あらすじ
上巻
生まれつき霊に取り憑かれやすい体質を持っていた無天は、年を重ねるごとに奇妙な幻覚を見ることが多くなり、やがて日常生活に支障をきたすようになっていた。そこで無天の母親は、無天の体質を改善させることを名目に、心霊関連のスペシャリストである無名に弟子入りをさせる。しかし、無天は不義の末に生まれた子供で、弟子入りは体のいい厄介払いに過ぎなかった。無天は、母親から煙たがられていると考え、彼女の正統後継者である無天の姉からも会うなり嫌がらせを受けるが、彼女たちを恨むことはなく、どんな形であれ自身を意識してくれていることをありがたく思っていた。そして、無名の強さと優しさ、そして、無天を守り抜こうとする強い意思に触れることで、心から彼を信頼し、共に充実した生活を送るようになる。そんな中、家に戻った無天の姉が、家を継ぐうえで不安要素になる無天を確実に葬るため、無明を雇って暗殺させようと目論む。無明は無名の姉弟子であることを利用し、無天を挨拶のために屋敷に招き、そこで式神に呪い殺させようとする。しかし無名はそれを見抜いており、無天に化けて呪いを逆流させて、無明に手傷を与えることに成功する。無名に対して愛憎入り混じった感情を抱いていた無明は、この敗北によってますます機嫌を損ねるようになり、そのあともたびたび二人に対してちょっかいをかけてくるが、そのたびに返り討ちに遭う。一方の無天は、彼らのやり取りを見ているうちに、無明が無名に突っかかってくるのは好意の裏返しであることを悟るのだった。
下巻
無名と修行を重ねた無天は着実に力をつけていき、人の悪意を視認したり、姿を自在に変化する術などを修得するに至る。無名もまた、夢の中に閉じこもろうとするサトミを救助したり、悪意を使い魔に変化させて悪事を働こうとする悪意の使徒を成敗するなど、心霊絡みの事件解決をつつがなくこなしていた。そんなある日、無名が用事によって長く家を空けることになり、無天は留守を守るように言いつけられる。無天は変化の術を使って無名の姿に変化し、彼に代わって訪れる客たちの依頼を的確にこなしていく。そこに無天の母親が現れ、目の前の相手が無天であると知らないまま、無天の姉が名家に嫁いだことで正式な跡取りとなったため、これ以上無天の身に危険が及ぶことはないと伝えてくる。さらに、現在の家と絶縁することを宣言しつつ、無名こそが無天の父親であることをほのめかし、今後も無天を守ってほしいと願い出る。無天は、その場で自身の正体を明かすことなく母親を見送り、帰宅した無名を出迎える。そして、目の前の男性が父親であることを知りつつも、家族の事情を受け止めるには、自分はまだ力不足であることを痛感し、師匠と弟子の関係を継続することを決める。その様子を見た無名は、かつて無天の母親と愛を育み、無天の父親となったのは無名自身ではなく、彼が作り出した無名の分身であることを思い出すが、あえて無天に対してそのことを明かさずに師匠としても父親としても、彼を守り続けることを決意する。しかし無天は、時越えの術を使ったことで出生の秘密を知り、無名への後ろめたさから彼のもとを離れて60年ものあいだ、ふつうの人間としての人生を送る。そして、人間としての死を迎えたのちにかつての姿を取り戻し、再び無名の弟子に復帰するのだった。
登場人物・キャラクター
無名 (むみょう)
幻術師の男性。心霊現象の依頼解決を生業としている。「無名」の呼び名は、呪いを避けるために自ら名乗ったもので、本名は明らかにされていない。人間と妖怪の双方と深くかかわっており、彼らの善意と悪意に長らく触れてきたことから、表向きは飄々とした態度を崩さないが、実際は冷静で情に厚い性格をしている。悪霊を寄せつけない強力な結界を広範囲にわたって展開したり、触れるだけで除霊をしたり、他者に霊を憑依させられるなど、優れた霊能力を持つ。無天の母親からの依頼で、無天を弟子として迎えて、共に暮らすようになる。無天には優しく、彼を狙う妖怪や無天の姉の暗躍から守り続けるうちに信頼を得るようになり、やがて無二の存在として強い絆を結ぶ。姉弟子の無明からは愛憎入り混じった感情を抱かれており、依頼の遂行を邪魔されることもあるが、そのたびにきついお灸を据えている。しかし、無天の見立てでは、本心から憎み合っているわけではなく、互いに能力を誇示することを楽しんでいる節がある。かつて無天の母親から依頼を受け、自らの能力をコピーした無名の分身を作り上げ、彼女に付きっ切りで護衛をさせていた。しかし、二人が愛し合うようになり、やがて知らないあいだに無天の母親が無天を身籠る。このことは、無天に格別の思い入れを抱く理由の一つで、彼を引き取って厚遇したきっかけともなっている。のちに無天に対して出生の秘密をほのめかし、その結果、後ろめたさを覚えた彼に去られてしまう。しかしあえて追うことはせず、無天が人間としての人生を終えたのちに、再び弟子として迎えた。
無天 (むてん)
十代前半の少年。幼い頃から強い霊力を持つ。その体質から、生まれた頃から雑多な霊が見えており、やがて日常生活もままならなくなったことから、無天の母親によって無名のもとに預けられる。その際に、呪い避けの一環として「無天」の呼び名を授かった。無天自身は、自らが不義の子であることから母親から厄介払いをされたと考え、かつては優しくされていたこともあり、しばらくのあいだ哀しみに暮れていた。しかし、無名の優しさに触れていくうちに寂しさを忘れて、弟子としての生活に充実感を覚えるようになる。さらに、自分を守ってくれる無名に自身を託した母親も、実際は無天を大切に思っていることを知り、再び彼女を信じるようになる。無天の姉からは家にとって害になる存在と考えられ、意地悪をされていたが、一方の無天は家族としての情を向けている。ただし、彼女が無明に依頼して被害を広げようとした際には、さすがに警戒する様子を見せた。無名に弟子入りしてからは、彼の教えを受けることでもともと備わっていた霊力が開花し、悪霊を払ったり、妖怪とコミュニケーションを取れるようになった。さらに、人の悪意を可視化したり他者の姿に変化するなど、無名にも迫るほどの多種多様な能力を身につけ、力を活かして無名と共にさまざまな怪事件を解決に導いた。ある日、無名から留守番を命じられ、彼の姿に化けて来客の対応をしていたところで、訪れた母親から無名が無天の父親であることををほのめかされるが、後日、時越えの術を使って無名が母親を護衛するために作り出した、無名の分身こそが本当の父親であることを知る。このことから無名に後ろめたさを感じるようになり、彼のもとを離れて霊力を封印し、ふつうの人間として暮らす。そして60年後、ふつうの人間としての生を終えると、再び無名に弟子入りした。
無天の母親 (むてんのははおや)
無天と無天の姉の母親。造船、運輸、鉄鋼、製薬と、さまざまな産業で成功を収めた実業家に嫁ぎ、表向きは何不自由のない生活を送っていたが、長女である無天の姉は産んですぐに取り上げられ、家を恨む人々の霊に苦しめられるなどの不幸を強いられていた。冷静沈着な性格で、子供たちの前でも感情をあらわにすることはほとんどない。無天はいわゆる不義の子で、霊能力が備わっていることも知っており、やがて彼が日常生活に苦労するようになると、無名に弟子入りするよう取り計らう。無天や無天の姉は、これを体のいい厄介払いだと考え、無天の心に深い影を落とした。しかし、無天に対して愛情を抱いているような素振りを見せることもあるほか、無名に無天を預けたのは、霊的な危機から無天を守るためである可能性が示唆されたことで、無天の母親自身もあずかり知らぬところで、無天から信頼を寄せられるようになる。そのあとはしばらく無名に無天を任せて、彼らの前に顔を見せることを控えていた。ある日、外出した無名の姿に化けて来客の対応をしていた無天の前に現れ、無天の姉が正式に家督を継いだことで無天への害意がなくなったことと、家のいっさいを彼女に任せて、無天の母親自身は家と縁を切ることを伝える。そして、引き続き無名に無天を託し、さらに無名こそが無天の父親であることをほのめかしてその場を去った。
目ひとつ (めひとつ)
無天に長らく取り憑いていた妖怪のうちの一体。頭部に巨大な目を一つ備えた、赤子のような姿をしている。角一本と共に無天に取り憑き、彼が霊力のある存在から異形の姿として映るきっかけとなっていた。無天が無名に弟子入りした際に払われ、二人の住む寺の庭に住み着くようになる。目ひとつ本人に無天を害する気はまったくなく、取り憑いていたのも、かつて無天と共に暮らしていた婆様が、無天を妖怪たちから守るためであった。無名によって除霊されてからは、無天に近づけないことに寂しさを覚え、涙を流すこともあった。しかし、目ひとつの気持ちに気づいた無名の手により、時々無天の身体に戻してもらうようになり、やがて無天からも友達として受け入れられるようになる。
角一本 (つのいっぽん)
無天に長らく取り憑いていた妖怪のうちの一体。頭に巨大な角が生えた、少女のような姿をしている。目ひとつと共に無天に取り憑き、彼が霊力のある存在から異形の姿として映るきっかけとなっていた。無天が無名に弟子入りした際に払われ、二人の住む寺の庭に住み着くようになる。かつて取り憑いていたことから無天からは快く思われておらず、無名によって除霊されてからは、無天に近づけないことに寂しさを覚えていたが、やがて悪意がなかったことを知った無明に受け入れられるようになる。無天の能力が上昇すると、取り憑くことはできなくなるが、彼から気に掛けられることも多くなったほか、トカゲに姿を変えられた春と友達になるなど、満ち足りた生活を送れるようになった。
無天の姉 (むてんのあね)
無天の母親と、彼女と正式に婚姻を結んだ主人とのあいだに生まれた少女。無天の母親とは産まれた時に引き離され、滅多に会うことなく育った。しかし、母親に対して敬意を抱いており、彼女のためにも立派な当主になることを志している。無天のことは、不義の息子であることから危険視しており、家の繁栄のために排除することも辞さない姿勢を見せる。そのため、無明と結託して無天を呪殺しようと2度試みたことがあるが、2度行動に移させるものの、無名の反撃によっていずれも失敗する。また、化烏を利用して無天を陥れようとするが、これも失敗したうえ、化烏が夢の中に出てくるようになったことで、しばらくのあいだトラウマに悩まされることもあった。しかし、やがて婿を迎えて正式な当主となり、無天に害をなすこともなくなった。
無明 (むめい)
無名の姉弟子。彼に匹敵するほどの霊能力を持つ。奔放かつわがままな性格で、気に入らない相手に対してはまったく容赦をしない。また無名と異なり、善悪や結果を考慮せず、依頼があれば悪事にも平気で手を染める。しかし呪いが失敗した時に備えて、依頼者自身に呪いが降りかかるようにするなど、無明自身の利害に関しては敏感。無天の姉ともつながりがあり、彼女の依頼で、2回にわたって無天を呪い殺そうと目論んだことがあるが、無名の妨害によりいずれも失敗し、そのたびに彼に対する敵意を深めていく。しかし一方で、無名に対して好意を抱いているような素振りを見せることもあり、無名も本心から無明を嫌ってはおらず、彼女の実力を認めるような発言をすることも多い。無天は、無明が無名に突っかかるのは、好意の裏返しではないかと推測していたが実際にそれは的中し、次第に無名に対する好意を隠さなくなり、ついには結婚を要求するようにまでなる。
幽華 (ゆうか)
無明の弟子で、無天と同年代の少女。師匠に似て奔放かつ軽薄な面が目立ち、依頼を遂行するためなら他者の命を奪うことすらいとわない。無明が無名を陥れようと画策した際に、彼女に付き従って無天を殺害しようとする。しかし、既に策を見破っていた無名によって逆に罠にはめられ、無明と共に散々な目に遭う。これに懲りる様子を見せないまま、今度は無明からの命令で、雪子の祖父を呪い殺そうとするが、こちらも無天の妨害によって失敗した。これらの敗北から、無天にライバル心を抱くようになるが、彼に気づかれることはいっさいなかった。
死んでいるのに動く女の子 (しんでいるのにうごくおんなのこ)
幼くして死を迎えた少女が、その父親の依頼を受けた無名の反魂の術でよみがえった姿。復活してからしばらくは、ふつうの人間と同じような外見や振る舞いを見せていたが、ほどなくして肉体が朽ちていき、やがて知性も失われたため、依頼者によって無名の寺で供養してもらうよう頼まれる。ほぼ本能のみで動いているものの、年の近い無天に懐くようになり、彼からも友達として迎えられ、「死んでいるのに動く女の子」と呼ばれるようになる。また、無天との縁で、目ひとつや角一本ともなかよくなった。無天からは、親から必要とされなくなってしまった点に共感され、心を通わせるが、やがて完全に身体が崩れ果て、最期は無天の手によって供養された。
化烏 (ばけがらす)
森の中に潜んでいる、烏の姿を持つメスの妖怪。人間をエサとして喰らい、自分の子供に転生させる能力を持つ。無天の姉によって巣を発見され、さらに過失によって卵を割られたことに激怒し、彼女を殺害しようと襲い掛かる。しかし、無天の暗殺を目論む彼女に懐柔され、彼女の代わりに無天を喰らう契約を交わす。そして首尾よく無天を丸のみにし、新しい卵を産み落とすが、卵を無名によって奪われ、中から無天を救出されたために彼を自分の息子に転生させることには失敗した。
鱗子 (りんこ)
病弱な少女。余命が幾ばくもない。鱗子の父親が捕縛した妖怪や霊魂を与えられ、それを体内に取り込むことで生き永らえてきたが、鱗子本人は、他者を犠牲にしてまで生き続けることに抵抗を感じている。修行によって蝶の姿に変化したものの、鱗子の父親に捕らえられた無天の魂を密かに解放し、鱗子の父親が死亡したことで霊魂を与えられなくなり、やがて命を失う。しかし、無天の案内によって家にやってきた無名の術によって、蝶の姿に転生することに成功し、一瞬だけ少女の顔を二人に向けると、そのまま大空に向かって羽ばたいていった。
鱗子の父親 (りんこのちちおや)
鱗子の父親。溺愛する娘の鱗子の命が尽きようとしていることを察しており、それを回避するために妖怪や霊魂を特殊な道具で捕らえ、すりつぶして鱗子に与えている。鱗子への愛情は本物だが、彼女が他者を犠牲にしてまで生きることに難色を示してもまったく応じようとしないなど、自分勝手な一面も目立つ。ある時、修行によって蝶の姿に変わった無天の魂を捕らえて、鱗子に取り込ませようとする。しかし、鱗子が無天を逃がしたため、彼を追って寺に侵入しようとするが、無名が張った結界を無理やり破ろうとしたことで身体が発火し、死亡した。
春 (はる)
無名の弟子になることを志している少女。かつては孤児で、引き取った両親からまったく愛情を注がれずに育ったため、彼らのもとから逃げ出し、強くなるために無名の弟子入りを望むようになった。無名から弟子入りの条件として、彼が認めるまで一言もしゃべってはいけないという「無言の行」を命じられ、それを遂行しようとする。しかし、育ての親の幻覚を見せられたことで怒りが頂点に達し、思わず恨み言を口にしてしまい、弟子入りを拒絶された。それでもあきらめきれずに、今度は無明のもとを訪れ、無名の張った結界を破る力を与えるよう頼み込む。無名を敵視していた無明からこれを受け入れられ、実際に力を与えられるが、代償として肉体がトカゲに変化し、霊力を蓄えなければ戻れなくなってしまう。それからは、無名の寺の庭で過ごすことを許可され、トカゲの姿で長い時を生きることを決める。そして、やがて人間の姿を取り戻し、晴れて無名の弟子として認められた。また、共に過ごしていた目ひとつや角一本とも友情を築き、人間としての人生を終えて、寺に戻ってきた無天を出迎えた。
暗殺の依頼人 (あんさつのいらいにん)
暴露本を出版しようとする雪子の祖父の死を望む男性。無名のもとを訪れ、雪子の祖父の呪殺を依頼するが、断られたために口封じとして頭部を銃撃する。無名は銃弾を受けても傷を負うことはなかったが、彼を殺害したと思い込み、「別口をあたる」と口にしてその場を立ち去った。そして、無明に呪殺を依頼し、彼女に幽華の生霊を差し向けさせるが、先んじて潜入していた無天に妨害され、呪殺は失敗に終わる。さらに、無明は失敗した場合の保険として、呪いが返された場合は暗殺の依頼人に降りかかるよう細工をしていたため、雪子の祖父に降りかかるはずの呪いを肩代わりさせられ、死亡した。
雪子の祖父 (ゆきこのそふ)
老年の男性。執筆業を営んでいる。雪子という孫娘がいるが、彼女が半年前に他界したことを忘れている。生涯最後の作品として実録本を書いており、それが出版されれば多くの政治家や財界人の不正が暴かれるため、暗殺の依頼人などから命を狙われている。そして実際に、呪殺するための刺客として幽華が差し向けられるが、雪子に変装して潜入していた無天によって妨害され、呪殺は失敗に終わる。暴露本の原稿を執筆しているあいだは、集中するあまり雪子がすでに死亡していることを思い出さずにいたが、原稿を書き終えると病に倒れ、雪子のことを思い出した。そして、雪子の姿で自身を守ってくれた無天に感謝の意を伝えると、そのまま息を引き取った。
令嬢 (れいじょう)
親が決めた縁談を控えている女性。顔を見たこともない相手に嫁ぐことに抵抗を覚えており、ある時、好意を寄せていた男性から、いっしょに駆け落ちをするよう誘われる。そして悩んだ末に、無名に自らの分身を作るよう依頼し、片方が縁談に従って結婚し、もう片方が駆け落ち相手と結婚することを決める。これで問題は解決したかと思われたが、のちに令嬢とその分身が無名の寺に現れ、その片方が分身を消してほしいと願い出る。その訴えによると、駆け落ちを誘った男が浮気や博打を繰り返し、苦言を呈するたびに殴ってくるとんでもない性悪であったため、嫁いだ分身を消し去り、本体である自分がその座に収まりたいというものだった。無名はその訴えを聞き入れ、分身を消し去る術を発動させるが、消え去ったのは分身を消してほしいと訴えた方だった。令嬢の本体は、無責任に駆け落ちをすることがのちになって怖くなり、分身を駆け落ち相手に送り、彼女の幸せを時おり思うことを選ぶ。しかし結局のところ、どちらを選んでも幸せにはなれなかったことを知り、意気消沈してしまう。
加代子 (かよこ)
無名と面識のある老年の女性。若い頃に次郎という恋人がいたが、のちにふられてしまい、それからは誰とも深くかかわることなく、孤独な生活を送っていた。寿命による死期が近いことを悟っており、無名に対して最期を迎える前に若返らせてほしいと願い出る。無名からは仮に若返った場合、寿命を数分で使い果たすことになると忠告を受けるが、決意は揺らぐことがなく、無名の術を受けることで若く美しい姿を取り戻す。そして、自分を加代子の孫と偽って次郎の前に姿を現し、捨てられたことは悲しかったが、今は結婚をして孫も生まれて幸せな生活を送っていると偽りの伝言を伝える。そのうえで、次郎のせいで自分が不幸になったと考えていたならそれは間違いだと指摘すると、ほどなくして寿命を迎えて肉体が灰化して崩れ去った。
次郎 (じろう)
老年の男性。若い頃は加代子と恋人同士だったが、彼女のことをふってしまった。そのことを現在も強く悔やんでおり、加代子が幸せであることを願い続けてきた。そんな中、加代子の孫を名乗る女性が現れ、加代子からの伝言として、当時は捨てられたのを悲しんでいたが、現在は孫もおり幸せな生活を送っていることと、次郎のせいで自分の人生が狂わされたとは思っていないことを伝えられる。その言葉を聞いたことで憑き物が落ちたかのように穏やかな笑顔を浮かべて、加代子が不幸になっていなかったことを心から喜んだ。女性の正体は若返った加代子本人で、実際は孫などいなかったが、次郎自身は最後までそれを知ることはなかった。
片思いの男 (かたおもいのおとこ)
とある良家の女性に片想いをしている青年。身分が違いすぎることから、いっしょになれる可能性が低いことを認めているが、どうしてもあきらめきれずに無名に対して、自分の顔を人面瘡に変化させて片思い相手の女性に取り憑かせてほしいと願い出る。その身勝手な物言いに無名も呆れ果て、無天に命じて門前払いをさせられる。そこで次は無明に同じ依頼を行い、結果として片思いの相手に取り憑くことに成功する。しかし、顔を失ったことでもとの身体は亡くなり、さらに取り憑かれた女性の家から依頼を受けた無名の手によって、女性の身体から引き離される。こうして顔だけの存在となり果て、さらに無名から無明へのお仕置きに利用された。
サトミ
霧の中の家に住んでいる女性。専業主婦として暮らしており、夫と二人で幸せな生活を送っている。しかし、自分の名字をどうしても思い出せなかったり、家から外に出るという発想自体が抜け落ちているなど、奇妙な点が多い。それでも現状に不信感を抱かないまま生活をしていたが、ある日、家に訪問してきた無名と無天から、夫の頼みでサトミを連れ戻しに来たと告げられる。突然のことに驚いて部屋に逃げ込むが、そこにサトミの本当の夫と主張する男が現れ、彼の発言から現在の環境が夢の中の世界であることを知らされる。実際は事故に巻き込まれたことで意識を失い、長いあいだ昏睡状態にあり、霧の中の家での生活はすべて幻に過ぎなかった。そこで、夢の中に干渉できる無名の力を借りた本当の夫が呼び掛けたところ、ようやく目覚めることができた。そして、夢の中で別の男といっしょに暮していたことを、夫に対する裏切りと考えて謝罪する。
"手の目ママ" (てのめまま)
女性型の妖怪。BAR"手の目"の主人を務めている。手のひらに大きな目があり、これが名前の由来となっている。かつて酒好きの男性に惚れていたことがあり、酒場を営んでいればそのうち会いに来てくれるかもしれないと考え、思い切って店を開いた。無名とは知り合いで、彼に紹介された人間の客をもてなすことも多い。美人でスタイルもよく、さらに強気ながらも親切なことから、妖怪のみならず、人間からも人気を集めている。中でも三谷からは特に気に入られており、三谷の妻と離婚をしてでもいっしょにいたいと迫られている。また、霊能力も無名に匹敵するほど高く、訪れた人間の客が悪霊に襲われた時には、"手の目ママ"自らの手で一掃し、その危機を救った。無天が訪れた際は店の外で待たせるなど、店の中に子供を入れることを嫌う。
三谷 (みたに)
富豪の男性。無名からBAR"手の目"を紹介された。"手の目ママ"を気に入っており、彼女目当てで店に通っている。豪快な性格で、妖怪の存在を認知しているばかりか、それらを恐れる様子をまったく見せることがない。また、三谷の妻が三谷の財産を狙っていることを知っており、内心で彼女を軽んじているうえに、離婚して"手の目ママ"と再婚したいと言い張り、無名を呆れさせたこともある。ある時、BAR"手の目"に通っていることが三谷の妻にばれてしまい、それからはしばらくのあいだ通うことをやめていた。それからは三谷の妻と共に暮らし、財産の一人占めを狙う彼女からひそかに毒入りのお茶を飲まされていたが、BAR"手の目"で過ごしていたことから肉体の一部が人間のものではなくなり、毒をまったく受けつけない体質となっていたため難を逃れた。さらに、彼女が毒を盛ろうとしている証拠を見つけると、家から追い出す形で離婚を成立させた。そのあとも変わらずにBAR"手の目"に通い、肉体の半分が妖怪に変質してもまったく気にすることなく、無名や"手の目ママ"と交流を続けている。
三谷の妻 (みたにのつま)
三谷の年の離れた妻。三谷がBAR"手の目"に通っていることを苦々しく思っており、ある時、彼のあとを追って店の中にまで乱入し、三谷を無理やり連れ帰った。さらに帰路につく際に、人間をつけ狙う悪霊に襲われるが、無名や無天、"手の目ママ"が撃退したことで難を逃れる。三谷をBAR"手の目"から連れ帰ったのは、"手の目ママ"に入れ込む彼を苦々しく考えていたためと思われていたが、実際は彼の財産が目当てで、弱い毒を入れたお茶を飲ませ続けて病死に見せかけて始末しようと目論んでいた。しかし、三谷はBAR"手の目"に通い続けたことで身体の一部が変質したために毒が効かなくなっており、やがて毒を盛ろうとしたことがばれて家を追い出された。
悪意の使徒 (あくいのしと)
殺し屋の男性。霊能力を持つ。人の悪意を使役する力を使って、他者を暗殺することを生業としている。人間の命をなんとも思っていないが、一方で自分が育て上げた悪意を大切に思っており、傷つけた相手に対しては依頼に関係なく制裁を下そうとする。依頼によって、ある女性に悪意を差し向けて殺害しようとしたが、偶然居合わせた無天により妨害され、彼を拉致する。そして、最も強力な悪意を取り憑かせて一番大切だと思う相手を殺害するよう命じ、無天にとって最も大切な存在となっていた無名が襲われる羽目になる。しかし、無名の手によって簡単に悪意の影響を無効化され、さらに、無天に危害を加えたことで無名の怒りを買い、より強力に成長した悪意による呪い返しを受け、全身を引き裂かれて死亡した。
肉玉小僧 (にくだまこぞう)
肥満に悩んでいた女性の依頼を受け、無名の術によって切り離された脂肪に、命が宿ったことで生まれた妖怪。肉の塊に手足と口が備わっており、無邪気な性格で他者に危害を及ぼすことはない。無天に懐き、次第になかよくなって共に遊ぶようになる。しかしある日、誤って無天の体内に入り込んでしまい、彼を太らせてしまう。無名によってお祓いされたため事なきを得たが、彼に迷惑をかけまいと寺を出ていき、脂肪の持ち主であった女性のもとに向かう。そして、彼女を母親と慕って寄り添おうとするが、それを異常事態とみなした護衛によって銃撃され、重傷を負う。最後の力を振り絞って無天のもとを訪れるが、もはや無名でも手の施しようがなく、そのまま死亡する。
未緒子 (みおこ)
無天が、無名に弟子入りする前に付き合いのあった女の子。無天と同様に妖怪や幽霊の類を視認することができ、彼に目ひとつや角一本が憑依していることや、彼といっしょに暮らしている婆様が、既に死亡していることも知っている。その正体は、人を襲う習性を持つ悪質な妖怪で、無天となかよくしていたのも、彼の油断を誘って仕留めるためだった。ある日、井戸の中に落ちて助けを求めるフリをして無天をおびき寄せるが、この行動に気づいた無名の母親によって妨害され、本来の姿を晒して襲い掛かるも、返り討ちに遭った。
婆様 (ばばさま)
無天が無名に弟子入りする前に、いっしょに暮らしていた老年の女性。無天からは「婆様」と呼ばれているが、本名は明らかにされていない。やや偏屈な性格だが、無天の食事や着るものを絶えず用意しており、彼からは慕われている。しかし、料理や洗濯をするところをまったく見せることがないなど、どこか得体の知れないところがある。その正体は無名の母親で、既に肉体は滅んでいるが、無名の術によって魂だけで存在している。そして、彼の頼みを受けて無天を妖怪や悪霊の類から守ってきた。また、妖怪の目を欺くために目ひとつや角一本を無天に取り憑かせる。妖怪としての本性を現した未緒子を倒すと、すべての力を使い切ってしまい、無天と無名に別れを告げて再び現世から旅立っていった。
無名の分身 (むめいのぶんしん)
無名が池の水を媒体として作り出した分身体。本体である無名の霊力によって維持されている。見た目は無名そっくりで、妖怪や悪霊を退治する能力も持ち合わせている。心霊関係に悩まされてきた無天の母親の頼みを受けた無名によって生み出され、つねに彼女の傍らに控えて、悪霊などから守り続けてきた。しかし、やがて無天の母親と愛し合うようになり、彼女が無天を妊娠するきっかけとなる。さらに、度重なる戦いによって無名から授かった霊力を使い果たし、無天が産まれる前に崩れ去ってしまう。このことは無名が無天を気に掛け、のちに彼を弟子に取った大きな理由となっている。
無天の妻 (むてんのつま)
無名のもとを離れた無天が妻に迎えた女性。無天が霊能力を持っていることを知らないまま50年以上連れ添い、幸せな生活を送っていた。そんなある日、人間としての死期を悟った無天から、かつて無名の弟子として暮らしていたことを聞かされる。あまりに突飛な内容であったため、認知症なのかと疑うが、その話があまりに面白いため、嫌がるどころか進んで聞くようになった。それからほどなくして無天を看取り、その時の様子から彼が再び無名の弟子になるべく現世から旅立ったことを確信した。
場所
霧の中の家 (きりのなかのいえ)
サトミが、彼女の夫と共に住んでいる家。見た目は木造の一軒家だが、つねに深い霧に包まれており、サトミもその理由がわかっていない。また、サトミが苗字を思い出せなかったり、家の敷地から外に出ることをまったく考えないなど、明らかに異常な点がいくつも見受けられる。のちにサトミの夢の中の世界であったことが発覚し、無名と、サトミの現世における本当の夫が訪れたことで彼女の覚醒がうながされ、それに伴い霧の中の家も消滅する。仮に無名たちが彼女を迎えに行かなかった場合、永遠に目を覚まさない可能性もあったことが示唆されるが、何故夢の中で霧の中の家にいたのかは判明しなかった。
BAR"手の目" (ばーてのめ)
"手の目ママ"が主人を務めている酒場。無名も時おり通っている。現世と異界の狭間にあり、限られた人間や妖怪のみが訪れることができる。もとは"手の目ママ"が惚れていた男性を探すために開いた店で、現在に至っても男性は姿を現していない。"手の目ママ"のもてなしや独特の雰囲気が人気を集めており、三谷のように入り浸っている人間も少なくない。店の付近には多くの妖怪や霊が漂っており、時には人間に対して攻撃を仕掛けることがあるが、そのたびに"手の目ママ"が退治しているため、実際に危害を加えられることはない。ただし、人間が幾度も通い続けると、肉体の一部が妖怪に変質することがある。
その他キーワード
反魂の術 (はんごんのじゅつ)
無名が使用する術の一つ。死亡した人間の魂を呼び戻し、肉体に戻すことで一時的に対象をよみがえらせる。ただし、死ぬ前の状態に戻すことはできず、ある程度の時間が過ぎると肉体が崩れ去り、再び魂が現世から消え去ってしまう。無名は、娘を失った夫婦の依頼で反魂の術を使ったことがあるが、その際も短時間で知能と肉体が朽ちていった。その娘はのちに無天から「死んでいるのに動く女の子」と呼ばれることとなった。
時越えの術 (ときごえのじゅつ)
無天が修行の末に会得した術の一つ。自分の霊体を過去に運び、そこで起こった出来事を認識できる。過去の世界への干渉はいっさいできないが、そこで発生したことを記憶することは可能。無天は、無天の母親から出生の秘密を聞き、それを確かめるために時越えの術を使用して過去の記憶を垣間見る。そして、自分の本当の父親が誰なのかを確かめると、無名への負い目から、身につけた霊能力を封印して、ふつうの人間としての人生を送ることを決断した。