あらすじ
難病指定の膠原病(こうげんびょう)が発覚し、何かと体調を崩しやすくなった麦巻さとこは、3年前にそれまでバリバリ働いていた建築関連会社を辞め、唐のデザイン事務所で、週休3日のパート事務員として働いていた。当然のように収入も減ったことから、さとこはそれまで暮らしていたマンションから引っ越そうと、安い物件を探していた。そんな中、不動産会社の営業マンと共に内覧に訪れた団地で、さとこは部屋のオーナーだという美山鈴と知り合う。そして鈴はさとこの様子から、彼女が頭痛に悩んでいることを察し、大根を持って現れる。自分も頭痛持ちだという鈴によれば、大根はのどの炎症を和らげる効果があり、鼻にも効いて頭痛が収まるのだという。言われるがままに大根を口にしたさとこは、鈴に礼を言ってその場を立ち去るのだった。鈴のおせっかいのため、先ほどの部屋はいい物件ながら若い人には勧めにくいのだという営業マンの言葉に、自分はあんな人と気が合うと思われていたのかと憤慨しながらも、次の瞬間、さとこは頭痛が収まっていることに気づく。(エピソード「第1話」)
さとこのもとに、以前働いていた建築関連会社の同僚である小川から、久々に連絡が入った。その内容は、さとことも面識があった、営業部の桜木が亡くなったという話と、その葬儀にまつわることだった。さとこは葬儀への参列を遠慮し、あとで単身お墓参りをすると返答するが、そんな連絡を交わすうちに、小川はさとこと会って話がしたいと言い出す。迎えた当日、さとこは3年ぶりに丸の内を訪れ、当時よく通っていたカフェで小川と再会し、やはり当時よく食べていたカレーを注文する。そして、疲れを隠せない小川の様子を見て、かつて過酷な環境に身を置いていた自分自身を思い出していた。一方の小川は、愚痴もこぼさず、いつもニコニコ働いていた桜木が若くして突然死してしまったことをさとこに伝え、やるせなさを訴えると同時に、さとこが退職した際にも、同じ思いを抱いていたのだと語る。そして後輩からさとこが退職した本当の理由を聞き、その原因を作った吉澤を締め上げたことを明かす。さらにさとこの実力を惜しむ小川は、自分が上司に掛け合うから、会社に戻って来てはどうかと勧めるのだった。今後の自分の身の振り方を考えながら帰路に就いたさとこは、商店街に通りかかったところで、お昼のカレーが思いのほか応えていることに気づき、夕飯はお粥(かゆ)にしようと考える。家でお粥を食べながら、さとこは今自分の身の回りにいる人たちに思いを巡らせ、薄味でゆるくてほっこりと温かい、お粥のような生活が今の自分に合っているのだという考えに至る。そしてさとこは、自分を気遣ってくれた小川に手紙をしたため、最近見つけて気に入ったカレーを同封するのだった。(エピソード「第12話」)
登場人物・キャラクター
麦巻 さとこ (むぎまき さとこ)
デザイン事務所でパート事務員として働いている女性。年齢は38歳。最近、指定難病である膠原病が発覚したが、そこまで重篤ではないため障害年金がもらえほどではなく、仕事をしなければ生活できない状態にある。これまでは別の建築関連会社でバリバリ働いてきたものの、病気の発覚を機に満足に働けなくなり、後輩の吉澤の嫌がらせに遭って退職し、現在のデザイン事務所で週休3日で働くようになった。そのため収入が心もとなく、家賃の安い転居先を探していたところで、紹介された団地の部屋のオーナーである美山鈴と出会う。その縁で司とも知り合い、二人の温かい人柄を気に入ると同時に司の薬膳の知識にも期待し、鈴のとなりに入居することを決めた。頭痛や節々の痛みに悩まされたりと基本的に体調は思わしくなく、司に勧められた薬膳により体調が改善したことがあり、独学で薬膳を学ぶようになる。また、日々の生活の中で気分的に落ち込むことも多いが、同時に鈴をはじめとする周囲の人々の温かさに触れ、少しずつ前向きになっていく。司に対しては、ほのかな思いを抱いているが、彼が職を持たないニートであることから、今一つ自分の気持ちに素直になれずにいる。
美山 鈴 (みやま すず)
麦巻さとこが引っ越した団地のオーナーを務める老婆。さとこの部屋のとなりに住んでいる。非常に小柄で腰も曲がっており、白髪のボブヘアに眼鏡をかけている。夫とは死別している。年齢は92歳と高齢ながら、非常に元気で明るく、少々おせっかいなところがある。さとこが入居した部屋も格安物件ながら、おせっかいな美山鈴との付き合いが敬遠されて、なかなか入居者が決まらないという経緯がある。しかし、初対面のさとこが頭痛に悩んでいることを一目で察するなど観察眼に長(た)けており、折につけて彼女に手を差し伸べている。ちなみに料理が苦手で、お手伝いさんを雇うことが長年の夢だったが、数年前に会社を辞めて放浪していた司と出会い、その夢が果たされることとなった。以来、スーパーの株主になったり、自分で制作した衣類をネットショップで販売したりと、新しいことに挑戦する日々を楽しんでいる。近所に住む人々からも頼りになると評判で、新たに団地に来た人は、困ったことがあったら「美山さん」に相談するよう教えられる。
司 (つかさ)
美山鈴といっしょに暮している青年。ひょろっとした体型の高身長で、素朴な雰囲気を漂わせている。おっとりして見えるが意外と空気が読めず、悪意なく人を傷つけてしまうことがある。また小心者なところがあり、どこかわだかまりがある人とはふつうに接することができなくなってしまう。独学ながら薬膳の知識があり、92歳の鈴が元気に生活を送れているのも、司の作る料理が大きな役割を果たしている。ちなみに、鈴は初対面の相手に司のことを「息子」だと紹介している。しかし、会社を辞めて放浪していたところを鈴と知り合い、住み込みの家事手伝いとしていっしょに暮らすようになっただけで血縁関係はない。また、実際に息子ではないことは鈴との年齢差からも明らかである。鈴の指示を受けて人におせっかいを焼くことがあるが、司自身も基本的にはお人好しで、近所に住む人々から愛されている。かつて、薬膳について人に教えたことでトラブルになったことがあり、特に病人に薬膳を教えることについては非常に慎重になっている。
唐 (から)
輝かしい実績を誇る優秀なデザイナーの青年。麦巻さとこが働くデザイン事務所の社長を務めている。たれ目のイケメンで、黒髪のショートヘアにあご髭(ひげ)を生やしている。誰に対しても口調は丁寧ながら、ざっくばらんな性格で、デザイン事務所の雰囲気は非常にアットホーム。また、事務所で働くほかの社員デザイナーのこともよく観察しており、的確なアドバイスをしたり、彼らのために自腹を切って美術展のチケットを手配したりと、リーダーシップにも富んでいる。建築関係会社で働いていた頃のさとこの上司とは、かつていっしょにバンドを組んでいたこともあって面識があり、その伝手(つて)で会社を辞めたさとこを雇用した。さとこの病気のことも知っており、何かと彼女に便宜を図っていた。当初、さとこがほかの社員たちに病気のことを隠したがったため、その意志を尊重していたが、のちにさとこが自ら周囲に病気のことをカミングアウト。ほかの社員たちがその事実を受け入れたことで、事務所はより一丸となった。なお、恋愛関係の話になると朴念仁そのもので、その一点においては、ほかの社員たちから完全に呆(あき)れられている。ちなみに、唐自身は非常に理論的で几帳面なところがあり、非科学的なことを信用しない性質。薬膳に対しても関心は持っていないが、さとこの前でそのような姿を見せることはなく、周囲に対して自分の考えを強要することもない。座右の銘は「良質なふつうに勝るものなし」。
青葉 (あおば)
唐のデザイン事務所と付き合いのある出版社「ギンナン舎」に勤務する女性。ふんわりとしたボブヘアのアラフォーで、どこかほんわかした印象で、麦巻さとこからも好感を持たれている。ある日、輸入雑貨店で偶然さとこと行き合い、彼女を誘ってとろろを食べに行くことになった。作家との打ち合わせや、自ら文章を書くことは得意としているものの、数字や計算に関することとなると途端にミスが多くなってしまうため悩んでいる。これを後輩に指摘されたり、みんなの前で怒られたりすると、ネガティブ・ケイパビリティとして、幼い頃のいい思い出が詰まったとろろを食べに行くことを習慣としている。青葉が語ったこの言葉は、さとこに前向きにものを考えるための大きな影響を与えることとなった。
吉澤 (よしざわ)
かつて麦巻さとこが勤務していた建築関係会社で働く女性。もともとはさとこの部下だったが、彼女が病気で入院しているあいだに代理を務めていた。さとこが復帰したあとは上下関係が逆転し、さらにさとこを無視したり、さとこの業務メールを迷惑メール扱いしたり、さとこの仕事を自分がかぶって迷惑しているとウソの情報を周囲に吹聴したりと、陰湿な嫌がらせを繰り返すようになる。これが病気で弱っていたさとこの心に大きなダメージを与え、彼女が会社を辞める直接的なきっかけとなった。さとこが退社の挨拶をした際にも、わざとらしく涙ぐんだりと外ヅラはいいが、周囲の同僚たちにはその本性はバレており、嫌悪感を抱かれている。のちにさとこの同僚であった小川に、その所業を知られ、問い詰められることとなる。
小川 (おがわ)
かつて麦巻さとこが勤務していた建築関係会社で働く女性。淡い色のセミロングヘアを後ろで一つにしばった、快活な性格の持ち主。正義感が強く、後輩からさとこが会社を辞めることになった経緯を聞き出し、さとこに嫌がらせをしていた吉澤を締め上げたうえで、さとこに会社への復帰を打診した。さとこの実力を認め、彼女の才能をまた自社で活かしてほしいと考えていると同時に、収入が大幅に減ったであろうさとこの現況を心配もしている。小川自身は今の仕事に不満はないものの、実際はかなり過酷な環境にあって少々疲れが溜まっており、さとこからは逆に心配されている。
高麗 (こうらい)
イラストレーターを生業とする女性。ショートヘアで、少々勝気な顔立ちをしている。麦巻さとこと同じ団地の向かいの棟の5階に新たに越して来て、「ピーちゃん」という鳥といっしょに暮らしている。一人でいると、つい物事を悪い方へと考えてしまうネガティブ思考の持ち主で、同じイラストレーターの友人たちがすでに数多くの実績を残していることに、劣等感を抱いている。引っ越して来た際、町内会長にだまされて町内会に参加させられそうになり、当初は引っ越したことを悲観していたが、美山鈴や司、さとこらとかかわるうちに前向きになっていく。のちに、鈴からネットショップに協力してほしいと正当な報酬と共に依頼を受け、スカートの生地に使うためのイラストを提供した。その後も鈴と協力しながら、アクティブに販路を拡大していく。
八つ頭 (やつがしら)
麦巻さとこと同じ団地の16号棟に住んでいる青年。年齢は31歳。淡い色の髪を肩まで無造作に伸ばし、眼鏡をかけている。物静かな性格で覇気がなく、いつも猫背気味。もともと何年も引きこもっており、最近ようやく少し外に出ることができるようになった段階にある。しかし、八つ頭自身は親切で、人から頼みごとをされると素直に手を貸す。あまり身体を動かさず血流が悪くなっているせいか、最近は物忘れがひどいことに悩みを抱えている。実は眼鏡を外すと、さとこも驚愕(きょうがく)するほどの耽美(たんび)系の美形となる。それでもコンタクトレンズを使わない理由は、コンタクトレンズをしていることも忘れてしまうため。司とは仲がよく、何かと相談に乗ってもらうことも多い。
目白 弓 (めじろ ゆみ)
麦巻さとこと同じ団地で、両親と弟と共に四人家族で暮らしている女子高校生。物静かだが多感な少女で、くせっ毛のショートヘアにそばかすがある。家庭では部屋の中でタバコを吸う父親や、共働きで何かとイライラしている母親に煩わされ、学校でも孤立している。将来に対しても希望を見出せず、「どうでもいいし」が口癖となっている。もともとテスト勉強のため、さとこが一時的に副業としてやっていたレンタルルームを借りたが、それ以降、一人になるために親に内緒でレンタルルームを借り続けていた。これが縁でさとこと親しくなり、その伝手で高麗とも知り合ったことをきっかけに、自らの視野と世界を広げていく。
書誌情報
しあわせは食べて寝て待て 5巻 秋田書店〈A.L.C.DX〉
第1巻
(2021-04-16発行、 978-4253160827)
第2巻
(2021-11-16発行、 978-4253160834)
第3巻
(2022-10-14発行、 978-4253160841)
第4巻
(2023-09-14発行、 978-4253160858)
第5巻
(2024-11-15発行、 978-4253163965)