土佐の漁師町を舞台に、主人公の新人漁師と幼馴染の少女の成長と、カツオの一本釣りを中心とした漁師町の日常を描く地方青春物語。小松純平は土佐久礼(くれ)という小さな漁師町に住む15歳。漁師だった父を海難事故で失っている純平だが、中学校を卒業してすぐ漁師となるべくカツオ漁に向かう船に乗ることになった。2歳年上で幼馴染の八千代が子ども扱いすることにもやもやしながらも、町の人々に見送られた純平は先輩漁師たちと共に大海原に出航していくのだった。1980年と2016年に実写映画が公開された。
カツオは太平洋沿岸に生息している、日本人には馴染みの深い魚だ。刺身にタタキ、乾燥させた鰹節と、その料理や食品は枚挙に暇がない。高知県は漁獲高が大きいのだが、4月から6月に初めて水揚げされるカツオを「初鰹」と呼ぶ。カツオといえばやはり高知県という印象が強い。そんな高知県にある小さな港町が物語の舞台だ。主人公の純平は中学校を卒業してすぐ、カツオ漁をする船に乗り漁師の仕事を覚えていくことになる。カツオ漁といえば舳先や船側に立った漁師が一本の釣竿で休まず釣り上げていく光景が浮かぶだろう。純平もいずれは先輩漁師たちと同じように一本釣りで漁を行うことになるが、現状は下っ端のめし炊き係である。先輩漁師たちは豪快で酒を飲んだり下ネタを話したりと、とにかく陽気だ。しかしひとたび漁が始まれば人相が変わる。激しく揺れる船の上、自身の命を懸けながら日々の糧を得る。危険と隣り合わせだからこそ、日々を慈しみ楽しむことができるのだろう。漁師たちは生きる活力に満ちている。
会社を辞めた勢いで逃避旅行に行き、港町にやってきたOLが、お神酒を飲んだせいで船を守る船霊様(ふなだまさん)が見えるようになり、その地で漁師という仕事や漁業の現実を学んでいくハートフル漁業ライフ。井崎志乃(いさきしの)はアイドルオタクのOL。ゼネコンに勤めていたが、会社側や上司からの不当な扱いに腹を立て会社を辞めてしまう。ダーツで行き先を決め2泊3日の逃避旅行に出た志乃は小さな港町で酒に酔ってしまい船に乗り込んで眠ってしまう。目を覚ました志乃は、そこで柴犬のような姿をした船霊様と出会うのだった。
日本の神様は神社だけでなく、様々な場所におわす。家や井戸、トイレにだって神様は宿り、人々の営みを見守っているのだ。道具に神様が宿るなら、漁に必須ともいえる船に神様がいてもおかしくはない。志乃が突飛な理由でやってきた港町には、古くから船に宿る神様、船霊様がいた。漁師をしている老婦人、小磯美枝子の船は「政丸(まさまる)」という。漁にも一緒に出る美枝子の飼い犬、はな子の姿を借りた船霊様は柴犬のような姿をして大きな笠をかぶっている。神様なので殺生はできないが、魚を食べることが大好き。多くの人が見ることができない存在だが、志乃はうっかりお供えのお神酒を飲んでしまったことで、船霊様が見えるようになった。志乃の目線は、漁業初心者だけあって読者に近い。新鮮な景色だからこそ輝いて見えることも、漁業を取り巻く問題も平等に目に映る。厳しい仕事ではあるが、こんな神様が守ってくれているのなら悪くないと思えてしまう。
遠洋漁業に向かうマグロ漁船に乗り込んだコックと漁師たちの、海上での日々を綴った実録マグロ遠洋漁業物語。1980年代、とある漁師町でマグロ漁に向かう船の船員らの団結式が行われていた。第五十八寿栄丸に乗り込むのは、22名の男たち。斎條はマグロ漁船に乗り込むのは2回目。コック長として乗組員の食事を任されることになる。乗船は初となる浜口良一ら不安を抱える乗組員がいる中、家族や恋人など大勢の人に見送られながら船は大海原へと出航していくのだった。原作は斎藤健次の同名ノンフィクション。
世界のマグロ類総漁獲量の約5分の1を日本人が消費しているというのだから、日本は世界でも有数のマグロ好き国家と言えるだろう。そんなマグロ漁、もちろん簡単ではない。本作では遠洋漁業という、遠方に船を出してマグロ漁を行っている漁師たちが主人公だ。よく借金返済のためにマグロ漁船に乗り込む、などという話があるが、動くお金の大きさを知るとあながちそれだけ稼げるというのも嘘ではないのではと思ってしまう。本作に記されている金額だと、人件費や燃料、食費など諸々の経費は計約4億2千万円。漁師たちはこの金額を上回ることを最低目標に漁をしなければならない。しかもすぐ帰れる場所で漁が行われるわけではなく、2年間は確実に日本の土を踏めない。幼い子どもに顔を忘れられるというのは笑い話になっているが、多くの遠洋漁業に携わる漁師にとっては「あるある」ネタなのだろう。船の上での楽しみは、食事と余暇活動。漁師たちの過酷な日常に、マグロをもっと噛みしめて食べなければと背筋が伸びる。
おてんば娘と強面の父親が営む釣り船屋を舞台に、父娘が客たちの抱える問題を見守ったり解決したりしていく海釣り人情物語。御前海奈(みさきかな)は母親を早くに亡くし、父、泳造(えいぞう)に男手ひとつで育てられた。泳造は「御前屋」という釣り船屋を営んでおり、海奈も看板娘として業務を手伝っている。ある日御前屋に常連客の上原が婚約者の鈴木碧(あおい)を連れてくる。明らかに釣りに興味を持たず、不満を隠そうともしない碧に海奈も苛立ちを隠せない。釣りに集中できない上原に同情する海奈だったが、やり取りを聞いていた常連客のシゲから衝撃的な話を打ち明けられるのだった。
釣りは魚のいるところでするものだが、海は広い。当然、堤防や浜辺など陸地で釣りをしても、釣れる魚の種類に限りがある。では船を購入して、と簡単に話が済まないのが海だ。もっと海釣りを楽しみたいという釣り人たちのために、釣り船屋が存在している。御前屋は父娘で切り盛りしている釣り船屋だ。父、泳造は、絵に描いたような頑固漁師といった強面な風貌をしている。娘の海奈はまだ女子高生。威勢が良くさばさばとした性格で人情に厚い。客もわざわざ釣り船に乗るくらいだから、釣り好きな人が多く、エサの付け方もわからない初心者だけで乗船する、ということは少ない。船で父娘はなにをしているのかといえば、泳造の主な仕事は船を操作すること、そして釣りスポットのガイドだろう。釣果が上がらなければ他のスポットに移動し、釣り客が楽しめるようにする。海奈の仕事は客の安全確認やフォローが主だ。しばしばお客の抱える問題にも首をツッコむが、魚も釣れて心も晴れるなら言うことなしである。
漁師兼猟師の主人公が、世界を股にかけ様々な獣と戦いながら、事業でも成功を収めていく破天荒サクセスストーリー。昭和三十八年の冬、北海道の雪深い襟裳岬に、主人公・魚一生(うおいっせい)は猟銃を手にジープを走らせ、海岸沿いを急いでいた。そこには「シーギャング」の異名を持つトドの群れがやってきていた。一生は群れのボスであるゴンタとの対決を心から楽しんでいたが、地元の漁師たちと意見が対立。トドたちが殲滅されてしまったことをきっかけに、日本を離れアラスカに移住することを決意するのだった。
魚一生は猟師である。漁師特集じゃないのかというご指摘は当然あると思うが、本作もあながちテーマから外れてはいない。トドやクマだけでなく、一生が出会い対決していく動物たちは魚を食べる生き物だからである。襟裳岬付近で漁をしている漁師たちが一生にトドの駆除を依頼したのは、サケやマスといった高級魚の漁獲量に影響を及ぼすからだ。漁獲量を増やして必要数を確保しなければ漁師たちも生活していけない。しかし、トドたちも魚を食べなければ生命活動を維持できない。どちらも生きるために必要なことではあるが、人間は魚がいたらいるだけ捕って、必要以上のお金を儲けようとする、という点を考えれば、やはりトドの方に理があるように感じられる。トドは生きるためだけに食べるが、必要以上に食べはしない。漁師は自然を相手にする仕事だからこそ、海に生きる様々な生き物に対して真摯でなければいけないだろう。「増えすぎた種を淘汰するのは神たる大自然」。一生の言葉が重くのしかかる。