昭和天皇物語

昭和天皇物語

明治に生まれ、大正から昭和の激動の時代を生きた昭和天皇の生涯を描く。戦前は大日本帝国の「大元帥」を、戦後は日本国の「象徴」を務めた昭和天皇と、彼と共に生きた日本人達の物語。「ビッグコミックオリジナル」2017年9号から連載の作品。

正式名称
昭和天皇物語
原作者
半藤 一利
作者
ジャンル
その他歴史・時代
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あらすじ

第1巻

明治37年(1904)、東京女子師範学校附属幼稚園で子供達の教育係を務めていた足立タカは、東宮侍従長の木戸孝正を通じて明治天皇の孫である裕仁の養育係に任命される。当初は自分が天皇の孫の養育係をするなど畏れ多いと断るタカだったが、木戸の説得により引き受ける事を決意し、御所で裕仁と対面する。活発で聡明な裕仁は、タカの教えを忠実に守りながら学習院初等科へと入学する。折しも学習院では日露戦争で戦った軍人の乃木希典が院長に就任していた。だがそれから程なくして明治天皇は崩御し、乃木もまたそれに続くように殉死する。時代は大正へと移り、裕仁は学習院初等科を卒業、東宮御学問所へと進学する。東宮御学問所の総裁には乃木と同じく日露戦争を戦った東郷平八郎が就任し、倫理・帝王学の教師には杉浦重剛が任命された。裕仁は東郷や杉浦達からさまざまな事を学んでいく。

第2巻

大正4年(1915)、裕仁の養育係だった足立タカは10年間の記録を東宮侍従長の木戸孝正に渡し、養育係を辞していく。その翌年、裕仁は皇太子である事を国民に伝える「立太子の礼」に参加、タカはその裕仁の姿に感慨深いものを感じるのだった。そんな頃、公爵の山縣有朋は、自身の出身である長州から次期皇后を輩出させようと画策していた。大正天皇の妻であり、裕仁の母親でもある節子皇后もまた、裕仁の后を見つけるために学習院を訪れ、そこで久邇宮良子と出会う。学習院で教鞭をとる杉浦重剛から良子の評価を聞いた節子は、良子こそ裕仁の后に相応しいと判断し、宮内大臣の波多野敬直に命じて良子を次期皇后に内定させる。しかし、それを不服に思った山縣は、自身の派閥と共にこの内定を覆そうとしていた。折しも米の価格が高騰した事による暴動の影響で内閣が総辞職し、原敬が総理大臣に就任する。国民からの絶大な人気を集める原もまた、裕仁の婚約について高い関心を寄せていた。

第3巻

節子皇后は、裕仁の婚約者として久邇宮良子を内定するが、山縣有朋は良子の家系に色弱の傾向がある事を盾に、婚約破棄を進言する。しかし、裕仁は山縣と直接対面し、自身の婚約者は良子しかいない事を告げる。その言葉を受けた山縣は、やむなく裕仁と良子との婚約を承諾する。その頃、裕仁の父親である大正天皇は体調を崩して床に伏せる事が多くなっていた。内閣総理大臣の原敬は、裕仁と対面して彼に海外への外遊を提案する。裕仁が学ぶ東宮御学問所の総裁である東郷平八郎や節子は原の提案に難色を示すものの、大正天皇は自身が望みながらも叶えられなかった外遊を裕仁にさせてやりたいと答える。多くの人達の後押しを得た裕仁は外遊へと出発し、沖縄を経て香港へと上陸するのだった。

登場人物・キャラクター

裕仁 (ひろひと)

大日本帝国の大元帥を務める男性で、「昭和天皇」。明治天皇の孫として生まれ、将来の日本を率いる立場の人間として成長していく。足立タカや乃木希典、杉浦重剛といった周囲の人達からの影響を受けながら、少しずつ将来の天皇としての自覚と教養を身につけていき、日本という国家の繁栄の礎となる事を決意する。 実在の人物、昭和天皇がモデル。

久邇宮 良子 (くにのみや ながこ)

昭和天皇となる裕仁の妻として、のちに「香淳皇后」となる女性。裕仁の后となる女性を探していた節子皇后が学習院で出会い、将来の皇后となるにふさわしい女性と認めた事で裕仁との婚約が内定した。由緒正しい家柄の出身でありながら、学校へは毎日1時間早く登校し、教室の掃除を率先して行うなど、気配りができる人物。学習院幼稚園では足立タカの教えを受けていた事もあり、裕仁とはその頃から出会っていた。 実在の人物、香淳皇后がモデル。

足立 タカ (あだち たか)

学習院幼稚園の教員を務める女性。東宮侍従長の木戸孝正から裕仁の養育係として任命され、幼い頃の裕仁の人格形成に大きな影響を与えた。多感な少年時代の裕仁に対して生命の尊さや人と人との和を重んじる事を教え、母親と触れ合う機会の少なかった裕仁にとって母親代わりともなった。裕仁の成長と共に養育係を辞し、当時の陸軍大将と結婚するが、裕仁は足立タカから受けた恩を忘れず、「立太子の礼」に彼女を招待した。

木戸 孝正 (きど たかまさ)

東宮侍従長の男性。幕末の志士である木戸孝允を叔父に持ち、侍従長として天皇家を長きにわたって支えて来た。学習院幼稚園の教員を務める足立タカの指導力を高く評価し、将来の天皇となる裕仁の養育係として任命する。やや融通が利かない性格ながら、日本という国家の行く末と裕仁の将来を案じており、タカが裕仁のために尽力して来た事には深い感謝と理解を示している。 実在の人物、木戸孝正がモデル。

乃木 希典 (のぎ まれすけ)

学習院院長を務める男性。かつて日露戦争で多大な功績をあげた事から陸軍大将を務めていた。明治天皇から学習院院長を任命され、幼い裕仁の指導を任される。明治天皇に心酔しており、裕仁が自身の尊敬する人物として祖父である明治天皇の名をあげなかった事を不服に思っていた。裕仁に対しては「強くなる事」が必要である事を説き諭し、裕仁もまた乃木希典の教えを守って強さを身につけていく。 その後、明治天皇の崩御に殉じて自刃する。実在の人物、乃木希典がモデル。

東郷 平八郎 (とうごう へいはちろう)

裕仁の教育のために設立された東宮御学問所の総裁を務める男性。かつて乃木希典と共に日露戦争を戦い、日本海海戦の活躍から軍内部では強い影響力を持つ。明治天皇に殉死した乃木とは違うと豪語するが、乃木が備えていた人望が自身にはないという事も自覚しており、それを理解したうえで自身のやり方で裕仁を天皇にふさわしい人物に育て上げようとする。 実在の人物、東郷平八郎がモデル。

杉浦 重剛 (すぎうら じゅうごう)

東宮御学問所で教師を務める男性。裕仁の父親である大正天皇に要請され、裕仁に倫理学や帝王学の授業を行う。東郷平八郎と共に裕仁にとって大きな影響を及ぼした存在であり、のちに裕仁が后を選ぼうとしていた際にも的確な助言を与えた。その助言が結果的に裕仁と久邇宮良子とを結びつける事にもつながった。既に老境に差し掛かっているにもかかわらず、自身を取り立ててくれた大正天皇に強い恩義を感じている。 実在の人物、杉浦重剛がモデル。

山縣 有朋 (やまがた ありとも)

公爵の男性。かつて幕府を倒して明治維新を成し遂げた立役者の一人であり、大正時代においても政府内では隠然たる影響力を持っている。次期皇后となる女性を自身の出身地である長州から輩出しようと目論み、薩摩出身の久邇宮良子が裕仁の婚約者として内定した際には、さまざまな手段を用いてその婚約を破棄させようとした。しかし、杉浦重剛の助言を受けた裕仁に諭され、最終的には良子との婚約を了承する。 実在の人物、山縣有朋がモデル。

波多野 敬直 (はたの よしなお)

宮内大臣の男性。宮内庁の責任者として、節子皇后の指示を受け、様々な雑務を一手に引き受ける。裕仁と結婚して将来の皇后となる女性を探すために奔走し、久邇宮良子を節子皇后に引き合わせる。その後も良子を裕仁の婚約者とするためにさまざまな手を打つが、それが山縣有朋の逆鱗に触れ、宮内大臣を辞任に追い込まれる。 実在の人物、波多野敬直がモデル。

原 敬 (はら たかし)

政治家の男性。米価格の暴落のあおりで総辞職した内閣のあとを受けて、総理大臣に就任する。爵位を受ける事を辞退したうえでの総理大臣就任のため、「平民宰相」として国民からの絶大な支持を集めていた。裕仁の結婚には強い関心を寄せるものの、この事を政治利用しようとする山縣有朋とは異なり、原敬自身はあくまでも傍観者の姿勢を貫いた。 裕仁に対しては、自身が若い頃に海外へと留学した経験を語り、できるだけ早い時期に外遊に出るよう提案する。実在の人物、原敬がモデル。

大正天皇 (たいしょうてんのう)

裕仁の父親。明治天皇の崩御に伴い天皇に就任した。近代国家としての大日本帝国の基礎を築いた明治天皇の能力や手腕を認めて尊敬している一方で、その息子である自身には何の能力もない事を悔やんでいる。体が弱く、体調を崩しがちでありながらも息子である裕仁の将来を案じ、大正天皇自身ができなかった事を裕仁に成し遂げてほしいと、期待を寄せている。 実在の人物、大正天皇がモデル。

節子皇后 (さだここうごう)

裕仁の母親。大正天皇の妻。体調を崩しがちな大正天皇に代わって公務を執り行う事も多く、多忙のために息子裕仁とも会う時間が少なかった。かつて自身が天皇家に輿入れした際に天皇家内部での様々な軋轢に翻弄された経験から、裕仁の妻となる女性には、自分と同じ苦労をさせたくないと願っている。波多野敬直を通じて久邇宮良子を見出し、彼女こそ裕仁の后としてふさわしい女性と白羽の矢を立てる。 実在の人物、貞明皇后がモデル。

明治天皇 (めいじてんのう)

裕仁の祖父。裕仁が生まれた明治時代の天皇。文明開化に象徴されるように、西洋の文化が入って来た新たな時代の天皇として、国民達を導いて来た。乃木希典をはじめ、その人柄に心酔する者も多い。孫の裕仁を次の世代の天皇としてふさわしい人間に育てるため、乃木を学習院の院長として任命するが、それから程なくしてこの世を去る。 実在の人物、明治天皇がモデル。

場所

東宮御学問所 (とうぐうごがくもんじょ)

大正天皇が息子である裕仁に次の天皇としてふさわしい教養を身につけさせるために設立した学校。総裁には東郷平八郎が就任し、杉浦重剛らが教鞭をとった。裕仁は東宮御学問所で倫理学や帝王学など、さまざまな学問を修めていった。

クレジット

原作

半藤 一利

脚本

永福 一成

監修

志波 秀宇

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