項羽と劉邦

項羽と劉邦

『コミックトム』誌上で大作『三国志』を完結させた横山光輝が編集部の意向を受けて、ひき続き手がけた歴史を元にした大河ドラマ作品。物語は秦王朝の設立から始まり、項羽の死により終結する。これは作者が2人の英雄の激突を主眼にしたためで、漢帝国成立後の劉邦の暴挙を描く気がなかったことによる。連載時には「若き獅子たち」というサブタイトルが付けられていた。

正式名称
項羽と劉邦
ふりがな
こううとりゅうほう
作者
ジャンル
三国時代
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概要・あらすじ

前2世紀頃の中国。始皇帝は初の統一国家を建国する。2代目のの皇帝・胡亥は宦官に政治を任せ、淫蕩の日々を送る。武勇で知られる項羽と仁徳の将・劉邦は、打倒を掲げて挙兵した。の滅亡後、項羽劉邦という両雄の激突が始まる。最初は項羽に天下を取られ、辺境のへと流された劉邦だったが、多くの配下に恵まれて再び漢中へと攻め上る。

様々な合戦を経て項羽を降し、400年続く王朝の基礎を打ち立てる。

登場人物・キャラクター

項 羽 (こう う)

『項羽と劉邦』に登場する主人公のひとり。沛県の出身で楚の名将・項燕の後裔という勇将。伯父の項梁と共に、打倒秦を旗印に反乱軍を決起させた。勇猛な反面、血気に逸りやすく傲慢。敵兵だけでなく降兵や人民、部下にも酷薄なため人望は低い。劉邦率いる56万の軍勢を3万の兵で翻弄するなど武勇に優れている。 だが多くの人々に支えられた劉邦に追いつめられてゆき、垓下の戦いの後に、自らの首を刎ねて死んだ。

劉 邦 (りゅう ほう)

『項羽と劉邦』の主人公のひとり。呑気でほら吹きだが、屈託ない性格で多くの人から愛される仁徳の士。沛県の亭長だったが、徴用されたことをきっかけに打倒秦の旗揚げをする。秦の、都・咸陽へ一番乗りを果たすが、項羽に功を奪われ、辺境の地、蜀へと追いやられた。しかし張良、韓信、蕭何などの配下に恵まれ、数々の戦いを経て項羽を倒し、漢王朝を立ち上げた。

虞姫 (ぐき)

項羽の愛姫で、美しく気立ても良く、さらに芯の強い女性。将軍や参謀の進言を激情からはねのけるような項羽でも、彼女の意見だけは耳を貸した。張良の策、四面楚歌により楚軍が瓦解したおりに、項羽の足手まといにならないようにと自害して果てた。

項 梁 (こう りょう)

項羽の伯父。武信君という尊称を持つ。元は沛県の住人だが、逃げた先の会稽で顔役となる。太守の殷通を暗殺し、郡主となり反秦の旗揚げをした。章邯率いる秦軍を定陶の城へと追い込むが、なかなか出てこないので油断してしまう。これこそが「緩兵の計」であり、連日の酒宴で泥酔したところに夜襲を受け、志半ばに敗死。

烏騅 (うすい)

『項羽と劉邦』に登場する馬。項羽の愛馬。山賊の于英と桓楚を仲間に引き入れた項羽が、帰りに立ち寄った村で暴れていた。項羽がこれを御し、以降、多くの戦いを共にすることに。垓下の戦い後、長江の川縁まで逃げた項羽は、舟で迎えにきた烏江の亭長に烏騅を託す。しかし主人と離れがたく思った烏騅は川に飛び込み戻ろうとするが、力尽きて溺れ死んだ。

范 増 (はん ぞう)

『項羽と劉邦』に登場する老軍師。項梁の部下・季布の嘆願により、項羽の軍への参画を決意する。数々の策を献じ、多くの戦で楚の勝利に貢献した。占星により劉邦が危険だと察し、何度も斬るように進言したが項羽は取り合わなかった。後に陳平の反間の計によって疑われ、引退する。帰郷中に背中の腫物が悪化、病死している。

張 良 (ちょう りょう)

博浪沙で始皇帝の暗殺に失敗し隠遁するが、黄石公より太公望の兵書三巻を授けられ、兵学を身に着ける。その後韓の臣となるが、酈食其の献策により劉邦と出会い、秦を滅ぼす力添えをする決意を固める。漢の軍師として、また時には敵や中立勢力を論破する説客として活躍した。

蕭 何 (しょう か)

劉邦の旗揚げ当初から参謀役を務めた。後に漢の丞相に就任。兵站をつつがなくこなし、劉邦の軍隊を後方から支えた。咸陽に入場した折には人口調査や地図などの書籍を抑え、韓信が漢を離れようとした折には連れ戻すべく追いかけて思い留まらせるなど、多くの功績を上げている。

呂 雉 (りょ ち)

『項羽と劉邦』の登場人物で、劉邦の妻。沛県の県令に嫁ぐはずだったが、父親の呂文が劉邦を見込んだことにより彼の妻となる。当初は貧しい生活でも不平を言わずに働き、後の漢の2代目皇帝となる孝恵を産んでいる。後年、悪女として名をとどろかせた。

始皇帝 (しこうてい)

名は政。中国で初の統一王朝・秦を打ち立て、「皇帝」という称号を作った。法治国家を目指して国家基盤を作るが、万里の長城をはじめとした大建設や儒者の排斥(焚書坑儒)などの悪政によって悪評が高まった。各地を巡業するうちに不老不死に憧れるようになり、配下に探索させるが、その甲斐なく突然死する。

扶蘇 (ふそ)

始皇帝の長男で、人格優れ、多くの兵に慕われていた。始皇帝は彼を秦の二代目皇帝にするつもりだったが、宦官・趙高の策謀により自害を強要され、亡きものにされる。

胡亥 (こがい)

始皇帝の次男で、父亡き後に秦の二代目皇帝となる。宦官・趙高により政治や世事から切り離され、後宮で女色と酒に溺れる。劉邦の軍が咸陽に迫って来た時にようやく事態が切迫したことを知るが、時すでに遅く趙高のクーデターにより、自害を強要されて死去した。

趙 高 (ちょうこう)

始皇帝の御幸にも同道した宦官。始皇帝の死後、その遺詔を書き換えて胡亥を帝位につけて権勢をふるった。反乱の情勢を胡亥に知られ、責任を取らされることを恐れて謀殺。始皇帝の孫、子嬰を三代目の座に就けて、再び権力を掌握しようと企むが、その子嬰によって処断された。

蒙 恬 (もう てん)

代々秦に仕えてきた忠誠心の厚い将軍。精鋭30万を預かり、外敵に備えて万里の長城の建設を任されていた。また、第1皇子・扶蘇を預かっており、始皇帝の遺詔により彼が死を賜った時には涙している。軍権に関して大きな影響力を持っていたが、彼を危険視した趙高の陰謀により謀反の疑いをかけられて、自害している。

李 斯 (り し)

秦の丞相で、趙高と策謀し胡亥を2代目皇帝として擁立した。しかし、やがて趙高に疎まれ、一族郎党と共に処断される。

章 邯 (しょう かん)

秦の名将。反乱軍の鎮圧に赴き、緩兵の計で項梁を討ち取っている。その後、函谷関で都・咸陽の守りに就くが、趙高の謀略で援軍が来ないどころか一族を皆殺しにされたことから、離反を決意。副官の司馬欣を通じて、楚軍に降伏する。秦滅亡後、漢中の一部を治める雍王となったが韓信の率いる漢軍と激戦を繰り広げ、その末に敗れて死んだ。

子嬰 (しえい)

『項羽と劉邦』の登場人物にして、始皇帝の長男・扶蘇の息子。趙高によって秦の国王に祭り上げらるが、謀殺された胡亥のようになるまいと逆に趙高を暗殺する。国王に就任した後、国の防衛に努めるが力及ばず、在位46日にして劉邦に降伏。その後、項羽に引き渡されてしまい、処刑される。

項 伯 (こう はく)

『項羽と劉邦』の登場人物で項羽の叔父。楚軍に参画し、参謀としてまた范増亡き後は楚軍の軍師として采配を振るった。張良とは親友の間柄で、彼の窮地を幾度となく救っている。垓下の戦いにおいて、軍が四散した折には項家の血筋を守るため漢軍に降っている。

懐王 (かいおう)

項羽の配下鍾離眜が捜索してきた楚王家の末裔。楚の王位につき、秦打倒の旗印となった。「最初に咸陽に入ったものを関中王にする」という宣言を守ろうと、項羽が漢中王を名乗ることを許さなかった。以降、項羽に疎まれるようになり、彭城遷都の際に英布の手により大江の上で殺害されている。

英 布 (えい ふ)

六安にて反秦の挙兵をした武将。項羽と合流し、楚の武将となる。若い頃に罪を犯し額に黥(いれずみ)があることから黥布とも呼ばれる。尊大で自尊心が強く、項羽の下にいた時は、子嬰一門の惨殺や始皇帝陵の墓暴きなどの残虐な行為を行っている。項羽に万座で罵倒されたことをきっかけに心が離れ、その後、説得されて劉邦陣営についた。

鍾離 眜 (しょうり まい)

項梁の旗揚げ時代から参加した武将。楚の王族末裔、米心(後の懐王)探索などで活躍する。垓下の戦いの後、四面楚歌の計で楚軍が瓦解した折には「楚の再建のため」といい捨て、兵と共に逃げ出している。

陳 平 (ちん ぺい)

魏の国の家臣だったが重用されず、項羽の軍に参画した文官。劉邦に好感を抱くようになり、鴻門の会や蜀への脱出、さらには韓信に通行手形を譲渡するなど様々な形で手を貸している。後に項羽の怒りを買い官位を剥奪され、身一つで楚から逃げ出し、劉邦の幕閣に加わることとなった。

韓 信 (かん しん)

兵法書を諳んじ、弁も立つ勇将。自らの才能を誇りに思う反面、プライドが高い。楚に仕官したが重用されず、張良の招きで劉邦陣営に加わる。漢では大元帥の地位に付き、漢中へと出陣。章邯たちを破り、劉邦を咸陽へと迎え入れた。楚への東征を進める劉邦と意見が対立、元帥の位を返上する。 その後、張良の大芝居により復帰、多くの戦で戦功を上げ、漢帝国の礎を築いた。

酈 食其 (れい いき)

高陽の街に住む、酒に酔っては大声で歌い周囲に迷惑がられた貧者。実は焚書坑儒を逃れるべく狂人を装っていた。高陽の太守、王徳の引き合わせで劉邦と出会い、力添えすることを決意する。広野君の称号を得て、張良の推挙をはじめ様々な献策を行っている。後に斉王の説得工作に成功するが、功を焦った韓信が斉を攻撃。 騙されたと思った斉王に煮殺される。

魏 豹 (ぎ ほう)

魏の国の王孫だが、性格は傲慢にして口先だけの人物。項羽の論功行賞に不満を持ち、漢側につく。大元帥に抜擢されるが惨敗して謹慎。楚が差し向けた占い師・許負によって心動かされ、今度は漢に叛旗を翻す。韓信に敗れ、庶民に落とされてしまう。楚の大軍を前に籠城する周苛と樅公に降伏を勧め、その手柄で返り咲こうとするが、腹を読まれて処断される。

樊 噲 (はん かい)

劉邦とは亭長時代からの友人。劉邦の旗揚げに参加、以降、漢軍の将軍として軍功を上げていった。新しく大元帥を任命する儀式で韓信が大元帥になることに反発したため、それを罪に問われて危うく処刑されそうになるが、蕭何の嘆願により恩赦となる。その後は韓信の指揮のもとで活躍し、数々の策を実行する勇将として名をはせた。

集団・組織

(かん)

『項羽と劉邦』において、勝利者となった劉邦が興した統一王朝の名称。また、『項羽と劉邦』の物語内の時期においては、武関から南西に広がる漢中、巴、蜀の地域を指し示す。

場所

(しん)

『項羽と劉邦』に登場する始皇帝が打ち立てた中国初の統一王朝の名前。首都は咸陽。統一王朝として様々な法整備の基礎を作ったが、3代という短命で滅んでしまった。

(そ)

『項羽と劉邦』に登場する地名および国名。時代によって、その場所は変わるが、『項羽と劉邦』内では現在の江蘇省徐州周辺を指す。劉邦や項羽はこの楚の出身だった。また、項羽はこの地にある彭城を本拠地として楚の国の王となり、楚王を名乗った。

(しょく)

『項羽と劉邦』に登場する地名。現代の四川省あたりを指す。劉邦が追いやられた場所で、細い桟道のみの深い渓谷を通らなければたどり着けない辺境。後代に劉邦の末裔を自称する劉備が曹操の追跡を逃れてたどり着いた地としても有名。

その他キーワード

鴻門の会 (こうもんのかい)

『項羽と劉邦』の物語の中でも有名な一幕。いち早く咸陽に入り漢中王の資格を得た劉邦。しかし項羽はそれを認めず、一触即発の事態に。劉邦は張良の策で、鴻門に張られた陣中での酒宴に赴き項羽にへりくだった。楚軍軍師の范増は、様々な手で劉邦暗殺を試みるが、張良をはじめ項伯、樊噲の活躍により、劉邦は無事に鴻門から去ることができた。

背水の陣 (はいすいのじん)

多くの作品に登場する計略。退路の無い河を背に布陣、もしくは糧食の乏しい状況に自軍を追い込み、決死の覚悟で戦い活路を開く戦法。『項羽と劉邦』では、項羽が章邯率いる秦軍にとの用いて「船を沈め釜を破る(沈船破釜)」という言葉を作り、また韓信が趙との戦いで敵を惹きつけるために用いて3万の兵で20万の軍勢を打ち破っている。

四面楚歌 (しめんそか)

『項羽と劉邦』の中でも有名な故事にして、張良が執り行った策。垓下の戦いで痛手を受けた項羽の軍は九里山に陣を張り漢軍の包囲突破の機会をうかがっていた。ところが夜半になると、周囲から故郷、楚の歌が流れてきた。望郷の念に駆られた兵士たちは陣から逃げ去り、項羽が目覚めた時には3名の将と八百人あまりの兵しか残っていなかったという。

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