概要・あらすじ
大化の改新を成し遂げた中大兄皇子を父に、その弟の大海人皇子を夫に持ち、自らも天皇の座に就いた女帝、持統天皇こと、鵜野讃良皇女。幼い頃、政権に固執して祖父の命と母の心を奪った冷酷な父、中大兄皇子への憎しみから、父より偉く負けない力をつけようと心に誓った讃良。やがてそれは、夫の大海人を天皇に就かせるという、確固たる意志へと変わっていく。
一方で、権力固めのために次々と妻を娶り子を成す夫を、愛するが故に葛藤する讃良。苦悩の末、夫の戦友として生きる決意をした讃良は、日本を立派な律令国家とすることで、己の愛を顕現させようとする。
登場人物・キャラクター
鵜野讃良皇女 (うののさららのひめみこ)
645年、父の中大兄皇子が中臣鎌足と共に大化の改新を成し遂げ、その年に誕生した。中大兄の第二皇女。祖父の命を奪い、母の心を犠牲にしてまで政権に固執する父を恨み、父に負けない力をつけようと、幼いながらも心に誓う。しかし12歳では抗う力もなく、父の命令で叔父の大海人皇子のもとに嫁ぎ、跡継ぎとなる草壁皇子を産む。 思った事をはっきりと口に出すしっかりした利口者で、政治的才能にも恵まれる。父への反発心は、やがて大海人を天皇にするという確固たる意志へと変わり、夫と二人三脚で壬申の乱での勝利を収めた。しかし、権力固めのために次々と妻を娶り子を成す夫を、愛するが故に常に己の嫉妬心と葛藤する。 苦悩の末、やがて讃良は、夫の戦友として生きることを決意。夫の死後は自ら天皇の座に就き、日本を立派な律令国家とすることで、己の愛を顕現させようとする。歴史上の実在の人物、鵜野讃良皇女(持統天皇)がモデル。
中大兄皇子 (なかのおおえのみこ)
鵜野讃良皇女の父で、後に即位して天智天皇となった。天皇が実権を持ち、それを皇子が支える皇親政治を確立させるため蘇我入鹿を殺害し、大化の改新を成し遂げ、わずか19歳で政治家の道を歩み出した。政敵を容赦せず排除する冷徹な面があり、正妻の倭媛の父、古人皇子をはじめ、愛妃の遠智娘の父、蘇我倉山田石川麻呂、母の皇極天皇の弟、孝徳天皇の遺児である有間皇子を謀反の疑いで次々と処刑し、実権を固める。 また、妃や娘だけでなく、実母や実妹の間人皇女さえも政治の道具としたため、讃良をはじめ多くの者の恨みを買ってしまう。それは、己の力で日本を唐に並ぶ近代国家にするという強い信念ゆえの行動であったが、猜疑心から身内以外を信用することもできずに、孤独感に悩まされていた。 歴史上の実在の人物、中大兄皇子(天智天皇)がモデル。
大海人皇子 (おおあまのみこ)
鵜野讃良皇女の叔父で、後に夫となる人物。才気にあふれ何事にも峻厳な兄の中大兄皇子とは正反対で、情に厚く大らかな性格をしているため、年若い頃は兄の言いなりになっていた。愛情豊かで情に厚く、母の皇極天皇の采女であった額田王を妻とし十市皇女を授かったほか、地方豪族の娘、尼子娘との間に高市皇子をもうける。 しかし、最高権力者となった兄への忠誠心を示すために、断腸の思いで額田王を譲る。その交換条件として、兄の娘で姪にあたる大田皇女、讃良のふたりを娶った。その頃から兄への対向心が強くなり、一時は完全に対立する形になったが、時期尚早とみて、政治の場から一旦身を引く。 しかし、妻の讃良の献身により、様々な困難を乗り越え、天皇への道を歩み出す。歴史上の実在の人物、大海人皇子(天武天皇)がモデル。
遠智娘 (おちのいらつめ)
鵜野讃良皇女の母であり、中大兄皇子の妃嬪。その寵愛ぶりは、正妃の倭媛から嫉妬を買うほどで、間を置かず大田皇女と讃良のふたりの娘を授かっている。心優しく穏やかな愛情を持って夫を慕っていたが、自分の訴えに耳を貸さず、実父の蘇我倉山田石川麻呂にあらぬ謀反の疑いをかけて自殺に追い込んだため、絶望して精神に異常をきたし、建皇子を産むと同時に亡くなった。 歴史上の実在の人物、遠智娘がモデル。
皇極天皇 (こうぎょくてんのう)
鵜野讃良皇女の祖母にあたる女性で、中大兄皇子、大海人皇子、間人皇女の母親。温和で争いを好まない性格のため、政治はすべて蘇我入鹿に任せていた。中大兄が入鹿を討った後に退位したが、後を継いで天皇となった弟の孝徳天皇が病で逝去すると、中大兄に請われて再び帝位に就き、斉明天皇となる。 しかし、自身が皇太子の中大兄の隠れ蓑だということを重々承知しており、公務よりも孫の讃良や建皇子たちと過ごす時間を優先していた。絶大な権力を握った中大兄皇子に、苦言を呈することができる唯一の存在だったが、百済出兵を目前にして、筑紫の朝倉宮で病死する。 歴史上の実在の人物、皇極天皇(斉明天皇)がモデル。
間人皇女 (ましひとのひめみこ)
鵜野讃良皇女の叔母で、中大兄皇子の妹。実の兄妹でありながら中大兄と愛し合っていたが、天皇の位に固執する兄から、叔父の孝徳天皇のもとに嫁ぐように告げられ、皇后となる。孝徳天皇の死後、兄に請われて一時的に天皇としての役目を果たしていた。女性が天皇になっても飾り物でしかないと諦めていたが、讃良の意志の強さを認め、将来本当の女帝になれるかもしれないと伝えた後、病死する。 歴史上の実在の人物、間人皇女(仲天皇)がモデル。
中臣 鎌足 (なかとみ の かまたり)
中大兄皇子の腹心であり、共に大化の改新を成し遂げた忠臣。中大兄の側近として、二人三脚で政治を行っており、中大兄の元妻である鏡王を譲られるなど、信頼も厚い。息子の不比等に対し、だれが天下を取るのかを見極め、その人を頂上に押し上げるために全力を尽くし、ともに頂上に立って自分の考えた政治を行ってもらうという大計画を打ち明け、そのために自分の娘を皇族に嫁がせ、何代かかっても皇族のまわりを中臣の血で固めるのだと指南した。 実際に中大兄と比肩する大海人皇子に、実娘の氷上娘を嫁がせている。また、不比等が目指すべきは讃良であると語るなど、讃良の政治力を高く評価していた。 歴史上の実在の人物、中臣鎌足がモデル。
額田王 (ぬかたのおおきみ)
皇極天皇の世話をする采女のひとりで、幼少期の鵜野讃良皇女や大田皇女に勉強を教えていた、美しい女性。思慮深く洞察力に優れ、大人の女性としての落ち着きを持ち、讃良や大田から姉のように慕われている。歌謳いの名人としても有名で、男性からも人気があった。年若い大海人皇子と結婚し、娘の十市皇女をもうけたが、兄への忠誠を示す必要に迫られた大海人の思いを汲み取り、中大兄皇子のもとへ嫁ぐ。 その後も讃良との親交は続き、大海人への愛に悩む讃良に助言をすることもあった。中大兄の元妻であり、後に臣下の中臣鎌足の妻となった鏡王は、実の姉である。 歴史上の実在の人物、額田王がモデル。
大田皇女 (おおたのひめみこ)
鵜野讃良皇女の実姉。父である中大兄皇子の命令で、13歳で叔父の大海人皇子のもとに正妃として嫁ぐ。自分よりも人のことを考える優しい気立てをしており、女性にやすらぎを求める大海人の寵愛を受けた。百済出兵のため、筑紫に政府が移動した際には、妹の讃良と共に夫に随伴し、旅の途中で大伯皇女を出産する。 さらに、大海人にとって初めての男児となる草壁皇子を讃良が出産した後に、大津皇子を産み落とすが、病気のため24歳の若さで亡くなった。歴史上の実在の人物、大田皇女がモデル。
建皇子 (たけるのみこ)
鵜野讃良皇女の実弟。誕生と同時に母の遠智娘を亡くし、姉の讃良と大田皇女とともに祖母である宝姫尊の手元で育てられたが、讃良が大海人皇子に嫁いた時に、いっしょに大海人に引き取られた。生まれつき口をきくことができなかったが、優しく聡明な男の子に育つ。 祖母の宝姫尊の弟、軽皇子のひとり息子でいとこちがいにあたる有間皇子と、姉の讃良の仲を心配し、幼いながらも二人が結ばれるように間を取り持ったが、わずか8歳で病死した。歴史上の実在の人物、建皇子がモデル。
有間皇子 (ありまのみこ)
鵜野讃良皇女の祖母である宝姫尊の弟、軽皇子(孝徳天皇)のひとり息子で、讃良のいとこにあたる美少年。父を飾り物の天皇にしただけでなく、実の兄妹でありながら裏で皇后の間人皇女と愛し合い、父をないがしろにする中大兄皇子に憎しみを抱く。その復讐のために讃良を利用しようとしたが、讃良の純真さに考えを改め、大切にしようと心に誓う。 しかし父の死がきっかけで、正気を失う。歴史上の実在の人物、有間皇子がモデル。
蘇我 赤兄 (そが の あかえ)
鵜野讃良皇女の祖父、蘇我倉山田石川麻呂の弟。中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害した乙巳の変以来、落ちぶれた立場となった蘇我氏を盛り返したいという野心を持っている。己の出世のため、卑怯な手段を用いることを厭わない性格で、孝徳天皇のひとり息子、有間皇子に決起するよう煽って騙して、中大兄に密告し、結果的に有間を死に追いやる。 そのため、有間を慕っていた讃良から恨みを買うことになるが、政治の場では中大兄に重用されることになる。また、中大兄のもとに常陸娘、大海人皇子のもとへは大蕤娘をそれぞれ嫁がせるなど、抜け目がない。 歴史上の実在の人物、蘇我赤兄がモデル。
大友皇子 (おおとものみこ)
中大兄皇子と妃嬪の伊賀宅子娘の間に産まれた男の子で、鵜野讃良皇女の異母弟にあたる。いとこである大海人皇子と額田王の娘である十市皇女と、大海人と尼子娘の息子である高市皇子の3人で幼い頃からいっしょに遊んでいたこともあり、十市皇女に想いを寄せていた。 気が弱いが独占欲が強く、十市と高市が仲が良いことにやきもちを焼き、対向心から高圧的な態度に出ることが多い。十市と結婚したいと父の中大兄皇子に訴え、皇族の娘と結婚しても恥じない地位に就くために勉学に励み、念願叶って十市と結婚した。しかしその結婚は父の権威をかさにきて無理に承諾させたもので、十市の心を手に入れたわけではないことに、生涯悩むことになる。 歴史上の実在の人物、大友皇子(弘文天皇)がモデル。
十市皇女 (とおちのひめみこ)
大海人皇子の長女で母は妃嬪の額田王。母親に似てたおやかで美しく、素直な少女。いとこである、中大兄と伊賀宅子娘の息子、大友皇子と、大海人と尼子娘の息子、高市皇子とは幼なじみ。好意を素直に表す高市と両思いの関係にあったが、結婚しないと、母の額田と高市がどうなってもしらないと大友に言い寄られ、愛する人を守るために結婚を承諾する。 しかし本心を隠しおおせるほどの器用さもなく、常に夫の大友に疑いを向けられ責められるという、辛い結婚生活を送る。歴史上の実在の人物、十市皇女がモデル。
高市皇子 (たけいちのみこ)
大海人皇子と妃嬪の尼子娘の間に産まれた長男。百済出兵のため政府が筑紫に移動している間に、父の大海人の正妃、大田皇女が大伯皇女と大津皇子を、鵜野讃良皇女が草壁皇子を産んだことを目の当たりにし、己が跡継ぎとして認められないという身分の差を身をもって理解していた、頭の良い少年。 大海人と額田王の娘である十市皇女と両思いだったが、中大兄皇子の息子の大友皇子に奪われてしまう。そして、いつか大友より立派な男になって十市を取り戻すと誓い、勉学に励み武学をきわめるため努力を重ねる。そのいじらしさと強さを認めた讃良から教材を譲り受けるなど、目をかけられるようになる。 歴史上の実在の人物、高市皇子がモデル。
大伯皇女 (おおくのひめみこ)
大田皇女が産んだ皇女。6歳で母を病気で喪い、弟の大津皇子とともに祖父の中大兄皇子に引き取られ、育てられる。大海人が大友皇子から政権を奪った壬申の乱の後、大海人が即位して天武天皇となり、その命令で、国の第一の神社として拡張・整備された伊勢神宮の最初の斎宮に任命される。 歴史上の実在の人物、大伯皇女がモデル。
大津皇子 (おおつのみこ)
大田皇女が産んだ皇子。産まれた時から父の大海人にそっくりな顔立ちと、男の子らしい逞しさを備えている。体が丈夫で武芸に秀でており、詩歌の腕前も相当なことから、讃良が産んだ草壁皇子とは正反対で頼もしいと、常々比較されていた。草壁皇子と対抗する微妙な立場であるが、天衣無縫な性格のため最初は気にしていなかった。 しかし、祖父の天智天皇と蘇我赤兄にとっての娘、山辺皇女との結婚を讃良に反対されて不信感を覚えた。さらに、草壁皇子が皇太子に任命され、ほかの皇子にも役職が与えられたが、自分だけが特定の役職を与えられないことがきっかけとなり、草壁皇子への対抗心を露わにするようになる。 歴史上の実在の人物、大津皇子がモデル。
草壁皇子 (くさかべのみこ)
鵜野讃良皇女が大海人皇子との間にもうけた、跡継ぎ。小さい頃から体が弱くてよく熱を出していたことや、武芸が苦手で美しいものを愛でる優しい性格であったことなどから、祖父の天智天皇からは、母である讃良ではなく、祖母の遠智娘とそっくりだと評されていた。偉大な両親に恥じぬようにと勉学に励み、その実力は十分に評価されていたが、父である天武天皇の血を濃く受け継いでいる大津皇子と比較され、皇太子にふさわしくないと陰口を叩かれることも多く、繊細な心を痛めている。 幼い頃から想いを寄せていた、天智天皇と姪娘の娘である阿閇皇女と結婚し、娘の氷高皇女と息子の珂瑠皇子を授かる。 歴史上の実在の人物、草壁皇子がモデル。
柿本 人麻呂 (かきのもと の ひとまろ)
中大兄皇子が即位し天智天皇となり、近江に遷都した後、19歳で鵜野讃良皇女と運命的な出会いを果たす。幼い讃良が心を寄せた有間皇子に良く似た外見であることと、やさしい響きである「やまとことば」で詠いたいという意見を持っていることに共感した讃良に気に入られ、交流を深める。 政治よりも歌が第一という風変わりな性格だったが、その天才的な歌の才能は誰もが認めていた。歴史上の実在の人物、柿本人麻呂がモデル。
中臣 史 (なかとみ の ふひと)
天智天皇の忠臣、中臣鎌足の息子。天智天皇と色夫吉娘の子、川島皇子の学友でもある。ほかの人間と等しくないという意味である「不比等」という名前に劣等感を抱いていたが、父の鎌足から大臣という立場から天下を取ることを教えられ、父を目指して勉学に励む。負けず嫌いな性格で、柿本人麻呂が自殺した采女を悼む歌をよみ、鵜野讃良皇女に気に入られた噂を耳にすると、自分も漢詩を作って讃良に献上した。 その際、不遜な名前であることを讃良に指摘されたが、うまく取り繕ってみせたことで、8歳にして機転の利く子であると認められる。優れた知性と政治手腕を持つ讃良に、畏怖と敬意を抱いている。 歴史上の実在の人物、藤原不比等がモデル。
川島皇子 (かわしまのみこ)
天智天皇と色夫吉娘の間に産まれた皇子。いとこで天武天皇の息子の大津皇子、忍壁皇子とその兄弟の穂積皇子と泊瀬部皇女、磯城皇子と仲が良く、後に泊瀬部と結婚する。草壁皇子への対抗心を露わにする大津を忍壁とともに諫めていたが、本心では、自分が天智天皇の血筋であるため出世できないことをひがんでいた。 そのため、皇太子になった草壁皇子に反発心を抱き、大津に肩入れしている。忍壁と共に、日本各地に言い伝えられている歴史をまとめ、きちんとした歴史書を編纂する修史事業の担当責任者の筆頭に任命され、生涯その職務に尽力する。歴史上の実在の人物、川島皇子がモデル。
忍壁皇子 (おさかべのみこ)
天武天皇とカジ媛娘の間に産まれた皇子で、弟の磯城皇子と、妹の泊瀬部皇女と多紀皇女がいる。いとこで天武天皇の息子の大津皇子と、川島皇子とはとても仲が良かった。幼い頃から優れた観察眼を持っており、なにをやっても次期皇太子候補として比較される草壁皇子と大津のことを心配し、争いにならなければよいと不安に思っていた。 後に、天智天皇と橘娘の娘である明日香皇女と結婚し、川島と共に、日本各地に言い伝えられている歴史をまとめ、きちんとした歴史書を編纂する修史事業の担当責任者の筆頭に任命される。歴史上の実在の人物、忍壁皇子がモデル。
志貴皇子 (しきのみこ)
天智天皇と越道君娘の間に産まれた皇子。控えめで思慮深く、苦境に立たされた川島皇子を励まし続ける。文章表現の才能があるとして、高市皇子に認められている。歴史上の実在の人物、志貴皇子がモデル。
阿閇皇女 (あへのひめみこ)
天智天皇と姪娘との間に産まれた皇女。姪娘は、鵜野讃良皇女の母である遠智娘の異母妹なので、讃良にとっては従妹にあたる。利発で、思ったことをハキハキと発言する?剌とした性格。皇族であることに誇りを持ち、目下の者には決して弱い面を見せない強さを備えており、血筋も申し分ないと讃良から気に入られている。 14歳で結婚を意識し始める前から草壁皇子が気になっていたが、煮え切らない態度につれない素振りをしたこともある。しかし、草壁自身の口からはっきりと愛を伝えられ、結婚する。歴史上の実在の人物とされる、阿閇皇女(元明天皇)がモデル。
御名部皇女 (みなべのひめみこ)
天智天皇と姪娘との間に産まれた皇女で、阿閇皇女の一歳違いの姉。姪娘は、鵜野讃良皇女の母である遠智娘の異母妹なので、讃良にとっては従妹にあたる。天武天皇の補佐役となった高市皇子の社会的立場を整えるため、天武天皇により強引に高市と結婚することとなる。 積年の想い人である十市皇女を亡くし、傷心のあまり自分の殻に閉じこもった高市に寄り添い、真摯に尽くす、芯の強さを持っている。歴史上の実在の人物、御名部皇女がモデル。
山辺皇女 (やまべのひめみこ)
天智天皇と蘇我赤兄の娘である常陸娘との間に産まれた皇女。おっとりとして優しい気質をしており、大伯皇女に雰囲気が似ていることを気に入った大津皇子から熱心に求婚される。歴史上の実在の人物、山辺皇女がモデル。
大名児 (おおなこ)
蘇我赤兄の娘で天武天皇の妻のひとり大蕤娘の縁者で、鵜野讃良皇女と天武天皇の世話をする采女のひとり。美しくて賢い女性で、草壁皇子と大津皇子のふたりから好意を寄せられる。控えめに文を送ってくる草壁よりも、直接愛情をぶつけてくる大津に惹かれ、結婚の約束を交わす。 しかし讃良から直々に草壁との婚姻を望まれ、大津を守るために結婚を承諾。しかし本心を偽ることができず、大津に身を委ね、結果的に大津の謀反への意欲を掻き立てることとなってしまう。
珂瑠皇子 (かるのみこ)
鵜野讃良皇女の愛息である草壁皇子と、正妃の阿閇皇女との間に産まれた皇子。讃良にとって初めての男孫で、将来の天皇になるべく育てられており、讃良の計らいでわずか9歳の時に、10歳も年上の紀皇女と婚約する。父の草壁に似て繊細な性格で、狩りや武芸が得意ではないが、讃良の意を汲み取るのがうまい世話係の三千代の手助けもあり、危なげなく成長する。 歴史上の実在の人物、珂瑠皇子(文武天皇)がモデル。
紀皇女 (きのひめみこ)
天武天皇と大蕤娘の娘で、兄の穂積皇子と妹の田形皇女がいる。性別や地位に縛られたくないという、精神的な自由さと強さを兼ね備えており、そこを鵜野讃良皇女に見込まれ、19歳の時に、草壁皇子と正妃の阿閇皇女の息子である珂瑠皇子の婚約者となる。しかし幼い珂瑠を恋愛対象とは意識できず、退屈しのぎで弓削皇子と関係を持ってしまう。 歴史上の実在の人物、紀皇女がモデル。
弓削皇子 (ゆげのみこ)
天武天皇と大江皇女の息子で、長皇子の弟。大江皇女の父は、鵜野讃良皇女と同じ天智天皇、母は川島皇子や泉皇女を産んだ色夫古娘である。血筋からいえば、讃良の実子である草壁皇子と同じ立場であるにもかかわらず、皇位継承の道が閉ざされているとして、天皇となった讃良への不満を抱え、常に苛立っている。 その苛立ちをおさえきれず、珂瑠皇子の婚約者の紀皇女と密通を重ねる。歴史上の実在の人物、弓削皇子がモデル。
三千代 (みちよ)
鵜野讃良皇女の孫である珂瑠皇子の世話係兼教育係として、幼少期から面倒を見ている采女。珂瑠に天皇らしい強さを持って欲しいと願う讃良の意を汲み取って、厳しいながらも母親のような愛情で珂瑠に接し、一番の信頼を得ている。夫である美努王と子どもがいるが別居中。 理由は、皇位の安定こそが国の安定であり、ひいては家族の幸せにつながるのだという信念と使命感を持って皇室に仕えているためだという。その真意を知った中臣史から、互いに同志として、良き理解者として支え合おうという申し出を受け、共に協力して珂瑠の治世を築こうと誓う。
葛野 (かどの)
天智天皇の愛息の大友皇子と、天武天皇と額田王の娘である十市皇女との間に産まれた男児。天武天皇が大友派から政権を奪った壬申の乱の後、母の十市と共に暮らしていた。複雑な立場に置かれている母を気遣い、勉強して誰にも何も言われないようになろうと、心に決める。 鵜野讃良皇女の愛息の草壁皇子や、他の天武天皇の息子たちといっしょに勉強をしていたこともある。讃良が帝位に就き持統天皇となった後、皇太子を決める皇族会議において、帝位を継ぐ者を法則で決める必要があると発言し、讃良と考えを同じくする者として重用されることになる。歴史上の実在の人物である葛野王がモデル。
安麻呂 (やすまろ)
鵜野讃良皇女の夫である天武天皇の時代に、地方視察をしていた多品治の養子。実は、謀反で死罪となった大津皇子と蝦夷の女性アマメの間に産まれた息子だった。養父の多品治の進言により、日本各地に言い伝えられている歴史をまとめ、きちんとした歴史書を編纂する修史事業の担当責任者の筆頭である忍壁皇子の補佐となる。 勉学に励み、唯一の肉親である叔母の大伯皇女と会う機会を得て、真実を告げることに成功する。容姿だけでなく性格も父親の大津そっくりで、周囲への気配りが足りず、若さに任せて上皇となった讃良(持統天皇)の殺害を計画する。
書誌情報
天上の虹 11巻 講談社〈講談社漫画文庫〉
第1巻
(2000-02-10発行、 978-4062606820)
第2巻
(2000-02-10発行、 978-4062606837)
第3巻
(2000-03-10発行、 978-4062606844)
第4巻
(2000-03-10発行、 978-4062606851)
第5巻
(2000-04-12発行、 978-4062606868)
第6巻
(2000-04-12発行、 978-4062606875)
第7巻
(2013-04-12発行、 978-4063709117)
第8巻
(2013-05-10発行、 978-4063709261)
第9巻
(2013-06-12発行、 978-4063709285)
第10巻
(2013-07-12発行、 978-4063709308)
第11巻
(2015-11-12発行、 978-4063850147)