続・武田信玄 武田勝頼

続・武田信玄 武田勝頼

新田次郎の同名小説のコミカライズ作品。原作者を同一とする、横山光輝の『武田信玄』の続編にあたる。戦国武将・武田勝頼の家督継承から、設楽ヶ原の戦い(長篠の戦い)の敗戦を経て武田家滅亡に至るまでを描く戦国大河ロマン。勝頼を「家を滅ぼした凡庸な武将」としてではなく、「十分な器量を持ちながら運に恵まれなかった悲劇の名将」と解釈して描いている。

正式名称
続・武田信玄 武田勝頼
ふりがな
ぞく たけだしんげん たけだかつより
原作者
新田 次郎
作者
ジャンル
その他歴史・時代
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あらすじ

若虎の巻(第1巻)

天正元年(1573年)、甲斐の戦国大名・武田信玄は「自分の死を3年間隠すように」と遺言してこの世を去った。信玄の息子の武田勝頼が家督を継ぎ、信玄の死が隠されているあいだに地位を固めようとする。しかし、穴山信君などの御親類衆は若い勝頼を軽んじ、勝頼の側近との間に亀裂を生み始める。この頃には、武田家と領国を接する徳川家の切り崩し工作も始まった。その結果、山家三方衆の一人、奥平貞能とその息子・奥平貞昌が徳川家になびいてしまう。

満ち潮の巻(第2巻)

天下統一を狙う織田信長の台頭は著しく、武田家の同盟国である浅井・朝倉も滅ぼされた。分裂していた武田家臣団も危機感を持ち、武田勝頼を正式に当主として仰ぐ事になった。勝頼の実力を図ろうと出兵した信長の軍勢も、真田昌幸の活躍で撃退に成功する。この敗退により、信長は勝頼との決戦を避け、別の強敵である長島一向宗を先に討伐する事にした。勝頼は、長島救援のために武田水軍を送ろうとするが、御親類衆の抵抗にあう。結局、援軍が遅れた事によって長島一向宗は滅ぼされ、勝頼は味方を見殺しにする形になった。

長篠の巻(第3巻)

天正2年(1574年)頃から、武田勝頼徳川家康は遠州で小競り合いを繰り返すようになった。合戦で家康を叩こうとする勝頼に対して、かつて武田軍に大敗した事のある家康は慎重に行動し、勝頼の挑発にも乗らない。梅雨の時期、勝頼は徳川方の長篠城の攻撃を始める。家康の救援に駆けつけた織田信長は、準備した大量の鉄砲で武田家と決戦するため策を練る。同時期、織田の家臣である佐久間信盛が、武田家に寝返りたいと密かに申し出てきた。勝頼は、これは信長の謀略ではないかと疑うが、確証が持てない。織田軍の鉄砲は雨だと役に立たないため、天候面も含めての駆け引きが続けられた。

硝煙の巻(第4巻)

決戦前の佐久間信盛の寝返りに対して、参謀の真田昌幸曾根内匠は疑いの目を向けるが、決戦にこだわる武田勝頼は彼らの意見を退け、設楽ヶ原に布陣した織田信長徳川家康の連合軍と激突した。しかし、御親類衆筆頭の穴山信君は、総大将の勝頼の指示に従わなかった。足並みの乱れた武田軍は惨敗し、山県昌景馬場信春といった名将を失う。設楽ヶ原の戦いのあと、老臣の高坂弾正は、勝頼に軍団の再編成を行って再起を図る事を進言する。その改革も、勝頼が御親類衆に遠慮したため不首尾に終わる。さらに、国境にある岩村城と二俣城が織田・徳川軍に落城させられてしまう。

滅亡の道の巻(第5巻)

武田家の隣国・越後の大名である上杉謙信が世を去り、上杉家では家督争いが発生した。武田勝頼はこれに介入するか否かの対応を迫られるが、この最中に同盟国である北条家が離反してしまう。この頃には、たび重なる戦によって武田家の財政も苦しくなっていた。穴山信君(梅雪)は、徳川家康の調略により、密かに武田家を裏切る事を決意する。梅雪は裏切る前に、策をめぐらせて同じ武田家重臣の木曾義昌も離反するように仕向けた。相次ぐ重臣の裏切りに、武田軍は雪崩を打ったように敗走。織田信長の軍勢に追い詰められた勝頼は、天目山において討ち死にし、ここに武田家は滅亡した。

登場人物・キャラクター

武田 勝頼 (たけだ かつより)

甲斐の戦国大名・武田信玄の息子。父親の死によって家督を継承したが、年が若いため穴山信君などの御親類衆を心服させる事ができず苦悩する。信玄の後継者として高い誇りを持ち、同盟国の救援要請に応えようとする義理堅さもある。ライバルでもある織田信長は、「武勇を好むが思慮分別もある」と評価している。跡部勝資のような腹心の部下はいるものの、御親類衆が足かせとなって思うような軍事行動ができず、信長の台頭もあって次第に焦りを募らせる。 御親類衆には敬意や恩義を感じているため、冷酷に処断する事もできず、武田家は滅亡に向かって傾いていく。実在の人物、武田勝頼がモデル。

穴山 信君 (あなやま のぶきみ)

武田家の重臣で、御親類衆の重鎮。武田信玄の妹の子で、妻は武田勝頼の姉。あばた面が特徴の男性。武田一族と血縁関係が近いため、信玄の死後は家中最大の実力者となった。鉄砲の攻撃を見据えた築城方法を導入するなど、新しいものに目を向ける有能さを持つ。一方で、若くに当主となった勝頼を軽んじる態度が目立ちはじめ、武田家中に諍いをもたらす。 物語の後半では「梅雪」と名乗る。実在の人物、穴山信君がモデル。

跡部 勝資 (あとべ かつすけ)

武田家の重臣。白髪まじりの中年男性で、武田勝頼の側近。家督を継承したばかりの勝頼に対して、重臣たちが心服するようになるまで辛抱するように諫めた。一方で、穴山信君など勝頼を蔑ろにする重臣に対して、主導権を渡さないように立ち回りをする。実在の人物、跡部勝資がモデル。

長坂 釣閑斎 (ながさか ちょうかんさい)

武田勝頼お気に入りの側近の男性。口の達者な人物で、跡部勝資の推薦で勝頼側近となった。古くからの重臣である穴山信君が、勝頼に対して非礼な言葉を使った事を非難した。信君がそれに対して怒ったため、両者は険悪な雰囲気となり、武田家中の内紛のきっかけとなった。その後も、歯に衣着せぬ物言いでほかの家臣から嫌悪される。 実在の人物、長坂釣閑斎がモデル。

お阿和 (おあわ)

武田家の家臣の娘。家督を継いだばかりの武田勝頼がお忍びで外出した時、偶然に出会う。勝頼の亡くなった夫人に似ていたため、勝頼に恋心を抱かれるようになった。しかし、彼女は三河の小豪族である奥平貞昌の許嫁であったため、勝頼はその縁談を取り消させようとする。その事が、奥平家が武田家から離反するきっかけとなった。

奥平 貞勝 (おくだいら さだかつ)

三河の小豪族。奥平貞能の父親で、奥平貞昌の祖父。すでに高齢で隠居の身ではあるが、かなりの切れ者。お阿和を見初めた武田勝頼は、長坂釣閑斎を奥平家への使者として派遣し、「武田家の娘を貞昌に嫁がせる代わりに、お阿和を勝頼に譲れ」と要求してきた。この要求に対し、「武田家と奥平家ほどの力の差があれば、お阿和を一方的に奪う事もできる。 条件をつけて下手に出るのは、武田家の内部統制がぐらついているからだ」と喝破。息子らを徳川家へ離反させる事を決めた。実在の人物、奥平貞勝がモデル。

奥平 貞能 (おくだいら さだよし)

三河の小豪族の中年男性。奥平貞勝の息子で、奥平貞昌の父親。武田勝頼から派遣された使者の長坂釣閑斎から、「貞昌とお阿和の縁談を破棄せよ。代わりに武田家の娘を貞昌に嫁がせる」という要求を受けた。この事を父親の貞勝に相談した結果、密かに徳川家に通じる事になる。武田家からは疑いの目を向けられたが、冷静に離反の計画を実行に移す。 実在の人物、奥平貞能がモデル。

奥平 貞昌 (おくだいら さだまさ)

三河の小豪族の青年。奥平貞勝の孫で、奥平貞能の息子。お阿和を嫁に迎える縁談が決まっていたが、武田勝頼がお阿和を見初めたため、縁談を取り消すように要求を受ける。当初は激しく抵抗していたが、祖父の貞勝の説得を受け、要求を受け入れた。一方で、祖父の勧めに従い、父親の貞能と共に徳川家への離反の計画を進める。 徳川家に従ったあと、武田家に対する最前線である長篠城の守備を命じられた。実在の人物、奥平貞昌がモデル。

徳川 家康 (とくがわ いえやす)

三河の戦国大名で、壮年の男性。武田家と領地を接しているため、作中では武田勝頼の主要な敵対者となる。武田信玄の死は秘匿されていたが、武田軍の様子から信玄の死を直感し、あらゆる手段で探りを入れる。自領の高天神城が勝頼に攻撃された際は、同盟者である織田信長に救援を要請する。しかし、勝頼との決戦を避ける信長は理由をつけて援軍を出し渋ったため、高天神城は陥落。 信長に不信を抱くが、領土が小さいため強く抗議もできず、苦悩を募らせる。実在の人物、徳川家康がモデル。

山県 昌景 (やまがた まさかげ)

武田家の家臣で、若い男性。新しく当主となった武田勝頼に対しても、強い忠誠心を持つ。勝頼が当主となってから、家中が分裂し始めているのに危機感を覚え、勝頼が家臣団をまとめる強い指導者になる事に期待している。設楽ヶ原の戦いで奮戦し、織田軍を苦しめるが、前田利家の鉄砲隊の攻撃を受け、壮絶な戦死を遂げる。実在の人物、山県昌景がモデル。

武田 逍遥軒 (たけだ しょうようけん)

武田信玄の弟。信玄と風貌が似ているため、その死の直後には影武者となった。織田信長が浅井・朝倉家を滅ぼしたという知らせを受けての軍議では、「家中をまとめるため、武田勝頼を正式に当主とすべきだ」と意見を述べる。風貌だけでなく声まで信玄に似ていたため、信玄に心服していた家臣たちを説得するのに無意識のうちに効果を発揮し、ついに勝頼の正式相続を認めさせた。 実在の人物、武田逍遥軒がモデル。

織田 信長 (おだ のぶなが)

尾張を拠点とする戦国大名で、壮年の男性。武田勝頼の能力を評価しており、若さゆえの勢いを警戒している。出方を探るために武田家の領地に出陣したが、真田昌幸らの活躍によって敗退。以後、勝頼との決戦には慎重になり、確実に勝てるように準備を整える。徳川方の長篠城が勝頼に攻められた時、援軍を率いて駆けつける。大量の鉄砲による決戦に持ち込むため、周到な謀略を用いて武田軍を誘い出し、設楽ヶ原の戦いで打ち破った。 実在の人物、織田信長がモデル。

真田 昌幸 (さなだ まさゆき)

武田勝頼の家臣で、若い男性。知略に優れており、武田領に侵入した織田信長や徳川家康の軍を撃退した。信長を「異常な人間」と評して警戒する。長篠の戦いの前、織田方の佐久間信盛が寝返りを申し出るが、信長の謀略であり、信じてはならないと勝頼に進言した。しかし、その意見が理屈ではなく直感である事を勝頼に指摘され、意見を押し通す事ができなかった。 実在の人物、真田昌幸がモデル。

顕証寺 法栄 (けんしょうじ ほうえい)

長島一向宗の僧侶。顕証寺法真という僧侶の息子で、10歳の少年。武田家と長島一向宗は同盟関係であるため、武田家の娘との政略結婚も予定されている。長島が織田信長の攻撃を受けた時、救援要請の使者として武田勝頼のもとに向かう。子供とは思えない立派な態度で、けなげに救援を乞う姿は周囲の胸を打った。

佐久間 信盛 (さくま のぶもり)

織田信長の家臣で、壮年の男性。長篠城が武田勝頼に攻撃された時、援軍を求める徳川家の使者に応対する。設楽ヶ原の合戦の前、軍議において信長に叱責を受け、屈辱と感じたために武田家に内通を申し出る。しかし、これは勝頼を油断させ、戦場におびき寄せる謀略だった。実在の人物、佐久間信盛がモデル。

曾根 内匠 (そね たくみ)

武田勝頼の家臣で、若い男性。真田昌幸と並び、武田信玄からも期待をかけられた新進気鋭の参謀。冷静沈着に意見を述べるため、勝頼の信頼を受ける。設楽ヶ原の戦いの前には、寝返りを申し出てきた織田軍の佐久間信盛に対して、謀略ではないかと疑いの目を向ける。実在の人物、曾根内匠がモデル。

鳥居 強右衛門 (とりい すねえもん)

徳川軍の配下で、長篠城を守備していた兵士。若い男性で、泳ぎを得意としている。長篠城が武田勝頼の軍勢に包囲された時、味方に援軍を求めるための使者となった。夜陰に紛れ、敵軍に見つからないよう城の前の川を泳いで渡り、徳川家康の居城に向かう。無事に援軍の約束を取り付けたあとは、仲間の城兵を安心させるために城の近くまで戻るが、ここで武田軍に見つかり捕らえられてしまう。 実在の人物、鳥居強右衛門がモデル。

作左衛門 (さくざえもん)

長篠城の近くに住む、年老いた農民の男性。幼い頃から天文を読むのが得意で、翌日の天気くらいならば当てられると近隣で評判になっている。鉄砲は雨だと使えないため、梅雨が明けないうちは織田軍の鉄砲隊は役立たない。そこで、天候が勝負の鍵になるとみなした武田勝頼に毎日召し出され、天候の予想をする事となる。

馬場 信春 (ばば のぶはる)

武田勝頼の家臣で、壮年の男性。先代の武田信玄の頃から仕える、忠義に厚い武将。設楽ヶ原の戦いでは、真っ先に織田信長と徳川家康の連合軍の陣に斬り込んだ。しかし、馬場信春の奮戦も虚しく武田軍は敗走する事となった。この時、勝頼が退却するにあたって、主君を無事に逃がすため殿(しんがり、最後尾の部隊)を引き受け、配下が全滅するまで激闘して、壮絶な戦死を遂げる。 実在の人物、馬場信春がモデル。

高坂 弾正 (こうさか だんじょう)

武田勝頼の家臣で、白髪頭の老年の男性。先代の武田信玄からの信頼が厚く、上杉家との国境である海津城を守備している。設楽ヶ原の戦いで武田家が惨敗を喫したあと、勝頼のもとに駆けつける。設楽ヶ原の敗因は、御親類衆の軍規違反であるとして、穴山信君らの切腹や武田軍団の再編成を進言するも、受け入れられなかった。 実在の人物、高坂弾正がモデル。

木曾 義昌 (きそ よしまさ)

武田勝頼の家臣で、壮年の男性。設楽ヶ原の戦いのあと、織田軍に攻撃された岩村城救援を命じられる。しかし、自らも国境を守る任務があるため、山村三郎左右衛門を勝頼のもとに派遣して出陣を固辞する。さらに、密かに徳川方に通じた穴山信君(梅雪)の陰謀にかかる。梅雪は新しい城を造る事を勝頼に進言し、大きな負担を木曾家に押しつけたのである。 これがきっかけで、木曾家は武田家から離反する。実在の人物、木曾義昌がモデル。

山村 三郎左右衛門 (やまむら さぶろうざえもん)

木曾義昌の家臣で、壮年の男性。武田勝頼が、義昌に岩村城救援を命じた時、木曾家の負担の大きさを理由に出陣に反対した。さらに出陣を免除してもらうため、勝頼の居城に赴く。勝頼に気に入られるため、自分の妹を側室として献上しようとするが、意に反して長坂釣閑斎の妻にされてしまう。これがきっかけで、武田家に対して強い不信感を抱く。 実在の人物、山村良利がモデル。

島津 月下斎 (しまづ げっかさい)

越後の戦国大名である上杉景勝の家臣で、老年の男性。上杉謙信の死後、上杉家では二人の養子(景勝と上杉景虎)のあいだで後継者争いが発生。島津月下斎は、景勝の家臣として武田勝頼のもとに密かに派遣され、越後の問題に介入しない事を要請した。見返りとして領土の割譲を持ちかけ、手土産に大量の金を置いていった。 実在の人物、島津忠直がモデル。

集団・組織

山家三方衆 (やまがさんぽうしゅう)

武田家と徳川家の領国の境界である三河に所領を持つ、菅沼定忠、菅沼正貞、奥平貞昌の三人の豪族。武田信玄の生前は武田氏に従っていたが、信玄の死後、徳川氏による切り崩し工作を受け始めるようになった。これにより、奥平貞昌が離反する事となり、武田家にとって大きな誤算となった。

御親類衆 (ごしんるいしゅう)

武田家の家臣の一派で、武田信玄や武田勝頼の血縁者たち。当主の血縁者であるため発言力が強いが、信玄の死後は力を持ちすぎ、勝頼の主導権を阻害するようになる。穴山信君や武田逍遥軒、武田信豊などがその代表格。

クレジット

原作

新田 次郎

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