作者は広島県出身の漫画家・こうの史代さん。戦後の生まれであり、多くの資料と、身近な先達からの伝え語りで作品を描いている。だからといって、この作品がまったくのフィクションであるわけではなく、「戦時下という極限状態にあって、朗らかにつややかに生きる人たちの生活の一片を切り取った」佳品と言える。
作者は広島県出身「こうの史代(こうのふみよ)」さん。
この作品を「戦争もの」というくくりで語っていいか、と問われれば「戦争に題材を求めてはいるが、単なる戦記ものではない」と答えるしかないだろう。
出典:この世界の片隅に
作者は広島県出身の漫画家・こうの史代さん。戦後の生まれであり、多くの資料と、身近な先達からの伝え語りで作品を描いている。だからといって、この作品がまったくのフィクションであるわけではなく、「戦時下という極限状態にあって、朗らかにつややかに生きる人たちの生活の一片を切り取った」佳品と言える。
広島県出身のこうの史代さんはこの作品のほかにも『夕凪の街 桜の国』という「原爆」をテーマにした作品を描いている。この『夕凪の街 桜の国』はロングセラーを続け、第8回(2004年度)文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第9回(2005年)手塚治虫文化賞新生賞を受賞している。『この世界の片隅に』も第13回(2009年)文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した。
戦争もの(この場合「戦災もの、もしくは戦時下ものと呼ぶべきか」のマンガといえば、かなり多くの人が『はだしのゲン(中沢啓二・著)』を思い浮かべると思う。かの作品もかなり印象深い名作だが、この作品はそれに勝るとも劣らず、読む人の心に「日本人として忘れてはならない、何か」を深く、するどく刻み込む。
とはいえ、戦争のことや原爆のことを大上段に訴えるわけではなく、あくまでさりげなく、時に面白おかしく、当時(戦時下)の人たちの生活を切り取って見せてくれる。その作風はやはり「こうの史代」という稀有な存在なしでは語りえなかった、といっても過言ではない。
主人公は「浦野すず(うらの・すず)」のちに「北條すず(ほうじょう・すず)」。広島(廣島)は江波(えば)の生まれ。幼いころからのんびりとした性格で、街の小料理屋「ふたば」にのりを届けに行く途中で「人さらい」のかごに入れられたり、親戚の家へ墓参りに行った折、その家でひとり「座敷わらし(らしきもの)」を見たりしている。絵を描くのが好き。
昭和18年2月に嫁入りの話を受けたすずは、翌19年、廣島から呉へ移り住むこととなる。呉は当時「軍港」で、大日本帝国海軍の要衝地。すずが嫁いだ年のあたりから米軍の軍港近くへの爆撃が重なり、彼女たち一家も空襲警報に悩まされることになる。とはいえ、すずまではと行かずとも、北條家の人たち(そしてとんとんとんからりと隣組のひとたちまで)も、やわらかな、ある意味おおらかな人たちなので「ああ、またかね」くらいの感覚で空襲を受け止めているきらいが見える。
長引く戦争によって当時の配給も滞りがちになり「闇市(やみいち)」での物価は上がり、生活が厳しくなっていっても暮らしに明るさを忘れない、読んでいてつい笑いがこみあげてくるのはやはりこの作者特有の「あたたかみ」を感じさせる作風ならではであろうと思わせる。
特に絵が好きなすずが、軍港を見下ろす小高い場所からその海にたゆたう「軍艦」を写生しているところを憲兵に見とがめられ「間諜(スパイ)」の疑いをかけられるところなど、憲兵の説教を聞きながらすず以外の家族は「笑いだすのを抑えることに必死」になっていたところなど、思わず笑ってしまう。その後の家族たちの「声」を聞いて「一緒に笑えんのはうちだけか……」と部屋の隅で膝小僧を抱えているすずの姿などは、笑いを飛び越してもう涙さえ出てくるほどである。
そんな北條家の人々の生活もやはり時代の流れには逆らえず、文官だったすずの夫さえ武官として、幼馴染の男の子も巡洋艦「青葉」の乗組員として戦争に駆り出されていく。すずには兄がいるのだが、南方で戦死したこととされ、骨壷のみが送られてくる。ちなみにその骨壷には遺骨の一片も入ってはいないのだが。
ある日、迷子になったところを救ってくれた遊郭の女、白木リン(しらき・りん)。彼女が実は、夫と過去において関係のあった女性らしきことを知り悩むすず。夫の姉で、旦那と死別して実家に舞い戻ってきた黒村径子(くろむら・みちこ)との葛藤(とはいいつつ気にしているのは径子だけ)。
径子の娘・晴美とは、まるで友達のような、年の離れた妹の面倒をみるような、そんな優しい関係が築かれていく。だが、ある空襲の日。米軍が落とした「時限装置付きの爆弾」によって、すずの右手の先にあった幼い命は引き裂かれ、すず自身もその右手の第一関節から先を失ってしまう。
幾度も幾度も、軍港のある呉の街を襲う空襲。時には低空飛行で、非戦闘員を機銃掃射してくる戦闘機。そんな生活に疲れたのか、自分の右手の先とともにこの世から消えた少女への思いからか、妹・すみの言葉に誘われ生まれ故郷の広島に帰る気持ちを固めたすず。
そんなすずの髪の毛を結いながら、一度はすずを「人殺し」呼ばわりした径子は静かに言い渡す。
「すずさんがイヤんならん限り、すずさんの居場所はここじゃ」
呉に嫁入りしてから、いやもしかしたらその前から、ずっと、ずっと自分の「本当の居場所」を探し求めてきたすずにとって、義姉のその言葉はどれだけ救いになったのだろう。
「やっぱり、ここへ、居らせてもらえますか……」
「わかった、わかったけぇ離れ 暑苦しい」
二人の義姉妹の心が結びついたそのせつな、呉から見て北の空でなにかが光り、そして大きな音とともに見たこともない雲が空を覆って立ち昇っていく。同じ県に住んでいてさえ、その雲の正体が「広島に落とされた米軍の新型爆弾」であったことがわかったのはそれから何日かが過ぎた後のことだったのだが。
その後の長崎への新型爆弾の投下、ソ連の参戦、そして玉音放送……の歴史は誰もが知っての通り。
すずは戦争が終わったあと、生きていることが判明した広島の実家の面々に会うため、広島の実家へと向かう。そこには祖母、おば、小さいほうの妹の千鶴子がいた。それから病に伏せっているすぐ下の妹・すみとも再会する。
病床の妹だが比較的明るく、元気な様子だったが、その腕には黒い染みのようなものが浮かび上がっていた。そのありさまは、先に名を挙げた作品『夕凪の街 桜の国』の夕凪の街編主人公・平野皆実(ひらの・みなみ)とどうしても重なってしまう。
自分の浅薄を語るのはみっともないのだが、自分はこの作品(『この世界の片隅に』)を読むまで、広島の原爆投下の翌日からの大規模な救助活動のため、呉市からも市民が動員されており、その時に数千人の市民が二次放射能によって被爆した、という事実を知らなかった。全く恥ずかしい限りである。
物語はこの後、広島駅で帰りの電車を待つすず夫妻が、戦災孤児となった一人の少女と出会い、その子を呉の家へ連れ帰るところで幕を閉じる。もちろん、マンガという作品ということを考えれば物語はここで終わりだが、このあとも彼女たちの人生は続いていくことを読者に錯覚させる読後感であり、それは「フィクション」作品であればこそ、「この後も物語は続いている、彼女たちは生きている」と思わせる、マンガの登場人物に血を通わせた、作品の勝利と呼べるものではないだろうか。
もちろん、作者の力量もさることながら、それはこの作品を読んだ人ひとりひとりの感じ方、受け止め方の問題であるとは思う。
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