「マジカルエミ」は1985年6月7日から1986年2月28日まで全38話が放送された、スタジオぴえろ(当時)制作の少女向けアニメ。
マジシャン一家に生まれた少女・香月舞(かつき・まい)と魔法との出会いから、その別れまでを抒情豊かに描いた佳作。舞の可愛らしさ、エミの美しさ、そして揺れ動く乙女の心情を見事にとらえ、描いたシナリオと演出に「ぴえろ魔法少女シリーズ」の中では一番! と讃える声は今も途絶えない。そして『蝉時雨』は、そんなTVシリーズの時間枠の中で12話と13話の間の幾日かをとらえた作品。その何日かの夏の日を、BGMなどもなるべく使わない演出で、しみじみと謳いあげている良作。特に事件が起きるだけでもなく、ある意味淡々と「いつもの夏の日々を描いたこの作品は、昨今の「日常を切り取ったアニメ」の先駆けと言えるかもしれない。
このOVAは夏の日の、何でもないような一日(もしくは数日)を切り取ったアニメ。それだけに、作画にかける思いは尋常ではなかったようで、当時の最高峰ともいえる作画や背景をもって、その作品世界は保たれている。
そして全編を覆って迫ってくる蝉の鳴き声。蝉時雨。7年間土の中に住まい、ある夏の日に成虫として光の中に姿を現す蝉は、わずか一週間でその命と鳴き声の全てを費やし、また土に消えるという。その命のはかなさをひとつのテーマとし、また心に響くBGMのひとつとして、高らかに、だが静かに歌い上げた一品。そしてそれはTVシリーズのラスト、少女・香月舞から魔法の少女・マジカルエミへの惜別の歌として、また「魔法への別れの予感」を暗示しているような気がして、心に残る。
もちろん、あのTVシリーズのラストがあればこその作品であることは間違いないが。
もともと「不器用」に定評のある香月舞だが、小学校5年生の女の子に「手品・マジック」を期待すること自体が間違いというもの。
マジックの種なんて、その小さな手のひら、小さな袖口などにしかけられるはずもなく。そんな彼女が「魔法の力を借りてマジックを行う」。それは「何の努力もなく凄いことができる、今までできなかったことができる」ことであり、はじめのうちは面白くて仕方がないだろう。もしかしたら、そのままダメになってしまう人もいるかも知れない。けれど、向上心のある人なら必ず物足りなくなる。何の努力もせず、一足飛びに手にした栄光など、虚しいだけのもの。そこに気がついたとき、人は一歩、大人になることができる。魔法は、ひとときの間だけ確かに夢を見せてくれる。だけど夢から覚めた時、そこに残っているものは何か。自分の力で、自分で達成した頂きこそが尊い。舞はそこに自ら気がつくことで、魔法に別れを告げた。そこに一抹の不安と、別れの寂しさがないまぜとなった心を、その小さな胸にとどめながらも、人はいつか一人で歩きだす。
誰かの力を借りながらも、歩みは止めない。自分はそのことを、「マジカルエミ」という作品に、そして『蝉時雨』という作品に教わったように思う。