あらすじ
第1巻
秦朝末期、泗水(しすい)郡の沛(はい)に劉邦という野盗の頭目がいた。その討伐のために董翳が都から派遣され、劉邦は逃げることを主張したが、盧綰は董翳を迎撃すると言って飛び出していく。盧綰と董翳の一騎打ちが続く中、劉邦は穀物の粉をまいて火を付け、粉塵爆発を起こして秦軍を撃破。これを皮切りに、劉邦はただの野盗であることをやめ、秦軍に対する反乱勢力の指導者となる。そして大富豪である呂雉を妻に迎えて一軍の主となった劉邦は、沛の県令を捕え、この地の秦軍を降伏させることに成功。劉邦は沛公を名乗って秦からの独立を宣言する。そんな中、それを知った張良は、劉邦こそ自らの仕えるべき主であると確信する。
第2巻
劉邦が沛(はい)で独立ののろしを上げたのがきっかけとなり、沛より南の地である会稽においても、項梁とその甥の項羽による反乱が勃発する。会稽はかつて秦によって征服された楚という国のあった地であるため、范増は楚の王朝の血を継ぐ者を探し出し、王として迎えて楚を再興すべしと献策した。一方、劉邦は早くも秦の正規軍と衝突する事態に陥っていた。しかし、かろうじて劉邦はその軍勢を撃破することに成功し、それを知った項梁は劉邦を自軍に迎え入れることを決意。最初は劉邦は思い悩むものの、考えあぐねた末に楚の軍勢に身を投じることを決断する。項梁のもとに10万の軍勢が集結し、秦の首都である咸陽(かんよう)に向かっての進撃が開始された。その途上、黥布もまた楚の陣中に加わるのであった。
第3巻
亢父(こうほ)の戦いにおいて、劉邦の部隊が敵軍の足止めをしているあいだに、項羽は敵将を討ち取った。そのため、秦はさらなる討伐軍を差し向けることとなり、章邯が大将軍に任命された。定陶の戦いにおいて、項梁は章邯の率いる秦軍に包囲されてしまい、戦死を遂げる。項梁戦死の報告を受けた項羽は怒り狂い、伝令を斬り捨てて暴れ出したが、それを説得して止めたのは劉邦であった。章邯はさらに軍勢を推し立て、趙軍を鉅鹿(きょろく)において包囲した。楚に援軍を求める使者が送られてきたので、宋義が上将軍に任命され、咸陽(かんよう)に一番乗りした将軍が関中の王になるという取り決めがなされた。しかし戦いが始まる前に、項羽は宋義を自らの手で殺害し、自分が軍を指揮すると宣言する。
第4巻
鉅鹿(きょろく)の戦いは、項羽とその部下の武将たちの活躍によって大勝利に終わり、敵将も討ち取ることに成功した。一方、劉邦は駐屯地で小勢の反乱軍の指揮を執っていたが、そこを秦軍に急襲される。もはやこれまでかと思われたその時、劉邦の妻の呂雉が象の軍勢を率いて姿を現し、劉邦は九死に一生を得た。これに勢いづいた劉邦の軍勢は、独自に勢力を拡大させて咸陽(かんよう)への入り口にあたる武関までたどり着く。武関は力攻めでは絶対に落とすことのできない堅城であったが、ここで張良が策を練る。まず張良は要塞の司令官に対して、金での買収を持ち掛けた。司令官は誘いに乗ったふりをして劉邦軍を罠にかけようと企んだが、実際に裏切ったのではないかと趙高に疑われたため、やむなく投降することを決断するものの、劉邦の部下によって討たれてしまう。こうして武関はあっけなく陥落したのである。
第5巻
武関が陥落したとの報は、秦の皇帝のもとにもたらされた。皇帝は事ここに至るまで反乱の事態を隠蔽していた趙高を詰問するが、逆に趙高によって暗殺されてしまう。一方、戦場では項羽の軍勢に参加していた盧綰と董翳が一騎打ちを開始していた。董翳はかつての戦いの時よりも遙かに強くなっていたが、盧綰もまた腕を上げており、結局盧綰が勝利をおさめる。そこで大将軍の章邯が自ら進み出て、盧綰と一騎打ちに臨もうとする。しかしその矢先、咸陽(かんよう)からやって来た使者が、武関の陥落と、趙高による粛清が都で始まっていることを告げる。その粛清された人々の中に自らの家族もいると知った章邯は矛をおさめ、降伏を申し出るのだった。
登場人物・キャラクター
劉邦 (りゅうほう)
秦に対する反乱の指導者を務める男性で、呂雉を妻にしている。もともとは沛(はい)という県の俠客であったが、秦に対して反旗を翻し、沛の県令の軍を打倒して自ら「沛公」を名乗った。のちに項梁の幕下に加わり、楚の将軍となる。個人的な武勇でも兵を率いる軍略においても、必ずしも人並みはずれた能力を持っているわけではないが、不思議なカリスマ性があり、多くの人を従わせる人間的な魅力を持っている。盧綰とは同郷で、幼なじみの関係。実在の人物、劉邦がモデル。
盧綰 (ろわん)
劉邦に仕える武将の男性。劉邦とは同郷で、幼なじみの関係。頭はさほどよくなく、天下国家について考えるような政治的センスもまったく持ち合わせていないが、武人としての力量は並はずれて高い。沛(はい)の攻略に際して奚涓と一騎打ちをして勝利をおさめる。実在の人物、盧綰がモデル。
呂雉 (りょち)
劉邦の妻で、大富豪である呂という一族の当主を務めている。劉邦に惚れ込んでおり、その財産を劉邦の栄達のために惜しみなく注ぎ込んでいる。攻城兵器を用意したり、象軍を用立てたりするなど、人並みはずれたコネクションの持ち主でもある。実在の人物、呂后がモデル。
奚涓 (けいけん)
劉邦に仕える女武将。北方の騎馬民族である楼煩(ろうはん)の出身であるため、騎馬の扱いに優れている。もともとは秦に仕えていたが、劉邦が沛(はい)公を名乗った頃からその部下となった。それに先だって盧綰と一騎打ちをして敗れており、その後満更でもない感情を抱くようになる。実在の人物、奚涓がモデル。
張良 (ちょうりょう)
劉邦の軍師を務める男性。もともと黄石という偽名を使って沛(はい)の県令に仕えていたが、劉邦の優れたカリスマ性を感じ取り、その部下になることを自ら申し出た。多くの献策を行って劉邦の天下取りのために貢献している。実在の人物、張良がモデル。
黥布 (げいふ)
楚に仕える武将の一人である男性。盧綰と一騎打ちをしてひけを取らないほどの猛将として知られている。もともと秦に対する独自の反乱軍の指導者だったが、劉邦に誘われて楚の陣営に加わった。本名は「英布」ながら、黥(いれずみ)を入れていることから自ら「黥布」を名乗っている。実在の人物、黥布がモデル。
項羽 (こうう)
項梁の甥である武将の男性。項梁の死後、事実上の後継者として秦に対する反乱の指導者となる。単騎で軍隊を蹴散らすことができるほどの人間離れした戦闘能力の持ち主。「虞姫(ぐき)」という名の盲目の少女を寵愛している。実在の人物、項羽がモデル。
項梁 (こうりょう)
秦に対する反乱の指導者を務める男性で、項羽の叔父。羋心を傀儡の王として擁立して楚を再興し、その事実上の支配者となって、自ら「武信君」と称した。劉邦を配下に引き入れたが、秦軍との戦いの中、章邯に敗れて戦死する。実在の人物、項梁がモデル。
范増 (はんぞう)
項梁の死後は項羽に軍師として仕えた老人。早くから劉邦の将来性に気づいており、これがまだ脅威ではないうちに殺害するようにと二人に献策したが、入れられなかった。実在の人物、范増がモデル。
羋心 (びしん)
劉邦の昔なじみで、羊飼いをしていた少年。楚の王族の血を引いていたため、項梁によって「懐王」の名で擁立され、その傀儡となる。まだ幼いこともあって人を疑わない無邪気さと、善良な人間性を持っている。実在の人物、義帝がモデル。
宋義 (そうぎ)
懐王の羋心に仕える、貴族出身の武将の男性。羋心からはそれなりに信任を置かれており、鉅鹿(きょろく)の戦いにおいては上将軍に任命された。しかし、もともと項梁の政敵であり、その失脚を謀ったことがあったため、それを知られて項羽によって殺害される。実在の人物、宋義がモデル。
董翳 (とうえい)
秦の武将の男性。沛(はい)で野盗の頭目をしていた頃の劉邦を討伐するためにやって来て、盧綰との一騎打ちに敗れ、顔に傷を負わされた。数年後、函谷関の戦いにおいて楚軍の武将となっていた盧綰と再度対決する機会を得たが、再び敗れて今度は左腕を落とされる。実在の人物、董翳がモデル。
章邯 (しょうかん)
秦軍の大将軍を務めている男性。人材が払底する秦においては貴重な軍才に優れた武人であり、武信君の項梁を討ち取ることに成功する。しかし、趙高の粛清によって家族を殺され、一軍を率いて楚に降伏するに至る。実在の人物、章邯がモデル。
趙高 (ちょうこう)
始皇帝以来、秦の歴代皇帝に仕える宦官。その心中では始皇帝に対してのみ忠誠を誓っており、その後の皇帝たちについては自らの傀儡としか認識していない。始皇帝の死亡時にその死肉を食らって以来、自らが秦そのものであると信じている狂人。実在の人物、趙高がモデル。