概要
日本の漫画家。男性。郁文館中學校(旧制)卒。1926年太平洋画会研究所に入所。油絵を学び、1930年、帝展に入選するも、収入がおぼつかず、転身を決意する。1931年、田河水泡門下に入り、翌1932年12月「東京朝日新聞」に『どうも近ごろ物騒でいけねえ』を発表。漫画家デビューとなる。1937年、田河を盟主とした「昭和漫画会」が結成され、メンバーとなる。その後、1939年に結成された「日本児童漫画家協会」に、昭和漫画会同人全員と共に参加。1943年には「日本漫画報国会」に入会して、国策絵本を手がける。1945年、召集令状が届き、世田谷砲兵連隊に入隊する。やがて終戦となり、9月末に復員。1946年、出版社である新生閣の社長・鈴木省三と知り合い、『冒険ベンちゃん』を描き下ろして、同社から単行本を発売した。1948年には新生閣から「少年少女漫画と読物」が創刊され、杉浦は『冒険ベンちゃん』『弾丸トミー』『ピストルボーイ』などを発表した。1953年、集英社の出版部長になった鈴木省三は「おもしろ漫画文庫」を創刊。そこで、杉浦が描き下ろした『猿飛佐助』が大ヒットとなり、同作は翌1954年「おもしろブック」にて雑誌連載となった。以後、『ドロンちび丸』『少年児雷也』など、次々と人気作を生み出していく。1960年以降は、ストーリー漫画の台頭により杉浦漫画は影を潜める。しかし、1980年以降、再び脚光を浴び、1987年「杉浦茂ワンダーランド」(全8巻)、1993年「杉浦茂マンガ館」(全5巻)などが刊行された。また、1989年には第29回児童文化功労者を受賞している。1996年「杉浦茂マンガ館」第5巻に『2901年宇宙の旅』を描き下ろし、漫画家生活を終えた。1999年、交通事故で腰の骨を折り、病院で寝たきりになった。その後、少し回復はしたものの、2000年4月23日腹膜炎により死去。享年92歳だった。
ヒストリー
- 1908年4月3日
東京府東京市本郷区湯島新花町(現・東京都文京区湯島二丁目)に生まれる。
- 1926年
太平洋画会研究所に入所し、油絵を学ぶ。
- 1931年
田河水泡に師事する。
- 1932年12月
「東京朝日新聞」に『どうも近ごろ物騒でいけねえ』を掲載し、デビュー。
- 1943年
「日本漫画報国会」に入会。国策絵本を手がける。
- 1945年
召集令状を受け取り、世田谷砲兵連隊に入隊。熊本県に駐屯する。
- 1945年9月
復員する。
- 1946年
『冒険ベンちゃん』を描き下ろし、出版社である新生閣から単行本を発売。
- 1948年
新生閣から「少年少女漫画と読物」が創刊され、『冒険ベンちゃん』などの作品を連載する。
- 1953年
集英社「おもしろ漫画文庫」に描き下ろした『猿飛佐助』がベストセラーになる。
- 1954年
「おもしろブック」にて『猿飛佐助』の連載を開始。人気作家となる。
- 1987年
「杉浦茂ワンダーランド」(全8巻)刊行。
- 1989年
第29回児童文化功労者受賞。
- 1993年
「杉浦茂マンガ館」(全5巻)刊行。
- 1996年
『2901年宇宙の旅』を単行本用に描き下ろし、漫画家生活を終える。
- 1999年
交通事故で腰の骨を折り、寝たきりになる。
- 2000年4月23日
腹膜炎により死去。享年92歳。
受賞
- 1989年
第29回 児童文化功労者
作品
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田河 水泡 (たがわ すいほう)
日本の漫画家、落語作家。男性。日本美術学校図案科卒。美術学校では抽象画家として活動。高見澤路直を名乗り、前衛美術グループ・MAVOに参加するなどした。卒業後の1926年、講談社に持ち込んだ創作落語が採... 関連ページ:田河 水泡
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