ブラック・ジャック創作秘話 ~手塚治虫の仕事場から~

ブラック・ジャック創作秘話 ~手塚治虫の仕事場から~

漫画家・手塚治虫が仕事場で見せた知られざる秘話を、数多くの関係者に取材してルポタージュとしたノンフィクション漫画。取材対象は、元アシスタントたちを主にして、『週刊少年チャンピオン』誌上で『ブラック・ジャック』の掲載に携わった編集者たちや、手塚のアニメーション制作に関わった人物たちなど多岐に渡る。原作は宮崎克。

正式名称
ブラック・ジャック創作秘話 ~手塚治虫の仕事場から~
ふりがな
ぶらっく じゃっくそうさくひわ てづかおさむのしごとばから
原作者
宮崎 克
漫画
ジャンル
自伝・伝記
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概要・あらすじ

喫茶室ルノアールの店内で、「週刊少年チャンピオン」取材班が、漫画家・手塚治虫の元チーフアシスタントの1人である福元一義に取材することから、手塚の創作実話を探るルポタージュは始まる。秋田書店の週刊少年漫画誌・『週刊少年チャンピオン』で連載された代表作『ブラック・ジャック』の仕事場を主に追いつつ、手塚の超人的な漫画家生活や、自身で設立した虫プロダクションでのアニメーション制作、そしてその晩年の姿までも描いてゆく。

また、『週刊少年チャンピオン』の名物編集長であった壁村耐三をはじめ、手塚に関わった人物自身を掘り下げていく回想もサブエピソードとして度々挟まれている。

登場人物・キャラクター

手塚 治虫 (てづか おさむ)

実在の人物であり、日本の男性漫画家。本名は手塚治。1928年11月3日生まれ。1940年代から1980年代にかけて活動し、1989年2月9日に死去。作中では、主に秋田書店の週刊少年漫画誌・『週刊少年チャンピオン』における漫画家としての活動を追いつつ、自身が設立した会社・虫プロダクションや手塚プロダクションでのアニメーション制作について、そしてその晩年の姿までも描いている。 「漫画の神様」とも称される手塚だが、作中では人間的で泥臭い側面がより強調され、実際よりも肉付きがよく映るのが作画上の特徴。

壁村 耐三 (かべむら たいぞう)

実在の人物であり、秋田書店の週刊少年漫画誌・『週刊少年チャンピオン』2代目編集長。1958年に秋田書店に入社し、初仕事が手塚治虫の原稿取りだった。名物編集長の「カベさん」として知られ、部下であった伊藤嘉彦は「この人ホントに編集長? ヤクザじゃないのか?」と当時の印象を語ったほど。 後の代表作ともなる『ブラック・ジャック』の連載を手塚治虫に依頼し、スランプの時期にあった手塚に復活のチャンスを用意した人物でもある。また、『まんが王』編集長時代に永井豪をスカウトした際のエピソードなども紹介されている。

青木 和夫 (あおき かずお)

実在の人物であり、秋田書店の週刊少年漫画誌・『週刊少年チャンピオン』の編集者。手塚治虫の代表作である『ブラック・ジャック』の原稿を、最も数多く取った男とされる。『ブラック・ジャック創作秘話』は、彼が手塚プロダクションの屋内の柱に、手塚の原稿が取れない怒りのあまり、拳で穴を空けたエピソードの紹介から始まっている。 また、コミックス第1巻には松谷孝征との特別対談も収録されている。

阿久津 邦彦 (あくつ くにひこ)

実在の人物であり、秋田書店の週刊少年漫画誌・『週刊少年チャンピオン』編集者。壁村耐三の編集長時代を回想する青木和夫が、当時の編集部から「ひとりあげるとすればやっぱりあの人」と紹介した天才編集者で、「壁村組」の一番打者と称される。70年代に山上たつひこの『がきデカ』、鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』、つのだじろうの『恐怖新聞』などの人気作を数々チャンピオンで立ち上げている。 作中では、他の編集者が上司の壁村に萎縮する中で、物怖じせず意見できる人物として描かれる。手塚治虫の作品は直接担当しなかったが、壁村の後任としてチャンピオンの3代目編集長となった。

松谷 孝征 (まつたに たかゆき)

実在の人物であり、手塚プロダクションのマネージャーとして登場。1973年にマネージャーとして入社する以前は、実業之日本社の『漫画サンデー』編集部で手塚の担当編集者をしていた。1985年には手塚プロダクション代表取締社長に就任。作中では、手塚がもうアニメ制作をしない約束で手塚プロのマネージャーを引き受けたにも関わらず、5年後にアニメ制作をすることになってもそれを止めることができなかったとされる。 また、コミックス第1巻には青木和夫との特別対談も収録されている。

三船 毅志 (みふね たけし)

実在の人物で、手塚プロダクションの元アシスタント。秋田県出身。寺の長男として生まれ、現在は実家である地蔵院の住職として「週刊少年チャンピオン」取材班の取材を受ける。手塚プロで漫画アシスタントを1年間勤めた後、実家の寺を受け継ぎながら、秋田県警察の刑事部鑑識課に所属し、捜査用の似顔絵の講師を行う主任専門技術員としても働くという異色の経歴を持つ。

鈴木 伸一 (すずき しんいち)

実在の人物で、日本のアニメーター。『オバケのQ太郎』に登場する「ラーメン好きの小池さん」のモデルとしても有名。現在は杉並アニメーションミュージアム館長として「週刊少年チャンピオン」取材班の取材を受ける。満州に生まれ、日本の中学を卒業してから上京。 トキワ荘に入居していた時期、時々遊びに来ていた手塚治虫と出会う。それから手塚とアニメについて熱く語り合い、様々な場で同行していた様子が紹介される。

大林 宣彦 (おおばやし のぶひこ)

実在の人物で、日本の映画監督。『ブラック・ジャック』の実写映画化作品『瞳の中の訪問者』(宍戸錠主演)を監督。「週刊少年チャンピオン」取材班の取材に対し、手塚との交流の思い出や、手塚の息子で映画監督でもある手塚眞について語る。

集団・組織

「週刊少年チャンピオン」取材班 (しゅうかんしょうねんちゃんぴおんしゅざいはん)

『ブラック・ジャック創作秘話』に登場する集団。『ブラック・ジャック創作秘話』は、「週刊少年チャンピオン」取材班が生前の手塚治虫を知る関係者に取材をし、それをルポ漫画化するという体裁を採っている。秋田書店の週刊少年漫画誌・『週刊少年チャンピオン』の編集部の協力で、『ブラック・ジャック創作秘話』の原作担当・宮崎克と、作画担当・吉本浩二が実際に取材を行っている。

虫プロダクション (むしぷろだくしょん)

『ブラック・ジャック創作秘話』に登場する会社。通称虫プロ。実在の会社であり、1961年に手塚治虫が創設した手塚治虫プロダクション動画部が1962年に改称されたもの。アニメーション制作を専門とし、制作部門以外を切り離して独立させた子会社に虫プロ商事がある。1973年に子会社と共に倒産。なお、1977年には(手塚自身ではなく)虫プロの労働組合が中心となった同名の別会社が設立されている。

手塚プロダクション (てづかぷろだくしょん)

『ブラック・ジャック創作秘話』に登場する会社。通称手塚プロ。実在の会社であり、1968年に手塚治虫が自身の漫画制作のために設立。会社は練馬区の富士見台に始まり、後に新宿区の高田馬場に移動している。1973年、手塚の担当編集者であった松谷孝征をマネージャーに招き、松谷は1985年に代表取締役社長となった。 また、第1話で「週刊少年チャンピオン」取材班の取材を受けていた福元一義は1970年に入社している。

場所

トキワ荘 (ときわそう)

東京都豊島区に1982年まで存在した木造アパートで、手塚治虫をはじめとした数多くの漫画家が居住した歴史を持つ。手塚自身の入居期間は2年間未満と短いが、退居後もトキワ荘に住む漫画家たちと手塚の親しい交流は続けられていた。アニメーターの鈴木伸一や漫画家の赤塚不二夫などが入居していた時期の様子も作中では描かれている。

その他キーワード

ハーシー

アメリカ合衆国のチョコレート製造会社、ザ・ハーシー・カンパニーのチョコレートのこと。手塚治虫の好物であり、よく仕事中に「チョコがないと描けない」と言って編集者に買いに行かせていたという。ハーシーは当時高級品で、手塚のお気に入りのお菓子であった。 一度だけ手塚の原稿を手伝ったことのある松本零士が、「週刊少年チャンピオン」取材班の取材に対し、「本当においしそうに食べてましたね」と当時を回想していた。

ブラック・ジャック

『ブラック・ジャック創作秘話』に登場する漫画作品であり、その主人公の名称。『☆週刊少年チャンピオン』において連載を開始し、手塚治虫の代表作のひとつとなった。キャラクターとしてのブラック・ジャックは『ブラック・ジャック創作秘話』の登場人物ではないが、本編の扉ページなどで手塚と肩を組んだり、2人で『ブラック・ジャック』の原稿に向かっていたりする姿がイラストになっている。

クレジット

原作

宮崎 克

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