12人の選手の中からオニを一人決めて、残る11人にボールをぶつけ、タイムアップの瞬間にオニだった者は脱落するという入寮試験「オニごっこ」を経て、世一を始めとする11人のストライカーチームZが誕生する。
そんなチームZが最初に挑むのは、1次選考「総当たりグループリーグマッチ」だ。これは、25チームが5チームずつに分かれて総当たり戦を行い、下位3チームは失格・強制退場となるというもの。しかし、敗退した3チームの中で得点王だけは生き残るシステムとなっているため、この選考によって選手たちは己の「エゴイズム」をさらに開花させていく。
死闘を繰り広げ、最終的には勝利を収め1次選考を通過するチームZ。勝利、そして己の成長に歓喜するチームZだったが、“ブルーロック”のコーチ・絵心甚八が選手たちに言い放ったセリフがこれなのだ。
絵心は、チームZの勝利をたまたまうまくいっただけと言い、価値がない戦い方だと真っ向から否定する。「なぜ勝利できたのか? その時に自分は何を考えていたのか?」それら全てを言語化、方程式化して「勝利の再現性」を導き出すことを選手たちに求めたのだ。これは、サッカーに関わらず何か成し遂げたいことや目標がある時は、大切にすべきスタンスなのではないだろうか。
2次選考で選手たちを待ち受けていたのは、二つのステージから成る“個”の戦い。まず、世界一のゴールキーパーのデータが入力されたホログラム装置「BLUE LOCK MAN」から、90分以内に1人で100ゴールを奪う。このステージを制した選手のみ、第2ステージ「奪敵決戦(ライバルリー・バトル)」に進むことができるのだ。
「奪敵決戦(ライバルリー・バトル)」では、勝ち上がった選手たちが三人1組のチームを組み対戦を行う。試合に勝ったチームは相手チームから一人を引き抜きチームの人数を増やしていく一方で、試合に敗退し続けて結果的に一人になった者は脱落するというルールだ。1次選考で育まれたチームの絆(きずな)を打ち砕くような選考内容はまさに“ブルーロック”らしい。
少人数、そして狭いフィールドで行われる「奪敵決戦(ライバルリー・バトル)」は、一人のプレーが全体に与える影響が大きい。この選考で試されているのは“個人の力”だと気づいた世一は、強敵、馬狼に挑むのだが、彼の圧倒的な強さに苦戦する。だが、苦境に立たされたことで、世一は現状の自分では勝てないからこそ、勝利するために何をすべきかを冷静に分析できるようになる。世一の勝利への貪欲さはもちろん、どんなに危機的状況でも、その場に適応して次の一手を模索することの大切さが伝わってくるセリフだ。
見事、馬狼に勝利した世一。その結果、正確なシュートと強靭なフィジカルを持ち、自らをフィールドのキングと称する馬狼と得点王の凪とチームを組み「奪敵決戦(ライバルリー・バトル)」で駒を進めることになるが、馬狼の独りよがりなプレーによりチーム自体が窮地に立たされてしまう。
世一は馬狼とコミュニケーションを取り、彼に適応するような戦い方を模索するが、目まぐるしく変化する戦局の中で新しい戦い方にたどり着く。それは、思い通りにいかない時は、他人を変えたり相手に適応するのではなく、自分が変わるという戦い方だ。そう決意した世一は、馬狼に適応する戦い方から馬狼を“喰う(凌駕する)”戦い方へとシフトし戦況を変える。また、そんな世一に刺激された馬狼もストライカーとして新たな覚醒を果たし結果的に彼らは勝利を収める。
チームで何かを成し遂げようとする時、つい協調性や共闘を重んじてしまうことはないだろうか? それによって自らが疲弊し、本来の力を発揮出来なくなってしまうことも少なくない。そんな時に、この世一のセリフを反芻(はんすう)することで新たな活路を見出せるはずだ。
激闘を見せる「奪敵決戦(ライバルリー・バトル)」だが、この選考の残酷なところは、敗北と同時に“選ばれない”選手が生まれるところだ。共に戦っていた仲間はもちろん、フィールドという戦場から存在を否定されるような耐え難い絶望を味わう敗北者たち。そんな敗北者たちは時に歯を食いしばり、泣き崩れ、その感情表現は選手によって様々だ。ただ、そんな敗北者たちを見て絵心は珍しく希望ある一言をつぶやく。
彼がこのセリフに込めた思い、それは「大事なのは、敗北から何を学ぶのか」ということなのだ。多くの敗北者たちは、自分の非力さを認めるのが怖いために“諦めない”ことが成功だと思い込んでしまう。結果的に、夢をかなえるのではなく追い続けることが目的になってしまう者が多い。大切なのは、敗北を経験した時に自分の非力さをとことん痛感し絶望すること。そして、絶望から新たな道筋を見出すことなのだ。
“ブルーロック”に挑むストライカーたちのように、思い描いていた夢の道筋を諦めることで見える、新たな道筋がある。それが新たな可能性につながることもあるのだ。生きていく上で避けては通れない経験、それが絶望。絵心のセリフは、絶望の重要さを私たちに教えてくれる。
単行本では6巻から10巻にわたり描かれる、白熱の「奪敵決戦(ライバルリー・バトル)」。最終試合で世一は“ブルーロック”のトッププレイヤーである糸師凛と相対することになるが、最後の最後で凛に負けてしまう。勝つために何が足りなかったのかと凛に尋ねる世一に「運」と応える凛。“ブルーロック”において最も無縁そうな「運」という言葉だが、実は「運」とは望んで行動する人間にしか訪れない必然的なものなのだ。
勝負の世界では、勝利という「必然」を起こすためにそれぞれが計画的な行動を取る。この「必然」がぶつかり合った時、望まずとも「偶然」が発生するのだ。この「偶然」こそを「運」だと解説する絵心だが、彼が一番伝えたいのはこの「運」に対する心構えと、それに応えられる能力を磨くことの大切さなのだ。自分に巡ってきたチャンスを逃したりモノに出来なかった時、私たちはつい言ってしまうだろう「運が悪かった」と。このセリフを目にする度、「運」に左右される二流で終わるのではなく、降ってくる「運」を想定して行動して続けようと思わず背筋が伸びる。