概要・あらすじ
昭和18年、広島。第一中学の堀崎鉄と第二中学の村上万次郎はそれぞれの中学を代表するワルで、互いの学校の名誉と伝統を懸けてことあるごとに衝突していた。2人はともに甲種12期生として予科練に入隊し、茨城県土浦の海軍航空隊へとやって来る。だが、落ちこぼれの彼らが合格できたのは、軍部が採用人員を急激に増やしパイロットの粗製乱造を始めたからで、戦局はそれほどまでに悪化していた。
軍の規律やしきたりに反発しながらも2人は予科練を卒業し、万次郎は人間魚雷「回天」の搭乗員に志願。パイロットとなった鉄もまた特攻隊に配属される。
登場人物・キャラクター
堀崎 鉄 (ほりさき てつ)
広島の第一中学の番長。村上万次郎率いる第二中学との抗争に明け暮れていたが、カモメのように大空を飛ぶことを夢見て予科練に志願。甲種12期生として予科練のある茨城県土浦へとやって来る。曲がったことが嫌いな硬骨漢で、予科練では上官風を吹かせる班長が隊員を番号で呼ぶしきたりに反発。海軍名物の体罰「バッタ」を食らって懲罰房に放り込まれるなど数々の騒ぎを起こした。 予科練卒業後は特攻隊に配属されるが、特攻を援護する直援部隊に回されたため生きて終戦を迎える。しかし、母親と妹が待つ広島には帰らず、横浜でヤクザになって死に場所を求めるように、暴力団同士の抗争に身を投じていく。
村上 万次郎 (むらかみ まんじろう)
堀崎鉄率いる第一中学と抗争を繰り広げていた第二中学の番長で、通称「ジャコ万」。ヤクザの息子で叔父が村上組という暴力団の組長をしている。自身も背中に不動明王の刺青を彫っていたが、己の道を進むため、組の跡目を継いで欲しいという叔父の頼みを拒否。鉄に頼んで、熱した火かき棒で刺青に大きくバッテン印を入れ、ヤクザの世界と決別した。 鉄とともに予科練の過酷な訓練を耐え抜くが、大柄であるためパイロットには不向きであると自覚。ライバルの鉄が空を飛ぶのを下から見上げることに耐えられず、人間魚雷「回天」の操縦士に志願する。
芹沢 (せりざわ)
堀崎鉄や村上万次郎の予科練の先輩。花子という女郎と付き合っている。国粋主義者の父親や生家への反感から左翼思想に傾倒しており、予科練では「はみ出し者」扱いされている。天皇制や軍部に批判的で、敗戦に向かって突き進む日本に絶望。12期生入隊式での模範飛行の際、派手に墜落して死のうとするが、密かに同乗していた鉄に邪魔されて失敗した。 戦後は権力に一矢報いようと労働運動にのめり込み、横浜の日の出マーケットで組合を組織。横浜でヤクザとなっていた鉄と再会することになる。
新田 源三 (にった げんぞう)
暴力団「鬼頭組」の幹部で堀崎鉄の兄貴分。のし上がるためなら手段を選ばない非情な野心家で、同じ横浜を縄張りとする暴力団「矢野組」に抗争を仕掛け、テキ屋組織「松代組」と華僑連合の争いを利用して東京にも進出。「鬼頭組」を関東有数の暴力団に成長させた。また、GHQと気脈を通じており、与党代議士である小野田巌にも接近。 さらに強力な力を手にするが、彼のやり方を嫌う鉄と、やがて激しく対立することになる。実は朝鮮の貿易商の息子で本名は「除成元」というが、日本と朝鮮のどちらにも帰属意識はなく、アイデンティティーの欠落を埋めるかのように、ただひたすら権力を追い求めていく。
堀崎 幸子 (ほりさき さちこ)
堀崎鉄の妹。兄に似た明るく快活な少女だが、早熟で大人びた一面がある。戦中は軍需工場で防毒マスクを造る作業に従事していたが広島で被爆。額にひどい火傷を負ってしまう。戦後は市の民生委員となり、原爆の後遺症に苦しむ母親の面倒を見ながら故郷で兄の帰りを待つが、自身もまた放射能に蝕まれつつある。
朱美 (あけみ)
普通の女学生だったが新田源三に騙されてGHQの将校に売られ、暴力団「鬼頭組」のもとで米兵に身体を売る「オンリー」になった。その後、自分が将校に売られた時に新田のそばにいた堀崎鉄に再会。彼のことを恨んでいたがやがて愛するようになり、新田と対立して激しい拷問を受ける鉄の救出を芹沢に依頼する。
カスリック・ロック (かすりっくろっく)
カストリ(密造焼酎のこと)の売人をしている、関西弁を話す少年。暴力団「鬼頭組」の組員と争っていたところを堀崎鉄に助けられ、彼を親分として慕うようになった。上野に仲間たちとカストリ工場を構えているが、「鬼頭組」の縄張りである新橋でカストリを売りさばき、荒稼ぎしたことから、「鬼頭組」に狙われることになる。
ゴン助
堀崎鉄と同じ広島の第一中学に通う出っ歯の少年。鉄とは親分子分の関係で、第二中学との抗争の時には新型のメリケンサックを自作して鉄に贈った。出征はせず内地で終戦を迎え、戦後は身重の妻と幸せに暮らしていたが、広島に潜伏していた鉄と再会。鉄が警察に追われていることを知って動揺するが、それでも彼を匿おうとする。
二階堂 (にかいどう)
予科練の分隊長で階級は大尉。優秀なパイロットだったが、グラマンの機銃を受けて右眼を喪失したため内地勤務となった。特攻を目的としたパイロットの育成や、「回天」などの特攻兵器の開発に反発を覚えている。のちに堀崎鉄が配属された特攻部隊の隊長として松山に赴任。特攻機の護衛を任務とする直援隊に鉄たちを任命する。
花子 (はなこ)
土浦の女郎で、自らの思想を熱く語る芹沢に惹かれて彼の情人となった。時代に絶望してかつての輝きを失ってしまった芹沢が死を選ぼうとしていることを悟り、自身の愛を証明するため彼の目の前で入水自殺を図るが、堀崎鉄に助けられて一命を取り留める。その後も芹沢を慕い続け、彼を探すためにやって来た呉で、回天部隊所属となった村上万次郎に出会うことになる。
有河 (ありかわ)
堀崎鉄と同じ広島の第一中学に通う学生。日本の勝利を盲目的に信じる過激な軍国少年で、母校の名誉を賭けた第一中学と第二中学の争いをよそに、モーターボートに爆薬を積んだ特攻艇を自作。敵の艦艇に見立てた沖の岩をその特攻艇で爆破し、鉄たちを驚かせる。
岸田 一郎 (きしだ いちろう)
堀崎家の遠縁にあたる男性。堀崎鉄、堀崎幸子の兄妹と海に遊びに行った時、いつも「幸っちゃん」と呼んでいる幸子を呼び捨てにして、彼女の心をざわつかせた。東京の大学を卒業して新聞記者になるが、共産党員であるという噂が広がったため村八分の扱いを受けており、弟がアッツ島で戦死したにも関わらず、なおも周囲から白眼視され続けている。
船場 登 (ふなば のぼる)
堀崎鉄や村上万次郎と同期の予科練甲種12期生。食い意地の張った陽気な男性で同期のムードメーカー的存在だったが、練習飛行中に墜落死してしまう。芋を頬張ったまま死んでいたため操縦ミスによる墜落と思われたが、実は上官の松崎が燃料に砂糖を混ぜたことによるエンジンの故障が原因だった。
野田 (のだ)
堀崎鉄や村上万次郎と同期の予科練甲種12期生。各県それぞれに割り当てられた予科練への志願数を満たすため、県の役人によって無理矢理入隊させられたという経緯を持つ。秋田の山育ちのため泳ぐことができず、水練の際に班長の権藤によって強制的に海に放り込まれ、そのまま溺れ死んでしまう。
村井 (むらい)
堀崎鉄や村上万次郎と同期の予科練甲種12期生。与えられた作業を黙々とこなすだけの鈍重で無口な少年のため、同期生たちから白い目で見られている。仲間たちの規則違反を権藤に報告したことからスパイとして制裁を受けるが、本人は上官から聞かれたから答えたまでで悪気があってのことではなかった。
佐加井 (さかい)
堀崎鉄や村上万次郎と同期の予科練甲種12期生。兄は撃墜王と謳われた天才的なパイロットで、自身も兄のようなゼロ戦乗りになることを夢見ていた。だが、適性検査の結果、通信を主な任務とする偵察課に配属となり絶望する。
松田 (まつだ)
堀崎鉄や村上万次郎と同期の予科練甲種12期生。鉄とともに内地で終戦を迎えるが敗戦を受け入れることができず、鉄を誘って上官から武器と食糧を奪い、他の予科練生き残り組と筑波山の桜花基地に立てこもろうとした。戦後はテキ屋「松代組」の組員となり、新橋戦争のさなか、鉄と再会することになる。
権藤 (ごんどう)
堀崎鉄や村上万次郎らが所属する予科練甲種12期生第四分隊第九班の班長。予科練生たちには尊大で、すぐに暴力を振るうが、上官にはこびへつらっていることから鉄の反感を買う。何かと反抗する鉄に堂島を使って過酷な制裁を加える。
堂島 (どうじま)
土浦海軍航空隊所属の二等兵曹。ガダルカナルの陸戦でアメリカ海兵隊員を18人も殴り殺したという武勇伝を持つが、頭部に銃弾を受けた影響で前線と銃後の見境がつかなくなり、上官に命じられるまま体罰を振るうことしかできない人間になった。権藤の命令で堀崎鉄に「バッタ」と呼ばれる猛烈な体罰をお見舞いし、彼の恨みを買う。
黒木 (くろき)
芹沢と同期の予科練甲種11期生の1人。インテリ気質の芹沢のことを快く思っておらず、12期生の入隊式で模範飛行を行う機体に細工をしたうえで、パイロットに母親の葬儀から帰営したばかりの芹沢を推薦。上官や後輩たちの目の前で彼を墜落させようと企む。
仁木 (にぎ)
大津島基地所属の海軍中尉。人間魚雷「回天」の生みの親の1人で、搭乗者になるべく大津島基地にやってきた村上万次郎らに「回天」が脱出不能の特攻兵器であることを告げた。鬼のように厳しい人物だが、「回天」を生み出したことや訓練で多くの死者を出していることに忸怩たる思いを抱いている。
松崎 (まつざき)
海軍飛行練習部所属のベテランパイロットで階級は少尉。基地の練習機で前線である沖縄に来るよう命令を受けるが、臆病風に吹かれたため燃料に砂糖を混ぜて機体を故障させることで命令を回避しようと画策。船場登が墜落死する原因となり、堀場鉄を激怒させる。
桂木 (かつらぎ)
回天部隊に所属している村上万次郎の同僚。血の気の多い陽気な熱血漢だが、帰郷時にB29による空襲で焼け野原と化した故郷の東京を目撃。何を護るために死ぬのか分からなくなり、絶望的な思いを抱えたまま人間魚雷「回天」で敵艦に突撃する。
鬼頭 (きとう)
横浜を地盤とする暴力団「鬼頭組」の組長。腹心の新田源三を通じて米軍爆薬貯蔵庫の建設地が横浜であることを察知。工事に関する利権を握るため、暴力団「矢野組」の縄張りである横浜の日の出マーケットを奪おうと目論む。さらに、新橋をめぐるテキ屋組織「松代組」と華僑連合の抗争に介入し、東京にも勢力を拡大していく。 切れ者の新田を重用しているが、内心では朝鮮人である彼のことを嫌悪している。
熊野 安 (くまの やす)
暴力団「鬼頭組」の組員で新田源三の配下の1人。吃音のあるただのチンピラだったが、「鬼頭組」の勢力拡大に伴って出世。新田子飼いの幹部として、自身の組を構えるまでになった。新田の命令を受けてカスリック・ロックのカストリ(密造焼酎)工場を襲撃したことから、ロックと行動をともにしていた堀崎鉄に両足を撃ち抜かれる。
ゴン
暴力団「鬼頭組」の組員。堀崎鉄の弟分で、新橋戦争に参加した際に片眼に銃弾を受ける重傷を負った。鉄が新田源三と対立した時、新田に脅されて鉄への拷問に加わるなど気の小さい臆病者だが、「鬼頭組」の勢力拡大に伴って出世。「鬼頭組」の重鎮である藤堂正治が率いる「藤堂組」の幹部になる。
サブ
暴力団「鬼頭組」のチンピラで堀崎鉄の弟分。鉄のことを慕っている純朴な青年だが、新田源三に若衆頭の地位をチラつかされ、迷いながらも鉄砲玉になることを承知。鬼頭や新田の主導する東京進出に反対の立場を取る、「鬼頭組」幹部の興津の命を狙う。
ドス辰 (どすたつ)
暴力団「矢野組」の幹部。和服に黒マスクという異様な出で立ちで、いつも持ち歩いている杖にドスを仕込んでいる。堀崎鉄が中心となって起こした騒動がもとで、横浜西口の食堂街を暴力団「鬼頭組」に奪われたことから、鉄に報復するべく彼の後を追う。
ナミ江 (なみえ)
新田源三の愛人で、新橋でホステスをしている。新田のことを深く愛していて彼との結婚を夢見ている。新田の出自も承知していて、「日本人だと思っている」と彼に再三告げるが、それが無意識の差別であるということに気づかず、新田の怒りを買うことになる。
小野田 巌 (おのだ いわお)
与党自由党の代議士。戦中は関東軍特務機関の大佐で満州鉄道の技術顧問として大陸で鉄道謀略機関「ZERO機関」を組織。極東軍事裁判の被告となるはずだったが、アメリカが鉄道網整備を任せるために戦犯から外されたという経歴を持つ。新田源三を通じてGHQと組み、さまざまな裏工作を行っているが、朝鮮人である新田のことを内心では快く思っていない。
松代 泰子 (まつしろ やすこ)
テキ屋組織「松代組」の先代組長の女房。先代組長が仲間うちの揉め事で殺されたため、女性ながら組を預かる立場となった。新橋の利権をめぐって華僑連合と抗争になり、先代の時代から付き合いのある暴力団「鬼頭組」に助っ人を依頼。東京進出を目論む鬼頭や新田源三につけ入る隙を与えてしまう。
集団・組織
鬼頭組 (きとうぐみ)
堀崎鉄が所属する横浜の暴力団。横浜開港の露払いを務めた伝統ある博徒を名乗っているが、実態は与太者を寄せ集めた愚連隊集団である。決して大きな組織ではなかったが、暴力団「矢野組」との抗争を機に強大化。新橋闇市の利権争いに端を発した新橋戦争に介入し、東京でも支配力を強めていく。
矢野組 (やのぐみ)
暴力団「鬼頭組」と対立する横浜の暴力団。渡世の義理を重んじる本博徒筋であるため堅気からの受けがいい。横浜の日の出マーケットを縄張りとしていたことから、横浜制圧を目論む「鬼頭組」と激しい抗争を繰り広げるが、やがて「鬼頭組」の勢いに押されていく。
松代組 (まつしろぐみ)
新橋を縄張りとするテキ屋組織。戦後、戦勝国民の特権をタテに新橋の闇市に進出してきた華僑連合と対立。新橋の利権をめぐって「新橋戦争」と呼ばれる激しい抗争を繰り広げた。この抗争に勝利するため、組長同士が兄弟分である暴力団「鬼頭組」に助っ人を依頼するが、漁夫の利を得ようとする鬼頭や新田源三につけ込まれ、「鬼頭組」に縄張りを侵食されることになる。
ZERO機関 (ぜろきかん)
小野田巌が戦中に組織した軍部の鉄道謀略機関で、各隊の隊長であるジトウイン、エモト、リキイシ、オノの頭文字をとって「ZERO」機関と名付けられた。戦後はGHQの参謀部と結託。財界の資金援助を受けて公共事業体となった国鉄にメンバーを送り込み、三鷹事件や松川事件など国鉄をめぐる数々の事件の裏で暗躍する。
その他キーワード
バッタ
旧日本海軍で行われていた有名な体罰。木製の棒を使って尻を何発も殴るというもので、食らうと内出血で尻が黒く変色し、痛みで座ることもできなくなることから新兵たちに恐れられた。「精神注入棒」と書かれた樫の棒や野球のバットを使うのが一般的だが、鉄環をはめこんだマニラロープに海水をしみこませたものなどが使用されることもある。
オンリー
占領軍の兵士を専門に身体を売っていた売春婦、いわゆる「パンパン」の呼称の1つ。英語の「only」からきた言葉で、上級将校など特定の兵士専属の愛人になることから、こう呼ばれた。「オンリーさん」とも呼ばれる。
新橋戦争 (しんばしせんそう)
テキ屋組織「松代組」が縄張りとする新橋の闇市に、華僑連合が戦勝国民の特権をタテに強引な進出を図ったことから起きた利権争い。日本人と中国人、朝鮮人の積年の対立感情が背景にあり、民族戦争さながらの激しい抗争となった。昭和21年に新橋で実際に起きた抗争事件がモデルとなっている。