あらすじ
35歳未亡人
土地神は、長いあいだ一人で神様としてこの土地を見守ってきたが、一人でいることに寂しさを覚え、村の女人をめとることを決める。どうせなら若い女性の方がいろいろと都合がいいと考えた土地神は、村人に「村で一番若い女人を」とだけ言付けた。すると、村で一番若いという、子供はいないが35歳の未亡人のかすみが嫁いでくることになった。土地神は、自分の思い描いた女性像とは違うことに困惑しながらも、そのまま突き返すのはかわいそうだと考えた末に、かすみを嫁に迎え、ほとぼりが冷めて離婚するまでいっしょに住むことを決めるのだった。しかし、かすみは家事をそつなくこなし、動きにも無駄がなく、彼女の作る食事も非常においしかった。かすみとの生活は予想以上に心地よく、むしろ土地神の理想としていたものであった。さらには、共に時間を過ごすうちに、控えめで恥じらいのあるかすみのかわいらしさに心奪われ、土地神はかすみの魅力の虜になってしまう。また夜の営みについても、かすみには若い娘とは違った熟れた魅力があるに違いないとひそかに期待を寄せていた土地神だったが、落ち着いて考えてみると、かすみの元旦那の存在がネックになっていた。万が一、元旦那と比べられ、人間よりもヘタだと思われたら嫌だと、変なところで神のプライドが邪魔をして、土地神は苦悩していた。かすみとの夫婦関係に悩んだ土地神は、子孫繁栄を司る神にこっそり相談に乗ってもらったのち、意を決してかすみに夜伽(よとぎ)の話をしてみる。
温泉旅
土地神と妻のかすみは、日々の暮らしの中でゆっくりと信頼を深め、体の距離は変わらないものの絆を育んでいた。そんなある日、子孫繁栄を司る神からの提案で、二人は村の北の霊峰にある温泉へ旅に出ることになった。夫婦風呂を用意していると山の神から聞かされた土地神は、あらぬ想像をして緊張感を高めていたが、一方のかすみは、妻として夫に旅を楽しんでもらえるようにがんばろうと、生まじめに心に誓うのだった。出発の日、土地神は何やら必要以上にはりきっているかすみの様子にちょっとした違和感を抱いていた。ふだんはめったに村から離れることがない土地神は、赤く染まったもみじや壮大な滝など季節の風景を堪能しながら、かすみとの旅を楽しんでいた。しかしその道中、はりきり過ぎたかすみが足を痛め、動けなくなってしまう。自分の不注意が夫の大切な旅行に水を差す結果となったことを謝罪するかすみだったが、土地神は足を痛めたかすみをいたわりながら、かすみに優しく声をかけ、かすみを背中におぶって歩き始める。すっかり日も暮れた頃、ようやく目的地付近に到着した土地神は、案内役のきくじと合流する。そして、立派な門をくぐった土地神とかすみを迎えたのは、小柄でかわいらしい山の神の姿だった。
家出
仲睦まじく暮らす土地神とかすみのもとに、子孫繁栄を司る神の妻のなでしこがやって来た。最初こそ笑顔で、家出してきたと話すなでしこだったが、事情を聞くうちに泣き出し、離縁する覚悟をちらつかせながら、住む所が見つかるまでこの家に置いてほしいと懇願する。子孫繁栄を司る神からよっぽど嫌な思いをさせられたに違いないと感じた土地神は、なでしこに同情しながらも、最近疲れやすいと話していたかすみの言葉を思い出し、自分も他人事ではないと焦り始める。そして、なでしこだけでなく、かすみにもゆっくりするように声をかけ、もてなしのすべてを自分が請け負うことを決める。急に態度がおかしくなった土地神の様子に、かすみは自分の度重なる粗相が夫に負担をかけたのではないかと過度に心配してしまう。その様子を見たなでしこは、自分の悩みも忘れてかすみに声をかけ、かすみと土地神の夫婦関係について話を聞こうとする。遠慮のないなでしこの質問は、かすみの元旦那との関係にも及び、その結果かすみが今、土地神に恋心を抱いているという事実を自覚させることにつながる。自分の気持ちに初めて気づいたかすみは、土地神の顔を真っすぐ見ることもできなくなり、ちょっとしたことで胸は高鳴り、夫とどう接したらいいか、ますますわからなくなってしまう。なでしこは、かすみの様子に恋の素晴らしさを再認識し、自分と夫の恋は終わってしまったと実感して涙を流す。そしてかすみとなでしこは、恋話を重ねて絆を深め、親友のようになかよくなっていく。その後、住む家が見つかったからと、なでしこが土地神にあいさつをして家を出ようとした瞬間、彼女の目の前に子孫繁栄を司る神が姿を現す。思いつく限りの反省の言葉を口にしながら、どうしてなでしこが突然家出したのか原因が思いつかないと、なでしこに懇願して理由を知ろうとする。夫のあまりの剣幕に負けたなでしこが仕方なさそうに口を開くが、語られた理由は子孫繁栄を司る神にとって思いもよらないものだった。
登場人物・キャラクター
土地神 (とちがみ)
長らく同じ村の土地を見守っている土地神。村人からは尊敬され、愛されている存在。一人では寂しいからと、女性をめとることを決め、村人に「村で一番若い女人を」と言付けたところ、かすみを嫁に迎えることになった。かすみは未亡人のうえ、年齢は35歳ということで、当初は困惑するものの、すぐに別れてしまってはかわいそうだからと、ほとぼりが冷めたら離婚することを考えていた。だが、家事を無駄なくテキパキとこなし、作る食事もおいしいことやかすみの奥ゆかしくもかわいらしいところにどんどん惹かれていき、すっかり虜になってしまう。夫婦生活を一刻も早くと願っているものの、元旦那と比べられることを怖がっているのに加え、ちょっとしたカンちがいからかすみには夜の営みは必要ないと思われているため、手が出せなくなってしまっている。子孫繁栄を司る神とは旧知の仲で、腐れ縁のような関係。かすみとの夫婦生活に一歩踏み出せないことを相談したことがある。村人からは、油揚げが好物と思われており、毎年収穫の時期になると大量の油揚げが奉納されるのが慣例となっているが、実はそれほど好物というわけでもなく、いつも1か月かけて必死に食べきっていた。しかし、かすみの好物が油揚げだったため、今年はあっという間に食べつくし、かすみを喜ばせたい一心で、追加で買いに行くことすら考えるようになった。慈悲深く物静かで穏やかな性格をしている。さらには奥手なのが災いして、かすみとの関係はなかなか進展しないでいる。キツネ面のような顔立ちにふんわり豊かな赤い長い髪を垂らし、着物を身につけている。これが神としての本来の姿だが、人間のように顔を変えることも可能。髪が豊かすぎるため、梅雨の時期になると膨らんでゴミやホコリを吸ってしまうのが悩み。趣味は読書で、自宅には大量の蔵書があり、結婚前は引きこもりがちだった。かすみからは、「ご主神さま」と呼ばれている。
かすみ
人間の女性で、最初に嫁いだ夫と死に別れ、未亡人となった。年齢は35歳。子供がいなかったため、村で一番若い女性として、土地神のもとに嫁ぐことになった。おとなしく奥ゆかしい性格で、落ち着いた雰囲気を漂わせている。のんびりとマイペースながら、結婚していた経験があるために、家事をテキパキとこなしている。自分が未亡人で、年齢も若くないことを気にしており、夫となった土地神に対しては申し訳ない気持ちを抱いているが、一方で、無自覚にも土地神の人柄に惹かれ、恋していく自分を止められないでいる。日々土地神への愛しさを募らせていくものの、奥手な土地神と、控えめなかすみとの関係は簡単に変わることはなく、時間をかけてゆっくりとその愛情を育んでいく。もともと元旦那の村に嫁いできて、夫が亡くなったあとも元旦那の村に残っていたが、村人からはいつまでもよそ者扱いされていた。かすみの控えめな性格もあって、周囲との付き合いはほとんどなく、村人たちとのあいだにはなんとなく隔たりがあった。しかし土地神に嫁いでからは、自分が村人となかよくならなければ土地神としての立場に影響すると憂慮。土地神からのさりげない協力もあって、得意の縫物や刺繡を教えたりするようになり、村人との関係性をうまく保てるようになった。実は元旦那とのあいだには恋愛感情がなかったため、夫となった土地神に対して自分が恋心を抱いていることに気づいていなかったが、なでしこのするどいツッコミにより、自分が土地神に恋していることを自覚するに至った。恋心に気づいてからは、土地神の顔を真っすぐ見ることもできなくなってしまうが、なでしこのアドバイスにより、自分の気持ちを伝えようと努力をしている。日頃は何かに動じるようなことはまずないが、雷のひどい夜に経験した出来事がトラウマで、雷を大の苦手としており、今でも雷が鳴ると恐ろしさに耐えられない。また、好きなことになると、子供のように我を忘れて夢中になってしまうところがある。好きな食べ物は油揚げ。
子孫繁栄を司る神 (しそんはんえいをつかさどるかみ)
子孫繁栄を司る神。土地神とは旧知の仲で腐れ縁のような関係にあり、土地神の夫婦関係について相談に乗ることもある。タヌキ面のような顔立ちに、腰下まである長い髪を編みこんでまとめている。人間顔になるときは肌が浅黒く、女性と見るやすぐに声をかけるチャラ男キャラだが、実はなでしこという妻がいる。浮気ばかりしているように見えて、実は妻一筋の愛妻家で、なでしこを溺愛している。ふだん愛用している煙管は、なでしこからプレゼントされたもので、珍しい撫子の花の細工がしてあり、まるでいつも妻と共にいるような気持ちになるため、浮気防止に一役買っている。なでしこからは、「あるじ様」と呼ばれている。なでしこの姉の朝顔との仲もよく、ふだんから付き合いがある。なでしこが幼い頃、「金太郎ちゃん」のあだ名が付いていたことを聞き、一度呼んでしまう。なでしこが家出した時には、理由がわからずに、なでしこが滞在している土地神の家の近くに住む朝顔に助けを求めた。こてこての関西弁を使う。
なでしこ
人間の女性で、子孫繁栄を司る神の妻。底抜けに明るい性格で、こてこての関西弁を使う。浮気しがちなチャラ男キャラの夫をほどよく尻にしきながら、上手にコントロールしている。非常に力持ちで、左目尻にほくろがある。夫が愛用している煙管は、浮気防止のために撫子の花の細工を施してプレゼントしたもの。夫の友達である土地神と、その妻となったかすみの関係がなかなか進展していないことを知っており、全力で応援している。幼い頃、近所の「熊五郎」という名のガキ大将に相撲で勝ったことがあり、その時に付けられたあだ名が「金太郎ちゃん」だった。そんな自分の黒歴史を隠していたにもかかわらず、ある時ふいに夫から「金太郎ちゃん」と呼ばれたことで狼狽し、恥ずかしい過去が知られてしまったと絶望。夫に嫌われたに違いないと怖くなって、離婚を申し入れられる前に自分から出て行こうと土地神のもとに家出することにした。家出中、自分の新居を見つけたりして、本気で夫と離婚するつもりでいたが、心配した子孫繁栄を司る神が迎えに来たことにより、誤解が解けて一件落着した。姉の朝顔とは、幼い頃から仲がいい。
きくじ
山の神のもとで使用人として働く人間の男性。秘境の温泉がある北の奥山の地で、湯屋を訪れた土地神とかすみの案内役を務め、お手製の朝食でもてなした。盲目のために音や指触り、気配や匂いですべてを感じている。何事もそつなくこなすが、色恋に関することになるとまったく疎くなってしまうため、山の神から慕われていることには気づいていない。十年ほど前、まだ幼かった頃に母親を亡くしたことで、自分も極楽浄土に行きたいと、山の神を頼って山に入り込んだ。ふつうは生身の人間ではたどり着かないはずの湯屋にたどり着き、それ以来山の神のもとで手伝いをして共に暮らしている。後ろ髪は細長く、一本に束ねている。身近に母親の幽霊が存在していることは知らない。
山の神 (やまのかみ)
北の奥山の地で湯屋を営む女神。通常は猫面のような顔立ちで、後ろ髪は短く、横髪が長い特徴的なヘアスタイルをしている。人間の顔になることもできる。自分を「おら」と呼ぶなど、言葉づかいは訛りが強いが、客の前では標準語でしゃべるようにしている。本好きのインドア派で、人間の書いた恋愛小説を好み、こっそりと自分でも執筆している。親しくしている友達もいなく、ネガティブ思考の性格で、何かと卑屈になりやすいところがある。きくじに一方的に思いを寄せているが、きくじが色恋に疎いこともあり、一方通行のまま進展はなく、人間を妻として迎えた土地神にあこがれている。湯屋の客として土地神とかすみが訪れた際には、空回りしながらも一生懸命もてなした。酒は好きだが弱く、泥酔するとろれつが回らなくなるが饒舌となり、周囲に迷惑をかけるため、酒はなるべく飲まないようにしている。十年ほど前、山に迷い込んできたきくじを保護し、湯屋手伝いをしてもらうようになった。まだ幼かったはずのきくじがいつの間にか大人になったが、彼の温もりが忘れられなくなり、思いを寄せるようになった。きくじからは「お館様」と呼ばれている。
幽霊 (ゆうれい)
女性の幽霊。北の奥山の地にある山の神の湯屋に滞在している。この場所にいると、幽霊も生きている本当の人間のように実体を持って存在することができるため、ふつうの人のように振る舞っている。実は幼い息子のきくじを遺して亡くなった母親の幽霊。息子を温かい手で包んであげたかったのに、今となっては言の葉一つ届けることができなくなってしまったと、息子への思いを残し、死にきれずに存在している。ふだんは屋敷にこもりきりの生活を送っており、山の神を実の娘のようにかわいがっている。死後の生活はむしろ充実していて、きくじの成長を近くで見守れる環境を与えてくれた山の神に感謝しつつ、ありがたく身を委ねている。湯屋の客として訪れたかすみが、夫である土地神を気遣い、自分の気持ちを伝えられずにいることを知り、優しい言葉でそっと背中を押した。
朝顔 (あさがお)
なでしこの姉。元花魁で、現在は土地神の守村の近くにある花街で暮らしている。なでしこが家出をして土地神のもとに滞在していることを知ってから、なでしこの夫である子孫繁栄を司る神がちょくちょく訪れるようになり、のろけ話や相談をしている。艶っぽい美人で、思ったことは割と遠慮なく口にしがち。惚れ込んだなでしこが家出してしまい、いじいじといじける義弟を、さすがにうっとうしく感じており、二人が元に戻るために一役買った。実は、なでしこが幼い頃に「金太郎ちゃん」と呼ばれていたことを子孫繁栄を司る神に教えた張本人。妹が「金太郎ちゃん」と呼ばれることを嫌がって泣いていたため、当時はいじめっ子への対抗策として朝顔自身は「桃太郎」を名乗り、これがきっかけで雉を飼い始めたという経緯がある。