鬼滅の刃、名探偵コナン、推しの子、・・・。毎年いくつものエンタメ作品が世を騒がせます。ヒット作品は、50万部突破、興行収入100億円、総PV1億回など、数字や結果ばかりが表にでてくるものですが、作品が作られるまでには数々の試行錯誤や葛藤があるものです。
本連載ではそのような試行錯誤や葛藤に焦点を当て、ヒット作品の輝かしい実績の「裏側」に迫ります。次々とヒット作を生み出すクリエイターは、どのような道を歩んできたのか。挫折や逆境を乗り越え、今に至るまでのキャリアの築き方についてお伺いしました。
第2回目にご登場いただくのは、映画監督・今泉力哉氏。2010年『たまの映画』で商業監督デビューをし、現在もなお、1年に1作品以上の長編映画を公開しています。
『愛がなんだ』『街の上で』など、多くの恋愛群像劇を輩出し続ける中で、今泉監督作品特有の質感や温度・作風はどのように生まれたのか。各作品の制作手法や、現在に至るまでのキャリアを振り返り、「映画監督」への道を紐解きます。
【今泉 力哉(いまいずみ りきや)氏 プロフィール】
1981年福島県生まれ。名古屋市立大学芸術工学部卒業。2013年『こっぴどい猫』がトランシルヴァニア国際映画祭最優秀監督賞を受賞。主な作品に『サッドティー』(2014)、『退屈な日々にさようならを』(2017)、『愛がなんだ』(2019)、『街の上で』(2021)、『窓辺にて』(2022)、『ちひろさん』(2023)など。豊田徹也の漫画を映画化した最新作『アンダーカレント』が全国公開中。
【目次】
3.着想の枯渇、映画を作り続けるインスピレーションとは-夢の先の現実と苦悩
第3回目となる今回は、映画監督の道を進むきっかけや、恋愛映画をつくる理由についてお伺いしました。
1年に1作品以上を公開し続けるインスピレーションとは?。今泉氏の過去に迫ります。
―― 映画監督の道を目指すきっかけになったことはありますか?
今泉 具体的に映画をつくろうと思ったのは、高校から大学に進学する時だったと思います。
小学校の低学年の頃から、じいちゃんによく映画館に連れてってもらっていたのと、家の近所にレンタルビデオ屋さんができたのが大きいですね。
高校までは体育や美術の成績が1番悪くて、国語や数学みたいな、勉強の方ができる子どもだったんですけど、それでも勉強よりも体育や美術とかが好きで。
映画をつくりたいと思ったきっかけは明確にないですが、映画はずっと好きだったし、大学に行ってまで、いわゆる勉強 ってものを学ぼうと思わなくて。
それで自然と芸術系の大学に進学したいと考えていました。でも友達やみんなが「力哉が芸術系?」って言うくらい、絵も全然下手で。でも好きだったので関係なかったです。
―― 大学の卒業作品を「ホームビデオのような映画」とご自身で評し、1度挫折を味わったとのことですが、大阪NSCに入学し、上京後に自主映画をつくり続ける中で、今に繋がる作風はどのように見出したのですか?
今泉 うーん、つくっていくうちにですかね。恋愛映画を最初に撮ったのは、ニューシネマワークショップという映画学校に1年間通ってた時です。
“20分以内の作品をつくれ” という課題だったんですが、言うことを聞かずに無視して35分くらいの作品を監督して。なので卒業上映会では、上映してもらえなかったんですけど(笑)。
三角関係の話を書いたんですが、それが今に続く恋愛映画の原型だと思います。出演は自分と、映画学校の同級生で男前だった人と、自分の大学時代のバイト仲間だった女性の3人です。
『此の糸』 (このいと)というタイトルの短編映画です。好きな人に紫の毛糸でマフラーを手編みするシーンがあったので、「紫」という漢字を解体して、『此の糸』というタイトルにしました。
―― 恋愛映画を撮ろうと思ったきっかけはあったんですか?
今泉 映画どうこう抜きにして、生きていく中で、自分の興味のあることが“恋愛”なんだと思います。それで、です。
初期の自主映画では、若者たちが恋愛に悩んだりしているだけの短編を量産していて、社会的な問題とか、職業や労働とか、金銭面の悩みとかも一切描いていなくて。
主人公や登場人物が、社会人なのか、学生なのか、フリーターなのかも描かずにつくっていたので、見た人や、映画に詳しい人たちから「そういうのを描かないと、この人が何をしているかも分からない」という批判を受けたりしました。
でも別にことさら職業などを描かなくても、部屋の大きさとか人物間のやりとりでなんとかなく分かると思うんです。
それに、学生だと思うか、フリーターだと思うか、映画を見る人が好きに想像したらよくないですか。こちらから必ず提示しなければいけないことだとは思わない。
また、社会性や政治的なことを描くなら興味がある人が描くべきだと思うので。興味がないなら描かないほうがいい。創作のために、「映画だから」とかそんな理由で社会や政治などを描いてはいけないと思います。
まあ、でも今は当たり前に職業が分かるようには描いていますね(笑)。別にそれがどうってことだとは思っていないのですが。振り返るとすごい批判されてたような気がします(笑)。
―― 「好きな人を撮って、映画をつくった」と話したら他の高齢の監督からも認められたという話を拝見しました。
今泉 よく知ってますね、懐かしい。認められた、っていうのとはちょっと違いますけど。
俺の映画に全く興味がない、評価していない高齢の監督がいて。なぜか上映イベントに呼ばれて、上映後にトークをする場があったんです。
よく分からずに参加したら、その人のお仲間みたいな人たちの集まりの場で。集まった観客たちは笑いながら俺の映画を見てくれていたんです。でも上映後のそのトークの場で、ほかの監督や脚本家たちから、それはそれは酷い批判を受けまして。
その中で、「主演の女の子がバイト仲間の子で、2回告って2回振られた」って話をしたら、一気に「仲間じゃないか」「俺たちの時代と同じことしてるな」みたいな感じで優しくなって。意味不明でしたけど(笑)。
その主演の子には1回告白して、その半年くらい経った時に、なぜか映画に出てもらえることになったんです。撮影が終わった後にテンションが上がって、もう1回告白したら振られたっていう。まあ、好きでしたねえ。
好きな人が出てるから、下手なものにできなくて頑張るんです。脚本も、撮影も、編集も。その人に面白いと思われたい一心で、特に編集はめちゃくちゃ頑張った記憶があります。
その作品ではじめて名のある映画祭でグランプリをもらって。「水戸短編映像祭」っていう映画祭で、『微温』(ぬるま)という44分の作品でした。
ちなみにグランプリをもらった時には、すでに今の妻と付き合っていて。「過去に好きだった人が出演している」っていう話は、周りの仲間の中でネタのように知れ渡っていたので、もちろん妻(当時は彼女)も知っていて。
受賞したときに妻に言われたんですよね。「好きな人が出てる映画で賞をもらって、また気持ちが戻ったりするんじゃないの?」って。多分妻の中では冗談だったんでしょうけど、すごい喧嘩になりました(笑)。
当時は、本気で「別れよう」って言いました。今に至るまでの15年間くらいの中で、唯一の別れ話です。
妻にとっては冗談だったのかもしれないけど、今後も俺は男性女性問わず、魅力的な人と作品をつくっていく。その度にこんなことを言われるのは勘弁してほしい、と思って。
俺もどうかしてたんだと思うけど、なぜかすごくムカついたのを憶えています。
―― そんな過去が。それは作品化されないんですか?
今泉 このことを?(笑)。でもやってもいいですね。しかも、やっぱり別れられなかったところまで。
戻ったときのことも具体的に憶えています。彼女の住んでいた神楽坂で、お昼に別れ話をするために会ったんです。俺はランチ頼んでるのに、向こうは飲み物だけで。ほんと最悪な空気でした。家でやれよ、っていう。
まあ色々あって、別れることはやめようってなりました。 俺、戻ったときに日和ったと思ったんです。
今泉 ええ。もし俺が大学生のときだったら別れてるなって思ったんです。年とったなあって。
そのおかげで今、結婚して3人の子どもがいます。日和ってよかった。
映画『窓辺にて』 に出てくる、太った猫のくだりは、当時、妻が一人暮らししていた家に、実際に太った猫が出入りしていました。その猫を妻が「横綱」と呼んでいたので、そのまま使用して。創作には実体験を常に混ぜていますね。
―― 色々なところから着想を得ていますが、ふとした瞬間にアイディアが浮かぶんですか?
今泉 アイディアがいつ浮かぶかはあまり決まっていないですね。脚本を書いていて浮かぶこともあるし、今日みたいに取材を受けて話している中で浮かぶこともある。
メモとかは基本的にしない派です。創作用のノートとかアイディアのストックもないです。脳みそだけ。
忘れてしまうようなことは、それまでのことなんだと思うんですよね。面白いことは大抵、なにかのきっかけで思い出せるものですから。あと、記憶力は異常にいいので。
―― 1年に1作品以上を公開し続けるインスピレーションはどこにありますか?
今泉 ないです。ないです。常に枯渇してます。
今まで20本近くの長編映画をつくってきたので、アイディアやストックがあると思われがちなのですが、一切なくて。
企画のお話をいただいてから書き始めています。書き途中の脚本などもほぼないですね。話をいただいてから考えている、という感じです。
ありがたいことに、今まで自ら企画書を書いて映画をつくったことがほぼなくて。長編映画に関してはほぼすべてオファーです。オリジナル映画も原作ものも。
ある時ふわっと知らない番号の着信があって、電話に出たらプロデューサーだったりとか、メールが来て、こんな企画に興味ありませんか?と言われて始まります。
原作物の場合は、俺が映画にして面白くできそうだったら引き受ける。そうでなければ断ります。
オリジナルの場合の依頼のされ方というのは、「〇〇さん主演で内容は好きに書いてください」とか、「下北沢を舞台に、内容はおまかせします」とかそういう形が多いですね。
自分から企画書を書いてどこかに持ってくみたいなことはほとんどしたことがなくて、それがコンプレックスだったりもします。
自分発じゃないから熱量が低いんだ、と批判されることもありますしね。もちろん丁寧に一作一作つくってはいるのですが。
オリジナル脚本の場合は、本当に毎回毎回、なにを描くかですごく悩みます。実は今もひとつオリジナルの企画の話があるんですが、題材は漠然としてますね。2025年に撮影予定です。主役が決まっていてのパターンで、45歳前後の男性で。
企画が流れなければ撮影します。とにかく漠然としていますが、今、自分が興味のある題材が1つあるので、それをやるとは思うんですけど。
それをどう映画にしていくか迷っているところでして。それこそ主人公の職業をどうしようか、とかね。
―― 締め切りがあって、そこに向かって詰めていくという感じですか?
今泉 そうですね。でも、まあ……締め切りは守れないです……(笑)。怒られながら、ですね。
以前、ある作品の時に「本当の締め切りを教えてください」と言ったら、「最初に伝えたのが本当の締め切りです」と言われて。毎回そういうやりとりがあります。
例えば「6日まで」と言われたら、「6日の23:59までですよね。つまりは7日の朝でもいいですか?」と解釈して、「最悪7日の午前中ならいいですか?」みたいな。いいわけないのに。
―― トークショーのあとに、ファンの方と飲みに行ったというツイートを拝見しました。
今泉 いつのどれですかね。日常すぎて、どれのことか分かりません(笑)。
今年の1月に、関西でやった謎のトークイベントの後に飲んだ時のことは憶えています。俺がただひたすら質疑に答える2時間のイベントだったんですけど。
徐々に集まったら男女8人くらいになったんですが、俺以外全員失恋中という謎の飲み会になって。来る人来る人、「数日前に振られました」みたいな。なんでだよっていう。
ちょうど男女半々くらいだったんで、ここでなんか始めたら?って冗談で言うくらい、謎の飲み会でしたね。俺の作品に惹かれる人、全員失恋してるな、って思いました。
おかしいなあ。映画って、もうちょっとみんなを幸せにするもののはずなのに(笑)。
―― ファンの方との話の流れや会った人から、インスピレーションを受けることはありますか?
今泉 インスピレーションのために会っている意識はないですけどね。実体験を聞けるので楽しいんですよ、単純に。
自分が知らない20年間や30年間を知れるわけです。それは恋愛に限らず、職業についても。人生についても。家族の問題や悩みなども。
日々、俺のTwitter( 現X )には、さまざまな相談DMが来るんですよ。1日2、3件とか。恋愛相談や就職活動の相談、あとは生き死に、みたいな相談もくるし。
子供を産むべきかどうか、とか。さすがに責任負えないものは答えられないですけど。基本すべて読んで、返信してますね。
そういうので自分の思考にはない視点を持ってる人と出会うと、面白いなと思ったりもします。それを映画に使うことはありますね、確かに。
―― 過去に小説を書こうと思ったことがあるとお話されていました。映画『窓辺にて』に登場する「ラ・フランス」や、映画『街の上で』に登場する「金沢の女の子」など、劇中でオリジナルの小説が登場することがありますが、小説に対する特別な感情はありますか?
今泉 本当に傲慢な願望なんですけど、小説を書いてみたいという欲はどんどん増してるんですよね。
実は2017年か2018年の時点で、とある編集者さんから「小説を描きませんか?」ってお話をもらっていて。ただ全然書けてなくて、気づいたら5、6年経ちました。
その小説は、来年中(2024年中)に書き切るつもりで、映像系の仕事をめちゃくちゃセーブしようと思っています。可能なら2024年の終わりには出版まで漕ぎ着けたいです。絶対無理だと思いますが。
『愛がなんだ』の公開前ぐらいだと思うんですけど、Twitterに「小説を書きたい」と呟いたら、興味を持ってくれた編集の人が声をかけてくれたんです。その方とは、今までに年に2回くらい不定期ですが会ってまして。
数ページ分だけでも小説の断片みたいなものが書けたら送って、読んでもらって、会って感想をもらって、軽くお酒を飲んで、とかしてるんですけど。
その方が去年かな、出版社を辞めてしまったんです。俺の時間がかかりすぎて(笑)。ただ個人で編集社?出版社?を立ち上げていて、先日そこから本が出ていました。小説第1作目は必ずその人の元から出したいと思っています。出すと決めています。
またありがたいことに、エッセイの依頼もあって。去年の暮れとか今年の頭ぐらいに、別々の出版社3社から「エッセイ本を出さないですか?」という連絡が次々と来て。あまりにも重なったので驚きました。
「数日前に、俺なんか名文でも発表したのかな」って本気で思いましたもん。ただ基本的には選ぶ感じでもないので、お話をいただいた順でやるつもりではいるのですが、いつになるのやら。うーん、永遠に書けないかもしれないですね。
―― 小説についてですがもう少し聞かせてください。題材はもう決められているんですか?
今泉 それなんですよ。題材が決められないというのが一番大きな悩みですよね。
映画はすでにつくっているから、1作目というプレッシャーもないですし、まあまあ少ないなりに映画は見てきたので、自分の映画が世界の映画史の中でどういった位置付けなのか、どういうジャンルなのか、とかも俯瞰して把握しているつもりなんですけど。
小説は、本当に読んできてないのもあるし。あとは“本”という物体への憧れもあるんです。きっと自分の中でハードルが上がりまくってるんですよね。
本屋さんに自分の本が並ぶことへの憧れと、あとはどうしても、映画監督が書く小説として読まれるじゃないですか。だから絶対に面白いものにしたいんですよ。そういうのがねえ、だめですよね。邪魔な自意識。
こういう話をすると、「でも、この5年間の間にオリジナルの脚本も書いてるじゃないですか」とか言われることもあるんですよ。
でも映画って脚本で完成じゃなくて、色々なキャスト、スタッフの力によって完成するものだと思っていて。脚本が作品ではないじゃないですか。
でも小説は編集者とのやり取りはあったとしても、それが完成形になる。自分が書いたそれが完成物じゃないですか。難しいです。
あと、これは勝手なイメージなんですが、小説の方が映画よりもプライベートな感情を、さらにさらけ出して描かないといけない気がしていて。そんな縛りもないとは思うんですけど(笑)。
まあ、恋愛ものになるとは思います。今までその編集者さんに何度も何度も、序文みたいな2000字くらいの文を送っては読んでもらっているんですけど。
去年の年末ぐらいに、これは今までで一番面白いなっていうものが書けて。その人も間違いなくこれが一番面白いと言ってくれました。それを書き上げたいですね、書けるかなあ。
【第4回記事】 はこちらから。
著名監督との出会いと絶望、今泉氏特有の作風や演出の原点とは?。最終回となる当回は、今泉監督自身の原点から、これから先の未来についてお話を伺いました。