ジェリコー

ジェリコー

中原たか穂の初連載、初単行本の作品。19世紀初頭、フランス激動の時代に活躍したフランス人画家のテオドール・ジェリコーが、代表作である絵画「メデューズ号の筏(いかだ)」の制作を通して、「近代絵画の先駆者」といわれるテオドールが人間の本質へとせまる半生を描いた伝記作品。KADOKAWAの情報誌「ダ・ヴィンチ」2021年1月号から10月号にかけて連載された作品。

正式名称
ジェリコー
ふりがな
じぇりこー
作者
ジャンル
西洋史
 
自伝・伝記
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あらすじ

画家としての才能にあふれたテオドール・ジェリコーは、イタリアからフランスへと帰国した。ミケランジェロ・ブオナローティの人間描写にあこがれるテオドールは、師匠であるピエール=ナルシス・ゲランの作風に反発する中で、革命や戦争などを題材としたドラマティクな絵を描きたいとの欲に取り憑(つ)かれていた。そんな中、メデューズ号難破事件を知り、さらに友人のオーギュスト・ブリュネが事件の生存者の一人、アレクサンドル・コレアールの知人であると知ったテオドールは、オーギュストを通じてアレクサンドルに取材を申し込む。メデューズ号難破事件をもとに、このショッキングな事件を題材に大作を描くことに夢中になっていたテオドールだったが、叔父(おじ)のジャン・カルエルの妻で、不倫関係にあったアレクサンドリヌの妊娠を知ってからは、精神的に不安定になっていく。やがて出産したアレクサンドリヌは、テオドールを罵倒しながら田舎に追放されたことで、テオドールの精神状態は増々悪化する。それからは頻繁に出席していた社交界への出席も拒み、死体の資料をアトリエに持ち込むようになったテオドールに、弟子のジャマールや画家仲間のウジェーヌ・ドラクロワは不安を募らせていく。やがて完成した絵画「メデューズ号の筏」が、サロン・ド・パリで金賞を受賞するものの、当時の政府の政治的立場から低い評価を受けたテオドールは、ついに憂鬱症を発症してしまう。心配した友人たちの勧めでイギリスに渡ったテオドールは、ロンドンで高い評価を受け、競馬のスケッチを繰り返すことで意欲を取り戻していく。そんな中、父親に経営と投資を勧められたテオドールは、工場の監督に行った先で落馬し、背中を強打してしまう。

登場人物・キャラクター

テオドール・ジェリコー

画家の男性。馬の絵を描かせればテオドール・ジェリコーの右に出る者はいないと高い評価を受けている。ミケランジェロ・ブオナローティの描く人間の躍動感にあこがれ、美しい女性や英雄といった絵画ではなく、革命や戦争といったドラマティクな絵を描きたいと考えている。また、産まれるのが15年早ければ自分の画風が画壇を席巻していたはずだと夢想している。そんなある日、メデューズ号難破事件の詳細を知り、人肉食も行ったとされる生存者たちのショッキングな姿を描くことで悪徳を含めた生命の躍動を描写しようと思いつく。そして友人のオーギュスト・ブリュネが、事件の生存者の一人であるアレクサンドル・コレアールと知り合いであることを知り、オーギュストを通じてアレクサンドルに取材を申し込む。そんな中、アレクサンドリヌのことは当初は姉のように慕っていたが、ナポレオン戦争の頃に不倫の関係となる。アレクサンドリヌの妊娠が発覚してからは、テオドール自身の中にある悪徳に気づき、社交界からの誘いをすべて断るようになり、アトリエも凱旋門(がいせんもん)近くへと移している。やがてメデューズ号難破事件を描くため、資料として死体をアトリエに持ち込んで観察するようになる。サロン・ド・パリに出展した「メデューズ号の筏」の評価が新聞に載った頃、憂鬱症を発症してしまう。実在の人物、テオドール・ジェリコーがモデル。

ピエール=ナルシス・ゲラン

テオドール・ジェリコーの師匠にあたる男性。新古典主義の画風で、テオドールからは硬直した神話を描いていると評されている。テオドールから嫌われているのを承知のうえで、テオドールがサロン・ド・パリを前に「メデューズ号の筏」の評価を求めた際には労をねぎらい、気になる構図のバランスを指摘した。実在の人物、ピエール=ナルシス・ゲランがモデル。

ジャン・カルエル

テオドール・ジェリコーの母方の叔父。テオドールのパトロンを務める初老の男性。テオドールに芸術の才能があることを認め、彼が画家になることを反対している父親に、テオドールを芸術の道へと進ませることを進言した。妻のアレクサンドリヌとテオドールが不倫関係にあることを知っているが、若気の至りであると黙認していた。しかし、アレクサンドリヌの妊娠が発覚した際には激昂し、テオドールへの支援を取りやめた。

アレクサンドリヌ

ジャン・カルエルの妻。ジャンとは27歳も年が離れている。テオドール・ジェリコーを絵画の道へと後押しした人物であり、ジャンと共にテオドールのパトロンでもある。テオドールを天才だと評しているが、画風が時代に見合っていないことや、アレクサンドリヌ自身との不倫に溺れている様子を見て嘲笑(あざわら)っている節がある。テオドールの子を妊娠して出産したのちに、子供と共に田舎に追放された。

オーギュスト・ブリュネ

テオドール・ジェリコーの友人で、経済学者を務める男性。経済に関する本を出版しているが思うように売れず、テオドールに挿し絵を依頼するためにやって来た。その際、メデューズ号難破事件の生存者の一人であるアレクサンドル・コレアールと友達であることを明かした。テオドールに取材したいと頼まれ、アレクサンドルを紹介している。

アレクサンドル・コレアール

メデューズ号難破事件の生存者の男性。事件の内容を記した「フリゲート艦メデューズの難破」の共著者。オーギュスト・ブリュネの友人で、事件後は別人のように老け込んでいる。事件当時は海洋に置き去りにされた大筏に乗り、メデューズ号の乗組員147名はアレクサンドル・コレアールを含めて15人だけが生き残った。テオドール・ジェリコーから事件についての取材を申し込まれてからは、事件のあらましを話すことに加え、大筏の精巧な模型を作るなど積極的に協力している。実在の人物、アレクサンドル・コレアールがモデル。

ジャマール

テオドール・ジェリコーの弟子にあたる男性。テオドールの画材の買い出しや食事の世話などを担当している。テオドールの作品に心酔しており、スケッチを間近に見られることを幸せに思っている。しかし、アレクサンドリヌの妊娠後のテオドールの異常な集中力や、資料として死体をアトリエに持ち込む異常性に恐怖を抱くようになる。

ウジェーヌ・ドラクロワ

画家の男性。テオドール・ジェリコーとは高等教育とアトリエで同門だった。出身階級も同じだったため、親しくしていた。テオドールにあこがれており、テオドールの作品「メデューズ号の筏」を目にした際には強く感情を揺さぶられ、展覧会から逃げ出した。実在の人物、ウジェーヌ・ドラクロワがモデル。

その他キーワード

メデューズ号難破事件 (めでゅーずごうなんぱじけん)

1816年7月に起こった難破事件。海軍将校のショマレーが艦長を務めるフランス海軍の帆走フリゲート艦「メデューズ号」が、セネガルに向けての航海中にモーリタニア沖で座礁する。メデューズ号を放棄したショマレー艦長は、大筏に乗った乗組員147名をオールも渡さずに海洋に置き去りにし、自分は救命ボート2艘(そう)で安全な場所に避難した。置き去りにされた147名は2晩続きで襲った嵐と、2樽詰まれていたワインを飲んだことで起こった乱闘で激減する。大筏の上では食人を含むさまざまな非人間的行為が行なわれ、13日後に救出された時には乗組員147名は15人となっていた。その後、ショマレー艦長は乗組員を見捨てたことに対して罪に問われることはなかったが、ショッキングなこのメデューズ号難破事件が明らかになったことで批判を受けたフランス政府は、この事件を隠匿しようとする。

メデューズ号の筏 (めでゅーずごうのいかだ)

テオドール・ジェリコーがサロン・ド・パリに出展した、メデューズ号難破事件を描いた絵画。テオドール自身は「メデューズ号の筏」と名づけたが、展覧会の責任者によって「難破の光景」と改題された。ルイ18世によって金賞を授けられたが、作品の評価はリベラル派と過激王党派で二分され、テオドールが目標としていた国家買い上げとはならなかった。その後、メデューズ号の筏はイギリスで展示され、高い評価を受ける。

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