特攻の悲劇と「幸福食堂」
太平洋戦争の末期、日本軍が起死回生を期して編成した「神風特別攻撃隊」。本作は、その悲劇的な存在が重要なテーマとして描かれている。1944年、戦況が著しく悪化する中、日本軍は苦肉の策として、搭乗員の命と引き換えに敵艦への体当たり攻撃を行う特攻隊を編成せざるを得なくなる。「幸福食堂」は、長らく九州の軍人たちの憩いの場であり、ここから多くの若者たちが特攻隊員として戦地に赴き、一人また一人と帰らぬ人となっていく。作者の魚乃目三太が特攻隊をテーマに選んだのは、監修を務める大島隆之の誘いで知覧を訪れ、特攻隊に関するさまざまな事実を知り、深い感銘を受けたからだと語っている。
「特攻の母」が育んだ人情
本作の舞台となるのは、知覧に根ざした人情味あふれる「幸福食堂」。店主の嶋田智は確かな料理の腕前を誇り、妻の富子は彼を細やかな気遣いで支えている。さらに、娘の栄子と愛子の温かい接客も相まって、地元の人々に愛される存在となっている。そんな中、知覧に「陸軍太刀洗飛行学校」の教育隊が開校することになり、その評判を聞きつけた軍関係者によって陸軍指定食堂に認定される。その後、智は親友の中井菊一郎からの誘いを受け、海軍専属の料理人として戦場に赴くことを決意する。店を託された富子は、訪れる兵士たちを母親のような優しさで迎え入れ、彼らの心を癒していく。その献身的な姿勢は、やがて周囲から「特攻の母」と呼ばれるようになる。
戦争がもたらす出会いと別れ
陸軍指定食堂「幸福食堂」では、栄子や母親の富子が、一条琢磨や田中忠司、北部辰雄といった兵士たちを温かく迎え入れる。智と富子が心を込めて作る料理、そして栄子と妹の愛子の明るい笑顔は、兵士たちの心を和ませる。しかし、戦局が悪化するにつれ、兵士たちは生還の可能性が極めて低い「神風特別攻撃隊」に任命され、別れの時が避けられないものとなる。兵士たちは国や家族のために自らを奮い立たせつつ、せまりくる死の恐怖に立ち向かっていた。その悲壮な決意の前に、栄子や富子たちは焦燥感や喪失感に苛まれながらも、幸福食堂にいるあいだだけでも彼らの心が安らぐよう、精一杯の笑顔で寄り添おうとする。
登場人物・キャラクター
嶋田 栄子 (しまだ えいこ)
「幸福食堂」の看板娘として店を切り盛りする女性。父親の智と母親の富子の娘。初登場時の年齢は14歳。父親譲りのまじめさと母親譲りの優しさを兼ね備え、家族や幼なじみの保を何よりも大切に思っている。その聡明さと優しい人柄は、多くの常連客に愛され、妹の愛子と共に食堂の看板娘として親しまれている。戦争に対して割り切れない感情を抱きながらも、祖国のために命を懸ける兵士たちに深い尊敬と感謝の念を抱いている。陸軍指定食堂となってからは、多くの兵士や「陸軍太刀洗飛行学校」の学生たちに心を尽くす日々を送っている。あこがれのエースパイロット、一条琢磨や、家族同然の存在である保が次々と特攻出撃していく現実に、胸が張り裂けるような悲しみを抱えながらも、「彼らのために」と自らを奮い立たせ、気丈に振る舞っている。
井田 保 (いだ たもつ)
栄子の幼なじみで、「幸福食堂」御用達の酒屋「井田酒店」の一人息子。初登場時の年齢は14歳。幸福食堂にビールなどの酒類を配達するのが日課で、嶋田家にとって家族同然の存在。明るく活発な性格で、戦闘機にあこがれるなど、年相応の少年らしい一面を持っている。そのあこがれが募り、父親の反対を押し切り、知覧に開校した「陸軍太刀洗飛行学校」の教育隊への入学を志願し、みごと入学試験に合格する。当初は反対していた父親も、息子の固い決意に心を動かされ、やがて応援するようになる。教育隊で本格的に操縦を学び、一人前の操縦士へと成長していく。しかし1945年、親友の岩城悟朗と共に「神風特別攻撃隊」として出撃する。
クレジット
- 監修
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大島 隆之
- 取材協力
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薩摩おごじょ , 赤羽 潤
- その他
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東 織絵
書誌情報
ちらん -特攻兵の幸福食堂- 全4巻 秋田書店〈ヤングチャンピオン・コミックス〉
第1巻
(2019-07-19発行、978-4253146203)
第4巻
(2021-07-19発行、978-4253146258)







