世界観
昭和初期の日本が舞台。昭和9年(1934年)から昭和21年までの約12年間が描かれ、主人公である北條すずの人生を追う形で物語が展開する。第二次世界大戦をはじめとする、実際に起きた出来事が多数描かれ、読み進めながら当時の世相を学ぶ事ができる内容となっている。
作品誕生のいきさつ
こうの史代は、本作『この世界の片隅に』のあとがきで「戦時の生活が長く続く様子を描こうと思った」と語っている。そしてそのために「まず戦時下に暮らす人々の「生」の悲しみやきらめきを知ろうとした。そこで母親の故郷である呉市を舞台に、当時の暮らしのひとつの解釈として本作を描いた」との事。
時代背景
本作『この世界の片隅に』では、昭和9(1934年)年から昭和21年に実際に起きた出来事や社会問題を題材にしたエピソードが多数存在する。第二次世界大戦中に起きたB29来襲や広島への原爆投下といった大きな出来事はもちろん、その他多数の事件が語られる。たとえば主人公である北條すずの友人である水原哲は、昭和13年1月12日に発生した「宇品港客船転覆事故」で兄を亡くしており、エピソード「波のうさぎ(13年2月)」では、この事故について語られる。また、エピソード「第16回 19年9月」では、体調を崩したすずが産婦人科へ行くが、妊娠ではなく戦時下無月経症である事がわかるエピソードが語られる。この戦時下無月経は当時の社会問題で、特に勤労動員された女性には多く見られた。
あらすじ
上巻
広島県の江波で海苔養殖を営む家の娘、北條すずは、戦争が近づく中、兄の浦野要一と妹の浦野すみと共に、貧しいながらも幸せな子供時代を過ごしていた。その後、第二次世界大戦が始まって数年経ち、大人になったすずは、海軍軍法会議の録事を務める判任官三等の北条周作と結婚し、彼の両親と呉で暮らす事になる。周作はおとなしく無口だったが、子供の頃にすずと出会って以来、彼女の事を思い続けており、すずは大切にしてもらっていた。慣れない事も多く、苦労もあるが、それでも周囲に助けられ、配給が少ない中、すずは野草を工夫して料理するなど、たくましく暮らしていく。
中巻
離縁して、娘の黒村晴美を連れて戻って来た黒村徑子も加え、北条家は六人暮らしとなった。これにより物不足にはますます拍車がかかり、配給だけではまるで足りない状態になってしまう。しかも、ヤミ市では物の値段が上がる一方だった。ある時、北条すずはヤミ市での買い物の帰りに迷子になり、朝日遊郭に迷い込んでしまう。すずは、そこで働く白木リンと知り合い、趣味の絵をきっかけに親しくなっていくが、かつて夫の北条周作がリンの客であった事を知り、大きなショックを受ける。そんな時、すずの同級生で海軍志願兵である水原哲が、すずに会いにやって来る。
下巻
北条すずが暮らす呉にも、アメリカによる本格的な空襲が始まった。同時に、すずの夫、北条周作は、3か月のあいだ、法務一等平曹となって海兵団で軍事教練を受ける事になった。不安を感じながらも、家を守って待っていると健気に周作に告げるすず。そんな中、すずは時限爆弾の爆発に巻き込まれて、義姉の黒村徑子の娘である黒村晴美を目の前で亡くし、同時に自身も晴美とつないでいた右手を失ってしまう。空襲がさらに激化し、北条家に居場所をなくしたと感じるすずは、仲のいい妹、浦野すみに空襲のない江波に帰って来るよう勧められる。だが、ここがすずさんの居場所だ、と思いがけず優しい言葉を徑子に掛けられ、すずは北条家にとどまる事を決意する。
モデルになった町
広島県呉市が舞台。作中では当時の電車やバスの路線図、地形が描写され、呉港に集まる戦艦を眺めるシーンなどがある。そのため広島県ではアニメ映画版の公開に合わせ、美術館での特別展示や、記念切手の販売も行われる。
特殊な描写
本作『この世界の片隅に』では、1話まるまる特殊な構成で描かれる回が存在する。例えばエピソード「第4回 19年2月」では、テレビ場組「ドリフ大爆笑」の主題歌の基となった岡本一平作詞の楽曲『隣組』が全編で使用されている。この回は、ほぼすべてのコマが『隣組』の歌詞にリンクした内容になっており、コマの右側に歌詞を併記しながら物語が進んでいく。また、エピソード「第23回 20年正月」は当時作られた「愛国いろはかるた」を、登場人物達の絵柄で描くという構成になっている。「天長節」「九軍神」といった現代にはややなじみの薄い言葉には注釈を用いながら、全編8ページがかるたの文章と絵のみで構成されている。
関連商品
2016年9月、アニメ映画版の公開に合わせて、「「この世界の片隅に」公式アートブック」が「このマンガがすごい!」編集部より発売される。内容は、アニメ映画版に即したものになっている。
タイアップ
呉市美術館
2016年7月から11月にかけて、呉市美術館にて特別展「マンガとアニメで見る こうの史代「この世界の片隅に」展」が開催される。この展示では2016年秋のアニメ映画版の公開に合わせ、原作者であるこうの史代の漫画原画、取材ノートや写真資料が展示される。また、アニメ映画版の原画やキャラクターデザインといった資料も出品される。
オリジナルフレーム切手
2016年7月、「マンガとアニメで見る こうの史代「この世界の片隅に」展」の開催を記念し、オリジナルフレーム切手の販売が行われる。販売は広島県呉市と、広島市の一部の郵便局、計177局で行われ、日本郵便株式会社Webサイト「郵便局のネットショップ」でも販売される。
メディアミックス
実写ドラマ
2011年8月、日本テレビにて「日テレ終戦記念ドラマスペシャル」として、実写ドラマ版が制作された。脚本は浅野妙子、主人公の北條すず役を北川景子、北條周作役を小出恵介が演じた。
2018年7月、TBS系「日曜劇場」にて実写ドラマ化。脚本は 岡田惠和、音楽は久石 譲が担当。主人公の北條すず役を松本穂香、北條周作役を松坂桃李が演じた。
アニメ映画
2016年11月、MAPPAの制作にてアニメ映画版が公開。監督と脚本は片渕須直が務め、プロデュースはGENCOが行った。スタッフの確保やパイロットフィルムの制作を賄う資金を調達する目的で、2015年3月から5月にかけてクラウドファンディングが行われた。
封切当初はの上映館数は63館という少なさだったが、徐々に人気となり、2017年7月には観客動員数200万人を超えるロングラン作品となった。
評価・受賞歴
本作『この世界の片隅に』は、第13回メディア芸術祭マンガ部門優秀賞をはじめ、「THE BEST MANGA2010 このマンガを読め!」第1位、「ダ・カーポ特別編集 最高の本!2010」マンガ部門第1位など、多数の賞を受賞している。
アニメ映画も東京アニメアワードフェスティバル2018 アニメ オブ ザ イヤー 劇場映画部門グランプリ、 第21回文化庁メディア芸術祭 アニメーション部門 大賞、 第17回メクネス国際アニメーション映画祭 長編映画部門 グランプリなど、数多くの賞を受賞している。
登場人物・キャラクター
北條 すず (ほうじょう すず)
広島県の江波で暮らす少女。口の左下にほくろがあるのが特徴。少女時代は前髪を真ん中で分けて額を見せ、肩ほどまで伸ばした髪を三つ編みにしている。結婚後は、髪をひとつにまとめていることが多い。明るいがややおっとりとした性格で、周囲にはぼんやりしていると評されることも多い。突如呉市に住む北條周作の元へ嫁ぐことになり、戸惑いつつも北條家の面々と親しくなっていく。 絵が非常に得意で、周囲に頼まれて絵を描くことも多い。血液型はB型。
北條 周作 (ほうじょう しゅうさく)
北條すずの夫。海軍軍法会議の録事を務める判任官三等。面長なのと釣り目が特徴。すずの4歳年上にあたり、真面目で口数少なく、物静かな性格。すずとは昭和9年1月に一度会っており、その頃からすずに想いを寄せていた。しかしすず自身は当時の出来事を覚えていなかった。結婚後もすずを非常に大切に想っているが、過去に白木リンと関係を持っていた疑いがある。
水原 哲 (みずはら てつ)
北條すずの同級生。すずと同じ、尋常高等小学校6年3組に通っていた男子生徒。太い眉と四角い顔が特徴。乱暴者で、女子生徒たちの間では「水原を見たら全速力で逃げる」が鉄則となっていたほど。兄を船の転覆事故で亡くしたのがきっかけで、すずと親しくなった。のちに海軍志願兵となり、重巡洋艦「青葉」の乗員となる。
白木 リン (しらき りん)
朝日遊郭内「二葉館」で働く若い女性。前髪を真ん中で分けて額を全開にし、胸のあたりまで伸ばしたストレートロングヘアを輪っかにしてまとめている。偶然出会った北條すずの特技を知り、絵を描いてほしいと頼んだのがきっかけで親しくなる。尋常小学校へは半年しか通えなかったため、読み書きが苦手でカタカナが少し読める程度。現在住んでいる朝日遊郭からはほとんど出たことがない。 血液型はA型。
浦野 すみ (うらの すみ)
北條すずと浦野要一の妹で、年齢はすずの1歳下。前髪を上げて額を全開にし、一本の三つ編みにしてまとめている。すずには「自分よりすみの方が容姿が良い」と評されており、性格も元気で明るい。すずとは非常に仲が良く、すずの結婚後は陸軍の女子挺身隊に動員された。
浦野 要一 (うらの よういち)
北條すずと浦野すみの兄。坊主頭が特徴。非常に厳格な性格で、妹たちがふざけている際には鉄拳制裁で従わせるなどすずとすみには恐れられている。その性格にちなんで周囲には密かに「お兄ちゃん」と「鬼」をかけて「鬼いちゃん」と呼ばれている。筆不精。
北條 サン (ほうじょう さん)
北條周作の母親で、北條すずの義母。前髪を斜めに分け、胸のあたりまで伸ばしたストレートロングヘアを、右側に集めてひとつにまとめている。おだやかで落ち着いた性格で、嫁いだすずともすぐに馴染む。足が悪いためあまり動けず、ほとんど家の中にいる。
黒村 徑子 (くろむら けいこ)
北條周作の姉で、北條すずの義姉。前髪を真ん中で分け、髪を後ろでお団子にしてまとめている。面長で釣り目、周作と顔が非常に良く似ている。周作には慎重に結婚相手を選んでほしいと考えていたため、結婚当初はすずのことをあまり快く思っておらず冷たく当たる。夫の両親とは不仲で、夫の死を機に、娘の黒村晴美とともに黒村家を去る。 米を炊くのは苦手。
黒村 晴美 (くろむら はるみ)
黒村徑子の娘。まだ幼く、昭和19年6月の時点で6歳。前髪を眉の高さで切り、耳の上で切りそろえたおかっぱ頭をしている。鼻のそばかすが特徴。おとなしく礼儀正しい性格で、徑子と北條家を訪れた際、北條すずと親しくなる。その後、すずの髪が一部禿げてしまった際には墨を塗って隠そうとするなど、心優しい一面も。
北條 円太郎 (ほうじょう えんたろう)
北條周作の父親。工場に勤めている。前髪を眉上で短く切り、眼鏡と長いもみあげが特徴。職業柄か科学の話が大好きで、話し出すと止まらない。第二次世界大戦が本格化してからも、隙あれば家族に焼夷弾や飛行機雲の話をしようとする。
ばけもん
昭和9年1月、お使い途中の北條すず(当時は浦野すず)をさらった謎の人物。一見人間の男性のようだが非常に体毛が濃く、鋭い牙を生やし、とがった耳をしている。それを悟られないためか、フード付きのコートを着て全身を隠している。すずと同時に北條周作もさらっており、2人を出会わせたきっかけを作った存在でもある。
座敷童 (ざしきわらし)
北條すずが子ども時代に、叔父叔母である森田の家で出会った謎の少女で名前はない。前髪を真ん中で分けて額を全開にし、肩までのウェーブがかった髪をしている。ややぼさぼさ頭なのが特徴。年齢は小学生ほどに見えるが、天井から板を外して現れすぐに消えてしまうなど不思議な存在。浦野要一は、座敷童ではないかと推測している。
テル
白木リンと同じ「二葉館」で働く少女。前髪を左寄りの位置で10対0で分けて眉の高さで切り、肩のあたりまで伸ばした髪を三つ編みにしている。リンの不在時にやってきた北條すずに声をかけ、リンへの贈り物を預かることになる。水兵と心中未遂をした際に怪我を負い、体調も崩している。冬が苦手。
黒村 久夫 (くろむら ひさお)
黒村徑子の息子で、黒村晴美の兄。父親が亡くなった際、黒村家を離れた徑子と晴美に対し、一族の跡取りとして黒村家に一人残った。その後、晴美の小学校入学祝いとして、貴重品となっていたおさがりの教科書を贈る。
北條すずの祖母 (ほうじょうすずのそぼ)
北條すず、浦野すみ、浦野要一の祖母。前髪を上げて額を全開にし、肩のあたりまで伸ばした髪を輪っかにしてまとめている。古江から草津へ嫁いできており、すずたちの叔父と叔母と一緒に暮らしている。また、家に住み着く座敷童の存在にも気づいている様子。のちに北條家へ嫁ぐことになったすずに知恵を与える。
小林 (こばやし)
北條周作の叔母。前髪を真ん中で分け、長い髪をお団子にしてまとめかんざしを挿している。細い目と眼鏡が特徴。北條すずと周作の結婚式では仲人を務めた。その後もすずを高く評価しており、周作と非常に相性がいいと捉えている。
場所
朝日町 (あさひまち)
『この世界の片隅に』の登場する架空の地名。呉市の右上に位置する。白木リンが働く二葉館が存在する一大遊郭地。買い出しに赴いたすずは、この町に迷い込んでしまい、リンに道を聞くこととなった。戦時中の空襲で建物のほとんどが損壊してしまう。
江波 (えば)
『この世界の片隅に』の登場する地名。大戦時に実在した町で、三角州を有した漁師町。牡蠣や海苔の養殖を得意としていた。浦野家が住んでいる。原子爆弾の被害を大きく受けた。
上長ノ木町 (かみながのきちょう)
『この世界の片隅に』の登場する地名。大戦時に実在した町で、呉の北端に位置する。北條家が住んでいる。広島ほどの賑やかさはないが、自然が豊富である。物語が始まった直後は空襲による被害も少なく平和な暮らしぶりだったが、後半になるにつれ、焼夷弾による攻撃を受けるようになっていった。
北條家 (ほうじょうけ)
『この世界の片隅に』に登場する家。周作の実家であり、すずの嫁ぎ先でもある空襲の被害は比較的少なく、被害を受けた近所の人々の受け入れをしている。大戦終了時もいくつか屋根に穴が空いている程度であった。家族の中は良く、戦争の陰鬱さの中でも笑いを絶やすことのない和やかな家である。
浦野家 (うらのけ)
『この世界の片隅に』に登場する家。すずの実家。広島市江波で海苔漉きを営んでいる。広島の原爆投下の際、街に出かけていた母は亡くなってしまうが、他の家族は無事であった。