長征

長征

1920年代後半の中国大陸。当時の大陸を支配していた蒋介石率いる政府「国民党軍」と、対抗する共産党「紅軍」との激烈な戦闘を綴る中国近現代史の一大叙事詩。毛沢東を首班とする紅軍が成し遂げた歴史に名高い長距離行進、長征を、愛し合う男女の兵士を主人公として綿密に描くノンフィクション漫画。「ビッグコミックオリジナル」1973年3月から12月にかけて連載された作品。コミックス下巻の巻末には、「週刊言論」1972年5月12・19日合併号に、同じく『長征』のタイトルで掲載された6ページの短編が、「中国の大自然」というタイトルで収録されている。

正式名称
長征
ふりがな
ちょうせい
作者
ジャンル
戦争
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あらすじ

上巻

1928年、国民党が支配する中華民国では、権力側が「赤匪」と蔑称する紅軍が各地で反権力闘争を戦っていた。紅軍は毛沢東朱徳が組み、軍は農村部を拠点として都市部を包囲する戦略で勢力を拡大しつつあった。対する蒋介石を国家元首とする政府軍は、圧倒的な兵力と武力で反撃を開始した。これによって、紅軍の安全地を求めて、のちに「長征」と呼ばれる事になる長距離の大移動を余儀なくされた。とある村の青年・黄良成は、村に立ち寄った紅軍の女性兵士、桃花から、紅軍の兵士となる事を勧められる。奴隷のような惨めな暮しよりも、正義のために戦う紅軍に魅力を感じた良成は、家族の反対を押し切り、その日の内に入隊を決めてしまう。翌日、軍服に身を包んだ良成は、家族に別れを告げて故郷の村をあとにする。2日後、地主が国民党の兵士達と共に現れ、紅軍に入隊した者の家族を道に並ばせる。そして彼らを見せしめの処刑として一斉射撃して虐殺する。黄良成の母は愛する息子の名を呼びながら息絶える。その時故郷での惨劇を知らない良成は、遠足気分で行進していた。彼はこの行進が後世に「20世紀の奇跡」とも「悲劇の大行進」ともいわれる歴史的偉業となる事など、知る由もなかった。(第1章「序」)

良成が入隊したのは総勢約10万人の第一方面団で、党中央機関の紅星縦隊が湘江を渡りきるまで、敵の反撃を食い止めるのが指導部からの命令であった。敵の砲撃に怖じ気づいた良成は、戦地から逃げようとするが、桃花に叱責されて戦闘に参加する。紅軍の第一方面団と第二方面団が合流する事を恐れた蒋は、紅軍の5倍にもなる40数万もの兵によって一挙に第一方面団の全滅を図る。そして、戦闘機まで繰り出す敵の攻撃の前に、第一方面団は半数以上の兵を失う。塹壕の中で死を覚悟した良成は、桃花に愛を告白し、彼女と抱擁する。その時、紅星縦隊の渡河完了の報が入り、良成と桃花は生き残った仲間と共に攻撃を中止して湘江に向かう。この作戦で3万もの兵の血で大地が赤く染まり、兵士達から軍指導部への不満が高まる。(第2章「鮮血の大地」)

行進を続ける第一方面団は、前後を敵軍に挟み撃ちされ、身動きが取れなくなってしまう。そこへ空から敵機が襲来し、良成達は一斉に機銃掃射を受ける。良成は勇敢にも一人機関銃で立ち向かい、見事敵機を撃墜する。そしてようやく戦闘部隊が前方の敵を撃退したとの報が入り、多くの犠牲を払った部隊は行進を再開する。その頃、紅軍の軍事委員会では毛が作戦を変更して、第一方面団を休息させる事を主張していた。この意見が通り、第一方面団は第二方面団との合流をあきらめ、敵軍の兵力が弱い貴州省に向かう事となった。第一方面団は貴州省の各都市を占領し、二手に分かれた先遣隊が省内最大の川である烏江に向かった。途上の村では飢えた村民達が、部隊から配ばられた食料にむらがり、それを見た良成は革命の意義を悟る。そして部隊は1935年1月1日に烏江にたどり着く。対岸には敵の貴州兵が守りを固めているため、部隊は決死隊を編成して渡河する事となった。良成と共に育った村の友人、も決死隊の一員となった。陳は良成に故郷の家族への言伝を頼み、急ごしらえの筏に乗って夜の河を渡る。(第3章「天険烏江」)

1935年1月2日午後9時に、陳を乗せた最初の決死隊が烏江の渡河を決行する。しかし敵兵に気づかれ、機銃掃射で筏ごと沈められてしまう。後続隊も迎撃されたため、部隊は渡河を断念して引き返す。その夜、良成は生きて帰れたら二人で共に暮す事を桃花と約束する。その頃、第一方面軍の背後には敵軍が迫っているとの無電が入り、隊長は再度決死隊を編成する事を決断する。翌日、総勢17人が3艘の筏に分乗し、烏江の渡河を開始する。味方の援護射撃と敵軍の集中射撃という、激烈な火線のまっただ中を3艘の筏は懸命に進む。その時、対岸から最初の決死隊の兵士が援護射撃を行い、3艘の決死隊は無事渡河に成功する。最初の決死隊は、筏を失いながらも泳いで対岸にたどり着いていたのだった。勢いづいた部隊は、幸運にも敵の背後に行ける脇道を偶然に発見し、敵軍を狙い撃ちにするという幸運も手伝い、烏江の渡河は見事に成功する。この時の最初の決死隊はのちに「22名の赤い英雄」として後世の語り草となる。陳との再会を喜んだのも束の間、良成達は不休での強行軍を開始する。行き先は「阿片都市」として知られる貴州の遵義で、道路には貴州兵が投棄した阿片を吸うキセルが散らかっていた。(第4章「阿片都市」)

1935年1月4日、第一方面団は遵義にたどり着く。そして部隊の数人が貴州兵に変装して敵の砦を開門させ、貴州省の占領に成功する。貴州省の民衆は極貧状態で、冬でも子供達は全裸で路傍にうずくまり、麻袋をまとっただけの若い娘が紅軍兵に物乞いをする有様だった。紅軍は不正蓄財していた官吏から財産を没収して民衆に分配する。熱狂した民衆の若者達は続々と紅軍に入隊し、その数は5000人にものぼった。しかし、その兵士の家族もまた良成の家族と同様の残酷な運命が待っていた。遵義では18人の中国共産党幹部が会議を開き、その場で毛は党中央の実権を握る指導者が、作戦の失敗で多くの犠牲者を出した失態を痛烈に批判する。会議では周恩来を筆頭に毛に追随する者が相次ぎ、それまでの指導者は退任し、毛を首班とする新指導部が発足した。新体制の決議は各地の指導者に打電されるが、コミンテルンへの盲従を誓う古参指導者は決議の履行を留保した。一方、良成と桃花は貴州での久々の休暇を満喫していた。ところが、そこに貴州省を発つとの命令が下される。紅軍の本拠地となるはずだった貴州省は、土地が貧しいための転進だった。良成と桃花にとっては夢のようだった12日間の休暇の最後の夜に、二人は祝杯を上げて貴州省に別れを告げる。1月18日に遵義を出発した部隊は、北上して第四方面団との合流を目指す。ところがその途上、深夜に蒋介石直系の兵から急襲を受け、砲撃で桃花は倒れ、彼女を救おうとした良成も爆風で気絶してしまう。(第5章「偽装集団」)

敵の兵力を把握した毛は、第一方面軍に貴州省内に引き返すよう指示する。部隊は「天険の要塞」といわれているほど、険しい山脈がつらなる婁山関にさしかかる。部隊は貴州軍の激しい攻撃に遭って死体の山を築くが、別隊が山道を這い登り、敵の前後左右を取り囲んで攻撃する。そして、激闘の末に貴州軍を壊滅させた。のちに毛は兵士達の血で濁った婁山関の戦いを、夕陽を血の色になぞらえた詩を詠んだ。気を失っていた良成は、正気に戻ると、姿が見えない桃花を探し回る。そして紅軍の行く手には、呉奇偉将軍率いる国民党正規軍待ち構えていた。敵軍の大砲砲火の中を、部隊は強行突破せんと突き進む。街道の10キロ四方は焼け野原となるが、敵軍を疲弊させるという毛の作戦は図に当たり、敵軍の20個連隊を壊滅させるという大勝利となった。そして、敵軍が備蓄していた武器弾薬・医療品・食糧などの戦利品が数多く入手できた事は、実に大きな戦果であった。しかしながら、第一方面軍は敵軍が多い揚子江を渡河する事は危険と判断。作戦を変更し、雲南省へと向かった。標高度が高い雲南省は「四時春」と称されるほどに穏やかな気候の地であるが、その反面、ビルマ(現ミャンマー)国境沿いの密林地帯は、氷河期を生き延びた植物や動物が棲息する原始時代の世界でもあった。(第6章「過去地帯」)

雲南省の密林を行進する第一方面軍は、土地勘のある地元の武装団による、狙撃してはすぐ逃走する作戦に苦しめられ、優秀な幹部が次々に凶弾に倒れていく。そこで彼らは遵義で成功した国民党に変装して、敵陣に潜入する仮装作戦を決行する。この作戦はまんまと成功し、陣内の敵兵は全員降伏した。そして第一方面軍は足を早め、揚子江上流の金沙江を目指す。しかし、金沙江が近づくにつれて灼熱の気温と熱風が部隊を襲う。ここで良成は桃花の姿を見つけ、二人は抱き合って久々の再会に歓喜する。そして金沙江の河岸に着いた部隊は6艘の船に2、30人ずつ乗り込み、9昼夜を通して渡河を続け、一人の兵も一頭の馬も失う事なく、ついに金沙江を渡りきる。しかし、渡河に次には炎天下の中を「孫悟空」の舞台となった伝説の高山、火焔山を登る必要があった。灼熱の登山も良成にとっては、桃花と共にいる楽しみの方が大きかった。(第7章「炎熱地獄」)

下巻

江西を出発してすでに5000キロにおよぶ行進を続けている第一方面軍は、西康省と四川省を横断して流れる河、大渡河に向かう。しかし、そのためには生きては帰れないといわれるロロ族地区を通らねばならなかった。漢民族に対し異常なほどの憎悪を燃やすロロ族にはいくつかの部族があり、ぞれぞれが通行と引き換えに金銭を要求して来る。第一方面軍の隊長はクオチ族の族長と直接交渉を行い、ロロ族が宿敵とする漢民族の役人や四川軍を共に打倒しようと提案する。族長はこれを受け入れ、隊長と義兄弟の契りを交わし、行進への協力を約束する。こうして第一方面軍は思わぬな形で、ロロ族地区を安全に通過する事に成功する。(第8章「大渡河の壁」)

第一方面軍は大渡河の河辺にある「安順場」にたどり着く。良成は桃花からこの地は100年前に起きた農民革命「太平天国の乱」ゆかりの場所である事を知らされる。1850年に、地主や商人の抑圧に怒った農民が一斉蜂起し、南京を陥落させ「太平天国」という独立政権を打ち立てる。しかし、当時の中国大陸の権益を握っていたイギリスから武器援助を受けた清朝によって、太平天国軍が滅ぼされた場所がこの安順場であった。部隊は敵のトーチカを迫撃砲で破壊し、兵の渡河を開始する。しかし第一方面軍の渡河阻止のため、四川軍の二個師団が迫り来る。全軍は二手に分かれ、黄良成桃花の分隊は、160キロ先の瀘定橋に3日間で到着するべく、1日50キロ以上の行進という強行軍を余儀なくされる。しかし、その途上で四川軍との激闘があり、予定通りに進む事ができないうえに、緊急無電で四川軍が瀘定橋に迫っているため、残り120キロもの道のりを急行し、敵よりも先に到着せねばならないくなった。疲労困憊した兵士達は必死の思いで行進を続ける。夜には松明を灯し、敵軍が近づくと味方のふりをして急場をしのぐ。大渡河を挟んで橋に向かう敵と味方の松明の行列が、まるで二匹の竜のように夜空を照らしていた。(第9章「十三本の鎖」)

第一方面軍はやっとの思いで、敵軍よりも先に濾定橋にたどり着く。濾定橋は、13本の鉄の鎖で作られた吊橋であった。しかし対岸には敵軍がいるため、部隊は決死隊を組んで対峙する。決死隊は多くの犠牲者を出しながらも手榴弾で敵陣を爆破、ついに橋を渡りきる。(第10章「血の河」)

大渡河を突破した第一方面軍は、敵軍の執拗な攻撃を受けながらも、四川省と四康省の省境を南北に走る大山脈である大雪山の一つ「來金山」の麓に達する。目的地に着くためにはこの山を越えなければならないが、雪山の知識がない兵士達には無謀な登山であった。良成と桃花は村人達に來金山の事を訊ねるが、いずれも伝説の寓話的な情報ばかりであった。それでも、部隊は登山を決行する。寒さと突風、そして時おり襲う大きな雹の雨に多くの兵士達が息絶えていく。良成は身体中が腫れ上がりながらも楯となって雹から桃花を守り抜く。そして苦難の末に、第一方面軍はようやく登頂に成功し、麓の村にたどり着く。そこにいたのは第四方面軍で、ついに良成達第一方面軍の目的だった第四方面軍との合流を達成する。実に8か月余におよぶ6000キロ近い道程の長き旅であった。(第11章「大雪山」)

合流した第一方面軍と第四方面軍の幹部は、両河口で政治局会議を行う。第四方面軍の総政治委員の張国燾は、モスクワ留学経験がある中国共産党の元老格であるという自負心が強い人物で、紅軍の軍閥主義者として毛沢東を侮蔑した眼で見下す。会議では、張が党中央の改組を要求し、これに対して毛は張の軍閥主義的主張を批判する。結局会議では張の動議は否決され、張はしぶしぶ決定に従う事となるが、両者の対立は今後に禍根を残す事となる。この頃、漢民族に対して強い反感を持っていたチベット族を国民党がうまく懐柔し、チベット族が紅軍に闇討ちを仕掛ける事件が相次いでいた。一方、桃花は第四方面軍の婦人部隊と共に、山腹にあるチベット族のラマ寺を襲撃し、見事に作戦を成功させる。そして桃花は、婦人部隊に入隊する事を良成に告げる。良成は悲しみながらも彼女の意思を尊重して了承する。そして紅軍は再び大雪山に挑む。冬山の装備なしでの登山は無謀であり、多くの兵士が滑落して命を失う。それでも彼らは過酷な登山を中止せず前進を続ける。頂上が近づくにつれて高山病に次々に倒れていく。そして食料も尽きて多くの兵士が飢え、雪の上には無数の死体が連なる。良成達は靴底やベルトの革を煮た「皮煎餅」を食べて飢えをしのぐ。この大雪山越えは全長1800キロにのぼり、長征中最大の犠牲者を出した、文字通りの「死の行進」であった。(第12章「チベット族」)

大雪山を走破した第一方面軍は、チベット高原の松潘県に属する毛児蓋に駐屯する。兵士達は食料を調達しようとするが、村人はみんな逃げて誰もおらず、大衆の財産には無断で手がつけられないという規律のため、黄金色に光る広大な麦畑を前にして、ただ眺めるだけしかできなかった。ここで良成は桃花と再会し、二人は抱き合って愛を確かめ合う。この地で再び毛と張が対立し、またもや自分の主張を否決された張が激怒して席を立つという混乱が起きる。そこで首脳部は分裂を避けるために第一と第四の方面軍を、毛の右翼軍と張の左翼軍に分けて再編成する事となった。一方、蒋介石は、新たな戦略的布陣を敷いて紅軍撃退に執念を燃やしていた。これを察知した毛は、敵の裏をかいて、生きて出られた者はいないといわれる大湿地帯の横断を決意する。大渡河や大雪山を走破してきた毛は、ここにおいても死中に活を求める決死の作戦を選択したのだった。300キロにも達する大湿地帯には不気味な濃霧が立ち込め、見渡す限り一面の草原が続いていた。辺りにはラクダのコブのような山々があり、濁った水が淀む沼地には枯れた水草と青草が混ざり合い、毒素を含んだ異臭を漂わせながら底なし沼を形成していた。良成達右翼軍は天候不順の中を黙々と突き進む。夜は毒水の中で横たわる事もできず、立ったまま眠るという過酷な状況であった。風雨と泥水と寒さと飢えによって大半の兵士は疲弊し、歩行困難となった周恩来は担架で運ばれるありさまであった。仲間の屍を横目に、生き残った兵士達は何かに憑かれたように行進を続ける。そして彼らも体力の限界に達しかけたその時、眼前に丘が現れ、良成達は乾いた大地の石ころを摑んで歓喜の涙を流した。(第13章「大湿地帯」)

生死の境をさまよいながらも大走破を成し遂げた良成ら右翼軍であったが、大半の兵士は半病人状態となっていた。そこに蒋が率いる国民党軍の精鋭部隊が、彼らに砲火の雨を降らせる。これに対し紅軍側も必死に抵抗する。特に旧第四方面軍中心に編成された第三十軍団の活躍で敵の一個師団を壊滅。紅軍はさらに進撃し、敵軍の捕虜6000人と大量の馬・食糧・弾薬を入手するという大戦果を挙げる。その頃、チベット族の民家に宿営していた張が率いる左翼軍では、内紛が発生していた。張が党の決定に逆らう命令を下したのだ。毛の盟友の朱徳は抵抗するが、張に短銃を突きつけられ、やむなく命令に従う。この時の張の無謀な反抗の際、数百人の毛派兵士が殺害されたといわれている。一方、巴西で左翼軍を待つ右翼軍の毛は、左翼軍の命令違反を知って驚愕する。そして旧第四方面軍から編入されていた部隊が、張の命令に従って南下を開始する。これまで走破した大草原や大雪山を再度越えるという行軍は死を意味する。桃花が所属する婦人部隊も帯同するため、良成は必死に説得するが、桃花の意思は固く、二人は離れ離れとなる。この分裂により、毛が率いる兵力は当初の10万から10分の1以下のわずか8000人の小部隊となってしまった。そして南下した兵士達には悲劇が待っていた。弱った身体で魔の湿地帯を行く彼らの多くは落伍して倒れ、生きた兵士はまるで亡者のようにさまよう。長征最大の悲劇はここに始まった。(第14章「草原の分裂」)

張が率いる右翼軍は、南下の行進中に四川軍の待伏せ攻撃を受ける。激戦の末、四川軍は1万5000人の兵を失うが、右翼軍はそれ以上の甚大な損害を受け、後退を余儀なくされる。張は一旦大草原に陣を張って長期戦に入る戦略を取る。一方、毛は8000人の兵を率いて北進を開始する。わずか1日あたり100キロ以上という強行軍で進撃し、ついに最終目的地の象鼻子湾に到着する。毛が長征の終わりを告げると、良成の脳裏にこれまでの苦難の日々が走馬燈のように駆け巡る。兵士達はみんな、ただその場に立ち尽くしたまま、あふれる涙をこらえる事ができなかった。こうして左翼軍が長征を終えた頃、大草原に陣を張る右翼軍の兵士達は、飢えと疫病によって次々に命を落としていく。しかし、非情にも張は何の対策も取らなかった。そして8か月後にようやく第二方面軍が合流するに至って、幹部は張に北上を要求。張は仕方なくこれに従い、兵士達は大草原を渡って甘粛南部に到着し、その後再び2隊に再編成される事となった。だが、ここにいたっても張はまだ南下をあきらめておらず、一方の部隊に黄河西方の寧夏省へ向かう命令を独断で下す。部隊は「西路軍」と名乗り、総勢2万人で進軍する。しかし行く手には回族軍閥5家族を主力とする13個師団が待ち受けていた。回族騎馬隊の怒濤の攻撃を受けた西路軍は、各地で壊滅的な打撃を被り、西路軍に属していた婦人部隊は敵兵に陵辱されたうえ惨殺される。桃花も敵兵に襲われるが、彼女は勇敢にも手榴弾を炸裂させて敵と共に自爆死する。悲惨な最期に桃花の脳裏に浮かんだのは、優しかった、愛する良成の姿だった。2万人いた西路軍の生存者はわずか400人だったといわれる。毛が率いる部隊が光とすれば、桃花がいた西路軍は陰の存在であった。所要日数371日、距離1万2000キロにおよんだ長征は、こうしてここに幕を閉じる。(第15章「光と陰」)

登場人物・キャラクター

黄 良成

紅軍第一方面軍の青年兵士。貧しい田舎の村で育ち、桃花の勧めで友人の陳と共に紅軍に入隊する。純朴で穏やかな性格だが、長征に参加した事で人間的に大きく成長する。長征ではつねに桃花と行動を共にし、次第に彼女に惹かれていく。

桃花

紅軍第一方面軍の女性兵士。長征の途上で黄良成と知り合い、行動を共にする事で次第に彼に惹かれていく。正義感が強く、時には良成を叱責し、励ますほど芯が強い性格。いつの日か良成と二人で暮らす事を夢見ている。

毛 沢東 (まお つぉーとん)

紅軍第一方面軍の幹部兵士の男性。質実剛健で革命成就のための確固たる信念を持った軍人で、その卓越した指導力と統率力で長征実現の立役者となる。貧しい村人達や従順な兵士を気遣う優しさも持っており、指導部からの無謀な指示には断固として反論する好人物。実在の人物、毛沢東がモデル。

周 恩来 (ちょう うぇんらい)

紅軍第一方面軍の幹部兵士の男性。毛沢東の盟友であり、部隊の参謀として長征に参加する。穏やかな性格で、つねに冷静沈着な判断ができる有能な軍人。しかし体力はそれほどなく、長征の途中では身体が動かなくなって担架で運ばれる。実在の人物、周恩来がモデル。

張 国燾 (ちゃん くおたお)

紅軍第一方面軍の総政治委員を務める男性。モスクワ留学の経験があり、自負心が強い性格。紅軍に軍閥主義的な派手な空気を持ち込み、たびたび独断専行の命令を下して、紅軍に混乱をもたらした元凶とされる。戦術策において毛沢東と激しく対立する。実在の人物、張国燾がモデル。

(ちん)

紅軍第一方面軍の青年兵士。黄良成とは同じ村で育った幼なじみの親友。良成と共に紅軍に入隊し、長征に参加する。烏江強行渡河作戦では、第1陣の決死隊メンバーとなり、のちに「22名の赤い英雄」と賞される。

黄良成の母

地主である劉大人に支配される、貧しい村で暮らす歳老いた女性。女手一つで長男の黄良成や次男を育て上げた。極貧のため、冬でも上半身裸で乳房を丸出しにした姿で暮している。優しい性格で紅軍への入隊を決意した良成を気遣う。

朱 徳 (ちゅー とう)

紅軍第一方面軍の幹部兵士の男性。のちに張国燾指揮下の左翼軍に配属される。毛沢東とは、お互いに生死を共にしてきた、という熱い信頼関係で結ばれた盟友同士。兵からの人望も篤い人格者で、無謀な命令を下す張からは疎ましがられ、激しく対立する。実在の人物、朱徳がモデル。

蒋 介石 (ちゃん ちぇしー)

中華民国を支配する国民党の総裁。国家元首を務める男性。国家体制に反逆する毛沢東率いる紅軍を「赤匪」と蔑称し、その殲滅に執念を燃やす。紅軍の制圧のためにドイツ軍の将軍を軍事顧問として招聘し、紅軍の根絶やし作戦を敢行する。実在の人物、蒋介石がモデル。

小 葉丹 (しゃお しょーたん)

ロロ族に属するクオチ部族の族長。民族衣装に身を包んだ大柄な男性で、自分達の土地を奪った漢民族に激しい憎悪を燃やす、一族のリーダー。紅軍第一方面軍の隊長と意気投合し、兄弟の契りを結ぶ。

劉大人 (りゅうたいじん)

黄良成一家が暮らす村の地主。大金持ちの中年男性。肥満体で、昔ながらの漢服を着用し、いつも威張り散らしている、非情で非人間的な性格。国民党幹部と癒着して村人を奴隷扱いにし、倉庫には大量の食糧を溜め込んでいる極悪人。

隊長 (たいちょう)

紅軍第一方面軍を統率する部隊長の男性。長征では現場の指揮をとるリーダーを務める。髭面で精悍な顔つきをしており、あらゆる困難にもひるまず立ち向かう勇敢さを持つ。兵士を死線にさまよわせる過酷な命令に苦慮しながらも、的確な判断力と行動力で危機を乗り切る勇敢な軍人。

呉 奇偉 (うー ちーうぇい)

国民党軍の将軍の男性。長征中の第一方面軍を殲滅するために、精鋭兵士らを集めて特別に編成され、自身の名を付けた正規軍「呉奇偉縦隊」の総指揮者。寄せ集め兵士の部隊ではないという、強い自負心と過剰なまでの自信にあふれた軍人。

集団・組織

紅軍 (こうぐん)

国民党の圧政に苦しむ労働者や農民達によって結成された軍隊。正式名称は「中国労農紅軍」。国民党を打倒して政権を奪取し、共産主義革命を達成するための共産党の前衛的軍事組織。1928年に毛沢東が朱徳と組み、農村を根拠地として、都市を包囲するという戦術を展開した。国民党軍の猛反撃を回避するために、大勢の兵士を移動させる「長征」を決行する。

第一方面軍 (だいいちほうめんぐん)

黄良成と桃花が所属する紅軍の部隊。毛沢東の指揮下にある軍組織で、国民党軍からの攻撃を避けるために、より安全な根拠地を求めて、のちに「長征」と呼ばれる長距離の大移動を決行する。

国民党軍 (こくみんとうぐん)

蒋介石を最高指揮者とする国民党の軍隊。同時に中華民国の正規軍でもある。国民党の権力維持のために各地方の地主達と癒着して農民達を弾圧し、紅軍に入隊した兵士の家族を虐殺するという暴挙に手を染める。紅軍壊滅のための根絶やし作戦を敢行し、結果的に紅軍の「長征」を実現させるきっかけを作る。

ロロ族 (ろろぞく)

中国大陸西南部に居住するチベット・ビルマ語族に属する少数民族。西康、雲南、四川、貴州、広西からベトナム北部ビルマ(現ミャンマー)境界までの幅広い地域に分布している。清の始皇帝の時代にあった独立国を先祖として、漢民族に追われて山中で暮らすようになった。チャホン部族やクオチ部族などいくつかの部族で構成されている。

太平天国 (たいへいてんごく)

1850年に地主や商人の抑圧に怒り、武装蜂起した中国農民達によって1853年に南京で設立した独立政権。イギリスから武器の援助を受けた清朝の軍隊によって安順場で壊滅させられた。農民主体の軍である紅軍は、太平天国軍の再来ともいわれた。

チベット族 (ちべっとぞく)

中国大陸のチベット高原一帯に住む民族。ブータン、ネパール、インドにまたがる広範囲の地域に分布している。四川軍によって激しい抑圧を受けた事から、漢民族に対し根強い反感を抱いており、その感情を利用した国民党に協力し、神出鬼没な戦法で紅軍を大いに苦しめる。

西路軍 (せいろぐん)

張国燾が党中央の決定に背き、左翼軍を再編成して組織した部隊。第一と第四方面軍および第五、第九、第三十軍等からなり、当初は総勢2万余の兵力であった。しかし、張の無謀な作戦によって多くの戦死者を出してしまった事から、「長征」における陰の存在ともいわれる。

回族 (かいぞく)

中国大陸の少数民族。中国最大規模のイスラム教徒集団。中国語でイスラム教を「回教」と表記した事に由来する民族名称。甘粛、寧夏、青海には「五馬」といわれる回族軍5家族の主力13師団がおり、回族騎馬隊を組織して紅軍の強敵となった。

場所

貴州省 (きしゅうしょう)

紅軍第一方面軍が「長征」の途上で立ち寄った省。長征中に発見されのちに中国の代表的名産となった茅台酒と阿片の産地で知られる。険しい地形と不順な気候のせいで、住民は極貧状態にあえいでいた地域でもある。第一方面軍による省内最大の川「烏江」の渡河決死隊で知られる。

婁山関 (ろーしゃんこわん)

貴州省にある地域名。婁山山脈の最高峰にそびえ、剣のような形状をした峰々で取り囲まれた山岳地帯。古来「一夫間に当たれば万夫に開く莫(な)し」といわれたほどの天候の要塞。紅軍と貴州軍との激烈な戦闘が起こり、血で染まった様を夕陽の色にさぞらえて毛沢東が詩を詠んだ土地。

雲南省 (ゆんなんしょう)

標高度が高く、雲貴高原が北方の寒気をさえぎるので「四時春」と称される地域。野山は緑に包まれ、色とりどりの花の間を蝶や蜜蜂が飛び交う。特に椿が美しい事でも有名な土地。一方で密林地帯には、氷河期を生き延びた珍しい古代の動植物が生息している。

金沙江 (ちんさーちゃん)

揚子江の上流にある大河。川幅約600メートル、流速毎秒5メートル。急流は1メートル近い波頭を上げ、風雨の際には3メートルにも達する。夏季は猛暑で知られ、周辺の山は草木が一本も生えない禿山となる。疫病が蔓延する難所としても知られている。

火焔山 (かえんざん)

金沙江から谷間を進んで通安に向かう途中にそびえる山。『西遊記』にも登場するほどの伝説の山で、谷間によどんだ気流が熱を逃さず、熱風となって下から上に吹き付ける事でその名が付いたという伝説がある。登攀する者は灼熱地獄に苦しめられる。

大渡河 (たーとうほー)

西康省と四川省の省境を流れる川。手漕ぎの小舟では1回の往復に50分を要する。中国大陸では代表的な大河で、雄大な景観で有名。チベット高原の縁にあたり、2~3000メートル級の郡山が波打つ、中国大陸有数の渓谷地帯が周りを囲んでいる。

瀘定橋 (るーてぃんちゃお)

大渡河に架けられた吊橋。清朝時代に12の省から13本の鉄の鎖を集めて作られた。鉄の鎖は両側に2本ずつ合計4本が手すりとして用いられ、残りの9本は橋げたとして通され、その上に何枚もの床板が敷かれている構造の巨大な橋梁。

大雪山 (たーしゅえしゃん)

西康省と四川省の省境を南北に走り、大渡河と岷江の分水嶺をなす山脈。チベット高原の東端一帯の千古雪をいただく山脈の数々をおしなべて呼称される。海抜4000メートルを超える「來金山」が特に有名で、山の神が住むという、地元民に伝わる伝説がある。

毛児蓋 (まおあるがい)

チベット族の集落。松潘県に属し、海抜3000メートルのチベット高原にあるこの一帯では最も大きい。麦畑が多くあり、1年の収穫で3年分の村人の食糧になるといわれている。低地には見渡す限り一面の草原が続き、不気味な濃霧が立ち込める毒の水で覆われた広大な湿地帯がある。

その他キーワード

長征 (ちょうせい)

毛沢東を中心とする紅軍約10万人の兵士が決行した長距離行進。蒋介石率いる国民党軍の猛攻を回避し、新たな拠点に到達するために敢行された。のちに「アジア奇跡」と呼ばれ、欧米では「ロングマーチ」と称された、近代史に残る苛烈な歴史的軍事作戦。

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