あらすじ
鶏鍋と鮪の刺身
安政7年(1860年)3月、江戸城桜田門外にて大老・井伊直弼が暗殺され、約300年続いた徳川幕府の世は不穏な空気に包まれていた。そんな中、紀州和歌山藩の下級武士である酒井伴四郎は、参勤交代で同年の万延元年5月から江戸へ単身赴任が決まる。伴四郎は江戸への同行者である叔父・宇治田平三の口うるささに悩まされながら、時には故郷と江戸の味の違いに驚かされながらも、衣紋方としての職務をこなしておだやかな日々を送っていた。伴四郎は江戸での出来事や食べた料理などを「酒井伴四郎日記」に書き残しており、そこには江戸の食べ物事情も事細やかに綴られていた。赤坂・紀州藩中屋敷の長屋で暮らしながら、日々の江戸飯事情に一喜一憂する伴四郎はある日、繕い物を終えたあとに昼餉(ひるげ)の準備を始めていた。今日は平三が出仕でいないために落ち着いて食事ができると喜ぶ伴四郎は、同僚の矢野五郎右衛門からもらった鰯(いわし)で煮鰯を作り、口うるさい平三の前ではなかなかできない食べ方を楽しんでいた。食後に昼寝をしていた伴四郎は、五郎右衛門に湯へ誘われ、二人でゆっくりと体を温めたあとは2階で一服し、近くの鍋料理屋に入る。そこでかしわ鍋と鮪(まぐろ)の刺身を注文した伴四郎たちだったが、彼は鮪を口にするたびに以前から気になっていた脂身について五郎右衛門に尋ねる。幕末の鮪は下魚として扱われ、特に脂身は腹を壊す食べ物として避けられた部位であった。好奇心から店の主人に鮪の脂身を賽の目に切って出すように頼んだ伴四郎は、主人や五郎右衛門に心配されながらも鮪の脂身の独特な味わいを楽しみ、五郎右衛門にも脂身を試してほしいと勧める。
三井家の衣紋稽古
幕末の江戸を生きた紀州藩士・酒井伴四郎が残した「酒井伴四郎日記」には、血生臭い動乱の日々の代わりに毎日の食事や遊び、観光のことが記されていた。余暇を利用して江戸の食事事情を事細かく日記に綴る伴四郎は、わがままな叔父の宇治田平三に振り回されながらも、江戸で出会った仲間たちと共に楽しい日常を過ごしていた。11月24日、平三たちと御殿に出仕した伴四郎は、衣紋稽古のために三井越後屋を訪れていた。三井家を訪問する時の伴四郎の楽しみは、稽古のあとに振る舞われるご馳走で、その日は刺身や味噌汁をはじめとする豪華な鯔(ぼら)料理が振る舞われた。その後は平三に頼まれて鶯(うぐいす)を捕まえたり、久々に三味線の稽古に立ち寄ったり、新たな江戸勤番としてやって来た大野の歓迎会を開いたりしていた伴四郎は、ある日の早朝に叔父や同僚たちと共に横浜に旅立つ。今回の旅の目的は、三井越後屋の横浜店への訪問であった。心地よい風にあたりながら川崎宿に到着した伴四郎たちは、川崎名物の奈良茶飯で旅の腹ごしらえを終えたあと、さらなる船旅で横浜へたどり着き、大きな黒船を初めて間近で目にする。紹介状を持って三井越後屋横浜店を訪ねた伴四郎たちは丁重なもてなしを受けたあと、番頭の案内で万国人や南京人たちが暮らす異人屋敷の見物に出かける。チェスを楽しむたくさんの異人たちや、吉原のようににぎやかな街を見て回っていた伴四郎たちは、横浜一として有名な妓楼「岩亀楼(がんきろう)」に案内され、上等な酒と鯛(たい)の刺身、寄せ鍋、なまこ酢を楽しむことになる。食事中に珍しい猪口が気になった伴四郎は、こっそり譲ってほしいと頼もうとするが、結局は平三に先を越されてしまう。気に入った猪口が手に入らなかったことを残念に思いながらも、伴四郎たちは洲干弁財天を参拝し、神奈川宿で石崎屋という宿に泊まることになる。
鴨(かも)鍋と鰈(かれい)の刺身
江戸勤番として単身赴任生活を送る酒井伴四郎は、叔父の宇治田平三と共に職務をこなしつつ、江戸の同僚たちと食事や観光を楽しむのどかな日々を送っていた。そんな伴四郎にも、江戸勤番を終えて国元へ戻る日が近づいていた。大名の安藤の屋敷に暇(いとま)乞いに向かっていた伴四郎は、いろいろとあった江戸での生活を振り返りながら、帰国の準備を始める。世話になった者たちへのあいさつを終えた伴四郎は、時代の激動を感じ取りながら、仲間たちに会うのは最後かもしれないと鴨鍋屋「三きん」に誘う。三きんで豪華な鴨鍋と新鮮な鰈の刺身を囲み、この味も今日限りだと惜しみながらじっくり味わう伴四郎は、煮物と蛤(はまぐり)鍋も肴にして仲間たちと大いに酒を楽しみつつ、三味線を披露するのだった。12月1日、帰国準備を整える伴四郎は平三と出仕し、御用部屋にて帰国の手続きを進めながら手当を受け取っていた。昼過ぎ、どこかへ出かけて行った平三に代わって手続きを進めることになった伴四郎は、帰国の費用である渡り金を受け取るために御金蔵へ向かう。トラブルがあったもののなんとか手続きを終えた伴四郎は12月3日の早朝に出立し、江戸をあとにするのだった。元治元年(1864年)、禁門の変によって長州勢力の挙兵に対し、会津藩をはじめとする連合軍は長州勢力を敗走せしめ、時代を揺るがす戦いは第一次長州戦争へと発展していく。翌元治2年2月、紀州の自宅に戻っていた伴四郎は、御用部屋からの書状を受け取り、次の日に城へ向かうことになる。城で二度目の江戸勤番を命じられた伴四郎は、京で待つ平三と共に再び江戸へ向かうことが決まる。伴四郎は再び紀州に残すことになった家族を思いながら、城下町で土産の酒饅頭を買って帰宅し、妻が用意した菊のした水と源五兵衛漬を楽しみながら家族とのひとときを過ごす。
メディア化
テレビドラマ
2017年1月から2月にかけて、本作『勤番グルメ ブシメシ!』の実写ドラマ版『幕末グルメ ブシメシ!』がNHK BSプレミアム「プレミアムよるドラマ」枠で放送された。原作からの変更点がいくつかあり、主人公の酒井伴四郎の名前が「酒田伴四郎」に、伴四郎が所属する藩も紀州和歌山藩から架空の「高野藩」になっている。マイペースで気の弱い伴四郎が、妻に貰った献立を基に江戸で出会った周囲の人々の悩みを解決していく姿を描いた時代劇。実写ドラマ版オリジナルのストーリーが展開され、オリジナルキャラクターも多数登場する。脚本は櫻井剛、ナレーションは櫻井孝宏が務めている。キャストは、酒田伴四郎を瀬戸康史が演じている。また、2018年1月からは続編として『幕末グルメ ブシメシ!2』がNHK BSプレミアムで放送された。こちらは高野藩から持ち出された書状を取り戻すために、南海藩(架空の藩)に向かった伴四郎の活躍を描いている。
登場人物・キャラクター
酒井 伴四郎 (さかい ばんしろう)
紀州和歌山藩の下級武士の男性。年齢は28歳。禄高は25石。大番組のうちの駿河組に所属している。温厚で忍耐強い性格の持ち主。万延元年(1860年)5月、妻子を国元・紀州に残し、叔父の宇治田平三たちと共に江戸勤番として単身赴任してきた。江戸では藩主がさまざまな場で着用する装束の着用指導や、試着の手伝い、道具の選定などを行う「衣紋方」を務めている。一口に装束といっても時節や場所によって細やかな決まりがあるため、日頃から平三の指導下で着付けの稽古も欠かさずこなしている。料理が得意で、自分の食事はもちろん平三の食事作りも担当している。作った手料理は仲のいい同僚たちに振る舞うこともあり、周囲にその味を褒められることも多い。その日に食べた料理の感想や作った料理の内容、日々の暮らしから遊びや観光まで詳細に記録しており、幕末の武士の食生活がうかがえる「酒井伴四郎日記」という日記を残している。基本的にはなんでもおいしく食べているが、紀州と江戸の味の違いに戸惑うこともあり、粉っぽいすいとんなど独特の調理法や食材には難色を示すこともある。紀州の家族には、妻のほかに幼い長女のおうたがいる。捨て子の噂を聞いて国元に残してきた愛娘を思い出すなど、家族思いな一面を持つ。一方で、勝手に料理や食材を食べたり食い過ぎで腹を壊したりする平三には頭を悩ませており、同僚たちに愚痴をこぼすこともある。同僚の中では矢野五郎右衛門、大石民助、大石直助、小野田喜代助と特に仲がよく、彼らと食卓を囲んだり遊びに行ったりすることも多い。また、彼らの体調が悪いときは心配して食事を作ってあげるなど、仲間思いでもある。江戸での衣紋方の勤務には余裕があり、出仕時間も短めなために余暇に恵まれた日々を過ごしていた。出仕のないときは長屋で留守や昼寝、食事作りなどをしながらおだやかに暮らし、休日は登城見学、寺院への参拝、三味線稽古、買い物や食べ歩き、仲間たちとの夜遊びなどを楽しんでいる。江戸勤番を終えたあとは平三と共に紀州へ帰り、自宅で家族と共に平穏に過ごしていたが、元治2年(1865年)2月に紀州藩主・徳川茂承の参勤に伴い、平三と共に二度目の江戸勤番が決まった。誕生日は天保5年7月21日(1834年8月25日)。実在の人物、酒井伴四郎がモデル。
宇治田 平三 (うじた へいぞう)
酒井伴四郎の叔父。甥の伴四郎の同行者として江戸勤番を務める。伴四郎たちと共に紀州藩中屋敷の長屋で暮らしている。伴四郎とは別室だが、食事作りの大半は彼に任せており、彼の手料理をいつも楽しみにしている。職務は伴四郎と同様に、藩主がさまざまな場で着用する装束の着用指導を務める「衣紋方」。伴四郎の師匠でもあり、時折着付けの稽古をつけている。衣紋方としてはベテランで、衣服に関することであれば知識豊富で頼りになるが、ほかの分野においては知ったかぶりな言動を見せることもある。ややわがままな性格で、料理の味や食事のマナーには伴四郎に対しても口うるさいところがある。かなり食い意地が張っており、おいしい食べ物を見ると機嫌がよくなる。伴四郎が用意していた白米や作っておいた料理、貰い物の食材などを勝手に食べてしまうことがある。食べ過ぎなどで腹痛を起こしては医師の玄潤に診てもらっているが、時には仕事に支障をきたし、伴四郎に叱られることがある。また、食べ過ぎが原因で旅中で倒れてしまうこともあり、伴四郎にとっては最大の悩みの種となっている。魚は江戸よりも紀州のものを好み、紀州では伴四郎と共に釣りに出かけることも多い。元治2年(1865年)に決まった伴四郎の二度目の江戸勤番にも同行する。
矢野 五郎右衛門 (やの ごろうえもん)
下級武士の男性で、酒井伴四郎の同僚。伴四郎たちと同様に江戸勤番として単身赴任し、紀州藩中屋敷の長屋で暮らしている。やや小太りな体型で糸目が特徴。伴四郎と連れ立って登城見物や酒屋に行ったり、共に岡場所や見世物小屋に繰り出したりするなど仲がよく、彼の作った手料理を楽しむこともある。ほかの同僚たちと同様に伴四郎の料理の腕を高く評価している。
大石 民助 (おおいし たみすけ)
下級武士の男性で、酒井伴四郎の後輩。伴四郎たちと同様に江戸勤番として単身赴任し、紀州藩中屋敷の長屋で暮らしている。兄の大石直助も伴四郎の後輩に当たる。職務は伴四郎たちと同様に衣紋方を務めている。髪結いが得意で、伴四郎の髪も何度か結っている。ほかの同僚たちと同様に伴四郎の料理の腕を高く評価しており、調理を手伝うこともある。
大石 直助 (おおいし なおすけ)
下級武士の男性で、酒井伴四郎の後輩。伴四郎たちと同様に江戸勤番として単身赴任し、紀州藩中屋敷の長屋で暮らしている。弟の大石民助も伴四郎の後輩に当たる。職務は伴四郎たちと同様に衣紋方を務めており、彼や宇治田平三の助手を務めることが多い。ほかの同僚たちと同様に伴四郎の料理の腕を高く評価している。伴四郎の調理を手伝うこともあるが、炊飯の水加減を間違えて硬い飯を炊いてしまい、平三の機嫌を損ねてしまったことがある。
小野田 喜代助 (おのだ きよすけ)
紀州和歌山藩の下級武士の男性で、酒井伴四郎の同僚。やや小太りな体型で、右頰に大きめのホクロがある。伴四郎たちと同様に江戸勤番として単身赴任し、紀州藩中屋敷の長屋で暮らしている。伴四郎、矢野五郎右衛門、大石民助と四人で食卓を囲んだり遊びに行ったりすることが多く、ほかの同僚たちと同様に伴四郎の料理の腕を高く評価している。
玄潤 (げんじゅん)
江戸に住む腕利きの医師で、坊主頭の温厚な性格の中年男性。酒井伴四郎たちが住む紀州藩中屋敷で暮らす武士たちの診察・治療を担当しており、よく食べ過ぎで腹を壊している宇治田平三を診て薬を処方している。診察のついでに伴四郎に手料理を振る舞われることもあり、彼の部屋に遊びに来ては共に食事や酒を楽しむなど仲がいい。伴四郎の料理の腕を高く評価しているが、外食が多く好きなものばかり食べている伴四郎の体調を心配することもある。
クレジット
- 原作
-
酒井 伴四郎
- 協力
-
青木 直己