概要・あらすじ
瀬戸内海に浮かぶ刑部島の出身者である越智竜平から、「青木」という男の消息を調べてほしいと依頼された金田一耕助は、磯川常次郎から、彼がすでに怪死していると聞かされる。昭和42(1967)年5月20日、瀬戸内海を運行するフェリーに引き上げられた青木は、今際の際に「刑部には悪霊が憑りついている。
鵺(ぬえ)のなく夜に気をつけろ」という言葉を残して絶命した。常次郎から、依頼人である竜平と刑部家のあいだにある、ただならぬ確執を感じた耕助は、一人刑部島に渡る船へと乗り込む。島の祭りで神楽を貢納する一団と出会った耕助は、薬売りの荒木定吉から、父親が行方不明になったという話を聞き、明治26(1893)年以前の古銭を受け取る。
その頃、浅井はるから助けを求める手紙を受け取っていた常次郎は、彼女の自宅で殺害されていたはるを発見。庭に埋められた甕の中には、古銭と大金が入っており、引き出しの中には刑部神社のおみくじがあった。一方、刑部家では刑部守衛が、竜平が奉納した刑部神社の新しい御神体という矢を妻、刑部巴に披露していた。
酔った守衛から、翌日に竜平が島へ来ると聞いた巴は、かつて駆け落ちをするほど愛した竜平を想い、崖へと足を運ぶが足元がおぼつかず、転落しそうになってしまう。そんな巴を救ったのは、竜平のいとこである吉太郎だった。翌日、はるの事件を調べるために、刑部島に降り立った常次郎は、耕助と共に竜平のもとを訪れる。古銭についての聴取は空振りに終わるが、竜平から、耕助と同じ宿に宿泊する旅行者、三津木五郎の身元調査を受ける。
宿に戻った耕助は、竜平の叔母から、竜平と巴が逢引きの合図に「鵺の鳴き声」を使っていたと知らされ、青木の死に際の言葉が、竜平へのなんらかのメッセージだったのではないかと推察する。島で祭りの準備が着々と行われている頃、刑部島を出たいと願っていた刑部片帆は、夜な夜な逢引きをしている神楽兄弟の勇が、15年前に島で行方不明になった父親を探しているという話を聞きつけ、その手伝いをしようと、家の簞笥を漁っていた。
そこへやって来た巴に対し、勇の父親のことを問い詰めた片帆は、シラを切る巴に強い嫌悪を抱き、家を出ていくと宣言してしまう。
そして、刑部島で年に一度の盛大な祭が始まった夜。片帆の姿がないままに、神事は行われた。祭りの最中、神楽殿でぼや騒ぎが起こり、拝殿の奥で守衛の遺体が発見される。心臓に刺さって致命傷となった矢が、竜平が奉納した刑部神社の新しい御神体だったため、犯人と疑われた竜平は、事情聴取を受けるのだった。
登場人物・キャラクター
金田一 耕助 (きんだいち こうすけ)
探偵を生業としている男性。ボサボサの髪に袴を履き、足元は下駄、というやや異様な風貌をしている。数々の難事件を解決しており、「名探偵」として世に名が知れ渡っている。行方が分からなくなった青木の消息を追い、彼が亡くなっている場合は、その死因を調べて欲しいという依頼を、越智竜平から受け、単身で刑部島を訪れた。
磯川 常次郎 (いそかわ つねごろう)
岡山県警で警部の役職に就いている男性。金田一耕助とは知り合いで、刑部島を訪れる耕助に対して色々な情報を提供した。自分宛てに手紙をよこした浅井はるが何者かによって殺害されたため、現場に残されていた刑部神社のおみくじを調べようと刑部島へ降り立ち、耕助と共に連続殺人事件を調査する。
三津木 五郎 (みつき ごろう)
旅行者である大学生の青年。長髪にバンダナを巻いたヒッピー風の格好をしている。両親が亡くなり、八十八か所巡りに出向こうかと思っていた矢先、刑部島で行われる祭りの噂を聞きつけ、単身で島までやって来た。しかし本当の目的は人探しにあり、実の父親と思われる越智竜平に会いに来ていた。
越智 竜平 (おち りゅうへい)
越智建設を束ねる実業家の男性。元は刑部島の網元の跡取り息子だった。刑部巴と恋に落ち、駆け落ち事件を起こしたため、追われるように島を出た。その後、アメリカへ渡り、苦労の末に実業家として成功する。現在は島の土地を次々と買い占めており、島を観光地にする計画を立てている。
青木 (あおき)
越智竜平の配下だった男性。下の名前を偽名で名乗り、刑部島の旅館に泊まっていたが、2週間後の晩から行方不明になっていた。翌朝、瀬戸内海を運行するフェリーによって、変わり果てた姿で発見され、謎の言葉を残して絶命した。
刑部 大膳 (おさかべ だいぜん)
刑部巴の父親、で刑部本家の名代を務めている男性。平家の血を引く公達(きんだち)の末裔であり、島の住民からは慕われている。かつて巴と越智竜平との恋仲を、身分が違うという理由で引き裂いたことがあり、現在も竜平を快く思っていない。
刑部 巴 (おさかべ ともえ)
刑部大膳の一人娘で、刑部真帆と刑部片帆の母親。まるで人形のように美しく、どこか浮世離れした女性。そのため、周囲からは「巴御寮人」と呼ばれている。かつて越智竜平と激しい恋に落ち、駆け落ちまでした。しかし、連れ戻されたあとに竜平と別れさせられたうえで、刑部守衛と結婚させられた。
刑部 守衛 (おさかべ もりえ)
刑部巴の夫で、刑部家には婿養子として入った。禿げ上がった髪に、もみあげを長く伸ばした恰幅のいい男性。刑部島で行われる祭りで、神事を執り行う神主を務めている。祭りの最中、何者かに心臓を矢で刺されて殺害された。
刑部 真帆 (おさかべ まほ)
刑部巴と刑部守衛の間に産まれた双子の娘。巴に似た器量良しで、おとなしく素直な女性。刑部島で年に一度行われる祭りで、母親と共に巫女として神事を行う。刑部片帆が亡くなり、憔悴した巴を献身的に看病していた。
刑部 片帆 (おさかべ かたほ)
刑部巴と刑部守衛のあいだに産まれた双子の娘。巴に似た器量よしだが、気の強い面があり、刑部島を出たがっている。年に一度行われる祭りの時にやって来る神楽兄弟の勇と逢瀬を重ねていたが、祭りの前に行方不明となり、のちに無残な姿で発見される。
吉太郎 (きちたろう)
越智竜平のいとこの男性。刑部巴を陰ながら支えている。襟足ともみあげを長く伸ばし、大柄で屈強な、厳つい風貌をしている。口数が少なく、巴を「巴様」や「御寮人」と呼んで心酔している。猟銃の腕前はかなりのもの。
荒木 定吉 (あらき さだきち)
薬の行商をしている青年。行商をしながら父親を探している。父親も自身と同じように、農業の合間をぬって瀬戸内海の島々で薬を売っていたが、9年前に行方不明になった。得意先を記した帳面に刑部本家の名があったため、情報を求めて島までやって来た。
神楽兄弟 (かぐらきょうだい)
神楽一座に所属する青年の兄弟。刑部神社で毎年開催されている祭りで、お神楽の奉納をしている。下の名は誠と勇。勇は毎年祭りで島を訪れる際、密かに刑部片帆と逢引きをしていたが、本当の目的は、15年前に行方不明になった太夫の父親の情報を得ることであった。
浅井 はる (あさい はる)
もぐりの産婆や口寄せをしていた老女。岡山県倉敷市下津井にある自宅で、何者かに殺害された。亡くなる直前に、とある犯罪をネタにある人物を恐喝し、数十年にわたり大金をせしめていたことを磯川常次郎に告白し、命が惜しいと、助けを求める手紙を出していた。
場所
刑部島 (おさかべじま)
本作の舞台となる、瀬戸内海に浮かぶ島の名称。一見すると風光明媚な群島だが、コンビナートからの排水によって海は汚れ、基幹産業の漁業が立ち行かなくなっており、過疎化の一途をたどっている。島の網元の跡取りだった越智竜平が土地の大半を買い占めており、島ごと観光地化する計画を立てている。
その他キーワード
刑部家 (おさかべけ)
刑部島で代々刑部神社の神主を務めている一族の名称。島に流れ着いた平家の落人の血を継いだ娘が、初代刑部神社の神主となったあと、その命脈を受け継いできた平家の末裔。網元である越智家と共に、島の二大勢力といわれていた。現在は刑部大膳が本家の名代を務めている。