鬼才と称された将棋棋士、升田幸三は「文化は無駄から発展していくもの」ということばを残したといわれている。同じく、手塚も無駄な事という、ものの捉え方に独特の考えがあった。
将棋にも漫画にも共通して言えるのは、人間が生きていくのに欠かせないものではないという点だ。
人間は将棋や漫画はもちろん、スポーツや音楽、映画といった数多くの文化を築き上げてきました。
手塚は、何かの役に立つからというのではなく面白いからやってみるという好奇心を大切にしている人だった。
結局それが、自分自身にとって実になるということを生まれながらに知っていたのかもしれない。
上のことばと繋がってくるのだが、これは手塚の発言の中でもひととなりを表わすことばとして有名なもの。
手塚に大きな影響を受けたといわれる石ノ森章太郎は、手塚から漫画についてのアドバイスを受けた時、上のようなことばをもらったと言われている。
好奇心を満たすと同時に、一流になりたくば様々な一流を学べということだろうか。
手塚、とにかく物事を柔らかく、多面から捉える人だった。
それは漫画を描くときだけでなく、上のように一般社会にもメスを入れるような考え方にまで及ぶ。
手塚は漫画の対象者でもある「子ども」という存在について非常に熱心に考え、手塚なりの子ども像というものをつくっていた。
「子供は、その時点時点で常に現代人であり、また、未来人でもある」、「時代は移り変わっても、子供たちの本質は変わらない」。
子どもは考えが及ばない未熟者なんかではない、子どもたちに対しての尊敬の念とまでいえる手塚の考え方がうかがえる。
これは手塚本人のことばではなく、手塚の代表作のひとつ、『ブラック・ジャック』の主人公、無免許ドクターのブラックジャックの作中のセリフだ。
上のことばは、声が出なくなったという少女がブラックジャックのもとを訪ねてきて絶対安静の約束をしたが、その少女が約束を破ってしまったがために、ブラックジャックがひとつ罠をしかけた時にその娘に向かって言ったセリフだ。
『ブラック・ジャック』の中には、治そうとする患者側の考え方や覚悟というものがフォーカスされた話が数多く登場し、ブラックジャックもそれを患者に強く要求する場面がまま見られる。
本気で治そうとする相手には只働き同然でも依頼を受ける、ここに手塚の信念めいたものを感じることができるのだ。
いかがだっただろうか。
手塚の思考法で世の人々の心がもっと豊かになるかもしれない。
ぜひ、手塚作品を読み直してみてほしい。