キャプテン翼

キャプテン翼

天才的サッカープレイヤーである主人公大空翼が、小学校6年生と中学校3年生の全国大会ならびに国際大会で、チームとメイトと共に戦い抜いていく姿を描く。爆発的な人気でサッカーブームを起こし、作品に影響を受けたプロサッカー選手は国内外に多数存在している。

正式名称
キャプテン翼
ふりがな
きゃぷてんつばさ
作者
ジャンル
サッカー
関連商品
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世界観

キャプテン翼』は従来のスポーツ漫画ではあまり見られなかった、サッカー(スポーツ)の楽しさやサッカーの魅力を伝えることに重点が置かれている。主人公・大空翼の「ボールは友達」という言葉がこのコンセプトを象徴している。大空翼は温和な性格で、難易度が高いサッカー技術を一目で身に付けられるほどの天賦の才を持っていながら、屈託がない。の目標も、「プロサッカー選手になって、日本代表をワールドカップで優勝に導く」という明快なもので、泥臭いド根性や特訓などが描かれていた「スポ根」(スポーツ根性)ものとは一線を画する世界観を提示していた。

とはいえ、スポ根的な要素が描かれなかったわけではない。のライバル・日向小次郎がサッカーで貧困から這い上がろうとしたり、特訓に取り組む姿が描かれているのが一例である。も特訓を否定しているわけではなく、楽しく取り組むことの大切さをアピールし、これまでの「スポ根」ものなら主役でもおかしくない日向のようなキャラクターが脇に回る構造になっている。

このように、正統派のスポーツ漫画に近い立ち位置ながら、日向が放つ必殺シュート「タイガーショット」など、超人的なスーパープレイが描かれているのも本作の特徴である。これは読者ウケを狙った面もあるが、サッカーの魅力をわかりやすく伝える効果があった。

時代背景

キャプテン翼』の連載が開始された1981年前後は、「サッカー冬の時代」と呼ばれるほど、日本代表の大舞台での敗退が続き、人気は低迷していた。作者の高橋陽一は、1978年にアルゼンチンで開催された「FIFAワールドカップ」をテレビ観戦して、サッカーに興味を持つようになり、それがのちに本作につながった。

実際には、当時の日本のサッカー界では、競技を普及させるため各地に少年サッカークラブや、クラブチームが創設されるなど、選手育成に取り組む動きもあり、世間の関心が消えていたわけではなかった。

作品構成

キャプテン翼』は、1981年の「週刊少年ジャンプ」での連載開始から現在(2015年)に至るまで、何度かの休止期間を挟みながら現在もシリーズが継続している。原則として作品発表順に作中時間も経過するが、短編等は異なることがある。

発表順に、『キャプテン翼』(1981年~1988年)、『キャプテン翼 ワールドユース編』(1994年~1997年)、『キャプテン翼 ROAD TO 2002』(2001年~2004年)、『キャプテン翼 GOLDEN-23』(2005年~2008年)、『キャプテン翼 海外激闘編 IN CALCIO 日いづる国のジョカトーレ』(2009年)、『キャプテン翼 海外激闘編 EN LA LIGA』(2009年~2012年)、『キャプテン翼 ライジングサン』(2014年~継続中)。

掲載誌は、『キャプテン翼』と『キャプテン翼 ワールドユース編』が「週刊少年ジャンプ」、『キャプテン翼 ROAD TO 2002』から『キャプテン翼 海外激闘編 EN LA LIGA』までが「週刊ヤングジャンプ」、『キャプテン翼 ライジングサン』が「グランドジャンプ」となっている。

あらすじ

キャプテン翼

「ボールは友達」というサッカーを愛する少年・大空翼が南葛小学校に転校してくる。石崎了と友達になり、修哲小のキーパー・若林源三と出会う。ロベルト本郷に指導を受け実力を増したは南葛小対修哲小の対抗戦で若林と対決する。その後、選抜チーム南葛SCのメンバーとなり、小学生全国大会へ歩を進める。

そして、南葛中に進学したは、中学生全国大会で全国大会三連覇に挑む。この中学生全国大会の優秀選手が招集されて全日本ジュニアユースが結成されることになり、選出されたらは第1回フランス国際ジュニアユース大会に出場し優勝を目指す。

キャプテン翼 ワールドユース編

前作のジュニアユース大会から3年後が主な舞台となる。ブラジルでプロサッカー選手になったは、単身イタリアに渡って実力をつけた葵新伍を加えた全日本ユースのキャプテンとして、日本で開催されることになったワールドユース選手権の頂点を目指して、世界の強豪チームと対戦していく。

キャプテン翼 ROAD TO 2002

ワールドユース選手権が終了し、プロサッカー界がたちの活躍の場となる。海外組のはリーガ・エスパニョーラのバルセロナに移籍。しかし、ポジション争いに敗れてしまう。日向はユベントスへ移籍するが、挫折を経験する。若林はハンブルクで活躍するが環境に問題を抱える。岬や三杉らの国内組はJリーグで戦いを繰り広げるなど、主要な登場人物たちがそれぞれの所属するリーグやチームで奮闘する姿が描かれていく。

キャプテン翼 GOLDEN-23

前作の1週間後から幕を開ける。U-22日本代表は海外組を招集せず、国内組の「黄金世代」でオリンピック出場を目指す方針を打ち出す。この「黄金世代」に新メンバーが加わる。海外組の状況も、若林源三大空翼の活躍が伝えられていく。

キャプテン翼 海外激闘編 IN CALCIO 日いづる国のジョカトーレ

セリエC1のレッジアーナへ期限付き移籍をした日向小次郎と、同じくセリエC1のアルベーゼへ入団した葵新伍の活躍が描写される。日向と葵新伍は、それぞれの所属チームのセリエB昇格を懸けた試合で対戦することになる。

キャプテン翼 海外激闘編 EN LA LIGA

大空翼が所属するバルセロナがリーグ優勝を目指す戦いの模様が活写されていく。はトップ下ポジションに定着するようになり、マドリッドで行われるエル・クラシコに出場する。それを観戦していた牧師・ミカエルは、サッカー界への復帰を決心する。

キャプテン翼 ライジングサン

バルセロナで結果を出した大空翼は、U-23日本代表のキャプテンとしてオリンピック優勝を目指す。

パロディネタ

キャプテン翼』ブームとなった1980年代に、「キャプ翼もの」と呼ばれる本作を題材とした二次創作同人誌が人気を集めたが、その内容から(同性愛的なものが多い傾向にあった)、苦言を呈されることもあった。

特殊背景

キャプテン翼』の作中世界は、基本的に、連載時点の世界情勢と一致しているため、プロチーム名などは実在するもので、奥寺康彦、中田英寿、川口能活といった実在するサッカー選手・関係者が登場することもある。しかし、時間の進み方は作中と現実では異なり、完全に一致しているわけではない。

本作は社会現象となるほどヒットしたため、作中人物が現実の社会と関わりを持つことも多い。

例えば、大空翼が作中で「FCバルセロナ」に入団すると、現実に入団セレモニーが行われることになり、作者・高橋陽一が招待されたり、2014年1月には、松山光が現実のコンサドーレ札幌入りすると発表され、背番号「36」が与えられるなどした。

メディアミックス

TVアニメ

キャプテン翼』のテレビアニメはこれまで3回、制作されている。

1983年から1986年にテレビ東京で放映がはじまった第1作は、原作の小学校から中学校時代までが全128話で描かれており、最高視聴率21.2%を記録する大ヒットとなり、サッカーブームを起こした。世界50か国以上でもテレビ放送され、国際的に人気が高い。

第2作は1994年から「キャプテン翼J」として全47話が1995年まで放映された。第2作以降は、版権や商標登録上の関係からクラブ名等が変更されている。

第3作は2001年から2002年にかけて、テレビ東京系で「キャプテン翼」として放映された。

1989年7月から1990年7月には全13巻でOVA、「新キャプテン翼」がVHSとβで発売された。同作は2002年にDVD化されている。

映画

キャプテン翼』の映画は5作、制作されており、すべてオリジナルストーリーとなっている。 1985年から1986年は、「東映まんがまつり」上映作品として4作が作られ、小学生から中学生時代を舞台にしている。これらは2006年に発売された「キャプテン翼 THE MOVIE1」、「キャプテン翼 THE MOVIE2」に収録されている。

1994年11月からは、「ジャンプ・スーパー・アニメツアー'95」上映作品として、「キャプテン翼 最強の敵! オランダユース」が公開されている。

小説

2013年12月5日に集英社みらい文庫から、ワダヒトミによるノベライズ第1巻『天才サッカー少年あらわる!!』が出版され、2014年3月に第2巻『集結!全国のライバルたち』、6月には『最終決戦!めざせ全国制覇!!』と、全3巻が刊行された。原作をもとに、小学校時代の大空翼らの活躍が再構成され、綴られている。

ゲーム

キャプテン翼』を原作とするゲームは非常に多くリリースされている。

1988年4月にテクモから発売されたファミリーコンピュータ用『キャプテン翼』は、その後、スーパーファミコンにプラットフォームを移して、5作が発売された。5作で長いストーリーを描くという珍しいスタイルとなっている。6年にわたって継続し、オリジナルキャラ・片桐陽子などが多数登場する独自のストーリー展開で、オリジナルのスーパープレイやアニメのような演出がされておりファンも多い。行動をするためのエネルギーともいえる「ガッツ」が不足してしまったときのセリフ「くっ!! ガッツがたりない!!」は一部で流行し、パロディなどにも用いられた。テクモからはゲームボーイ版、メガCD版もリリースされている。

バンダイからは『キャプテン翼J』がゲームボーイ、スーパーファミコン、PlayStationで発売された。2006年発売のPlayStation2版はタイトルが『キャプテン翼』となった。

コナミもゲームボーイアドバンス、PlayStation、ニンテンドーゲームキューブ、ニンテンドーDSから本作をリリースしている。

KLabからは、ソーシャルゲーム版がリリースされており、Yahoo!モバゲー、Mobage、mixi、App Storeに対応している。

社会に与えた影響

本作は社会現象といえるほどヒットしている。『キャプテン翼』がなければ、今の日本サッカー界はなかった、と評価されるほどである。2007年11月までに出版された単行本・関連本の全シリーズの国内累計発行部数は7000万部を超え、国外でも1000万部前後であるといわれる。

1981年から1988年の「週刊少年ジャンプ」連載時には、1983年からテレビ東京系で放映されたテレビアニメ版の影響もあって「サッカーブーム」が起き、少年のサッカープレイヤーが急増した。連載開始時の1981年の調査では、日本サッカー協会に登録された小学生の選手数は約11万人だったが、連載終了時の1988年には、24万人に増加した。

本作の影響でサッカーをはじめたというプロサッカー選手や、ファンであることを公言する選手は国内、国外に数多く、2003年に刊行された『キャプテン翼3109日全記録』には、日本サッカー協会キャプテン川渕三郎、元サッカー選手で解説者の北澤豪、選手の高原直泰、名波浩が言葉を寄せている。

本作の海外での高い人気を受け、2004年にイラク戦争の復興支援として派遣された自衛隊の給水車に日本とイラクの友好をアピールするために『キャプテン翼』のイラストが描かれ、国際親善にも貢献している。

大空翼の「」は日本人の名前にも影響を及ぼした。1993年、日本のサッカープロリーグ・Jリーグの開幕年から、「」の名は新生児のランキング5位に入り、定着している。本作連載開始後に「」と名づけられたサッカー選手には大宮アルディージャの大屋翼、FCガンジュ岩手の若林翼、FC琉球の西田翼らがいる。

作家情報

高橋陽一:1980年、『週刊少年ジャンプ』で読み切り作『キャプテン翼』でデビューし、翌年から同作の連載を開始した。サッカー、野球などスポーツをテーマにした作品を多く描いている。師匠に平松伸二みやたけしがおり、アシスタントに和月伸宏、小泉ヤスヒロがいた。

登場人物・キャラクター

大空 翼 (おおぞら つばさ)

信条は「ボールはトモダチ」。小学6年生でオーバーヘッドキックをマスターするなど、サッカーの実力はずば抜けている。南葛中学校に進学後は、ロベルト本郷の教えに従いFWからMFに転向。さらに彼の残したノートからドライブシュートを習得。中学サッカー界のみならず、日本サッカー界でも指折りの実力者に成長した。 ジュニアユース大会でもキャプテンとして活躍。中学3年生で、全日本メンバーにも選ばれた。その後、高校へ進学せずにロベルト本郷の待つブラジルへ渡った。

ロベルト 本郷 (ろべると ほんごう)

元ブラジル代表のプロサッカー選手。大空翼の父親と知り合いで、彼が小学6年生のときに、大空家にやって来る。大空家に居候しながら大空翼と南葛小学校サッカー部の指導を行う。たぐいまれなサッカーの才能を持つ大空翼をブラジル留学に誘っていたが、小学生の翼を家族から引き離すのは良くないと、サッカーの理論やテクニックを記したノートを残して1人で帰国した。 だが3年後のジュニアユース大会で、大きく成長した翼をブラジルに迎え、コーチすることを約束する。

日向 小次郎 (ひゅうが こじろう)

大空翼の同い年のライバルで、明和FCを率いるキャプテン。母子家庭で苦しい生活の中、新聞配達などをしながら家計を支えていたが、全日本少年サッカー大会で準優勝して東邦学園に特待生として迎えられる。中学3年生の時、大空翼に勝つためにチームを離れて沖縄で特訓を積み、タイガーショットを習得。 ジュニアユース大会ではさらなる特訓で、ネオタイガーショットを生み出し、名実ともに日本ジュニアを代表するエースストライカーとなる。

岬 太郎 (みさき たろう)

大空翼の同級生で、小学校時代のチームメイト。2人の息の合ったプレーから黄金コンビ(ゴールデンコンビ)と呼ばれる。父親の仕事に合わせて全国各地を転々としており、南葛小学校に来る前は、明和小学校やふらの小学校などに通っていた。そのため、全国に友達がいる。小学校卒業後はフランスに渡っていたが、ジュニアユース大会で日本代表として召集されると、再び大空翼とコンビを組む。 卓越した個人技に定評があり、その実力は世界でも通用する。ジュニアユース大会後は日本に帰国し、南葛中学校に転校した。

松山 光 (まつやま ひかる)

北海道にあるふらの小学校・ふらの中学校のサッカー部キャプテンで、大空翼と同じ学年。MFとしてチームを統率していたが、ジュニアユース大会でDFに転向し、ディフェンスの要として日本ゴールを守る。卓越した才能はないものの、人一倍練習を重ね、日本代表の中ではボールキープ力はNo.1といわれている。 小学校時代、日向小次郎と食堂で言い合いになったことから因縁が生まれ、日向小次郎のライバルの1人でもある。

三杉 淳 (みすぎ じゅん)

大空翼と同じ学年の天才MF。個人技にも戦術にも優れており、フィールドの貴公子と呼ばれる。大空翼や日向小次郎たちから、「心臓病がなければ日本一のプレイヤーになっていたかもしれない」と認めるほどの実力。武蔵野中学校3年生の試合では、東京都決勝戦で東邦学園に敗北。 全国大会未出場だったため、ジュニアユース大会ではコーチとして招へいされていたが、アルゼンチン戦から選手として出場。立花兄弟と共に、日本代表の隠し玉として活躍した。

石崎 了 (いしざき りょう)

大空翼が南葛市に引っ越してきて最初に友達となった同級生。弱小の南葛小学校サッカー部のキャプテンで、本人もサッカーはうまくなかったが、大空翼と出会ってから努力に努力を重ね、DFとして大きく成長。南葛市の選抜メンバーとして南葛FCの一員となり、南葛中学校でもレギュラーポジションを獲得。 さらにジュニアユースメンバーにまで選ばれる。顔面ブロックが十八番。

若林 源三 (わかばやし げんぞう)

修哲小学校のサッカー部キャプテンで、大空翼の最初のライバル。南葛市の選抜チーム南葛FCの一員にも選ばれて、優勝に貢献する。ペナルティエリア外からのゴールは必ず止めるというGKで、大空翼や日向小次郎もその実力を認めている。小学校卒業後は西ドイツへサッカー留学し、ハンブルグに所属。 S・G・G・K(スーパー・グレート・ゴール・キーパー)の二つ名で呼ばれる。ジュニアユース大会後は、ハンブルグとプロ契約を結ぶ。

若島津 健 (わかしまず けん)

明和FCのGKだが、交通事故により、全日本少年サッカー大会には準々決勝ふらの戦の後半戦途中から出場する。大空翼と同級生。空手で鍛えた身体能力で、ゴールポストを利用した三角飛びのセービングなどが得意。東邦学園に進学し、全国中学生サッカー大会では中学No.1キーパーとして評される。 ジュニアユース大会では、準決勝まで若林源三に正GKの座を譲らなかった。

立花兄弟 (たちばなきょうだい)

花輪サッカー少年団に所属する双子の兄弟で、兄は政夫(まさお)、弟は和夫(かずお)。大空翼と同学年。花輪中学校時代に編み出した必殺技スカイラブハリケーンに代表される、空中戦を得意とするペア。ジュニアユース大会では、三杉淳と共に日本代表の隠し玉として活躍する。

沢田 タケシ (さわだ たけし)

日向小次郎より2歳年下ながら、彼の名パートナーとして活躍する。小学3年生で明和FCの入団テストを受け、非凡な才能を見せる。中学校は、日向小次郎を追いかける形で東邦学園へ進学。日向小次郎とのツートップは、東邦ゴールデンコンビとも呼ばれる。ジュニアユース大会では、主力である大空翼たちより学年が下のため、新田瞬、佐野満と共に下級生トリオの1人として紹介された。

片桐 宗政 (かたぎり むねまさ)

日本サッカー協会の強化本部長で、大空翼らを小学6年生の時から見守っている。ジュニアユース大会の日本代表編成で三杉淳をコーチに誘ったり、フランスに赴いて岬太郎に参加を要請するなど、チームの基盤を作る。片桐自身、目の負傷で現役を退いたため、大空翼に夢を託している。 それゆえ、中学3年生の大空翼を全日本入りに推すなど尽力を惜しまない。

新田 瞬 (にった しゅん)

大空翼たちより1歳年下の、太田中学校サッカー部FW。大空翼が中学3年生の時の全国中学生サッカー大会静岡大会では、決勝戦で南葛中学校と対決するも惜敗する。必殺技は、隼シュート。ジュニアユース大会でも日本代表に選ばれており、主力である大空翼たちより学年が2つ下のため、沢田タケシ、佐野満と共に下級生トリオの1人として紹介された。

次藤 洋 (じとう ひろし)

比良戸中学校サッカー部のキャプテンでDF。大空翼と同級生。後輩の佐野満と共に、全国中学生サッカー大会強豪校を、予選のときから偵察していた。南葛中学校との試合では、佐野満とのコンビネーション攻撃で、大空翼たちを苦しめる。ジュニアユース大会では、立花兄弟と一緒に特訓し、彼らの空中攻撃のための発射台となる。

井沢 守 (いざわ まもる)

修哲小学校に通っており、選抜チームの南葛SCに選ばれて以降は来生哲兵、滝一と共に「修哲トリオ」と呼ばれる。大空翼とは同級生。南葛中学校に進学し、全国中学生サッカー大会南葛中学校V3の立役者の1人となる。空中戦が得意で、ゲームメーカーとしての能力も高い。 ジュニアユース大会の代表選手にも選ばれている。

滝 一 (たき はじめ)

修哲小学校に通っており、選抜チームの南葛SCに選ばれて以降は来生哲兵、井沢守と共に「修哲トリオ」と呼ばれる。大空翼とは同級生。南葛中学校に進学し、全国中学生サッカー大会南葛中学校V3の立役者の1人となる。ライン際のドリブルが得意で、攻撃の起点となることも多い。 来生哲兵と2人で「南葛シルバーコンビ」とも呼ばれる。ジュニアユース大会の代表選手にも選ばれたが、試合には未出場。

来生 哲兵 (きすぎ てっぺい)

修哲小学校に通っており、選抜チームの南葛SCに選ばれて以降は井沢守、滝一と共に「修哲トリオ」と呼ばれる。大空翼とは同級生。南葛中学校に進学し、全国中学生サッカー大会南葛中学校V3の立役者の1人となる。修哲FC時代から点取り屋として活躍しており、大空翼とチームメイトになって以降も得点を挙げる機会は多かった。 滝一と2人で「南葛シルバーコンビ」とも呼ばれる。ジュニアユース大会の代表選手にも選ばれたが、試合には未出場。

早田 誠 (そうだ まこと)

東第一中学校のDFで大空翼と同級生。中学3年生のとき、全国中学校サッカー大会に出場し、初戦で南葛中学校と対決。オーバーラップしてのカミソリシュートで、最初のゴールを奪う。ジュニアユース大会の代表メンバーにも選ばれたが、フランス戦ではレッドカードで退場となってしまう。

エル・シド・ピエール

ジュニアユース大会フランス代表のキャプテン。フィールドのアーティストとも呼ばれる、華麗なサッカーが身上で、個人技に秀でている。裕福な家庭に生まれ育っているが、そのことで幼少期は苦しんでおり、サッカーは誰でも平等に楽しめるがゆえに夢中になったいきさつがある。大会前、優れたプレイヤーがいると岬太郎の噂を聞きつけて直接対決を挑み、以後、岬のことをライバルと認めている。

森崎 有三 (もりさき ゆうぞう)

大空翼と同級生で、南葛SCでは控えのGKとして選出されている。南葛中学校では正GKとして活躍するが、GKとしての実力は、若林源三や若島津健には及ばない。しかし、ジュニアユース大会の代表選手に選ばれており、一般的にはかなりの高水準キーパーであることが窺える。

ヘルマン・カルツ

西ドイツ・ハンブルグ所属のMFで、ジュニアユース大会の西ドイツ代表にも選出された。「ハンブルグの仕事師」とも呼ばれるテクニシャンで、名アシストとしても活躍する。いつも口にくわえている爪楊枝を吐き捨てると、本気のプレーを見せる。若林源三のことを「ゲンさん」と呼ぶ唯一の人物。

吉良 耕三 (きら こうぞう)

明和FCの監督でいつも酒瓶を持っているが、日向小次郎、若島津健、沢田タケシらを育てた名監督。かつては外国からのプロ入りの話を断ったという、幻の日本人プロサッカー選手第1号でもある。攻撃的サッカーが身上で、中学3年生の日向小次郎を鍛え直したり、ジュニアユース大会に重さが3倍もあるサッカーボールを贈ったりなどして、教え子を支える。

デューター・ミューラー

西ドイツ代表選手の1人で、鋼鉄の巨人、幻のキーパーとも呼ばれる。山に籠って厳しい特訓を積み、GKとしての弱点をすべて克服している。その実力は、ウルグアイ代表のストライカー、ラモン・ビクトリーノのPKをワンハンドキャッチでクリアするほど。しかし決勝戦では、日本代表に3得点許してしまう。

ジノ・ヘルナンデス

イタリア代表選手の1人で、パーフェクトキーパーとも呼ばれる。ジュニアユース大会よりさかのぼること1年の間、誰にもゴールを許したことがないことで知られている。その1年前、最後にゴールを許したのがカール・ハインツ・シュナイダーで、彼に熱いライバル心を燃やしている。しかしジュニアユース大会では、西ドイツと対決する前に、日本に敗れた。

カール・ハインツ・シュナイダー

ジュニアユース大会の西ドイツ代表で、若林源三とはハンブルグ時代のチームメイト。ジュニアユース大会前に、バイエルンへプロ契約での移籍を決めている。FWだが、すぺてのポジションをこなせる才能ゆえ、若き皇帝と呼ばれる。必殺シュートのファイヤーショットは、摩擦力で実際にボールがくすぶっている。 若林源三からは、ペナルティエリア外から2度に1度はゴールを奪える。しかし彼自身、若林源三をライバルとして認めており、ジュニアユース大会では、何度もシュートを止められている。

集団・組織

東邦学園 (とうほうがくえん)

『キャプテン翼』に登場する私立学校。中学校から大学まであり、すべての学校でサッカー部は強豪として有名。全国から有能な選手を特待生として迎え入れており、日向小次郎は大学卒業までの学費を免除されている。日向小次郎が中学3年生のときに全国中学生サッカー大会で優勝したことで大学、高校、中学すべてのサッカー部が全国一に輝くという偉業を成し遂げた。

南葛SC (なんかつえすしー)

『キャプテン翼』に登場するサッカーチーム。全日本少年サッカー大会に出場するため、静岡県南葛市にある小学校のサッカー部から選抜されたメンバーによって結成された。前年度全国優勝した修哲小学校のメンバーが中心となっているが、南葛小学校の大空翼や石崎了、西が丘小学校の浦辺反次らも選ばれている。

南葛中学校 (なんかつちゅうがっこう)

『キャプテン翼』に登場する学校。静岡県南葛市にある公立中学校で、大空翼ら南葛SCに選抜された大半のプレイヤーが進学している。特に修哲小学校に通っていた来生哲兵、滝一、井沢守らは、若林源三の勧めもあり、修哲中学校進学をやめて南葛中学校を選んだ。彼らが進学してきて3年間、サッカー部は1敗もしたことがない。

その他キーワード

タイガーショット

『キャプテン翼』に登場する必殺シュート。使用者は日向小次郎で、中学3年生の時に、沖縄で編み出した。荒波すらも打ち抜く、スピードとパワーが特徴。ワールドユース大会では、重さが3倍のサッカーボールで練習を重ね、さらにシュートスピードと破壊力を増したネオタイガーショットへと進化させた。

スカイラブハリケーン

『キャプテン翼』に登場する必殺シュート。使用者は立花兄弟。兄弟どちらかが発射台としてフィールドの上で仰向けになり両足を抱えるように曲げ、もう1人がその足の裏に着地。2人が足を思いっきり伸展させる勢いを利用し、通常ではありえない飛躍力とスピードを生み出す。高い打点のシュートのほか、ディフェンス、パスなどに利用される万能技だが、足への負担も大きいため多用できない。 ジュニアユース大会では次藤洋が発射台となり立花兄弟が2人とも飛び出す応用技も登場した。

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