風雲児 黒田官兵衛 蛟竜

風雲児 黒田官兵衛 蛟竜

英雄、豪傑でありがらも時運に恵まれず埋もれてしまう人を喩えて「蛟竜」と呼ぶ。まさしくそれに当てはまる存在として、実在の人物である黒田官兵衛をモデルに、その活躍を描いた歴史漫画。「ボーイズライフ」1965年4月号から1966年2月号にかけて掲載された作品。

正式名称
風雲児 黒田官兵衛 蛟竜
ふりがな
ふううんじ くろだかんべえ こうりょう
作者
ジャンル
その他歴史・時代
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概要・あらすじ

黒田官兵衛は、戦国の世の最も熾烈な争いが起きた天正年間(1573年から1591年)に活躍した武将。官兵衛は播磨の国(今の兵庫県)の御着城城主である小寺政職に取り立てられ、家老となった。官兵衛は当時中国地方を支配していた「毛利家」に味方するか、新たに興り領土を勝ち取り続ける「織田家」に味方するかの決断を迫られていた主君に、織田方に味方することを進言する。

織田方との交渉のために自ら岐阜に向った官兵衛は、羽柴秀吉竹中半兵衛重治に首尾よく目通りも叶い、吉報を携え主君のもとへと帰還する。だが織田方に付いたことで、播磨の国の大名の中で未だに三分の二を占める毛利派との絶え間ないいさかいを招くこととなった。主家のためにと織田方と和睦を結び、かたや自国の毛利方への謀反を防ぐため奔走する官兵衛は、内外に敵を持つ複雑な立場の舵取りを余儀なくされる。

登場人物・キャラクター

黒田 官兵衛 (くろだ かんべえ)

播磨領主の小寺政職に使える家老で、まだ年の若い男性。先を見据えて、今の一大勢力である毛利家よりも、勢いのある新興の織田家に味方すべきと主君を説得する。先見の明があって頭の切れる、武勇にも優れた傑物。地元の農民からの信頼も厚く、臣下の母里太兵衛や栗山善助らからも慕われている。実在した人物、黒田官兵衛がモデル。

黒田 宗円 (くろだ そうえん)

播磨の国の城の1つ姫路城の城主で、黒田官兵衛の父親。井口与治右衛門が黒田宗円のもとで下働きをしていた頃は目薬を作る浪人生活をしていた。進軍の手始めに姫路城を落とそうとした毛利軍3000人を、寡兵で押し返した戦上手。実在した人物、黒田職隆がモデル。

黒田 長政 (くろだ ながまさ)

黒田官兵衛の息子で、幼少の頃の名前は「松千代」。素直でおおらかな性格の男子。天正5年(1577年)9月に、主君の息子である小寺氏職の代わりに織田信長のもとへ人質として送られた。官兵衛自身は父子の仲も良く、黒田長政に愛情を注いで育んでいたので心から別れを惜しみつつ送り出した。実在した人物、黒田長政がモデル。

母里 太兵衛 (もうり たへえ)

黒田官兵衛の腹臣。官兵衛の人柄を敬愛しており、忠誠心の厚い若い武将。官兵衛の仕える小寺政職の家老たちは中国地方の雄である毛利家に付くことを望む一派が過半数を占め、織田信長に加担することに反対する者が後を絶たない。そんな苦境にあっても、官兵衛の手足となり「毛利派の武将の謀反は刺し違えてでも止める」と凄んで見せる勇ましい性格。 実在した人物、母里太兵衛がモデル。

栗山 善助 (くりやま ぜんすけ)

黒田官兵衛の腹臣。忠誠心の厚い、黒目がちのくっきりした顔だちの若い武将。官兵衛の仕える小寺政職の家老たちは中国地方の雄「毛利家」に付くことを望む一派が過半数を占め、官兵衛の主張する織田信長に加担することに異を唱えるものが後を絶たない。そんな苦境にあっても、官兵衛の手足となって戦場では先陣を切って武働きをする勇ましさを備えた猛将。 実在した人物、栗山善助がモデル。

井口 与治右衛門 (いぐち よじえもん)

初老の薬屋の店主。かつて黒田官兵衛の父親である黒田宗円に仕えていた。官兵衛が仕える小寺政職の家老たちは中国地方の雄「毛利家」に付くことを主張する者が多いため、最初に織田信長に加担することを伝える使者となった官兵衛の旅路は危険なものになることが予想されていたが、そんな彼の道程を助けた。実在した人物、井口与治右衛門がモデル。

衣笠 久左衛門 (きぬがさ きゅうざえもん)

黒田官兵衛の臣下の武士。織田信長との交渉のために岐阜へ向かう官兵衛に随行し護衛を務めた。織田家の中で影響力の強い人物をすらすらと口にするなど、時勢に対する知識も豊富。羽柴秀吉に直訴状を命がけで差し出した、肝の据わった人物。実在した人物、衣笠久左衛門がモデル。

小寺 政職 (こでら まさもと)

黒田官兵衛の主君で、ひげを蓄えた壮年の男性。播州は御着城の城主。大国を治め領地を接する毛利家に付くか、勢力を拡大しつつある織田信長に付くか常に迷っている。官兵衛の主張を受け入れつつも、毛利派と織田派に分かれた家老たちの対立を制し切れない優柔不断な人物。実在した人物、小寺政職がモデル。

小寺 氏職 (こでら うじもと)

黒田官兵衛の主君である、小寺政職の息子。病弱で、さらに小寺家の家臣が総じて「おろか」と評する人物。そのため、織田信長が小寺家に忠誠の証として人質を要求した際に、小寺氏職の代わりに官兵衛の息子である黒田長政が差し出されることとなった。実在した人物、小寺氏職がモデル。

織田 信長 (おだ のぶなが)

羽柴秀吉が仕える、戦国時代の有力な壮年の武将。織田信長に付くと表明した黒田官兵衛の属する小寺政職の勢力が毛利派に攻められ、孤立しつつある時も援軍を差し向けるのには慎重だった。秀吉を重用しており、播州に出兵した際は秀吉を総指揮官に任命した。実在した人物、織田信長がモデル。

羽柴 秀吉 (はしば ひでよし)

織田信長に仕える、戦国時代に名を馳せた壮年の武将。黒田官兵衛の名前は、官兵衛が主君である小寺政職の使者として岐阜を訪れる以前から聞き及んでいた。官兵衛に対し「頭の切れる人物とうかがっている」と、初対面から気さくで好意的に接し、いきなり当時すでに高名だった竹中半兵衛重治と引き合わせ、官兵衛の度肝を抜いた。 気取らず、人の心を掴むのが上手い人物。実在した人物、羽柴秀吉がモデル。

竹中半兵衛重治 (たけなかはんべえしげはる)

美濃岩村の菩提寺の城主の子。もとは美濃の斉藤家に仕えた家老だったが、羽柴秀吉が才に惚れこみ軍師に迎えた。日本中に名の知れた、知略に優れた将であり、黒田官兵衛にも日本一の軍師だと評されている。官兵衛と2人で秀吉を支え、互いの名から「二人兵衛」と呼ばれた。小寺政職の息子を人質に望んだ織田信長に、官兵衛が自身の息子である黒田長政を差し出した際、長政は半兵衛に預けられた。 厳しい人質生活の長政を庇い、守り育てた竹中家と黒田家は後々まで懇意となった。実在した人物、竹中半兵衛がモデル。

別所 長治 (べっしょ ながはる)

北播磨に一大勢力を持つ、毛利派の武将。三木城の城主。織田信長に付いた小寺政職を打ち滅ぼそうと挙兵したが、姫路城を攻めた毛利水軍との南北両方向からの連携作戦を黒田官兵衛に見破られ、兵数で勝るにもかかわらず敗北した。実在した人物、別所長治がモデル。

別所 賀相 (べっしょ よしすけ)

北播磨に一大勢力を持つ、三木城の家臣。一時は黒田官兵衛の説得に応じ織田信長に加担したが、行軍大将の羽柴秀吉と意見を違え、もともと仕えていた「毛利家」に寝返った。それをきっかけに周囲の武将も信長から次々に離反していくこととなった。実在した人物、別所賀相がモデル。

場所

御着城 (ごちゃくじょう)

小寺政職が治める城。抱える兵は1000にも満たない小城で、毛利軍が3000の兵で攻めて来た際には重臣も総出で城の警備にあたっている。姫路城よりも内陸にあり、黒田官兵衛、黒田宗円は度重なる毛利水軍の侵攻を姫路城で食い止めるべく布陣していた。

姫路城 (ひめじじょう)

黒田官兵衛の父親である黒田宗円が治める城。毛利水軍の手勢3000の襲撃を受けて城下は一時火の海と化したが、領民たちが果敢に戦い毛利軍を押し返した。正平元年(1346年)、赤松則村の次男貞範が標高50メートルほどの姫山に砦レベルの城を築いたのが始まりと言われている。この時の呼び名は「姫山城」で、黒田官兵衛が羽柴秀吉の臣下になった際、官兵衛が秀吉にこの城を差し出した折に姫路城と名称が改められた。

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