バンデット -偽伝太平記-

バンデット -偽伝太平記-

南北朝動乱期の日本を舞台に、乱世に覇を競い合う人々の生き様を描く。古典文学『太平記』をベースに、オリジナルの主人公、石を物語の中心に据え、作者である河部真道独自の解釈も盛り込んだストーリーが展開される。河部真道のデビュー作品。講談社「モーニング」2016年45号から連載。

正式名称
バンデット -偽伝太平記-
ふりがな
ばんでっと ぎでんたいへいき
作者
ジャンル
時代劇
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あらすじ

赤松入道円心編

「下人」と呼ばれる奴隷同然の存在であった少年・は、自分の境遇に嫌気がさし、と名乗る男と出会って、悪党として生きる道を選ぶ。その活動の皮切りは、赤松入道円心という豪族と代官の争いに介入し、赤松家を「将来の討幕の駒とするために」肥え太らせることであった。これを見事成功させた石と猿は、次に延暦寺へと向かう。

大塔宮編

の紹介で大塔宮の知遇を得たは、延暦寺で武芸の基礎を教えられるとともに、都でスパイ活動をすることになった。石の活躍により、大塔宮の父親にして当代の帝である後醍醐天皇の野望は、ひとまず潰えることとなった。世に言う「正中の変」である。

足利貞氏編

に連れられ、東国へと向かうことになった。多くの武士たちが猿にかしずくのを見ていぶかしむ石に、猿は「自分の正体は、足利貞氏の子、高義である」と明かす。貞氏と再会した猿は討幕の陰謀を巡らせるが、貞氏は猿を密殺しようと図り、逆に猿によって殺される。しかし猿自らも深手を負い、石に別れを告げるのであった。そしてその少し後、石は楠木正成と名乗る男の仲間になる。

楠木正成編

と別れ、楠木正成と出会ってから7年。は立派な悪党に成長していた。正成は石とともに出世し、少ないながらも領地を持つまでになったが、そこに、反乱に失敗した後醍醐天皇が落ち延びてくる。同じ「スリル狂」として、正成は後醍醐天皇に魅了されてしまい、楠木党は後醍醐天皇に与(くみ)することとなった。戦いは結局敗北に終わるが、寡兵をもって善戦した正成の名は天下に知れ渡ることとなる。一方、石はその首に幕府から懸賞金すらかけてもらえず、無名の存在のままであった。

登場人物・キャラクター

(いし)

かつて奴隷同然の存在「下人」であった悪党の青年。猿に見出されて延暦寺で修行を積み、弓の達人となった。馬上での弓の使用、すなわち「流鏑馬(やぶさめ)」を特技としている。猿と別れた後には楠木正成の仲間となり、ともに「楠木党」を立ち上げたが、赤坂城の戦いの後、再会を誓いつつ正成と別れる。

(さる)

頭が切れ、そして異様に広い人脈を持った謎の悪党の中年男姓。「猿」もしくは「猿冠者」と呼ばれている。その正体は、足利家の当主、足利貞氏の子であり、家督簒奪に失敗して家を逐われる身となった「足利左馬助高義」である。のちに貞氏を討つが、自らも深手を負って消息不明となる。実在の人物、足利高義がモデル。

楠木 正成 (くすのき まさしげ)

石と知り合い、ともに成り上がって、領土を持つまでに至った悪党の男性。思想らしい思想は持たず、「ひりつくようなスリルを味わいたい」という願望のままに生きているため、「スリル狂」とも評されている。クーデターに失敗して山中に潜んでいた後醍醐天皇に招かれた際、彼が語る「一瞬の熱情」という言葉に深く共鳴。その忠実な配下となる。 実在の人物、楠木正成がモデル。

後醍醐天皇 (ごだいごてんのう)

第96代天皇。帝の身にありながら、密議の場に忍び込んでいた石を自ら殴り倒して捕縛したり、素手で落ち武者狩りの武士を何十人も討ち取るなど、凄まじい豪傑として名を馳せている。鎌倉幕府を倒し、朝廷に権力を取り戻すことを狙う野心家だが、野望の実現そのものよりも、その過程で味わう「一瞬の熱情」を原動力に生きている。実在の人物、後醍醐天皇がモデル。

足利 貞氏 (あしかが さだうじ)

名門の武家、足利家の当主である老人。「ナメておる」が口癖で、自分や足利家に対してナメた態度を取る人間は、たとえ帝であろうとも殺す、と言ってはばからない。息子である猿も、自分をナメたからという理由で殺そうとしたが、返り討ちに遭って死亡した。実在の人物、足利貞氏がモデル。

足利 高氏 (あしかが たかうじ)

足利貞氏の息子。戦が大好きで、戦場を駆け廻ると、激しく精神的な高揚を覚える。一方で、戦によって人の命を失わせたことを悔やむ、という二面性を持っている。幼名は「又太郎」であり、兄である猿からは、いまだにその名で呼ばれる。実在の人物、足利尊氏がモデル。

大塔宮 (だいとうみや)

後醍醐天皇の息子。後醍醐天皇の政治的野心の駒として、僧として延暦寺に入れられたため、天皇になる資格は事実上失っている。その出自から高僧の地位にあるが、戒律に反して人前で獣肉を食するなど、信心は薄い。「尊雲」とも呼ばれ、のちに還俗して「護良」を名乗る。実在の人物、護良親王がモデル。

赤松入道円心 (あかまつにゅうどうえんしん)

赤松村の支配者である僧。300人ほどの手勢を率いており、さらなる勢力拡大を狙っている。当初はただの賊として石と猿を捕らえたが、2人の献策を受けて幕府の代官を討ち、その屋敷を攻め落としてからは、彼らの才覚を認める。実在の人物、赤松則村がモデル。

新田 義貞 (にった よしさだ)

足利家の一門に属する、新田家の当主の男性。豪傑だが、どことなく憎めないお調子者。猿が足利貞氏を討ち、自らも瀕死の身となった後、追っ手をかけられる身となったところを救い、ともにどこかへと去った。通称は「小太郎」。実在の人物、新田義貞がモデル。

高 師直 (こうの もろなお)

足利家の家臣である男性。巨漢の豪傑であり、相撲が非常に強い。石と名刀を賭けて相撲の勝負をし、圧勝した。のちに元弘の乱が勃発し、赤坂城の戦いが終わった後、幕府方から派遣されてきた身として城から敗走する石と再会し、一太刀浴びせて重傷を負わせた。実在の人物、高師直がモデル。

イベント・出来事

正中の変 (しょうちゅうのへん)

後醍醐天皇が主導したクーデター。元亨4年(1324年)に起こった。石はこの企みを潰すべく猿の指示のもとに動き、密偵として大きな活躍をした。そのためクーデターは失敗に終わったが、後醍醐天皇自身は証拠がなかったために処罰を免れた。その対応は幕府の弱腰の現れであるとして多くの武士の怒りを買い、世の乱れを招くこととなった。

元弘の乱 (げんこうのらん)

後醍醐天皇が主導する鎌倉幕府打倒のための一連の戦争。元弘元年(1331年)に勃発した。まず幕府軍7000人が比叡山に押し寄せ、大塔宮の率いる3000人の僧兵と衝突した。この「唐崎浜(からさきはま)合戦」と呼ばれる戦いの後、後醍醐天皇は破れて落ち延び、その先で楠木正成との運命的な出会いを果たし、正成は赤坂城の戦いに臨むことになる。 一方、大塔宮も落ち延び、石とともに潜伏。石は幕府軍に属する足利家の一党と遭遇し、高師直と足利高氏によって深手を負わされ、生死の狭間をさまようこととなった。

赤坂城の戦い (あかさかじょうのたたかい)

元弘の乱における戦いの1つ。元弘元年(1331年)、鎌倉幕府の軍勢10万人が、後醍醐天皇への協力を表明した楠木正成の守る河内(かわち)の小城・下赤坂城に攻め寄せた。正成の軍勢はわずか500人であったが、石の指揮のもと勇躍善戦した。兵糧攻めを受けて1か月で開城することとなったものの、正成の武名を天下に轟かせる結果となった。

その他キーワード

悪党 (あくとう)

一般に犯罪者や悪人のことを指すが、ここでは南北朝動乱期の前後、「権力に反抗する者」たちが自称した名称。猿の持論によれば、「進歩のすべてを駆使し、己が欲望・野望を叶える者」。

てつはう

大きな陶器に黒色火薬を詰めた、簡素な爆弾の一種。ひょんなことから火薬の材料を手に入れた猿が、酒の瓶に見せかけたものを作り上げ、鎌倉幕府打倒の陰謀に用いようとした。しかし実際には、猿が足利貞氏に殺されそうになった時、貞氏を返り討ちにするために用いられた。

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