足利尊氏に天下を奪われ、鎌倉幕府が滅亡した後、時行は信濃国諏訪部の神職・諏訪頼重(すわよりしげ)のもとに身を寄せ、武芸や学問を学びながら「逃若党」を旗揚げし、打倒足利家と北条家再興を企てる。諏訪の領地に辿り着くまでの道中で、様々な波乱が彼を待ち受けるが、ここで早速彼の“逃げる”能力が活躍することになる。
まず鎌倉の領地から脱出を図ろうとする時行たちだったが、出口に厳重な監視がいるため、数日は鎌倉の廃屋に身を寄せることに。そんな中、自分の兄・北条邦時(ほうじょうくにとき)が処刑されたという話を耳にする。そして、彼の死は、鎌倉幕府滅亡後に邦時を預かった叔父・五大院が、彼を隠れさせた居場所を敵に密告したことがきっかけだと知り、時行は身内の悲惨な裏切りに絶望する。
兄の仇を取るべく、五大院と戦うことを決意した時行。「逃若党」の一員である弧次郎と亜也子が先陣切って五大院に仕掛けるが、想像以上の彼の強さによりあっという間に窮地へと追い込まれてしまう。そんな中で編み出した戦法が「逃げる主君を敵に差し出す」である。戦いの場では、本来主君は先陣を切って戦い、周りは主君を守りながら戦う。だが、弧次郎と亜也子は時行の逃げ上手を信頼し、守るのではなく敵に一太刀を浴びせる隙を与える戦法に出る。結果、時行は2人が生み出した一瞬の隙をつき、五大院を倒すことに成功する。「逃若党」の初勝利にして、時行の“逃げる”を活かす戦い方が生まれた記念すべきシーンだ。なお、この戦法は今後の戦いや、狩りのシーンなどでも頻繁に登場することになる。言わば「逃若党」にとってベースの戦い方である。
その後、諏訪に無事到着した時行は素性を隠し長寿丸(ちょうじゅまる)の仮名を名乗り生活を始める。戦いに欠かせない武芸の稽古に励むものの、“逃げる”以外はさっぱりな時行を前に一同頭を抱える。そんなある日、西信濃の小笠原貞宗(おがさわらさだむね)が突然頼重のもとを訪ね、諏訪で匿っている北条一族の生き残りを差し出すようにと命じる。なんとかその場をやり過ごすものの、弓の名手である貞宗は集落に向かって弓矢を放ち、巫女に傷を負わせ威嚇する。
今後も何かと因縁をつけてきそうな貞宗を見て、頼重は時行に諏訪大社で開催される犬追物で「彼に正体がバレないように行動すること」その一方で「隙を見て彼から弓の技術を盗むこと」を課す。
そして、犬追物当日、時行は諏訪領内の自由と侵略を賭けて貞宗と一対一の勝負をすることになる。貞宗が形成した武術の流派は、現在にまで伝わり繁栄していると言われるほど天下有数の武人である彼を前に、崖っぷちに立たされる時行。だが、そこで彼は「逃げながらの射撃」を編み出す。得意な“逃げる”能力を発動させることで、平衡感覚を開花させ「押し捻り」という曲芸射撃を放つ戦法を披露し、見事貞宗に勝利する。時行の潜在能力は逃げる時に目覚めるという、彼の並々ならぬ脅威を感じる戦いである。
鎌区幕府滅亡から半年後。全国各地で小競り合いは続くものの、時行は諏訪潜伏生活で初めての新年を迎える。一方で、貞宗は新たに朝廷から北条の旧領地を与えられ、北と西の両方から諏訪の挟み撃ちができる状態となっていた。一触即発な状況であることを知った「逃若党」は、領地の視察をすることになる。
諏訪領の北端に位置する中山庄に辿り着いた時行たちだったが、中山庄は貞宗の刺客によって村の大人たちが殺され、現在は幼い子どもたちと放浪者・吹雪(ふぶき)によって守られていることを知る。時行たちは、吹雪と共に貞宗の刺客と戦うことを決意するが、時行は来る戦いに向けて吹雪から剣術を学ぶ。時行から、並外れた“逃げる”能力と乱世に似合わぬほどの温かい心を垣間見た吹雪は、彼に「鬼心仏刀」と名付けた剣術を授ける。まるで菩薩のように斬る、と例えられるその剣術は「退きながら斬る」というもの。真剣は、包丁と同様に押して叩き斬るのではなく、引いて斬る時に最も切れ味を発するという原理を用いた剣術だが、まさに逃げ上手な時行らしい戦法だ。実戦では、彼の凄まじい「退き」により斬れ味もパワーアップ。結果、圧倒的に不利と思われた貞宗の刺客との戦いで勝利を収める。時行には珍しく、逃げだけではなく攻めの姿勢を感じる戦いであるが、それ以上に逃げることそのものに興奮を感じる変わった性格である彼が、戦いの最中に生き生きとした笑みを浮かべている姿がとても印象的だ。