お茶をくれた老婆を探すため、老舗茶屋の娘が改造した大型車で全国を旅していく、お茶が繋ぐハートフル成長物語。静岡県の老舗茶屋「伊井田茶園」の一人娘・伊井田鈴(いいだすず)は、偶然助けた老婆からお礼にと貰ったお茶に魅了されてしまう。お茶のことを聞くために老婆を探しているのだが、手掛かりは全くない。そこにたまたま買った宝くじが高額当選したことで、移動茶店を開き、茶を振る舞いながら老婆を探すことを思いつく。大型車を改造した移動茶店「茶柱倶楽部」で、鈴は旅に出るのだった。
移動販売車というと、カジュアルなものを想像するだろう。しかし、茶柱倶楽部は、本格的な日本茶が味わえる販売車なのだ。経営者の鈴は茶屋の娘である。茶と共に育ったこともあり、自他ともに認める「茶バカ」。宝くじが当たったのを良いことに、美味しいお茶をくれた見知らぬ老婆を探しに、全国を旅しようと考えるのだから、相当のお茶好きである。単純にお茶が好きというだけでなく、知識も技術も豊富だ。日本茶と一口に言っても、産地や栽培方法、加工の仕方によって味も変わる。そして淹れ方によっても変わる。美味しいお茶を飲もうと思ったら、手間暇を惜しんではいけないのだ。とはいえ、自分で飲む分だけを淹れるとなると手間をかけるのが面倒になってしまう、という経験がある人は少なくはないだろう。だからこそ、一番美味しいお茶の飲み方を知っている鈴の淹れるお茶を飲みたくなってしまう。移動販売は場所を選ばない。美しい景色と最高の一杯があればもてなしとして申し分ない。
日本茶に精通している青年が、自身や日本茶を取り巻く様々な問題に直面し、乗り越えていくヒューマンドラマ。ハルカは農林水産省の新米職員。フランスの政府が日本茶の輸入を禁止したため、交渉のために大臣と会い3日後に再び交渉の場を設けることを約束させる。パリ市内の寿司店にやってきたハルカたちは、そこで魔法のように美味しいお茶を淹れる青年、内藤涙(ないとうるい)と出会った。ハルカは大臣と交渉をする際、助けてほしいと頼み込み、涙はワイン好きの大臣を納得させるために一計を案じる。
お茶は茶葉を摘んでおしまいというわけではない。そこから様々な工程を経てお茶になる。涙は京都の老舗茶屋「神那木(かんなぎ)」の筆頭茶師を務めていた男である。茶師とはあまり聞きなれない職業だが、茶の味を決める重要な役割を担っている職人だ。摘んだ茶葉を蒸し、揉んで乾燥させる工程を経た荒茶の品質チェックや選別だけでなく、ブレンドし火入れをし、我々の知っているお茶の形にする。お茶の味を決めるのが茶師なのだ。ワインは熟練の職人が丁寧にブドウを栽培し、手間暇かけて育て加工したからこそ、上質なものになる。それはお茶でも変わらない。だからこそ、美味しい飲み方をしなければ手間暇かけた生産者の意図は伝わらないのだろう。涙は美味しいお茶を作る人だけに、日本人のお茶への興味・関心が薄いことに対し、思うところがある。「自国の文化はほとんど知らない」という言葉は全くその通りであり、耳が痛い。自国の文化を知ることが、最上のおもてなしへの一歩となるのだろう。
人間関係に疲れた30歳OLが、抹茶大好きフランス人女性とシェアハウスをすることになり、奥深い茶の湯と和菓子の世界に興味を持っていくまったり友情物語。茶々原水希(ささはらみずき)は人間関係に疲れて前職を辞め、今は契約社員として働いている。住まいも寮からシェアハウスに移ったが、同性の同居人はおらず、男性フロアは別で一人暮らし状態だった。ある日、管理会社から入居者が増えると連絡をもらう。やってきたのはフランスから来たエマ・ルヴェールだった。歓迎するために和菓子を買ってきた水希に、エマは自分がお茶を点てると言い出す。
茶の湯、すなわち茶道である。茶道というと、日本の伝統的おもてなし要素がてんこ盛りだが、作法が沢山あるという印象が強いだろう。つまり、一般人には少々どころかだいぶ敷居が高い。エマは抹茶が大好きで自分で抹茶を点てるが、水希に最初に振る舞ったときの道具は専用のものではなかった。茶筅(ちゃせん)は使用しているが、茶碗はカフェオレボウルだし、お湯も茶釜で沸かしたものではない。正式な茶会ではやはりもてなす側もお客も作法を守る必要があるが、個人で楽しむ場合であればもっと自由に、気軽に楽しんでよいものともいえる。作中では、茶道は心を落ち着け、自分の芯を見つめなおすものであると表現されている。自分を見つめなおし、真摯な気持ちで茶と向き合って客をもてなす。そんな精神性があるからこそ、伝統的な芸道として茶道が広く伝わってきたのだろう。茶の湯は奥深く懐も深い。
ひょんなことから茶道の宗家と出会った主人公が、意外な才能を発揮しながら茶道の世界にのめり込んでいく、現代歴史ファンタジー。雪吹(ふぶき)なつめは、日常に不満を抱きながらも小さな出版社で働いている。冴えない後輩、田中芳郎(たなかよしお)の仕事を手伝わされたことで残業になったなつめは、帰宅時にイケメン男子を発見する。落とし物を拾ってくれたイケメンは、若手の注目茶人、山上宗刻(やまのうえそうこく)だった。宗刻の主宰する教室へ見学に行った二人。そこで芳郎が意外な才能を見せていく。
人を魅了する美しさには様々な定義があるが、茶道にも美しさの要素が詰まっている。なつめは最初、宗刻のビジュアルに惹かれていたが、茶道の稽古に参加してみて所作の美しさ、そこから見える心の動きに魅了され、茶道の世界にのめり込んでいく。茶を点てる場面では、現代社会の煩雑さとは一線を画した静けさが広がる。その静寂もまた、茶道における美の一つなのだろう。空間を丸ごとプロデュースする芸道ならではの魅力である。芳郎となつめが当番として庭を掃くという場面があるが、一度きれいに落ち葉を取り除いた庭に、芳郎はあえて落ち葉を撒いている。無作為なようでいて一番きれいに見える配置にまかれた落ち葉は、庭が自然な姿で美しく見えるようにという趣向である。ただ散らかしたままにするのではなく、人の手で自然に整えることに意味があるのだ。目で、空気で、舌で、そして精神で人を楽しませる。茶は究極のおもてなしであることを、改めて感じさせる。
日本文化に興味津々なアメリカからの留学生と、茶道家元の不愛想な息子を中心に、高校の小さな茶道部員たちの日常と成長を描く青春物語。ユージーン・オルコットはアメリカからの留学生。武道の一種と勘違いし、偶然居合わせた鳥居樹(とりいいつき)を案内役に茶道部の見学に赴く。茶道部には部長の内藤が一人きりでおり、部室も荒れていた。帰ろうとする樹をなだめ、お茶を点て始めた内藤だったが、斬ったり投げたりという動きがないことを退屈に思ったユージーンが退室しようとした時、樹がお茶を点てると言い出す。
道というのは、一つの物事を通じて真理の追求を体現すること、または自己の修練を行うことを意味する、日本的な価値観を表している。武道は各々武の道を究めるという意味になるわけだが、芸事も芸道と呼ばれ、茶道以外にも華道や書道などにも「道」が付く。港町にある高校の小さな茶道部が舞台なのだが、ナビゲート役となるのは留学生のユージーンだ。「道」が付くから武道と勘違いした、というのは外国人らしいエピソードである。最初は退屈していたが、樹の点てたお茶を飲み、心を動かされて入部を決意した。最初は入部を断っていた樹を巻き込み、茶道部の活動は活発になっていく。茶道部の活動に派手さはないが、部員同士の関係は小規模な部活だけに密接だ。高校生の部活動だからと手を抜くことはない。茶を点て客に提供するという行動から、人との関わり方を学んでいるようにも見える。おもてなしは人と人とをつなぐものだ。彼らの中に、確かな精神が育っていくのを感じる。