残照の帝國

残照の帝國

末期のタワンティン・スーユ(インカ帝國)を舞台とした大河史劇。インディオの皇子とエスパーニャの令嬢が文化の壁を乗り越えて交流する姿を主軸に、歴史に名を残す大規模な戦いや取り決め、帝國の滅亡までが描かれている。「ビッグコミックオリジナル」デジタル版2016年第15号から2018年第13号にかけて掲載された作品。

正式名称
残照の帝國
ふりがな
ざんしょうのていこく
原作者
あまや ゆうき
漫画
ジャンル
アクション
 
その他歴史・時代
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あらすじ

パリアカカの正体

新大陸を征服したエスパーニャの横暴は留まるところを知らず、原住民のインディオたちはたび重なる略奪(ごうかん)、強姦、虐殺に苦しめられていた。エスパーニャ軍に従軍していた修道士のバルトロメ・カランサは、同胞の蛮行を食い止めようと必死に教えを説いていたが、彼らの狂気を抑えることはできず、目の前で繰り広げられる凄惨な光景に無力を感じるばかりだった。そんなカランサのもとにインディオの賞金首、パリアカカが現れ、狼藉(ろうぜき)を働いていた軍隊をたった一人で壊滅させてしまう。パリアカカの暴威を目の当たりにしたカランサは恐れ慄(おのの)き、命乞いをするほかなかったが、仮面の隙間から覗(のぞ)くパリアカカの瞳には見覚えがあるようにも思えた。エスパーニャの所業を語り継ぐことを条件に見逃されたカランサは、プマ・チュパンの町で出会ったティトゥ・クシ・ユパンギこそパリアカカの正体だと確信し、彼との出会いに思いを馳(は)せる。

皇子との出会い

時は15年前に遡る。プマ・チュパンの町では人権派の執政官、エミリオ・ド・モンテシーノスとインディオからの搾取を肯定する過激派の議員、ヒネス・セプルベダが対立していた。ある日、エミリオの娘にして、バルトロメ・カランサの教え子でもあるファナ・モンテシーノスがエスパーニャに虐げられていた少年たちを助ける。彼らこそ、のちにパリアカカとなるティトゥ・クシ・ユパンギと弟のトゥパック・アマルゥだった。第15代タワンティン・スーユ皇帝(サパ・インガ)のマンゴ・インガ・カパックの血を引くティトゥとアマルゥは、エスパーニャの文化を学ぶ目的で、エミリオの屋敷で暮らし始める。しかし、穏やかな生活は長くは続かなかった。エスパーニャの横暴に耐えかねてカパックが挙兵し、40万もの兵力で皇都クスコを包囲したのである。皇都を預かるホワン・ピサロらの後援を得たセプルベダは、皇子の身柄を確保するという名目でエミリオの屋敷に夜襲を仕掛け、エミリオを自害に追い込んだばかりか、ファナの身体を辱めるように兵士たちを誘導する。ティトゥはエミリオの最期の願いを聞き入れ、ファナとアマルゥを連れて屋敷からの脱出を図る。

地下迷宮の戦い

トゥパック・アマルゥ呪術で覚醒したティトゥ・クシ・ユパンギの奮戦により、一行は窮地を脱することに成功する。やがて一行はバルトロメ・カランサの手引きで教会へ避難するが、追手から確実に逃れるには皇都クスコからも脱出する必要があった。狂戦士と化したティトゥの姿を目の当たりにしたことで、ファナ・モンテシーノスはティトゥを恐れるようになっていたが、カランサの導きにより、ティトゥと共に旅立つことを決意する。こうして一行は外部につながる地下迷宮へ身を躍らせたが、その背後には追手のギリビーロがせまっていた。ファナに覚醒を禁じられたティトゥは苦戦を強いられるが、機転をきかせて、ついにギリビーロを撃破する。

サクサイワマンの戦い

地下迷宮を抜けた一行はミカイリャパというインディオの夫婦と出会い、彼らの家に招かれる。お嬢様育ちのファナ・モンテシーノスにとって、インディオの文化や生活は耐え難いものだったが、エスパーニャに子供を殺されたというミカイたちとの交流をとおして、心境に変化が生まれていた。一方、マンゴ・インガ・カパックは皇都クスコを包囲させておきながら、一向に攻撃を仕掛ける気配がなかった。そのスキを狙うかのように、エスパーニャ軍がインディオ軍の拠点であるサクサイワマン砦を攻撃する。事態の急変を察したティトゥ・クシ・ユパンギトゥパック・アマルゥはカパックを救出するべく、ファナを残して砦(とりで)に急行するが、そこにカパックの姿はなかった。カパックは自ら指揮すると宣言しながら、砦に来なかったというのだ。父親に失望したティトゥは総大将のビラ・オマに協力を要請し、砦を捨てカルカへと撤退する。この戦いでインディオを裏切った皇弟のインギルワイパル、ピルーの支配者「ピサロ兄弟」の三男であるホワン・ピサロが死亡する。ミカイとリャパは敗残兵からファナを守るための囮(おとり)となり、ファナはピサロ兄弟の次男であるエルナンド・ピサロに保護され、皇都へ舞い戻るのだった。

オリャンタイの戦い

カルカに到着したティトゥ・クシ・ユパンギトゥパック・アマルゥビラ・オマを迎えたのは、マンゴ・インガ・カパックの妻であるクラ・オクリョだった。彼女の協力を取り付けたティトゥは、サクサイワマン砦が陥落した責任をビラ・オマに負わせようというカパックの目論見を阻止する。ほどなく決戦の機運が高まり、ティトゥはオリャンタイタンボを拠点にエスパーニャ軍を迎撃する作戦を考案する。この戦争の勝機は敵の誘因を担うビラ・オマと援軍を率いるカパックの連携にあったが、カパックは戦場に現れず、アマルゥを連れてビルカバンバへと逃げてしまう。別働隊を率いていたティトゥは、一か八かエスパーニャ軍の総大将であるエルナンド・ピサロに特攻を仕掛けるが、彼の卓越した鞭捌(むちさば)きに翻弄され、捕縛されてしまうのだった。一方、エルナンドの粋な計らいで皇都クスコに住まいを得ていたファナ・モンテシーノスバルトロメ・カランサミカイリャパと合流し、束(つか)の間の平穏を甘受していた。しかし、ピサロ兄弟と権力の座を争っていたディエゴ・アルマグロがクーデターを起こし、皇都を占拠してしまう。

ラス・サリナスの戦い

ピサロ兄弟の指示によってビラ・オマ、次いでクラ・オクリョが処刑されてしまう。二人の処刑を目の当たりにしたティトゥ・クシ・ユパンギエルナンド・ピサロに怒りの矛先を向けるようになるが、ファナ・モンテシーノスを保護しているエルナンドに逆らうわけにもいかず、感情とは裏腹にエルナンドへの従属を強いられていた。やがてエルナンド率いるピサロ派の軍勢とディエゴ・アルマグロの軍勢がラス・サリナスの野で激突する。ティトゥはエルナンドの指示で、アルマグロ派の司令官であるロドリゴ・オルゴニェスに戦いを挑むも、窮地に陥ってしまう。しかし、「木偶の坊」と呼ばれる巨漢の兵士の助けを得てオルゴニェスの片目を奪い、戦場から退かせることに成功する。これをきっかけにピサロ派の猛攻が始まり、アルマグロが戦死したことで、戦いは終結を迎えた。

オルゴニェスとの決着

ラス・サリナスの戦いで勝敗を左右する活躍を見せたティトゥ・クシ・ユパンギだったが、インディオの虜囚という事実は覆しようもなく、監視を付けられてしまう。しかし、エルナンド・ピサロがティトゥの監視役に指名したエスパーニャはファナ・モンテシーノスだった。こうして、ティトゥは再びファナと一つ屋根の下で暮らすようになったが、その表情は晴れなかった。守ると誓ったトゥパック・アマルゥと引き離され、殺そうとしていたエルナンドに情けを掛けられ、戦う目的を見失っていたのである。そんなティトゥに、ファナは戦いをなくすために戦うという新たな道を示し、立ち直らせる。その頃、ロドリゴ・オルゴニェスディエゴ・アルマグロの息子であるディエゴ・デ・アルマグロ・エル・モソを旗頭として、ピサロ兄弟の長男であるフランシスコ・ピサロの暗殺を成し遂げていた。事態の収拾を命じられたティトゥは彼らに降伏を勧告するも拒否され、オルゴニェスと木偶の坊の一騎討ちへと発展してしまう。木偶の坊が勝利したことでティトゥはオルゴニェスの生殺与奪の権利を得たが、思うところあって命を奪わずに見逃すのだった。

二つの政変

ピサロ派が独占していた権力の座が、本国によって奪われようとしていた。これを受けて、ピサロ兄弟の四男であるゴンサロ・ピサロエルナンド・ピサロを排除してピサロ派の実権を掌握し、ティトゥ・クシ・ユパンギをエルナンド殺害犯に仕立て上げる。エルナンドの庇護(ひご)を失ったティトゥとファナ・モンテシーノスバルトロメ・カランサミカイリャパに別れを告げ、木偶の坊と共にマンゴ・インガ・カパックの拠点であるビルカバンバを目指す。ロドリゴ・オルゴニェスの救援もあって、一行はついにビルカバンバへ辿(たど)り着いたが、カパックは客として歓待していたメンデスたちに裏切られ、崩御してしまう。父親の仇(かたき)を討ったティトゥは重鎮たちの後押しもあって、新たな皇帝として君臨することを決意する。

パリアカカの誕生

皇帝を名乗り始めたティトゥ・クシ・ユパンギは、インディオに専守防衛を徹底させた。それから2年間は大きな戦もなく、インディオとエスパーニャは良好な関係を保っていた。しかし、ゴンサロ・ピサロが本国からやって来た副王のブラスコ・ヌニェス・ベラに叛旗(はんき)を翻したことで、戦乱の気配が漂い始める。インディオの村がエスパーニャに襲撃される事件まで発生するようになり、ティトゥに挙兵を求める声も高まりつつあった。それでもティトゥは法による解決を信じて様子見を決め込んでいたが、いつしか歴代皇帝の亡霊に苛(さいな)まれるようになり、パリアカカという別人格を生み出し、エスパーニャへ報復を行うようになってしまう。

アコバンバ議定書の成立

ハキハワナの戦いに乱入したパリアカカゴンサロ・ピサロを討ち取ったことで、ピサロ派の野望は潰えた。しかし、結果としてエスパーニャもインディオも権力者が次々と入れ替わる激動の時代を迎えることになってしまう。ティトゥ・クシ・ユパンギパウユ・インガサイリ・トゥパックの死を経て、ようやくエスパーニャから正式な皇帝として認められることになった。やがて、ティトゥはエスパーニャが用意したインディアス新法では不十分として、皇帝の改宗を餌にアコバンバ議定書を成立させる。

帝國の終焉

アコバンバ議定書は、インディオとエスパーニャの争いを終わらせる可能性を秘めた切り札だった。ティトゥ・クシ・ユパンギの思惑どおり、議定書の成立から数年は暴力ではなく法が支配する平等な世界が実現していた。しかし、第5代副王として着任したフランシスコ・デ・トレドの奸計(かんけい)により、ビルカバンバのインディオは内部崩壊を触発され、ティトゥも外部へと追放されてしまう。ティトゥの跡を継いで皇帝となったトゥパック・アマルゥはインディオに号令を掛け、トレドの率いるエスパーニャ軍に最後の戦いを挑む。しかし、戦力の差は絶望的で、勝敗は目に見えていた。一方、ビルカバンバから脱出したファナ・モンテシーノスパリアカカの噂(うわさ)を聞きつけ、彼の凶行に終止符を打つべく、動き始めていた。

登場人物・キャラクター

ティトゥ・クシ・ユパンギ

マンゴ・インガ・カパックの子であるインディオの少年。茶褐色の髪で、長い後ろ髪を首の辺りで括(くく)り、太陽の飾りが付いた鉢巻をしている。愛用の杖(つえ)は内部が鉄芯で、先端に刃があり、槍(やり)としても使用できる。トゥパック・アマルゥの腹違いの兄だが、母親が皇族の女(パーリャ)でないことから継承権は与えられていない。アマルゥの守護を使命としており、争いは苦手と嘯(うそぶ)きながら、9歳の時点で複数の成人男性を蹴散らすほどの戦闘力を有していた。アマルゥの呪術で覚醒すると、理性と引き換えに身体能力が著しく上昇する。その力は鎧(よろい)を着た兵士をバラバラに切り刻むほどで、火縄銃(イリャーパ)を装備した兵士すら圧倒する描写がある。プマ・チュパンの町でエスパーニャに絡まれていたところをファナ・モンテシーノスに救われ、エスパーニャの文化を学ぶべく、アマルゥと共にエミリオ・ド・モンテシーノスの屋敷で暮らし始めた。この時点でケチュア語に加えてエスパーニャの言葉を使いこなしていた。聖書の内容を瞬く間に暗記するなど記憶力も抜群で、バルトロメ・カランサからも優秀と評されている。従順な良い子とも評価されている一方で、年齢に不相応な重荷を背負っているのではないかと心配されるほど達観しており、エスパーニャのみならず、インディオの信仰を否定するような発言もしている。やがてアマルゥと離れ離れになり、自らの存在意義に思い悩むが、ファナとの対話を経て「誰も戦わない世界」を目指すことを決意した。周囲の後押しを受けて第18代タワンティン・スーユ皇帝(サパ・インガ)に押し上げられると、エスパーニャとインディオの関係改善に尽力するようになり、アコバンバ議定書を成立させるために洗礼を受け、「ドン・ディエゴ・デ・カストロ・ティトゥ・クシ・ユパンギ」と名乗るようになった。また、自らの意思で覚醒する術を身につけ、パリアカカとしても暗躍するようになった。なお、ビルカバンバで生活するうちに大人の男性へと成長した。「ティトゥ」は自由を意味している。実在の人物、ティトゥ・クシがモデル。

パリアカカ

エスパーニャに叛逆する神出鬼没の怪人。ぼろ切れのような赤いマントを羽織って仮面で素顔を隠し、無骨な双剣で武装している。ピサロ派と副王軍が激突したアニャキトの戦いが終結して、1年が過ぎた頃から出現するようになった。狼藉を働くエスパーニャ軍を相手にゲリラ戦法を繰り返し、犠牲者が100人を超えた辺りで賞金首に指定された。単身での奇襲を得意としており、その戦闘力は小規模な軍隊を壊滅させてしまうほど。ハキハワナの戦いに乱入した際にはゴンサロ・ピサロの首を獲り、形勢不利だったペドロ・デ・ラ・ガスカの軍勢を勝利に導いている。エスパーニャから「その所業は悪鬼の如し」と恐れられる一方で、インディオからはエスパーニャを裁く存在として崇拝され、ビルカバンバで皇帝を名乗っていたティトゥ・クシ・ユパンギよりも皇帝に相応(ふさわ)しいとの声も上がっていた。その正体は、マンゴ・インガ・カパックの死をきっかけに秘められた力を自在に解放できるようになったティトゥ。トゥパック・アマルゥは争いを忌避しながらも、争わなければならない状況に悶(もだ)え苦しむティトゥの心が作り上げた別人格のようなものと説明している。なお、仮面などの装備は歴代皇帝の亡霊に苛まれ、憔悴(しょうすい)していたティトゥが地下道を彷徨(さまよ)っていた際に発見したものである。「パリアカカ」という名称はインディオが信じる神話の創造神に由来しており、「混沌の悪を滅す嵐」というキャッチコピーと合わせて、自ら名乗ったものである。

トゥパック・アマルゥ

マンゴ・インガ・カパックの子であるインディオの少年。やや垂れ目で、目の下に隈(くま)がある。黒髪を坊ちゃん刈りにしており、カチューシャ風の飾りを付けている。ティトゥ・クシ・ユパンギの腹違いの弟だが、皇位継承順位はサイリ・トゥパックに次ぐ第2位。呪術の心得があり、気配を察する力にも長(た)けている。プマ・チュパンの町でファナ・モンテシーノスに助けられ、彼女に好意を寄せるようになった。ケチュア語しか話せなかったが、ティトゥと共にエミリオ・ド・モンテシーノスの屋敷で暮らし始めて20日も経たぬうちに、片言ながらエスパーニャの言葉を話せるようになった。オリャンタイの戦いまでティトゥに守られていたが、カパックにビルカバンバへ連れ去られ、ティトゥと離れ離れになってしまう。その後、サイリの求心力が低下していた時期にカパックが死亡したことで皇帝の座に近づいたが、ティトゥに皇帝の座をゆずり渡している。エスパーニャがサイリを皇帝に指名した際には、ユカイへ赴いてサイリを暗殺し、エスパーニャにティトゥを正統な皇帝として認めさせた。しかし、挙兵を拒み続けるティトゥに少しずつ不満を感じるようになり、フランシスコ・デ・トレドの暴虐に耐えかねてティトゥを放逐した。その後、第19代タワンティン・スーユ皇帝として名乗りを挙げ、トレドに戦いを挑んでいる。なお、ビルカバンバで生活するうちに精悍(せいかん)な顔立ちの青年に成長し、拡張した耳たぶに円形の飾りを嵌(は)めるようになった。また、エスパーニャの言葉を流暢(りゅうちょう)に話せるようになり、ファナから賞賛されている。「アマルゥ」は「蛇」を意味している。実在の人物、トゥパク・アマル(初代)がモデル。

ファナ・モンテシーノス

エミリオ・ド・モンテシーノスの子であるエスパーニャの少女。翡翠(ひすい)色の瞳を持つ。ブロンドのポニーテールの髪型で、三つ編みにした横髪と共に赤いリボンでまとめ、鬢(びん)は胸に届くほど長い。フリルや編み上げのあるドレスを着ていることが多く、首にロザリオを提げて、亡き母のマルグリットの絵を入れたロケットを忍ばせている。勉強嫌いでお転婆ながら正義感が強く、心根は優しいと評されている。ティトゥ・クシ・ユパンギ、トゥパック・アマルゥと同居することになり、幼いアマルゥをかわいがる一方で、ティトゥとはすぐには打ち解けられなかった。彼の才覚に嫉妬して妾の子と罵ったこともあるが、これは母親を失い、新大陸での生活を強いられている状況への八つ当たりに近いもので、すぐに謝罪している。ヒネス・セプルベダに屋敷を襲撃された際には、ティトゥに命を救われている。この時、アマルゥの呪術で覚醒したティトゥに恐れを抱くも、バルトロメ・カランサに諭され、ティトゥ、アマルゥと共に旅立つことを決意した。皇都クスコを発(た)つ際には、エスパーニャとしての身分を隠し、インディオに変装して「アユラ」という偽名を名乗っていた。旅立って間もない頃は顔に赤土を塗ることに反発するなど、お嬢様らしさを覗(のぞ)かせていたが、ミカイとの交流を経て、クイを捌(さば)こうとするほど逞(たくま)しく成長した。ティトゥと離れ離れになってからは、皇都でエルナンド・ピサロの世話になっていた。やがてティトゥと再会し、「戦わないために戦う」という新たな道を示している。エルナンドが倒れると、ティトゥと共にビルカバンバに移住した。ここでは子供たちにエスパーニャの言葉を教えていたが、いつしかティトゥを誑かす毒婦と蔑まれるようになってしまう。しかし、ティトゥとの仲は良好で、将来を意識する関係にまで進展している。ティトゥが失脚すると幽閉されたが、やがて自由の身となり、パリアカカの凶行を終わらせるべく動き始めた。なお、ビルカバンバで生活するうちに大人の女性へと成長し、髪型も幾度か変化している。

エミリオ・ド・モンテシーノス

ファナ・モンテシーノスの父親で、執政官(コレヒドール)としてプマ・チュパンの町を取り仕切っている壮年のエスパーニャ男性。下がり眉で、暗い色の髪を七三オールバックに整えている。口と顎にヒゲを蓄えており、顎ヒゲは揉(も)み上げとつながっている。インディオへの不当な扱いを許さない人権派で、ティトゥ・クシ・ユパンギとトゥパック・アマルゥを客として屋敷に住まわせたり、濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を主張するインディオを助けるために調査官を手配したりと、有言実行の人物でもある。しかし、エミリオ・ド・モンテシーノスの着任をきっかけに町の収益が著しく低下していることから、奴隷所有者を中心とする一部のエスパーニャから目の敵にされており、ヒネス・セプルベダからも責任を追及する声が上がっている。マンゴ・インガ・カパックが挙兵すると、彼の息子たちを預かっていたことを理由に邪教の信奉者、謀反の協力者と見なされ、異端審問の対象となってしまった。やがて逮捕状を携えたセプルベダに屋敷を襲撃され、自らの胸に剣を突き立て自害した。自害の直前には、ティトゥにファナを連れて逃げるように懇願している。

バルトロメ・カランサ

ドミニコ会の修道士である壮年のエスパーニャ男性。垂れ目で鼻が大きく、眉間の左にイボがある。側頭部と後頭部に暗色の髪を残して剃髪(ていはつ)している。修道服を身につけ、カミラフカのような帽子をかぶり、首にロザリオを提げている。エミリオ・ド・モンテシーノスからファナ・モンテシーノスの教育を任されているが、授業をすっぽかされることも多く、彼女を探して町を駆け回るなどの苦労が絶えない。のちにティトゥ・クシ・ユパンギにも教育を施すようになった。エミリオの死後、ファナを教会に匿(かくま)うも、彼女を追手から守り続けることは不可能と判断し、ティトゥと共に皇都クスコを去るようにうながした。この際、ティトゥの力を恐れるようになっていたファナに、「恐怖、嫌悪、侮蔑は無知から生まれる」と教示している。のちにエルナンド・ピサロに雇われてファナの教育係に返り咲き、教会に転がり込んできたミカイとリャパをファナの使用人としてエルナンドに推薦した。この暮らしにはティトゥも合流したが、ティトゥにエルナンド殺しの濡れ衣が着せられたことで、あえなく終わりを告げている。バルトロメ・カランサにも皇都からの追放が言い渡されたが、主の教えを広める好機として、前向きに旅立っている。ティトゥとの出会いから15年が経った頃、従軍していたエスパーニャの軍隊がパリアカカの標的となってしまう。この際、略奪を行った兵士たちは八つ裂きにされたが、カランサはパリアカカの正体を見抜き、エスパーニャの所業を語り継ぐことを条件に見逃された。なお、ケチュア語の心得があり、ティトゥ覚醒のきっかけとなる呪文「スーパイ・パ・パカリ」を「悪魔の目覚め」と訳したのはカランサである。実在の人物、バルトロメ・カランザがモデル。

ミカイ

サクサイワマン砦の近くで暮らす中年のインディオ女性。肥満体で夫のリャパより背が高く、癖のある暗い色の長髪を背中でまとめ、身体のあちこちに装飾品を付けている。面倒見がよく料理上手ながら、気が強く夫を尻に敷いている。語尾に「サ」を付ける癖があり、「ブハハッ」と笑う。ふだんはケチュア語を話すが、奴隷所有者の屋敷で扱き使われていた経験から、エスパーニャの言葉を話すこともできる。かつて三人の子供がいたが、神父を含むエスパーニャに弄ばれ、嬲(なぶ)り殺しにされてしまった。この経験から、自分たちが生きているのは神ではなく、糧となる獣のお陰だと悟っている。しかし、伝統のすべてを否定しているわけではなく、先祖のミイラと共に食事をする文化を継続している。リャパが盗人とカンちがいしたファナ・モンテシーノスたちを砦の兵士から守るべく、家に招き入れた。ファナから見た夫婦の印象は野蛮で乱暴、見るからに怪しいというもので、住居も不潔で臭い、野宿の方がマシなど散々な評価を受けている。しかし、ミカイが作ったクイのスープは絶品で、ファナの舌を楽しませている。インディオに変装していたファナの正体を看破し、鎌を掛けてボロを出させることにも成功しているが、復讐(ふくしゅう)を遂げようとしなかった。そればかりか、ファナに自らの過去を明かし、独自の死生観を語ったり、クイの捌き方を教えたりと、まるで自分の娘のように扱うようになった。砦の敗残兵から逃れる際には、ファナを助けるためにリャパと共に囮を務めた。のちに皇都クスコでファナと再会し、彼女が皇都を去るまで、リャパと共に使用人として彼女を支えた。

リャパ

サクサイワマン砦の近くで段々畑(アンデネス)を管理する中年のインディオ男性。妻のミカイより一回り小柄で、歯並びが悪い。暗い色のミディアムヘアをオールバックにしており、額に結び目が来るように鉢巻を巻き、両耳にリング型の装飾品を付けている。右の上腕部に三角形を連ねた柄の刺青(いれずみ)があり、上半身は裸で腰蓑(こしみの)をまとっている。三人の子供に恵まれていたが、いずれもエスパーニャに殺され、現在はミカイと二人で暮らしている。皮肉屋で本質を突いた発言をすることもあるが、ミカイの尻に敷かれており、セコい男と評されている。また、トウモロコシ泥棒とカンちがいしてファナ・モンテシーノスに襲い掛かるなど、軽率なところもある。ミカイがファナたちの保護を提案した際には食糧事情から反対するも、押し切られてしまった。ファナを売り飛ばすなら協力すると提案してティトゥ・クシ・ユパンギの怒りを買ったこともあるが、やがてティトゥからファナの保護を任されるまでに信用を取り戻した。砦が陥落して敗残兵の脅威に晒(さら)された際には、ミカイと共に囮を務め、ファナを守っている。その後は皇都クスコへ落ち延び、ミカイと共に使用人としてファナを守るようになった。なお、ファナを引き受けた際にティトゥが約束した「皇子としてのお礼」に期待を寄せており、窮地に陥るたびに「褒美を得るまで死にきれない」と軽口を飛ばすようになった。

木偶の坊 (でくのぼー)

正気を失っていた謎の兵士。禿(はげ)頭の巨漢で、顔面にインディオ風の刺青をしている。右の耳たぶは千切れており、拡張された左の耳たぶには円形の装飾品を嵌めている。左目と左側頭部を隠すように仮面を装着し、四肢には包帯が巻かれている。皇都クスコの城壁の外側を徘徊していたところをロドリゴ・オルゴニェスの配下に拾われ、「戦力になれば犯罪者でも流れ者でも構わない」という命令に照らして部隊に組み込まれた。当初は恵まれた体格から逸材と評価されていたが、意思の疎通が成り立たないことが判明すると、「木偶の坊」と揶揄(やゆ)されるようになった。ラス・サリナスの戦いが始まってしばらくは威圧感のある置物と化していたが、ある言葉に反応してティトゥ・クシ・ユパンギに加勢し、オルゴニェスの撃退に貢献した。この戦いをきっかけに正気を取り戻し、以降はティトゥの心強い仲間となり、ビルカバンバまで同行している。なお、体格に恥じない怪力の持ち主で、オルゴニェスと再会した際には素手での真っ向勝負を挑み、血を吐くほどの激闘の末に白星をあげている。

マンゴ・インガ・カパック

第15代タワンティン・スーユ皇帝である中年のインディオ男性。暗い色の長髪をオールバックにして、背中で括っている。彫りが深く、拡張した耳たぶに太陽神(インティ)の飾りと太陽神の首飾りを付け、羽飾り付きの冠をかぶっている。無能を演じて骨肉の争いを生き残った結果、エスパーニャに都合のよい傀儡(かいらい)として目を付けられ、皇帝に据えられた。掟に厳しいが臆病で、皇帝を除く男性との交わりを禁じられた「太陽の処女(アクリャ)」がエスパーニャに犯された際には、被害者を生き埋めに処しながら、加害者を放置した。また、ピサロ兄弟に捕縛され、財宝と引き換えに解放してもらうという情けない行為を3度も繰り返しており、「腰抜けカパック」と揶揄されるようになった。現在は酒とコカ漬けの爛(ただ)れた生活を送っているため、皇位にありながら「かつての支配者」と過去形で扱われるまでに落ちぶれ、先祖の亡霊にも苛まれている。しかし、ディエゴ・アルマグロに財宝と妻のクラ・オクリョを要求されて堪忍袋の緒が切れ、カルカで挙兵した。この際、40万人を動員して皇都クスコを包囲するも、臆病風に吹かれて大敗を喫している。オリャンタイの戦いでは、前線のビラ・オマを援護する役目を引き受けておきながら、トゥパック・アマルゥを連れてビルカバンバに逃亡し、敗戦を決定付けた。その後も臣下の声を無視してメンデスを中心とするエスパーニャを厚遇するなど、インディオをないがしろにする行為を繰り返した。やがて鉄輪投げ(エローン)の最中にメンデスたちに刺されて死亡するも、生前の所業に反して、その死には大勢のインディオが涙した。長年にわたって父親を軽蔑していたティトゥ・クシ・ユパンギも怒りと悲しみをあらわにしている。実在の人物、マンコ・インカ・ユパンキがモデル。

クラ・オクリョ

マンゴ・インガ・カパックの妹で、妻でもあるインディオ女性。垂れ目とぽってりした唇の持ち主。暗い色の長髪を背中の辺りで束ね、サイドの髪を編んでハーフアップ風にまとめ、頭部と両耳に装飾品を付けている。美しく聡明な人格者で、「月の現身」の異名を持つ。カパックの唯一の理解者であり、カパックを軽蔑するティトゥ・クシ・ユパンギに対して、彼は治世の賢帝に成り得た哀(かな)しい人だと擁護したこともある。インディオ軍が皇都クスコを包囲した際には、自ら指揮を執ると豪語しながら戦場に向かおうとしないカパックに出陣をうながすも、聞き入れられなかった。サクサイワマン砦の陥落後には、落ち延びてきたティトゥたちを歓迎し、ティトゥの依頼に応えている。その内容はビラ・オマの処刑を回避するために謁見の場で芝居を打って欲しいというもので、迫真の演技によりカパックの翻意を誘い、ビラ・オマを救ってみせた。カパックがビルカバンバに逃亡した際には、退けば民を見捨てることになるとして同行を拒否した。その後、エスパーニャに軟禁され、エルナンド・ピサロから熱烈なアプローチを受けるも、エスパーニャへの服従をよしとせず、身体に同胞の糞尿(ふんにょう)をぬりたくって拒絶の意志を示し、処刑を受け入れた。その覚悟を汲んだエルナンドは、クラ・オクリョの遺体が辱めを受ける事態を避けるべく、丁重に埋葬している。なお、クラの総身に糞尿を塗布する役目を担ったのはティトゥである。また、クラの処刑を見届けたティトゥは処刑を決断したエルナンドを憎み、殺意を向けるようになった。実在の人物、クラ・オクリョがモデル。

パウユ・インガ

マンゴ・インガ・カパックの弟で、壮年のインディオ男性。下がり眉で鼻が大きく、暗い色のミディアムヘアを後ろに撫(な)で付けている。額と拡張した耳たぶに装飾品を付け、十字架が描かれた甲冑(かっちゅう)を身につけている。ディエゴ・アルマグロに従っており、ピサロ兄弟からは「アルマグロの犬」「寝返りインディオ」と蔑まれている。甥(おい)のティトゥ・クシ・ユパンギからもインギルやワイパルが僅かに持っていた戦士の誇りを一欠片(ひとかけら)も持ち合わせていないと酷評されている。のちにピルー総督を僭称(せんしょう)するようになったアルマグロにより、第16代タワンティン・スーユ皇帝に据えられた。ティトゥがピサロ派の軍使として訪れた際には、ティトゥの処刑を望むエスパーニャを抑え、その身柄を預かろうと提案している。しかし、パウユ・インガへの服従は民に対する裏切りになるとして提案を拒否され、大恥をかくことになった。これを帝國への謀反と解釈したパウユは、国刑法に従ってティトゥの生皮を剝いで火炙(ひあぶ)りにすると宣言しているが、配下の不在から執行は有耶無耶(うやむや)となった。皇族を辱めたピサロ兄弟に従うことは皇族への裏切りと主張していたが、アルマグロの死後はピサロ派に鞍替(くらが)えした。ピサロ派と副王軍が激突したアニャキトの戦いでは、数千人のインディオを動員してゴンサロ・ピサロの勝利に貢献している。ハキハワナの戦いでは2万人ものインディオを率いて、ゴンサロと対峙(たいじ)するペドロ・デ・ラ・ガスカを戦慄させたが、パリアカカの介入により敗走した。やがてパリアカカへの恐怖から精神を病んで幻覚を見るようになり、ハキハワナの戦いから1か月後に死亡した。実在の人物、パウリュ・トゥパック・ユパンキがモデル。

インギル

マンゴ・インガ・カパックの弟で、壮年のインディオ男性。暗い色の長髪を後ろに撫で付け、後頭部で括っている。左頰に刺青を入れており、耳たぶを拡張して円形の飾りを嵌め、頭部には羽飾りの付いたヘッドギアを付けている。二刀流の使い手で、護拳の付いた刀を所持している。庶子ではあるが、皇弟としての自覚が強く、高圧的な態度を取ることが多い。カパックの号令に応じてワイパルとサクサイワマン砦に詰めていた際、ビラ・オマから早期決着の必要性を訴えられている。ビラ・オマの主張はインディオ軍の40万人は寄せ集めであり、戦いが長引けば軍規の乱れや仲違(なかたが)いが発生する恐れがあるという真っ当な内容だった。しかし、インギルは皇弟としての強い発言力により、ビラ・オマの提言を撥(は)ね退けてしまう。砦がロドリゴ・オルゴニェスに急襲された際には、ワイパルと共に精鋭を率いて砦を守る素振りを見せている。しかし、これは味方を欺くための罠(わな)であり、エスパーニャ軍を砦に招き入れると同時に叛旗を翻し、砦のインディオを攻撃した。この際、ビラ・オマを味方に引き入れるべく交渉するも、ティトゥ・クシ・ユパンギの介入により失敗している。やがてホワン・ピサロの身柄を巡る混乱の中でオルゴニェスと仲違いし、ワイパルの仇討(あだう)ちとばかりに挑み掛かったが、金棒で石柱に磔(はいつけ)にされて死亡した。

ワイパル

マンゴ・インガ・カパックの弟で、壮年のインディオ男性。肥満体で目が細く、暗い色の髪を刈り上げマッシュに整え、背中まで伸びた後ろ髪を三つ編みにしている。耳たぶを拡張して円形の飾りを嵌めており、太陽神(インティ)を大きく描いた胴当て、トゲ付きの金棒で武装している。兄のインギルと同じく庶子であり、皇帝の影に隠れた人生からの脱却を望んでいる。カパックの号令に応じて、インギルとサクサイワマン砦で待機していた。この際、ビラ・オマから40万もの大所帯を維持するには兵糧が不足しているとして即時攻撃を提言されているが、楽観的に構えて相手にしなかった。そればかりか、皇都クスコに閉じ込められたエスパーニャが泣き叫ぶ姿を楽しもうと宣(のたま)っている。砦がロドリゴ・オルゴニェスに襲撃された際には、インギルと共に精鋭を動員し、防衛と称して出陣している。しかし、これは身内を騙(だま)すための策であり、エスパーニャ軍を砦に引き入れると、一転して砦のインディオを攻め始めた。インギルがビラ・オマとの交渉に臨んだ際には、広大な領土と報酬に釣られてディエゴ・アルマグロに加担したことを明かしている。ホワン・ピサロの身柄を巡る騒動の最中に、オルゴニェスから「犬」と侮辱されて激怒し、オルゴニェスに襲い掛かったが、頭部を床に叩(たた)きつけられて死亡した。

サイリ・トゥパック

マンゴ・インガ・カパックの息子であるインディオ男性。ティトゥ・クシ・ユパンギ、トゥパック・アマルゥの兄でもあり、皇位継承順位は兄弟の最上位に位置している。エスパーニャに媚(こ)び諂(へつら)っているが、ティトゥからは小心者ながら悪意のない人物と評されている。カパックの呼び掛けを無視してユカイから離れようとしなかったことで、インディオの重鎮たちに見限られ、皇帝の座を逃してしまった。この際、インディオが擁立したのは、皇位継承の権利を持たないはずのティトゥだった。しかし、エスパーニャはティトゥを皇帝として認めず、傀儡(かいらい)としてあやつりやすいサイリ・トゥパックを第17代タワンティン・スーユ皇帝に押し上げている。エスパーニャによる強引な皇帝の挿げ替えは、ティトゥを支持するビルカバンバのインディオを大いに困惑させたが、ティトゥの地位を維持したいアマルゥの暗躍により、サイリは間もなく崩御している。なお、シルエットのみ描かれており、容貌は不明である。実在の人物、サイリ・トゥパックがモデル。

ビラ・オマ

インディオ軍の総大将を務める壮年のインディオ男性。暗い色の長髪を後ろに撫で付け、六つの房に分けて括っている。顔立ちは武骨で、額に逆三角形、顎に七つの二等辺三角形の刺青(いれずみ)がある。また、耳たぶを拡張して円形の飾りを嵌め、額や首周りにも装飾品を付けている。ロドリゴ・オルゴニェスにも劣らぬ巨漢で、彼に匹敵する膂力の持ち主でもある。堅物ながら勇猛で義に厚く、ティトゥ・クシ・ユパンギから「歴戦の勇士」、クラ・オクリョから「並ぶ者なき忠義の将」と評されている。インディオ軍を象徴する武人で、「ビラ・オマが声を上げればインディオは立ち上がる」とまで言われている。サクサイワマンの戦いでは40万の軍勢を動員して皇都クスコを包囲し、攻撃の準備を済ませていた。しかし、自ら指揮を執ると豪語していたマンゴ・インガ・カパックが臆して現地に現れず、勝機を逃してしまう。この時、ティトゥにカパックへの失望を見抜かれ、民を思うならば父親ではなくトゥパック・アマルゥを支えて欲しいと提案され、ティトゥとアマルゥに命を捧げる覚悟を固めた。カルカではカパックに敗戦の責任を押し付けられているが、ティトゥとクラがカパックから恩赦を引き出したことで、処刑を免れている。オリャンタイの戦いではエスパーニャ騎兵の誘引役を務めるも、カパックが逃亡したことで作戦が瓦解し、エスパーニャに捕縛されてしまった。その後、ティトゥを火炙りから救うために一世一代の猿芝居を打って身代わりとなり、焼かれながら谷底に消えていった。

フランシスコ・ピサロ

ピサロ兄弟の長男で、60代のエスパーニャ男性。禿頭にミディアムフルベアードで、体毛は白い。帽子か羽飾り付きの兜(かぶと)を被(かぶ)っていることが多く、右耳をピアス、両手を指輪で飾っている。「鉄人」の異名を持ち、エルナンド・ピサロからは「疲れを知らない男」と評されているが、他人にも無理を強いることから、休憩の必要性を理解していないと呆(あき)れられている。征服者(コンキスタドール)の代表格で、王室への働きかけにより、ピルー総督の地位を得た。ディエゴ・アルマグロとは同志だったが、彼を出し抜くように出世したことで、妬まれるようになった。立場上は最高司令官(ゴベルナドール)だが、軍事はエルナンドに任せきりで、皇都クスコの管理も弟たちに託している。その放任ぶりはクスコに飽きたとの疑惑が持ち上がるほどで、フランシスコ・ピサロ自身はリマの発展に注力している。マンゴ・インガ・カパックが叛逆(はんぎゃく)した際にもリマに滞在しており、サクサイワマン砦の陥落後に皇都へ帰還した。しかし、皇都での人気は絶大で、彼の帰還は民衆から歓声で迎えられた。エルナンドにインディオ追討を命じた際、ホワン・ピサロの死を演説に取り入れるも、すぐには名前を思い出せず、本当は関心がないことをアルマグロに見透かされている。アルマグロが皇都でクーデターを起こした時には、既にリマに向けて出発しており、難を逃れた。その後もリマに執心していたが、インディアス新法の発令には怒り心頭で、国王に撤回の嘆願書を書くほどだった。この頃には本国からの独立を画策するようになっていたが、ディエゴ・デ・アルマグロ・エル・モソに刺されて死亡した。実在の人物、フランシスコ・ピサロがモデル。

エルナンド・ピサロ

ピサロ兄弟の次男で、壮年のエスパーニャ男性。端正な顔立ちで、暗色のミディアムヘアを七三分けにしており、長い襟足を首の後ろで括っている。口ヒゲは八の字で、顎ヒゲは二股に分かれ、両耳に左右形状の異なるピアスを付けている。無類の女好きで軟派な男と揶揄する声もあるが、振る舞いは紳士的で、皇都クスコでは多くの女性から黄色い声を浴びている。当人も「女性を助けるのに理由は不要」「女性は宝物であり支配者」と主張して憚(はばか)らず、サクサイワマンの戦いの直後には、戦場で保護したファナ・モンテシーノスを皇都へ連れ帰り、衣食住を手配している。ファナからはエミリオ・ド・モンテシーノス、ティトゥ・クシ・ユパンギと似た部分があるとして信用されるようになったが、ヒネス・セプルベダを邪険に扱うなど、男性には冷淡な態度を見せることもある。また、服従を拒んだクラ・オクリョを処刑するなど、必要とあれば女性の命をも奪う非情な一面がある。フランシスコ・ピサロからピサロ派の軍事を一任されるほどの戦巧者でもあり、ロドリゴ・オルゴニェスからは「最も会いたくない男」と警戒されている。戦場では専ら鞭を使用する。その威力は人体を切断するほどで、一振りで四人の雑兵を葬ったこともある。オリャンタイの戦いではティトゥに完勝し、捕虜として連れ帰った。その後は危険な任務をティトゥに委ねるようになったが、ファナと同じ屋敷に住まわせるなど、捕虜としては破格の待遇で扱っていた。しかし、癇癪(かんしゃく)を起こしたゴンサロ・ピサロに背後から裸婦の彫像で繰り返し殴られ、歴史の表舞台から姿を消した。なお、ゴンサロの陰謀により、ティトゥにエルナンド・ピサロ殺害の濡れ衣が着せられることになった。実在の人物、エルナンド・ピサロがモデル。

ホワン・ピサロ

ピサロ兄弟の三男で、壮年のエスパーニャ男性。面長で、暗色のマッシュルームカットにしている。口ヒゲを八の字、顎ヒゲを錨型に整え、ピアスや指輪を身につけている。広島弁のような訛(なま)りがあり、臆病で強欲な性格をしている。才覚は二人の兄に遠く及ばず、ゴンサロ・ピサロと共に不出来な弟と評されている。兄たちがリマで活動しているあいだ、ゴンサロと総督代理として皇都クスコの留守を預かっていた。鬼の居ぬ間に洗濯とばかりに金儲(もう)けに精を出す心算だったが、兄たちと入れ替わりにディエゴ・アルマグロが現れ、ピサロ兄弟の悪口を聞かされたり、杯の中身を浴びせられたりと辛酸を舐(な)めることになった。マンゴ・インガ・カパックが挙兵した際には、その対応をアルマグロに一任した。また、戦場に立つことなく手柄を得ようと、カパックの息子を預かっていたエミリオ・ド・モンテシーノスのもとにヒネス・セプルベダを差し向けたが、作戦は失敗に終わっている。皇都が40万人のインディオに包囲された際には、ゴンサロと共にロドリゴ・オルゴニェスの部隊に加わり、栄誉の出陣を成し遂げた。ただし、これは出陣を拒めばピサロ兄弟の名声に響くと脅されて消極的に行われたもので、特に武功を挙げることもなく、馬上で怯(おび)えながら剣を振り回していただけである。その後、ティトゥ・クシ・ユパンギに捕縛されて人質として利用された挙句、味方のオルゴニェスに手斧(ておの)で額をかち割られて死亡した。エスパーニャには「ホワンはティトゥに殺された」という虚偽の報告が行われた。実在の人物、フアン・ピサロ(コンキスタドール)がモデル。

ゴンサロ・ピサロ

ピサロ兄弟の四男で、壮年のエスパーニャ男性。小太りな体型で、どんぐり眼と団子鼻、頰にそばかすがある。短髪の揉み上げが前向きにカールしており、口ヒゲを蓄えて無数の装飾品で身を飾っている。関西弁のような訛りがあり、根は臆病だが感情の起伏が激しく、「癇癪持ち」と評されている。欲望に忠実で、肉や果実を食べ散らかしたり、戦場に美女を連れ込んだりと人品が卑しい。才覚は三男のホワン・ピサロと同程度で、優秀な二人の兄がリマに滞在しているあいだはホワンと共に総督代理として皇都クスコの留守を守っていた。マンゴ・インガ・カパックを脅迫して大量の金銀をせしめた前科があり、馬が合うホワンにも同様の手法で私腹を蓄えるよう推奨していた。サクサイワマンの戦いでホワンが死亡すると、偽情報を鵜吞(うの)みにしてティトゥ・クシ・ユパンギを憎むようになった。その後はエルナンド・ピサロの腰巾着として従軍するようになり、オリャンタイの戦いの直後には、ティトゥとビラ・オマのどちらか一人だけ火炙りにすると宣告し、ティトゥに残酷な選択を強いた。ビラ・オマの火炙りが執行されると、約束を反故(ほご)にしてティトゥを嬲り殺そうとしたが、エルナンドに約束を守るように叱責され、断念している。その後も度々、エルナンドに軽率な行動を窘(たしな)められている。やがて「兄は子供の頃から俺をずっと馬鹿にしている」との思い込みから癇癪を起こしてエルナンドを排除し、その罪をティトゥに擦(なす)り付けてピサロ派の中心人物となった。その後はピルー総督を僭称し、アニャキトでブラスコ・ヌニェス・ベラを撃破している。ハキハワナの戦いではペドロ・デ・ラ・ガスカの軍勢を上回る兵力を動員し、勝利は目前だった。しかし、陣中で性行為に及んでいたところをパリアカカに襲われて死亡した。実在の人物、ゴンサロ・ピサロがモデル。

ディエゴ・アルマグロ

チリー遠征の軍司令官(コメンダドール)を務める熟年のエスパーニャ男性。逆立った髪を後方に流してヒゲはミディアムフルベアードに整え、額にバツ型の傷がある。右耳にリング型の飾りを付けて、褐色のクラヴァットを巻き、ライオンの頭部が彫られたベルトを締めている。また、装飾の施された棒を持ち歩いている。勇猛にして寛大と評される一方で、冷酷で好戦的な一面を持つ。手勢は少数ながら精鋭ぞろいで、野戦が得意。フランシスコ・ピサロと共にピルーを平らげた征服者だが、権力闘争で出し抜かれ、ピサロ兄弟を妬むようになった。フランシスコの不在を突くようにチリー遠征を打ち切って皇都クスコに帰還し、マンゴ・インガ・カパックに財宝とクラ・オクリョを差し出すように要求した。この要求はカパックの逆鱗(げきりん)に触れ、40万人のインディオに取り囲まれる事態に発展しているが、慌てるどころか天下を得る好機と受け止め、嬉々として反撃している。結果として皇都防衛のみならず、サクサイワマン砦の奪取およびホワン・ピサロの排除に成功している。戦後はインディオ追討を望んでいたが、フランシスコの許可を得られず断念した。エルナンドがピサロ派の主力を連れて出征すると、そのスキを突いてクーデターを起こし、皇都を占領した。その後、ピルー総督を僭称するようになり、子飼いのパウユ・インガを第16代タワンティン・スーユ皇帝に据えるなどの専横を行った。ラス・サリナスの戦いでは、エルナンド・ピサロの率いる軍勢を相手に策を繰り出して善戦している。ディエゴ・アルマグロ自身もメイスを手に奮戦したが、敗走したロドリゴ・オルゴニェスの穴を埋めることはできず、壮絶な戦死を遂げた。実在の人物、ディエゴ・デ・アルマグロがモデル。

ディエゴ・デ・アルマグロ・エル・モソ

ディエゴ・アルマグロの息子で、エスパーニャの青年。髪色は明るく逆立っており、眉尻が二股に分かれている。ラス・サリナスの戦いで戦死した父親の仇討ちと称して、リマに滞在していたフランシスコ・ピサロを暗殺した。これはロドリゴ・オルゴニェスに背中を押されて決行したもので、フランシスコの排除が済んだらエルナンド・ピサロの軍勢を倒し、ピルー総督の座を手に入れようと企んでいた。しかし頼みの綱であるオルゴニェスと、彼に従う兵士がティトゥ・クシ・ユパンギと決着を付けることにしか興味がなく、死に場所を求めてさえいることに気づいてしまい、エルナンドに降伏して保身を図ろうとした。結果として兵士たちに叛逆され、呆気なく殺されてしまった。実在の人物、ディエゴ・アルマグロ2世がモデル。

ロドリゴ・オルゴニェス

ディエゴ・アルマグロの右腕であり、野戦司令官(マエストロ・デ・カンポ)を務める中年のエスパーニャ男性。武骨な大男で、禿頭の頭頂部が臀部(でんぶ)のように凹(へこ)んでおり、割れ顎で口ヒゲを生やしている。刃が飛び出す機構を備えた十字架型の武器を背負っている。飾りの付いたインディオ貴族の大耳を集めていたことから「オレホン・コレクター」と呼ばれていた。現在は鼻を収集しているため、「ナリス・コレクター」と呼ばれている。生きたまま剝ぐのを好み、強者の鼻を厳選して弱者の鼻は剝ぎ取ったあとに破棄している。ホワン・ピサロから「筋金入りの変態」呼ばわりされているが、鼻をつないだ自作の首飾りを見せびらかして「光栄の至り」と返すなど、気分を害した様子はない。雑兵を棒切れのように振り回すほどの怪力の持ち主で、ビラ・オマやエルナンド・ピサロなどの猛者からもバケモノ扱いされており、両者に交戦を回避させたこともある。勇猛果敢な戦闘狂だが、司令官としても有能で、皇都クスコが40万のインディオに包囲された際には、包囲網の大きさから密度の低さという弱点を見破り、わずか500人で突破する作戦を考案。浮き足立つ味方を説得して包囲を破り、その勢いでサクサイワマン砦を奪取した。ラス・サリナスの戦いではゴンサロ・ピサロを討ち取る寸前まで追い詰め、ティトゥ・クシ・ユパンギを圧倒するも、「木偶の坊」の介入によりティトゥに右目を刺され、以降は隻眼となった。その後、ディエゴ・デ・アルマグロ・エル・モソを焚(た)きつけてフランシスコ・ピサロを間接的に殺害しているが、その目的は総督の座ではなく、エルナンドに従うティトゥと決着をつけることだった。やがてティトゥと再会するも、木偶の坊とのステゴロに敗れ、再戦は叶(かな)わなかった。この際、ティトゥの判断で見逃され、のちに窮地に陥ったティトゥの救援に駆け付けている。なお、怪物の頭部を模した兜を愛用していたが、ワイパルとの戦いで破損し、以降は頭部を剝き出して戦場に出るようになった。実在の人物、ロドリゴ・オルゴネスがモデル。

ギリビーロ

ロドリゴ・オルゴニェスに従うインディオの刺客。全身に包帯を巻いたミイラ男のような姿の怪人で、一部の布には禍々(まがまが)しい模様が入っている。また、ムカデのような柄のマントを羽織り、腰部をスカート状の布で覆っている。頭部と左目だけが露出しており、波打った頭髪はワンレングスミディアム風に整えられ、左目の周囲には三角形の刺青が並んでいる。刃を仕込んだ包帯を触腕のようにあやつることが可能で、その切れ味は人体を防具ごとバラバラにするほど鋭い。また、常人の目ではとらえられないほど俊敏で、間合いが近い場合は手刀や蹴りなどの体術も使用する。嗅覚も鋭敏で、臭いを頼りに獲物を追跡する技能を備えている。オルゴニェスの命令でティトゥ・クシ・ユパンギを追跡し、地下迷宮でティトゥと激闘を繰り広げた。この際、生け捕りのために手加減していたにもかかわらず、ティトゥを圧倒している。しかし、油を利用した戦術の前に敗れ、呪詛(じゅそ)の言葉を吐きながら焼け死んだ。なお、皇帝を輩出するインガ族に虐げられてきたアルカウィサ族の出身で、ギリビーロ自身も幼い頃に戯れに身体を焼かれた被害者であり、インガ族への恨みは骨髄に徹している。しかし、多くのインディオが嫌っているエスパーニャには関心がなく、インディオに変装していたファナ・モンテシーノスの正体を看破しながら、危害を加えようとしなかった。また、アルカウィサ族はインディオの他部族から凶悪と恐れられており、トゥパック・アマルゥの見立てによれば、ティトゥがギリビーロを正攻法で打倒するには、アマルゥの呪術で覚醒する必要があるという。

ヒネス・セプルベダ

プマ・チュカンの町で議員を務めているエスパーニャ男性。暗い色の波打ったミディアムヘアを七三分けにして、フェロニエール、ピアス、指輪で身を飾っている。また、首から大型のロザリオを提げており、マントやペリースを羽織っていることが多い。議員としては若手だが、顔立ちは意地悪そうな中年顔と評されている。委託奴隷所有者でもあり、インディオの人権を尊重するエミリオ・ド・モンテシーノスとは対照的に、インディオを下等な人種と認識している。エミリオの着任から奴隷所有者の収益が減っていることを問題視しており、正しい信仰と労働の価値を教えるためにも、インディオには苦役を強いるべきだと主張している。学のあるヒネス・セプルベダを次の執政官に推す声も多いが、当人は内心で支持者を無学な成り上がり、欲望に従うだけの獣と見下している。マンゴ・インガ・カパックが挙兵すると、ホワン・ピサロとディエゴ・アルマグロの連名書類を携え、エミリオの屋敷を襲撃した。この際、エミリオを家族ごと異端審問に掛けようとしたり、使用人に対する虐殺や強姦を容認したりと悪逆の限りを尽くしているが、ティトゥ・クシ・ユパンギの反撃によって、20人以上の人員を失うことになった。また、トゥパック・アマルゥの呪術により、右耳の一部を吹き飛ばされている。その後はエルナンド・ピサロ、次いでゴンサロ・ピサロの腰巾着として立ち回るも結果を残すことができず、やがてロドリゴ・オルゴニェスの鉄拳で頭部を吹き飛ばされて死亡した。実在の人物、フアン・ヒネス・デ・セプルベダがモデル。

メンデス

ビルカバンバに流れ着いたエスパーニャの中年男性。ソフトモヒカン気味のオールバックの髪型をしている。右頰に大きな傷が1本、左頰に小さな傷が2本あり、口ヒゲと顎ヒゲを薄く生やしている。六人の仲間と共に居場所を失った哀れなエスパーニャを演じてマンゴ・インガ・カパックの信頼を勝ち取り、彼の庇護下で贅沢(ぜいたく)な暮らしをするようになった。カパックの臣下からは魔術でカパックを誑(たぶら)かしているのではないかと疑われ、六人の仲間と一括りに「エスパーニャの毒」として警戒されていた。ゴンサロ・ピサロが皇都クスコで実権をにぎったことを知ると、ビルカバンバが攻撃を受ける恐れがあるとして、カパックの首を手土産(てみやげ)に皇都に戻ることを決意した。やがて鉄輪投げ(エローン)の最中にカパックを刺殺し、遺体から装飾品を剝ぎ取るなどの暴挙に及ぶも、ティトゥ・クシ・ユパンギに殺害の瞬間を目撃される失態を犯し、六人の仲間と共に皆殺しにされた。

ブラスコ・ヌニェス・ベラ

初代ピルー副王に選ばれた熟年のエスパーニャ男性。垂れ眉で両頰にシミがあり、口ヒゲと顎ヒゲを蓄えている。実直で穏やかな人物と評判ながら、ゴンサロ・ピサロからは木っ端役人と扱き下ろされている。着任から間もなく、ゴンサロから直々に挨拶されているが、2000人の兵士を引き連れて実施されたもので、着任祝いとは名ばかりの恫喝(どうかつ)だった。ティトゥ・クシ・ユパンギが皇帝を名乗るようになってから2年が経(た)った頃、アニャキトでゴンサロの率いるピサロ派の軍勢と交戦している。この際、エスパーニャの兵力ではピサロ派を上回っていたが、数千人のインディオがゴンサロに味方したこともあって大敗を喫し、火炙りにされて死亡した。なお、副王は総督として権勢を振るったフランシスコ・ピサロの死後に新設されたポジションであり、ブラスコ・ヌニェス・ベラの副王就任はピサロ兄弟の権威の失墜を意味していた。実在の人物、ブラスコ・ヌニェス・ベラがモデル。

アントニオ・デ・メンドサ

第2代ピルー副王に選ばれた熟年のエスパーニャ男性。オールバックの髪型で、口ヒゲと豊かな顎ヒゲを蓄えている。エスパーニャが傀儡皇帝として擁立していたパウユ・インガの死後に着任した。インディオが担ぎ上げていたティトゥ・クシ・ユパンギからの着任祝いを無視するなど、ティトゥを皇帝として認めていないことを暗に示し、インディオの不評を買うことになった。インディオからは皇統を絶やそうとしているとの声も上がっていたが、その胸中は不明である。病弱な人物として知られており、その噂はビルカバンバまで伝わっていた。現役のうちから後任者の派遣が決まっていたほどで、結果として着任から1年もたずに死亡している。アントニオ・デ・メンドサの死の翌年には、F・エルナンデス・デ・ヒローンが奴隷所有者の不満を煽(あお)ったことにより、内戦が発生している。本国でもカルロス1世からフェリペ2世への国王の交代劇があり、後任であるカニュテ侯の着任まで、エスパーニャは混乱を極めることになった。実在の人物、アントニオ・デ・メンドーサがモデル。

カニュテ侯 (かにゅてこう)

第3代ピルー副王に選ばれた中年のエスパーニャ男性。鷲鼻で口ヒゲと顎ヒゲを生やしており、顎ヒゲと揉み上げがつながっている。アントニオ・デ・メンドサの死から本国の混乱期を跨(また)いで1556年6月に着任した。既にビルカバンバでインディオに皇帝として担がれていたティトゥ・クシ・ユパンギを正統とは認めず、エスパーニャの傀儡として扱いやすいサイリ・トゥパックを第17代タワンティン・スーユ皇帝に指名した。しかし、ほどなくしてサイリは暗殺され、カニュテ侯自身も着任から数年で死亡してしまう。なお、第4代までのピルー副王は、いずれも着任から短期間で死没している。ティトゥは気候が合わずに長生きできなかったのではないかと予想しているが、真相は不明。実在の人物、アンドレス・ウルタド・デ・メンドーサがモデル。

フランシスコ・デ・トレド

第5代ピルー副王に選ばれた熟年のエスパーニャ男性。三白眼と尖(とが)った歯が特徴で、暗い色の髪を後ろに流し、矢羽のような形に整えている。また、口ヒゲをカイゼルに顎ヒゲをフジ型に整えており、両耳にピアスを付け、外出時には羽飾り付きのハットとマントを着用する。自らを「第2のピサロ」と表現するほどの野心家で、インディオを人間と認めていない。ティトゥ・クシ・ユパンギから着任を祝う使者が訪れた際には、「猿に祝福された」と嘲笑していた。副王としては珍しく返礼の使者を出しているが、これはティトゥの信頼を得るための罠であり、ピルー巡察の許可、道中の安全確保という二つの要求をとおしたうえで、旅先での歓待まで約束させている。その後、1000人の兵士を引き連れて皇帝の御墨付きを得た大巡察を実施するも、その内容は各地の首長(クラーカ)に無理な要求を行い、断れば皇帝の名の下に略奪を行うという非道なものだった。また、略奪を働く一方で、時に気前よく振る舞って一部のインディオを懐柔していった。アコバンバ議定書を成立させるため洗礼を受けたティトゥが表舞台から姿を消すと、第19代タワンティン・スーユ皇帝を名乗り始めたトゥパック・アマルゥと帝國の重鎮が未(いま)だ洗礼を受けていないことを指摘し、叛逆の意志ありと見なして宣戦布告した。この戦いで敵対したインディオは懐柔の効果もあって5000人にも満たず、トレドは半年も掛けずに戦いを制している。1572年9月24日にはアマルゥを処刑し、その首を皇都クスコに晒した。実在の人物、フランシスコ・デ・トレドがモデル。

ペドロ・デ・ラ・ガスカ

ピサロ派の討伐を任された熟年のエスパーニャ男性。口ヒゲと顎ヒゲを蓄え、髑髏(どくろ)を描いた兜をかぶり、甲冑とマントを身につけている。ブラスコ・ヌニェス・ベラを火炙りにしたゴンサロ・ピサロたちを反乱軍と認定した本国の後押しを受けて、アニャキトの戦いで敗れた副王軍の生き残りを集め、5000人規模の討伐隊を組織した。1548年4月には討伐隊を率いてハキハワナの地で、ゴンサロと激突している。「能無し四男坊」と蔑んでいたゴンサロが想定を上回る2万人の軍勢を率いて現れたことに戦慄していたが、パリアカカの乱入により生じたスキを狙って反撃に転じ、形勢逆転している。実在の人物、ペドロ・デ・ラ・ガスカがモデル。

フワン・クエンカ

皇都クスコを拠点に執政官を務めている老年のエスパーニャ男性。頭頂部にボリュームを持たせたオールバックの髪型で、ヒゲはミディアムフルベアードに整えている。目は閉じているかのように細く、豊かな眉毛を抓(つま)んで撫でる癖がある。ヌニョ・デ・メンドサに泣きつかれたことで、野放しとなっていたパリアカカの対策に乗り出した。身内との会議を経てインディオの力を借りることを思いつき、フワン・デ・マティエンソとティトゥ・クシ・ユパンギの会談を実現させている。

フワン・デ・マティエンソ

司法庁聴訴官(アウデンシア・オイドール)を務める熟年のエスパーニャ男性。後ろに流した髪を首の後ろで括っており、口ヒゲと顎ヒゲを蓄えている。パリアカカの扱いに頭を悩ませていたフワン・クエンカの指示を受けて、アコバンバ村でティトゥ・クシ・ユパンギと会談した。この際、パリアカカの活動はエスパーニャの横暴が引き金になっていることを認め、ティトゥから「不当に扱われることがなければ、インディオから攻撃を仕掛けることはない」という旨の言葉を引き出した。また、エスパーニャにインディアス新法の遵守を徹底させることを約束した。ティトゥが提案した新たな協定については、インディオをエスパーニャと同じ人間と認めることは教義の根幹にかかわる問題であり、教皇に認めさせることは難しいと正直に打ち明けている。この発言にはティトゥの重臣たちから非難の声が挙がっている。しかし、ティトゥが協定の認可と引き換えに改宗を確約したことで、教皇への取り次ぎを約束した。この会談の結果を受けて、1566年8月24日にはアコバンバ議定書が成立。1568年8月にはティトゥが約束に従い、洗礼を受けて改宗している。実在の人物、フアン・デ・マティエンツォがモデル。

ヌニョ・デ・メンドサ

アコバンバ村で農園を管理している奴隷所有者のエスパーニャ男性。肥満体で、肌荒れの目立つ大きな鼻を持つ。頭頂部は禿げ上がっているが、後頭部には巻き毛が残っており、揉み上げを経由して顎ヒゲとつながっている。また、口ヒゲをカイゼルに整え、襞襟(ひだえり)を付けた豪奢(ごうしゃ)な衣装に身を包んでいる。インディアス新法により割当奴隷制が廃止されてからも、農園でインディオを働かせていた。当人は農園のインディオは正式に雇っている人夫であり、給料や休暇も与えていると言い張っていた。しかし、その待遇は奴隷と変わらず、日暮れまでに作業が終わらなければ食事を与えないと脅したり、鞭で打ったりと酷(ひど)いものだった。当人は作業を眺めて酒を飲むばかりで、副王軍の視察官が現れた時だけ体裁を取り繕う有様だった。ティトゥ・クシ・ユパンギが正式に第18代タワンティン・スーユ皇帝となってから、少なくとも2年間は上述の体制を維持していたが、農園のインディオが脱走してティトゥに助けを求める事態にまで発展し、パリアカカによる報復を恐れてフワン・クエンカに泣きつくことになった。

場所

地下迷宮 (ちかめいきゅう)

皇都クスコの地下に網の目のように張り巡らされている地下通路。皇帝の居城や郊外の砦に通じる道も存在していることから、皇帝の避難用通路だと予想されているが、あまりに広大で、その全貌は把握されていない。インディオの太陽神殿を破壊し、その土台を利用して建てられた聖ドミニコ教会からも、地下迷宮に出入りすることができる。ティトゥ・クシ・ユパンギと仲間たちは追手から逃れるべく、地下迷宮を利用して皇都からの脱出を試みているが、途中でギリビーロの襲撃を受けて、迷宮内で死闘を繰り広げることになった。なお、地下迷宮の壁はカミソリの刃すら差し込めない精巧な石積みで、床を崩して下層へと転落させるような罠も仕掛けられている。ティトゥは自分たちの技術レベルで再現できるものではないと断言しており、祖先が元々あったものを利用したと推測している。この予想は的中しており、下層に転落したティトゥたちは異なる部族の神が祀(まつ)られた神殿を目の当たりにすることになった。のちにビルカバンバまでつながっていたことが判明し、パリアカカの移動経路としても利用されるようになった。

サクサイワマン砦 (さくさいわまんとりで)

皇都クスコからほど近い位置に存在する砦。第10代タワンティン・スーユ皇帝であるトゥパック・ユパンギが80年もの年月を費やして築いたとされており、インガ族の至宝として扱われている。その堅牢さは神々の力でも落とせないと謳(うた)われているほどで、緊急用の脱出口や特定の場所を一瞬で崩落させる仕掛けなども用意されている。サクサイワマンの戦いでは、皇都に近いサクサイワマン砦がインディオ軍の前線基地として使用されることになった。しかし、インギルとワイパルが裏切ってエスパーニャ軍を招き入れたことで、呆気(あっけ)なく陥落してしまった。なお、ティトゥは砦の歴史は御伽噺(おとぎばなし)であり、実際は地下迷宮と同様に異なる文明の遺物を利用したのではないかと推測している。根拠として、このレベルの砦を築く技術を現在のインガ族が持っておらず、100年も経っていないのにこれだけ技術が衰退することはあり得ないと語っている。真相は明かされていないが、この持論を聞いたビラ・オマは過ぎたる聡明さは身を滅ぼすと忠告している。ちなみに、ファナ・モンテシーノスはエミリオ・ド・モンテシーノスに連れられて、この砦を見学したことがある。

オリャンタイタンボ

サクサイワマン砦と双璧をなす難攻不落の要塞。急斜面を利用して築かれており、立て籠りに向いている。カルカを放棄したマンゴ・インガ・カパックが一時的に拠点として利用していた。オリャンタイの戦いが終結するとエスパーニャ軍に占領され、ビラ・オマやクラ・オクリョの処刑が執り行われた。

その他キーワード

呪術 (じゅじゅつ)

トゥパック・アマルゥが使用する特殊技能。「スーパイ・パ・パカリ(悪魔の目覚め)」と唱えることで、ティトゥ・クシ・ユパンギの秘められた力を解放することができる。覚醒したティトゥは理性と引き換えに超人的な身体能力を発揮できるが、身体への負担も大きく、戦闘を終えたら長時間の睡眠によって体力を回復させる必要がある。攻撃用の呪術も存在しており、エミリオ・ド・モンテシーノスの屋敷から脱出する際に「イプラ」と唱えて、ヒネス・セプルベダの右耳を吹き飛ばしている。

インディアス新法 (いんでぃあすしんぽう)

インディオの自由と尊厳を認める法律。バルトロメ・カランサが所属するドミニコ会が本国で制定に向けて働きかけていたもので、国王と教皇の名の下に発令された。割当奴隷制(エンコミエンダ)の廃止、奴隷所有者(エンコメンデーロ)の特権剝奪などが主な内容で、虐待や搾取などのインディオへの不当な待遇が発覚した場合、違反者には全財産の没収という厳しい罰が課されることになる。これは新大陸のエスパーニャにとって非常に不利益な内容で、フランシスコ・ピサロはインディアス新法の制定を受けて、本国からの独立を意識するようになった。ティトゥ・クシ・ユパンギは劇的な変化はなくとも、共存を見据えた始まりの一歩としては上々と評価していた。しかし、リャパは「金蔓(かねづる)を自ら手放そうとする者はいない」と冷ややかで、実際にヌニョ・デ・メンドサなど一部の奴隷所有者は新法の制定後も待遇を改めようとはせず、インディオを酷使し続けていた。のちにティトゥはインディオの立場を確固たるものにする必要性を感じて、アコバンバ議定書を提案している。

アコバンバ議定書 (あこばんばぎていしょ)

インディオとエスパーニャの平和共存を目的とした条約。第18代タワンティン・スーユ皇帝となったティトゥ・クシ・ユパンギが、アコバンバ村でフワン・デ・マティエンソと会談した際に提案したもので、ティトゥに言わせれば、インディオに対する憐れみの感情から用意されたインディアス新法とは似て非なるものである。会談の際にティトゥが語った「インディオもエスパーニャと同じ人間である」「生まれや信仰で扱いに差があってはならない」という旨の主張は主の教えを拠(よ)り所とするエスパーニャから大いに反感を買っている。しかし、ティトゥが自らの改宗を条件として申し出たことが決定打となり、合意と相成った。アコバンバ議定書の発効はフランシスコ・デ・トレドが台頭するまで、数年の平穏を齎(もたら)すことになった。

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