概要
越後を治める上杉家の当主を務める男性。仮名や官名を含めた名前は「長尾弾正少弼景虎」。また、上杉家の家督を継いでからは「上杉政虎」と名乗っており、その後、「上杉輝虎」と改めている。また、この時の仮名や官名を含めた名前は「上杉左近衛少将輝虎」。ほかに、「関東管領」に就任してからはその役職で呼ばれることもある。史実ではのちの「上杉謙信」として知られる人物で、正義感に篤(あつ)く、軍神の呼び声が高い名将。目元に濃い隈(くま)があり、眼光は鋭く、大酒飲みで、刀剣を集めるのを趣味としている。岩神館を訪れた際に特産品である「澄み酒」を、空の徳利が床を埋め尽くすほどに痛飲したことがあり、朽木基綱からは元祖邪気眼系大酒飲みと心の裡(うち)で罵倒されていた。関東管領への就任の許しを得るため、たびたび京の公家や朝廷を訪ねており、三好家との戦に敗れ、朽木谷へ逼塞していた将軍家である足利家のもとへも幾度か顔を見せており、その際に基綱とは面識がある。足利義藤の無聊を慰めるために、基綱が机上の空論として述べた対三好家の戦略を聞いて以来、わずか5歳だった基綱のことを刮目(かつもく)すべき男として認めており、2度目に顔を合わせた際には武田家と上信濃の覇権を争って繰り広げていた「川中島の戦い」の助言を請うたほどだった。その際に基綱からもらった「死生命なく死中生あり」という言葉をきっかけに、「第四次川中島の戦い」で控えの兵を置かずに全軍で武田家へと攻めかかると、史実とは異なる大勝を収め、信濃における覇権を手にしている。もともと、関東管領である山内上杉家を助けるために越後から駆け付けるという形で、信濃や関東方面での戦に明け暮れていたが、のちに関東管領という役職と上杉家の家督を継ぐと、正式に信濃や関東への進出を自らの使命として、大義名分を掲げて行うようになる。義藤からはその武勇を頼りにされており、いずれほかの大名家と共同して反三好家の軍を上げることを期待する文をもらっている。しかし、越後という京から離れた立地や、武田家との覇権争い、関東管領の使命といったさまざまなことが重なり、義藤存命中に彼の望みどおりに動くことはなかった。基綱とは頻りに文のやりとりをしており、義藤や朝廷の動きをはじめとした世間の情報から、北近江の覇者となるだけでなく、敦賀の湊(みなと)まで手に入れ、財力のある朽木家と交易の約束を取り付けるなど、その内容は多岐にわたっている。実在の人物、上杉謙信がモデル。
登場作品
淡海乃海 水面が揺れる時 (あふみのうみ みなもがゆれるとき)
イスラーフィールの小説『淡海乃海 水面が揺れる時 ~三英傑に嫌われた不運な男、朽木基綱の逆襲~』のコミカライズ作品。現世では昭和生まれで歴史好きの50代のサラリーマンは、ある日、戦国時代の国人領主(こ... 関連ページ:淡海乃海 水面が揺れる時