あらすじ
第1巻
時は幕末。貧しい下級藩士の長男として生まれた西郷小吉(のちの西郷吉之助)は、幼なじみの大久保正助と共に立派な侍を目指して、郷中教育を受けながら剣術や勉学に励んでいた。ある日、小吉と正助は森の中で帰郷したばかりの島津斉彬に声を掛けられる。家に戻ったあとに、祖父の西郷龍右衛門から斉彬の話を聞いた小吉はあこがれを抱き、将来は斉彬の役に立つ薩摩武士になることを誓う。やがて、立派な青年に成長した小吉は名前を「西郷吉之助」に改め、郡方書役助として薩摩藩に仕えるようになる。しかし、すでに九人にまで増えていた西郷家の暮らしは困窮を極めていた。元気だった龍右衛門も病床に伏せ、家族の力になれない自身の不甲斐なさを悔やみ思い悩むうちに、吉之助は禅に救いの光を求めるようになる。そんな吉之助が郡方書役助となって2年目の秋、薩摩の農村は大変な凶作となってしまう。吉之助は百姓たちが苦しむ姿を目の当たりにし、薩摩藩の現状を知る。秋の収穫を見届けるために瀬戸村を訪れた吉之助は、貧しい農家に泊めてもらうことになる。その夜、吉之助は百姓の男性が悲しそうにすすり泣く声で目が覚める。百姓は大切に育ててきた馬を売ることになったため、別れを悲しんでいたのだ。百姓を哀れに思った吉之助は馬を売らずに済むように金を渡し、役人たちの怠慢や不徳が藩民を苦しめていることを詫びるのだった。
第2巻
西郷吉之助は、赤山靱負を通して薩摩藩家老である調所広郷の急死を知る。広郷の死はのちの「お由羅騒動」の端緒であり、これにより薩摩は藩主の座を巡って大きくゆらぐこととなる。その後、いくつかの事件や騒動を経て、新たな薩摩藩主として島津斉彬が着任する。そんな中、吉之助は周囲の勧めを受けて須賀を妻に迎えるが、結婚後には祖父と両親が立て続けに亡くなってしまう。年明けには斉彬の養女である篤姫を将軍の徳川家定に嫁がせるべく送り出すという、薩摩藩にとって大きな出来事も予定されていた。一方、吉之助は藩の政治や民の貧しさを憂いた意見書などが評価され、江戸勤めを命じられる。旅立つ準備を整えた吉之助は、西郷吉二郎たちに家のことを任せ、離縁を申し出た須賀や大久保正助から受け取った大金で支度金を調達し、斉彬の行列に加わって江戸に出発。江戸で「お庭方」という役職に就いた吉之助は、あこがれの斉彬と言葉を交わす機会が増えていく。お庭方として活動する吉之助は、斉彬の勧めで小石川に赴き、藤田東湖との出会いを果たす。東湖からさまざまなことを学んだ吉之助は斉彬から篤姫の見守り役を命じられるが、大地震によって篤姫の婚礼道具が使えなくなってしまう。来年までに婚礼道具を再調達するように斉彬に命じられた吉之助は、慣れない仕事をこなすために江戸中を駆け回って奮闘する。
第3巻
島津斉彬の病死後、井伊直弼の「安政の大獄」による弾圧がますます勢いを増し、西郷吉之助も追われる身となった。追い詰められて投獄された吉之助は、朝廷工作を行っていた月照と共に海に身投げするが一人だけ生き残り、奄美大島に流れ着く。何もできなかった不甲斐なさを嘆き、失意のどん底に陥った吉之助は自暴自棄になり、島で荒れた生活を送っていた。そんな中、島娘の愛加那と出会った吉之助は、彼女が作った羊羹を気に入ったのをきっかけに、少しずつ生きる気力を取り戻していく。急病で倒れた際に島民たちの温かい看病を受けた吉之助は、世話になった人々に心を開くようになり、みるみる回復していく。本来の自分を取り戻していった吉之助の本質を知った愛加那は思いを告げ、吉之助は彼女を島妻としてめとる。年が明け、3月には薩摩からの手紙が頻繁に届くようになり、吉之助は直弼を討ち取ったことを知って喜ぶ。やがて吉之助は愛加那とのあいだに西郷菊次郎と西郷菊草を授かるが、帰藩の命が下って薩摩に戻ることとなる。子供たちを愛加那たちに託して帰郷した吉之助だったが、薩摩藩の権力者となった島津久光とは折り合いが合わず、彼の怒りを買って徳之島に流刑されてしまう。兄の冨堅を通して吉之助が島流しにされたと知った愛加那は、菊次郎と菊草を連れて吉之助に再会するため、自ら船を調達して徳之島へと向かう。
第4巻
さまざまな苦難を経て薩摩藩に戻った西郷吉之助は、長州藩と徳川幕府軍による「蛤御門の変」に参戦する。幕府軍について長州に勝利した吉之助は、長州征伐のために大坂で勝海舟と面会を果たす。海舟は幕府の現状や体制を批判し、吉之助と彼の出会いは激動の幕末に新たな力を生み出すこととなる。当初は幕府側として動いていた吉之助は、坂本龍馬や岩倉具視との出会いや幕府の腐敗を見るうちに不信感を募らせ、次第に倒幕に傾いていく。吉之助は龍馬の仲介で「薩長同盟」を結ぶが、最後の将軍となった一橋慶喜(徳川慶喜)の「大政奉還」により、武力倒幕が困難となる。江戸城総攻撃の前日、吉之助は海舟と再会し「江戸無血開城」に同意。その後、戊辰戦争で戦死した西郷吉二郎の訃報を受けた吉之助は悲しみながら薩摩に帰郷するが、大久保正助や具視に請われて明治新政府に加わり、中央政界に復帰する。正助は「岩倉使節団」に加わって欧米に渡るが、留守を任された吉之助たちは重要な政策を次々と断行。その中で外交問題を巡る「征韓論」が起こるも、吉之助は自らが大使として朝鮮に渡って説得すると主張する。吉之助はこれらの主張に反対する正助と激論を交わすが、最終的に征韓論は瓦解。「自分が東京でできることはもうない」と悟った吉之助は、正助に別れを告げて新政府を去り、再び薩摩へ帰郷するのだった。
登場人物・キャラクター
西郷 吉之助 (さいごう きちのすけ)
薩摩藩下加治屋町郷中の下士である西郷家の長男で、幼名は「西郷小吉」。貧しい家に生まれるものの、家族や友人の大久保正助に助けを借りて、明るく前向きな少年に育つ。正助と共に郷中教育を受けながら、立派な薩摩武士を志して成長していく。9歳の頃に出会った島津斉彬にあこがれを抱き、将来は彼の側仕えとなることを夢見る。15歳の頃には二十貫を超える立派な体に成長し、18歳の頃に名を「西郷吉之助」に改め、農村を巡回して村役人を監督、指導する「郡方書役助」として薩摩藩に仕えるようになる。弟妹も増えて家族の生活はますます厳しくなっていくが、百姓たちが貧しさに苦しむ現状を悲しみ、時には彼らに手を差し伸べることもある。のちに江戸勤めを命じられた際、斉彬に才覚を見いだされ、彼が発案した「お庭方」として斉彬に仕える。斉彬と共に一橋慶喜の将軍擁立運動に励むが失敗。斉彬の死後は「安政の大獄」により追い詰められて海に身投げするが、奄美大島に流れ着く。そこで出会った愛加那を島妻としてめとり、西郷菊次郎と西郷菊草を授かる。のちに薩摩藩へ復帰するが、島津久光の怒りを買って島流しとなる。苦難を経て復帰し、禁門の変や長州征伐で指揮を執るものの、腐敗した幕府を見るうちに討幕派に傾いていく。のちに「西郷隆盛」を名乗るようになる。実在の人物、西郷隆盛がモデル。
大久保 正助 (おおくぼ しょうすけ)
西郷吉之助の幼なじみで、薩摩藩士の大久保利世の長男。幼少期から吉之助とは仲のいい友人でもあり、共に郷中教育や藩校造士館で剣術や学問を学ぶ。吉之助と共に島津斉彬にあこがれ、彼を支持する。青年時代に記録所書役助として薩摩藩に仕えるが、「お由羅騒動」後は斉彬を擁立していた利世が島流しにされたことで謹慎処分となり、貧しい生活を強いられる。斉彬が藩主となったあとは謹慎を解かれて復職。斉彬の死後は薩摩藩の実質的な権力者となった島津久光の懐刀として活躍するようになり、彼から直々に授かった「大久保一蔵」を名乗るようになる。「安政の大獄」のあとは、二度の島流しに遭うなど苦難を強いられた吉之助をさまざまな形で助け、彼にとって絶対の信を置ける朋友となる。失脚した吉之助が復帰できるように尽力し、彼が戻ったあとは結婚相手として岩山糸を紹介した。のちに吉之助と共に、討幕運動に参加するようになる。明治新政府においては要職に就き、薩摩に戻っていた吉之助に政界に復帰するように要請。岩倉使節団に加わって欧米に渡るが、その留守中にいくつもの改革を強引に進めた吉之助とは、外交問題を巡って対立するようになる。のちに、新政府を去って薩摩に戻ることを決意した吉之助に別れを告げられる。西南戦争で吉之助が亡くなった翌年に、東京の紀尾井坂で暗殺された。実在の人物、大久保利通がモデル。
西郷 吉兵衛 (さいごう きちべえ)
西郷吉之助の父親で、薩摩藩の鹿児島城下士。赤山家の御用人として出入りしている。妻の西郷満佐とのあいだに六人の子を設ける。昔から交流のあった赤山靱負の介錯を務め、彼の最期を見届けた。西郷龍右衛門の死後に病で急逝する。実在の人物、西郷吉兵衛がモデル。
西郷 満佐 (さいごう まさ)
西郷吉之助の母親。つねに毅然とした女性で、吉之助だけでなくすべての子供を非常に厳しく教育している。吉之助が須賀と結婚したあとに病床に伏せるようになり、西郷吉兵衛の死後に亡くなった。実在の人物、椎原政佐がモデル。
西郷 龍右衛門 (さいごう りゅうえもん)
吉之助の祖父。西郷吉之助をはじめとする孫たちを温かく見守る。元気な老人だったが晩年は病床に伏せることが多くなり、吉之助が須賀と結婚したあとに亡くなる。実在の人物、西郷隆充がモデル。
西郷 吉二郎 (さいごう きちじろう)
西郷吉之助の次弟。吉之助の江戸勤めが決まり、家のことを任されるようになる。多忙な吉之助に代わって西郷家を守り続ける。のちに自ら戊辰戦争に出征するが、北越に出兵した際に重傷を負って戦死した。実在の人物、西郷吉二郎がモデル。
西郷 従道 (さいごう つぐみち)
西郷吉之助の三弟。吉之助にあこがれて倒幕運動に参加し、明治新政府では要職に就いた。実在の人物、西郷従道がモデル。
西郷 琴 (さいごう こと)
西郷吉之助の妹。貧しい生活が続いても落ち込むことなく明るく振る舞い、弟たちの面倒を見ながら、吉之助と共に西郷満佐の厳しい教育を受けて育つ。のちに幼なじみの男性と相思相愛の仲となるが、弟たちを残したまま嫁ぐことはできないという理由で、吉之助が結婚するまでは縁談話を断っていた。実在の人物、市来琴がモデル。
赤山 靱負 (あかやま ゆきえ)
島津一族の血を引く男性で、薩摩藩鉄砲奉行を務める。島津斉彬の忠臣として彼を支持している。塾を開いて西郷吉之助を指導し、大きな影響を与えた。西郷家とは家格の違いがあるものの昔から交流が深く、吉之助のことも兄弟のようにかわいがっている。貧しい吉之助とその家族を気にかけることも多く、彼からも腹を割って話せる相手として信頼、感謝されている。斉彬派の一人として彼を薩摩藩主にするために動いていたが、「お由羅騒動」で多くの斉彬派が粛清された余波を受けて切腹を命じられ、西郷吉兵衛の介錯で命を落とす。つねにまっすぐに生きて散っていったその生き様は、若き日の吉之助に多大な影響を与えた。実在の人物、赤山靱負がモデル。
島津 斉彬 (しまづ なりあきら)
薩摩藩島津家の嫡男。江戸のみならず薩摩までその英邁(えいまい)ぶりを轟かせており、西郷吉之助や大久保正助たちからもあこがれの存在として敬愛されている。27歳の頃に久々に江戸から帰郷した際、幼少期の吉之助と出会う。いくつかの事件や騒動を経て第11代薩摩藩主となったあとは吉之助を見いだし、彼を側仕えに迎えて重用するようになる。吉之助の働きもあって、養女の篤姫を徳川家定の妻として送り出すことに成功するが、苦労が重なったことで次第に体調を崩しがちになる。一橋慶喜を擁立するために、吉之助と共に活動を始めるが失敗。挙兵のために上洛した際、練兵中に病に倒れて急死した。その後は法名の「順聖院」と呼ばれるようになり、死後も吉之助にとって最も偉大な人物として、尊敬され続けている。実在の人物、島津斉彬がモデル。
島津 斉興 (しまづ なりおき)
島津斉彬の父親で、島津家第27代当主にして、第10代薩摩藩主。長らく藩主を務めていたが、「お由羅騒動」のあとに将軍から引退勧告を受ける。阿部正弘の調停によって隠居が決まり、家督と薩摩藩主の座を斉彬にゆずった。実在の人物、島津斉興がモデル。
調所 広郷 (ずしょ ひろさと)
薩摩藩家老を務める男性で、通称「笑左衛門」。島津家で藩主の座を巡るお家騒動が起こるようになると、島津斉興派の一人として島津久光を支持する。裏では外国との密貿易や贋金作り、島津斉彬の追い落とし工作などに手を染めていた。江戸に出仕した際にこれらの悪事を糾問され、斉興に罪が及ぶのを防ぐために、服毒して自ら命を絶った。実在の人物、調所広郷がモデル。
お由羅 (おゆら)
島津斉興の側室で、島津久光の母親。町人出身。息子の久光の藩主就任のために島津斉彬と彼を支持する斉彬派と対立し、藩主の座を巡るお家騒動「お由羅騒動」にまで発展させた。実在の人物、お由羅の方がモデル。
阿部 正弘 (あべ まさひろ)
江戸幕府の老中首座を務める男性。島津斉彬に協力し、西郷吉之助にも影響を与える。実在の人物、阿部正弘がモデル。
須賀 (すが)
西郷吉之助の最初の妻。鼻の両脇に痘痕のある素朴な見た目の女性。貧しい下級藩士の家に嫁いできたことを、吉之助からたびたび不憫に思われている。吉之助との夫婦仲はあまり良好ではなく、彼が多忙になっていくにつれて交流や会話が減っていく。吉之助の江戸勤めが決まった際に離縁を申し出るものの、彼が薩摩に戻るまでは西郷吉二郎たちの世話をすることを約束する。しかし、持病の脚気が悪化して実家に戻されることになり、吉之助が江戸から戻る前に西郷家を去った。実在の人物、伊集院須賀がモデル。
篤姫 (あつひめ)
島津斉彬の養女。幼名は「於一」で、少々お転婆で気の強い性格の少女。幼少期に赤山靱負を通して西郷吉之助と出会っている。成長後は斉彬の計らいで江戸に送り出され、第13代将軍徳川家定御台所として徳川家に嫁いだ。のちに江戸で吉之助と再会したあとも、彼をたびたび気にかけている。実在の人物、天璋院がモデル。
藤田 東湖 (ふじた とうこ)
西郷吉之助が江戸の小石川で出会った、水戸藩士の中年男性。水戸学藤田派の学者としても、全国の武士たちに広く知られている。広大無辺な思索の持ち主で、江戸に来たばかりの吉之助に大きな影響を与える。多くの藩士から尊敬されていたが、「安政の大地震」で命を落とす。実在の人物、藤田東湖がモデル。
月照 (げっしょう)
西郷吉之助が京都で出会った、清水寺成就院前住職を務める女性。島津斉彬の急死に絶望して殉死しようとする吉之助を諭し、親交を持つようになる。幕府に不満を持つようになった薩摩藩と朝廷の仲介役となって吉之助に協力するが、幕府から危険人物と見做され、「安政の大獄」で追われる身となる。吉之助と懸命な逃避行を重ねるが追い詰められ、彼と入水心中して命を落とした。実在の人物、月照がモデル。
島津 久光 (しまづ ひさみつ)
島津斉彬の異母弟で、島津斉興とお由羅の息子。のちに島津御一門四家筆頭となる。斉彬の遺命により藩主の座は息子の忠義にゆずるが、幕末の薩摩藩における実質的な最高権力者であり、「国父」とも呼ばれている。斉彬のことを尊敬していたが、彼に重用されていた西郷吉之助とは折り合いが悪く、吉之助にとっては憎むべきお由羅の子という事実もあって、あまり信頼されていない。このため吉之助を重用するつもりはなく、のちに無断で上坂した吉之助を責め立て、島流しの刑に処す。その後は徳川幕府への不信感を増幅させていき、吉之助の倒幕運動にも何度か協力し、のちに薩摩藩の武力倒幕路線を確定する。明治維新後も薩摩の権力をにぎっていたが、明治新政府による予想外の改革の数々に翻弄されることとなる。特に寝耳に水も同然の改革「廃藩置県」には激怒し、抗議とうっぷん晴らしのために自邸の庭で大量の花火を打ち上げた。実在の人物、島津久光がモデル。
一橋 慶喜 (ひとつばし よしのぶ)
一橋家当主の男性で、第13代将軍徳川家定の後継者候補として島津斉彬や西郷吉之助たちの支持を受ける。しかし徳川家茂に敗れて将軍にはなれず、大老となった井伊直弼によって謹慎処分が下される。家茂の死後は第15代将軍徳川慶喜となるが、倒幕に回るようになった吉之助とは対立するようになる。実在の人物、徳川慶喜がモデル。
愛加那 (あいかな)
身投げした吉之助が流れ着いた奄美大島の島民の女性。西郷吉之助の二番目の妻となる。奄美の名門である龍家の血を引くが、父親が分家に生まれたために生活は豊かではなく、龍姓を名乗ることも許されていない。これらの事情から、母親の枝加那と共に兄の冨堅夫婦の家に世話になっている。冨堅を通して吉之助の世話の一部を任されるものの、当初は荒れていた彼のことが好きではなく、ひねくれた発言の多い吉之助を憎たらしく思っていた。特技は菓子作りで、吉之助の要望に合わせて作った羊羹が気に入られたのをきっかけに、彼のためにさまざまな料理を作るようになる。次第に体力と本来の自分を取り戻していった吉之助の本質を知ってからは認識を改め、自ら告白して彼の島妻となる。政治や薩摩藩の事情などには詳しくないものの、さまざまな苦難に立たされる吉之助をつねに心配して励ましの言葉を掛け、彼を心身ともに支えている。吉之助とのあいだにできた長男の西郷菊次郎を産み、彼が薩摩へ戻ったあとには、長女の西郷菊草を産んだ。のちに吉之助が徳之島に流されたのを知り、子供たちを連れて徳之島へ赴き、吉之助と再会する。実在の人物、愛加那がモデル。
井伊 直弼 (いい なおすけ)
彦根藩主を務める男性で、徳川幕府の大老でもある。「安政の大獄」などを通して一橋慶喜を支持する一橋派を厳しく弾圧し、大老となったあとは慶喜を謹慎処分にする。厳しい弾圧を受けた西郷吉之助にとっても大きな壁であり、絶対に討ち果たすべき敵となる。吉之助が奄美大島に滞在中、「桜田門外の変」で斬殺された。実在の人物、井伊直弼がモデル。
西郷 菊次郎 (さいごう きくじろう)
西郷吉之助と愛加那の長男。顔は父親の吉之助とよく似ており、瞳は大きくクリクリしている。幼少期は奄美大島で、母親や妹の西郷菊草と共に過ごしていた。明治に入ってからは薩摩にある西郷家に引き取られ、岩山糸に養育される。成長後はアメリカに渡り、帰国後は吉之助に従って西南戦争に参戦。宮崎で右脚を切断するほどの重傷を負い、熊吉の世話を受ける。熊吉の助けを受けて戦線に戻ろうとするが、吉之助に別れを告げられて戦線離脱。西南戦争終結後は京都市長となり、助役の川村に吉之助の生涯と西郷菊次郎自身の過去を語る。実在の人物、西郷菊次郎がモデル。
西郷 菊草 (さいごう きくそう)
西郷吉之助と愛加那の長女。吉之助が帰藩を命じられて薩摩藩に戻った頃に生まれ、幼少期は母親と兄の西郷菊次郎と共に、奄美大島で過ごしていた。父親の吉之助と同様、クリクリした大きい瞳を持つ。のちに菊次郎と共に薩摩の西郷家に預けられ、岩山糸に養育される。実在の人物、西郷菊草がモデル。
熊吉 (くまきち)
下男として西郷家に仕える中年男性。小柄で小太りな体形だが、非常に健気な働き者。西南戦争で西郷吉之助に同行し、負傷した西郷菊次郎の世話係を任される。再び戦線に加わろうとした菊次郎を背負いながら、八十里の山道を歩いた。吉之助と再会を果たすものの、彼に菊次郎のことを任されて別れを告げられる。実在の人物、永田熊吉がモデル。
村田 新八 (むらた しんぱち)
西郷吉之助の幼なじみの男性で、弟分でもある。27歳の頃に、九州の情報視察を命じられた吉之助の同伴として共に旅をする。のちに島津久光の怒りを買った吉之助の罪を共に被り、鬼界島へ島流しにされる。西南戦争でも吉之助に付き従うが、岩崎口の塁にこもって自決した。実在の人物、村田新八がモデル。
勝 海舟 (かつ かいしゅう)
幕臣の男性で、幕府軍艦奉行並を務める。小柄で少年のような体つきだが、底知れぬ智略と鋭い眼光を持つ。「蛤御門の変」のあと、長州征伐に乗り出そうとした西郷吉之助と大坂で対面する。幕臣でありながら、幕府の体制や現状を激しく批判する。また実際にアメリカへ渡ってその急成長を目の当たりにした経験などから、国内の内紛や揉め事ばかりではなく欧米諸国を警戒すべきだと説き、吉之助に大きな影響を与えた。吉之助による江戸城総攻撃の前日に彼と対面し、必死の説得の末に江戸の総攻撃を停止させ、「江戸無血開城」によって江戸を戦火から守った。実在の人物、勝海舟がモデル。
岩山 糸 (いわやま いと)
西郷吉之助の三番目の妻。下加治屋町郷中の岩山家の娘で、23歳の頃に吉之助に嫁いだ。慎ましく芯の強い薩摩女で、吉之助と婚礼を交わした次の年には嫡男の西郷寅太郎を産むなど、子宝に恵まれる。のちに、吉之助の奄美大島の子供である西郷菊次郎と西郷菊草を引き取って養母となる。実在の人物、西郷糸子がモデル。
小松 帯刀 (こまつ たてわき)
薩摩藩士の男性で、のちに薩摩藩家老を務める。寺田屋事件直前に西郷吉之助を死罪にしようとする島津久光を説得して死罪を止めるなど、何度も吉之助を助けている。その後も「禁門の変」や長州征討、薩長同盟などにおいて吉之助と行動を共にする。慎重な性格ながら脱藩した坂本龍馬に同情し、彼を薩摩藩の食客として受け入れる。実在の人物、小松清廉がモデル。
坂本 龍馬 (さかもと りょうま)
土佐脱藩浪士の男性。土佐藩を脱藩後は武器の調達を担当し、外国との貿易に力を入れている。勝海舟を通して知り合った西郷吉之助と意気投合する。吉之助に長州藩との和解を提案し、薩摩藩と長州藩の仲立ちをして「薩長同盟」を成功させた。のちに京都の「近江屋」で暗殺された。実在の人物、坂本龍馬がモデル。
木戸 孝允 (きど たかよし)
長州藩藩士の男性で、元の名は「桂小五郎」。禁門の変以降は薩摩藩を憎んでいたが、坂本龍馬の仲立ちによって薩長同盟を結んだ。実在の人物、木戸孝允がモデル。
岩倉 具視 (いわくら ともみ)
朝廷に仕える公家の男性。孝明天皇の崩御によって5年に及ぶ蟄居が解かれ、倒幕のための工作を進める。公家出身とは思えぬほどに脂ぎっており、恐ろしいほどに頭が切れる。幕府の「大政奉還」により一時は武力倒幕の動きが滞るが、西郷吉之助たちと協力して徳川慶喜から実権を奪うために行動するようになり、「王政復古の大号令」によって慶喜の辞官納地を求める。明治新政府では特命全権大使右大臣として「岩倉使節団」のリーダーを務め、欧米諸国に渡った。実在の人物、岩倉具視がモデル。
伊藤 博文 (いとう ひろぶみ)
長州藩士の男性。木戸孝允と共に出席し、薩摩藩と薩長同盟を結ぶ。明治新政府の一員となり、「岩倉使節団」の一員として欧米に渡った。実在の人物、伊藤博文がモデル。
その他キーワード
お由羅騒動 (おゆらそうどう)
幕末に薩摩藩で起こった、藩主の座を巡る島津家のお家騒動。島津斉興の後継者として嫡子である島津斉彬を支持する彼の家臣と、お由羅の息子である島津久光を支持する一派の対立によって起こった。調所広郷の死をきっかけに両者の対立はますます激しくなっていき、斉彬の息子たちが次々と夭逝したのをきっかけに、「斉彬とその息子たちにお由羅が呪詛をかけた」と疑った斉彬派の過激派が、お由羅や久光の暗殺をもくろむようになる。この暗殺計画を記した密書が露見し、近藤隆左衛門や赤山靱負をはじめとする斉彬の家臣が切腹を命じられ、ほか50名には遠島などの処分が下された。
クレジット
- 原作
-
林 真理子