概要
近江高島郡の朽木谷を治める国人領主である朽木家の嫡男。仮名や官名を含めた名前は「朽木弥五郎基綱」、幼名は「竹若丸」。通称である「弥五郎」は、朽木家の当主が代々名乗るものだとされている。現世では歴史好きな昭和生まれの男性。女好きではあるものの結婚はせずに50歳を迎えた頃、せめて後世に本でも残そうと思い立つ。そして小説投稿サイトに、主人公が戦国時代へタイムスリップする小説を投稿するようになった矢先、気づくと戦国時代の近江に居を構える国人領主である朽木家の嫡男「竹若丸」として転生した。赤子としてしばらく過ごすうちに、自分が戦国武将として織田信長や木下秀吉(豊臣秀吉)、徳川家康に仕え、歴史の重要ポイントで活躍しながら、その功績を評価されることのなかった武将「朽木元綱」ではないかと推測を立てる。そして、現代で培った史実の知識を駆使して、自分はもっと要領よく生きようと考えていたところ、近隣の国人領主である高島との戦に敗れ、父親で当主の朽木晴綱が討ち死にしてしまう。これにより混乱した家中を咄嗟(とっさ)に『敦盛』を唄うことで収めると、戦を乗り切ったあとに基綱は僅か2歳という幼さで朽木家の家督を継ぐこととなる。後見人として祖父の朽木稙綱に支えられながら、基綱はまず「殖産興業」「富国強兵」という方針を固めると、自前の知識から朽木家の所領に「澄み酒」「椎茸」「綿花」「漆器」「石鹼」といったさまざまな特産物を生み出す。さらに、朽木家が昔から忠義を捧げてきた将軍家である足利家の当主の足利義藤が、三好家との戦に敗れて朽木家へ逃れて来たのを利用して、近隣の国人領主に攻められない状況を得ると、自領の発展に力を注いだ。しかし、朽木家が力を付けてくると、三好家や六角家といった近隣の有力な大名に目を付けられるようになる。三好家からの調略で足利家を裏切るように誘われたのを丁重に断るなどして、時を稼いでいたが、義藤の存在が足枷(あしかせ)になっていると痛感すると、持ち前の財力を活かして、公家や朝廷に和睦の仲介を願い出ることを画策する。それは、史実どおりならば天皇の代替わりが発生するはずという予測のもと、その葬儀と就任の儀式である御大葬、御大典の儀式に掛かる莫大な費えを朽木家で負担するという考えだった。この考えは功を奏し、基綱は朝廷の力によって三好家、足利家の和睦を結ばせることに成功すると義藤を京に返すことに成功。しかしその時、宜を見計らってひそかに六角家の命を受けた、朽木家を除く高島七頭が攻めて来る。基綱はこれを財力でそろえた兵と鉄砲隊で迎え撃つと、味方に被害を出すことなく迎撃するだけに留まらず、敵方の指導者である高島を捕らえ、その居城である清水山城を制圧することに成功する。さらに戦後、六角家や幕臣の前で行われた申し開きの場で、残りの高島七頭を追い詰めるだけでなく、六角家にかかわりがないと白を切る一同の前に死んだことにしていた高島を生き証人にしたことで、六角家を牽制(けんせい)することにも成功している。さらに、基綱が召し抱えた忍びの者「朽木八門衆」に高島七頭を襲わせて助けるという自作自演を命じ、六角家に口封じを狙われていると恐怖を刻み込む。これにより、生き残った高島七頭も所領を放置して逐電しており、空き地となった領地を朽木家で接収することに成功する。所領を広げた基綱は、その後、六角家によって目を付けられることになり、続く浅井家、六角家の戦に手伝いとして駆り出されることになる。これが、史実の知識から「野良田の戦い」であると見抜いた基綱は、1000の兵と300の鉄砲隊を率いて参戦すると、史実どおりに追い詰められた浅井賢政が、六角家本陣へ突撃してきたのを逆撃して大損害を与え、史実とは異なる六角家の大勝へとつなげている。しかし、この戦功を逆手に取った六角家の罠(わな)にはまり、褒賞として浅井領に接する六角家の蔵入り地を賜った基綱は、3倍の国力を持つ浅井家との戦に突入していく。基綱は、すぐさま兵を差し入れると、農繁期で浅井家が兵を出せないスキに銭で雇った兵で一挙に、北近江の大部分を所領に収めている。さらに、朽木八門衆を使った調略で六角家を動かすと、浅井領を背後から攻めさせ、朽木家が攻められる時宜を巧みに潰している。冬の訪れで束の間の平穏を得た基綱は、このあいだに元服すると、名を「朽木弥五郎基綱」と正式に改めている。この時、「元綱」ではなく「基綱」という名前になったことに、史実の知識を持つ基綱は驚いていた。のちに、六角家が世話をした婚姻を受け入れ、重臣である六角六人衆の一家である平井家の娘を、六角家当主の六角義賢の養子としたうえで娶っている。その朽木小夜という嫁は、元は「野良田の戦い」で基綱らが討ち取った浅井賢政の嫁だった人物だったが、戦の前に離縁され平井家に戻されていた。この婚姻の際も、義賢は小夜を義理の娘としていたため、その世話を面目にかけても行わなければならないという、事情も背景に絡んでいた。しかし基綱や後見人である稙綱は、この婚姻を妥当なものであると受け入れており、それどころか基綱に至っては賢政を討ち取った当家に輿(こし)入れすることを、小夜が嫌がっていないか気遣う素振りも見せている。小夜を嫁と迎え入れてから、基綱はすぐさま浅井家との戦に戻ると、前当主で実質的な指導者である浅井久政との決戦に臨み、調略で敵方の重要な家臣である井口経親を寝返らせ、敵の居城である小谷城を乗っ取らせることで大勝を収めている。これにより、基綱が当主を務める朽木家は北近江一帯の覇者として君臨し、身代も20万石を越えることとなった。その後、基綱は北方の越前にいる朝倉家や若狭の武田をにらんで準備を進めていくが、この時、六角家が新たに当主とした六角義治の器量が劣るため、領内で反乱や家督争いの兆候が見え始めていた。基綱はそれを受けて、正室の小夜を訪うと、六角家が崩れた時に平井家に戻るか、朽木家に残るかを選ぶよう、隠さずに告げている。しかし後日、基綱が小夜の返答を受けた際には、内心で結婚に対する、面倒だという印象が垣間見えている。生前は女好きでありながら、結婚しなかったこともあり、その人生観が窺い知れた瞬間だったが、小夜が朽木家に残ると告げた時には思わず彼女のことを抱きしめ、感激している様子を見せていた。その後、義治が父親の義賢や弟の六角義定、重臣の後藤賢豊を手に掛けた「観音寺崩れ」が六角家で起こった際も、小夜を離縁することなく夫婦として共に過ごしている。一方、軍事面では六角家にこれまでのような信頼を置けなくなったため、代わりに織田家と同盟を結び、美濃の一色家に対する牽制としている。その後、朝倉家が加賀から押し寄せて来た一向門徒との戦に注力したスキを突いて越前の敦賀を攻め取ると、木ノ芽峠に砦と城を築いて防衛網を整え、のちに朝倉家が滅ぼされると、一向門徒を相手取った戦いを本格的に進めていく。戦国を生きる家の当主として非常に冷徹な一面を見せる一方、情に脆(もろ)い場面もあり、自らを頼ってきた長尾景虎が無理筋とも思える助言を求めてきた際、一度は断りを入れたものの、余りに肩の力を落とす様子から、思わず声を掛け直している。その際に当たり障りのないように助言した「死生命なく死中生あり」の言葉は、この出来事の2年後に行われた「第四次川中島の戦い」の結果を大きく変え、武田家の没落を招くほど歴史に影響を与えている。また、一方的に敵対視されていた義治や、自分にすがりつくあまり鬱陶しく思っていた足利義藤に対して複雑な感情を持っており、両者が「永禄の変」の結果、命を落としたことには落ち込んだ様子を周囲に見せていた。また、今世の母親である朽木綾に対して、中身が50代の男の精神であるため、子供時代にうまく甘えることができずに距離感を測り損ねており、情がないわけではないがどのように接するべきかわからないという、頭の上がらない状態が続いている。このように精神年齢相応の大人びた人物であるが、生来の歴史好きとしての一面も持ち合わせており、とりわけ、朽木家へ旧甲斐の武田の家臣である真田幸隆、芦田信守、室賀満正が仕官してきた時には興奮のあまり、ニヤける表情を抑えるのに苦慮している。また、竹中重治や明智光秀、山内一豊といった史実で名を馳せた面々にも召し抱えた際には戸惑いや、喜びといった感情をあらわにしていた。実在の人物、朽木基綱がモデル。
登場作品
淡海乃海 水面が揺れる時 (あふみのうみ みなもがゆれるとき)
イスラーフィールの小説『淡海乃海 水面が揺れる時 ~三英傑に嫌われた不運な男、朽木基綱の逆襲~』のコミカライズ作品。現世では昭和生まれで歴史好きの50代のサラリーマンは、ある日、戦国時代の国人領主(こ... 関連ページ:淡海乃海 水面が揺れる時