BABEL

BABEL

曲亭馬琴の戯作『南総里見八犬伝』を題材としたファンタジー要素の強い時代劇。原作とは時代設定が80年ほど異なり、永禄元年から3年(西暦1558年から1560年)までの出来事という扱いになっている。また、主人公の犬塚信乃たちを神道や仏教の加護を得た者たちに、また彼らに対立する玉梓たちをキリスト教の悪魔として描いており、戦いの舞台も関東に限らず、全国規模に拡大されている。「ビッグコミックスペリオール」2018年第2号から2021年第18号にかけて掲載された作品。

正式名称
BABEL
ふりがな
ばべる
作者
ジャンル
戦国
 
和風ファンタジー
レーベル
ビッグ コミックス(小学館)
巻数
既刊7巻
関連商品
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あらすじ

千日回峰行

延暦寺の僧侶、ゝ大比叡山で出会った不思議な犬のハチ(八房)を伴い、7年を要する天台宗の荒行、千日回峰行に励んでいた。しかし、峰行を終えようとしていたゝ大の前に異様な雰囲気の熊が立ち塞がる。その獰猛(どうもう)さにゝ大は死を覚悟するが、ハチの献身により辛くも窮地を脱し、ついに峰行を完遂する。熊と相討ちになったかと思われたハチもゝ大のもとへ帰還して満行に至り、その名を「八房」と改められた。

神の狗

永禄元年、神の狗(いぬ)、八房の噂(うわさ)は全国に伝播し、その力に肖(あやか)ろうと多くの権力者が比叡山を訪れるようになっていた。八房は諸侯が持ち寄る財宝には目もくれなかったが、危急存亡の秋(とき)にあるという南総里見領の伏姫の求めに応じて、重い腰を上げる。こうして下山した八房とお目付役のゝ大犬塚信乃額蔵という二人の若者の助けを得て、伏姫を里見義実の居城に送り届けた。一行を迎えた義実は、里見領を狙う山下定包の首と引き換えに伏姫を褒美として与えることを約束する。これを受けて、八房は単身で定包を討ち取ったばかりか、天変地異を引き起こしていた妖婦の玉梓を撃退し、里見領に本来の天候を取り戻すことにも成功する。

八つの宝珠

山下定包の首を持ち帰った八房の身体は、玉梓の呪術に蝕まれていた。ゝ大の法力をもってしても呪いをまき散らす怪物と化した八房を元には戻せず、犬塚信乃は止(や)むを得ず八房に刃を突き立てる。しかし呪いの脅威は止(や)まず、里見義実が玉梓のあやつり人形と化してしまう。義実の猛攻に信乃たちは絶体絶命の状況に追い込まれるも、伏姫の所有していた八つの宝珠が光を放って義実を退けたことで、九死に一生を得るのだった。だが、伏姫は意識を失って目覚める気配がなく、頼みの宝珠も四方八方へ飛び去り、行方(ゆくえ)がわからなくなってしまう。事態を重く見たゝ大は眠り続ける伏姫と八房の亡骸を比叡山に運び、師に助けを求めることを思いつく。信乃が護衛として彼らに同行することを決意する一方で、額蔵は先の戦いで無力を痛感したとして、一行に別れを告げた。

「孝」の犬士

玉梓は地元民を人質に犬塚信乃を誘き出し、伏姫の情報を得ようと企(たくら)んでいた。企てを知った信乃は単身で村人の救出に向かったが、玉梓は安西景連の協力を取りつけ、万全の態勢で待ち受けていた。四面楚歌(そか)の状況に信乃は死を覚悟するが、八房の御霊の支援もあって、玉梓の首を落とすことに成功する。しかし、玉梓からあふれた黒き呪いが周囲の死体を傀儡(くぐつ)と化したことで、信乃は再び窮地に陥ってしまう。やがて駆けつけたゝ大が神仏に祈ると、伏姫の御霊(みたま)が人質の身体を借りて語り始めた。命を賭して民草を救おうとする信乃の行動は、「孝」の宝珠を得るに相応(ふさわ)しいというのである。こうして「闇」に抗(あらが)う犬士となった信乃は宝珠の力で玉梓を退けることに成功する。この戦いを見届けたゝ大は日ノ本を覆う「闇」との戦いに備えるべく、散逸した宝珠を探す旅に出ることを決意するのだった。

「信」の犬士

宝珠を求めて旅立った犬塚信乃ゝ大、先の戦いで伏姫の依代(よりしろ)となった少女の浜路は犬に導かれ、下総(しもうさ)登戸浦に辿(たど)り着いていた。関東管領(かんれい)の扇谷定正の拠点である佐倉城を訪れた一行は闘技場で玉梓を発見するが、彼女も一行の位置を捕捉していた。玉梓の狙いが自分だと察した信乃は、仲間を逃がすための囮(おとり)になるが、芳流閣の屋根上で闘技場の猛者(もさ)の犬飼現八に敗北し、捕縛されてしまう。一方、窮地を脱したゝ大たちは犬の導きに身を任せ、先ほどまで信乃と敵対していた現八の里帰りに同行する。しかし、現八の故郷は滅びており、その顚末(てんまつ)を知る不思議な老婆を残すのみとなっていた。老婆から「信」の宝珠を託された現八は、妹のお駒が女郎屋に売られたという情報に一縷(いちる)の希望を見出し、城下町へ急ぐ。やがて現八は変わりはてたお駒を発見するが、彼女を連れ出そうとして騒動を起こし、再び闘技場に送られてしまう。

人間蠱毒

犬塚信乃は闘技場で行われる勝ち残り戦への参加を強いられていた。無益な殺生を嫌う信乃は誰も殺さず試合を制する道を選んだが、「人間を蠱毒のように殺し合わせる」という闘技場の方針に従わなかったこともあって玉梓の怒りを買い、磔(はりつけ)にされてしまう。さらに玉梓が信乃の首を獲(と)った者を古河公方(こがくぼう)に据えると宣言したことで、闘士のみならず、欲望に駆られた観客すら巻き込んだ殺し合いが勃発。出入り口には火が放たれ、闘技場は阿鼻叫喚の地獄絵図に変貌する。これを受けて、扇谷定正悪魔としての正体を現し、人間蠱毒の総仕上げとして、生き延びた人間たちを喰らい始める。盗人の左母二郎に救われた信乃は人々に団結を呼び掛け、定正に対抗する。小さなハエの集合体である定正は無敵とも思われたが、やがて信乃が弱点を見出し、犬飼現八の手で討伐が果たされる。一方、闘技場に放たれた火は城下町に延焼し、お駒が働く女郎屋にまで達していた。現八は燃え上がる女郎屋を前に泣き崩れるが、お駒は伏姫の御霊に導かれ、無事に脱出していた。こうして現八とお駒は自由の身となり、犬士たちに協力するようになった。

「悌」の犬士

舞台は変わり薩摩国(さつまのくに)。島津家の家臣、犬田左衛門之介は騎射の技術を競う「犬追物」の最中、禁制の鉄鏃(てつぞく)で射抜かれた犬を連れ帰り、治療する。しかし、島津家の所有物である犬を持ち去ったことを問題視され、不当に犬を射た木下に斬られてしまう。犬を託された犬田家の下男の小文吾は逃走のはてに崖から転落し、屋久島に流れ着く。そこには小文吾と同じく島津家に追われている宣教師のフェルナン、琉球王国の王女の按司加那志が隠れ住んでいた。長老の爺っさま、島民の茂吉から王女の守護を任された小文吾は、主人を見捨てた自分に護衛が務まるものか苦悩するが、決心を待たずに島津軍が現れる。その指揮官は主人の仇(かたき)でもある木下だった。フェルナンは島民を慮(おもんぱか)り出頭するが、木下はフェルナンを磔にして、耶蘇(セソ)教の信者たちに残る標的の身柄を要求する。これに屈した信者たちは山狩りで王女の隠れ処(が)を見つけるが、木下は約束を破り、フェルナンを火炙(ひあぶ)りにしてしまう。一方、王女を連れて逃げ回っていた小文吾は限界を迎えようとしていたが、「ワンコ」と呼んでかわいがっていた件(くだん)の犬から「悌(てい)」の宝珠を授かり、犬士として覚醒する。小文吾は主人の仇討ちを成し遂げたが、軍艦からの立て続けの砲撃に倒れ、薩摩に連れ去られてしまう。

ひえもんとり

犬塚信乃左母二郎は、犬の導きで薩摩国に辿(たど)り着く。左母二郎が盗みを働いたことで、二人は罪人として捕縛されてしまうが、そこには小文吾の姿もあった。やがて、罪人たちは内城下全域を舞台とした「ひえもんとり」への参加を強いられる。これは騎馬武者が逃げ惑う罪人を徒手空拳で追い詰め、その生き肝を喰(く)らうという恐怖の催しだった。小文吾が宝珠に選ばれた犬士だと知った信乃は、彼と協力して悪魔と噂される島津貴久へ立ち向かうことを決意する。やがて、ゝ大の命令で動いていた犬飼現八大友義鎮の兵を伴い救援に駆けつけ、奇習は戦争へと様相を変えていく。

琉球王国の逆襲

鳴り物入りで参戦した大友軍だったが、火山の噴火による被害から島津の領民を救うため、戦線を離脱してしまう。こうして、島津貴久との戦いは宝珠に選ばれた犬士たちに託される形となった。貴久は城下に侵入した大友軍を海上に待機させていた軍艦からの砲撃で殲滅する構えだったが、ゝ大と共に海路から現れた琉球勢がこれに応じる。按司加那志が命を燃やして呼び出したは強力無比で、島津の船団を瞬く間に焼き払い、壊滅させた。一方、犬士たちは貴久のまとう甲冑(かっちゅう)の頑丈さに苦戦を強いられていたが、「孝」「信」「悌」の宝珠と妖刀「村雨丸」の力を頼りに、貴久を打ち破ることに成功する。こうして、島津領は悪魔の支配から解放された。

桶狭間の戦い

永禄3年5月19日、織田信長が「海道一の弓取り」の異名で知られる今川義元を討つという大事件が起こる。同年7月には情報収集に出ていたゝ大比叡山に帰還し、信長が「黒く禍々(まがまが)しいモノども」を従えていたという情報がもたらされた。信長が人知を超越した力を利用している事実を受けて、武芸を磨き、勉学に励んでいた犬士たちは危機感を強める。それから間もなく、不安につき動かされた日吉(ひえ)神社の宮司が亀卜(きぼく)占いで不思議な童子の存在を察知する。伏姫からも宣託があり、犬塚信乃浜路左母二郎は「千里眼(内藤吉十郎孫兵衛)」と渾名(あだな)された童子を救うべく、信州は諏訪(すわ)を目指して出発する。その道中、信乃は武士なのか百姓なのか、己の在り方に思い悩みながらも、幼少の砌(みぎり)に落命した愛犬の与四郎と再会するなど満たされた時間を過ごす。やがて信乃は自らを「悪(あ)しき者と戦う武士」と定義し、決意を新たに歩みを進めるのだった。

千里眼を救え

首を斬っても倒せない死人の群れに苦戦を強いられていた犬塚信乃浜路左母二郎は銃火器を扱う不思議な童子に救われ、諏訪神社の下社・秋宮へと落ち延びる。この童子こそ「千里眼(内藤吉十郎孫兵衛)」だと悟った一行は死人の脅威から逃れるため、協力して諏訪湖を渡ろうとするが、湖底より湧き出る死人の勢いは凄(すさ)まじく、孫兵衛と彼の仲間である対馬が所有する銃火器の威力をもってしても、移動は容易ではなかった。伏姫の御霊が神通力により湖面を凍らせたことで、一行は辛うじて諏訪湖を渡り切るが、息を吐く間もなくお市の率いる軍勢に包囲され、上社・本宮での抗戦を余儀なくされる。やがて結界を破られた一行はジリ貧に陥るが、八房の御霊に導かれて御神体である森山へ敵を誘い込み、神木落しで一網打尽にすることに成功する。さらに逃げ去ろうとしていたお市こと玉梓を落雷が打ち据え、宿敵との因縁に終止符が打たれた。一方、比叡山に残っていたゝ大は、千日回峰行の巡拝の先の段階である「堂入り」に挑んでいた。信乃たちが比叡山に帰還して間もなく、ゝ大は過酷な修行を完遂し、生き死にを超越した無の境地へ到達する。

バベルの塔

内藤吉十郎孫兵衛対馬は日吉神社の宮司と対面し、自分たちが黒い水のような「時間」を利用して時代を行き来していること、織田信長を倒して歴史を変えようと足搔(あが)き続けていることを明かす。さらに孫兵衛は、比叡山から見渡せる淡海(おうみ)の対岸にバベルの塔に似た異様な建造物が出現していることに気づく。この時代が自分たちの知らない未来に向かって歩み始めていることを実感した孫兵衛は、独断でバベルの塔そっくりの安土城を偵察するが、そこで信長と鉢合わせになり、犬士に関する重要な秘密を知る。一方、犬飼現八は延暦寺の座主が記した書簡を各地の群雄に届けていた。これを受けて武田、上杉、浅井、浅倉など名だたる英傑が挙兵し、信長包囲網が実現する。

天下分け目の戦い

永禄3年11月3日、今川氏真を総大将に据えた連合軍と死人を中心に編成された織田軍のあいだで、天下分け目の戦いが始まった。織田信長の討伐を担う犬士隊の指揮を任された内藤吉十郎孫兵衛は、仲間と共に砲弾の飛び交う戦場を駆け抜け、安土城を守る堀まで到達する。さらに里見家の足軽大将に出世していた額蔵の助けを得て、一行はついに安土城の本丸に辿り着き、バベルの塔のように屹立(きつりつ)する天守閣に挑む。その頃、比叡山は連合軍を裏切った浅井、朝倉の両軍に焼き討ちされ、窮地に陥っていた。比叡山に残っていたゝ大座主伏姫を安全な瑠璃堂に逃すべく、両軍を相手に決死の抵抗を開始する。その傍らには八房の姿もあった。一方、安土城の最上階では犬士隊の生き残りと信長の最後の戦いが始まろうとしていた。

関連作品

漫画

本作『BABEL』は、石川優吾の『スプライト』の設定を部分的に引き継いでおり、一部のキャラクターが物語上の重要人物として登場している。また、同作家の『カッパの飼い方』のイラストがひそかに描かれていたりと、細かなファンサービスが散りばめられている。

登場人物・キャラクター

犬塚 信乃 (いぬづか しの)

南総里見領で暮らしている青年。諱(いみな)は「戍孝」。頭髪は顎に達するほどの鬢(びん)を残し、後頭部で括(くく)っている。百姓に身を落としているが、里見家に仕えた家柄で、無病息災を願う武家の習俗により、元服まで女として育てられた。愛刀は妖刀「村雨丸」。本能に任せて戦っていると評されることが多いが、犬塚番作から武術の手解(てほど)きを受けた経験もあり、並の武芸者では太刀打ちできないほどの実力を誇る。壁を走れるほど身軽で、騎馬武者の首をすれ違いざまに切断する凄技を披露したこともある。感覚も鋭敏で、寝ていても気配や物音に反応する。正義感の強い性格で、困っている人を見ると危険を顧みずに助けてしまう。また無益な殺生を好まず、戦いの前には相手と対話し、双方が納得できる落とし所を模索する人格者ながら、他人にも模範的な行動を求めるため、「クソまじめでいけ好かない奴」とも評されている。伏姫を助けたことをきっかけに里見領を巡る戦いに巻き込まれ、玉梓との死闘を経て「孝」の宝珠を授かり、犬士となった。その後は犬の導きに従い、各地を転戦している。旅を始めた直後は犬を煙たがっていたが、ゝ大に叱られて犬士としての自覚を強め、犬を食べようとしていた左母二郎を窘(たしな)めるまでになった。自分が何者なのか思い悩んだ時期もあったが、「犬の導きで悪と戦う武士」と定義することで、迷いを振り払っている。なお、宝珠を得てからは修羅場に臨むと右目が輝き、孝の字が浮かび上がるようになった。この状態になると身体能力が向上し、飛来する矢を素手でつかみ取るなどの芸当が可能となる。

額蔵 (がくぞう)

犬塚信乃の義兄弟の青年。信乃より体格が一回り大きく、顔立ちは無骨で刺々(とげとげ)しい頭髪をうなじの辺りで束ねている。里見家の家臣の家柄だったが、父親の戦死をきっかけに遠縁に預けられ、百姓に身を落とした。青年に成長した今でも侍にあこがれているが、戦闘力は凡人の域を出ない。また、里見家への仕官を発案したかと思えば、舌の根も乾かぬうちに南総里見領を狙う山下定包に従うことを提案するなど、節操がない。米の接収に現れた山下軍を相手に啖呵(たんか)を切る程度の度胸は有しているが、信乃のように見ず知らずの他人のために命を賭して戦えるほどではなく、信乃が山下軍に襲われていた伏姫の助太刀(すけだち)に向かった際には、伏姫の家臣を見殺しにしている。里見義実の居城を訪れた際には、玉梓の呪術で豹変した義実に背後から斬り掛かり、信乃を救っている。しかし、目前の脅威が取り除かれると、無力を痛感したとして、伏姫を守って欲しいというゝ大の頼みを断り、立ち去ってしまう。のちに安土城へ乗り込む犬士隊に合流し、信乃と再会する。この頃には「義」の宝珠に選ばれて矢除けの加護を得たばかりか、里見家に仕官して足軽大将にまで出世し、日ノ本一の大名になるという大胆な夢を抱くまでに成長していた。その後、浜路を塔の最上階へ到達させるため、槍(やり)を手に死人の猛攻を食い止めるなど活躍している。

ゝ大 (ちゅだい)

延暦寺の僧侶の男性。彫りが深く、剃髪(ていはつ)して仏式の浄衣(じょうふ)をまとっている。背丈ほどの簡素な木杖、数珠(じゅず)、懐刀を携行している。変装に惑わされず相手の身分を当てるなど眼力に優れ、真言で邪悪な存在に抗うこともできる。生真面目ながら困窮すると神仏に縋(すが)りがちで、念仏を唱えている場合かと指摘される場面もあるが、状況が好転することも少なくない。天台宗の荒行、千日回峰行の巡拝を終える直前に異様な熊に襲われ、「達成できなければ自害」という掟(おきて)に従おうとしたが、ハチの助けを得て巡拝を完遂した。その後、ハチ改め八房の後見人のような立場となり、伏姫を見初めた八房と南総里見領に向かった。しかし、八房は玉梓の呪いに侵され、道中で出会った犬塚信乃に八房の介錯(かいしゃく)を託すことになった。里見領での経験から日ノ本を覆い尽くそうとする「闇」に抗うためにも宝珠と犬士を集める必要があると悟り、比叡山を代表して全国を旅するようになった。その基本姿勢は「犬の導きに任せる」というもので、仲間から心配されることもあったが、結果的に未来の犬士たちと出会うことに成功している。佐倉城までは信乃と旅していたが、その後は独自に行動する機会が増え、薩摩国では大友義鎮の軍勢と連携して屋久島の解放に尽力し、按司加那志を決戦の場に導いている。のちに桶狭間(おけはざま)の戦いを目撃して己の無力を痛感し、荒行の堂入りに臨む覚悟を固めた。9日に及ぶ断食、断水、断眠、断臥(だんが)により痩せ衰え、死臭すら放つようになったが、引き換えに生者でも死者でもない「無」の存在に昇華した。比叡山が焼き討ちされると囮になり、伏姫と座主を避難させる時間を稼いだ。この抗戦には八房の御霊も加勢している。なお、当人が気づいていたという描写はないが、ゝ大も宝珠に選ばれた犬士である。

八房 (やつふさ)

ゝ大の千日回峰行に付き合った不思議な犬。明るい体毛で耳はピンと立ち、尻尾はボリュームがあり垂れ下がっている。紀州犬に似ているが、有事に見せる獰猛な姿は狼のようでもある。坂道を転がり落ちるなど未熟な子犬だったが、比叡山を駆けるうちに成犬となり、巡拝の最終日には異様な熊を倒し、ゝ大を救っている。巡拝を終えると「神の狗」と讃えられる存在になり、名前も「ハチ」から「八房」に改められた。八房に肖ろうと財宝を持参する諸侯には見向きもせず、悠々自適に過ごしていたが、伏姫が領地の惨状を訴えると、彼女に寄り添って南総里見領へ向かった。ここでは山下定包の単身討伐を成し遂げ、玉梓を退けているが、彼女の呪いを浴びて正気を失い、ゝ大の判断で犬塚信乃に介錯された。しかし、生物としての死を迎えず、伏姫と似た生死の狭間の状態となり、身体は比叡山に運び込まれた。その後は信乃たちの前に御霊として現れるようになり、宝珠を授けたり、進むべき道を示したりして信乃たちの旅を助けている。また、時には敵の刃を透過して一方的に攻撃を仕掛ける、無数の犬を嗾(けしか)けるなどの神通力で一行の窮地を救っている。のちに宝珠に選ばれた犬士だったことが判明するが、八房に自覚があったかは定かではない。なお、人に媚(こ)びるような犬ではないが、一部の人間には例外的に懐いている。ゝ大には特に心を許しており、腹を見せて甘える姿も描かれている。

伏姫 (ふせひめ)

里見義実の嫡女。鬢批(びんひ)のある下げ髪で、腰まで伸びた後ろ髪を首の辺りで括っている。南総里見領を危機から救う手立てを求めて比叡山を訪れ、八房を連れ帰ろうとした。復路で山下定包の兵士に襲われた際には、自ら懐刀を構え戦う意思を見せたが、犬塚信乃の助太刀で難を逃れている。この戦いで家臣の太兵衛と喜八が死亡し、「家臣より犬の命を優先した」と信乃に詰(なじ)られているが、のちに素手で彼らの墓穴を掘っている姿を見られ、人格を見直されている。帰城後は周囲の反対を押し切り、定包の首と引き換えに自らの身命を八房に差し出すことを約束した。しかし、定包の首を持ち帰った八房は玉梓の呪いに侵されており、信乃に介錯されることになった。この対応はゝ大が指示したものだが、伏姫は信乃の行動を軽率と咎(とが)め、八房の亡骸に縋り泣いている。その後、玉梓の呪いに侵された義実に襲われるも、宝珠の力によって退けている。しかし、これを最後に意識を失って生死の狭間の状態となり、身体は比叡山に運び込まれた。以降は御霊として信乃たちの旅を見守るようになり、新たな仲間の居場所を告げたり、火事場からの脱出を補助したりと活躍している。延暦寺の僧侶や浜路の呼び掛けに応じて神通力を発揮することもあり、その力は湖面を凍結させるなど強力無比だが、濫用できるものではない。諏訪湖を凍らせた際には、一心不乱に般若(はんにゃ)心経を唱えていた僧侶が何人も倒れている。織田信長との最終決戦では浜路を安土城の最上階に到達させ、その身体を依代に伏姫を降臨させる作戦が採用された。

浜路 (はまじ)

南総里見領で暮らしていた少女。長髪をうなじの辺りで一つ結びにして、花柄の和服を着ている。百姓の娘だったが、安西景連に村を襲撃され、ほかの村人と共に犬塚信乃を誘(おび)き出すための人質にされてしまう。信乃の奮闘によって救出されるも、天涯孤独の身の上となり、ゝ大の判断で旅に連れて行かれることになった。天真爛漫(らんまん)な性格で、信乃や左母二郎の視線を気にせず温泉に浸かるなど、肌を晒(さら)すことに躊躇(ちゅうちょ)がない。また、関ヶ原宿では部屋の品質に感動し、畳を撫(な)で回すなどの奇行に走っている。当人は恩返しの旅と豪語しているが、犬飼現八に信乃との関係を問われた際には、許嫁という大胆なウソを吐いている。また、二郎に信乃への恋心を指摘された際には、否定しながらも顔を真っ赤に染めていた。信乃を慕う一方で左母二郎には当たりが強く、彼が延暦寺の宝物を持ち去ろうとした際には、既に現八に半殺しにされていた左母二郎に容赦なく追撃を加えている。また、左母二郎に勉学を邪魔された際にも、暴力による報復を敢行している。伏姫の御霊と相性がよく、その身に彼女の御霊を降ろして神通力を発揮し、犬士たちを窮地から救う場面も存在する。安土城の戦いでは、織田信長のいる塔の最上階まで伏姫の依代となる浜路を導くことが、犬士隊の最重要課題に設定された。なお、戦いに身を投じることは滅多にないが、諏訪神社の戦いでは槍を手に死人と交戦している。

左母二郎 (さもじろう)

佐倉城に囚われていた若い盗人の男性。小柄な体型で、後ろ髪を首の辺りで束ねている。刀を背負っているが技量は拙く、気合を込めて振った木刀がすっぽ抜けてしまうほど。一方で身のこなしは軽やかで、生命力もゴキブリ並みと評されている。算術が得意と言い張っているが、実際は簡単な足し算に苦戦する程度である。物心ついた頃から孤児で、屍(しかばね)の山から食糧を探して飢えを凌(しの)ぐ過酷な幼少期を送っていた。そのため戦場が親代わりで、生まれながらの野良犬と自嘲している。牢(ろう)内で犬塚信乃と知り合い、磔にされた信乃を救出したり、炎上する闘技場からの脱出経路を確保したりと活躍した。自由の身になると比叡山に身を寄せ、犬士たちに協力するようになったが、手癖の悪さは変わらず、世話になっていた延暦寺の宝物に手を出して犬飼現八らにボコボコにされる一幕もある。この私刑を受けてから、鼻頭に綿紗(めんしゃ)のようなモノを貼るようになった。薩摩国では火事場泥棒のついでに信乃の妖刀「村雨丸」を取り戻す手柄を挙げているが、そもそも左母二郎が大根泥棒をしなければ、信乃が刀を没収されることもなかった。しかし、性質の悪いことにトラブルメーカーである自覚がなく、逆に信乃を疫病神と罵っている。生真面目な信乃との口論は日常茶飯事だが、浜路に言わせれば仲がいい。それを裏付けるように、信乃が死んだとカンちがいして泣いてしまう場面もある。安土城に乗り込むまでは宝珠の力で活躍する犬士たちを羨望の眼差しで見つめ、自らを「オマケ」と卑下していた。しかし、城内で「智」の宝珠に選ばれていたことが発覚し、感動の涙を流している。

犬飼 現八 (いぬかい げんぱち)

佐倉城の闘技場で活躍する闘士の男性。筋肉質な体で彫りが深く、揉(も)み上げや口ヒゲ、顎ヒゲがつながっている。総髪ながら束ねずに手拭いを被(かぶ)ることもある。得物は鳶口(とびぐち)で、試合には褌(ふんどし)一本で出場する。間合いの不利を覆して薙刀(なぎなた)の使い手を破るなど、身体能力は極めて高い。粗野に見えて心優しい性格で、妹のお駒を溺愛しており、彼女のことになると見境をなくしてしまう。闘士になったのも、年貢の形に連れて行かれそうだった妹の身代わりになったからである。10歳で闘士となって以来、試合とは名ばかりの殺し合いに15年も勝ち続け、今では強過ぎて賭けが成立しないと嘆かれるほどの実力者として闘技場に君臨している。その強さを持て余した扇谷定正の差配で犬塚信乃の捕縛を命じられ、芳流閣の屋根上で信乃を生捕りにした。この功績により里帰りを認められるも、故郷の犬飼村は滅びており、家族との再会も叶(かな)わなかった。しかし、この時に村の顚末を知る老婆から「信」の宝珠を授かっている。その後、生き別れた妹を城下町の女郎屋で発見するも、騒動を起こし闘技場に戻されている。めげずに脱走を試みているが、結果として伏姫の御霊にお駒を託し、自らは定正の討伐に貢献した。自由の身になると比叡山に身を寄せ、犬士として活動するようになった。信乃とは別の任務を任されることが多く、ある時はゝ大の指示で大友義鎮を島津領へ導き、その足で島津貴久との決戦に乱入した。また、ある時は織田信長との決戦を見据えて、延暦寺の座主が認めた書簡を各地に届けている。安土城の戦いでは犬士隊の一員として本丸に突入し、無数の死人と交戦している。

お駒 (おこま)

犬飼現八の二つ年下の妹。背中に届くほどの長髪で、かき上げた前髪に兄が作ってくれた櫛(くし)を挿している。佐倉城下の女郎屋で働いているが、病気で視力を失っている。8歳までは故郷の犬飼村で暮らしていた。年貢の代わりに差し出されそうになったこともあるが、この時は現八の献身で免れている。しかし、器量がよかったことが災いし、わずか数日後に金目当ての兵士に連れ去られてしまう。この時、兄妹の父親が兵士に刃向かって斬り殺されている。また、お駒が連れ去られて間もなく、村人は扇谷定正に食い殺されてしまった。15年の時を経て兄と再会するも、彼を女郎の物色に来た客とカンちがいして誘惑するという失態を犯し、店の奥に引きこもってしまう。その後、闘技場から燃え移った炎と煙に巻かれて生死の境を彷徨(さまよ)っているが、伏姫の御霊に導かれ、九死に一生を得た。自由を手にしてからは現八と比叡山に移り住み、盲目とは思えぬほどの器用さで作物の処理や衣服を繕いなどの仕事をこなしている。また、衣服の損傷から「ゝ大の人夫を務めている」という現八の言葉に疑念を抱くなど、察しのよさも垣間(かいま)見せている。比叡山が焼き討ちされた際には、現八のもとから飛来した「信」の宝珠に導かれ、伏姫たちを安全な瑠璃堂に案内した。なお、「長患いで耳も聴こえない」とされていたが、比叡山で暮らすようになってから、現八や僧侶と会話をする姿が幾度も描かれている。

小文吾 (こぶんご)

島津家の家臣、犬田左衛門之介の下男。薩摩弁を話す総髪の巨漢。団栗眼(どんぐりまなこ)と団子鼻、二重顎で、わずかに顎ヒゲを生やしている。大人を片手で投げるほどの怪力の持ち主だが、空振りした木刀で地面を叩(たた)いてしまうほど不器用で、力だけが取り柄の愚鈍な人間と自嘲している。女性も苦手で、下男が嫁を求めるのは贅沢(ぜいたく)と嘯(うそぶ)いているが、親しい者からは与えられた役目を愚直にやり遂げる人物と評されている。主人の命令で島津家の犬であるワンコを連れて逃げることになり、これをきっかけにお尋ね者となる。屋久島に流れ着いて茂吉の家で過ごすうちに一部の島民から信頼されるようになり、琉球の王女、按司加那志の護衛を任されるまでになった。主人の仇でもある木下が放った追手との戦いで重傷を負いながらも、ワンコから「悌」の宝珠を授かり犬士として覚醒し、仇討ちを成し遂げた。しかし、結果として島津軍に敗れて薩摩国へ連行され、奇習「ひえもんとり」に標的として参加する羽目になった。ここで犬塚信乃たちと出会い、島津貴久の撃破に貢献している。その後、悪魔との戦いに協力すべく比叡山に移り、「犬田小文吾」と名乗るようになった。安土城の戦いでは犬士隊に所属して本丸に突入し、石柱を武器に死人と戦っている。宝珠の力を解放すると体軀が数倍に膨れ、刃物を通さないほど頑丈になる。これは「神の鎧(よろい)」と呼ばれる力で、初めて変化した時は砲撃を受けて失神してしまったが、薩摩では砲撃すら凌ぐ脅威の防御力を発揮した。小文吾が戦場を縦横無尽に跳ね回る姿は「ゴリアテ」に喩(たと)えられている。なお、島で暮らしていた時期に耶蘇教の教えに触れて感銘を受け、宣教師のフェルナンのコンタツを受け継いでいる。

内藤 吉十郎 孫兵衛 (ないとう きちじゅうろう まごべえ)

未来を知る謎の男児。坊ちゃん刈りにしており、鼻水を垂らし、頻繁に鼻を啜(すす)っている。タンクトップに半ズボンという出で立ちで、つねに裸足(はだし)で行動しており、カッパが描かれた水筒を愛用し、迷彩ヘルメットを被っていることもある。襷掛(たすきが)けにした西部劇風ガンベルトにジョージ・アームストロング・カスターが用いた貴重なColt M1861 Navyを差していたが、のちに対馬から弾込めに時間の掛かる銃は危険と指摘され、GLOCK26を使うようになった。背中の黒いランドセルにも、タブレット端末やスワロフスキー・オプティックの双眼鏡など、未来のアイテムが詰まっている。伏姫のお告げに基づいて「千里眼」と呼ばれていたが、その正体は信濃国高遠(しなののくにたかとう)藩第三代藩主、内藤頼由の嫡子である内藤吉十郎孫兵衛。本来は江戸時代の人物だが、「時間」に乗ってさまざまな時代を巡っている。夜半に居眠りするなど、体力面は子供の域を出ていないが、実年齢は250歳ほどで、外見に反して落ち着いている。その目的は民が苦しむ国の在り方を変えることで、織田信長を敵視している。諏訪神社で死人の群れをやり過ごしていた際に犬塚信乃たちと出会い、彼らと協力してお市の率いる軍勢を迎撃した。この戦いで超常の力を目の当たりにし、信長に対抗するには人知を超越した力に頼る必要があると考え、比叡山に身を寄せた。何度やり直しても信長の野望を阻めないことに苦悩していたが、安土城の形状から本来の歴史とは状況が違っていることを理解し、「歴史上の信長」ではなく「信長を名乗る者」を倒すことが自分たちの使命だと悟った。この頃、戦国時代に痕跡を残すべきではないと日吉神社の宮司から助言を受け、「犬江新兵衛」に改名している。信長包囲網が形成されると、延暦寺の座主から犬士隊の隊長に任命された。決戦の直前には「春日山城の壁書」を引用して仲間を鼓舞している。また、無自覚のうちに犬士となっていた者の名を次々と挙げ、自らも「仁」の宝珠に選ばれた犬士だと打ち明けた。

対馬 (つしま)

内藤吉十郎孫兵衛と行動を共にしている男性。センターパートのロングヘアにしている。周囲の邦人より明るい髪色だが、眉毛などの体毛は黒く、無精ヒゲを生やしている。半袖のTシャツにEVISUのジーンズ、裏にジャンプマンが刻まれたスニーカーを合わせている。主武装はM4カービンで、M1911シリーズの拳銃や切り詰めたように短い散弾銃も所持している。また、有事に装備する迷彩柄のタクティカルベストと背嚢(はいのう)には弾薬、M67に似た手榴弾(しゅりゅうだん)、スモークグレネード、通信機器などの文明の利器が詰め込まれている。銃器の扱いばかりか、無線起爆装置を用いた敵の足止めなども平然とやってのけるが、当人は「ただのヤクザ」と主張している。その正体は「時間」を利用し、さまざまな時代を行き来する旅人。タブレット端末の写真データから、西暦2009年に滞在していたことが明らかになっている。周囲からは孫兵衛の従者と認識されているが、互いに軽口を飛ばしたり、体調を慮ったりするほどの信頼関係があり、実態としては相棒に近い。一方で、他人に対しては警戒心が強く、銃をつきつけて威嚇することも多い。諏訪神社で出会った犬塚信乃たちのことも信用していなかったが、成り行きから協力することになり、お市の率いる軍勢と激闘を繰り広げた。比叡山に腰を落ち着けてからも警戒は解かず、孫兵衛が「時間」の詳細を打ち明けると語った際には、魔女狩りのような状況に陥ることを恐れて反対した。安土城の戦いには犬士隊の一員として参戦した。なお、伏姫の御霊は「千里眼と従者は八犬士」と告げていたが、孫兵衛は「対馬は犬士ではない」と断言している。

アルベルト

戦国時代には存在するはずのないボストン・テリア。比叡山に焼き討ちが行われたタイミングで日吉神社の宮司の前に姿を現し、彼を山上に誘って言外に「ある人物」を待つように告げた。その後、凄まじい速度で戦場を走破し、崩壊を始めた安土城へ突入。塔を駆け登って対馬たちと合流し、織田信長との決戦に臨む内藤吉十郎孫兵衛を見送った。エピローグにも登場している。

座主 (ざす)

比叡山にある延暦寺の座主を務める長身の老人。目元が弛(ゆる)んでおり、眉毛は白く長い。頭巾を被り、袈裟(けさ)を着けている。ゝ大が持ち込んだ伏姫と八房の身体を秘密裏に根本中堂に運び込ませ、専門外と嘯きながらも、彼女たちの御霊が現世に留まっていることを看破した。この際、万全を期すために日吉神社の宮司を招き、彼の見解を問うている。その後も宮司とは情報共有を密にして、日ノ本を狙う「闇」の勢力に抗う術を探り続けた。物見に出ていたゝ大から桶狭間の戦いの様子を聞かされると、織田信長を警戒するようになった。やがて蒙古(もうこ)襲来を超える未曽有(みぞう)の危機の到来を予感し、信長に立ち向かうための準備に着手。犬飼現八を派遣して全国の武将に協力を呼び掛け、今川氏真を総大将とする連合軍を成立させた。この連合軍には武田、上杉、浅井、浅倉など名だたる武将が呼応し、筒井と三好も京都の守備を買って出ている。しかし、過剰とも思える戦力をそろえながら慢心せずに短期決戦の必要性を訴え、犬士隊を組織して安土城への突入と信長の撃破を命じている。これは天下を狙う武将ならば状況を見て戦線からの離脱、連合軍からの離叛(りはん)もあり得ると予想したからで、実際に守備を担当していた浅井と浅倉が裏切り、比叡山に焼き討ちを仕掛けている。比叡山が炎上すると、炎を免れる運命と聞かされていた瑠璃堂へ避難した。この際、僧侶たちに伏姫の身体の守護を厳命している。

宮司 (ぐうじ)

比叡山にある日吉神社の宮司を務める老人。小柄な体型で目は落ち窪(くぼ)み、眉毛がない。烏帽子(えぼし)を被り、浄衣を着ている。物事の核心に触れる時、目を見開く癖がある。険しい山道を軽快に跳ね登るほどの身体能力の持ち主だが、長距離の移動が必要な場面では神輿(みこし)に乗ったり、人に背負われたり、自分の足で歩くことを避ける描写が多い。延暦寺の座主の要請に応じて、眠り続ける伏姫の様子を観察し、私見を述べた。この際、未知の「闇」との戦いは既に始まっていると宣言し、座主に僧兵の鍛錬の具合を問うている。その後も頻繁に延暦寺を訪れ、座主の相談に乗っている。永禄3年の7月には亀卜によって内藤吉十郎孫兵衛の存在をいち早く察知した。この際、大まかな居場所をつかむことにも成功しているが、敵味方の判断については伏姫の託宣を頼ることになった。孫兵衛との対面が叶うと、地表を覆う黒い水を通して比叡山が焼き討ちされる様子を何度も見ていると打ち明けた。この際、黒い水の正体が「時間」であることを聞き出している。また未来から来た孫兵衛が、この時代に存在した痕跡を残すべきではないと考えて改名をうながし、占いで導いた「犬江親兵衛」の名を与えた。なお、宮司は耶蘇教を日ノ本の八百万(やおろず)の神々と仏の教えを全否定する宗教と認識している。そのため、九州の大半を大友義鎮が平定したことに難色を示していた。座主は宮司の態度から「耶蘇教と日ノ本の信仰はいずれ敵対する」との考えを汲(く)んで、続く言葉を引き出そうとしたが、宮司は明言を避けている。

里見 義実 (さとみ よしざね)

安房国(あわのくに)の武将である中年男性。揉み上げと口ヒゲ、顎ヒゲがつながった彫りの深い顔立ちをしている。梨子打(なしうち)烏帽子を被り、背中に引両紋の入った陣羽織を着て、細工の施されたコンタツを所持している。領地は数年前から飢饉に見舞われ、国力は低下の一途を辿っている。現在は山下定包に侵攻され、居城での籠城を強いられている。兵士共々、水だけで生き長らえている状況で、軍師の義成(よしなり)から保って1日と通達されるまでに追い込まれていたが、逆転の秘策を託して送り出した嫡女、伏姫の帰りを待ち続けた。伏姫が帰還すると、道中で彼女を救った犬塚信乃と額蔵の労を労(ねぎら)い、伏姫の警護役に勧誘した。「神の狗、八房に定包の討伐を一任し、その首と引き換えに心身を捧げる」という伏姫の提案を認めたことで信乃たちから正気を疑われているが、結果として八房は定包の討伐に成功している。しかし、民のためにも領地を復興すると決意を新たにした矢先に、妖婦、玉梓の呪いの連鎖に巻き込まれ、呪いに侵された義成に背後から刺されて死亡した。その後、呪いに侵されて伏姫を殺そうとするが、宝珠の力に怯(ひる)んで未遂に終わっている。逃走した里見義実の亡骸は山下軍の本陣で発見された。実在の人物、里見義実がモデル。

犬田 左衛門之介 (いぬだ さえもんのすけ)

島津家の家臣にして、小文吾の主人の男性。薩摩弁を使用し柔和な顔立ちをしており、折烏帽子を被っている。猛々(たけだけ)しさを美徳とする薩摩隼人(はやと)でありながら、生類を憐(あわ)れむ心優しい性格の持ち主。荒くれ者の木下とは水と油のような関係で、昼行灯(ひるあんどん)と揶揄(やゆ)されている。犬を標的に騎射技術を競う「犬追物(いぬおうもの)」に参加した際には、犬の痛みを想像して一矢も射ずにやり過ごし、御禁制の鉄鏃で犬(ワンコ)を不当に傷付けた木下を窘めている。また、負傷したワンコを小文吾に連れ帰らせ、妻の菊乃に治療させているが、一連の行為を「島津家の財産を盗み隠匿した」と見なされ、木下に罪を追及される結果となった。この際、菊乃を蹴り飛ばされたことに激怒して抜刀するも、木下に首を斬られて死亡した。小文吾に与えた最後の命令は犬を連れて逃げろという内容で、小文吾に「主人を見捨てた」という負い目を抱かせると同時に、のちの運命を大きく左右することになった。なお、小文吾が比叡山に落ち着いてから名乗り始めた「犬田」という苗字(みょうじ)は犬田左衛門之介に肖って付けたものである。

ワンコ

騎射の腕を競う「犬追物」の標的として育てられていた犬。体毛は明暗のツートンカラーで、目の上に眉毛のような模様があり、耳はピンと立ち、尻尾はボリュームがあり垂れ下がっている。「犬追物」では殺傷力を削(そ)いだ専用の鏃(やじり)を使うのが作法だったが、木下に鉄鏃で射られて負傷し、狩場から逃亡した。捜索に駆り出された小文吾は、苦痛を長引かせないために介錯するべきと考えていたが、救いを求める声が小文吾に届き、犬田左衛門之介の判断で治療を施された。しかし、島津家の財産を不当に持ち去ったとして左衛門之介は処罰され、小文吾に連れ出されて屋久島に流れ着いた。漂着から間もなく按司加那志に保護されて小文吾と離れ離れになっているが、のちに再会して彼を按司の隠れ家に案内した。この頃には矢傷が完治して、その頑丈さを評価されている。小文吾や按司に懐いていたが、穏やかな時間は長続きせず、木下の放った追手から按司を逃すための囮となった。のちに満身創痍(そうい)の小文吾の前に姿を現し、「悌」の宝珠を授けている。なお、死亡する場面は描かれていないが、薩摩国で島津軍と大友軍の戦いが勃発した際に琉球の英霊に混ざって登場し、島津軍の砲撃から按司を守っている。

按司加那志 (あじがなし)

屋久島で暮らしている少女。小麦色の肌で、前髪を切りそろえたツインテールの髪型にしている。バンドゥ・ビキニのような服を着て、腰部に太もも丈のパレオを巻き、中国風の両刃(もろは)直剣を帯びている。健康ながら、言葉を発さずに生活している。その正体は、琉球王国第二尚氏第五代国王、尚元王の娘である首里大君、按司加那志。「聞得大君(きこえおおきみ)」「聞得大君加那志(チフイジンガナシ)」と呼ばれる最高位の巫女(ノロ)にして、世襲制の特別な神人(カミンチュ)であり、あらゆる災いから琉球を守護する一子相伝の力を秘めている。ただし、言葉を発するのは生涯に一度、「龍」を呼ぶ時だけで、その消滅と同時に死ぬ運命にある。10年ほど前に首里城が島津軍の襲撃を受けた現場に居合わせていたが、当時は幼すぎて力を行使できず、屋久島に落ち延びた。現在は茂吉一家と長老の爺っさましか知らない秘密の場所に住んでいる。小文吾が流れ着くと、危険を顧みず胸骨圧迫で蘇生(そせい)させたが、島民に見つかることを恐れ、すぐに立ち去っている。のちに爺っさまの判断で小文吾に護衛を依頼することになり、小文吾に守られて木下の追手から逃げ回った。逃避行の最中には自害を試みたり、満身創痍の小文吾に慈悲を与えようとしたり、何回も極限状態に追い込まれているが、宝珠の力で覚醒した小文吾の奮闘により生き長らえた。その後、大友軍の軍艦で薩摩国へ赴き、琉球の英霊たちを従えて島津軍と交戦した。「龍」を呼んで海上の島津軍を焼き尽くす大戦果を挙げるも、自らの命を燃やし尽くし、その生涯を終えた。現世を去る直前には小文吾の奮闘を労い、不滅の悪魔を祓(はら)う方法を示している。なお、薩摩に駆けつけた際には髪を解いて巫女装束に着替えていた。

(なーが)

歴代の「聞得大君加那志(チフイジンガナシ)」が、琉球王国を侵略から守るために呼んだとされる巨大な龍。鋭い牙と爪を持ち、瞳孔はワニのように縦長で、体長は軍艦の数十倍もある。島津軍との海戦に臨む按司加那志の呼び掛けに応じて、噴煙の中から姿を現した。その戦力は圧倒的で、島津軍の軍艦に搭載されたフランキ砲の照準の及ばぬ上空から炎を噴射し、島津軍の船団を一方的に壊滅させている。なお、小文吾の夢の中に登場したことがある。この時、己を偽ることを止(や)めて秘められた力を解放し、「光に覆われし者」を助けるように告げているが、小文吾を無駄に驚かせる結果となってしまった。

茂吉 (もきち)

屋久島で木こりを生業とする中年男性。口ヒゲを蓄え、顎に無精ヒゲを生やしている。かつては月代(さかやま)を剃(そ)り髷(まげ)を結っていたが、現在は落武者のような髪型をしている。妻子持ちで、薩摩弁をしゃべる。面倒見がよく、浜辺に打ち上げられていた小文吾を家に置いて世話を焼いていた。しかし、木こりの仕事を手伝いたいという小文吾からの申し出を拒否するなど、山に何かを隠している素振りがあり、ある夜には小文吾を納屋に寝かせ、外から施錠する念の入れようだった。のちに耶蘇教の信徒であること、島ぐるみで宣教師のフェルナンを匿(かくま)っていたことが判明する。また、長老の爺っさまの判断で、小文吾に一部の島民にしか存在を知られていない琉球王国の王女、按司加那志を紹介した。この際、琉球王国の出身で、10年前に幼い按司を連れて屋久島に逃げ込んだことを打ち明けている。木下が現れると、小文吾に按司の護衛を託し、自らは追手を食い止める役目を担った。この際、茂吉と同じく王家に仕えていた妻のウミ、小文吾と絆(きずな)を深めていた幼い息子の小吉(こきち)も武器を取り奮戦している。彼らが死亡する場面は描かれていないが、薩摩国で島津軍と大友軍の戦いが勃発した際には、琉球の英霊として登場し、島津軍の砲撃から按司を守っている。その傍らには同じく英霊と化した妻子の姿もあった。

爺っさま (じっさま)

屋久島の長老。腰の曲がった禿(はげ)頭の老人で、目は閉じているように細い。眉毛は筆先のように豊かで、口ヒゲと顎ヒゲを蓄えている。杖(つえ)をついており、薩摩弁をしゃべる。浜辺に流れ着いた小文吾の処遇について、トラブルを避けるために海に捨てるべきという島民の意見を否定し、島に受け入れるよう説得した。フェルナンの判断で小文吾が「神ノ家」に招かれると、フェルナンから聞いた日ノ本に上陸した悪魔の話や、琉球王国を襲った悲劇について語り聞かせた。また、小文吾が侍であることを見込んで、按司加那志の護衛を依頼している。木下の暴虐によって多くの島民が命を落とすことになったが、爺っさまは生き長らえ、島津軍との戦いを控えた大友軍と合流した。薩摩国ではゝ大と同じ船に乗って登場し、按司の用いる超常の力の解説役を担った。

フェルナン

耶蘇教の宣教師(パードレ)である南蛮人の男性。背が高く、顔の下半分はヒゲに覆われており、首からコンタツを提げている。15年前、日ノ本を目指す南蛮船に助修士(イルマン)として乗船していた。しかし、2年もの月日を費やした船旅も終わろうかという時期に、船員が次々と食い殺される事件が発生し、嵐の海に飛び込んで難を逃れ、屋久島の浜辺に打ち上げられた。現在は山中の「神ノ家」に潜んで弾圧から逃れている状況だが、定期的に信徒を集めて礼拝を実施したり、告解を受けたりしている。衰弱した小文吾に薬を与えるなど薬師のような役目も担っており、異人でありながら島民からの信頼は厚い。木下が現れると、島民の身を案じて出頭し、狼藉(ろうぜき)を中止するよう毅然(きぜん)と言い放った。しかし酷(ひど)い暴力を受けたり、裸に剝(む)かれて馬のまねをさせられたりと、人としての尊厳を傷付けられる結果となった。その後、信徒を従わせるための人質として利用された挙句、用済みになると火炙りに処された。この際、棄教を拒んだ信徒の多くが、フェルナンが磔にされた十字架に縋り付いて焼け死んでいる。なお、フェルナンは息があるうちに小文吾によって十字架から解放されたが、既に瀕死(ひんし)の重傷を負っており、小文吾にコンタツを託して事切れた。

大友 義鎮 (おおとも よししげ)

豊後国(ぶんごのくに)の武将である男性。口ヒゲを蓄えている。白檀塗浅葱糸威腹巻(びゃくだんぬりあさぎいとおどしはらまき)に似た甲冑を身につけている。熱心な耶蘇教の信徒で、正しき耶蘇大名と評されている。島津家と同盟を結び、九州を平定するべく戦っていたが、島津貴久の豹変を受けて同盟を破棄した。現在は島津家と敵対しており、大友領は貴久を見限った信徒たちの逃げ場となっている。島津家の猛将が奇習「ひえもんとり」に参加しているあいだに軍を動かすべきというゝ大の提案を受け入れ、島津家に支配されていた琉球王国に水軍を差し向け、解放を成し遂げた。また、自ら兵を率いて薩摩国に侵攻し、出城を攻略するなど活躍している。その後、貴久の居城である内城へ押し寄せ、天守閣に砲撃を命中させているが、火山が噴火したので攻撃を中止し、炎に包まれた城下町から島津の領民を救うべく奔走した。この際、「ひえもんとり」を実施するため、戸内に閉じ込めた領民の救助を行おうとしない貴久の所業を悪魔的と批判した。また、島津軍から集中砲火を浴びても現地に踏み止まって救助を続行するなど、信徒からの評価に恥じない行動をしている。なお、永禄3年の春までに九州の大半を平定したことが明らかになっている。実在の人物、大友義鎮がモデル。

伊集院 忠明 (いじゅういん ただあき)

島津家で家老を務めていた熟年の男性。目は細く垂れており、顎には薄く無精ヒゲが生えている。かつては月代を剃って髷を結っていたが、現在は月代の手入れがされておらず、髪が疎(まばら)に生えた状態になっている。慈悲深く熱心な耶蘇教の信徒であり、コンタツを所持している。城内の見回り中に島津貴久が妻の肝を口にする場面を目撃し、貴久が悪魔のような存在に取って代わられていることにいち早く気づいた。しかし、貴久から殺人の罪を着せられ、投獄されてしまう。ほどなくして奇習「ひえもんとり」への参加を強いられ、家老の立場から一転して、島津家に仕える猛将たちに生き肝を狙われる立場となる。逃亡の最中には「ひえもんとり」への参加を強制されていた犬塚信乃と左母二郎を安全な路地へ導いたり、彼らに島津家に起きている異変について説明したりと、現地ガイドのような役割を担っている。また、このままでは日ノ本は悪魔の餌場になると危機感を煽(あお)り、正しき耶蘇大名の大友義鎮に協力して悪魔を駆逐する必要があると訴えた。のちに念願だった義鎮への目通りを果たしている。実在の人物、伊集院忠朗がモデル。

犬塚 番作 (いぬづか ばんさく)

犬塚信乃の父親。諱(いみな)は「一戍」。里見家の家臣の家柄で、往年は家宝の妖刀「村雨丸」を手にして、数々の戦場を駆け抜けた。武蔵国大塚村の生家に戻った段階で家督と村長の座を姉夫婦に奪われ、これを機に「大塚」の苗字を捨て、「犬塚」と名乗るようになった。妻の手束(たつか)とのあいだには三人の子供がいたが、うち二人は夭折しており、生き残った末子が信乃である。手束の死後は信乃に武芸の手解きをしながら、自給自足の生活を送っていた。しかし、信乃が11歳の頃に番作の姉の亀篠(かめざさ)、彼女の夫で番作の義兄でもある蟇六(ひきろく)が村雨丸と御教書を盗み出そうとする事件が発生。信乃が育てていた犬の与四郎の活躍で盗難こそ免れたが、御教書を与四郎に踏み汚されてしまい、切腹を余儀なくされた。なお、腹を切る際に村雨丸の継承権が信乃にあることを認めさせている。

与四郎 (よしろう)

犬塚信乃が4歳の頃に飼い始めた犬。垂れ耳で体毛の大部分が明るい色で、頭部の一部は暗い色をしている。犬塚番作と剣の稽古をしていた信乃に加勢して勝たせたことがあり、番作から「よい家来」と評されるようになった。番作の姉の亀篠(かめざさ)と番作の義兄の蟇六(ひきろく)が犬塚家の家宝を盗もうとした際には、彼らの腕に嚙み付いて家宝を守ろうとした。しかし、やり過ぎて御教書を汚し、番作の切腹という悲劇を招いている。これをきっかけに信乃に追い出されて行方(ゆくえ)知らずとなり、村はずれの川で死んでいたとの噂も流れていたが、犬士たちを導く犬の1匹として現れ、信乃と7年ぶりの再会を果たした。その姿は当時より老け込んでおり、浜路から「ヨボヨボ」と笑われてしまったが、豪華な宿屋に宿泊したり、浜路と温泉に浸かったりと束(つか)の間の充実した時間を過ごし、笑顔で消えていった。与四郎との思いがけない再会は、己の在り方に思い悩んでいた信乃に当時を振り返らせ、自分を見つめ直すきっかけを与えることになった。

玉梓 (たまずさ)

「妖婦」「毒婦」と恐れられている女性。爪が鋭く尖(とが)っている。引眉して殿上眉を描き、お歯黒を塗っている。頭髪は引きずるほど長く、掻き上げた前髪に髑髏(どくろ)がデザインされた櫛と2本の簪(かんざし)を挿している。また、華美な着物を前帯で着用し、室内外を問わず裸足で行動している。その正体は、エウロッパから来日した耶蘇教の悪魔。忌み名こそ明かされていないが、ベルゼブブ(扇谷定正)やアモン(島津貴久)と同格の強大な存在で、天変地異を起こしたり、身体から迸(ほとば)る闇でほかの生物を蝕んで意のままにあやつったりすることができる。また、首を落とされても滅びず、烏(からす)に姿を変えるなどして逃亡できる。山下定包を利用して南総里見領を攻めていたが、神の狗、八房に定包を討たれ、玉梓自身も傷を負ってしまう。しかし、転んでも只(ただ)では起きず、八房の身体を侵蝕して里見義実の居城に送り込み、間接的に義実を殺害した。この際、伏姫を手に掛けようとしているが、宝珠の力に怯んで撤退している。その後、浜路ら村人を人質に犬塚信乃を誘引し、彼を自害させる寸前まで追い込むも、またしても宝珠の力に屈して逃げ去った。この戦いをきっかけに信乃の肉体を欲するようになり、その後も場所を変え、姿を変えて幾度も犬士たちの前に立ち塞がった。なお、玉梓が呪術を使用する際に唱える呪文は「メルゼブルクの呪文」から引用されている。

山下 定包 (やました さだかね)

南総里見領の支配を目論む隣国の武将。揉み上げと口ヒゲ、顎ヒゲがつながった強面(こわもて)の中年男性で、髻を結って陣羽織を着ている。数年も続いている飢饉を好機と見て、里見領への侵略を開始した。食糧難に喘(あえ)ぐ里見の領民から略奪を行うなど容赦ない遣(や)り口で連勝を重ね、里見義実をジリ貧の状況まで追い込んでいた。義実の居城を完全に取り囲み、領民からも落城は時間の問題という声が出ていたが、本陣に現れた神の狗、八房に首を捥(も)がれて死亡した。その後、山下定包の首は八房によって義実の居城に運び込まれている。なお、妖婦、玉梓の呪術に頼って戦を有利に進めていたと目されている。義実の見立てによれば、そもそも里見領の不作を加速させていた異常気象も玉梓によって引き起こされたものである。

安西 景連 (あんざい かげつら)

南総里見領を支配しようとしている武将。口ヒゲを蓄えた中年男性で、梨子打烏帽子を被っている。里見義実と山下定包の死後、玉梓に入れ知恵されて近隣の村民を人質に犬塚信乃を誘き出し、伏姫の行方を聞き出そうとした。信乃が現れると、玉梓にうながされて人質の大半を殺害したばかりか、この地の新たな支配者が自分であることを知らしめるための行為であると笑顔で語り、信乃から鬼畜と罵られた。槍(そう)兵隊と弓兵隊による波状攻撃で信乃を消耗させ、自害を意識させるほどに追い込んでいるが、神の狗、八房の御霊が呼び寄せた犬の群れに襲われて死亡した。安西景連の亡骸は首を落とされた玉梓の一時的な器として利用され、信乃と激闘を繰り広げるも、宝珠から放たれた雷のような力に打ち据えられて敗北し、捨て台詞(せりふ)を吐いて消え去った。

扇谷 定正 (おうぎがやつ さだまさ)

室町幕府関東管領の座にある男性。官名は「修理大夫」。肥満体の禿(は)げた大男で、目は細くつり上がり、腰部のみを布で覆い隠している。食欲旺盛で、手づかみでくちゃくちゃと音を立てて食べる悪癖がある。城下町や近隣諸国で罪人や溢(あぶ)れ者を標的とした「人狩り」を行い、集めた人間を自らの拠点である佐倉城に設(つら)えた闘技場で戦わせ、見世物にしている。闘技場に併設された特等席のような天守閣から試合を眺めており、断末魔を聴きながらの食事が何よりの楽しみと語っているが、試合そっちのけで食事に夢中になっていることが多い。その正体は、エウロッパから来日した耶蘇教の悪魔「ベルゼブブ」。七つの大罪の一つ「大食」を象徴する存在で、15年前に犬飼現八の故郷を襲い、村人を食い尽くした張本人である。闘技場を運営しているのも人間を蠱毒のように殺し合わせ、生き残った強者の肉を食べて、強大な力を得ようと企んでいるからである。南総里見領から玉梓が転がり込んで来ると、彼女が執着する犬塚信乃に興味を示し、現八に捕縛させた。しかし捕食はせず、その身柄を玉梓に委ねている。犬士として覚醒した現八に襲撃された際には、関東官僚の座をチラつかせて命乞いしているが、通用せず眉間に鳶口を突き立てられた。だが、肉体を放棄して生き長らえ、巨大なハエの姿に変じて闘技場に閉じ込めた人間の捕食を開始した。姿を変えてからは団結した人間たちの槍衾(やりぶすま)や火矢による攻撃をものともせず、凄まじい勢いで人間を食い殺していたが、やがて小さなハエの集合体であることを看破され、本体である漆黒のハエを現八に潰されて消滅した。実在の人物、上杉定正がモデル。

島津 貴久 (しまづ たかひさ)

内城を拠点とする薩摩国の武将である大柄な男性。エウロッパの技術で鋳造された頑丈な甲冑を着ており、兜(かぶと)はバフォメットの頭骨のような形状で、島津十字が入ったマントを羽織っている。性格は荒々しく、薩摩弁をしゃべる。鉄砲やフランキ砲など、舶来の兵器を駆使して九州を制覇する勢いで進撃を続けていた。家老の伊集院忠明によれば、かつての島津貴久は犬を愛する優しい人物だったが、戦に明け暮れるうちに耶蘇教に救いを求めるようになり、いつしか宣教師の言いなりになっていた。やがて、妻の肝を喰(くら)っている姿を目撃され、悪魔に憑(つ)かれていると疑われるまでになった。その正体は、エウロッパから来日した耶蘇教の悪魔「アモン」が動かす絡繰(からくり)。本来の貴久と入れ替わりに「肝練り」や「ひえもんとり」などの奇習を実施し、人間の生き肝にありついていた。屋久島では木下に罪人の炙り出しを任せていたが、彼が死亡すると事態に介入して軍艦からの砲撃で小文吾を無力化し、薩摩へ連行した。城下に大友義鎮が現れると、領民への被害も顧みず、砲撃を指示した。その後の白兵戦では一対の短刀を逆手に構えて犬塚信乃、犬飼現八、小文吾を圧倒する実力を見せるも、宝珠の力をまとった妖刀「村雨丸」で餓鬼に似た本体を引きずり出され、ゝ大の真言を浴びて消滅した。戦後、貴久が死んでいたことは公表されず隠居扱いとなり、長子の島津義久が家督を継いだ。実在の人物、島津貴久がモデル。

木下 (きのした)

島津家に仕える役人で、強面の中年男性。目の下に大きな隈(くま)があり、口ヒゲと顎ヒゲを蓄え、折烏帽子を被っている。薩摩弁をしゃべる。罪人を取り締まる立場にありながら残虐非道で、犬を標的に騎射の技術を競う「犬追物」に参加した際には、掟破りの鉄鏃を使用し、犬田左衛門之介から注意されている。しかし悪びれることはなく、逆に犬を射なかった左衛門之介を腑抜けと笑い飛ばした。その後、治療を施すために犬を連れ帰った左衛門之介を島津家の財産を不当に持ち去った罪で糾弾し、容赦なく斬首した。のちに耶蘇教の宣教師、犬泥棒、琉球の王女を断罪する任務を帯びて屋久島に上陸。集落に火を放って罪人を炙り出そうとしたり、島民の衣服を剥ぎ取ってコンタツを身につけているか確認したりと、島民の人権を蔑(ないがし)ろにするような蛮行を繰り返した。また、凄惨さに耐えられず姿を現した宣教師のフェルナンを人質にして、耶蘇教の信徒たちに残りの罪人を探し出すように強要している。この際、罪人を差し出せばフェルナンは生かして帰国させると約束しているが、いざ標的の隠れ処が見つかると、約束を反故(ほご)にしてフェルナンを焼き殺した。ほかにも暴虐の限りを尽くしているが、犬士として覚醒した小文吾に敗北し、腹部に十字架を突き立てられて絶命した。

織田 信長 (おだ のぶなが)

清洲城を拠点とする尾張国(おわりのくに)の武将。通称は「上総介」。長身の優男で、腰に届くほどのセンターパートのワンレングスにしている。戦場では織田木瓜(おだもっこう)を意匠に取り入れた南蛮胴風の当世具足とマントを着用し、平時には洋服を着ることもある。砕けた口調で冗談を言ったり、笑みを見せたりもするが、織田信長を遠目に見たゝ大は無慈悲な印象を受け取っている。永禄3年5月19日、上洛(じょうらく)を目論んでいた今川義元を桶狭間で襲撃。自ら先頭に立って奇襲を仕掛け、大将首を挙げた。この戦いを見届けたゝ大は10倍もの兵力差を覆した信長の強さに戦慄し、彼に対峙(たいじ)できるのは犬塚信乃のような「光」に選ばれた者だけと悟っている。その正体は、エウロッパから来日した耶蘇教の悪魔「ルシファー」で、眉間を銃で撃たれても死なない。脳を食べて相手の知識を得たり、鳥の目を通し遠方の様子を探ったり、身体を変形させて相手を拘束するなどの異能を持つ。特に亡骸を死人として従える能力は強力で、桶狭間の主戦力も死人だった。のちにお市から信乃の存在を報(しら)され、死人を用いて討伐するように命じた。死人を手配する一方で、自らは安土城の建造に着手。短期間でバベルの塔を彷彿(ほうふつ)とさせる巨塔を建て、犬士たちを驚嘆させた。内藤吉十郎孫兵衛が安土城に忍び込んだ際には、人を呼ぶこともなく対話を持ち掛け、「時間」が見えていることを明かしている。また、耶蘇教や日ノ本の神仏に対する自らのスタンスを語り、真の敵は地上ではなく天に存在すると宣言した。さらに、犬士に関する重大な秘密を暴露している。安土城が連合軍に包囲されると、橋を落として籠城の構えを見せた。また、砲弾に火薬を仕込んだ最新式の大筒で応戦し、殺害した敵兵を即座に死人に変えて戦わせるという、えげつない戦法を披露している。実在の人物、織田信長がモデル。

お市 (おいち)

織田信長の妹。おかっぱ頭の少女で、花と蝶が描かれた着物を身につけている。遠目には愛らしいが、その瞳は暗く、歯は肉食獣のように鋭い。信長には慇懃(いんぎん)な態度を崩さないが、家臣には辛辣で口汚く罵る場面もある。犬塚信乃の居場所をつき止めると、信長から与えられた軍団を率いて急行し、信乃たちが立て籠もる諏訪神社を攻撃した。使用した軍勢は生者と死人の混成軍で、死人では扱いが難しい鉄砲や火矢による遠距離攻撃も可能だった。自ら馬に跨(またが)って前線で指揮を執り、序盤こそ戦いを有利に進めて上機嫌だったが、神社の防衛機構である結界に死人の進軍が阻まれると、機嫌を損ねて味方を罵倒するようになった。この際、天罰を恐れて神社への攻撃を躊躇していた生者を見せしめに舌で刺殺し、攻撃を強要している。結果として恐怖につき動かされた生者が結界を破り、再び死人による侵攻が可能となった。自らも神社の守護獣を撃破するなど活躍している。その後、森山まで信乃たちを追撃するも、木落としの計略により軍勢を失い、お市自身も木落としに巻き込まれて首を捥がれている。その正体は、佐倉城で信乃に敗れてから姿を眩(くら)ませていた玉梓。なお、玉梓が「妖婦」「毒婦」と恐れられていたのに対して、お市は「妖女」と表現されている。実在の人物、お市の方がモデル。

集団・組織

犬士隊 (けんしたい)

内藤吉十郎孫兵衛がリーダーを務める部隊。延暦寺の座主から直々に織田信長の打倒を命じられた少数精鋭の決死隊で、安土城へ送り込まれた。犬士隊と名づけられているが、宝珠に選ばれた犬士であるゝ大と八房は参加しておらず、選ばれていない浜路と対馬が加わっている。また、安土城を目前にして額蔵が合流した。突入後は次々と人員を失いながらも、生き残った隊士が頂上にたどり着き、信長に最後の戦いを挑むことになった。

場所

比叡山 (ひえいざん)

延暦寺の山号にもなっている霊験灼然(しゃくぜん)な山。生死の狭間と呼ばれる状態に陥った伏姫と八房の肉体が運び込まれ、犬士たちの生活拠点としても利用されるようになった。比叡山には延暦寺が建立されるより古くから日吉神社が存在しており、伏姫を受け入れた延暦寺の座主は日ノ本を覆いつつある未曽有の危機に立ち向かうべく、日吉神社の宮司と盛んに交流するようになった。のちに、織田信長の息が掛かった者の手によって火が放たれ、大部分が焼失してしまう。なお、未来を知る内藤吉十郎孫兵衛は事前に焼き討ちは免れないこと、瑠璃堂が焼け残る運命にあることを関係者に報告していた。

諏訪神社 (すわじんじゃ)

信濃国の一之宮として知られている神社。四つの神社から成り立っており、諏訪湖の南側に上社・本宮と上社・前宮、北側に下社・春宮と下社・秋宮がある。社格に反して地上に人影はなく、その様子は廃墟にたとえられた。地上が閑散としている一方で、神社を南北に分断する諏訪湖の底には大量の死人が潜み、獲物を求めている。「千里眼(内藤吉十郎孫兵衛)」を探して諏訪神社を訪れた犬塚信乃たちは下社・秋宮で孫兵衛、対馬と出会い、協力して諏訪からの脱出を図ることになった。お市が軍勢を率いて現れると、信乃たちは堀を有する上社・本宮へ逃げ込み、バリケードを設置して死人の進軍を阻もうとした。本宮の四方に設置されている御柱、境内にある狛犬(こまいぬ)と獅子(しし)の石像は神域を守護する防衛装置になっている。御柱は結界を張り巡らせて死人の侵攻を阻み、石像は霊的な狛犬と獅子を出現させて死人の群れに牙を剝いた。しかし、結界はお市に従う生者に御柱を切り倒されて消失、狛犬と獅子はお市との直接対決に敗れて消滅した。なお、勅願殿の先には御神体である森山が聳(そび)えている。こちらはお市との決戦の舞台になり、急斜面に御柱をすべらせる神木落しが決行された。

佐倉城 (さくらじょう)

下総国にある扇谷定正の居城。バラックを山型に寄せ集めたような見た目の城下町は荒廃しているが、女郎屋などの娯楽施設も存在する。頂上には円形の闘技場があり、遠方から視認できるほど巨大な仁王像が屹立している。闘技場には天守閣に相当する櫓(やぐら)があり、定正が試合を観戦する特等席のように扱われている。試合に駆り出される闘士の多くは近隣から「人狩り」と称して集められた犯罪者だが、犬飼現八など幼い頃に身売りされた者も混在しており、平時は闘技場の地下に幽閉されている。闘士たちの殺し合いは賭けの対象になり、試合の時間になると城下町の住民が殺到し、会場は熱狂の渦に包まれる。闘技場を視察した犬塚信乃は「狂っている」と評したが、不幸にも試合に参加することになり、観客にまで首を狙われる事態に陥ってしまった。その後、闘技場は定正の手下によって火が放たれ、人間と悪魔の戦いの舞台となった。闘技場を焼いた炎は城下町に飛び火し、お駒が働いていた女郎屋も被災している。なお、城下町の麓には信乃と現八が対決した芳流閣がある。芳流閣はシャチホコのある立派な建物で、城下町でも際立って大きい。『南総里見八犬伝』にも同名の建築物が登場している。

安土城 (あづちじょう)

比叡山から見て淡海の対岸、安土の辺りに出現した謎の建造物。西洋建築で、周囲を幅広い堀に囲まれており、陸地とは1本の橋で結ばれている。湾上のモン・サン=ミシェルを彷彿とさせるデザインだが、本丸には天守閣の代わりに巨大な塔が屹立し、日を追うごとに高くなっている。その威容は250年もの時を生きる内藤吉十郎孫兵衛が一目で腰を抜かしたほどで、この時代が本来とは違う歴史を歩んでいることを彼に気づかせるきっかけになった。織田信長が地上を支配し、天上への挑戦を見据えて築かせた。伝説に準(なぞら)えて「バベルの塔」とも呼ばれるようになる。偵察に赴いた孫兵衛は信長との対話を経て、安土城を「洪水(「時間」)から逃れるためのシェルター」と結論づけている。永禄3年11月3日には死人を主力とする織田軍と、今川氏真を総大将とする連合軍のあいだで天下分け目の戦いが勃発。安土城の内外で熾烈(しれつ)な戦いが繰り広げられた。

その他キーワード

宝珠 (ほうじゅ)

徳を成した者に力を与える半透明の球体。大きさは人の眼球ほどで、八つ存在し、それぞれ「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」のいずれかの文字が入っている。もともとは南総の修験者が里見家に託した数珠の一部であり、伏姫が数珠の状態で所持していた。伏姫が玉梓の呪いに侵された里見義実に襲われた際、不思議な力を放って伏姫の身を守り、やがて四方八方に飛散した。この宝珠に選ばれた者は犬士となり、覚醒すると人間離れした身体能力を発揮できるようになる。また、犬士が窮地に陥った際に宝珠が独りでに動き、不思議な力で悪(あ)しき者を打ち据えることもある。犬飼現八に「信」の宝珠を手渡した老婆は宝珠について「光に在る者からの借り物」と語っているが、詳細は不明である。なお、飛散せずに残った100個の小さな珠はゝ大が拾い集め、数珠として使用するようになった。

村雨丸 (むらさめまる)

犬塚信乃が愛用する打刀(うちがたな)。雫(しずく)がしたたるほど刀身が濡(ぬ)れている。透鍔(すかしつば)が付いているが、柄巻は施されていない。左母二郎からは「柄巻なしのバカ刀」と貶(けな)されているが、実際に村雨丸を握ったことのある犬飼現八は「柄木の鮫(さめ)皮が掌(てのひら)に吸い付く」「抜けば玉散る氷の刃(やいば)」「まさに妖刀」と村雨丸を絶賛している。その切れ味も妖刀と呼ばれるに相応(ふさわ)しく、信乃は数々の戦いで村雨丸を使用し、血路を開いている。もともとは信乃の祖父が永享12年(西暦1440年)に勃発した結城(ゆうき)合戦での勲功を認められて鎌倉公方から拝領した刀で、犬塚番作も数々の戦場で村雨丸を使用していた。番作の姉夫婦に盗まれそうになったこともあるが、この時は信乃の愛犬の与四郎の活躍によって阻止されている。その後、番作から村雨丸を受け継いだ信乃は肌身離さず佩刀(はいとう)するようになったが、没収という形で2度も手放している。しかし、失われる度に他者の手を介して信乃の手に舞い戻っている。現八に持ち去られた際には、浜路が対話によって取り戻し、信乃に返却した。薩摩国で捕り方に取り上げられた際には、火事場泥棒に勤(いそし)しんでいた左母二郎が炎上する内城から持ち出し、信乃に返却している。

犬士 (けんし)

不思議な力を秘めた宝珠に選ばれ、「闇」との戦いを宿命づけられた者。宝珠と同数の八人が存在し、総称して「八犬士」と呼ぶ場合もある。犬士は修羅場に瀕(ひん)すると宝珠の力によって覚醒し、屋根に飛び乗ったり、銃弾を弾(はじ)いたり、人間離れした能力を発揮できるようになる。その戦力は幾千万の兵力に匹敵するとまで評されている。また、行く先々に犬が現れ、進むべき道を示してくれたり、馬に姿を変えて目的地まで乗せてくれたりと、さまざまな場面で旅の助けになってくれる。最終的に犬塚信乃、犬飼現八、小文吾、額蔵、左母二郎、「千里眼」こと内藤吉十郎孫兵衛、ゝ大、神の狗、八房の七人と1匹が犬士と明言されているが、物語の序盤に玉梓が将来的に立ち塞がる犬士の姿を幻視した際には、前述のメンバーとは構成が異なっていた。また、伏姫のお告げに「千里眼の従者は犬士」という内容のものがある。この条件に最も近い対馬は犬士隊の構成員として安土城に突入しているが、宝珠に選ばれた犬士ではない。なお、織田信長は犬士たち当人すら知り得ない、重大な秘密を把握している。安土城を偵察した際に信長から秘密を聞かされた孫兵衛はショックを受け、その秘密を対馬だけと共有している。

悪魔 (あくま)

耶蘇教の「闇」を象徴する存在。「堕天使」とも称されており、それぞれ固有の忌み名を持っている。「神」に居場所を追われ、安息の地を求めて大海原(おおうなばら)へ繰り出し、15年前に日ノ本に到達した。助修士として悪魔と同じ船に乗っていたフェルナンの証言によれば、人数は八人。彼らは宣教師の姿で船に乗り込んでいたが、陸地が見えた段階で本性を現し、不要になった船員を食い殺してしまったという。彼らは表に出ることなく日ノ本の各所に潜み、ある者は有力な武将と入れ替わって、ある者は有力な武将を唆(そそのか)して、「神」の力の及ばない日ノ本の支配を進めていた。しかし神の狗、八房の介入によって、玉梓が担当していた南総里見領の支配に失敗。日ノ本の神仏の加護を受けた犬士の存在に気づき、その力を警戒するようになった。悪魔と犬士たちの戦いは場所を変えて幾度も行われ、最終的に悪魔のリーダー格であるルシファー(織田信長)が安土城で犬士を迎え撃つ構図となった。

死人 (しびと)

悪魔の力で動き始めた人間の亡骸。脳を破壊されない限り、首を切断されても動き続ける。飲まず食わずでも活動できるが、知能が低く、肉を求めて彷徨うというゾンビのような特性がある。対馬は諏訪湖に蔓延(はびこ)っていた死人を鳥肉で釣り上げ、地道に駆除していた。桶狭間の戦いでは織田信長が本格的に死人を動員し、数で勝る今川軍を圧倒している。その恐ろしさは戦場で倒した敵を即座に自軍の兵力として利用できる点にあり、信長の差配により、織田軍のみならず今川軍の死人までもが諏訪に差し向けられ、犬塚信乃たちを大いに苦しめた。しかし、邪悪な存在であることから諏訪神社の結界に阻まれ、現場で死人の軍団を指揮していたお市を苛立(いらだ)たせている。のちに安土城の防衛にも死人が利用された。ここでも討死した連合軍の雑兵を次々と死人に変えて戦わせるという悪辣な方法で運用されている。

時間 (じかん)

地表を覆う黒い水のようなもの。その正体は「時間」で、「時間」の津波を利用して別の時代へ移動することもできる。ただし、特定の条件を満たしている者にしか視認できず、内藤吉十郎孫兵衛と対馬だけが正体を把握している状況だった。日吉神社の宮司は、比叡山の下に広がる黒い水を通して比叡山が焼き討ちされる光景を見ることになり、その意味を孫兵衛たちに詰問している。対馬は真実を話せば魔女狩りに遭うかもしれないと考えて、その秘密を打ち明けることに直前まで反対していたが、結果として孫兵衛の意思を尊重し、情報を開示した。彼らが安土城を発見した直後に、別の時代に移動できる規模の「時間」の津波が発生している。しかし孫兵衛は、これまでの歴史と違う展開を見せ始めている織田信長との決着をつけるべきと判断し、不退転の覚悟を口にして、この時代に残留する道を選んだ。のちに信長にも「時間」が見えていたことが判明する。ただし、信長は安土城の下層までせまっていた「時間」を「洪水」と呼称しており、別の時代へ移動する力を秘めていることまでは理解していなかった。

書誌情報

BABEL 7巻 小学館〈ビッグ コミックス〉

第1巻

(2018-05-30発行、 978-4091898760)

第2巻

(2018-10-30発行、 978-4098600809)

第3巻

(2019-02-28発行、 978-4098602285)

第4巻

(2019-06-28発行、 978-4098603220)

第5巻

(2019-12-26発行、 978-4098604692)

第6巻

(2020-05-29発行、 978-4098606221)

第7巻

(2020-10-30発行、 978-4098607549)

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