川島芳子は男になりたい

川島芳子は男になりたい

1924年の上海を舞台に、「男になりたい」という夢を抱いた17歳の川島芳子が、さまざまなミッションに挑む姿を描いた冒険活劇。石原莞爾や蒋介石などの実在の人物をモチーフとするキャラクターが数多く登場する一方で、死亡しているはずの西太后の暗躍や鍼術による性転換など、伝奇的な要素も多分に含まれている。また、1929年に竣工する和平飯店、1934年に竣工する国際飯店などの1924年の時点では存在しないはずのランドマークが登場するなど、時代考証よりも現代人が想像する魔都・上海のイメージを優先して描かれている点も作品の持ち味となっている。「月刊少年シリウス」2019年12月号から2021年2月号にかけて掲載された作品。

正式名称
川島芳子は男になりたい
ふりがな
かわしまよしこはおとこになりたい
作者
ジャンル
アドベンチャー
 
歴史IFもの
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あらすじ

変生男子の発現

「男になりたい」と願う少女、川島芳子は「どんな夢でも叶う」という触れ込みを信じて、上海の有力者であるEV・サスーンと対面する。夢の対価として帝国軍人、田中隆吉の支援を引き受けた芳子だったが、彼は女性である芳子を足手まといとして相手にしないばかりか、戦死した仲間の未亡人を養うために多額の借金を背負っている状況だった。そこで芳子は金貸しと相対して借金の肩代わりを申し出るが、あっという間に娼館に売り飛ばされてしまう。窮地に陥る芳子だったが、悪漢に組み敷かれた途端に、EV・サスーンの手配で施されていた特殊能力「変生男子」が発現する。一時的に男性へと変じた芳子は迫る悪漢を次々と打ち倒し、窮地を脱することに成功する。やがて芳子の救出に駆けつけた田中は芳子に対する評価を改め、芳子と協力して清朝のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀の救出に臨む覚悟を固めるのだった。

廃帝溥儀救出作戦

田中隆吉の具申により、凍結していた廃帝溥儀救出作戦の再始動が決定する。そのプランは救出の対象であるラストエンペラー、愛新覚羅溥儀への拝謁と称して真正面から堂々と紫禁城へ入城するというもので、元お姫様である川島芳子の血筋があってこそ成立するものだった。入城に成功した芳子は溥儀との束の間の語らいを通して、「新国家の樹立」という夢を抱く彼を応援したいと考えるようになる。また、監視役である烏蘭の溥儀を虐げるような態度に怒り、改めて溥儀の救出を誓う。その夜、芳子と田中は溥儀を連れての脱出を試みるが、計画は紫禁城に潜んでいた西太后に露見しており、銃撃戦が始まってしまう。囮(おとり)を買って出た田中は人間をあやつり人形と化す烏蘭の能力に苦戦を強いられるが、特殊能力「変生男子」を発現させた芳子が烏蘭を撃破し、ついに溥儀の救出を成し遂げる。こうして芳子は「男になりたい」という夢の対価を支払うことに成功したが、溥儀と絆を育んだのが女性の芳子であることを理由に完全な男性になることを拒み、変生男子の保持を決意するのだった。

財閥令嬢護衛任務

田中隆吉の上官である石原莞爾は、男女可変の肉体を有する川島芳子に興味を持ち、その実力を確かめるべく、財閥令嬢、鮎川美禰子の護衛を依頼する。依頼を引き受けた芳子は美禰子の高慢な態度に苛立っていたが、冒険を求める美禰子がいずれ家庭に入る運命にあることを知って同情し、少しずつ絆を深めていった。やがて芳子は自ら考案した囮作戦を実行に移す。これは美禰子をカジノで豪遊させて誘拐犯を釣り上げるというもので、作戦の甲斐あって、暗躍していた西太后の部下の呂母を表舞台に引き出すことに成功する。また、特殊能力「変生男子」を発現させた芳子の活躍により、美禰子の婚約者候補の栗原伸光が誘拐に関与していた事実を含め、事件の全貌が暴かれた。さらに芳子は川島芳雄という別人を演じて美禰子と共闘し、死闘の果てに呂母を撃破する。一連の事件を通して芳雄に恋をした美禰子は芳雄の正体を知って驚愕するが、いつか本当の男になるかもしれないと思い直し、芳子のもとへと転がり込む。

特級阿片奪取作戦

財閥令嬢護衛任務を成功させた川島芳子は、諜報活動を主任務とする石原機関に所属することになった。機関長の石原莞爾の命令により上海に蔓延(はびこ)る阿片の流通調査を開始した芳子たちは、秘密結社「青幇」の幹部である張嘯林を妓楼へと誘い、特級阿片、双龍印牌煙膏の取り引きの情報を入手する。次いで芳子たちは特級阿片奪取作戦に臨むが、謎の第三勢力に双龍印牌煙膏を横取りされてしまう。第三勢力を率いていた男が国民党の活動家の蒋介石であることに気づいた芳子たちは、記者に扮して蒋介石を拉致する。結果として蒋介石には逃げられてしまったが、青幇の幹部、杜月笙が組織を裏切って蒋介石と手を組んでいた事実が明らかになった。さらに芳子たちは蒋介石から押収した指輪の奪還に現れたファイナ・ボロディナを下し、双龍印牌煙膏が「クイーン・ブリタニア号」と呼ばれる豪華客船に運び込まれていたこと、指輪が乗船パスになっていることをつき止める。やがて各勢力はクイーン・ブリタニア号へと結集し、双龍印牌煙膏を巡る最後の戦いが始まる。

登場人物・キャラクター

川島 芳子 (かわしま よしこ)

「男になりたい」と願う少女。年齢は17歳で、天真爛漫で正義感が強く、お人好しな性格の持ち主。これは「義を見てせざるは勇なきなり」など、幼少期から男とはかくあるべしという教訓を叩き込まれてきたことに起因する。清朝の王族の血を引いており、「愛新覚羅顕㺭」の中国名を持つが、生い立ちに反して「マジ」などの軽薄な言葉を口にすることも少なくない。軍事訓練も受けているが、肉体の強さは女性の範疇におさまり、女の身では大業は成せないと思い込んでいる。1924年に夢を叶えるべく上海に渡り、EV・サスーンの手配で一時的に男体化する変生男子の特殊能力を獲得。交渉の際に決意表明として豊かな黒髪を断ち切り、ショートヘアになった。その後、廃帝溥儀救出作戦を成功に導いて完全な男になる機会を得るも、ラストエンペラー、愛新覚羅溥儀と交わした約束を果たすべく、変生男子の維持を決意。男女可変の肉体を駆使した芳子の活躍は石原莞爾に評価され、やがて石原機関の諜報員として活動するようになった。なお、男として振舞う際には「ぼく」、女として振る舞う際には「あたし」と一人称を使い分けている。女としての容姿は娼館で上玉と称されるレベルで、自己評価も極めて高い。実在の人物、川島芳子がモデル。

川島 芳雄 (かわしま よしお)

鍼術による特殊能力「変生男子」の発現により男体化した川島芳子。二重人格の類ではなく、女性の芳子と知識や経験を共有するれっきとした同一人物だが、物腰は川島芳雄の方が優雅で貴公子然としており、容貌に関しても周囲の女性から「貴公子」「帥哥(イケメン)」「美男(クラシェーヴィ)」「芳子よりも需要がある」と絶賛されている。芳雄自身から明かした場合を除いて正体を見破られたことはないが、鮎川美禰子からは芳子との類似点を指摘されたことがある。引き締まった肉体から放たれる殴打は巨漢を容易に昏倒させる鋭さがあり、雑兵が束になっても相手にならないほどの強大な戦力を有している。声質も元来のソプラノボイスからアルトとテノールのあいだくらいにまで低くなるが、芳子の求めている声域は田中隆吉のようなバリトンボイスのため、ボイストレーニングに励んでいる。なお、「川島芳雄」という名称は男にあこがれる芳子が名乗っていた偽名に過ぎなかったが、財閥令嬢護衛任務において男体化した芳子がコードネームとして使用したことをきっかけに、呼び分けがされるようになった。

田中 隆吉 (たなか りゅうきち)

中支那派遣隊司令部に所属する軍人の男性。階級は大尉。重傷を負っても次の任務では前線に舞い戻る屈強な肉体の持ち主で、上着の前面を開け放したワイルドな服装を好み、眼鏡をかけている。また、喫煙者で煙草を吸っている場面が多い。銃撃戦に長けており、飛行機の操縦技術も有している。川島芳子と出会う以前は「上海借金王」と呼ばれるほどに落ちぶれ、虹口地区で酒浸りになっていた。その姿は芳子を幻滅させてしまったが、ラストエンペラー、愛新覚羅溥儀の救出任務で死亡した仲間の未亡人を食わせるために借金をしていたことが明らかになると、逆に芳子から信頼されるようになった。その後、芳子の協力を受けて廃帝溥儀救出作戦を成功に導き、上官である石原莞爾と芳子を引き合わせた。財閥令嬢護衛任務にあたっては芳子に恩返しをしたいとして裏方に徹しており、その甲斐あって芳子は石原から高く評価されている。石原機関が発足すると構成員として名を連ね、メンバーの兄貴分として特務に従事するようになった。なお、田中隆吉の男らしさは芳子から羨望の眼差しを向けられており、一方的に「師匠」と慕われている。実在の人物、田中隆吉がモデル。

鮎川 美禰子 (あゆかわ みねこ)

財界の大物、鮎川欽介の一人娘。年齢は18歳。ブロンドの癖毛をツインテールにして、前髪を桃色のピンで留めている。頭脳明晰で空手、関節技、乗馬、射撃までそつなくこなす。女性的なボディーラインからは想像できないほどの怪力の持ち主で、武装した複数の誘拐犯を返り討ちにするほどの武力を誇る。所作は上品だが、高慢で気位が高く、自分との結婚を望む取りまきの男性たちを荷物持ちとしか思っていない。また、退屈を厭(いと)い「冒険に満ちた人生」を求めているが、父親からは将来的に結婚して家庭に入るように強要されている。そのため、いっしょに危険に飛び込んでくれる「夢の男(とのがた)」との出会いを夢見ている。当初は護衛を担う川島芳子を疎ましく感じていたが、やがて彼女の勇敢さに魅せられ、芳子が男ならよかったと意識するようになる。また、鮎川美禰子を危険から遠ざけようとせず、いっしょに闘おうと誘ってくれた川島芳雄を「夢の男」と認めて恋に落ちてしまうが、思いを伝えるには至らなかった。芳雄の正体が男体化した芳子であることが判明すると、いつか完全な男になるかもしれないという期待を胸に芳子のもとへと押し掛け、石原機関に加入して芳子の心強い味方となった。

海上 麗瑠 (うながみ りる)

石原機関の構成員の女性。セミロングヘアで、顎の左側にホクロがある。華奢だが胸が大きく、胸元が開いたドレス型の制服を着ている。機関においては長女的な存在で、恐れを知らない川島芳子、鮎川美禰子のブレーキ役を担っている。アンニュイな雰囲気で石原莞爾からオーラがないと評されているが、当人はスパイ活動にオーラは不要と反論している。また、60キロの荷物の運搬を無理と断じるなど、体力的には凡人の域を出ず、その繊細さは芳子に仕事が務まるのか心配されるほどである。しかし、当人は自信に満ちており、むしろ芳子が男のように戦いたがることに疑問を抱いている。諜報の世界では「女」が一個師団に匹敵すると主張して憚(はばか)らず、その言葉を裏付けるように、石原機関の初任務においては妓楼、聚宝茶室(じゅほうさしつ)の「上海リル」として張嘯林と対面し、房中術、隔体神交法を仕掛けて機密情報を引き出すことに成功している。また、分析力にも優れており、蒋介石と遭遇した際には、秘密結社「青幇」に裏切り者がいることを即座に看破した。芳子や美禰子と同様に世情に疎いのが玉に瑕(きず)で、新聞に載るほど有名だった蒋介石と対面しながら、その正体には気づかなかった。

石原 莞爾 (いしわら かんじ)

中支那派遣隊司令部のトップを務める軍人の男性。階級は少佐。ずんぐりとした体型で、つねに不敵な笑みを浮かべている。諜報戦争(グレートゲーム)で物理的な戦争を未然に食い止め、「平和を30年にわたって維持する」ことを夢見ている。男女可変の肉体とラストエンペラー、愛新覚羅溥儀の救出を成し遂げた任務遂行能力を鑑みて、川島芳子を今後の時局を左右する人材と評価し、財閥令嬢護衛任務を依頼した。のちに芳子を石原莞爾自身が機関長を務める石原機関の諜報員としてスカウトし、中支那派遣隊参謀本部第二課非正規職員の肩書きを与えた。これは准尉に相当する扱いである。この際、芳子を厚遇する理由として、諜報は生粋の軍人には務まらないという持論を披露している。なお、田中隆吉が面会に緊張を覚えるほどの傑物でありながら、石原機関の発足時にはアジトまでお祝いに駆けつけており、パーティー帽をかぶってクラッカーを鳴らすなど、お茶目な性格をかいま見せている。また、海上麗瑠の房中術、隔体神交法が通用しない人物の例として挙げられている。実在の人物、石原莞爾がモデル。

愛新覚羅 溥儀 (あいしんかくら ふぎ)

亡国・清朝のラストエンペラー。通称は「廃帝」。色素の薄い癖っ毛の小柄な青年で、旗人の民族衣装を彷彿とさせる華美な衣服に身を包み、帽子をかぶっている。幼い少年のような容貌をしており、川島芳子から「天使」とまで評されているが、年齢は芳子よりも年上の18歳である。帝位を退いてからも清朝の復辟(ふくへき)を望む勢力にとっては欠かせない存在であり、紫禁城に軟禁されていた。しかし、当人は復辟など幻だと諦観しており、清朝を弔って新たな国を立ち上げるべきだと考えるようになっていた。芳子とは親戚ながら面識がなかったが、御花園で面会した際に「新国家樹立」の夢を笑うことなく背中を押してくれたという理由で、すぐに打ち解けて信頼を寄せるようになった。この際、密かに警備配置図を渡して芳子の任務をアシストしている。脱出後は北京の日本公使館に身柄を保護され、芳子に手紙を送れる程度には自由な生活を送っている。なお、別れ際には「新国家の末席に加えて欲しい」という旨の芳子からの伝言を聞き入れ、まだ見ぬ国での再会を約束している。実在の人物、愛新覚羅溥儀がモデル。

西太后 (せいたいこう)

三代にわたり皇帝を傀儡(かいらい)に清朝を支配した女傑。「聖母皇太后」「蘭貴人」「老仏爺」「皇姥姥」「龍女」などの異名を持つ。16年前に死亡したとされていたが、紫禁城に潜み「清朝復辟」の機会を窺っていた。肌に若干のシワがあるが、体型は老齢とは思えぬほど若々しい。往年は両把頭(りょうはとう)に大拉翅(だいろうし)という出で立ちだったが、現在は色味を失いウェーブした頭髪にリボンを付けて、顔に包帯を巻き、胸元の開いた軍服風の衣装の上に身体の左側のみ覆うマントを羽織った凛々しい姿をしている。また、神出鬼没の能力を有しているような描写があり、「一度死んだ」など意味深長な発言をしているが、詳細は不明。国のためと信じて叛徒から身内まで処刑した過去があり、死者を忘れないことが生者の責務と考えている。死者の遺志を継いでいる気負いから夢に対する拘(こだわ)りが強く、夢見る者の執念を侮る者に戒めの言葉を浴びせることもある。ラストエンペラー、愛新覚羅溥儀の逃亡を受けて、宗社百花党を率いての本格的な活動を開始。EV・サスーンと対面して栗原又之助の夢を請け負い、満州を得ようとした。しかし、思想の違いから又之助と袂(たもと)を分かち、川島芳子への伝言を残して姿を晦(くら)ませた。実在の人物、西太后がモデル。

烏蘭 (うーらん)

宗社百花党に所属するグラマラスな女性。セミロングヘアで、胸元と足を大胆に露出した看守風コスチュームに身を包んでいる。人間を椅子として扱うなど嗜虐的な性格で、しばしば他者を見下し嘲笑する。人間に命令をする際に、「捕獲(フェッチ)」「家に戻れ(ハウス)」などの、犬に指示を下す際に用いられるような言葉を使う点からもサディズム傾向が滲み出ている。内側に鍼(はり)の付いた特殊な首輪を所持しており、有事には武器として使用する。内側の鍼は拘束した相手の脊髄神経に刺激を与えるためのもので、鎖に込める力を調節することで、対象を意のままにあやつることができる。激痛を与えることも可能で、屈強な男性でも支配に抗(あらが)うことはできない。また、拘束した相手が負傷していても無理やりあやつることが可能だが、死者をあやつることはできない。紫禁城でラストエンペラー、愛新覚羅溥儀の監視役を担い、首輪を掛けて行動を管理していた。川島芳子と田中隆吉が紫禁城から溥儀を連れ出そうと試みた際には、兵士八人を同時に使役する超絶技巧を披露し、田中を追い詰めて死すら覚悟させている。しかし、特殊能力「変生男子」を発動させて男体化した芳子には及ばず、敗北を喫している。

呂母 (るーむー)

宗社百花党に所属するグラマラスな女性。波打ったセミロングヘアで、左目尻に泣き黒子があり、胸元の開いた服装を好んで着用している。武装は3種類からなる特殊なトランプで、囮札(デコイカード)を投擲(とうてき)して攪乱し、マグネシウムと黄燐の化合物を含む爆札(ボムカード)で視界を奪い、人体すら容易に切り裂く死札(デスカード)でトドメを刺す戦術を得意としている。その気になれば13枚のカードを瞬時に投擲することも可能で、相手を幻惑する戦闘スタイルから「魔女」の異名で恐れられている。鮎川美禰子の誘拐を任された際には、ディーラーに扮して美禰子とポーカー勝負を繰り広げた。この際、「ボトムディール」と呼ばれる技術で美禰子と川島芳子の目を同時に欺いているが、潜んでいた田中隆吉にイカサマを見破られ、ナイフで右手を刺されてしまった。その後、店側の尋問を受けて宗社百花党に所属していること、呂母自身の飼い主が西太后であることをあっさりと白状しているが、ほどなく自力で拘束を解いて脱走している。決戦時にはカード戦術で田中を戦闘不能に陥れるも、川島芳雄に投擲の癖を看破されて敗北し、ポーカーの負け分を背負わされて一生を店に捧げる羽目になった。

鮎川 欽介 (あゆかわ きんすけ)

鮎川美禰子の父親。縮毛で額の中央に黒子がある中年男性で、眼鏡をかけている。大陸進出をはたした新興財閥の一つである鮎川財閥の総帥という立場にあり、八洲産業の社長も務めている。その名は広く轟いており、鮎川欽介の名刺を持っていれば初見のカジノでも青天井の信用貸しを受けられるほどのビッグネームである。危険を求める美禰子の振る舞いには日頃から手を焼いており、石原莞爾に娘の身辺警護を依頼していた。川島芳子らの活躍によって誘拐犯が確保されると、娘の身柄を引き取るべく姿を現した。この際、家名に泥をぬったとして美禰子の頰を張り飛ばし、強引に連れ帰ろうと試みているが、その態度によって皮肉にも誘拐犯のレッテルを貼られ、川島芳雄に娘を連れ去られてしまった。実在の人物、鮎川義介がモデル。

栗原 又之助 (くりはら またのすけ)

八洲産業の副社長を務める男性。角刈りで、口髭を蓄えている。苗字は異なるが、社長の鮎川欽介を「アニキ」と呼んでおり、社長令嬢の鮎川美禰子からは「叔父様」と呼ばれている。旧財閥を出し抜いて「実業界のトップに君臨する」ことを夢見ており、欽介に東三省(満州)の開発を推し進めるべきだと強く訴えていた。これは急速な近代化を遂げている日本に必要な石油、石炭、鉄、アルミニウムなどの資源の独占を目的とした計画だった。しかし、欽介に時期尚早と却下されてしまい、八洲産業の経営権を奪おうと考えるようになる。その手段として、息子の栗原伸光を美禰子と結ばせようと企んでいたが、美禰子が応じないため、誘拐という強引な手段に訴えようとした。だが、協力者の西太后と思想の違いから仲違いに至り、「死者の声を聞け」という旨の無理難題を強いられた挙句に落第を言い渡され、放心状態でいるところを当局に捕縛された。実在の人物、久原房之助がモデル。

栗原 伸光 (くりはら のぶみつ)

栗原又之助の息子。「鮎川美禰子との結婚」を夢見て、取りまきに混ざって荷物運びなどの雑用を担っているが、臆病な性格が災いして美禰子の眼中にはない。川島芳子が美禰子の護衛になると、取りまきを通して誘拐犯に情報が漏れる恐れがあるとの理由で、ほかの取りまきと同様に美禰子の身辺から遠ざけられてしまった。のちに偶然を装ってカジノに姿を現し、トラブルに巻き込まれていた美禰子らの身柄を引き取り、改めて結婚をせまっている。しかし、騒ぎがおさまってから助けに入った点を指摘され、美禰子を翻意させるには至らなかった。この際、酒にクラーレ(外科手術に用いられる神経毒)を混ぜて美禰子を手籠めにしようと企んだが、芳子に酒瓶で殴られて昏倒し、未遂に終わっている。その後も部下と共に美禰子を追跡しているが、美禰子に変装した芳子を愛撫して特殊能力「変生男子」を誘発させてしまい、川島芳雄に歯を数本も失うほどの殴打を浴びせられ、又之助の企みを洗いざらい自供する羽目になった。

張嘯林 (ちょうしょうりん)

秘密結社「青幇」のNo.2を務める大柄で強面の男性。一字釦(ボタン)の付いた唐装と帽子を着用している。杜月笙の兄貴分ながら度量が狭く、彼を若造と見下しており、嫌がらせをすることもある。また、女好きで共同租界、四馬路(スマロ)の妓楼、悦香院(えつこういん)を贔屓(ひいき)にしている。根は小心者であり、緊張を伴う大頭目との会合のあとには女体を求めることが多い。この癖を見抜かれて石原機関が悦香院を改装して作り上げた聚宝茶室(じゅほうさしつ)へと誘われ、海上麗瑠の房中術、隔体神交法の餌食となり、特級阿片、双龍印牌煙膏の取り引きの情報を漏らしてしまった。取り引きの当日には自分よりも大勢の護衛を用意した杜月笙を小心者と罵った上に足を掛けて転ばせるなどして、護衛の足並みを乱している。また、再び隔体神交法の術中となり、幻覚に魅せられて双龍印牌煙膏を開封するという暴挙に出ている。その後は錯乱状態に陥り、双龍印牌煙膏を運んできた羅宇(ラオス)の人員との銃撃戦の引き金を引いてしまった。実在の人物、張嘯林がモデル。

杜月笙 (とげつしょう)

秘密結社「青幇」のNo.3を務める小柄な男性。前下がりのワンレングスショートヘアで、額に痕があり、襟と袖にファーの付いた丈の短い長袍(チャンパオ)を着ている。自分がカタギになれなかったのは親がいなかったからだと考えており、金を親代わりにして「暗黒街の顔役から真っ当な実業家に転身する」ことを夢見ている。自他共に認める小心者ながら、恐れがあるから闇の世界で生き残っているという哲学を持ち、臆病であることを恥じてはいない。特級阿片、双龍印牌煙膏の輸入を担当していたが、荷揚げの際に蒋介石らの襲撃を受け、ブツを失ってしまう。この際、川島芳子らの身柄を拘束しているが、輸送中に田中隆吉に襲われ、惜しくも取り逃がしている。のちに芳子たちの調査により、青幇を裏切っていたこと、蒋介石と組んでいたこと、豪華客船「クイーン・ブリタニア号」のオークションで双龍印牌煙膏を売りさばこうと企んでいたことが判明。船内で蒋介石と共に芳子らを迎え撃った。実在の人物、杜月笙がモデル。

蒋介石 (しょうかいせき)

清朝の後継と目される国内最大勢力、国民党の幹部を務める男性。新進気鋭の政治家として新聞に載るほど有名だが、違法行為も辞さない軍人活動家という裏の顔がある。平時は長髪をオールバックにして背広を着用しているが、有事には髪を後頭部で結わえ、国民党の軍服を着る。その容姿は海上麗瑠から「わりとイケメン」と評されている。札付きと呼ばれる悪漢ながら快活で、蒋介石自身が校長を務める黄埔軍官学校の生徒からも慕われている。「総統に天下を獲(と)らせる」ことを夢見ていたが、総統の余命を鑑みて「総統の代わりに天下を獲る」ことを決意。世界最強の軍隊を創るには日露戦争で大日本帝国が費やした戦費の1年分に相当する資金が必要と悟り、EV・サスーンのもとを訪ねて杜月笙の夢を請け負った。川島芳子とは特級阿片、双龍印牌煙膏の奪取を試みた際に遭遇し、のちにラストエンペラー、愛新覚羅溥儀の競争相手と認識され、対立を繰り広げている。なお、指導者でありながら対人戦も強く、合気道のような動きで相手を翻弄するのが得意。田中隆吉と鮎川美禰子の同時攻撃をさばくほどの技量を有しているが、単純な腕力勝負では美禰子に軍配が上がる。実在の人物、蒋介石がモデル。

ファイナ・ボロディナ

コミンテルン(共産主義の指導組織)の女性尋問官。通称は「ミセス・ボロディン」。ワンレングスロングヘアで口許に黒子(ほくろ)があり、妖艶で肉感的なスタイルをしている。モスクワから上海に渡り蒋介石に従っているが、当人は部下ではなく政治顧問だと主張している。鞭で武装しており、石原機関に押収された指輪の回収任務を帯びた際には川島芳子、田中隆吉を不意打ちにより昏倒させ、捕縛することに成功している。経験則から女性への尋問では痛みよりも快感を与えるのが効果的だと考えており、芳子を捕縛した際には愛撫を伴う尋問を実施した。しかし、これによって芳子の特殊能力「変生男子」を誘発させ、逆転を許してしまった。その後、海上麗瑠の房中術、隔体神交法により、蒋介石の企みを暴露している。なお、ファイナ・ボロディナ自身の願望をもとに見せられた性夢は川島芳雄を拘束して一方的に甚振(いたぶ)るというサディスティックな内容であった。

愛新覚羅 善耆 (あいしんかくら ぜんき)

清朝八大世襲王家の筆頭、粛親王家の当主を務めた男性で、故人。生前は「清朝復辟」を夢見ており、志を同じくする盟友の川島浪速に実の娘である川島芳子を養子として託すなどしていた。のちに生前の活動が評価され、皇帝から「忠」の諡(いみな)を賜り、「粛忠親王」と呼ばれるようになった。実在の人物、愛新覚羅善耆がモデル。

川島 浪速 (かわしま なにわ)

川島芳子の養父。口髭と顎髭を蓄えた総白髪の男性で、丸眼鏡をかけている。活動家であり、フィクサーとしての声望は大陸にまで轟いている。愛新覚羅善耆とは盟友の間柄で、養子として引き取った芳子に対して、清朝の再興を成し遂げるために必要となるであろうさまざまな教育を施した。その内容は軍事訓練から男とはかくあるべしという心構えに至るまで多岐にわたり、芳子の人格形成に大きな影響を与えた。「若木を矯めて花を散らすなかれ」と教えておきながら芳子の頰を張るなど、自ら教えに背くこともあったが、芳子の弁解によれば、問答無用で暴力に訴えるほど頑固な人物ではなかったという。しかし、次第に女性的な肉体へと成長していく芳子を見限り、芳子に子を産ませて清朝の再興を託すという新たな計画を立案する。この際に発した「勇者の母になれ」という旨の言葉は、父親の望む勇者になろうと励んでいた芳子の心に深い傷を残し、芳子が「男になりたい」という願望を強めるきっかけとなった。なお、かつて蒋介石の世話をしていたことがあり、その際に「いずれ粛親王家から勇者の血をもらう」と頻(しき)りに語っていたという。実在の人物、川島浪速がモデル。

EV・サスーン (いゔさすーん)

「上海キング」の異名を持つ、京言葉を使う少女。色素が薄くウェーブした髪を有しており、煙管(きせる)を片手に紫煙を燻(くゆ)らせていることが多い。見た目は10代前半にしか見えないが、田中隆吉が「イヴのババァ」と発言する場面があり、本当に少女と呼称されるほどの年齢なのかどうかは疑わしい。交友関係は幅広く、石原莞爾や蒋介石とも面識がある。上海を経済的に牛耳っているサスーン商會の指導者でありながら、金銭のやり取りを介さない特殊なビジネスも展開している。これは夢を商材とするもので、依頼人からすれば自分の夢を叶えてもらえるという魅力的なものである。ただし、依頼人は対価としてEV・サスーンの斡旋する仕事を成功に導く必要がある。その内容は専ら他人の夢の実現を請け負うというもので、いわばEV・サスーンのビジネスとは夢を夢で買う仕組みである。「男になりたい」と望む川島芳子に対しては、お試しと称して男女可変の肉体を実現する特殊能力「変生男子」を施したうえで、田中が抱えていた廃帝溥儀救出作戦への協力を約束させた。芳子が作戦を成功に導くと、今度は恒久的な性転換を手配しようとしたが、当人の翻意を受けて取り止めている。

集団・組織

石原機関 (いしわらきかん)

石原莞爾が今後の諜報戦争(グレートゲーム)を意識して結成した特務機関。構成員は川島芳子、田中隆吉、鮎川美禰子、海上麗瑠。各員には特注の制服が支給されており、それぞれデザインが異なる。また、中華料理店「東興楼」の跡地がアジト兼メンバーの住居として充てがわれている。なお、「東興楼」という名称は実在の川島芳子が開いたレストランに由来している。

宗社百花党 (そうしゃひゃっかとう)

西太后を頂点とする秘密結社。党員として烏蘭、呂母が登場している。作戦の指揮を任されるレベルの党員は扇情的な衣装を着たセクシーな女性ばかりだが、対照的に末端の構成員は男性ばかりとなっている。なお、「宗社百花党」という名称を知った田中隆吉は清朝復辟を掲げて活動していた政治結社、宗社党の存在を想起しているが、両組織の関係性については明らかになっていない。

青幇 (ちんぱん)

上海を影から支配する秘密結社。幹部として張嘯林、杜月笙が登場しており、トップには「大頭目」と呼ばれる人物が君臨している。鉄の規律と沈黙の掟により統制され、青幇の構成員から力で情報を引き出すことはできないとまでいわれているが、結束力をアピールしながら幹部による権力闘争が行われているなど、内実は評判とは異なっている。阿片売買の元締めとしても知られており、価格高騰を狙って上海にあふれていた従来の阿片の流通を絞り込み、品不足を演出していた。これは特級阿片、双龍印牌煙膏を高値で売りさばくための下準備だったが、杜月笙の裏切りにより、計画は破綻してしまう。

黄埔軍官学校 (こうほぐんかんがっこう)

蒋介石が校長を務める士官養成学校。革命の同志を育成するための教育機関であり、一部の生徒は既に実戦にも投入されている。眼鏡をかけた少女、紅美星(こうびせい)、銃の扱いに長けた少年コンビ、陳兄弟(ちんきょうだい)は優秀な1期生で、特級阿片、双龍印牌煙膏の奪取作戦、川島芳子に拉致された蒋介石の救出作戦を成功に導くなど活躍している。また、豪華客船「クイーン・ブリタニア号」の決戦にも参戦しているが、川島芳雄には手も足も出ず、惨敗を喫している。

場所

クイーン・ブリタニア号 (くいーんぶりたにあごう)

英国籍の豪華客船。上流階級に属する白人しか乗船できないため、「浮かぶ租界」と称されている。そのルールは厳格で、莫大な金銭を動かせる財閥令嬢の鮎川美禰子ですら人種を理由に乗船拒否されてしまった。ただし、人種による制約はあくまでゲストに対して課せられるルールであり、ホストには適用されない。船内は完全な治外法権と化しており、工部局警察や上海の闇を支配する秘密結社「青幇」ですら関与することはできない。そのため、船内のオークションではアンタッチャブルな商品を扱うことも可能である。杜月笙は前述のルールを特級阿片、双龍印牌煙膏を売りさばくために利用しようと企み、蒋介石と組んで準備を進めていた。

その他キーワード

双龍印牌煙膏 (そうりゅういんぱいえんこう)

秘密結社「青幇」が羅宇(ラオス)から輸入した特級品の阿片。使用すると酩酊感と多幸感に支配され、桃源郷に至ったような心地を味わうことができる。60キロずつ30箱に分けて保管されており、総額は末端価格で600万元にも及ぶ。富裕層を対象にしたオークションで売りさばけば、相場の10倍の価格も見込めるという。荷揚げの際に蒋介石によって根刮(ねこそ)ぎ強奪され、秘密裏に豪華客船「クイーン・ブリタニア号」へと運搬された。

指輪 (ゆびわ)

蒋介石が所持していた白金のリング。宝石の類は嵌(は)め込まれておらず、内側には謎の模様が彫られている。その正体はペアリングで、対の指輪と積み重ねることで内側に隠された文字を読み取ることができる。対となる指輪は杜月笙が所持しており、特級阿片、双龍印牌煙膏の取り引きの際にお互いの身元を証明する割符として利用する手筈だった。また、双龍印牌煙膏の競売が実施される豪華客船「クイーン・ブリタニア号」の乗船パスにもなっている。石原機関の面々は蒋介石を拉致した際に指輪を押収し、これを利用してクイーン・ブリタニア号への潜入を果たした。

変生男子 (へんせいなんし)

川島芳子に秘められた特殊能力。EV・サスーンの手配した謎の医者が鍼術と暗示を駆使して芳子に施した後天的な神秘であり、生来のものではない。発現すると芳子の肉体構造が男性に変化し、男体化に伴って身体能力が飛躍的に向上する。その結果として、芳子が幼少の頃から叩き込まれた軍事的な技能を遺憾なく発揮できるようになる。発現の条件は芳子が「忘我の境地」に至ることだが、暗示を掛けられた直後の芳子は意味を汲み取れず、のちに「エロい感じ」と独自の解釈をするに至った。芳子が登り詰める最中には、術を施す際に詠われた唐伯虎の漢詩「花月吟」が脳裏を過(よぎ)るのがお決まりのパターンとなっており、特殊能力「変生男子」をきっかけに始まる華麗なる逆転劇まで含めて、お約束の展開となっている。時間制限は存在しないが、涙を流すと女体に戻ってしまうため、精神的なゆさぶりに弱い。

隔体神交法 (かくたいしんこうほう)

海上麗瑠が修めた内丹法の奥義。房中術の一種だが、肉体の交わりを必要とする体交法とは異なり、術者の肉体を用いることなく対象を幻惑し、対象が望む性夢を見せることができる。仕掛けるには事前準備として「特殊な香を焚(た)いて匂いを嗅がせる」「麗瑠が身に付けている鈴の音を聴かせる」必要があり、そこに麗瑠が声色を重ねることで、初めて効果を発揮する。対象が快楽に囚われているあいだは身も心も無防備になるため、極秘情報を聞き出すことも容易(たやす)い。健忘暗示の効果も含まれており、術者である麗瑠の記憶が対象に残らない点も諜報に向いている。また、一度でも術に嵌めた相手であれば、2度目からは鈴の音を聴かせるだけで一瞬で術を仕掛けることが可能となる。術の成否は性欲の有無に左右されるため、対象が女性であっても問題なく仕掛けることができる。逆に性に目覚めていない子供や己の欲望を抑え込める高僧の類には通用しない。能力の初回発現時には『往生要集』に記述された仏教の一節が引用されていたが、2回目からは省略されている。なお、能力の詳細を聞いた鮎川美禰子は恐ろしい奥義と戦慄する一方で、掛けられてみたいと赤面している。

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