくれるいくさ人を探すべく、与四郎とともに京都に来訪した。 街で傾奇者と諍いを起こして前田慶次と出会い、与四郎の死を知る。それを乗り越えて新たな海族の長となり、慶次とともに琉球へと向かい、イスパニアを裏切って薩摩と組み、琉球王位を簒奪しようとした竜嶽親方と戦った。

カルロス

イスパニアの兵士。宣教師として日本に来ていたが、日本を植民地化するための尖兵として、京に潜伏。「手(てい)」という徒手空拳で戦う不思議な格闘技の使い手で、前田慶次を圧倒するほどの戦闘力の持ち主。利沙に惚れ込んでおり、その父・与四郎を倒し、慶次とも戦う。 慶次とは痛み分けに終わり、再戦の約束をしたが、イスパニアを裏切った竜嶽親方の奸計に嵌まり命を落とした。

尚寧

太陽のような存在として民から慕われている琉球の王。若き日に海族の利沙と恋に落ちたが、王に即位するためにその恋を諦めざるを。涼やかな心の持ち主で、同じ女性を愛しながらも前田慶次との間には奇妙な友情が生まれた。利沙の気持ちを汲みとり、最終的に利沙を慶次に託す。

毛虎親方

琉球の王・尚寧に仕える重臣のひとり。武術の達人で尚寧の武術の師でもある。妖術を操ることもでき、その力で利沙を拉致して尚寧のもとに届けた。利沙を追って首里城まで来た前田慶次と一騎討ちで激突。右腕を切断する重症を負いながらも戦おうとするが、慶次の利沙へのまっすぐな想いと意地を知り、敗北を認めた。 なお、尚寧は慶次との面会を希望。戦いを仕掛けたのは毛虎親方の独断であった。

竜嶽親方

琉球の王・尚寧に仕える重臣のひとり。イスパニアではなく薩摩と通じることこそが琉球の未来を安寧にすると信じており、イスパニアを裏切り、利沙に会いに琉球に来たカルロスを殺害する。いくさ人として認めるカルロスの死を聞き、憤慨する前田慶次と一戦交えた。 二刀を巧みに操り、慶次にも引けをとらないほどの剣技の冴えを見せる。尚寧から絶対の信頼を得ている重臣・毛虎親方に嫉妬し、クーデターを起こすが尚寧により斬り捨てられた。

織田 信長

日本の戦国時代の武将・織田信長をモデルとしている。武で持って日本を制す天下布武を推し進め、成就目前で明智光秀の謀反・本能寺の変が勃発して死去した。『花の慶次』は「本能寺の変」後であるが、織田信長自身は回想で度々登場。前田慶次とは、慶次がまだ若者だった頃に織田信長が前田家へ表敬訪問した際に出会っている。 茶の席で粗相をした奥村助右衛門が切腹をしようとしたところを、慶次がいくさ人は槍働きで死ぬべきだと意見。周囲が動揺する中、若いころは自身も傾いていたために慶次の心を理解し、奥村助右衛門を許した。

豊臣 秀吉

日本の戦国時代の武将・豊臣秀吉をモデルとしている。時の天下人で、傾奇者として名を馳せる前田慶次の噂を聞き、面会を望んでいた。ようやくそれが叶い、噂通りの傾きぶりに加え、豊臣秀吉を殺そうと狙っていた肝の太さに感嘆。今後どこでも自分の意地を通すことを許す「傾奇御免」の御意を与えた。 その後、恩賞として与える土地が無いため朝鮮出兵を実行。豊臣秀吉の死後、それが引き金となり、全国の大名が東西に分かれて激突した関ヶ原の戦いが勃発する。

徳川 家康

日本の戦国時代の武将・徳川家康をモデルとしている。千利休から前田慶次の目利きを頼まれ、茶会で同席。慶次の大器を感じ取り、以降良い関係を築くこととなる。慶次が豊臣秀吉に謁見した席では、慶次が去り、ざわついた席上で農夫の舞を舞うことで、その場の空気を丸く収めた。 豊臣秀吉死後に勃発した関ヶ原の戦いの戦いで勝利を収め、新たな天下人となる。

松風

『花の慶次 ―雲のかなたに―』に登場する動物。前田慶次の愛馬。上州の谷地に生息しており、全身傷だらけで気性が荒く、誰も捕まえることができなかったので、殺害が計画される。これを聞いた慶次がもったいないと嘆いて10日かけてじゃれあって情を移し、ようやく乗りこなせるようになった。

クレジット

原作

脚本

麻生 未央

関連

前田慶次 かぶき旅 (まえだけいじかぶきたび)

原哲夫の代表作『花の慶次 ―雲のかなたに―』のスピンオフ作品の一つで、出口真人の代表作『義風堂々!!直江兼続 ―前田慶次花語り―』の関連作品。かつて「月刊コミックゼノン」の編集長を務めていた堀江信彦と... 関連ページ:前田慶次 かぶき旅

SHARE
EC
Amazon
logo