概要・あらすじ
舞台は幕末の薩摩藩。下級役人の西郷吉之助(西郷隆盛)は、農村の視察に訪れ、農民の置かれた窮状に直面する。上役の迫田太次右衛門も藩の悪政に怒りを覚えており、辞職を決意していた。隆盛も彼とともに辞職しようと考えるが、迫田はそれを止め、若い隆盛に「学問を修めて、薩摩藩を変えられる人材になるように」と教え諭す。同じ頃、日本近海には外国船が来航し始めており、薩摩藩の若者の間にも危機感が広がり始めていた。
登場人物・キャラクター
西郷 隆盛 (さいごう たかもり)
薩摩藩の下級武士の家に生まれ、郡方書役助という下級役人となった青年。幼名は「吉之助」。立派な体格だが心優しく、貧しい農民に対して情を持って接している。薩摩藩の政治腐敗を知り、我が身の危険を顧みず激しく憤る正義感を持つが、少々行き過ぎて周囲からなだめられることも多い。藩や国を良くするため、新しい藩主の島津斉彬に期待をかけていたが、やがて自分に何ができるのか自問自答するようになる。 その後は、斉彬の急死や幕府の弾圧などさまざまな困難に直面しながらも、国家のために命懸けで奔走を続ける。実在の人物、西郷隆盛がモデル。
迫田 太次右衛門 (さこた たじえもん)
郡奉行の役職に就いている、中年の武士。郡方書役助を務めていた頃の西郷隆盛の上役。隆盛に「もののわかるお方」と評される慈悲深い人物で、薩摩を襲った台風の害を見て、税率を減らすことを上申する。しかし、藩の重役に減税を拒否され、失望して職を辞した。実在の人物、迫田太次右衛門がモデル。
長吉 (ちょうきち)
薩摩国の東郷村に住む、中年の農民。妻と8人の子供、老いた母親と暮らしている。西郷隆盛が、農村の視察に訪れた時に出会った。台風の被害によって田畑をすべて流されてしまい、隆盛に農民の窮状を訴える。
大久保 市蔵 (おおくぼ いちぞう)
西郷隆盛の幼なじみ。年齢は隆盛より3つ年下で、彼と同様に下級役人の職に就いていた。隆盛とともに藩政の腐敗を憂えている。激情家の隆盛とは対照的に冷静な性格で、血気にはやる隆盛を諭す場面もある。しかし、隆盛のことは誰よりも信頼しており、父親が藩政の腐敗を正すための策略を計画した時には、決死の覚悟で隆盛に打ち明けた。「大久保一蔵」と表記されることもある。 実在の人物、大久保利通がモデル。
調所 笑左衛門 (ずしょ しょうざえもん)
薩摩藩の家老。窮乏した藩の財政を、琉球との密貿易などによって立て直した有能な人物。しかし、老いてからは権力に執着するようになり、藩主の島津斉興の寵愛を得て、藩の政治を意のままに動かしている。彼に睨まれると有能な人物でも左遷されてしまうため、大久保市蔵ら下級武士からは奸臣とみなされている。実在の人物、調所笑左衛門がモデル。
赤山 靱負 (あかやま ゆきえ)
西郷吉兵衛が仕える薩摩藩の名門の武士で、島津斉興の政治の腐敗に危機感を持つ「正義派」の藩士。体格の良い優秀な青年で、吉兵衛にはわが子のように大切に思われている。西郷隆盛の志に目をかけており、「早く一人前になって欲しい」と、隆盛に結婚の世話をする。実在の人物、赤山靱負がモデル。
有村 俊斎 (ありむら しゅんさい)
薩摩藩主・島津斉興に仕える茶坊主(大名に仕え、茶道の世話をする者)。のちに「海江田信義」と名乗る。身分は低いが、西郷隆盛や大久保市蔵らの政治談議に加わっている。藩主が島津斉彬に代わった後、藩主に従って江戸に向かう。江戸滞在中、隆盛を藤田東湖に引き合わせた。闊達で人好きのする性格の持ち主。実在の人物、有村俊斎がモデル。
伊地知 正治 (いじち まさはる)
薩摩藩の下級武士で、西郷隆盛らの友人。右目の不自由な青年。隆盛や大久保市蔵らとともに、若い藩士で集まって政治談議を行っている。島津斉彬に取り立てられた隆盛と志を同じくし、国許で奔走する。日本開国後の混乱期には、吉井幸輔とともに大阪詰めとなり、京都での政局に目を光らせる。実在の人物、伊地知正治がモデル。
西郷 吉兵衛 (さいごう きちべえ)
西郷隆盛の父親で、身分の低い貧しい武士。妻のお満佐(まさ)とは仲睦まじく、7人の子宝に恵まれている。長男である隆盛の「国のためには我が身や家を顧みない」という姿勢を憂え、先に嫁をもらって身を固めるべきだと諭した。一方で、隆盛の高い志については頼もしく思っている。実在の人物、西郷吉兵衛がモデル。
西郷 吉次郎 (さいごう きちじろう)
西郷隆盛の弟で、西郷吉兵衛の次男。役人としての務めが多忙な隆盛に代わり、病に倒れた吉兵衛の世話など、家を切り盛りしている。学問や武道よりも、野良仕事を好む純朴な青年。しかし、藩のことを憂えて行動している隆盛には理解を示している。実在の人物、西郷吉次郎がモデル。
無参 (むさん)
禅宗の老僧で、西郷隆盛の座禅の師匠。寺で座禅を組む隆盛に、雑念が多すぎると一喝した。政治を憂えて焦る隆盛に対し、「藩主に善政を求めているばかりではいけない」と教え諭し、隆盛が自ら行動するよう発破をかける。実在の人物、無参禅師がモデル。
島津 斉興 (しまづ なりおき)
薩摩藩の藩主で、嫡男として島津斉彬がいる。しかし、妾のお由良を溺愛するあまり、お由良との間に生まれた島津久光を藩主にしようと望んでおり、藩内でお由良騒動という内輪もめを引き起こしてしまう。幕府の老中である阿部正弘の判断により、家督を斉彬に譲って隠居した。実在の人物、島津斉興がモデル。
島津 斉彬 (しまづ なりあきら)
薩摩藩主・島津斉興の嫡男。斉興が異母弟の島津久光を愛したため、長らく不遇の身だった。西郷隆盛らの若手藩士からは、英邁として期待されている。お由良騒動と斉興の隠居によって、43歳にしてようやく藩主となる。お忍びで農村を視察し、直に窮状に触れるなど、評判に違わない英主である。実在の人物、島津斉彬がモデル。
島津 久光 (しまづ ひさみつ)
薩摩藩主・島津斉興の子で、島津斉彬の異母弟。斉彬には子がなかったため、斉彬の急死後は久光の子が藩主となり、久光自身は、薩摩藩の実質的な最高権力者となった。異母兄の遺志をついで藩政改革に努め、大久保市蔵などの有能な人材を積極的に登用している。しかし、反対派には苛烈な面を見せ、藩内の急進派を粛清する「寺田屋騒動」を起こす。 西郷隆盛とはそりが合わない。実在の人物、島津久光がモデル。
阿部 正弘 (あべ まさひろ)
江戸幕府の老中を務めている人物。30代の若さで老中首座となり、困難な政局を指導している。有力な薩摩藩は、江戸幕府に歯向かう危険のある存在であるため、薩摩藩の内輪もめであるお由良騒動は、藩を取り潰す絶好のチャンスだった。だが、開明的な阿部正弘は、迫り来る外敵に対して諸藩が協力すべきだと考え、藩主の島津斉興の隠居で騒動を収める英断を見せる。 実在の人物、阿部正弘がモデル。
吉井 幸輔 (よしい こうすけ)
薩摩藩の下級武士で、西郷隆盛の同志。大久保市蔵や伊地知正治らとともに、活発な政治談議を行っていた。日本開国後の混乱期、伊地知とともに大阪詰めとなる。井伊直弼が反対派の弾圧を行った時、隆盛や僧侶の月照をかばい、彼らが無事に京都から脱出する手助けを行う。実在の人物、吉井幸輔がモデル。
樺山 三円 (かばやま さんえん)
薩摩藩主・島津斉興に仕える茶坊主。面長で痩せた風貌が特徴。同じ身分の有村俊斎、大山小円らと志を同じくし、よくともに行動している。新藩主の島津斉彬が奸臣に呪詛されているという噂を聞き、西郷隆盛や伊東才蔵らと決起して奸臣を斬ろうとしたが、断念した。実在の人物、樺山三円がモデル。
大山 小円 (おおやま しょうえん)
薩摩藩主・島津斉興に仕える、がっしりした体格の茶坊主。同じ身分の有村俊斎、樺山三円らと志を同じくし、よくともに行動している。のちに茶坊主をやめて「格之助」と名乗り、示現流剣術の道場を開く。明治維新後は、鹿児島県の知事となった。実在の人物、大山小円がモデル。
藤田 東湖 (ふじた とうこ)
水戸藩の学者で、尊皇攘夷運動の第一人者。西郷隆盛が江戸に滞在中、有村俊斎の紹介で対面した。豪放磊落な人柄で、思ったことをはっきりと口に出す。日本の国難に対し、天皇を中心とする政治に戻すことで難局を乗り切るべきだと主張する。実在の人物、藤田東湖がモデル。
伊東 才蔵 (いとう さいぞう)
薩摩藩主となった島津斉彬の側近。端正な風貌の青年。斉彬の命により、西郷隆盛を召し出してお庭方の職に就けた。斉彬と隆盛は身分が違いすぎるため、その後も両者の仲介役としてさまざまな連絡を行う。隆盛らが奸臣を排除する計画を立てた際にはそれに賛同したが、主君の斉彬に見通され、「忠誠の気持ちを履き違えるな」と叱責を受けた。
喜平次 (きへいじ)
西郷隆盛の家に出入りする青年。身分こそ低いものの、隆盛の人柄を気に入り、暇があるたびにやって来て世話をしている。藩主の島津斉彬が病床に伏した時には、何者かが呪いをかけているという噂を聞きつけて隆盛に伝えた。善良な人柄だが、やや思慮に欠けるところがある。
橋本 左内 (はしもと さない)
越前藩士。俊英として知られ、若くして越前藩主に重用される。22歳の若さで、29歳の西郷隆盛と初めて対面する。線が細く女のような風貌をしているため、当初は見くびられていたが、政治について深い洞察力を見せたことで、隆盛を深く感服させた。実在の人物、橋本左内がモデル。
桐野 半次郎 (きりの はんじろう)
西郷隆盛のもとに、弟子になりたいと言って訪れた若者。下級武士の子として生まれ、農民として暮らしていた。背の高い異丈夫で、示現流の剣術の使い手。一方で、学問はなく難しすぎることを考えるのは苦手である。天下を思う志は高く、隆盛に見込みのある若者と期待される。実在の人物、桐野半次郎がモデル。
上田 右馬之助 (うえだ うまのすけ)
江戸の剣術使い。桃井春蔵という名高い剣豪の高弟。薩摩藩を訪れた際、日向の剣豪と試合を行った。異丈夫だが、九州の剣術使いに比べて迫力が見劣りしたため、薩摩の若者たちは実力を侮っていた。しかし、実際には竹刀で防具を砕くほどの実力者である。試合でも難なく勝利し、西郷隆盛らを感服させた。実在の人物、上田右馬之助がモデル。
月照 (げっしょう)
京都の僧侶。勤王の志が高く、国の政治のために奔走している。将軍の跡継ぎ問題に際し、薩摩藩主・島津斉彬により工作のため京都に送り込まれた西郷隆盛に協力し、有力な公家に手紙を届ける役目を引き受けた。斉彬が急死したことで隆盛が悲嘆に暮れていた時には、主君の遺志を継ぐよう隆盛に喝を入れる。実在の人物、月照がモデル。
井伊 直弼 (いい なおすけ)
幕政の実力者。開国の直後で幕府が動揺していた時、将軍の後継者問題が持ち上がった。この時、井伊直弼は徳川家茂を推し、一橋慶喜を推す薩摩藩の島津斉彬らと対立する。策謀に長けており、朝廷に働きかけて斉彬らの工作を無効にした。さらに、井伊が大老に就任したことで、家茂の将軍就任が決定的となる。実在の人物、井伊直弼がモデル。
長野 主膳 (ながの しゅぜん)
幕府の大老である井伊直弼の腹心の部下。冷徹無情な策謀家。井伊の密命を受けて京都に入り、将軍後継者問題での反対派工作を潰した。安政の大獄を主導し、橋本左内など尊皇攘夷派の志士を弾圧する。西郷隆盛にも警戒の目を向けており、暗殺するために刺客を放ったがこれは失敗に終わった。実在の人物、長野主膳がモデル。
竜 佐民 (りゅう さみん)
奄美大島の旧家の当主。島で唯一苗字帯刀を許されている家柄。幕府が西郷隆盛を危険視したことから、薩摩藩は隆盛を保護するため、奄美大島に島送りにした。竜佐民は、島での隆盛の世話を命じられ、食事や道具を届けた。温和な物腰の中年男性で、島に馴染めない隆盛を気遣う。実在の人物、竜佐民がモデル。
ゆうき
奄美大島に住む老人。学はなく、自分の名がどういう漢字を当てるのかも知らない。奄美大島に島送りになった西郷隆盛は、当初住民となかなか打ち解けられずにいたが、ゆうきは、海岸で釣りをしているところを隆盛に話しかけられたのがきっかけで、初めて隆盛と打ち解けた島民になった。
愛可那 (あいかな)
竜佐民の姪。生真面目な西郷隆盛が目を奪われるほど美しい娘で、気立ても良い。ゆうきの口利きで、隆盛の嫁となった。夫との仲は睦まじく、2人の子をもうける。しかし、やがて薩摩藩が隆盛に本土に戻るよう命令を下した際、奄美大島の島民は本土に移住できないため、泣く泣く隆盛と別れて島に留まった。実在の人物、愛可那がモデル。
小松 帯刀 (こまつ たてわき)
薩摩藩の家老。島津斉彬の小姓を務め、藩政改革によって若くして家老に抜擢された。名門の子弟らしからぬ気骨の持ち主で、大久保市蔵らの同志となり、薩英戦争をきっかけとして、薩摩藩の中心人物となった。西郷隆盛にも目をかけ、再婚の世話をする。実在の人物、小松帯刀がモデル。
中岡 慎太郎 (なかおか しんたろう)
土佐藩士だったが脱藩し、坂本龍馬とともに国事に奔走する。蛤御門の変の後、西郷隆盛に面会を申し出る。その場で薩摩と長州が手を組むべきという考えを述べ、隆盛を薩長同盟論者へと傾かせた。その後も、龍馬と協力して薩長同盟の仲介に尽力した。実在の人物、中岡慎太郎がモデル。
坂本 龍馬 (さかもと りょうま)
土佐藩士だったが、中岡慎太郎とともに脱藩。勝海舟の弟子となり、海軍操練所の塾頭になった。薩長同盟の締結に向け、長州の桂小五郎と薩摩の西郷隆盛を仲介する。蛤御門の変の遺恨などから意地を張る両者を懸命に説得し、同盟の実現へと導いた。実在の人物、坂本龍馬がモデル。
桂 小五郎 (かつら こごろう)
長州藩の実力者。万事において慎重な性格で、藩内の急進派を抑えている。一方、薩摩藩には蛤御門の変などからくる不信感を持っており、薩長同盟の交渉には腰が重い。西郷隆盛との会談がやむを得ない事情で中止となった際には、さらに不信感を増大させた。非常に誇り高く、容易には相手に頭を下げない。実在の人物、桂小五郎がモデル。
勝 海舟 (かつ かいしゅう)
幕臣の1人で、豪快な江戸前口調で話す。アメリカに渡航した経験があり、幕府の政治は時代遅れという考えを持っている。西郷隆盛と面会した時には、「幕府は潰してしまえばいい」とあけすけに発言し、隆盛を驚かせた。その真意は、「外国の脅威に対抗するため、幕府も諸藩もなく日本は1つになるべき」というものである。実在の人物、勝海舟がモデル。
山内 容堂 (やまのうち ようどう)
土佐藩主。大の酒豪であり、いつも昼間から酔っている。幕末の政治を、薩摩藩と長州藩が主導していることを面白く思っていない。そのため、西郷隆盛のことも「薩摩の芋」と呼んで毛嫌いしている。土佐藩の存在感を高めるため、薩長の倒幕論とは異なる「大政奉還論」を採用し、幕末の政局に大きな影響を与えることとなる。実在の人物、山内容堂がモデル。
一橋 慶喜 (ひとつばし よしのぶ)
江戸幕府の最後の将軍。先の将軍・徳川家茂が長州征討の最中に病死ししたため将軍となった。切れ者として知られ、一橋慶喜が将軍になることは幕府の延命につながると西郷隆盛らに警戒されていた。政権を朝廷に返す大政奉還を行いながらも、政治の実権は保持しようと目論んでいたが、朝廷の討伐命令によって賊軍とされてしまう。 実在の人物、徳川慶喜がモデル。
山岡 鉄太郎 (やまおか てつたろう)
幕臣の1人。賊軍とされた主君の徳川慶喜の身柄を守るため、勝海舟の使いとして倒幕軍の西郷隆盛のもとに交渉に向かう。敵軍の関所を平然と通るほどの度胸の持ち主。隆盛に面会した時も堂々としており、肝の太さと情に厚い性格は隆盛を感心させた。実在の人物、山岡鉄舟がモデル。
大村 益次郎 (おおむら ますじろう)
倒幕軍の参謀。勝海舟と西郷隆盛の会談によって江戸城は開城したが、倒幕軍に従わない旧幕府軍は上野の寛永寺にこもった。大村益次郎は少数の兵でこの旧幕府軍を打ち破る戦略を立て、成功させる。天才的な軍略家であるが、無遠慮な物言いのため味方からの反発を受けやすい。実在の人物、大村益次郎がモデル。
イベント・出来事
お由良騒動 (おゆらそうどう)
島津斉興の跡継ぎ争いに端を発する事件。斉興には長男の島津斉彬がいたが、愛妾であるお由良との間にも息子の島津久光がいた。斉彬の子供が幼くして亡くなることが相次ぐにつけ、藩内では「お由良が、我が子の久光を藩主にするため、斉彬を呪詛している」という噂が立った。これを理由に、薩摩藩の政治腐敗を正すための策略が張り巡らされたが、関係者は逆に斉興の側近に粛清されてしまう。 この一連の事件をお由良騒動というが、最終的には幕府の老中である阿部正弘の判断により、家督が斉興から斉彬に譲られることで一応の決着を見た。
薩英戦争 (さつえいせんそう)
1863年に起きた、薩摩藩とイギリスの戦争。前年、薩摩藩の島津久光の大名行列をイギリス人が横切り、斬殺される事件が発生。その賠償問題からイギリスの艦隊が薩摩を攻撃した。薩摩は近代的なイギリスの兵器の前に大きな被害を受け、攘夷論を改めた。これに伴い藩内では倒幕の機運が高まり、流罪となっていた西郷隆盛が赦免されることとなる。
蛤御門の変 (はまぐりごもんのへん)
1864年、京都において、長州藩の急進派勢力が挙兵した事件。京都守護職の会津藩と薩摩藩が協力し、長州の勢力を鎮圧した。この時、久坂玄瑞など長州の人材が多数失われた。この事件により長州藩は薩摩藩と会津藩を深く恨むこととなり、薩長同盟締結の大きな障害となった。
その他キーワード
郡方書役助 (こおりかたかきやくすけ)
18歳になった西郷隆盛が就いた役職。郡方とは農村で年貢を取り立てる役人であり、書役助はその書記の助手にあたる。隆盛はその役目のため農村を見回り、たびたび貧しい人々に接していた。その経験を通じて、年貢の取り立てという自分の役割に疑問を持つようになる。
お庭方 (おにわかた)
薩摩藩主となった島津斉彬に見出された西郷隆盛が就いた役職。表向きは、庭の植木の手入れなどをする軽輩に過ぎないが、藩主と会う機会は多い。斉彬は隆盛に期待しており、そばに召し出すためにこの役職に任命した。
大政奉還論 (たいせいほうかんろん)
幕府が政権を朝廷に返還すべきという意見。坂本龍馬が、土佐藩士の後藤象二郎に述べた意見がもとになっている。山内容堂が後藤よりこれを聞き、土佐の藩論とした。薩長の倒幕論と異なり、幕府は廃止されるが徳川家は存続する。そのため、薩摩や長州以外の、大きな内乱を避けたいという藩に賛同された。
クレジット
- 原作
-
林房雄